津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月14日 - 19… 津村 秀松(つむら ひでまつ、1876年6月14日 - 1939年12月23日)は日本の経済学者、実業家。神戸高等商業学校(現・神戸大学)教授、大阪鐵工所(現・日立造船)取締役会長等を歴任した。 1876年、和歌山県日高郡御坊村(現・御坊市)生まれ。旧制和歌山県立和歌山中学校(現・和歌山県立桐蔭高等学校)を経て、1899年東京高等商業学校 (現・一橋大学)専攻部を卒業。東京高等商業学校校長だった小山健三の娘と結婚した。 1900年から1903年まで欧米に留学し、留学中に石川巌・石川文吾・神田乃武・瀧本美夫・志田鉀太郎・福田徳三・関一とともに「商業大学の必要」を建議し、東京高商の大学昇格運動を始めた。
広部 周助(廣部 周助、ひろべ しゅうすけ、1875年(明治… 広部 周助(廣部 周助、ひろべ しゅうすけ、1875年(明治8年)5月11日 - 1907年(明治40年)8月1日)は、日本の経済学者。京都帝国大学法科大学助教授。 千葉県君津郡富岡村上根岸の人。千葉中学、第一高等学校を経て、1900年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。農商務省に入り、工場法案の調査を嘱託される。かたわら専修学校などの講師をしていたが、1902年、京都帝国大学法科大学助教授となる。1905年、政治経済学研究のため独・米・英の三国に留学を命ぜられる。ミュンヘン大学に入る。統計調査に従事する。 1907年8月1日、病を得てミュンヘンで亡くなる。葬儀が9月17日洛東智積院で行われ、井上学長と学生清瀬とが弔詞を読む。
河津 暹(かわづ すすむ、1875年(明治8年)1月20日 … 河津 暹(かわづ すすむ、1875年(明治8年)1月20日 - 1943年(昭和18年)3月28日)は、日本の経済学者・社会政策学者。法学博士・東京帝国大学名誉教授。しばしば音読みで「せん」とも称される。 河津祐之の長男として東京府(現在の東京都)に生まれる。本家の伯父・河津祐賢の家督を継ぎ、旧制二高(現・東北大学)を経て1899年(明治32年)7月、東京帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)政治学科を首席で卒業(いわゆる第1回「銀時計組」)、東京帝国大学大学院(経済学専攻)に入学した。 翌1900年6月、欧州(イギリス・ドイツ)留学に出発し、留学中の1901年3月、東京帝大法科大学助教授に就任した。
福田 徳三(ふくだ とくぞう、1874年(明治7年)12月2… 福田 徳三(ふくだ とくぞう、1874年(明治7年)12月2日 - 1930年(昭和5年)5月8日)は、日本の経済学を開拓した経済学者。社会政策学派、新歴史学派として経済理論、経済史などを導入した。東京商科大学(現・一橋大学)教授、慶應義塾教授、フランス学士院文科部外国会員等を歴任。レジオンドヌール勲章受章。 1874年、東京・神田で生まれた。母がクリスチャンであったため、1885年、12歳の時に築地新栄教会において植村正久から洗礼を受けた。泰明小学校から私立の東京英語学校などを経て、母の遺言と姉の助言に従い高等商業学校(後の東京高等商業学校、現在の一橋大学)に入学。学生時代には、東京の貧民窟(スラム)での伝道活動にも参加した。
根岸 佶(ねぎし ただし、1874年(明治7年)8月9日 -… 根岸 佶(ねぎし ただし、1874年(明治7年)8月9日 - 1971年(昭和46年)7月22日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 和歌山県出身。和歌山県尋常中学校(現和歌山県立桐蔭高等学校)を経て、1899年高等商業学校(現一橋大学)本科卒業、1901年同校専攻部貿易卒。本科では日中貿易論、専攻部では中国交通論を研究。1933年「支那ギルドの研究」で東京商科大学(現一橋大学)経済学博士。 1901年上海の東亜同文書院教授、1907年東亜同文会主査。中国経済を研究。帰国後、1908年東京高等商業学校(現一橋大学)講師、1911年東京朝日新聞政治部記者、1916年東京商科大学(現一橋大学)教授、1919年同大学附属商業専門部教授、1921年同大学専門部教授、1935年定年退官、同大学講師、1936年同大学学生課課長心得、1939年東亜同文会第六調査委員会学術部委員会委員、1950年東京商科大学客員教授、東京商科大学名誉教授、1951年一橋大学名誉教授。
