安藤 洋子 (あんどう ようこ、1967年1月1日 - )は… 安藤 洋子 (あんどう ようこ、1967年1月1日 - )は、日本のコンテンポラリーダンサー・振付家。神奈川県横浜市出身。 ザ・フォーサイス・カンパニーに所属、ドイツを拠点に国際的な活動を行っている。 1985年神奈川県立港北高等学校卒業。高校時代はバドミントン部に所属。高校2年生の夏に見た映画「フラッシュダンス」がきっかけでダンスに出合い、文化学院に進学。1989年木佐貫邦子ダンスアンサンブルにおいてコンテンポラリー・ダンスのキャリアを開始、中心メンバーとしての活動の他、山崎広太、笠井叡等多くのダンス公演に参加。1997年より自作自演のソロダンス活動を始める。その傍ら、野田秀樹作・演出:NODA.MAP「ローリング・ストーン」公演、小澤征爾指揮によるロベルト・ルパージュ演出のオペラ「ファウストの劫罰」、坂本龍一のオペラ「LIFE」など幅広く舞台で活躍。
金子礼二郎(かねこ れいじろう、1967年 - )は、東京都… 金子礼二郎(かねこ れいじろう、1967年 - )は、東京都出身のダンサー、振付家、演出家。STUDIO CAS/T主宰。 1990年国際基督教大学卒業後、企業に就職するもダンスの道を諦めきれず退職。上田遥に師事。数々の作品に出演。 その後、フリーダンサー となり、同時にインストラクターとしても活動を始め、STUDIO CAS/Tを立ち上げる。機能解剖学をふまえた独自のスタイルのダンスを提唱している。 2000年、STUDIO CAS/T運営の傍ら、フィットネスクラブのダンスインストラクターとして初心者の指導・啓発にあたる。その間、Le Paradis、Skin-dive(e)motionの活動名にて数々の作品を発表。
ユーコ・スミダ・ジャクソン(Yuko Sumida Jack… ユーコ・スミダ・ジャクソン(Yuko Sumida Jackson、1966年8月5日 – )は、熊本県生まれの日本のダンサー、ダンス、またアウェークニングの考案者である。 熊本県熊本市(現・熊本市中央区)出身。小学5年生のとき母親と観に行った宝塚歌劇団の舞台に衝撃を受けバレエを始める。高校3年生のときにファッションデザイナー・山本寛斎のショーのオーディションに合格したのをきっかけに上京し、東京とニューヨークでダンスに磨きをかけ24歳のときにロサンゼルスに移住する。 1992年マイケル・ジャクソンのDangerous World Tourのオーディションに応募し合格者1人という超難関を勝ち抜き、バックダンサーとして世界を回った。
パパイヤ 鈴木(パパイヤ すずき、1966年6月29日 - … パパイヤ 鈴木(パパイヤ すずき、1966年6月29日 - )は、日本のダンサー、振付師、タレント、俳優。本名、鈴木 寛(すずき ひろし)。プランチャイム所属。
藤王 みつる(ふじおう みつる、1966年3月15日 - )… 藤王 みつる(ふじおう みつる、1966年3月15日 - )は、日本の俳優、ダンサー、振付師。本名、佐藤 満(さとう みつる)。演出、振付、ダンサーは、佐藤 ミツルとして活動を行っている[要出典]。 千葉県銚子市出身。血液型はO型。身長178cm、体重63kg、スリーサイズはB-94、W-73、H-95。 特技はダンス、ボクシング。体を動かすことが好きで、極真空手の経験もある。趣味はスキューバダイビング。銚子の生まれということで自然の中で過ごすことが趣味である。18歳の時にダンスを始めたことがきっかけで芸能界に入る。しばらくダンサーをした後、23歳頃からは俳優業をするようになり、26歳頃からはシナリオ学校に通ったり、振り付けの仕事をするなど、仕事の分野は多岐に渡る。
オクダ サトシ(おくだ さとし、1965年12月5日 - )… オクダ サトシ(おくだ さとし、1965年12月5日 - )は、日本のダンサー・役者・映像作家。ダンスカンパニー「コンドルズ」メンバー。 岐阜県益田郡小坂町(現・下呂市)生まれ、岐阜県立加納高校、東京藝術大学大学院修了。 在学中よりアートレスラーを名乗り、パフォーマンスを始め、美術家小沢剛、会田誠、村上隆らと、ギンブラート、新宿少年アートに参加。1994年にダンスカンパニーNomade~sの「ABSENT」で初舞台。Nomade~s作品で共演した、近藤良平に誘われ、1999年ダンスカンパニー「コンドルズ」に参加、舞台美術、小道具制作、グッズデザイン、映像も担当。また写真家藤里一郎、デザイナー中田亘哉とアートユニットATG unlimitedを結成。
