伊藤 エミ(いとう エミ、本名:澤田 日出代(さわだ ひでよ… 伊藤 エミ(いとう エミ、本名:澤田 日出代(さわだ ひでよ)、旧姓:伊藤、1941年(昭和16年)4月1日 - 2012年(平成24年)6月15日)は、日本の歌手で、ザ・ピーナッツのメンバーである。双子の妹に同じくザ・ピーナッツの伊藤ユミがいる。 伊藤エミーと記した書籍物もあったが[要文献特定詳細情報]、正式には伊藤エミが正しい。 1941年、愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)で三女として生まれた。直ぐに名古屋市へ転居。10歳の頃、NHK名古屋放送局の唱歌隊に妹の伊藤ユミと一緒に所属していた。その後、名古屋市のレストランで伊藤シスターズとして歌っていた所を渡辺プロダクションの社長、渡邊晋にスカウトされ、1959年2月11日、ザ・ピーナッツとしてデビューする。
伊藤 ユミ(いとう ユミ、本名:伊藤 月子(いとう つきこ)… 伊藤 ユミ(いとう ユミ、本名:伊藤 月子(いとう つきこ)、1941年(昭和16年)4月1日 - 2016年(平成28年)5月18日)は、日本の歌手で、ザ・ピーナッツのメンバーである。双子の姉に同じくザ・ピーナッツの伊藤エミがいる。 1941年、愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)で四女として生まれた。直ぐに名古屋市に転居し、学生時代までを過ごすこととなる。10歳の頃、NHK名古屋放送局の唱歌隊に姉のエミと共に所属し、ペアで歌うようになる。その後、名古屋市内のレストランで伊藤シスターズとして歌っていた所を渡辺プロダクションの社長、渡邊晋にスカウトされ、1959年2月11日、ザ・ピーナッツとして歌手デビューする。
井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2… 井上 堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - 2018年5月2日)は、日本のギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。兵庫県神戸市出身。 兵庫県立星陵高等学校卒業後は、滝の茶屋駅前の「すしひろ」で板前だったが、TVのオーディション番組をきっかけに、歌の世界に入る。 ザ・スパイダース結成時代は、「スリージェット」という3人組のコーラス&ダンスグループの一員として活躍したが、リバプールサウンド編成に伴い、ギターを独学し、ボーカルと、リード・ギターを担当するまでになった。ザ・スパイダース時代は井上 孝之と名乗っていた。 1970年のザ・スパイダース解散後、1971年にPYGに参加し、「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」などを作曲した。
井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は… 井上堯之(いのうえ たかゆき、1941年3月15日 - )は、日本のミュージシャン・ギタリスト・作曲家・歌手・音楽プロデューサー。兵庫県神戸市出身。本名は同じ。別名は井上 孝之。愛称はイノヤン。
アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - … アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - )は、日本人ギタリスト、歌手、編曲家。東京国際大学人間社会学部客員教授。 ギター演奏や、ピアノ、ギター寄贈などの活動を通してキューバとの親善交流を精力的に行っている。 1941年2月26日、東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。 1949年に日比谷公会堂で催された「古賀政男ショー」を母親と観劇した。このショーの1部と2部の幕間に日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫が出演した。阿部の弾いたギターソロ「荒城の月」を聞いて母親に「ギターをやりたい」と懇願する。当時通っていた小学校の担任に母親が相談し、当時開いていた阿部のギター教室を探し当て阿部に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。
鹿内 孝(しかうち たかし〈本名では「しかない たかし」と読… 鹿内 孝(しかうち たかし〈本名では「しかない たかし」と読む〉、1941年2月25日 - )は、日本の俳優、歌手、アーティスト。ケイダッシュ所属(デビュー当時は渡辺プロダクション)。千葉県市川市出身。血液型はB型。
