見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、… 見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、日本の元アルペンスキー選手、スキー指導者、スキージャーナリスト、スキー技術研究家。 見谷スキースクール会長。国際スキージャーナリスト協会(AIJS)会員。 戦後北海道小樽市に移る。小樽潮陵高時代、全国高等学校スキー大会の大回転で優勝する。 卒業後、早稲田大学に進み、1959年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春に次いで2位となり、翌1960年のスコーバレーオリンピッの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で53位、大回転で33位となったが、回転では失格した。 1962年には、フランス・シャモニーで開催された世界選手権と、スイス・ヴィラールで開催されたユニバーシアードに出場し、世界選手権では回転で21位、大回転で28位、ユニバーシアードでは回転で3位に入賞した。
奥田 暁子(おくだ あきこ、1938年〈昭和13年〉 - )… 奥田 暁子(おくだ あきこ、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本の女性史研究家、翻訳家。 国際基督教大学教養学部卒業。大妻女子大学短期大学部非常勤講師、恵泉女学園大学非常勤講師、聖心女子大学非常勤講師など。 日本近代女性史、フェミニズム、パレスティナ問題、エコロジーなどの分野で著述、翻訳を行う。
渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺… 渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺研究家、建築家。多摩美術大学名誉教授。農学博士。全国各地の水辺、運河、用水路の研究と水空間の計画・デザインに多く携わる。世田谷区在住。 1938年、北海道小樽市生まれ。その後愛媛県で育つ。 1965年に前橋工業短期大学(現前橋工科大学)を卒業後、日本大学理工学部に進学。1967年に同校建築学科を卒業し、内井昭蔵建築設計事務所に入所。 その後東京藝術大学大学院に進学し、1972年同大学院修士課程修了後、都市計画コンサルタント創造社に勤務及多摩美術大学専任講師。1992年、同大学教授。東京農工大学より農学博士授与。論文の題は「農業用水路の再生に関する多面利用形態と空間構造の研究」。
田辺敏雄(たなべとしお 1938年-)は日本の歴史研究家。 … 田辺敏雄(たなべとしお 1938年-)は日本の歴史研究家。 昭和13年(1938年)東京で生まれる。東京理科大学物理学科中退、日本IBM、会社業務研究所などに勤務、昭和50年(1975年)に独立し経営コンサルタント。1986年から日中戦争や平頂山事件についての取材・研究を行う。 1986年、義父が戦前、満洲・撫順で起きた住民虐殺事件、平頂山事件に関係し、首謀者とみられていることを知ったことから、元兵士をはじめ日本側関係者に取材した。1988年『追跡平頂山事件』を出版。 1990年、朝日新聞・本多勝一の『中国の旅』に掲載された万人坑の記事について、日本側関係者に取材、『正論』誌上で記事は誤報として批判し本多と論争となった。
高木 浩志(たかぎ ひろゆき、1938年 - 2022年11… 高木 浩志(たかぎ ひろゆき、1938年 - 2022年11月17日)は、日本の文楽研究家、テレビプロデューサー。 鹿児島県生まれ。1961年大阪府立大学経済学部卒、NHKに入り、プロデューサーを2000年まで務める。2006年大阪市文化功労者。2014年文楽劇場30周年を期に功労に対し感謝状を授与される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
井田 進也(いだ しんや、1938年 - 2016年11月2… 井田 進也(いだ しんや、1938年 - 2016年11月27日)は、日本の比較思想史研究家。大妻女子大学名誉教授。文学博士。新潟県長岡市生まれ、群馬県高崎市育ち。 『中江兆民全集』(岩波書店)の編集者の一人。福沢研究センター客員研究員。無署名論説認定方法を応用した『福澤諭吉全集』収録の「時事新報論説」執筆者再認定を実行している。 2016年12月27日死去。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14… 程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14日 - )は中華料理人・研究家(薬膳・台湾料理・香港料理系)。大阪府出身。「台湾料理・龍潭(リュータン)」オーナーシェフ。