大澄 賢也(おおすみ けんや、1965年〈昭和40年〉10月… 大澄 賢也(おおすみ けんや、1965年〈昭和40年〉10月26日 - )は、日本の俳優、タレント、ダンサー、振付師。静岡県浜松市出身。キューブ所属。 静岡県浜名郡雄踏町(現:浜松市中央区)出身。静岡県立浜松北高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 まだ無名のダンサーだった1989年に13歳年上の小柳ルミ子と電撃結婚。「売名行為」とも囁かれたが、結婚後は小柳と共に夫婦でテレビ出演やステージを行い、芸能界のおしどり夫婦とも呼ばれていた。 その後、自身の不倫が原因で2000年に離婚。離婚する条件として小柳から高額の慰謝料を要求されたこと、そうでなければ以前の無名のバックダンサーに戻ることのどちらかの二者選択を迫られていたことが明らかになり、話題となった。
藤本 一精(ふじもと いっせい、1965年10月7日 - )… 藤本 一精(ふじもと いっせい、1965年10月7日 - )は熊本県を拠点に活動するローカルタレント、ダンサー。 有限会社ジェッツカンパニー代表取締役。熊本市出身。 元NTT(勤務当時電電公社)職員。 ニューヨークでストリートダンサー達の活動に魅了され、1985年より自らダンスユニット「NY JET'S(ニューヨーク・ジェッツ)」を率いて活動を開始、熊本周辺のイベントに多数出演を果たす(このユニットは現在も活動を続けている)。 その後1989年、テレビ熊本の「ときめいてナイト」よりローカルタレントとしての活動を開始。 その後、1991年放送開始の深夜番組「FM-GEAP」(熊本朝日放送)で初のMC役を務め大ブレイクを果たす。
錦織 一清(にしきおり かずきよ、1965年5月22日 - … 錦織 一清(にしきおり かずきよ、1965年5月22日 - )は、日本のダンサー、歌手、俳優、声優、タレント、演出家。愛称は、「ニッキ」(ジャニーズ事務所内では「ニシキ」)。 東京都世田谷区に生まれ、江戸川区の下町で育つ。12歳でジャニーズ事務所に入所し、アイドルグループ「少年隊」のリーダーとして『仮面舞踏会』でレコードデビュー。『君だけに』『ABC』『まいったネ 今夜』などのヒット曲を生み、主演のミュージカルショー「PLAYZONE」の公演は23年間続いた。 俳優として東宝ミュージカルをはじめとした数多くの舞台に出演する一方で、演出家としてもキャリアを築き、つかこうへいの芝居からファミリーミュージカルまで幅広い舞台作品の演出を手掛けている。
永倉 麻貴(ながくら まき、1965年3月25日 ‐ )は、… 永倉 麻貴(ながくら まき、1965年3月25日 ‐ )は、日本のフラメンコダンサー。北海道江別市生まれ。 北海道札幌西高等学校、東京外国語大学スペイン語学科卒業。同大在学中にフラメンコサークルを創始メンバーの一人として立ち上げる。サークルは「東京学生フラメンコ連盟」の母体となった。 卒業後、JTBに就職。東京、札幌でフラメンコ活動を続け、1993年、函館市で教室「フラメンコ・ロルカ」を開く。 2002年、札幌市白石区南郷、江別市大麻でも同校開校。岡本倫子スペイン舞踊団公演「カルメン・ボレロ」(東京芸術祭参加作品)などに出演。小島章司、クリスティーナ・オヨス公演「邂逅」に、演出補佐兼スタッフとして参加した。
伊藤 キム(いとう キム、1965年 - )は、愛知県知立市… 伊藤 キム(いとう キム、1965年 - )は、愛知県知立市出身の振付家、ダンサー。「輝く未来」主宰者。 愛知県知立市に生まれる。4歳のとき怪我で隻眼となる。中学校時代は器械体操部。中央大学文学部哲学科中退後、1987年より舞踏家・古川あんずに師事。1990年、ソロ活動を開始。1995年、ダンスカンパニー「伊藤キム+輝く未来」を結成。1996年、『生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?』でバニョレ国際振付賞を受賞。ほぼ1年に1作品のペースで新作を発表し、フランス・ドイツ・イギリス・スペイン・アルゼンチン・オランダ・アメリカ・カナダ・デンマークなどでの海外公演も多い。2007年、新「輝く未来」を結成。
日出郎(ひでろう、別名:天狗連志ん進、本名:ニシダシンジ、1… 日出郎(ひでろう、別名:天狗連志ん進、本名:ニシダシンジ、1964年10月30日 - )は、京都府舞鶴市出身のダンサー・歌手・タレント・声優・俳優・ドラァグクイーン・落語家(天狗連として)・経営者。愛称はヒデリン、ヒデピョン。血液型はB型。 オンリーユー所属。 1990年代バブル景気時代を代表するおねぇタレント。現在は、芸能活動の傍ら、新宿二丁目でバーを数軒経営している。 幼少より歌う事が好きで、初めて買ったレコードは、ジャクソン5と岩崎宏美。高校時代には、b-flowerのギタリスト鈴木浩とバンドを組みボーカルを担当した。 1983年に、東京都新宿区住友ビル49階にあるショーパブ「ギャルソンパブ」で、ダンサーとしてデビュー。
