平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 20… 平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 2005年5月18日)は、日本の仏文学者・文芸評論家・作家。早稲田大学名誉教授。 1929年(昭和4年)大阪市生まれ。1952年(昭和27年)早稲田大学文学部仏文科卒業。1961年(昭和36年)大学院文学研究科仏文学専攻博士課程満期退学。1957年から1960年パリ大学に学び、1962年(昭和37年)早稲田大学文学部講師、1965年(昭和40年)助教授、1970年(昭和45年)教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。 アラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン、マルグリット・デュラス等、ヌーヴォー・ロマンの翻訳で知られているが、バルザックやメリメ等も翻訳し、小説も書くなど、幅広い活動をおこなった。
宮岸 泰治(みやぎし やすはる、1929年3月26日 - 2… 宮岸 泰治(みやぎし やすはる、1929年3月26日 - 2006年6月10日)は、日本の演劇評論家。 朝鮮生まれ。1956年早稲田大学文学部国文科卒業、東京新聞記者となって演劇批評を書き、特に木下順二の「夕鶴」を見続けた。1987年退社。1996年『木下順二論』でやまなし文学賞受賞。妻は日本舞踊家の手島かつ子。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 199… 村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は日本の評論家、フランス文学者。筑波大学名誉教授。立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。
小倉 忠夫(おぐら ただお、1929年3月22日 - )は、… 小倉 忠夫(おぐら ただお、1929年3月22日 - )は、日本の美術評論家。 岡山県高梁市生まれ。父は、小倉魚禾(おぐら ぎょか)であり、画家であった。 旧制高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)在学中は大西茂と同級生であり友人であった。その後、1945年4月(昭和20年)海軍兵学校に入学を経て、戦後、東京大学へ入学。1952年東京大学文学部美学美術史卒。国立近代美術館、京都国立近代美術館に勤務、国立国際美術館館長、京都国立近代美術館館長。1995-99年名古屋ボストン美術館館長。1998-2002年大原美術館館長。1999年、勲三等旭日中綬章受章。
横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973… 横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973年8月14日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名・輝雄。 兵庫県美嚢郡三木町大塚(現・三木市)生まれ。1946年湊川中学校夜間部卒業、小学校教師となり、生活綴方運動に加わる。1954年「文学と教育研究はくぼくの会」に参加、日本児童文学者協会に入り評論活動を行う。1958年教師を辞して上京、協会事務局長となる。児童向け再話なども行い、1970年日本子どもの本研究会会長を務めるが、1973年胃がんのため44歳で死去した。 1975年日本児童文学者協会賞特別賞。
福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 19… 福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 1976年4月9日)は、樺太出身の編集者、SF作家、SF評論家、翻訳家。 本名:加藤 正実(かとう まさみ)。別名:加藤 喬(かとう きょう)、原 狷介(はら けんすけ)がある。 長男の加藤 喬(かとう たかし、1957年 -)は元米陸軍大尉で米国防総省外国語学校日本語学部長であり、第3回開高健賞奨励賞受賞者である。次男の加藤まさし(別名・桑沢慧、1963年 - )も翻訳・著述を手がけている。義弟(妹の夫)は内田庶(宮田昇)。詩人田村隆一の2度目の妻は正実の従姉妹。 初代『S-Fマガジン』編集長であり、それまで日本の出版界では商業的に成功しなかったSFを日本に定着させるため、様々な分野で精力的に活動し、「SFの鬼」と呼ばれた。
