松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )… 松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1960年に琉球大学文理学部商学科を卒業し、1948年6月に琉球銀行に入行。1983年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1997年6月には頭取に就任。2001年4月には相談役に退いた{。
職業が銀行家:821人
松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )… 松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1960年に琉球大学文理学部商学科を卒業し、1948年6月に琉球銀行に入行。1983年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1997年6月には頭取に就任。2001年4月には相談役に退いた{。
原田 和夫(はらだ かずお、1937年(昭和12年)11月1… 原田 和夫(はらだ かずお、1937年(昭和12年)11月15日 - )は、日本の銀行家。みちのく銀行頭取を務めた。 秋田県出身。1961年(昭和36年)、当時の弘前相互銀行に入行。 労働組合副委員長、各支店長、企画調整、業務推進部長等を歴任する。また、海外出張は百回を超え特に中国、ロシアには50回以上訪れるなど、精力的な行動力には定評があった。 2000年(平成12年)、増田孝介頭取が健康上の理由で退任したため、副頭取から後任として昇格した。しかし、2005年(平成17年)5月20日に金融庁、東北財務局から業務改善命令と個人情報保護法に基づく勧告措置を受け、5月30日付で原田と大道寺小三郎会長は、引責辞任した上、ほとんどの役員も退任に追い込まれた。
近藤 克彦(こんどう かつひこ、1937年(昭和12年)9月… 近藤 克彦(こんどう かつひこ、1937年(昭和12年)9月5日 - )は日本の銀行家。第一勧業銀行頭取やみずほフィナンシャルグループ名誉顧問を務めた。 山口県の現在の光市出身。山口県立光高等学校を経て、一橋大学経済学部に入学。大学では体育会バレーボール部に所属。大学卒業後の進路としては、自動車メーカーを希望していたが、先輩の顔をたてて、第一銀行人事部の面接を受け、大学を卒業した1960年に入行。主に人事部門、営業部門を歩む。 スタンフォード大学留学、ニューヨーク支店勤務、国際金融部長等を経て、1990年から第一勧業銀行取締役。その後人事第二部長、人事企画部長等を務めた。人事第二部長時代には旧日本勧業銀行出身者の人事を扱う人事第一部と旧第一銀行出身者の人事を扱う人事第二部を統合した。
増田 熙男(ますだ ひろお、1937年(昭和12年)9月1日… 増田 熙男(ますだ ひろお、1937年(昭和12年)9月1日 - )は、日本の銀行家、大蔵官僚。元東和銀行頭取、元岩手県副知事。 東京大学法学部卒業後の1962年4月に大蔵省に入省。1987年7月より2年間岩手県副知事を務める。大蔵省大臣官房審議官、生命保険協会常務理事を歴任後の1992年7月に東和銀行に顧問として入行。1993年6月に取締役副頭取、1994年6月に代表取締役頭取に就任。在任中はATMの365日稼動や郵便貯金やセブン銀行との相互利用・利用提携の開始などの施策を実行したが、2007年5月、経営赤字の責任を取り、辞任した。
西澤 宏繁(にしざわ ひろしげ、1937年(昭和12年)5月… 西澤 宏繁(にしざわ ひろしげ、1937年(昭和12年)5月28日 - )は、日本の銀行家。元日本興業銀行代表取締役専務、元東京都民銀行会長、元企業再生支援機構代表取締役社長。 東京市杉並区に生まれる。父は終戦後、郷里の滋賀県愛知郡愛知川町で電気店を開業した。 1957年、京都大学に進学。作家志望から当初は文学部を目指すも、父からの忠告を入れて経済学部を選ぶ。また、同好会「基礎産業研究会」で活動した。 1961年に大学を卒業して同年4月、日本興業銀行に入行。1989年6月から取締役、1992年6月から常務取締役を歴任した。 1997年2月、東京都民銀行に顧問として入行。これは命じられての転籍だった。
箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )… 箱崎 安弘(はこざき やすひろ、1937年4月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。東北銀行頭取を務めた。 岩手県出身。1959年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に東北銀行に入行した。1990年6月に取締役に就任し、1993年4月に常務、1998年6月に専務を経て、2000年6月には頭取に就任。2004年6月から2007年6月までに会長を務めた。 2007年4月に旭日小綬章を受章。