箆津 弘順(のつ こうじゅん、1964年10月17日 - )… 箆津 弘順(のつ こうじゅん、1964年10月17日 - )は、日本の男性俳優、声優、ダンサー。鳥取県出身。アイティ企画所属。 早稲田大学法学部卒業。 1991年、イギリスの証券会社ロンドン本社勤務を退社し、スタジオ・「エラン・ヴィタール」の一員となりダンサーとしての活動を開始。その後数回のスペイン滞在でフラメンコを学んだ。 1998年、横浜市の馬車道でフラメンコスタジオ「Estuio TETE」を設立。 2014年、「ラフカット」で俳優デビュー。 身長180cm、体重69kg。 特技はフラメンコ、居合(無外流三段)、英会話、乗馬、トランペット。資格は普通自動車免許、大型自動二輪免許。 愛車はトライアンフ・ボンネビル SPEED MASTER 1200。
床嶋 佳子(とこしま よしこ、1964年(昭和39年)9月2… 床嶋 佳子(とこしま よしこ、1964年(昭和39年)9月23日 - )は、日本の女優、元バレエダンサー。福岡県福岡市出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。精華女子高等学校卒業。 6歳頃からバレエをはじめ、13歳でブルガリアのヴァルナ国際バレエコンクール・ジュニアの部に出場。 1983年、19歳で松山バレエ団に入団。 1984年、小川亜矢子バレエスタジオに移籍。 1986年には全日本バレエコンクールで文部大臣賞を獲得。 1988年の日米ソ合作ミュージカル『12ケ月のニーナ』で主役を務めたことをきっかけにバレリーナから女優に転身。1991年、フジテレビ系ドラマ『ヴァンサンカン・結婚』に出演し、本格的に女優デビュー。
野和田 恵里花(のわだ えりか、1963年 - 2007年)… 野和田 恵里花(のわだ えりか、1963年 - 2007年)は日本の女性コンテンポラリーダンサー、振付家、パフォーマー。バオバブ主宰。 南米パラグアイ生まれ。国際基督教大学教養学部社会科学科卒。 クラシック・バレエを佐藤勇次に、モダン・ダンスをジュリアード音楽院教授、平林和子に師事。その後、フリーのダンサーとしてさまざまな振付家の舞台に出演。伊藤多恵、川野眞子、武元賀寿子 、真島恵理らユニークな振付家の作品のほか、H・アール・カオス(大島早紀子主宰)、ノマド(池宮中夫主宰)などのカンパニーの作品にも 多数出演。また、パントマイムなど多くの分野の人材を集めた“チョコレート・ファクトリー”で舞台やイベントなどで幅広く活動。
風見 しんご(かざみ しんご、1962年10月10日 - )… 風見 しんご(かざみ しんご、1962年10月10日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手、ダンサー。当初の芸名は、風見 慎吾(読み同じ)。本名、大下 義博。1982年から1988年までバーニングプロダクション、1989年よりマスタープラン(バーニング系)所属。日本における「ブレイクダンスの先駆者」とされる。 地元の町工場を経営する父の影響でエンジニアを目指していた。広島市立己斐小学校を経て、広島学院中学校・高等学校に進学。高校生時代は数学と物理が得意で、周囲からは広島大学を勧められていたが、東京の成蹊大学(工学部、機械工学専攻)に進学する。 大学在学中の1981年、東京ビクトリークラブのメンバーだった哀川翔を原宿で見て、チームに入れてくださいと懇願してメンバー入り。
わたりとしお(本名亘肇夫、1961年8月14日 - )は日本… わたりとしお(本名亘肇夫、1961年8月14日 - )は日本のプロダンサー。現在の芸名はwatari。エターニティ所属。神奈川県出身。 神奈川県立横浜翠嵐高等学校、東京大学教育学部健康教育学科卒業。健康教育学士。日経BP社、リクルートの記者を経てダンススタジオを開く。映画『Shall we ダンス?』でのダンス振り付けや、日本テレビ系バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』内のコーナー「ウリナリ芸能人社交ダンス部」でのダンス指導をおこなう。 「ウリナリ!!社交ダンス部」から降板したのは、1999年に母親が自殺したことや、「女性セブン」による「セクハラ疑惑」の報道により鬱病を発症したことによる。
好香(ここ・1961年4月25日 - )は日本初の女性ストリ… 好香(ここ・1961年4月25日 - )は日本初の女性ストリートダンサー。現在は、パフォーマンスジャーナリストとして、ショーやイベントのコメンテーター、ソフト開発業務に携わる他、ダンスセラピストとして、教育、スポーツ障害、知的障害、アンチエイジングなどの分野でダンスの幅広い活用を研究、実践。