山本 美越乃(やまもと みおの、1874年(明治7年)1月2… 山本 美越乃(やまもと みおの、1874年(明治7年)1月22日 - 1941年(昭和16年)5月13日)は、明治から昭和時代前期の日本の経済学者。京都帝国大学総長。 旧鳥羽藩士・山本昇平の三男として三重県志摩郡鳥羽町に生まれる。鳥羽商船学校を飛び級で卒業し、同志社普通学校を経て、1903年(明治36年)京都帝国大学法科大学選科を卒業する。 大阪高等商業学校(現・大阪市立大学の前身)教諭を経て、山口高等商業学校(現・山口大学経済学部の構成母体)教授となり、同校の命にて、1905年(明治38年)経済学研究のため欧米に留学。コロンビア大学夏季講座を経て、ウィスコンシン大学大学院で経済学のほか、ポール・ラインシュより殖民政策を学び、文学修士を取得。
佐野 善作(さの ぜんさく、1873年(明治6年)8月29日… 佐野 善作(さの ぜんさく、1873年(明治6年)8月29日 - 1952年(昭和27年)5月1日)は、日本の会計学者、経済学者、教育家。商業教育に大きな功績があるとして、1952年に勲一等瑞宝章を受章した。 1873年、現在の静岡県富士市中島に生まれる。1895年高等商業学校(現・一橋大学)卒業。同期に石井健吾(元第一銀行頭取)、岡崎久次郎(日米富士自転車創業者)などがいた。 卒業後はコロンビア大学、ロンドン大学に留学し、研究を深める。帰国後は母校の高等商業学校助手となり、1896年より同助教授、1900年より同教授。1903年より附属商業教員養成所主事。1911年、法学博士号を取得。1914年、東京高等商業学校校長、1920年に同校が大学へ昇格すると東京商科大学(現・一橋大学)初代学長を務めた。
気賀 勘重(きが かんじゅう / けが かんじゅう、1873… 気賀 勘重(きが かんじゅう / けが かんじゅう、1873年〔明治6年〕3月15日 - 1944年〔昭和19年〕11月11日)は、日本の経済学者(専攻は農業経済学・農政学)・政治家。法学博士、慶應義塾大学経済学部長・学事顧問、衆議院議員。静岡県出身。 静岡県浜名郡都盛村(現・浜松市中央区)の農家・三輪家に生まれる。西遠銀行頭取・気賀敬太郎の婿養子となる。19歳まで農業に従事したのち東上して、1895年(明治28年)に慶應義塾大学部文学科を卒業し、翌年普通部教員、1898年(明治31年)に理財科教務主任となる。1899年(明治32年)に慶應義塾が行ったドイツ留学派遣の第1期留学生として選抜され、ゲッティンゲン大学、ライプツィヒ大学、ベルリン大学で、経済学者カール・ビュヒャー (Karl Bücher) および財政学者のグスタフ・コーンらに師事し、論文 Das Bankwesen Japans(「日本の銀行制度」)にて博士学位を取得し、1903年(明治36年)に帰国した。
市川 代治(いちかわ だいじ、明治5年10月25日(1872… 市川 代治(いちかわ だいじ、明治5年10月25日(1872年11月25日) - 大正11年(1922年))は戦前日本の経済学者。ベルリン大学で9年間哲学・経済学を学ぶ傍ら、ベルリン東洋語学校(ドイツ語版)等で日本語を教え、帰国後は東亜経済調査局に勤務した。『方丈記』ドイツ語訳で知られる。 明治5年(1872年)10月25日山形県村山郡蔵増村に生まれた。後の住所は蔵増村蔵増甲1101番地。蔵増尋常小学校、天童高等小学校、山形県立山形中学校を経て、仙台の第二高等学校に入学した。1896年(明治29年)卒業後、上京して帝国大学文科に入学し、社会学を専攻し 、1899年(明治32年)7月東京帝国大学文学部哲学科を卒業した。