永冨 研二(ながとみ けんじ、1941年2月21日 - )は… 永冨 研二(ながとみ けんじ、1941年2月21日 - )は、日本の歯科医師、カントリー・ミュージックのミュージシャン、歌手。「京都カントリー界の大御所」と評される 高校3年生だった1958年に、兄・陽一とともに、テネシーファイブを結成し、出町柳の喫茶店などで演奏を始めた。 1959年に大阪歯科大学に入学した。 1960年には「東京グランド・オール・オープリー」にオーディションを経て出演して、ジミー時田をはじめとする当時の日本の一流カントリー・ミュージシャンたちに接し、その後、京都ではアメリカ文化センターに定期出演するようになり、1969年の時点で出演回数は100回に達した。 1965年に歯科医師免許を取得した。
田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8… 田口 興輔(たぐち こうすけ、1941年(昭和16年)2月8日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)・オペラ歌手・音楽教育者。息子はチェリストの田口裕。 鳥取県出身。鳥取県立境高等学校卒業。1963年(昭和38年)国立音楽大学卒業。1965年(昭和40年)同専攻科修了。武岡鶴代、渡邊高之助、疋田生次郎に師事。 オペラ初出演の記録は1969年(昭和44年)藤原歌劇研究所レオンカバッロ『道化師』ペッペ。出演6本目のオペラ1971年(昭和46年)オッフェンバック『ホフマン物語』ホフマンに抜擢される。1972年(昭和47年)にはプッチーニ『ラ・ボエーム』ロドルフォを務め、以降は、特にイタリアオペラの第一人者として今日に至っている。
吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )… 吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )は、日本の演歌歌手、エッセイスト、アナウンサー、司会者。東京都大田区出身。クオレ・ア・ドマーニ所属。
片野坂 栄子(かたのさか えいこ、1941年1月17日 - … 片野坂 栄子(かたのさか えいこ、1941年1月17日 - )は、日本のソプラノ歌手、オペラ歌手。鹿児島県出身。 武蔵野音楽大学を経てウィーン国立アカデミーを首席で卒業。1964年ウィーン国際オペラ・コンクール入賞、1965年バルセロナ「フランシスコ・ヴィーナス」国際音楽コンクール第1位優勝。以来、バーンスタイン、マタチッチ、ミュンヒンガーなどの著名な指揮者のもとでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、NHK交響楽団、北ドイツ放送交響楽団などと、コンサート歌手として共演する。1974年より第1ソプラノ歌手として、ドイツ・パッサウ市立歌劇場、ヒルデスハイム歌劇場、デュッセルドルフ歌劇場、ミュンヘン歌劇場などと専属客演契約で活躍する。
高橋 元太郎(たかはし げんたろう、1941年1月15日 -… 高橋 元太郎(たかはし げんたろう、1941年1月15日 - )は、俳優、歌手、陶芸家。東京都出身。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。本名は風間 元太郎、旧芸名は高橋 わたる(ワゴンスターズ時代)。 小学校在学中に上高田少年合唱団に参加する。私立育英学院育英中学校を経て、東京都立松原高等学校を卒業し、証券会社に就職するが、約1年で退社。ジャズ喫茶「銀座テネシー」のオーディションで合格しウエスタンバンド「ワゴンスターズ」の専属となった。その後、「スリーファンキーズ」のメンバーとして1962年1月に東芝レコードよりアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。同年5月に1stシングル『でさのよツイスト』が発売される。
天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日… 天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2019年〈平成31年〉1月6日)は、日本の歌手、声優、女優。最終所属はプロダクションフーコ。本名は岩澤 総子。 東京都出身。国立音楽大学付属高等学校卒業。父はピアニスト・ピアノ教師の天地真佐雄。 童謡や子供向けの歌から、大人向けの歌までレパートリーは広い。特にコマーシャルソングを数多く2000曲以上も歌っており、楠トシエ、スリー・グレイセスと共に「コマソンの女王」とも称される。 阪田寛夫作詞、服部公一作曲で1965年10月にレコードで発売された「マーチング・マーチ」が40万枚を売り上げ、1965年の第7回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉-… 西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の漫談家、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家。京都府出身。本名は西条 貴博(さいじょう たかひろ)。1970年代以降、関西を中心に漫談・音楽ショー・ラジオなど幅広い分野で活動した。 京都府立朱雀高等学校在学中、京都市内の歌謡喫茶「ひばり」に所属するグループ「シャネル・カンカンズ」のリーダーを務めた。同店でボーヤとして楽器運びをしていた人物が、後にラジオ大阪『オーサカ・オールナイト』で共演する横山プリンである。同時期、素人参加型のラジオ演芸番組に数多く出演し賞金を得る、いわゆる「素人番組荒らし」として早くから注目される存在となっていた。