上島 雪夫(うえしま ゆきお、1961年3月26日 - )は… 上島 雪夫(うえしま ゆきお、1961年3月26日 - )は、日本のダンサー、振付家、演出家。 東京都出身。出身校は東京都立府中東高等学校。 10代の頃に出会ったストリートダンスをきっかけにダンスの世界に入り、音楽番組のバックダンサーなどをしていた。 その後、小川亜矢子や堀内完にクラシックバレエを師事し、数多くのバレエ・モダンダンス作品で主要人物の役を演じるようになる。また、劇団四季に2年ほど在籍。ウエストサイド物語やCATSといった舞台でリードダンサーを務める。 劇団四季を退団後は豊富な舞台経験を生かして、演出家・振付家としてのキャリアをスタート。宝塚歌劇団や熊川哲也の出演作品、横浜国体の開会式や東京モーターショーのイベントなどを手掛け、ジャンルを超えて活躍中である。
越智 久美子(おち くみこ、1960年2月27日 - )は、… 越智 久美子(おち くみこ、1960年2月27日 - )は、愛知県名古屋市出身のバレエダンサー。旧姓は前田。
飯田 宗孝(いいだ むねたか、1957年10月22日 - 2… 飯田 宗孝(いいだ むねたか、1957年10月22日 - 2022年5月7日)は、日本のバレエダンサー、バレエ指導者である。1980年にチャイコフスキー記念東京バレエ団に入団し、主力ダンサーの1人となってクラシックからコンテンポラリーに至る幅広いレパートリーを踊った。彼が初演者となった『ザ・カブキ』の「定九郎」は、振付家モーリス・ベジャールがそのキャラクターに触発されて創造したものであった。バレエ・マスターとして後進の指導にも携わり、2004年から東京バレエ団の芸術監督に就任している。 16歳のときからショービジネスの世界に入り、クラブやホテルで舞台に出演していた。クラシックバレエの道に進んだのは、23歳のときであった。
真島 茂樹(まじま しげき、1954年3月22日 - )は、… 真島 茂樹(まじま しげき、1954年3月22日 - )は、日本のダンサー・振付師・俳優・歌手である。独身。栃木県宇都宮市出身。愛称は「マジー」または「マジ」。三喜プロモーション所属。
林 千永(はやし ちえ、1953年(昭和28年)11月20日… 林 千永(はやし ちえ、1953年(昭和28年)11月20日 - )は、東京都豊島区出身の日本舞踊家、振り付け師。父は名画座池袋文芸坐の前経営者三浦大四郎、祖父は昭和初期の山窩小説家・三角寛。甥は歌舞伎役者の二代目市川青虎。 3歳で林流二世家元・林一枝に入門。東京芸術大学音楽学部邦楽科三味線専攻卒業。古典の舞台を踏む一方、創作、オペラなども手掛け、ライブ「林千枝の踊りカタログ」、イベント・演劇への出演、構成・振付も多数行い国際的に評価を得ている。国際交流基金アジア公演、中東公演、等の海外公演に参加。現在はNPO法人 和のメソッドの代表も勤める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
勅使川原三郎(てしがわら さぶろう、1953年9月15日 -… 勅使川原三郎(てしがわら さぶろう、1953年9月15日 - )は、日本のダンサー、振付家、演出家、俳優。立教大学現代心理学部教授を経て、2014年より、多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。東京都出身。 1981年より独自の創作活動を開始。パントマイムやクラシック・バレエ、彫塑を修得した後、1985年に宮田佳と共にコンテンポラリー・ダンスのカンパニー、KARASを設立。2006年、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。2014年、多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科教授。2019年、愛知県芸術劇場アドバイザー。2020年、愛知県芸術劇場芸術監督。 代表作は「月は水銀」「青い隕石」「石の花」「メランコリア」「NOIJECT」「I was Real-Documents」「Absolute Zero」「ルミナス」など。
萩原 流行(はぎわら ながれ、1953年〈昭和28年〉4月8… 萩原 流行(はぎわら ながれ、1953年〈昭和28年〉4月8日 - 2015年〈平成27年〉4月22日)は、日本の俳優、タレント、ダンサー。東京都世田谷区出身。妻は舞台女優の萩原まゆ美。 世田谷高等学校卒業。 舞台、テレビドラマを中心に、俳優として活躍した。 所属事務所は、劇団ザ・スーパーカムパニイ、玉川高島屋ソニー販売店での売り子のアルバイト、つかこうへい事務所、オーケープロダクションを経て、最終所属は個人事務所。 1986年に『蒲田行進曲』で映画デビュー。2000年代以降は役者活動だけでなく、バラエティ番組などにも出演していた。 2008年12月、自身の俳優としてのDNAを継承すべき場として萩原流行アクターズスタジオを開設。