内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2… 内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2025年8月20日)は、日本の経営者、銀行家。三和銀行副頭取、UFJホールディングス会長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年5月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月に副頭取に就任した。1999年6月には会長に就任し、2002年1月にUFJホールディングス会長に就任し、同年6月にUFJ銀行特別顧問を経て、2004年7月には名誉顧問に就任。 2001年6月から2017年6月までに南海電気鉄道取締役を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
藤山 智昭(ふじやま ともあき、1936年10月30日 - … 藤山 智昭(ふじやま ともあき、1936年10月30日 - )は、日本の経営者、銀行家。八千代銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1960年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に八千代信用金庫(のちの八千代銀行)に入行した。1991年に取締役に就任し、1994年に常務、1997年に専務を経て、1999年6月には頭取に就任。2004年6月には会長に主任。
伊藤 龍郎(いとう たつろう、1936年(昭和11年)7月2… 伊藤 龍郎(いとう たつろう、1936年(昭和11年)7月23日 - )は、日本の銀行家。あさひ銀行頭取を務めた。愛知県出身。 印刷業を営む家庭に生まれる。1959年名古屋大学経済学部卒業後、協和銀行入行。若かりし頃から将来の頭取候補として嘱望され、企画、人事など中枢部門を担い、2店の支店長も歴任した。埼玉銀行との合併の際には、常務企画本部長を務め交渉の初期段階からかかわり、合併後には大蔵省との折衝も務めた。あさひ銀行が発足後の3年目には、副頭取埼玉駐在として、自宅から通えないことはなかったが、あえて浦和市に居を定め行内融和を推進した。 1997年に頭取に就任。トップ在任時には金融再編の時代に翻弄される中、難しい経営の舵取りを迫られた。
丸山 博(まるやま ひろし、1936年5月27日 - )は… 丸山 博(まるやま ひろし、1936年5月27日 - )は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行社長、あおぞら銀行社長を務めた。 東京都出身。1959年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本勧業角丸証券に入社した。1969年にオリエント・リース(現在のオリックス)に転じ、1979年にファミリー信販(のちのオリックス・クレジット)取締役に就任し、1985年に副社長を経て、1990年には社長に就任。2000年6月に会長を経て、2000年12月には日本債券信用銀行(2001年1月にはあおぞら銀行に変更)社長に就任し、2003年12月には国際的な多角経営に対応できるようにするために、水上博和を後見に指名し、自身は相談役に退いた。
大野木 克信(おおのぎ かつのぶ、1936年5月15日 - … 大野木 克信(おおのぎ かつのぶ、1936年5月15日 - 2017年5月10日)は、日本の銀行家。日本長期信用銀行最後の頭取を務めた。 東京大学の農学部を卒業した農学士という異色の経歴ながら、イギリスの銀行に出向し投資銀行の業務の実際を学んだ。そのため、日本長期信用銀行の行内では「国際派のエース」と評されており、早くから注目されていた。1995年に日本長期信用銀行の頭取に就任した。しかし、頭取を引き継いだ時点で、日本長期信用銀行の経営状況は既に悪化し始めていた。 頭取就任後は、コンプライアンスの重視とグローバル化の推進を積極的に推し進めた。大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件に危機感を抱き、「大和銀行は、11億ドルものディーリング損失を隠蔽してアメリカから追放された。
瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 … 瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 - 2025年〈令和7年〉3月11日)は、日本の銀行家。位階は従四位。 東邦銀行頭取、地域経済活性化支援機構社長、全国地方銀行協会会長、福島商工会議所会頭などを務めた。 福島県白河市出身。東邦銀行の前身となる白河瀬谷銀行の創業家に生まれ、福島県立白河高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業。 父・誠一と祖父に渋沢栄一の銀行だからと勧められ、第一銀行に入行。枢要店である虎ノ門支店長を務め、当時の東邦銀行頭取の内池佐太郎から請われ、1986年(昭和61年)に東邦銀行に転じ、常務取締役に就任した。 副頭取を経て1990年(平成2年)から2007年(平成19年)まで17年間にわたって、頭取を務め、県内金融、経済業界を牽引。