平塚 柾緒(ひらつか まさお、1937年9月3日 - )は、… 平塚 柾緒(ひらつか まさお、1937年9月3日 - )は、日本の戦史研究家。 1937年(昭和12年)茨城県常総市生まれ。徳間書店勤務後、編集プロダクション文殊社代表取締役。取材・執筆・編集グループである太平洋戦争研究会、近現代フォトライブラリー主宰。数多くの従軍経験者への取材を行う、戦争証言アーカイブス編さんを多く行っている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
島 多代(しま たよ、1937年7月6日 - 2017年11… 島 多代(しま たよ、1937年7月6日 - 2017年11月27日)は、国際児童図書評議会会長などを歴任した、日本の絵本、児童書研究家。松本烝治、川上俊彦の孫。 父の松本正夫は哲学者・慶應義塾大学教授であり、父方の祖父松本烝治は東京帝国大学教授から商工大臣などを務めた商法学者、曾祖父・松本荘一郎は鉄道庁長官を務めた鉄道技術者、また、父方の祖母・千は、小泉信三の姉であった。また、母方の祖父・川上俊彦はロシア通の外交官であった。 12歳のときに小児まひとなり、闘病中に読書にふけるようになる。 聖心女子大学卒業後、1961年に聖心会の活動として欧米への公演旅行を経験した。 三村征雄宅で見合いをした鉄道技術者の島隆と1962年10月に結婚。
神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は… 神沼 克伊(かみぬま かつただ、1937年6月1日 - )は、日本の固体地球物理学者、極地研究家。国立極地研究所ならびに総合研究大学院大学名誉教授。地震、火山、ならびに極地研究の第一人者として活躍。 神奈川県川崎市生まれ。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京理科大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院理学研究科博士課程修了後、東京大学地震研究所に入所し、地震や火山噴火予知の研究に携わる。地震被災地や火山に赴いての指導や執筆活動等で活躍。
二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 20… 二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日 - 2009年1月16日)は、日本のミステリ評論家、少年小説研究家。本名、倉持功。別名、千葉健児、金田一郎、根岸洋。 茨城県生まれ。早稲田大学卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。学生時代から『宝石』誌上に「高木彬光論」などの推理小説論を発表。1961年、ミステリ誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編コンテストにて「古事記殺人事件」が最終選考に残る。1962年、権田萬治や島崎博らと『みすてりい』を創刊。 集英社で少女漫画の編集に携わる傍ら、70年代後半には『幻影城』の月評執筆者および幻影城新人賞の予選委員としても活動した。ミステリ評論のみならず、少年小説研究家でもあり、1978年に評論集『少年小説の系譜』で日本児童文学学会奨励賞を受賞。
森 重昭(もり しげあき、英語: Shigeaki Mori… 森 重昭(もり しげあき、英語: Shigeaki Mori、1937年〈昭和12年〉3月29日 - 2026年〈令和8年〉3月14日)は、日本の歴史研究家である。日本本土空襲などで命を落とした連合国の捕虜に関する研究で知られる。 広島県広島市(現・広島市西区)に生まれる。中国憲兵隊司令部近くの済美学校幼稚園に入学する。国民学校(基町の広島陸軍偕行社付属済美国民学校)3年時に集団疎開に行かず広島市己斐の己斐国民学校(現・広島市立己斐小学校)に転校、1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下の瞬間、爆心地から西へ約2.5キロメートル地点の、自宅付近の旭山神社の前の橋の上を歩いていたときに被曝する。
鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和1… 鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和12年〉3月19日 - )は、日本のコピーライター、ゴルフマナー研究家。 1937年、秋田市に生まれる。小学校は静岡県藤枝市、中学校高校は東京都で過ごす。早稲田大学文学部仏文科へ。在学中に同人誌「早稲田作家」を主宰した。卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科へ進み、1961年コピーライターとして日本デザインセンターに入社。。1963年、東京コピーライターズクラブTCCの第1回新人賞受賞、入会。その後、1964年にアド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを経て、フリーランスに。1969年、株式会社タイム設立。。TCC年艦事業部長、コピー年艦審査委員、日本広告制作会社連盟(OAC)常務理事、広告学校全25期専任講師、日本広報協会技術アドバイザーなどを歴任。
久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9… 久保 覚(くぼ さとる、1937年2月 - 1998年9月9日)は、編集者、文化活動家、朝鮮芸能文化史研究家。本名・鄭 京黙(チョン・キョンムク)。
有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・… 有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・植生研究家。 岡山県生まれ。岡山県立勝間田高校卒業後、1956年-1993年大阪営林局で国有林における森林の育成・経営計画業務などに従事。1993-2003年は近畿大学総務部総務課勤務。2003-2009年水利科学研究所客員研究員。1993年『ケヤキ林の育成法』で林業技術賞受賞。1993年『松と日本人』で毎日出版文化賞受賞。
小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説… 小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説家、女性史研究家、日本ペンクラブ会員。 大分県大分市生まれ。大分県立大分上野丘高等学校を経て、青山学院女子短期大学国文科を卒業。 当初は那須辰造に師事し、トナカイ村の同人として児童文学を書き、1975年の国際婦人年を契機に作家の南原幹雄にすすめられて女性史を中心とした歴史物を手がけるようになる。 日本は男尊女卑の男社会だったので、正史に書かれなかった女帝や歪曲された女性の真相を歴史小説とし、また正史は為政者の歴史だったので、裏面史として流人史を書く。 執筆のかたわら、カルチャー教室の歴史の講師をつとめ、平成元年(1989年)に始まった横浜の教室は令和まで30年以上つづき、八丈島から始まった「歴史の旅」も31回を数える。
石原 和昌(いしはら かずあき、1937年〈昭和12年〉‐ … 石原 和昌(いしはら かずあき、1937年〈昭和12年〉‐ )は、日本の経営学・儒教文化研究家。北海道出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田中 弘之(たなか ひろゆき、1937年 - )は、日本の歴… 田中 弘之(たなか ひろゆき、1937年 - )は、日本の歴史研究家。 東京都生まれ。1964年、駒澤大学文学部歴史学科卒業。駒澤大学図書館に勤務。駒澤大学図書館 副館長を務めた。 2012年度、『「蛮社の獄」のすべて』(吉川弘文館)で、住田正一海事史奨励賞を受賞(社団法人 日本海運集会所)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宮地 健一(みやじ けんいち、1937年 - )は、日本の社… 宮地 健一(みやじ けんいち、1937年 - )は、日本の社会運動研究家である。 名古屋市生まれ。1959年名古屋大学経済学部卒業後、愛知県の損害保険会社に就職する。そこで労働組合幹部を経験、1960年に日本共産党に入党。民青地区委員長を経て名古屋の共産党専従(有給の常勤職員)を15年務める。日本共産党愛知県名古屋中北地区常任委員・県選対部員だった。 1975年の統一地方選挙の総括をめぐって5月に交わされた他の専従との雑談が規律違反とされたことをきっかけに、同年12月査問が開始され、1969年以降の正規の諸会議において10数回にわたり『赤旗』の一面的拡大追求路線について党中央を誤りとして批判したことにたいするペナルティとして、1976年8月5日専従を解任された。