ジャンボ 久世(じゃんぼ くぜ、1952年8月20日 - )… ジャンボ 久世(じゃんぼ くぜ、1952年8月20日 - )は日本の女優、ダンサー。本名は苦瀬静枝。所属事務所は植松芸能事務所。1970年代から日劇ミュージックホールの看板ストリッパーとして活躍した。 東京都北区生まれ。川村学園高校を卒業後、ゴーゴーガールのバイト中に荒木一郎にスカウトされ芸能界入り。1974年、日活『江戸艶笑夜話・蛸と赤貝』に本名で端役出演。一時、赤坂のクラブ「コルドン・ブルー」で踊り子となったが、1975年から日劇ミュージックホールのストリッパーとして出演し始めた。芸名の「ジャンボ」の由来は、103cmのバストサイズにちなんだものだという。1978年3・4月公演の『春風に舞うバタフライ』で日劇ミュージックホール・イーリス賞を受賞するなど、日劇末期の看板女優として活躍した。
板坂 剛(いたさか ごう、1948年6月 - )は、日本のフ… 板坂 剛(いたさか ごう、1948年6月 - )は、日本のフラメンコダンサー、作家、プロレス評論家。アルテフラメンコスクール主宰。美能憲二のペンネームを用いることもある。 国文学者の板坂元は叔父にあたる。 福岡県北九州市門司区出身。山口県下関市で幼少時代を過ごし、同地の文化に多大な影響を受ける。日本大学芸術学部映画学科に進学後、全共闘運動を経験。 1971年、シナリオ「黎明は炎のように輝く」を先行社より発表。1972年、日大芸闘委時代の同志との共著「日本映画解体考」を青林堂より発表。 1975年、小説「Rの誘惑」を青林堂より発売。映画芸術、新潮、現代詩手帖などに掲載した一連の過激な広告が一部好事家の話題を呼ぶ。
清水 哲太郎(しみず てつたろう、1948年2月1日 - )… 清水 哲太郎(しみず てつたろう、1948年2月1日 - )は、日本のバレエダンサー、振付家である。松山バレエ団総代表。 松山バレエ団創設者の松山樹子と清水正夫の長男として生まれる。妻はバレリーナの森下洋子。 保善高等学校卒業。1966年、北京に留学し、1968年の松山バレエ団公演でデビューした。1974年、ヴァルナ国際バレエコンクールにて銅賞を受賞したのを始め、受賞歴多数である。 現在も、松山バレエ団を代表する男性舞踊手として活躍を続けている。また、バレエの振付・演出も手がけ、作品は多岐にわたっている。
井上 瑤(いのうえ よう、1946年〈昭和21年〉12月4日… 井上 瑤(いのうえ よう、1946年〈昭和21年〉12月4日 - 2003年〈平成15年〉2月28日)は、日本の女性声優、放送作家、占い師、ダンサー。東京都品川区大崎出身。 1970年代から2003年初めまで活躍。品川区立荏原第一中学校、東京都立八潮高等学校、早稲田大学卒業。 フリー、新企画、同人舎プロダクション、ピラミッド、ドゥ・コーポレーション、オフィス央、ぷろだくしょんバオバブ、大沢事務所、東京俳優生活協同組合などに所属した。 幼女期は目黒川の川っぺりを、泥んこになりがら過ごしていた。 幼稚園の頃は学校の教師になることを夢を見ていたが、その頃に始めたモダンダンスに魅力に取りつかれて小学生になった頃にはステージダンサーになることを決める。
三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師… 三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師、ダンサー。宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。 カーニバル三浦という芸名での活動もしている。 宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1970年、西条満の元でダンサーとしてデビュー。1973年に天地真理「恋する夏の日」で振付師としてデビュー。1970年代中盤から1980年代まで放送されたNHKの音楽番組『レッツゴーヤング』でダンス指導を担当し、所謂「80年代アイドル」やバックダンサーのスクールメイツの振り付けを多く担当する。 1985年からはおニャン子クラブの振り付けを担当。以降フジテレビの番組の振り付けを多く担当する。
金井 克子(かない かつこ、本名は足立 克子、1945年6月… 金井 克子(かない かつこ、本名は足立 克子、1945年6月17日 - )は、日本の歌手・女優・元バレエダンサー。しまだプロダクション所属。身長166cm(1975年7月)。B89cm、W58cm、H91cm(1974年1月)。 7人家族で、父親が東洋紡で働いていた関係で中華民国に渡り、本人は天津生まれ。終戦後一家で引き揚げ、大阪府岸和田市で育つ。四天王寺高校卒業。 1953年、西野バレエ団に参加。1959年、モデルとして芸能界入り。1962年8月、「ハップスバーグ・セレナーデ/涙の白鳥」でレコード・デビュー。高校卒業後の1964年、NHK『歌のグランド・ショー』にレギュラー出演が決まったのを機に上京。