永野 勝美(ながの かつみ、1935年(昭和10年)9月14… 永野 勝美(ながの かつみ、1935年(昭和10年)9月14日 - 2020年 (令和2年) 11月19日 )は、日本の銀行家。岩手銀行特別常任相談役。2008年(平成20年)旭日小綬章。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学経済学部卒業後、岩手銀行入行。 企画、営業担当が長く専務時代は、インターネットバンキングやエリアグループ制の導入を推進する。また、事務開発以外のすべての本部業務を担当した。 頭取在任時は、経営企画の経験とアイデアにより融資に慎重な姿勢を転換。2006年(平成18年)3月期には、2期連続の最高益を達成させた。 2007年(平成19年)には、高橋真裕に頭取職を禅譲し会長として君臨するも、2頭政治に対して行内から反発が高まり2009年(平成21年)4月、会長を解任され特別常任相談役に退いた。
福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、… 福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、日本の銀行家。一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所理事長。 日本銀行副総裁、株式会社富士通総研理事長、社団法人経済同友会副代表幹事、第29代日本銀行総裁などを歴任した。 大阪府大阪市出身。東京大学法学部を卒業後、日本銀行プロパーの中で頭角を現し、早くから将来の総裁候補として嘱望されていた。1994年の副総裁就任によって、当時の大蔵省・日銀間のたすきがけ人事の慣行では次期総裁の座がほぼ約束されていたが、大蔵省接待汚職事件との関連で、日銀職員のノーパンしゃぶしゃぶ接待問題が明らかになり、日銀にも逮捕者が出たこと等から1998年辞職。その際、松下康雄総裁も同時に監督責任を問われ、辞任することとなった。
早川 恒雄(はやかわ つねお、1935年(昭和10年)6月2… 早川 恒雄(はやかわ つねお、1935年(昭和10年)6月25日 - )は、日本の銀行家。千葉銀行頭取、会長を歴任した。 千葉銀行レインボー事件以来、実に約40年ぶりにプロパーとして頭取に就任した。 頭取在任時は、3度の最終赤字を計上するなど不良債権処理に追われた。その処理を2003年(平成15年)3月期で完了させ、翌期には過去最高の当期純利益である257億円を達成した。それを期に、自身は相談役に退き、会長には石井俊昭副頭取をあて、頭取には一貫して営業畑を歩んできた竹山正取締役・専務執行役員を昇格させた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三木 繁光(みき しげみつ、1935年(昭和10年)4月4日… 三木 繁光(みき しげみつ、1935年(昭和10年)4月4日 - )は、日本の銀行家。三菱東京UFJ銀行特別顧問。三菱倉庫取締役。
増田 孝介(ますだ こうすけ、1935年(昭和10年)3月1… 増田 孝介(ますだ こうすけ、1935年(昭和10年)3月11日 - 2014年(平成26年)11月11日)は、日本の銀行家。みちのく銀行頭取を務めた。 山形県西村山郡朝日町出身。中央大学経済学部卒業後、弘前相互銀行(のちみちのく銀行)に入行。 約40年間の銀行員生活においては営業店に20年、本部勤務に20年それぞれ携わった。みちのく銀発足後の新人事制度導入に際しては、人事部長として先頭に立ち、ねばり強く両行の出身者の調整にあたった。 1996年(平成8年)10月、合併20周年を迎え区切りがつき金融ビッグバンを控えた中、新体制で世代交代をはかるべく、大道寺小三郎の指名により後継者として頭取に就任した。
西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日… 西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日 - 2020年 (令和2年) 6月24日)は、日本の銀行家。元東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2… 河谷 禎昌(かわたに さだまさ、1935年1月17日 - 2025年12月13日)は、日本の経営者、銀行家。北海道拓殖銀行最後の頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。祖父と兄は弁護士、父は裁判官の法曹一家に育つ。北海道札幌北高等学校を経て、1957年に北海道大学法学部を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。 業務企画部長、企画部長、1986年7月に取締役、1989年4月に常務、1992年6月に専務、1993年6月に副頭取を経て、1994年6月に頭取に就任し、破綻する1997年11月まで務めた。破綻後、特別背任罪で実刑判決が確定し、2009年12月から1年7ヶ月服役した。その後はテレビ局、新聞社のインタビューに時折答えていた。
石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-… 石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-)は日本の実業家、銀行家。南日本銀行代表取締役頭取や会長を務めた。 鹿児島県出身で一橋大学経済学部卒。1957年に富士銀行に入行し、支店業務第三部長などを務める。 1985年に富士銀行を退職して旭相互銀行(後の南日本銀行)に入行し、専務取締役に就任する。相互銀行から普通銀行後の1992年に副頭取となり、1993年に頭取に就任する。2006年に頭取を森俊英に譲って代表取締役会長に就任した。 2009年に代表を降りて取締役相談役となり、2010年に取締役を退任する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