伊勢 功一(いせ こういち、1941年〈昭和16年〉-202… 伊勢 功一(いせ こういち、1941年〈昭和16年〉-2022年〈令和4年〉4月21日 - )は、日本の歌手。兵庫県神戸市出身。
ヒデ 夕樹(ヒデ ゆうき、1940年11月5日 - 1998… ヒデ 夕樹(ヒデ ゆうき、1940年11月5日 - 1998年12月8日)は、日本の男性歌手。 本名は平野 英之(ひらの ひでゆき)。芸名には「ヒデ 夕木」「秀 夕木」「秀 夕樹」「夕木 秀」など多数の別表記があり、同一楽曲(同一音源)であっても媒体によりクレジット上の表記が異なっている場合がある。 身長172cm、体重80kg、血液型はB型。 1970年代から1980年代初頭にかけて、『海のトリトン』等の子供向けアニメや特撮ヒーロー番組の主題歌を唄い、また、日立グループのCMソング「この木なんの木(日立の樹)」の歌手としても知られる。 1958年、コーラスグループ「ザ・タドポールズ」の一員としてデビュー。
佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)… 佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)10月15日 - )は、日本の声楽家(バス、バスバリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。 宮城県仙台市生まれ。神奈川県立川崎高等学校 卒業。1967年(昭和42年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1970年(昭和45年)同大学院修士課程修了。大学院在学中に第132回芸大オーケストラ定期公演(指揮:山田一雄)ベートーヴェン『第九』バス独唱で音楽界にデビュー。1969年(昭和44年)二期会(指揮:若杉弘)ワーグナー『ラインの黄金』ファフナーでオペラデビュー。その後、読売日本交響楽団第58回定期演奏会(指揮:若杉弘)ベルリオーズ『ファウストの劫罰』ブランデルや、同年帰国した小澤征爾指揮による日本フィルハーモニー交響楽団第180回東京定期演奏会 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(演奏会形式)に出演 したほか、二期会を中心に1971年(昭和46年)2月までの約2年間に計14本 ものプロダクションに出演している。
古賀 さと子(こが さとこ、1940年10月14日 - 19… 古賀 さと子(こが さとこ、1940年10月14日 - 1996年5月25日)は、日本の歌手、女優。本名は古賀 達子。 東京市(現在の東京都)板橋区出身。上野学園高等学校音楽科を卒業した。1950年代には童謡歌手や子役として人気を博していた。 代表曲は、『子鹿のバンビ』『ピーコポン』など。 父はピアノ調律師の古賀良三。四人姉妹の三女。次姉は田原総一朗の妻でエッセイストの田原節子である。 さと子が小学校2年生のとき、父のピアノ調律師仲間の紹介で作曲家、保田正の組織する「さくら子供会」という合唱団に入る。1948年、ビクターから保田作曲の『動物あそび』で童謡歌手としてデビュー。大きなリボンがトレードマークの愛くるしい姿でたちまち人気者となり、1951年5月「ひばりと麦笛」、1951年10月「ママのおひざ」、1952年3月ディズニーアニメ「バンビ」をモチーフとした「子鹿のバンビ」など大ヒットを次々飛ばす。
笹森 礼子(ささもり れいこ 1940年9月9日 - )は、… 笹森 礼子(ささもり れいこ 1940年9月9日 - )は、日本の元俳優・歌手である。 東京都大田区出身、A型。 頌栄女子学院高等学校在学中から『日真名氏飛び出す』にレギュラー出演。 舛田利雄監督の『青年の樹』(1960年4月29日)の脇役でスクリーンデビュー。 成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』に出演後、日活と契約。森永健次郎監督『美しき別れの歌』(1960年5月1日)で二谷英明の相手役に抜擢される。 浅丘ルリ子に次ぐ青春スターとして「パールライン」のひとりとして数多くのヒロインをこなした(特に赤木圭一郎とは多くのコンビ作がある)。 1965年に結婚、引退した。夫はゴルフをきっかけに出会ったという新宿区の実業家の雨宮司郎。
長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 201… 長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 2014年8月2日)は、日本の演歌歌手。兵庫県津名郡北淡町(現:淡路市)出身。元殿さまキングスのリーダー。男女デュオ「オヨネーズ」としても成功を収めた。 1960年にコミックバンド「ファンキーガイズ」を結成。人気を得る。さらに1967年に「殿さまキングス」を結成。リーダーとして活躍。後に歌謡曲に転向。1973年にリリースされた「なみだの操」は、爆発的なヒットとなった。後に続く「夫婦鏡」「おんなの運命」などもヒットした。 殿さまキングスの解散前年の1989年に杏しのぶとオヨネーズを結成。1990年にリリースしたデュエット「麦畑」は、東北弁でコミカルに歌い上げ、大ヒットした。