田中 泯(たなか みん、1945年3月10日 - )は、日本… 田中 泯(たなか みん、1945年3月10日 - )は、日本のダンサー・舞踊家である。
家城 比呂志(いえき ひろし、1944年5月8日 - )は、… 家城 比呂志(いえき ひろし、1944年5月8日 - )は、日本の振付師、ダンサー。富山県出身。家城比呂志ジャズダンススタジオ、イエキ・ダンス・カンパニー主催。血液型B型。一般社団法人 日本ジャズダンス芸術協会 専務理事、元日本振付家協会 理事。 自身がダンサー・振付師として活躍しながら、多くの後進を育てている。 美空ひばり、五木ひろし、八代亜紀、岩崎宏美、テレサ・テン、小柳ルミ子、山本リンダ、松田聖子、藤あや子、寿ひずる、島倉千代子、氷川きよし、里見浩太郎 他 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
根本美香(ねもと みか、1944年1月31日 - )は、日本… 根本美香(ねもと みか、1944年1月31日 - )は、日本のバレエダンサー、バレエ指導者。谷桃子バレエ団所属。根本美香バレエスクール主宰者。神奈川県横浜市出身。関東学院短期大学卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
大原 永子(おおはら のりこ、1943年12月8日 - )は… 大原 永子(おおはら のりこ、1943年12月8日 - )は、日本のバレエダンサー・バレエ指導者である。日本とイギリスの両国でプリマ・バレリーナとして活躍し、世界各国のバレエ・コンサートに客演した。1997年に大英帝国勲章(OBE)、2004年に紫綬褒章を受章している。2014年9月、新国立劇場の芸術監督(舞踊部門)に就任した[4]。
小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月… 小島 章司(こじま しょうじ、1939年(昭和14年)10月1日 - )は、日本のフラメンコダンサー。日本フラメンコ協会理事長。徳島県海部郡牟岐町出身。武蔵野音楽大学声楽学科卒業。 1966年 スペインに渡り、マドリードの稽古場「アモール・デ・ディオス」で修業。1976年 十年に及ぶ修業を終えて帰国。2009年 6月14日、高野山真言宗総本山金剛峯寺壇上伽藍金堂にてフラメンコ奉納公演『聖なるいのち ~空海に捧ぐ~』を行う。2011年 2月27日、第15回フェスティバル・デ・ヘレスにて『ラ・セレスティーナ』招聘公演を行う。(会場:ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ市ビジャマルタ劇場/演出・振付:ハビエル・ラトーレ/音楽監督:チクエロ) 1986年 『瞋恚の炎』で第18回舞踊批評家協会賞、芸術祭賞を受賞。
アンジェラ浅丘 ( - あさおか、1936年(昭和11年)1… アンジェラ浅丘 ( - あさおか、1936年(昭和11年)12月14日 - )は、昭和期の女優・ダンサー。本名は三瀬 美絵子。大分県別府市生まれ。いとこに應蘭芳。 日劇ミュージックホールのいわゆる第2期黄金時代(1957年〜1972年頃)のスターとなった。映画にも出演している。プロ野球選手の佐藤道郎と結婚し、ともに「酒・アンジェラ」というバーを経営したこともあったが、のち離婚する。 田中小実昌は「アンジェラ浅丘の縦長ヘソはセクシー」と書いている。1969年、『血と薔薇』第3号のモデルを務める(撮影は篠山紀信)。
長嶺 ヤス子(ながみね やすこ、昭和11年(1936年)2月… 長嶺 ヤス子(ながみね やすこ、昭和11年(1936年)2月13日 - )は、日本の舞踏家、ダンサー。福島県会津若松市出身。 昭和30年(1955年)スペイン舞踊を習い始める。昭和35年(1960年)青山学院大学を中退し、スペインに渡る。マドリッドでダンスを学び、フラメンコに触れる。しかし、当初は、日本人学生として好意的に受け止められていたが、プロのダンサーとして活動を始める中で苦闘する。たまたま、アドバイスがあって裸足でフラメンコを踊る。この裸足での舞踏がフラメンコの原型の再現ということで現地で絶賛される。 昭和50年(1975年)、 「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」で文化庁芸術祭優秀賞、舞踏評論家協会賞を受賞する。