前川 博(まえかわ ひろし、1934年12月15日 - )… 前川 博(まえかわ ひろし、1934年12月15日 - )は、日本の経営者、銀行家。筑邦銀行頭取を務めた。 東京都出身。1958年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に第一勧業銀行に入行した。1988年6月に筑邦銀行常務に就任し、1990年6月に専務を経て、同年12月には頭取に就任。1999年4月から2006年4月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
梅本 章夫(うめもと ふみお、1934年(昭和9年)12月1… 梅本 章夫(うめもと ふみお、1934年(昭和9年)12月13日 - 2025年(令和7年)8月31日)は、日本の銀行家。 東京銀行元副頭取、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル元日本支社長。お笑いタレントの渡部建は甥。 南満洲鉄道に勤めていた梅本正倫・とねの長男として満洲国に生まれる。1953年(昭和28年)福岡県立修猷館高等学校を卒業後、東京大学教養学部に入学。1957年(昭和32年)卒業後、東京銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行。 1985年(昭和60年)取締役・香港支店長、1987年(昭和62年)常務、1990年(平成2年)専務、1993年(平成5年)副頭取、1994年(平成6年)常任顧問を歴任。
橋本 徹(はしもと とおる、1934年(昭和9年)11月19… 橋本 徹(はしもと とおる、1934年(昭和9年)11月19日 - )は、日本の銀行家。富士銀行頭取、ドイツ証券会長、日本政策投資銀行社長のほか、国際基督教大学理事長も歴任した。プロテスタント信者。 両親とも教員の子息として岡山県高梁町(現:高梁市)に生まれる。年若い頃から英語に関心を抱き、岡山県立高梁高等学校在学中は英語クラブに所属。高校の同期には、伊藤忠商事副社長の森澤寛二、大学教授の南智、岡山東商業を甲子園優勝に導いた向井正剛がいた。東京大学法学部在学中にも英語研究会に所属したほか、柔道部にも所属した。 外交官を目指し、外務公務員上級試験を受験するも不合格となったため、富士銀行(現:みずほ銀行)に入行。
亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は… 亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は、日本の経営者、銀行家。泉州銀行頭取を務めた。 和歌山県和歌山市出身。1957年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1982年6月に関東信越国税局長、1985年6月に大臣官房審議官、1986年6月に造幣局長、1987年7月に住宅金融公庫理事を経て、1989年6月には泉州銀行専務に就任。1992年5月に副頭取を経て、1993年3月には頭取に就任。1999年6月に会長を経て、2000年6月には相談役に就任。 2007年4月に瑞宝中綬章を受章。
楠 正臣(くすのき まさおみ、1934年11月3日 - )… 楠 正臣(くすのき まさおみ、1934年11月3日 - )は、日本の銀行家、経営者。近畿銀行社長を務めた。 広島県出身。1958年に大阪市立大学商学部を卒業し、同年4月に近畿相互銀行に入行。1981年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には頭取に就任。1999年6月からは会長を務めた。
高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - … 高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1957年に新潟大学人文学部経済学科を卒業し、同年4月に北越銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1999年4月から2003年4月までに頭取を務めた。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 -… 諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 - 2011年(平成23年)3月2日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。 秋田県鹿角市出身。慶大卒後、秋田銀行入行。 営業、企画、人事と幅広く経験。東北の金融界においても顔が広く行動派と目されていた。 1997年(平成9年)、頭取就任。2期4年の在任中は、1999年(平成11年)の創業120周年、新店頭体制への移行や共同バックアップセンターの設置また、融資パソコンシステムの導入やエリア営業体制の試行のほか、本部にIT戦略室を設置。次世代への布石を打った。 2001年(平成13年)、相談役に退き秋田経済研究所理事長に就任した。 2011年(平成23年)3月2日、肺がんのため死去。