大塚 文雄(おおつか ふみお、1940年7月20日 - )は… 大塚 文雄(おおつか ふみお、1940年7月20日 - )は、日本の民謡歌手。愛称は民謡界のフーミン。 山形県西村山郡三泉村(現・河北町)出身。2歳年少で1999年に『孫』で一世を風靡した大泉逸郎とは、生家が近く、子供の時から「民謡少年」としてよく知られていた。 1959年、山形県立谷地高等学校卒業後に上京し、当時民謡歌手の代名詞的存在だった初代鈴木正夫に入門。1966年、キングレコード専属歌手となり、山梨県民謡『甲州盆唄(通称・市川文殊)』、『正調粘土節』でデビューした。 1977年に発売した『祝賀の舞』は120万枚を売り上げる大ヒット曲となった。ピーク時には毎月5000枚~7000枚が売れ、2002年時点でも毎年3000枚前後を出荷しているという。
和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は… 和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は、日本の画家、俳優、声優、歌手。本名は和田 一壮(わだ かずお)。東京都出身。日本漫画家協会会員。
ジェリー藤尾( - ふじお、本名:藤尾 薫紀(ふじお しげき… ジェリー藤尾( - ふじお、本名:藤尾 薫紀(ふじお しげき)、1940年6月26日 - 2021年8月14日)は、日本の歌手、俳優、タレント。 オフィスキコ所属。代表曲は『遠くへ行きたい』(作詞:永六輔、作曲:中村八大)。専修大学附属京王高等学校(現・専修大学附属高等学校)中退。娘は元女優の藤尾美紀、藤尾亜紀。元妻は歌手、タレントの渡辺友子。身長172cm。 1940年に、高知県出身で松竹で俳優になったのちに日本放送協会国際部勤務で英語アナウンサーをしていた父・藤尾薫宏とイギリス国籍の母・オリビア・ヒース・ゴンザレスのもと、当時の中華民国上海の日本租界で生まれる。当地で第二次世界大戦の終戦を迎え1946年に家族で日本へ引き揚げるものの、上海では家族のみならず外国人居留地においても英会話のみで生活していたため、帰国後の藤尾と母は言葉の壁や外見から差別を受ける。
上月 晃(こうづき のぼる、本名:原口 貴美子(はらぐち・き… 上月 晃(こうづき のぼる、本名:原口 貴美子(はらぐち・きみこ)、1940年4月6日 - 1999年3月25日)は宝塚歌劇団出身の女優、歌手。熊本県山鹿市出身。宝塚歌劇団時代の公称身長162センチ。
上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3… 上條 恒彦(かみじょう つねひこ、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 2025年〈令和7年〉7月22日)は、日本の歌手、俳優、声優。長野県東筑摩郡朝日村出身。生前はケイセブン中村屋に所属していた。ひげと眼鏡の風貌で親しまれた。 長野県東筑摩郡朝日村の農家の出身。朝日村立朝日中学校(現:松本市山形村朝日村中学校組合立鉢盛中学校)を経て、長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業後、1958年4月に上京。 大森の雑貨品問屋の住み込み店員を手始めに、新聞配達、サンドイッチマン、新宿のうたごえ喫茶「灯」で週6日、1日に50曲以上を歌ってバリトンの歌声を鍛えるなど、約15種類の職業を経験する。1964年3月、初めて労音で勤務し、のちに歌手としてデビューするきっかけとなる。
藤木 孝(ふじき たかし、1940年3月5日 - 2020年… 藤木 孝(ふじき たかし、1940年3月5日 - 2020年9月20日)は、日本の俳優、歌手。静岡県富士宮市出身。ホリプロ最終所属。本名は遠藤 與士彦(えんどう よしひこ)。 1970年代には、藤木 敬士(読みは同じ)という芸名で活動していた。 玉川学園中等部卒業。 東宝芸能学校卒業後の1959年、歌手として渡辺プロダクションと契約。テイチクレコードからデビューし、歌唱力とダンスの才を活かし、1960年代前半にヒット曲を連発して「ツイスト男」の異名で当時のツイスト・ブームを牽引した。 1962年、人気絶頂の中で歌手引退を表明。渡辺晋の反対を押し切って退社し、同年、文芸プロダクションにんじんくらぶに入り、俳優へと転身。
原田 芳雄(はらだ よしお、1940年2月29日 ※公称 -… 原田 芳雄(はらだ よしお、1940年2月29日 ※公称 - 2011年7月19日)は、日本の俳優、歌手。 東京府東京市下谷区金杉二丁目(現:東京都台東区下谷三丁目)生まれ。ギルドB所属。紫綬褒章はじめ、俳優として各種表彰受賞。息子はギタリスト・原田喧太。娘は女優・原田麻由。孫は女優の御子柴彩里。 本所工業高校を経て1962年に俳優座養成所に14期生として入団。ただし養成所の授業料を払えなくなって1年留年したため、15期生として卒業(後年「花の15期生」と呼ばれた)。この頃月謝滞納により大手ホテルで花屋のバイトもしていたこともあり、長嶋茂雄の結婚披露宴の飾りつけを行っている。劇団俳優座準座員を経て座員となる。