アキコ・カンダ(本名:神田 正子(かんだ まさこ)、1935… アキコ・カンダ(本名:神田 正子(かんだ まさこ)、1935年10月24日 - 2011年9月23日)は、埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身の舞踊家、ダンサー、振付家。 ”モダンダンスの神様”と言われる故マーサ・グラハムの愛弟子の一人で我が国モダンダンス界の第一人者としての地位を確立する。数々の名誉ある賞を受賞する一方で30年間以上にわたり宝塚音楽学校・宝塚歌劇団の振り付け及び講師も務め、多くの宝塚スターを世に送り出した。ダンスを「生きている証」と語ったアキコ・カンダは紛れもない天性のダンサーでありその生き方はまさに”ダンスの化身”であった。 7歳からダンスを始め石井小浪に師事。日本女子大学附属中学校・高等学校卒業。
石井 清子(いしい きよこ、1932年 -)は、日本のバレエ… 石井 清子(いしい きよこ、1932年 -)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者である。5歳(数え年の6歳)から踊りを始め、児童舞踊とモダンダンスを経て、1946年に小牧正英のもとでバレエを始めた。谷桃子バレエ団の設立とともに同バレエ団に入団して、20年にわたってプリマバレリーナやソリストクラスの役を踊った。1968年、東京シティ・バレエ団に参加し、振付家として『プレイ・ヴィヴァルディ』、『トッカータ』などの作品を発表した。1975年から1976年、文化庁の派遣在外研修員に選ばれてフランスなどでバレエ指導法や振付法などを研鑽した。日本に戻った後は生地である江東区でバレエの指導と普及に努め、バレエ界で初となる自治体(江東区)との芸術提携を実現した。
火口 親幸(ひぐち ちかゆき、1931年 - 2003年3月… 火口 親幸(ひぐち ちかゆき、1931年 - 2003年3月)は、日本のタップダンサー。
黒沢 智子 (くろさわ ともこ、旧姓:石井、1928年3月8… 黒沢 智子 (くろさわ ともこ、旧姓:石井、1928年3月8日 - ) は、東京都出身のバレエダンサー・バレエ教師。戦後の黎明期にバレリーナとして活躍した後、1954年から盛岡市内でバレエ教室を主宰して数多くの舞踊手を育てた。 青森師範学校卒の教育者の三女として東京・尾久町に生まれる。8歳でダンスを習いはじめ、武蔵野高等女学校ではダンス部に所属して石井小浪の指導を受ける。その後日本女子体専でダンスの専門教育を受けた。戦時中は日本にバレエ教師がほとんど存在しなかったため、黒沢が習ったのは素足による西洋舞踊であった。 戦後の1947年、小牧正英と谷桃子によるバレエ 『薔薇の精』 を見て初めてバレエを志す。
宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 200… 宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 2003年〈平成15年〉7月28日)は、日本の俳優、ダンス講師である。本名は鵜野 満雄(うの みつお)。福岡県出身。 1924年(大正13年)4月21日、福岡県大牟田市に生まれる。 福岡県立三池中学校(現在の福岡県立三池高等学校)を経て、1944年(昭和19年)に日本映画学校を卒業。同年、東宝演技課へ映画学校より派遣入社する。そして戦後、1948年(昭和23年)に公開された黒澤明監督映画『醉いどれ天使』でやくざ役として映画デビューし、以後も東宝を中心に数多くの作品に出演した。また、ウルトラシリーズ第1作目『ウルトラQ』(TBSテレビ、1966年)では、杉本カメラマン役として準レギュラー出演していた。
薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 201… 薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 2017年12月24日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者、舞踊評論家、舞踊史研究家。 蘆原英了、東勇作に師事してバレエを学び、第2次世界大戦後の日本バレエ界で活躍した。1930年代から収集を続けているバレエ関連の文献資料は、個人が収集したものとしては世界有数といわれる。 モスクワ国際バレエコンクールやヴァルナ国際バレエコンクールなど内外のバレエコンクールの審査員を歴任し、2006年に第4代日本バレエ協会会長に就任した。 東京で生まれた。母や姉とともに歌舞伎や宝塚歌劇団などの舞台を観に行くことが多く、幼少時から踊りを見るのは好きだった。
島田 廣(しまだ ひろし、1919年9月27日 - 2013… 島田 廣(しまだ ひろし、1919年9月27日 - 2013年7月25日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者である。本名・白成珪。第二次世界大戦前から日本バレエ界で活躍し、日本バレエ協会会長や新国立劇場舞踊部門の初代芸術監督を務めた。1986年に紫綬褒章を受章し、2002年には文化功労者に選ばれている。妻はバレエダンサーで、日本バレエ協会初代会長を務めた服部智恵子(はっとり ちえこ)。 1919年に京城(現在のソウル特別市)で生まれた。京城でコリアン・クリスチャン・カレッジの英文科に通っていたが、父親の反対を受けて日本に渡り、慶應義塾大学仏文科への編入を試みた。しかし、親の同意した渡航証明が間に合わなかったために編入試験が受けられず、日本大学芸術科の編入試験を受けて入学した。