中山 吉一(なかやま よしかず、1934年3月13日 - 1… 中山 吉一(なかやま よしかず、1934年3月13日 - 1997年6月7日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1957年に東京大学経済学部を卒業し、同年に琉球銀行に入行。1962年にはアメリカのミシガン州立大学経済学部を卒業。1974年に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1989年6月に副頭取に就任し、1993年6月には頭取に昇格。 1997年6月7日に悪性リンパ腫のために死去。63歳没。
神谷 聰一郎(かみや そういちろう、1934年3月12日 -… 神谷 聰一郎(かみや そういちろう、1934年3月12日 - 2022年5月11日)は、日本の銀行家。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に静岡銀行に入行。1983年6月に取締役に就任し、1987年7月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年9月に頭取に就任。1999年6月に会長に就任。 2013年4月に旭日中綬章を受章。 2022年5月11日、死去。88歳没。
蓮佛 宗宏(れんぶつ むねひろ、1934年2月26日 - … 蓮佛 宗宏(れんぶつ むねひろ、1934年2月26日 - 2017年10月24日)は、日本の経営者、銀行家。大東銀行頭取を務めた。 北海道出身。1956年に東北大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1981年に大東銀行常務に就任し、1987年6月に専務を経て、1991年6月には頭取に就任。2003年6月には会長に就任。
川喜田 貞久(かわきた さだひさ、1934年1月4日 - 2… 川喜田 貞久(かわきた さだひさ、1934年1月4日 - 2007年6月6日)は、日本の銀行家。 三重県出身。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年2月に百五銀行に転じ、1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1988年7月に専務を経て、1993年4月には頭取に就任。2001年8月に会長に就任。1997年6月から2007年6月までに近畿日本鉄道取締役を務めた。 2007年6月6日、肝細胞癌で死去。73歳没。
山田 選(やまだ ひとし、1933年11月28日 - )は… 山田 選(やまだ ひとし、1933年11月28日 - )は、日本の経営者、銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。 愛媛県出身。1957年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1982年6月に東北財務局長、1983年7月に青森県副知事、1985年7月に関東財務局長を歴任。1988年6月に武蔵野銀行常務に就任し、1989年6月に専務を経て、1992年6月には頭取に就任。1998年6月に会長を経て、2002年6月には相談役に退いた。 2004年11月に瑞宝中綬章を受章。
井畑 明男(いばた あきお、1933年(昭和8年)10月23… 井畑 明男(いばた あきお、1933年(昭和8年)10月23日 - 2023年(令和5年)12月25日)は、日本の銀行家。元青森銀行頭取。青森県経営者協会会長。 青森県出身。東北大学卒業後、青森銀入行。 営業、人事と行内業務に幅広く精通し、副頭取就任後は、当時の梅内敏浩頭取とともに行内改革を進めた。 1997年(平成9年)、頭取に昇格する。トップ在任時においては、リテール強化に取り組んだほか秋田銀行、岩手銀行との提携を実現させた。また、県内企業の育成や地域貢献にも取組んだ。 2007年(平成19年)に、会長に退いた。 2023年(令和5年)12月25日午前8時7分、老衰のため青森市内の施設で死去した。
新崎 盛善(あらさき せいぜん、1933年8月11日 - 2… 新崎 盛善(あらさき せいぜん、1933年8月11日 - 2019年5月9日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1958年に大阪商科大学商経学部を卒業し、同年に沖縄銀行に入行。1982年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1993年6月に頭取に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月には相談役に退いた。 2019年5月9日に老衰のために死去。85歳没。
浜田 松一(はまだ しょういち、1933年2月26日 - … 浜田 松一(はまだ しょういち、1933年2月26日 - )は、日本の経営者、銀行家。四国銀行頭取を務めた。 高知県出身。1951年5月に四国銀行に入行し、1957年には慶應義塾大学経済学部を卒業。1986年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1994年6月に専務を経て、1997年6月に副頭取に就任し、1998年6月には頭取に昇格。2004年6月には会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