森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月2… 森田 公一(もりた こういち、1940年〈昭和15年〉2月25日 - )は、日本の作曲家、歌手。北海道留萌市出身。1970年代には作曲家として、作詞家の阿久悠、編曲家の馬飼野俊一と組むことが多かった。 北海道留萌高校を卒業後、会社勤めをするが1年で退社。日本大学芸術学部に入学、作曲を学んだ。1965年、コーラスグループ原トシハルとB&B7に参加。ピアノおよび作・編曲を担当。68年には森山良子に「愛する人に歌わせないで」を提供した。1969年、森田公一とトップギャランを結成。71年にデビュー曲「恋のグアム島」を発売。 1971年 日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』の審査員を務めた。
吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリ… 吉江 忠男(よしえ ただお、1940年 - )は、日本のバリトン歌手。 長野県諏訪郡長地村(現岡谷市)出身。長野県岡谷南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科、同大学院修了。学生時代から畑中良輔や中山悌一らに師事する。大学院在学中に「フィガロの結婚」の伯爵役及び「ドン・ジョヴァンニ」のタイトル・ロールでデビュー。二期会新人賞などを受賞。卒業後1969年、日独交換留学生としてデトモルト音楽大学(英語版)に留学。1975年より12年間、フランクフルト歌劇場の専属バリトン歌手として活躍。またヨーロッパ各地の音楽祭等で活躍した。 1987年活動の場を日本に移し、オペラ出演、リサイタルなどのほか、郷里の岡谷市でバッハを中心とした合唱団「カンタータ・コア」及び「チェンバー・オーケストラ信州」を発足させ、地域の音楽文化発展に貢献している。
高野 太郎(たかの たろう、1940年 - 2001年10月… 高野 太郎(たかの たろう、1940年 - 2001年10月)は、ギタリスト、歌手。 福島県立郡山工業高校卒業後に、東北電力に就職する。アタウアルパ・ユパンキのフォルクローレに惹かれ、1960年、アルゼンチンに渡る。当地で、実際に、アタウアルパ・ユパンキ本人と出会う。 日本に戻りしばらくの後、1975年、東京都港区六本木に、タンゴとフォルクローレのライブ演奏も行われるアルゼンチン料理の店『六本木カンデラリア』を開業する。営業日にタンゴの生演奏が聴けるタンゲリアとしての『六本木カンデラリア』は、日本においても、注目を浴びていた。日本において、アルゼンチンのフォルクローレの認知度を高める。『ガウチョ・ハポネス』(Gucho japonés、日本のガウチョ)というあだ名がある。
夏八木 勲 (なつやぎ いさお、1939年12月25日 - … 夏八木 勲 (なつやぎ いさお、1939年12月25日 - 2013年5月11日)は、日本の俳優・声優・歌手。本名同じ。1978年から1984年の間は、夏木 勲(なつき いさお)名義で活動した。愛称はなっちゃん・パパ。 1966年にデビューし、鍛え上げた身体で野性味あふれる男らしい演技や、晩年は円熟味と重厚さが加わり、生涯300本以上の映画・テレビ映画・ドラマに出演した。特技は乗馬・合気道・空手。身長176 cm。 東京府東京市足立区千住出身。実家は酒屋を経営。学生時代はスポーツに打ち込み、柔道と空手で身体を鍛え上げる。東京都立墨田工業高等学校卒業後、1年間の浪人生活後、慶應義塾大学文学部仏文科に進学する。
水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭… 水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭和14年〉12月23日 - )は、日本のイラストレーター、歌手、女優、画家、作家。「劇団未来劇場」所属。愛称は「あどちゃん」「あどタン」。夫は「劇団未来劇場」の主宰者である里吉しげみ。旧姓:森。 東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身。父は建築家。母親は日本画家の森美子。幼い頃に絵やバレエ、ピアノを習う。 中央区立常盤小学校、桜蔭中学校・高等学校卒業。ハワイのモロカイハイスクールに遊学し、英語とジャズに触れる。 日劇ミュージックホールで歌手デビュー。英会話雑誌でイラストも描き始める。1964年、のちの夫・里吉しげみ(1965年に結婚)の主宰する劇団未来劇場公演「彼も仲間も悪い奴」で初舞台。
朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - … 朝比奈 愛子(あさひな あいこ、1939年11月22日 - )は日本の歌手、女優、作家、芸能企画プロデューサー。 1939年11月22日、東京府東京市目黒区大岡山に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の次女として生まれる。東京都立三田高等学校を中退。 1958年5月、姉の雪村いづみとのデュエット曲「シュガー・キャンデー」でデビュー。同年9月、「続々サラリーマン出世太閤記」で映画デビュー。 1988年、短編小説「赤土の庭」で中央公論社の第31回「女流新人賞」を受賞。 1993年、ミュージカル「クッキングガール」の原作を執筆。
内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年〈昭和14年〉11月1… 内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年〈昭和14年〉11月17日 - 2019年〈平成31年〉3月17日)は、日本のミュージシャン、ロック歌手。俳優、プロモーター、タレント・スカウト、音楽プロデューサー、エンターテイナー、政治活動家。本名:内田 雄也(読み同じ)。兵庫県出身。身長174cm。血液型はB型。 兵庫県西宮市に生まれ、1959年に日劇ウエスタンカーニバルで本格的にデビュー。内田裕也とザ・フラワーズ、フラワー・トラベリン・バンドでのロッカーとしての活動のほか、1970年代後半からは俳優としても活動した。映画の代表作に『コミック雑誌なんかいらない!』『エロティックな関係』『水のないプール』『十階のモスキート』『魚からダイオキシン!!』などがある。
田原 祥一郎(たはら しょういちろう、1939年(昭和14年… 田原 祥一郎(たはら しょういちろう、1939年(昭和14年)11月5日 - 2025年10月7日)は、日本のテノール歌手。大阪音楽大学名誉教授。元武庫川女子大学音楽学部長。関西二期会名誉会員。神戸音楽家協会会員。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。同大学大学院音楽研究科声楽専攻修了。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校を卒業。1963年に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。1966年に同大学大学院オペラ科修了。同年の第1回民音コンクール1位、第35回毎日音楽コンクール声楽部門2位、同海外派遣特別審査会1位・松下賞受賞。 1968年よりイタリア・ミラノのヴェルディ音楽院に留学。チェコスロバキア・プラハにて、ペーター・マークの指揮によるオラトリオ「アブラモとイザッコ」のアブラモ役としてレコーディングを行う。
新川 二朗(しんかわ じろう、1939年11月2日 - 20… 新川 二朗(しんかわ じろう、1939年11月2日 - 2022年8月21日)は、日本の演歌歌手。 石川県羽咋郡志雄町(現在の宝達志水町)出身で、実家は商店街にあった小さな商店。 明るい性格のムードメーカーで、羽咋高校ではボクシング部に所属していた。 金沢ヘルスセンターで歌っているところを、村田英雄にスカウトされ、1962年にキングレコードから『君を慕いて』でデビュー。 1964年、『東京の灯(ひ)よ いつまでも』が年末までに50万枚を超える売上を記録。同年の「第15回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。当時では破格の400万円の年収を得ていた。 2020年にNiziUのメンバーとしてマヤが出場するまで、石川県出身者で唯一の紅白出場歌手であった。
五月 みどり(さつき みどり、1939年10月21日 - )… 五月 みどり(さつき みどり、1939年10月21日 - )は、日本の女性歌手、タレント、女優である。東京都江戸川区出身、東京都立深川高等学校卒業。愛称は「(伊東家の)お母さん」「かまきり夫人」。本名面高 フサ子(おもだか ふさこ)、出生名大野 フサ子(おおの ふさこ)。湯河原在住。
北原 謙二(きたはら けんじ、1939年(昭和14年)10月… 北原 謙二(きたはら けんじ、1939年(昭和14年)10月8日 - 2005年(平成17年)1月26日)は、日本の歌手、俳優。本名は北原 謙太郎(きたはら けんたろう)。 大阪府出身。浪華商業高等学校(現・大阪体育大学浪商中学校・高等学校)出身。ジャズ喫茶で歌っていたことが縁で、鈴木英治とブルー・カウボーイズのメンバーとして上京。その後は日本コロムビアのディレクターにスカウトされ、1961年(昭和36年)歌手デビュー。NHK紅白歌合戦に2回出場している(詳細は下記参照)。 1991年(平成3年)3月に高血圧性脳内出血で倒れたが、左半身麻痺と闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰。その後は全国各地の福祉施設への慰問活動などを積極的に行っていたが、2005(平成17)年1月26日午後10時1分、虚血性心疾患のため東京都文京区の病院で死去。