山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は… 山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は、日本の俳優・テレビ司会者・長唄三味線奏者・民話研究家。本名:山口 岑芳(たかよし)。兵庫県三原郡阿那賀村(現:南あわじ市)出身。所属事務所はオフィス天童。長男は長唄唄方の杵屋巳津也(山口太郎)。長女は長唄三味線方の杵屋 巳織(きねや みおり)(山口由紀)。
中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )… 中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )は日本の和装研究家、エッセイスト。大分県大分市出身。 大分県立大分上野丘高等学校を経て共立女子大学文芸学部卒業。女性雑誌『女性自身』『二人自身』の編集記者を経て、株式会社 秋櫻舎(こすもすしゃ)設立。きもの季刊誌『きもの秋櫻』発行。婦人雑誌等にきものの記事を執筆。東京都新宿区在住。
つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭… つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭和11年〉7月3日 - )は、日本の漫画家・心霊研究家。東京府東京市下谷区豊住町(現:東京都台東区下谷1丁目)出身。血液型O型。八人兄弟の次男であり、次弟のつのだたかしはリュート奏者、末弟のつのだ☆ひろはミュージシャン。漫画原作者・ゲームクリエイターのビトウゴウは息子である。 当時の下谷区豊住町で床屋を営む家に生まれ育つ。小学2年生のころ空襲を避けるため一家で福島県に疎開、戦争が終わった中学2年生の時に東京に戻る。新宿区立淀橋中学校(現:新宿区立西新宿中学校)、東京都立青山高等学校卒業。 高校在学中に自宅近くのグラウンドで草野球を観戦していたところ、一方のチームの監督が漫画家の島田啓三であることに気づく。
深見 弾(ふかみ だん / ただし、1936年6月15日 -… 深見 弾(ふかみ だん / ただし、1936年6月15日 - 1992年7月28日)は、ロシア・東欧SFの翻訳家、研究家。 ストルガツキー兄弟(ロシア)やスタニスワフ・レム(ポーランド)など、多くの作品を日本語に翻訳した。また、逆に日本の作品をロシア・東欧に紹介することにも取り組んだ(矢野徹によるとレーニン図書館へ資料を送るため毎月1万円以上を使っていたという)。日本ペンクラブ、日本SF作家クラブ、日本推理作家協会、各会員。 主な訳書に『収容所惑星』、『ストーカー』、『そろそろ登れカタツムリ』(以上ストルガツキー)、『泰平ヨンの航星日誌』、『ロボット物語』、『宇宙飛行士ピルクス物語』(以上レム)などがある。
青木 日出夫(あおき ひでお、1936年6月10日 - 20… 青木 日出夫(あおき ひでお、1936年6月10日 - 2006年8月3日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、風俗史研究家。 京都府生まれ。早稲田大学大学院英米文学研究科修了。学生時代から神田神保町でペーパーバックを買いあさり、勇名を馳せた。同じように神田神保町でペーパーバックを買いあさった仲間に早稲田大学の同級生でもある小鷹信光がおり、1962年からはその小鷹や片岡義男とともに雑誌『マンハント』でペーパーバックを紹介する「ポケットの中の本棚」を担当した。また、常盤新平と知り合い、ハヤカワミステリやハヤカワノヴェルズへの企画を担当した。なお、小鷹によれば、リチャード・スタークの悪党パーカー・シリーズは「私が当時の仲間(片岡義男、青木日出夫)たちと一緒に売り込んだ」ものという。
清家 新一(せいけ しんいち、1936年(昭和11年)4月[… 清家 新一(せいけ しんいち、1936年(昭和11年)4月[要出典] - 2009年(平成21年)12月30日)は、日本のUFO研究家。 愛媛県宇和島市出身。東京大学理学部大学院修了後、茨城大学機械工学や愛媛帝京短期大学物理学教室で教鞭を取る。本人の弁によれば、学生時代に火星人の女性からのラブレターを受け取ったという。1969年(昭和44年)に「超相対性理論」を発表し、1973年(昭和48年)に宇和島市長堀、三島神社下に「重力研究所」(現「宇宙研究所」・同市、野川)を設立してUFO研究や宇宙人の研究に本格的に取り組む。重力消滅の実験、「空飛ぶ円盤」の試作やタイムマシンの理論と試作、重力子反応炉などの研究に取り組み、完成間近であるかのようなタイトルの著作を何冊も刊行と論文発表したが、未だに完成はしていない。
釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2… 釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2月2日)は、中国現代文学研究家。研究対象は趙樹理はじめ幅広い。 大阪府堺市生まれ。大阪外国語大学卒業。在学中から中国語を学び、卒業後は商社に勤務。1961年、日中貿易促進会関西事務所に転職。1966年、文化大革命の影響で同会は解散、職員は解雇され失業する。1970年、自己の中国理解の点検と新たな勉強のため大阪外国語大学大学院入学、在学中に山田敬三らと中国文芸研究会を創立する。1973年、静岡大学教養部助教授、1979年、同教授となる。1981年、和光大学人文学部に転じ、1987年まで勤務。1987年より駒澤大学外国語学部に勤務し、2006年定年退職。
杉之尾 宜生(すぎのお よしお、本名:杉之尾孝生(読み同じ)… 杉之尾 宜生(すぎのお よしお、本名:杉之尾孝生(読み同じ)、1936年3月8日 - 2025年12月25日)は、日本の戦史研究家。元防衛大学校教授(戦史・戦略)。孫子の兵法・クラウゼヴィッツ、中東戦史、日本近代戦史の研究家として知られる。第16方面軍参謀の杉之尾三夫陸軍中佐(陸士41期、陸大51期)は父。 鹿児島県生まれ。ラ・サール高等学校、防衛大学校(本科第5期・応用化学科)卒業。陸上自衛隊第7戦車大隊(現・第71戦車連隊)、第7偵察隊、中央調査隊、第1偵察隊、中央資料隊勤務を経て1991年(平成3年)1等陸佐で退官。退官後、防衛研修所戦史部、防衛大学校助教授及び同校教授(戦史、戦略)を務める。
上之園 昌隆(うえのその まさたか、1936年(昭和12年)… 上之園 昌隆(うえのその まさたか、1936年(昭和12年)2月8日 - 2013年(平成25年)9月5日)は、日本の医学博士、予防医学研究家、サプリメント開発者。 京都府生まれ。1954年に京都大学医学部に入学。後に交換留学生として、パリ国立医学大学に留学。生化学を専攻し、卒業後パリに20年間在住し予防医学を研究。 その後、日本に帰国し、慶應義塾大学病院に勤務。 予防医学を浸透させるべく、1991年(平成3年)に株式会社アーヴァン研究所を開設。自身の患者の治療のためのサプリメントの製品を開発し、治療効果を上げた。開発した商品は、現在主流となっているコラーゲン、プロポリス、ブルーベリー等を主成分とした先駆的製品となっている。
大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 19… 大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)は、日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。ペンネームの「大伴」は大伴家持に、「司」は司葉子に由来。 本名は四至本豊治(ししもと とよじ、後に「よしもと」と読みを改める)。父は国際ジャーナリストの四至本八郎(ししもとはちろう)。母の四至本愛子(本名はアイ)は母権擁護運動家でコラムニスト。叔父(母の弟)にニコンの研究で名高い荒川龍彦。 四至本八郎とアイの息子として東京市本郷区の順天堂医院に生まれる。 1938年から父の任地メキシコで育ち、アステカのピラミッドや石像から大きな影響を受ける。
堀井 良殷(ほりいよしたね、1936年2月 - )は公益財団… 堀井 良殷(ほりいよしたね、1936年2月 - )は公益財団法人関西・大阪21世紀協会前理事長(現顧問)、一般社団法人心学明誠舎理事長、大阪財団社団連合会会長、日本放送協会(NHK)元理事・元大阪放送局長、歴史研究家。日本記者クラブ会員、畿央大学相談役理事、国立民族学博物館元外部評価委員、関西SDGsプラットフォーム顧問、「民都・大阪」フィランソロピー会議顧問。公益財団法人大槻能楽堂評議員、一般社団法人うるわしの桜井をつくる会会長、ツバル友好協会名誉会長、NPO法人奈良21世紀フォーラム元会長(現特別顧問)、奈良県立畝傍高校同窓会金鵄会前会長(現顧問)。同人誌『千里眼』(千里文化財団編集・運営)世話人。
マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は… マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は、日本のゴルフルール研究家、ゴルフ評論家、元フォトジャーナリスト。東京都足立区生まれ。 東京都立足立高等学校を経て、1959年に中央大学法学部法律学科夜間部を卒業。在学中より在日アメリカ人フォトジャーナリストのアシスタントを約4年間務める。 その後、フリーのフォトジャーナリストとして活動を開始し、世界40か国を取材訪問する。1965年には単身で渡米してアメリカ合衆国・ニューヨーク市に居を構え、足掛け20年間滞在する。アメリカではプロスポーツの取材が多く、アメリカのPGAツアーを取材し、ゴルフルールに魅力に感じはじめ、「ルールの神様」と呼ばれたジョセフ・ダイに師事する。