今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー201… 今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー2012年10月10日)は、日本の原子力問題の専門家、外交官、新聞記者、原子力技術者、科学評論家。専門は核不拡散、保障措置など。 1929年(昭和4年)、父今井文平(元大倉鉱業、元大倉商事会長)、母信子(または信、小坂善之助五女)の五男として東京に生まれる。兄に今井兼一郎(元日本機械学会会長)がある。元外務大臣小坂善太郎、元運輸大臣小坂徳三郎兄弟らは従兄弟にあたる。 少年時代、エドウィン・O・ライシャワー夫人から英語を習った。 旧制東京府立高等学校から、1952年東京大学理学部数学科卒、ガリオア資金で米国留学し、フレッチャー法律外交大学院(M.A)および1956年ハーバード大学大学院国際関係学修士(A.M)。
大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - … 大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - 1999年12月21日)は日本の競馬評論家。 慶應義塾大学文学部心理学科を卒業した。 予想家として、通算4度パーフェクト予想を達成し、競馬の神様の愛称で親しまれた。競馬評論家の大川智絵は長女。 青森県八戸市の大平牧場で競走馬を生産するオーナーブリーダーであった大川義雄(高千穂製紙社長、通称「タイヘイ氏」)の二男として、東京府北豊島郡王子町(現在の東京都北区王子)に誕生した。実業家渋沢栄一の曽孫にあたる。また「日本の製紙王」大川平三郎は祖父である。母方の祖父は東京山中銀行取締役のほか日本建物、東京調帯社長などを務めた大村五左衛門。 幼少のころより大平牧場や東京の外厩で競走馬を間近に見て育った。
三木 多聞(みき たもん、1929年2月6日 - 2018年… 三木 多聞(みき たもん、1929年2月6日 - 2018年4月23日)は、日本の美術評論家。 三木宗策の子として東京に生まれる。早稲田大学文学部卒。東京国立近代美術館勤務、文化庁文化財保護部企画官を経て、1986年、国立国際美術館長、1992年、徳島県立近代美術館長、のち顧問、東京都写真美術館館長、のち名誉館長。2000年、勲三等旭日中綬章を受章。 2018年4月23日、急性心不全のため死去。89歳没。
村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017… 村木 明(むらき あきら、1929年1月11日 - 2017年1月17日)は、日本の美術評論家、小説家。 岐阜県出身。1951年に旧制名古屋外国語専門学校(南山大学の前身)フランス語科卒業、1954年に早稲田大学政経学部卒業。また、中央大学文学部仏文科も卒業。紀伊國屋書店洋書部勤務などを経て、日本美術評論家連盟会員、国際美術評論家連盟会員になる。1971年頃から1974年まで読売新聞に美術批評、美術関係の記事を寄稿をする。美術雑誌『みづゑ』に「海外短信」の題名で日本国外の美術情報を連載、他誌でも展覧会評を寄稿した。 美術館や東京都内デパートの展覧会の監修も行い、カタログに寄稿した。1979年の第1回日本秀作美術展(読売新聞社主催)の審査、監修をし、2003年の第25回まで務めた。
中野 久夫(なかの ひさお、1929年1月5日- )は、日本… 中野 久夫(なかの ひさお、1929年1月5日- )は、日本の文芸・美術評論家、外国語学習法著者。 長野県生まれ。早稲田大学文学部卒。多摩美術大学講師。文芸・美術評論家、翻訳家として活動するがのち外国語学習法の本を書くようになる。
加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012… 加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012年5月16日)は、日本の詩人、俳人、俳諧評論家。 東京府に生まれる。父は早稲田大学教授であり、長谷川零余子に師事した俳人加藤紫舟(本名・中庸)。 1951年、早稲田大学文学部演劇科卒業。卒業後は日本テレビに勤務し、また商事会社を経営。 俳句は父に教えを受けつつ、日野草城、西東三鬼、高柳重信の影響を受け、父の主宰誌『黎明』に新芸術俳句を発表。1950年に父が没してのちは『黎明』の主宰を継いだ。のちに詩を吉田一穂、西脇順三郎に師事した。昭和30年代には『俳句評論』『ユニコーン』などの前衛俳句誌にも参加した。初期の代表作に「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」「天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし」などがあり、西欧詩に学んだ詩的実験を定型俳句で展開し、俳壇の内外で評判を得た。