水崎 基一(みずさき もといち、1871年11月10日(明治… 水崎 基一(みずさき もといち、1871年11月10日(明治4年9月28日) - 1937年(昭和12年)11月29日)は、日本の経済学者、教育者。同志社大学経済学部教授を経て、浅野綜合中学校(現・浅野中学校・高等学校)初代校長。クリスチャン。なお、書、漢詩、短歌の雅号は濃川。 1871年(明治4年)9月28日、7月の廃藩置県直後の松本県(11月に筑摩県となった)筑摩郡北深志下下町(現・松本市)に、旧松本藩士水崎好照の長男として誕生した。廃藩置県の混乱と大家族だった水崎家の困窮の中で、1878年(明治11年)、2年前に新校舎が建設された、文明開化を象徴する開智学校に入学し、松本新聞社に勤務しながら苦学して通った。
高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年… 高岡 熊雄(たかおか くまお、1871年9月29日(明治4年8月15日) - 1961年(昭和36年)12月29日)は、日本の農学者・農政学者・農業経済学者。。第3代北海道帝国大学総長。島根県生まれ。 1871年、津和野藩士・高岡道敬の次男として島根県鹿足郡津和野町で生まれた。津和野小学校を卒業後、兄がいた旧制山口中学校に進学し、ここで出会った国木田哲夫(独歩)とは終生の親交を結んだ。その後兄の転勤にともなって転校し、札幌農学校(現・北海道大学農学部)予科に進学。農学校では新渡戸稲造に師事。1895年6月、札幌農学校農学科を卒業した。卒業後は、新渡戸教授のすすめで同校の研究生となった。 1896年7月、母校の札幌農学校農芸伝習科講師に就いた。
戸田 海市(とだ かいいち、1871年6月25日(明治4年5… 戸田 海市(とだ かいいち、1871年6月25日(明治4年5月8日) - 1924年(大正13年)3月5日)は、日本の経済学者。法学博士。京都帝国大学教授。臨時国民経済調査会委員。専門は経済学、工業経済。族籍は広島県平民。 広島県豊田郡豊田村生まれ。戸田嘉吉の三男。1892年、私立専修学校理財学科を卒業。青森県有余学館にて経済学、英語等を教授。1897年、東京帝国大学法科大学選科を卒業。第四高等学校教授を経て1901年、京都帝国大学講師。1906年、同教授。河上肇を同大学に招く一方、関一(東京高等商業学校教授)を大阪市助役に推す。商業経済学、工業経済学を担当し、社会政策も講義。社会政策学会の有力会員であった。
塩澤 昌貞(しおざわ まささだ、1870年11月14日(明治… 塩澤 昌貞(しおざわ まささだ、1870年11月14日(明治3年10月20日) - 1945年(昭和20年)7月7日)は、茨城県水戸出身の経済学者、法学博士、早稲田大学第4代学長、第2代総長。 早稲田大学時代にボート競技に取り組んだことが縁で、晩年、日本漕艇協会会長に就任した。1940年(昭和15年)戸田漕艇場オープン時のデモンストレーションでは、会長として70歳台艇に乗り込み舵手を務めた。
矢作 栄蔵(やはぎ えいぞう、1870年8月21日(明治3年… 矢作 栄蔵(やはぎ えいぞう、1870年8月21日(明治3年7月25日) - 1933年(昭和8年)12月18日)は、日本の農業経済学者。東京帝国大学経済学部教授同経済学部長。法学博士。 埼玉県出身。矢作八蔵の二男。1895年(明治28年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、大学院に入って農業経済学を専攻した。1901年(明治34年)、同大学農科大学助教授に就任し、翌年から経済学研究のためドイツ、フランス、イギリスに留学した。1907年(明治40年)に帰国した後、東京帝国大学農科大学教授と法科大学教授に任じられ、法学博士号を受けた。のち学部改編で経済学部教授兼農学部教授となり、さらに経済学部長に就任した。