山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日… 山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日不明 - 2015年(平成27年)7月)は、京都市出身の郷土史研究家。説話・伝承学会、京都地名研究会、世界鬼学会などの学会に所属した。 京都市立堀川高等学校から立命館大学へ進学し、同大学院(法学修士)卒業後は、京都府立桃山高等学校、京都府立大江高等学校、京都府立洛北高等学校を経て、京都教育大学付属高等学校にて教鞭を取り、加えて、京都教育大学の非常勤講師を兼務した。定年退官後は京都文教大学の非常勤講師を経て、京都リビング新聞カルチャー講座、ラボール学園(京都勤労者学園)、生涯学習センター(京都市、宇治市)にて「歴史・説話」「歴史人物伝」の講師を勤めた。
鈴木 眞哉(すずき まさや、1936年 - )は、日本の歴史… 鈴木 眞哉(すずき まさや、1936年 - )は、日本の歴史研究家。「日曜歴史家」を自称し、紀州雑賀衆の鈴木氏の末裔であることを自著の中で明かしている。 横浜市生まれ。中央大学法学部卒業。防衛庁、神奈川県庁等に勤務。勤務のかたわら主に戦国時代の合戦の研究を続ける。 『刀と首取り―戦国合戦異説』などでは、南北朝期および戦国期の軍忠状に記される死傷者の内訳をもとに、両時期における戦闘の主体はあくまで弓(及び投石など。後代では鉄砲が加わる)であり、刀は負傷した敵の首を取るためのものでしかなかった、との説を発表している。さらにそこから、「日本人のお家芸である白兵戦」は20世紀前半期において軍部の精神主義が招いた極めて異例のものであり、歴史的に武士たちは徹底して遠戦志向だった、としている。
薬師 義美(やくし よしみ、1936年 - )は、日本の地理… 薬師 義美(やくし よしみ、1936年 - )は、日本の地理学者、ヒマラヤ研究家。第1回ゲスナー賞(銀賞)、第1回秩父宮記念山岳賞を受賞。 富山県生まれ、京都市出身。立命館大学文学部地理学科卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。大谷高等学校教諭を経て研究者となる。日本のヒマラヤ研究の第一人者として知られ、チベット山岳関係の著書、翻訳書を数多く手掛けている。 著書『新版ヒマラヤ文献目録』(白水社、1994年)で、第1回ゲスナー賞(銀賞)、第1回秩父宮記念山岳賞を受賞。
仕田原 猛(しだはら たけし、1936年〈昭和11年〉 - … 仕田原 猛(しだはら たけし、1936年〈昭和11年〉 - 2020年〈令和2年〉2月23日)は大和言葉の研究家。京大の野球部OB会(京都大学野球倶楽部)の会長を務めた。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立清水谷高等学校、京都大学法学部卒業。1960年(昭和35年)住友金属工業(現・日本製鉄)入社。 1999年(平成11年)ベストセラー『もう一つの万葉集』のある韓国人作家、李寧煕の後援会の発足に伴い会員となる。以後、日本各地の古代遺跡や古社・古地名を調査し、後援会の会報『まなほ』に寄稿。2018年には、万葉集は古代韓国語で書かれていたとする李寧煕の説を基にして、日本語と古代韓国語を比較し共通点を解説した『やまと言葉を遡る 李寧煕の解読を基に』を出版している。
小笠原 恭子(おがさわら きょうこ、1936年 - 2018… 小笠原 恭子(おがさわら きょうこ、1936年 - 2018年11月17日)は、芸能史研究家、作家、武蔵大学名誉教授。筆名は小笠原 京(きょう)。 小笠原京の名では、時代小説、上演台本なども発表している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10… 松田 道弘(まつだ みちひろ、1936年 - 2021年10月24日)は、日本の著述家、奇術研究家。日本推理作家協会会員。 父は医師・育児評論家・歴史家の松田道雄。 京都府京都市出身。同志社大学経済学部卒業。学生時代から海外奇術やゲーム、マジックの文献の研究を始め、ラジオ関西勤務を経て、著述家として奇術やゲーム、ジョーク、ミステリ小説などについての評論や著述に専念。神戸市に在住。 1979年には第12回石田天海賞を受賞している。1980年『とりっくものがたり』で第33回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。1989年『ミステリ作家のたくらみ』で第42回日本推理作家協会賞・評論その他の部門で候補作。