上野 正彦(うえの まさひこ、1929年1月1日 - )は、… 上野 正彦(うえの まさひこ、1929年1月1日 - )は、日本の法医学者、医事評論家、作家。元東京都監察医務院長。医学博士(日本大学)。専門は法医学。 解剖5,000体以上、検死20,000体以上の死体を見てきた死体の専門家。 茨城県生まれ、小学6年間を北海道美国町(現在の積丹町)で過ごす。実父は美国町で開業医として無償で多くの診療を行い名誉町民となる。地元に旧制中学がないため上京。1954年東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。1959年医学博士(日本大学)、論文は「酸塩基平衡失調時の寒冷血球凝集反応」、 同年東京都監察医務院に入り監察医となる。1984年同院長。その間、1981年から厚生省医道審議会委員、1984年杏林大学医学部客員教授を務める。
平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本… 平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本の教育者・教育評論家。 栃木県宇都宮生まれ。栃木県立宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)卒業。栃木県の小学校国語教員、宇都宮市立平石南小学校教諭、1959年藤岡町立赤麻小学校教諭、1975年三鴨小学校教諭、86年赤麻小学校校長。91年退職。作文教育に力を入れた。
亀井 鑛(亀井 鉱、かめい ひろし、1929年 - 2021… 亀井 鑛(亀井 鉱、かめい ひろし、1929年 - 2021年10月)は、浄土真宗の在家信徒、仏教評論家。 名古屋市生まれ。愛知県立商業学校(現愛知県立愛知商業高等学校)卒業。税官吏、工場経営、会社役員。1957年からたばこ店を経営、千代田ショップ社長。 1950年代より名古屋市真宗大谷派珉光院同朋会で聞法を始め、1965年名古屋東別院刊行の『名古屋御坊』を編集。 1978年から2009年まで東本願寺『同朋新聞』編集委員。NHK教育テレビ「こころの時代」の司会者も務める。
堀 幸雄(ほり ゆきお、1929年 - 2009年)は、日本… 堀 幸雄(ほり ゆきお、1929年 - 2009年)は、日本の評論家。 東京府生まれ。1953年青山学院大学商学部卒業、毎日新聞社入社。1986年愛媛大学教授。1989年東北福祉大学教授。1999年東北文化学園大学教授、2003年退職。右翼研究もおこなう。明治大学講師も務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評… 廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評論家。元産経新聞社大阪文化部記者・編集委員。 大阪市生まれ。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科卒業後、産経新聞社入社。大阪文化部で古典芸能や宝塚歌劇など舞台を中心とした記事に携わる。司馬遼太郎とは文化部の同僚であった。 演劇・演芸評論家として雑誌・新聞などに多数の評を執筆。書籍や各種パンフレットなどの執筆、大阪市文化財保護審議会委員、大阪文化祭賞選考委員、人形浄瑠璃因協会理事、文化庁芸術選奨(演劇部門・古典芸能部門・大衆芸能部門・舞踊部門)選考委員なども務める。
坂本 光男(さかもと みつお、1929年 - )は、日本の教… 坂本 光男(さかもと みつお、1929年 - )は、日本の教育評論家。埼玉県秩父市生まれ。埼玉師範学校卒・中央大学法学部卒。小学校・中学校・高校の教師。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員。「親子映画」運動を進める。映画「はしれリュウ」「学び座」の原作者。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
福田 和彦(ふくだ かずひこ、1929年 - 2018年)は… 福田 和彦(ふくだ かずひこ、1929年 - 2018年)は、日本の美術評論家、性哲学者。 大阪生まれ。文化学院文科、東京写真大学技術科卒業。アテネ・フランセに学ぶ。1958-73年金沢美術工芸大学産業美術学科主任講師。63年第1回国際工業写真展(チェコスロヴァキア)グランプリを受賞。67年よりインド、東南アジア、イタリアを中心とする欧米に長期滞在。WAS学会員。エロティカ評論を多く手がける。
松本 成二(まつもと せいじ、1929年 - )は、日本の文… 松本 成二(まつもと せいじ、1929年 - )は、日本の文芸評論家、国語教師。東京教育大学文学部独語科卒業後、同国文科卒業。埼玉県立川越高等学校、埼玉県立浦和高等学校、駿優予備学校、両国予備校、巖丈志摩予備校などで教鞭を執った。
伊藤 誠(いとう まこと、1929年 - 2012年12月7… 伊藤 誠(いとう まこと、1929年 - 2012年12月7日)は、日本の美術評論家。 兵庫県出身。大阪府立大学工学部卒。神戸新聞学芸部美術記者、学芸部次長、事業部長、文化事業局次長、姫路市立美術館副館長。 2012年12月7日、肺炎のため死去。83歳没。
桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - … 桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - 2016年3月31日)は日本の教育者・教育評論家。学力偏差値を用いた進路指導を行ったことで知られる。 長野県下伊那郡鼎村(現:飯田市)生まれ。旧制中学校在学中に海軍予科練に志願し、敗戦で復員する。旧制上田蚕糸専門学校卒業後、14年間教員生活を送る。長野県や東京都の公立中学校の理科教員を務める(1950年4月~1963年3月)。 東京都港区立城南中学校に勤務していた1957年(昭和32年)、別の学校の先生から偏差値について聞き、進路指導のために学力偏差値を使用し始めた。 1963年にテスト業者の進学研究会に転職。1976年の自著には「私は偏差値の生みの親とされている」と記しており、1981年の自著のタイトルでは「ミスター偏差値(Mr.HENSACHI)」と名乗っている。
多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 201… 多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 2011年4月13日)は、日本の美術評論家・写真評論家・建築評論家。専門は芸術学。元千葉大学教授。 写真評から出発し、美術、建築、思想と多岐にわたって批評活動を展開した。スポーツと社会の関連も論究。著書に『眼の隠喩』(1982年)、『天皇の肖像』(1988年)、『シジフォスの笑い』(1997年)などがある。 兵庫県神戸市生まれ。神戸一中、旧制第三高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業。和光大学助教授、東京造形大学教授、千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授を歴任。 1955年、『美術批評』誌の第2回芸術評論賞にて「井上長三郎論」で佳作入選。
湧田 佑(わくた ゆう、1928年12月18日 - )は、日… 湧田 佑(わくた ゆう、1928年12月18日 - )は、日本の文芸評論家。本名・優(まさる)。 神奈川県出身。日本大学文理学部国文科卒。専門学校講師。井伏鱒二について研究してきた。
尾崎 秀樹(おざき ほつき、1928年(昭和3年)11月29… 尾崎 秀樹(おざき ほつき、1928年(昭和3年)11月29日 - 1999年(平成11年)9月21日)は、日本の文芸評論家。ゾルゲ事件の研究や、大衆文学評論に尽くした。勲三等瑞宝章。 ゾルゲ事件の尾崎秀実は異母兄。同母妹の田才秀季子(ほすえこ)は、チェコ文学者田才益夫の妻。妻の尾崎恵子は執筆のアシスタントでもあり、秀樹との共著が二冊ある。歴史学者・政治学者の今井清一は義理の甥(秀実の娘の夫)。 台湾台北州台北市に尾崎秀真と、愛人の吉田きみとの子として生まれ、母の私生児として育つ。1933年に秀真の本妻が死去し、母と再婚し秀真の妻となり、秀樹も尾崎家に入籍する。 父尾崎秀真(尾崎白水)は美濃出身で戦前の台湾で歴史学者、漢詩人、文士、新聞記者(報知新聞記者、のち台湾日日新報記者を経て主筆)として活躍した。
大久保 典夫(おおくぼ つねお、1928年(昭和3年)11月… 大久保 典夫(おおくぼ つねお、1928年(昭和3年)11月19日 - 2025年(令和7年)8月25日)は、日本の文芸評論家・日本近代文学研究者。学位は、博士(文学)(早稲田大学・論文博士・2004年)(学位論文「岩野泡鳴の研究」)。東京学芸大学名誉教授。現代文学史研究所所長。国文学者の梶川信行は娘婿。 埼玉県出身。早稲田大学文学部国文科卒。1958年季刊同人誌『批評』に参加。1981年『文学と教育』を創刊。東京学芸大学助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授、創価大学教授。1998年退職。2003年現代文学史研究所創設。2004年「岩野泡鳴の研究」で早稲田大学より博士(文学)の学位を取得。
越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 20… 越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 2025年4月16日)は、日本のアナウンサー、野球評論家、スポーツライター。日本放送協会(NHK)アナウンサー→日本テレビ放送網(NTV)アナウンサー、のち運動部長。東京府(のちの東京都)出身。 「おち せいてん」の読みをあてる場合がある。 東京府立第一商業、早稲田大学政治経済学部卒業。 1951年にNHKへ入局。札幌局勤務ののち、1953年のNTV開局に伴い同局へ第1期アナウンサーとして移籍とする資料があるが、同年10月21日のNHKラジオ第2放送での日米野球(円山球場)の実況を担当しているため、実際には開局翌年移籍とみられる。以後、特にスポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍。