寺島 成信(てらしま しげのぶ、1869年8月10日(明治2… 寺島 成信(てらしま しげのぶ、1869年8月10日(明治2年7月3日) - 1939年(昭和14年)4月2日)は、日本の経済学者、経済学博士。日本で初めて経済学博士を取得した人物として知られる。 出羽国庄内(現・山形県鶴岡市)出身。佐藤雄能や三矢重松らと共に、同郷の学生寄宿舎「荘内館」の設立に尽力した。 日清戦争以前、戦時に仮装巡洋艦として用いる高速商船の建造・航路補助の制度整備を主張した。後に自分は「仮装巡洋艦主義」を唱えたと回顧する。 日本郵船では「同社創設の調査機関を主宰するに至つた」。近藤廉平社長とともに、パリ講和会議に民間船主代表として参加。 第一次大戦中より論壇に登場し、航空省設置や優秀船建造について発言。
井上 辰九郎(いのうえ たつくろう、1868年(明治元年)9… 井上 辰九郎(いのうえ たつくろう、1868年(明治元年)9月 - 1932年(昭和7年))は、明治時代から昭和時代の経済学者、銀行家。 幕臣の井上清相と母の田辺たか(士族の田辺勝枝の大叔母)の長男として生まれる。1883年に家督を相続する。1890年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した後、東京大学大学院に入り応用経済学を專攻した。その後東京専門学校や専修学校、東京商業学校で教鞭を執った。東京帝国大学や農科大学、工科大学、学習院大学などの講師となった。 1897年に日本銀行に入行し、検査役や名古屋支店の副支配役、名古屋支店長、本店調査役などを歴任した。1902年に日本興業銀行が設立されると、その理事となった。
山崎 覚次郎(やまざき かくじろう、慶応4年6月15日〈18… 山崎 覚次郎(やまざき かくじろう、慶応4年6月15日〈1868年8月3日〉 - 昭和20年〈1945年〉6月28日)は、日本の経済学者。法学博士。東京帝国大学経済学部長。専門は貨幣論、金融論。 静岡県掛川に父・徳次郎の長男として生まれる。冀北学舎を経て、明治22年(1889年)東京帝国大学政治科卒業、大学院で研究する。 東京帝大法科助教授、経済学部教授等を歴任し、のち経済学部長。社会政策学会で指導的役割をはたし、退官後は中央大学教授、日銀顧問、金融学会初代理事会長をつとめた。1913年(大正2年)5月29日、帝国学士院会員となる。 東大時代の教え子である賀屋興宣(大蔵次官、大蔵大臣)は山崎の貨幣論に感銘を受け、山崎の理論に依拠して日本銀行法を作ったと述べている。
田島 錦治(たじま きんじ、慶応3年9月7日(1867年10… 田島 錦治(たじま きんじ、慶応3年9月7日(1867年10月4日) - 昭和9年(1934年)6月28日)は、日本の経済学者。号は「赤城」。京都帝国大学初代経済学部学部長。立命館大学第2代学監。同大学第3代学長。財団法人立命館初代協議員。大日本武徳会弓道範士。日本漕艇協会第三代会長。関西漕艇協会初代会長。帝国学士院会員。 江戸・牛込赤城元町(現・東京都新宿区赤城元町)に生まれる。旧制一高から帝国大学法科大学政治学科に進学し、経済学者・社会政策学者で東大七博士の一人に数えられた金井延の指導を受け、欧米留学も経験した。 帰国後は京都帝国大学法科大学にて「経済理論」、「財政学」の講義を担当。京大法科から経済学部が独立したのを機に、1919年(大正8年)京都帝国大学初代経済学部長に就任。
小林 丑三郎(こばやし うしさぶろう、慶応2年6月12日〈1… 小林 丑三郎(こばやし うしさぶろう、慶応2年6月12日〈1866年7月23日〉 - 1930年〈昭和5年〉1月16日)は、日本の衆議院議員(公友倶楽部→公正会)、経済学者。 上野国邑楽郡小泉村(現在の群馬県邑楽郡大泉町)に、慶次郎の次男として生まれる。1894年(明治27年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大蔵省に入省した後、1896年(明治29年)に法制局参事官、1898年(明治31年)に法制局書記官に任じられた。1907年(明治40年)に台湾総督府財務局長に転じ、また法学博士の学位を授けられた。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に立候補し、当選を果たした。1917年(大正6年)、海外駐箚財務官に任命され中華民国に赴任した。