春名 徹(はるな あきら、1935年(昭和10年)12月13… 春名 徹(はるな あきら、1935年(昭和10年)12月13日 - )は、日本のノンフィクション作家、漂流民研究家。妻は作家の入江曜子。
水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - … 水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - )は、日本の作曲家、雅楽研究家。旧姓名・近衛俊健。 近衛秀麿の三男(非嫡出子)として大阪市東区久宝寺町に生まれる。母は坪井文子。1937年7月22日、父秀麿により、大阪市東区役所に出生届が出される。1939年10月19日、父の末弟である水谷川忠麿の養子となり、忠俊と改名。物心ついたときは東京千駄ヶ谷の忠麿のアトリエにおり、生母の記憶はないという。 学習院初等科在学中、奈良県に転居し、奈良女子高等師範学校附属小学校(現・奈良女子大学附属小学校)から同中学校・同高校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業。上京後、山本直純の助手を務めながら作曲を学ぶ。
植村 峻(うえむら たかし、1935年11月6日 - )は、… 植村 峻(うえむら たかし、1935年11月6日 - )は、日本の切手・紙幣研究家。 東京生まれ。1958年東京都立大学法経学部法学科卒業後、大蔵省印刷局に入り、印刷局小田原工場長、滝野川工場長、本局製造部長、同業務部長を経て、1994年退官。紙幣等の調査研究機関「カレンシー・リサーチ」を設立。財団法人印刷朝陽会専務理事、お札と切手の博物館顧問、財団法人切手の博物館理事、ICOMON(国際通貨および銀行博物館会議)アジア地区理事、IBNS(国際銀行券協会)会員。
矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年〈昭和10年〉7月… 矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年〈昭和10年〉7月17日 - )は、日本のディレクター、テレビタレント、実業家、UFO・超常現象研究家。1970年代から1990年代までに制作を指揮したオカルト関連のテレビ番組で特に有名となったが、1995年からは宇宙塾を主宰するなど、実業家としてテレビ番組制作以外での活動に比重を置いている。 1935年、満洲国新京生まれ。元々裕福な家庭であったが、名古屋帝国大学を首席級の成績で卒業したエリートであった父親を亡くした上に、日本が太平洋戦争の敗戦国となった途端、大連で敵国民としての扱いを受けて極貧生活に転落。当時病弱だった純一の体の健康を気にした母親は自宅学習を禁止し、自宅では運動をして遊ばせるとともに、授業だけで好成績を取るように厳命する。
高木 智(たかぎ さとし、1935年6月10日 - 2011… 高木 智(たかぎ さとし、1935年6月10日 - 2011年8月6日)は、日本の折り紙作家・研究家。 京都府京都市生まれ。京都大学教育学部卒。日本折紙協会理事。おりがみ作家、おりがみ研究家。竹中宏らと、第三次「京大俳句会」を創設した。
畑 正憲(はた まさのり、1935年〈昭和10年〉4月17日… 畑 正憲(はた まさのり、1935年〈昭和10年〉4月17日 - 2023年〈令和5年〉4月5日)は、日本の小説家、エッセイスト、ナチュラリスト、動物研究家、プロ雀士。 愛称は「ムツゴロウさん」。日本エッセイスト・クラブ賞(1968年第16回)、菊池寛賞(1977年第25回)受賞、日本プロ麻雀連盟最高顧問であり初代十段位(畑が強すぎたため畑を位付けするために創設された)、最高位戦創案者。 畑は1935年(昭和10年)福岡県福岡市で生まれ、東京大学理学部で動物学を学んだ後、株式会社学研に入社して教育用の科学映画の作成に関わる。その後、動物関連のエッセーなどで作家としてデビュー。あだ名であるムツゴロウを冠したシリーズや小説を著した。