中村 泰士(なかむら たいじ、1939年〈昭和14年〉5月2… 中村 泰士(なかむら たいじ、1939年〈昭和14年〉5月21日 - 2020年〈令和2年〉12月20日)は、日本の作曲家、作詞家、ロカビリー歌手、ラジオパーソナリティ、俳優、タレント。 奈良県北葛城郡王寺町出身。本名は泰士と書いて「たいし」と読む(芸名の読みを「やすし」としていたこともある)。クリスチャンの家に、長兄と12歳も離れた5人兄弟の末っ子として生まれる。6歳の時に歯科医師の父が亡くなり、役場に勤める母に女手一つで育てられた。 中学生の時、クラブ活動でブラスバンド部に入り、トロンボーン担当となる。行進曲のリズムを刻み続けることにつまらなさを感じ、部室にあったジャズの譜面のメロディーをトロンボーンで吹いていた。
2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年… 2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年)4月16日 - )は、日本の女優、歌手、演出家、エッセイスト。本名、松野 好重(まつの よしえ)。
東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1… 東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1986年10月14日)は、日本の芸人、歌手、漫談家。栃木県出身。トレードマークは唐草模様の風呂敷。本名は中山孝一。 作新学院で野球をやっていたが、肘のケガで中退する。コメディアンを志して上京した。芸名の由来は「東京の上野駅に着いた時にボーンと鐘が鳴った」ことが芸名のヒントになったといわれる。キャバレーなどを転々とした後に、1960年頃から寄席に出演。1963年からは唐草模様の風呂敷包みを背負ってテレビに登場して「夢もチボーもないね」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気を博した。 レコードも発売しており「マアいろいろあらァな」は、20万枚のヒットとなった。
畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )… 畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )は日本の演歌歌手。本名は千秋 みどり(せんしゅう みどり)。北海道士別高等学校卒業。 北海道稚内市出身。北海道士別高校卒業後、デザイナーを志し上京し文化服装学院に入学するも、幼少時からの歌手の夢が棄て難く退学。古賀政男ギター学院へ入学し、レッスンに励む。一時は練習生として大橋節夫とハニー・アイランダースでハワイアンを歌っていた。 1960年、素人のど自慢番組『トップライトショウ』(ニッポン放送)で優勝したことでレコード会社の関係者の目に入り、日本コロムビアに入社。入社後1年4ヶ月間、船村徹のもとでレッスンに通うかたわら、島倉千代子らコロムビアの看板歌手の前座を務めたのち、1962年に「恋は神代の昔から」でデビュー。
東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 20… 東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 2016年5月)は、日本の洋画家、歌手。二科会絵画部会員。 1939年に画家・東郷青児の長女として生まれる。立教女学院に在学。 1956年には、画家として二科展に初入選する一方で、歌手としてもデビューを果たし、ソロでジャズを歌い、朝丘雪路、水谷良重とトリオ「七光り三人娘」を組んでステージに立つこともあった。1958年の第9回NHK紅白歌合戦では、水谷良重、沢たまきとのトリオで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を歌っており、この時の音声が現存している。 1960年、勉学に専念するため、絵と歌を中断し、単身渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学する。
及川 三千代(おいかわ みちよ、本名:及川ウメ子 1939年… 及川 三千代(おいかわ みちよ、本名:及川ウメ子 1939年3月19日 - 2014年4月5日)は日本の歌手である。 岩手県胆沢郡金ケ崎町出身。北上学園北上商業高等学校(現・専修大学北上高等学校)卒業。 高校卒業後、民謡保存協会で民謡の指導を受け、全国民謡大会で浅草に出演中認められて昭和31年(1956年)にテイチク・レコードの専属となる。 デビュー当時は本名の及川ウメ子で活動していたが、1958年に及川三千代に改められた。 1959年日本グラモフォン(ポリドール・レーベル)に移籍。 1962年12月31日、第13回NHK紅白歌合戦に初出場し、「愛と死のかたみ」を歌唱した。紅白での及川の歌唱中の写真が現存する。