西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 202… 西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 2021年7月31日 )は、日本の文芸評論家、平和運動家。 1928年11月10日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。1945年3月、県立清水中学校(現・清水東高)卒業。1947年3月、浜松工業専門学校応用化学科(現・静岡大学工学部)中退。1950年3月、旧制静岡高等学校文科甲類を卒業。1953年3月、東京大学文学部国文学科卒業、1955年3月、同大大学院(旧制)を退学。法政大学文学部非常勤講師を経て1971年4月、同学部助教授、1973年4月、教授となる。1994年3月、退職。同年4月、「西田勝・平和研究室」を設立。 1953年4月、新たな日本近代文学像を求めて小田切秀雄らと日本近代文学研究所を創立、「幻の雑誌」といわれた『驢馬』や『種蒔く人』などの散逸していた号冊を収集しての復刻版を出し、その延長として「近代文学図書館」の構想を立て、日本近代文学館の創設に尽力した。
石子 順造(いしこ じゅんぞう、1928年10月12日 - … 石子 順造(いしこ じゅんぞう、1928年10月12日 - 1977年7月21日)は、美術評論家、漫画評論家。東京都出身。本名は木村泰典。 戦前の前衛、アングラ芸術、デザイン、漫画などを対象に評論活動を展開し、独自の見解を示す。日本の漫画評論においては先駆け的存在であった。つげ義春の熱心なファンとしても知られる。 東京大学経済学部を卒業後、大学院で美術史を専攻。1956年に静岡県清水市の物流会社である鈴与倉庫に入社。営業課に籍を置くかたわら、評論活動を開始する。 1960年、画家の伊藤隆史・鈴木慶則らと評画誌『フェニックス』を創刊。 1964年、鈴与(鈴与倉庫の親会社)総務部を退社し上京。本格的に評論活動を開始。
小島 千加子(こじま ちかこ〈本名:小嶋喜久江〉、1928年… 小島 千加子(こじま ちかこ〈本名:小嶋喜久江〉、1928年9月19日 - 2025年9月5日)は、日本の編集者、文芸評論家、詩人。 東京府出身。日本女子大学国文科卒業。1949年、新潮社入社。『新潮』編集部にて森茉莉や三島由紀夫、檀一雄、吉行理恵、幸田文、円地文子らを担当。特に森とは、1958年から森が死去する1987年まで29年間にわたって親交を結んでいた。1970年には、三島事件当日の朝に三島由紀夫の遺作となった『豊饒の海』第4巻「天人五衰」の最終回原稿を受け取った。 出版部、副部長職兼務を経て1988年に退社し、文筆業一本となる。 2025年9月5日、老衰のため死去。96歳没。生涯独身だった。
西沢 舜一(にしざわ しゅんいち、1928年8月17日 - … 西沢 舜一(にしざわ しゅんいち、1928年8月17日 - 2008年12月10日)は、日本の評論家、日本共産党員。勝山俊介(かつやま しゅんすけ)名義による、戯曲や小説も知られている。 東京出身。装身具を扱う商店に育つ。旧制東京高等学校に入学。在学中の1946年12月12日、日本共産党に入党。のち東京大学に進学する。 1958年6月より5年間、世界民主青年連盟本部書記局員として日本民主青年同盟からブダペストに派遣された。1963年3月帰国、日本共産党中央委員会に勤務。 1967年に戯曲「回転軸」を「勝山俊介」のペンネームで書き、日本共産党創立45周年記念文芸作品に入賞。これを機に文筆活動を開始する。
渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 201… 渡辺 一雄(わたなべ かずお、1928年7月3日 - 2014年12月8日)は、日本の作家・評論家。 本姓・小川。大丸に勤めて1976年、デパートの内幕を描いた『野望の椅子』で日本作家クラブ賞を受賞。企業小説、経営評論を多く執筆した。 1928年(昭和3年)7月3日、京都市中京区西ノ京冷泉町で生まれる。父親は岐阜県から小学校卒業と共に上洛して京都市電の運転士をしており、母親は小さな雑貨商をしていた。長男の一雄の2年下に妹、5歳下に弟がいたほか、祖父母も同居し、7人で暮らしていた。 西ノ京冷泉町や朱雀第六小学校の付近は京都市役所、繁華街の四条河原町と同じ中京区にもかかわらず、行政に忘れられたような寂しいエリアであった。
佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - … 佐野 洋(さの よう、1928年〈昭和3年〉5月22日 - 2013年〈平成25年〉4月27日)は、日本の推理作家、評論家。本名は丸山一郎。 東京市大森(現・東京都大田区大森)出身。東京中学卒業。 旧制一高に首席合格、東京大学文学部心理学科卒業。大学時代、日野啓三、大岡信らと同人誌『二十代』、『現代文学』を作る。彼ら文学仲間には「推理小説好き」であることはかくしていた。 1953年、読売新聞社に入社。当初兼業作家だったため、ペンネームは「社の用」にかけて付けた。1959年に新聞社を退社。最も好きな推理作家として英国のアンドリュー・ガーヴの名を挙げている。黒岩重吾に「血や汗を流していない小説」と批判され、「むしろ賛辞と受け止めたい」と返したほど知的遊戯としてのミステリを貫いているが、一方で「同一の主人公のシリーズばかり書くと、作品のパターンが繰返しになり、マンネリズムに陥る」などの理由からシリーズ探偵には否定的な立場を取り、エキセントリックな犯罪、大掛かりなトリック、大邸宅大家族などのゴシックロマン的な背景も排除するなど、ほどのよいリアリズム、中庸さが持ち味でもある。
竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年… 竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年3月30日、戸籍上では1930年5月30日 - 1991年5月19日)は、日本のルポライター、アナーキスト、評論家。 東京都出身。甲府中学(現:山梨県立甲府第一高等学校)中退。「夢野京太郎」「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」などの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出した。晩年には癌を患うが、闘病しながら活動を続けた。 父はシュルレアリスムの画家として知られる竹中英太郎であり、彼の作品にも影響を与えた。妹の金子紫は「竹中英太郎記念館」の館長を務めており、兄と父の遺志を引き継ぐ形で活動を続けている。
多田 茂治(ただ しげはる、1928年(昭和3年)3月27日… 多田 茂治(ただ しげはる、1928年(昭和3年)3月27日 - 2020年(令和2年)5月3日)は、日本の文芸評論家。 福岡県小郡市に生まれる。1954年九州大学経済学部卒業。旧制福岡高等学校在学中から小説を書き始め、九州大学在学中に『九州文学』『新日本文学会』などの同人誌に参加し、作品を発表。大学卒業後は福岡で新聞記者となり、この頃夢野久作の三男・杉山参緑と知り合い、夢野久作に関心を持ち始める。上京後、週刊誌編集者、フリーライターを経て文筆業。51歳の時に、町田市ゆかりの明治の自由民権家、石坂昌孝や細野喜代四郎などを描いた「多摩困民記」を刊行し、作家デビューする。「自分の書き残したいものだけを書く」というポリシーのもと、綿密な調査や取材を行い、ノンフィクションや伝記を次々に執筆した。
大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - … 大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - 2013年8月15日)は、日本の文芸評論家、武蔵野大学名誉教授。専攻は日本近代文学の研究、特に日本近代文学への仏教の影響(他力思想の影響について)及び近代日本文学と風土との関わりについての研究。 鹿児島県鹿児島市生まれ(本籍宮崎県都城市)。 丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に所属して評論を書いた。同じ雑誌の吉村昭とは親友関係。 1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者への指導的役割、作品誕生への励ましを続け、新たな書き手として村田喜代子ら多くの作家の誕生を手助けした。 雑誌『食食食』(みき書房)、『食の文学館』(紀伊国屋書店)など文学と食を結ぶ季刊誌を主宰して、風土と食の文学の研究を20年以上継続。
片岡 啓治(かたおか けいじ、1928年3月1日 - 200… 片岡 啓治(かたおか けいじ、1928年3月1日 - 2004年12月)は、日本のドイツ文学者、文化・思想評論家、翻訳家。獨協大学名誉教授。 1928年、東京府で生まれた。東京大学で学び卒業。獨協大学外国語学部助教授に就き、1983年に教授昇格。1998年に獨協大学を定年退職し、名誉教授となった。 専門はドイツ文学。戦後ドイツ社会、哲学、マルクス主義に関連する著作や、ヴィルヘルム・ライヒなどを翻訳した。また、映画や日本現代文学、幕末史についても著作を残している。寺子屋を運営。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