松崎 蔵之助(まつざき くらのすけ、1866年2月1日(慶応… 松崎 蔵之助(まつざき くらのすけ、1866年2月1日(慶応元年12月16日) - 1919年(大正8年)11月12日)は明治時代から大正時代にかけての日本の経済学者。法学博士。
安部 磯雄(あべ いそお、1865年3月1日〈元治2年2月4… 安部 磯雄(あべ いそお、1865年3月1日〈元治2年2月4日〉- 1949年〈昭和24年〉2月10日)は、日本の教師、牧師、経済学者、社会主義者、政治家。 キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。また、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれる。早稲田大学野球部創設者でもある。 福岡藩士岡本権之丞の次男として現在の福岡市に生まれる。安部姓を名乗るようになったのは徴兵忌避のためである。当時60歳以上の扶養家族がいれば徴兵免除の特典が与えられたため、60歳以上の老人のいる家を探して謝礼を支払い名義上安部家の養子となる。 小学校を卒業したのち附属小学校に進んで山座円次郎、不破彦麿、塚本道遠らと級友となり、1879年3月に優秀な成績で卒業したが、実家が貧しかったこと、付近に中学が設立されていなかったこともあり、地元の漢学塾に入門した。
金井 延(かない のぶる、1865年2月26日〈元治2年2月… 金井 延(かない のぶる、1865年2月26日〈元治2年2月1日〉 - 1933年〈昭和8年〉8月13日)は、日本の法学者・経済学者・社会政策学者。学位は、法学博士。日露戦争開戦に際し、強硬に主戦論を主張したことで知られる。戸水寛人らを含む「東大七博士」のひとり。 静岡県出身。東京帝国大学を卒業した後、ドイツへ留学し、グスタフ・フォン・シュモラー、アドルフ・ワグナーらに師事。帰国後は社会政策学会に参加しその中心メンバーになるとともに、東京帝国大学にて、法科大学教授。同大学で1919年に経済学部が新設されると、初代学部長。1925年まで教授を務めた。ドイツにて修得した経済学、社会政策の立場に基づき、帰国後社会政策学会に参加して中心メンバーとなり、自由主義経済への批判や、国家による労働者の保護および金銀複本位制度などの提唱を行った。
添田 壽一(そえだ じゅいち、元治元年8月15日(1864年… 添田 壽一(そえだ じゅいち、元治元年8月15日(1864年9月15日) - 昭和4年(1929年)7月4日)は、明治・大正期の財政家(大蔵官僚)・銀行家・実業家・経済学者・官庁エコノミスト。法学博士(1899年)。貴族院議員。筑前(現在の福岡県)の出身。日本法律学校(現日本大学)の設立に加わった。 近代日本における財政確立の功労者の一人であるとともに、経済学の教育・普及に尽力した「官庁エコノミスト」の先駆け的人物として知られている。 1864年、筑前国遠賀郡広渡村(現・福岡県遠賀郡遠賀町)の職人・添田新三郎の三男として生まれる。出生当時は添田家は相当の資産家であったが、父新三郎が私欲が無く慈善を好んだため資産を使い果たし、家族と共に7歳から諸国を流浪することとなる。
平沼 淑郎(ひらぬま よしろう、1864年3月14日(文久4… 平沼 淑郎(ひらぬま よしろう、1864年3月14日(文久4年2月7日)- 1938年(昭和13年)8月14日)は、日本の経済学者。学位は法学博士。市立大阪商業学校校長、大阪市助役、第3代早稲田大学学長等を歴任。字は君一。鶴峯、洋堂学入、灑骨野人、鶴廼家などと号す。 首相を務めた平沼騏一郎の兄。平沼赳夫は曾孫。早稲田大学商学部長として学部の充実に貢献し、同大学商学部棟の1階に朝倉文夫作による胸像がある。 平沼家について『日本現今人名辞典』(1900年(明治33年))に「…其先詳ならず八代の祖織右衛門延良駿府與力たり弓術に長ず享保中津山藩の士籍に列す父を晋と云ふ」とある。