木戸 新太郎(きど しんたろう、本名:木村 新吉、1916年… 木戸 新太郎(きど しんたろう、本名:木村 新吉、1916年5月17日 - 1975年8月19日)は、日本のタップダンサー、喜劇人、映画俳優である。映画に関しては、ほとんどが愛称のキドシン名義で出演している。 1916年(大正5年)5月17日、北海道庁函館区豊川町(現在の函館市豊川町)に、海産商「木村商店」を営む木村喜助・ゑつ夫妻の長男として生まれ、裕福でハイカラな家庭に育つ。名門宝尋常高等小学校を卒業、北海道庁立函館商業学校へ入学したが、1932年(昭和7年)、父が急逝、学校を中退して家業を手伝う。そのころ、映画を観てフレッド・アステアに憧れ、タップダンスに興味を持つ。 1937年(昭和12年)22歳のときに上京、中川三郎に師事。
小牧 正英(こまき まさひで、1911年9月25日 - 20… 小牧 正英(こまき まさひで、1911年9月25日 - 2006年9月13日)は、日本のバレエダンサー、振付家である。 本名を菊池榮一といい、1911年に岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺市を経て、現在の奥州市)の素封家に生まれた。1928年に上京し、翌1929年、目白商業学校2年編入。中学生の頃、大田黒元雄著『ロシア舞踊』という本に出会い、感動する。1933年21歳のとき、目白商業を卒業し画家を志してパリ留学を計画し、シベリア鉄道に乗り込もうと大連まで行き貨車に忍び込むが、その企図は失敗に終わり強制送還された。翌1934年彼はハルピンでバレエ学校のハルピン音楽バレエ学校に入学し、キャトコフスカヤ女史のクラスで1939年の卒業まで研鑽を積む。
東 勇作(あずま ゆうさく、1910年(明治43年)4月18… 東 勇作(あずま ゆうさく、1910年(明治43年)4月18日 - 1971年(昭和46年)8月4日)は、日本のバレエダンサー、振付家である。 宮城県仙台市で生まれた。1922年、12歳の時にアンナ・パヴロワの来日公演を横浜で鑑賞して感銘を受けた。旧制仙台二中(現在の宮城県仙台第二高等学校)を卒業後に上京し、1930年に当時鎌倉の七里ガ浜でバレエスクールを開いていたエリアナ・パヴロワの内弟子となってバレエの道に進むことになった。 後にパヴロワの元を離れ、蘆原英了が創設した「日本チェケッティ協会」に加入してバレエの研究に取り組んだ。一方で日劇を本拠地にして1934年に高田せい子の門下だった益田隆、浅草の「カジノ・フォーリー」で活躍していた梅園竜子とともに「益田トリオ」を結成して活動し、1936年に来日したオリガ・サファイアのパートナーも務め、サファイアからソビエトバレエについての知識を得た。
牧 幹夫(まき みきお、1909年 - 1970年6月14日… 牧 幹夫(まき みきお、1909年 - 1970年6月14日)は、日本のバレエダンサー、インド文化研究家である。エリアナ・パヴロワのもとでバレエを始め、草創期の日本バレエ界で活躍した。妻は同じくエリアナ・パヴロワ門下の橘秋子。橘との間の一女、牧阿佐美も父母と同じくバレエの道に進んだ。1938年に単身でインドに渡航したが、日本への帰国が叶わないまま1970年にボンベイで死去した。 宇都宮の出身。本名は北沢 牧三郎といい、1909年に弁護士の三男として生まれた。生後すぐに母が死去し、父が顧問をしていた宇都宮四條町教会のE・C・フライ牧師夫妻に引き取られた。フライ牧師夫妻は、1904年に宇都宮に赴任した後に女学校や幼稚園を設立するなど、この地の教育に功績があった。
宮 操子 (みや みさこ、1907年 (明治40) 4月15… 宮 操子 (みや みさこ、1907年 (明治40) 4月15日 - 2009年 (平成21) 5月7日) は、岩手県出身のダンサー。本名ミサオ。 江口隆哉と共にドイツ留学し、ドイツ表現主義舞踊「ノイエタンツ」創始者として知られるマリー・ヴィグマン (1886-1973) に師事、帰国後モダン・ダンスの先駆者として活躍した。 1907年岩手県黒沢尻 (現在の北上市) に生まれる。10歳前後の頃に、鉱山採掘の仕事をやめた両親と姉と共に東京に移住。高等女学校に進学し、ピアノやヴァイオリンのレッスンに通い、演劇の勉強もした。関東大震災後の新しい時代風潮の中で、乗馬や射撃にも挑戦し、夢中になって打ち込めるものを探していた。