池田 鴻(いけだ こう、本名:池田 幸鴻(いけだ ゆきひろ)… 池田 鴻(いけだ こう、本名:池田 幸鴻(いけだ ゆきひろ)、1939年〈昭和14年〉3月13日 - 1988年〈昭和63年〉3月5日)は、日本の俳優、歌手。おぎいくこ事務所に所属していた。 長崎県出身。早稲田大学を卒業した後、劇団四季、東京キッドブラザーズに所属し数々の舞台を踏む一方、テレビドラマでも重厚な存在感を見せた。 また歌手としても活動、いくつもの特撮・アニメ主題歌をリリースした。『機動戦士ガンダム』のオープニングテーマ「翔べ! ガンダム」は代表作として知られている。 1988年3月5日、直腸癌により48歳で死去。彼の墓は南松浦郡新上五島町浦桑郷の浄福寺にある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
山下 敬二郎(やました けいじろう、本名:山下 啓次郎(やま… 山下 敬二郎(やました けいじろう、本名:山下 啓次郎(やました けいじろう)、1939年2月22日 - 2011年1月5日)は、東京都出身のロカビリー歌手。不良のやる音楽というロカビリーのイメージを決定づけたと言われている。 落語家・喜劇俳優の柳家金語楼と新橋花柳界の芸者の間に非嫡出子として生まれる。異母兄に作家・演出家の山下武、実妹は女優・声優の有崎由見子、いとこに喜劇女優の小桜京子。(艶福家として知られていた金語楼には本妻以外の女性との家庭が複数あり、各家庭に収入を当分して与え「山下」の表札を掲げさせていた。多い時で7人、金語楼の葬儀時で5人の妻がいたという。) 東京の麹町に生まれ牛込で育った。
千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny C… 千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 2], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 1994年〈平成6年〉3月17日)は、日本の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ (ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ。日本基督教団のクリスチャンでもあった(1993年受洗)。神奈川県横浜市出身。 フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。ピアノや絵の好きな子供だった。文化学院油絵科に進んだころ、アルバイトで訳詞した「GIブルース」の大ヒットをきっかけにNHKの林叡作に勧められ、初めて作詞したのが「女の子だもん」。フェリス時代の同級生に藤村志保がいる。少女時代から絵画のほか、多数の習い事をしていた。
西田 佐知子(にしだ さちこ、1939年〈昭和14年〉1月9… 西田 佐知子(にしだ さちこ、1939年〈昭和14年〉1月9日 - )は、日本の元歌手。愛称は「さっちん」。夫は俳優・テレビ司会者・タレントの関口宏、息子は俳優・タレントの関口知宏。 大阪府大阪市城東区生まれ。帝国女子高等学校(現・大阪国際滝井高等学校)中退。西田佐智子の名で歌手デビュー。それ以前には、「浪花けい子」の名で活動したこともあった。代表作「アカシアの雨がやむとき」は、60年安保当時の世相を表現するテーマ曲のように扱われており、そのハスキーで退廃的な魅力に満ちた歌声は現在でもニュース映像のBGMなどで使用されることがある。 1982年以降表立った活動は無いが、 1990年(平成2年)、歌手・平井菜水のデビュー曲「めざめ」(夫の関口宏が司会を務める日本テレビ系テレビ番組『知ってるつもり?!』のエンディング曲)の作詞を行っている。
唐渡 吉則(からわたり よしのり、1939年 - )は、日本… 唐渡 吉則(からわたり よしのり、1939年 - )は、日本のプロ野球中継専属リポーター・ラジオパーソナリティ・歌手・実業家(広告会社社長〔株式会社クリエイティブタグ代表取締役〕 - 本業)。大阪府生まれ。MBSラジオ制作の阪神タイガース(以下、阪神、同球団)関連番組で、長らくリポーター・スポーツコメンテーターとして活躍していた。 通称は『ミスター・トラ』(元々は、阪神関連番組出演時の名義だった。後述参照)。愛称は『唐(から)さん』、『からやん』。血液型はA型。 1962年に関西大学文学部新聞学科を卒業してから、広告代理店に8年間在籍。トップセールスマンとして活躍した後に、独立して広告会社を設立した。
平田 隆夫(ひらた たかお、1939年? - 2011年6月… 平田 隆夫(ひらた たかお、1939年? - 2011年6月12日)は、日本のソングライター、ジャズピアニスト。 京都府出身。武蔵野音楽大学卒業。 1965年、ダン池田が率いたアフロ・キューバン・ジャズのバンド「ダン池田とアフロキューバン」に加入。ジャズ・ピアニストとして活動。1968年に「平田隆夫とセルスターズ」を結成、『マシュ・ケ・ナダ』の世界的ヒットを放ったセルジオ・メンデスを目指した。1969年には、グループ・サウンズ「ザ・ルビーズ」のギタリスト菊谷英二を同バンドに迎え、東京・新宿の小田急百貨店のレストラン「バルーン」でレギュラー演奏をしていた。 1971年、「平田隆夫とセルスターズ」はミノルフォン・レコード(現在の徳間ジャパンコミュニケーションズ)と契約。