中川 恒次郎(なかがわ つねじろう、1863年(文久3年)3… 中川 恒次郎(なかがわ つねじろう、1863年(文久3年)3月 - 1900年(明治33年)8月14日)は、明治時代の日本の外交官、経済学者。在タウンズビル日本帝国領事館や在シドニー日本帝国領事館の初代領事などを務めた。 1863年(文久3年)3月、江戸に生まれる。1884年(明治17年)、東京大学法理文学部政治学及理財学科を卒業し、文学士の学位を取得し、卒業後、大蔵省に入省した。 大蔵省勤務のかたわら、1886年(明治19年)から1887年(明治20年)にかけて『経済實學講義』二巻を著し、同書はドイツ歴史学派を日本で紹介した最初の導入書とされる。1887年(明治20年)の国家学会創立時には雑誌委員を務めた。
天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年1… 天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年12月27日) - 1938年(昭和13年)3月26日)は、明治・大正・昭和期の経済学者、ジャーナリスト、政治家、教育者、法学博士。衆議院議員、東洋経済新報社主幹、早稲田大学学長、早稲田実業学校校長を歴任した。勲三等瑞宝章受章。
和田垣 謙三(わだがき けんぞう、1860年8月30日〈万延… 和田垣 謙三(わだがき けんぞう、1860年8月30日〈万延元年7月14日〉 - 1919年〈大正8年〉7月18日)は明治時代から大正時代にかけての日本の経済学者。法学博士。号は吐雲。 但馬国(現兵庫県)出身。豊岡藩士・和田垣譲の次男。1881年東京帝国大学卒業後、ヨーロッパに留学し、ケンブリッジ大学・ベルリン大学で学び、1883年に帰国。文部省御用掛を経て、1886年帝国大学法科大学教授となり、金井延とともに学部を主導、シュタインやワグナーの社会政策学派財政学を導入、自由主義経済学からの転換を促した。1891年法学博士。1898年の農科大学教授に転じる。また日本女子商業学校校長、東京商業学校校長として民間実業教育に尽力。
相馬 永胤(そうま ながたね、1850年12月25日(嘉永3… 相馬 永胤(そうま ながたね、1850年12月25日(嘉永3年11月22日) - 1924年(大正13年)1月26日)は日本の政治家、法学者、経済学者、代言人、横浜正金銀行頭取、専修学校創立者の一人・校長、専修大学創立者・初代学長。
田尻 稲次郎(たじり いなじろう、嘉永3年6月29日(185… 田尻 稲次郎(たじり いなじろう、嘉永3年6月29日(1850年8月6日) - 大正12年(1923年)8月15日)は、日本の経済学者・政治家・官僚。元東京市長。専修学校(専修大学の前身)の創始者の一人である。子爵。
宮川 昭義 は、日本の会計学者・経済学者・税法学者。拓殖大学… 宮川 昭義 は、日本の会計学者・経済学者・税法学者。拓殖大学商学部教授。税理士(東京税理士会所属)。北海道三笠市出身。専門は、国際会計論(米国会計論)、財政学(社会保障論)、国際税務論、法人課税論、ファイナンス。
工藤 恒夫 は、日本の経済学者。中央大学名誉教授。
渡部 福太郎 は、日本の経済学者、学習院大学名誉教授。
高木 健次郎 は、日本の経済学者。
原田 喜美枝 は、日本の経済学者。中央大学商学部教授(多摩キ… 原田 喜美枝 は、日本の経済学者。中央大学商学部教授(多摩キャンパス)で、専門分野は金融・ファイナンス論、経済政策論、ワインエコノミクス。三菱UFJアセットマネジメントや京王電鉄で社外取締役を務める。
石井 雄二 は、日本の経済学者。