濱田 泰三(はまだ たいぞう、1928年2月13日 - 20… 濱田 泰三(はまだ たいぞう、1928年2月13日 - 2019年8月17日)は、日本の文学者(フランス文学)、文芸評論家。早稲田大学名誉教授、公益財団法人パブリックヘルスリサーチセンター顧問。「濱田」の「濱」が旧字体のため、新字体で浜田 泰三(はまだ たいぞう)と表記されることもある。 日本放送協会での勤務を経て、早稲田大学法学部教授、早稲田大学図書館館長(第12代)、学校法人早稲田大学常任理事、財団法人パブリックヘルスリサーチセンター理事長などを歴任した。 フランス文学者であるとともに、文芸評論家としても活躍した。また、レフ・トロツキーやルネ・グルッセの著作の翻訳を手掛け、仏教など宗教に纏わる識見も有するなど、多才な活動を展開した。
江藤文夫(えとう ふみお、1928年2月9日-2005年3月… 江藤文夫(えとう ふみお、1928年2月9日-2005年3月23日)は、日本の映像論、思想・文化評論家、成蹊大学名誉教授。 神奈川県出身。本名は山口欣次。兄は東洋史学者の山口修。 東京大学経済学部卒。美学者中井正一に影響を受けた。『映画芸術』編集部在籍を経て、フリーの評論家。 1971年成蹊大学文学部教授、映像論、思想・文化論を講じた。その間に、山本安英の会やかわさき市民アカデミーなど多くの文化運動に携わった。 1998年成蹊大学を定年退任、名誉教授。
暉峻 淑子(てるおか いつこ、1928年2月5日 - )は、… 暉峻 淑子(てるおか いつこ、1928年2月5日 - )は、日本の経済学者、評論家。埼玉大学名誉教授。夫は農業経済学者の暉峻衆三。長男は映画評論家の暉峻創三。弟は音楽プロデューサーの栗山章。 高分子化学の権威であり、九州大学名誉教授となる栗山捨三の三女として大阪府に生まれる。福岡県福岡高等女学校を経て、日本女子大学文学部卒業後、東京大学の東畑精一研究室に勤務しつつ法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻に学び、同博士課程満期退学。1955年、東畑精一研究室で知り合った暉峻衆三と結婚。1991年「豊かさとは何か」で経済学博士の学位を取得。鶴見女子大学助教授、教授、1977年埼玉大学教授、1991年定年退官、1993年教育学部名誉教授、日本女子大学教授、1998年退職。
馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日… 馬場 あき子(ばば あきこ、1928年(昭和3年)1月28日 - )は、日本の歌人、評論家、能作家、教育者。勲等は旭日中綬章。歌誌かりん主宰(短歌結社:歌林の会)、日本芸術院会員、文化功労者。本名は岩田 暁子(いわた あきこ)。かつての本名は馬場 暁子(ばば あきこ)。 小学生時代に韻文の面白さに目覚め、『古今集』や『平家物語』の韻律に強く心を揺さぶられた。1948年に日本女子専門学校(現昭和女子大学)国文科卒業後、中学、高校で教鞭をとった。 窪田章一郎に師事し、その主宰誌「まひる野」に入会。1977年、歌作と著述に専念するために教職を辞した。翌年には歌誌「かりん」を創刊。歴史の裏側に追いやられてきた、紡ぎ、包丁を持つことに象徴される「女手」の意味を掘り返し、そこに思想の根元と創作の動機を見据えようとした。
樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日… 樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日 - 2013年(平成25年)12月4日)は、日本の小説家、随筆家、評論家。静岡県生まれ。本名・茂(しげ)。幼少時を満州で過ごし、1940年帰国。以後、京都に住む。45年京都市立堀川高等女学校卒業。57年、学徒戦犯を題材にした第一作『非情の庭』でデビュー。64年膠原病を発症、闘病生活を送る。75年仕事に復帰、以後、休養をくり返しながら、日本の古代史をテーマに文筆活動を続けた。
森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7… 森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7月24日)は、日本の数学者、評論家、エッセイスト。京都大学名誉教授。専攻は、関数空間の解析の位相的研究。「一刀斎」と号した。 東京府荏原郡入新井町(現:東京都大田区)生まれ、大阪府豊中市育ち。大学教授時代より亡くなるまで京都府八幡市に在住した。 小学生の頃から塾へ通うなどしていたが、「戦時中、ぼくはというと、自他共に許す非国民少年で、迫害のかぎりを受けた不良優等生、要領と度胸だけは抜群の受験名人、それに極端に運がよくって、すべての入試をチョロマカシでくぐりぬけた」という(本人著『数学受験術指南』より)。 大阪府立北野中学校(旧制)(現:北野高校)在学中から数学が得意であった。
岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 -… 岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - 2020年(令和2年)7月10日)は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。2016年文化功労者選出。従四位叙位、旭日中綬章追贈。 17歳から歌作を始め、「アララギ」に参加。慶大医学部卒業後、内科医のかたわら、歌人として活躍する。浪漫的歌風の生活詠から次第にナショナリズムに傾き、先鋭的な思想性を短歌に導入し、前衛短歌運動の先頭に立った。一時は文学活動を停止したが、歌集『鵞卵亭』(1975年)を刊行して復帰。作風は柔和に転じた。著作に『海への手紙』(1962年)、『茂吉の歌私記』(1973年)などの評論、『岡井隆の短歌塾 入門編』(2012年)など入門書も多い。
山田 昭夫(やまだ あきお、1928年1月2日 - 2004… 山田 昭夫(やまだ あきお、1928年1月2日 - 2004年9月15日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。 北海道生まれ。北海道大学文学部国文科卒。東京大学大学院修士課程(国文学専攻)修了。中学・高校教諭などを経て、1973年、藤女子大学文学部助教授、のちに教授、1993年、退任。有島武郎を中心に北海道の作家を研究した。
坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 19… 坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 1985年12月21日)は、日本の西洋美術史研究家、美術評論家。早稲田大学教授。父は美術史家坂崎坦。東京都生まれ。 『夜の画家たち』などの著作でドイツ表現派や幻想派の画家を紹介、評論活動、執筆活動をおこなう。深井克美など無名の芸術家の紹介にも力をそそいだ。1985年9月7日に自殺した盟友鴨居玲の後を追うように同年12月21日に自殺。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
坂本 育雄(さかもと いくお、1928年 - )は、日本の文… 坂本 育雄(さかもと いくお、1928年 - )は、日本の文芸評論家。東京生まれ。慶應義塾大学卒。鶴見大学教授。1999年、定年退任。『民主文学』に依り、広津和郎などを研究、評論。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福島 辰夫(ふくしま たつお、1928年 - 2017年)は… 福島 辰夫(ふくしま たつお、1928年 - 2017年)は、日本の写真評論家、美術評論家。 東京都生まれ。1951年、岡鹿之助に勧められ美術評論に進む。1952年、東京大学文学部美学美術史学科卒業。1952年、瑛九の「デモクラート美術家協会」に参加した。 『10人の眼』展を1957年に開催し(出品作家は、石元泰博、川田喜久治、川原舜、佐藤明、丹野章、東松照明、常盤とよ子、中村正也、奈良原一高、細江英公)、後にVIVOに集う写真家たちを含め、その後の日本の写真界を担う若い才能を見いだしたことで知られる(VIVOの設立そのものにも関わっている)(「10人の眼」展は、1959年の第3回まで開催された)。
生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2… 生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2013年(平成25年))は、日本の交通評論家、旅行ジャーナリスト。 東京生まれ。早稲田大学文学部卒、同大学院修了。朝日新聞東京本社出版局記者を経て独立。以後、交通評論家、旅行ジャーナリストとして文筆活動を始める。 航空機工業審議会、生涯学習審議会、地方交通審議会、道路審議会、自然環境保全審議会各委員、内閣府・中央交通安全対策会議専門委員などを務める。 パンダの保護活動にも積極的に参加、中国臥龍パンダセンターの里親制度の創設に尽力した。
山川 浩二(やまかわ ひろじ、1927年 (昭和2年) 12… 山川 浩二(やまかわ ひろじ、1927年 (昭和2年) 12月26日 - )は、日本の広告評論家(広告研究家)。 大阪府出身。1951年に大倉高等商業学校(現・東京経済大学)卒業。 1952年に電通に入社。ラジオ局ラジオ制作部企画課に配属。三木鶏郎のCMソングのプロデュースにも携わった。プランニングセンター副部長を経て、クリエイティブ総務次長・開発部長を最後に退職(1982年)。 1988年、メディアボンドを設立し主宰を務める。 1989年、尚美学園短期大学教授に就任。葵プロモーション顧問などを経て、2012年現在はフリー。 早くから広告資料のアーカイブ化に着目し、著書も出している。