勝股 康行(かつまた やすゆき、1932年(昭和7年)12月… 勝股 康行(かつまた やすゆき、1932年(昭和7年)12月28日 - )は、日本の銀行家。元七十七銀行頭取・会長。2004年(平成16年)旭日中綬章受章。 千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身。 日銀勤務を経て、七十七銀入行。頭取、会長を歴任。2005年(平成17年)には、相談役に退いた。また、仙台経済同友会代表幹事も歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月… 丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月23日 - 2021年(令和3年)10月25日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取、仙台商工会議所会頭などを歴任した。 出生地は現在の登米市だが、実家は、姓の由来でもある宮城県丸森町の山林地主にあたる。 宮城県佐沼高等学校、東北大学時代は野球部で捕手として活躍。同大野球部でバッテリーを組んだ先輩が七十七銀行に入行しており、その紹介もあって就職を決める。 労働組合書記長や委員長を歴任したほか、人事部長に就任するまで14年間にわたり人事部に在籍。それ以降は、ほとんど営業一筋にキャリアを積んだ。 2001年(平成13年)頭取に昇格し、不良債権処理を進め、強固な経営基盤の確立や人材育成に力を入れた。
岩本 行正(いわもと ゆきまさ、1932年12月7日 - 2… 岩本 行正(いわもと ゆきまさ、1932年12月7日 - 2018年7月7日)は、日本の実業家、銀行家。中京テレビ放送社長、会長を務めた。 愛知県出身。1955年に名古屋大学法学部を卒業し、同年に東海銀行に入行。東京総務部長、取締役、営業企業部長、人事部長、本店営業部長、常務、資金営業部長を経て、1989年6月に専務に就任。 1991年6月に中京テレビ放送副社長に就任し、1992年6月から2003年6月までに社長を務め、2003年6月から会長に就任した。 2018年7月7日、胃がんのために死去。85歳没。
西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月1… 西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月18日 - 2006年(平成18年)8月1日)は、日本の銀行家。神奈川県出身。日本興業銀行元頭取、みずほホールディングス元会長。 政治家・安倍晋太郎は異父兄であり、その次男・安倍晋三及び同三男・岸信夫は甥にあたる。 1999年、大手銀行に約7兆4,500億円もの公的資金が注入されたが、各行がこの受け入れに尻込みする中、注入の申請を真っ先に表明して流れを作る場面もあった。同年にはみずほフィナンシャルグループ発足に動き、非金利収入の拡大や投資銀行ビジネスの推進を訴えるなど、2000年前後の金融ビッグバンの牽引役の一人であった。 みずほフィナンシャルグループをみずほコーポレート銀行とみずほ銀行へ分割するグループ編成を考えた。
崎間 晃(さきま あきら、1932年10月13日 - 201… 崎間 晃(さきま あきら、1932年10月13日 - 2017年12月19日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1954年に京都大学法学部を卒業し、同年に琉球銀行に入行。1974年に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1985年6月に頭取に就任。1993年6月に会長に就任し、1999年5月に取締役相談役を経て、同年6月には相談役に退いた。 2017年12月19日に肺炎のために死去。85歳没。
免出 都司夫(めんで としお、1932年10月11日 - 2… 免出 都司夫(めんで としお、1932年10月11日 - 2017年1月4日)は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。 東京都出身。1955年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年4月に千葉興業銀行に入行。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1987年6月に副頭取に就任し、1991年6月には頭取に昇格。1999年11月に会長に就任。 2017年1月4日心不全のために死去。84歳没。
杉山 公一(すぎやま こういち、1932年7月27日 - 2… 杉山 公一(すぎやま こういち、1932年7月27日 - 2015年10月12日)は、日本の銀行家。 静岡県出身。1957年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に清水銀行に入行。1976年12月に取締役に就任し、1978年8月に常務、1979年4月に専務を経て、1989年6月に頭取に就任。1993年6月に会長に就任し、1995年2月に再び頭取に就任し、2001年4月には会長に退いた。 2015年10月12日、肺炎のために死去。83歳没。
笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)… 笹原 信一郎(ささはら しんいちろう、1932年(昭和7年)7月26日 - 2022年(令和4年)3月14日)は、日本の銀行家。富士銀行取締役、荘内銀行頭取、鶴岡商工会議所会頭を務めた。 鶴岡の名門である笹原家に生まれる。父の笹原儀三郎は、鶴岡南高校長等を歴任した。 東大法学部卒業後、富士銀行入行。同行時代は支店10年、大企業向けホールセール10年、本部企画業務に10年、それぞれ従事した。1986年(昭和61年)には、頭取在任14年となった玉城俊一が代表権のない会長に退いたため、招聘され荘銀頭取に就任した。 頭取在任時は、金融の自由化や国際化に対応した。一方で、庄内地方における農業経済の不振や、山形県内陸部との経済格差拡大に伴い、経営は苦戦を強いられた。
志賀 正典(しが まさのり、1932年4月13日 - )は、… 志賀 正典(しが まさのり、1932年4月13日 - )は、日本の経営者、銀行家。神奈川銀行頭取を務めた。埼玉県出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。理財局に配属。1981年6月に青森県副知事に就任し、1985年6月に住宅・都市整備公団理事、1988年6月に関東財務局長を経て、1989年6月に神奈川銀行頭取に就任。2000年6月から会長を務めた。
奥田 正司(おくだ ただし、1932年(昭和7年)1月17日… 奥田 正司(おくだ ただし、1932年(昭和7年)1月17日 - 2011年(平成23年)9月14日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取を務めた。 京都府船井郡園部町(現在の南丹市)出身。1955年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入社した。1971年10月、合併。第一勧業銀行が発足。六本木支店、人事第一部各次長、金融財政、人事第二各部長を歴任。 1985年に取締役に選任。人事第二部長委嘱、1988年常務、業務本部副本部長委嘱、副頭取を経て1992年に頭取に就任した。1996年に会長に退くが、翌年6月に総会屋への利益供与事件に関与したことにより、会長を辞任し、逮捕された。 2011年9月14日、肺がんのため死去。
古賀 誠二(こが せいじ、1931年10月4日 - 2005… 古賀 誠二(こが せいじ、1931年10月4日 - 2005年9月30日)は、日本の銀行家。 福岡県出身。1954年に京都大学農学部を卒業し、同年に西日本相互銀行(のちの西日本銀行)に入行。 1977年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1992年6月に副頭取に就任し、1995年6月には頭取に昇格。2000年6月に会長に就任し、2002年6月には相談役に就任。 2005年9月30日肝不全のために死去。73歳没。
土金 琢治(つちがね たくじ、1931年8月18日 - )… 土金 琢治(つちがね たくじ、1931年8月18日 - )は、日本の経営者、銀行家。群馬銀行頭取を務めた。 栃木県出身。1954年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1983年1月に国庫局長、同年7月に考査局長を経て、1985年6月に群馬銀行専務に就任し、1987年に副頭取を経て、1990年6月には頭取に就任。1997年6月に会長を経て、2001年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉谷利昭(すぎたに としあき、1931年(昭和6年)8月7日… 杉谷利昭(すぎたに としあき、1931年(昭和6年)8月7日 - 2003年(平成15年)5月1日)は、日本の銀行家。元北日本銀行頭取、会長。 宮城県出身。東北大法学部卒業後、北日本銀行の前身である興産相互銀行に入行。1991年には頭取に昇格する。 トップ在任時においては、不良債権処理の加速化や本・支店間のスリム化に努めたほか、新人事制度の導入による経営体質の強化も図った。また、1994年9月末には、総預金1兆円を実現するなど業容の拡大にも尽力した。そして、平成銀行実現にむけ奔走するも同行従業員組合から、合併に対して猛反発が起こり構想は頓挫した。 2003年5月、会長在任のまま呼吸不全で逝去。享年71。
出縄 茂(いでなわ しげる、1931年6月27日 - 202… 出縄 茂(いでなわ しげる、1931年6月27日 - 2021年4月11日)は、日本の銀行家。 神奈川県中郡旭村(現平塚市)出身。元横浜銀行常務取締役、元浜銀ファイナンス代表取締役社長、元横浜ファイナンス代表取締役会長を歴任した。 孫は、シュティフター研究者の出縄祐介である。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
柳田 美夫(やなぎた よしお、1931年5月27日 - )… 柳田 美夫(やなぎた よしお、1931年5月27日 - )は、日本の経営者、銀行家。足利銀行頭取を務めた。 栃木県出身。1954年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に足利銀行に入行した。1983年6月に取締役に就任し、1988年12月に常務、1990年11月に専務、1992年6月に副頭取を経て、1997年6月には頭取に昇格。2000年6月に会長を経て、2002年6月から2005年2月までに特別顧問を務めた。