沖本 竜義 は、日本の経済学者。慶應義塾大学経済学部教授。専… 沖本 竜義 は、日本の経済学者。慶應義塾大学経済学部教授。専門は計量ファイナンス、マクロ計量経済学、エネルギー経済学。カリフォルニア大学サンディエゴ校で経済学博士号(Ph.D.)を取得している。
高橋 彰 は、日本の経済学者・地理学者。専門は、開発途上国、… 高橋 彰 は、日本の経済学者・地理学者。専門は、開発途上国、特にアジアを対象とした低開発経済論。フィリピン研究者としても知られる。東京大学名誉教授。
成瀬 龍夫 は、日本の経済学者。第11代滋賀大学学長。
加納 啓良 は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(東京大学… 加納 啓良 は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(東京大学・論文博士・1990年)(学位論文「インドネシア農村経済論」)。東京大学名誉教授。
塚本健 は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。
山﨑 泰彦 は、日本の経済学者。専門は社会保障論。神奈川県立… 山﨑 泰彦 は、日本の経済学者。専門は社会保障論。神奈川県立保健福祉大学名誉教授。上智大学教授・日本年金学会代表幹事・厚生労働省社会保障審議会会長代理などを歴任。
坂西 由蔵 は、日本の経済学者。神戸高等商業学校(現神戸大… 坂西 由蔵 は、日本の経済学者。神戸高等商業学校(現神戸大学)教授を務めたが失明し辞職した。
太田 一郎 は、日本の経済学者、歌人、文芸評論家。元帝京大学… 太田 一郎 は、日本の経済学者、歌人、文芸評論家。元帝京大学教授。
山崎 広明 は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、東海学園大… 山崎 広明 は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、東海学園大学名誉教授。専攻は日本産業史、経営史。
毛利 健三 は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。専門はイギ… 毛利 健三 は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。専門はイギリス経済。
馬奈木 俊介 は、日本の経済学者、都市工学者。九州大学主幹… 馬奈木 俊介 は、日本の経済学者、都市工学者。九州大学主幹教授・都市研究センター長。専門は環境経済学、都市工学・交通工学。Ph.D. 、工学修士。
石井 利江子(いしい りえこ)は、日本の経済学者。滋賀大学経… 石井 利江子(いしい りえこ)は、日本の経済学者。滋賀大学経済学部教授。東京工業大学工学部社会工学科卒、大阪大学経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。研究分野は産業組織論。
柴本 昌彦(しばもと まさひこ)は、日本の経済学者。神戸大学… 柴本 昌彦(しばもと まさひこ)は、日本の経済学者。神戸大学経済経営研究所准教授。専門は、マクロ経済政策・計量経済学・時系列分析。現在の研究課題は、計量経済学・時系列分析を応用した日本経済の実証研究。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
新谷 元嗣(しんたに もとつぐ)は日本の経済学者、東京大学教… 新谷 元嗣(しんたに もとつぐ)は日本の経済学者、東京大学教授。近年では、「ニューケインジアン・モデル」あるいは「DSGE(dynamic stochastic general equilibrium)モデル」を経済データから推定する研究を進めている。
濱口 伸明(はまぐち のぶあき)は、日本の経済学者。神戸大学… 濱口 伸明(はまぐち のぶあき)は、日本の経済学者。神戸大学経済経営研究所教授。主な研究領域は、空間経済学・ブラジル地域研究。現在の研究課題は、ラテンアメリカ経済発展に関する実証研究と空間経済学の理論研究。