今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5… 今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5日 - )は、日本の洋菓子研究家、食卓芸術プロデューサー、実業家。 株式会社今田美奈子食卓芸術サロン代表取締役社長、日仏生活芸術協会会長、国際食卓芸術アカデミー協会会長、TPPを考える国民会議世話人を務める。 芸術文化勲章オフィシエ受章者(2003年)。 1935年3月5日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父は愛光商会(1939年創立)社長の今田冨雄。 函嶺白百合学園中学校・高等学校を経て、白百合短期大学(現・白百合女子大学)を卒業。のちに父の後継者として愛光商会社長となる今田潔と結婚。1971年(昭和46年)、スイスに招かれ、洋菓子の世界を知る。
黒江 光彦(くろえ みつひこ、1935年1月1日 - 202… 黒江 光彦(くろえ みつひこ、1935年1月1日 - 2022年)は、日本の美術修復家(英語版)・研究家。東北芸術工科大学名誉教授。 山形県出身。1957年東京大学文学部美学美術史学科卒、1959年国立西洋美術館に勤務、ヨーロッパに留学し、ベルギー王立文化財研究所で絵画修復術を研究する。1972年退官し、絵画修復家、評論家として活動、1993年東北芸術工科大学教授。2006年定年退職、名誉教授。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
宇井 美智子(うい みちこ、1935年 - )は、日本の行動… 宇井 美智子(うい みちこ、1935年 - )は、日本の行動心理研究家、地域振興コンサルタント、コメンテーター、占星術師。 愛称は「ウイッチー」。旧名、佐藤 美智子(さとう みちこ)。 父と叔父は婦人科医、母は歯科医。 東京都立小石川高等学校、明治大学商学部商学科を卒業後、1957年4月、TBS入社。編成局アナウンス部(アナウンサー第5期生)に勤務。 1960年7月、TBSを退社、行動心理研究家として独立。1966年、松下電器産業と宣伝・販売店教育契約。 1969年、日本テレビ『朝のワイドショー』で評論活動を開始。1978年、日本テレビ『昼のワイドショー』などに出演。 1983年、UCA研究センター所長に就任、商工会・商工会議所講師として全国で講演開始。
悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画… 悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画家、浮世絵研究家(国際浮世絵学会会員)。浮世絵研究ではとりわけ、歌川国芳の研究において定評がある。 1935年、東京に生まれる。高校時代より細島昇一に就き絵を学ぶ。1953年、示現会及び日本水彩画会初入選(高校在学中)、以後毎年出品後、示現会退会。1958年、武蔵野美術学校洋画科卒。1960年、サエグサ画廊にて三人展。1961年、無土画廊にて初個展。1964年、国際青年美術家展入選。一陽会・光風会展等に入選。1970-74年、日本橋画廊にて二人展及び個展。1978年、悳俊彦画集出版(形象社)。1981年、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演、武蔵野風景を紹介。
近藤 千雄(こんどう かずお、1935年 - 2012年)は… 近藤 千雄(こんどう かずお、1935年 - 2012年)は、日本の翻訳家、作家、スピリチュアリズム研究家。台湾生まれ、広島県福山市育ち。 幼少時、母に奇妙な出来事が起こる体験を見聞きする。戦後すぐ兄を交通事故で亡くし、霊界への興味を持ち、浅野和三郎などの本を読むようになる。 高校時代、九州にやってきた霊能力者の間部詮信に出会う。間部は知るはずの無い兄の想いを語り、聞いていた母は霊界の存在を確信する。近藤はそれに間接的に影響を受け、自身の道を決定付けた体験だと語る。 その後、交霊会などを体験。明治学院大学英文科卒業。在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1984年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。
藤岡 知夫(ふじおか ともお、1935年(昭和10年) - … 藤岡 知夫(ふじおか ともお、1935年(昭和10年) - 2022年(令和4年)3月25日)は日本の工学者、蝶類研究家。財団法人応用工学研究所理事長。工学博士。専門はレーザー工学、レーザー物理学。チャンネル桜番組審議委員。 東京府出身。父は物理学者藤岡由夫、祖父は国文学者藤岡作太郎。子は指揮者の藤岡幸夫。 蝶類の研究家としても知られ、所蔵する標本は22万頭におよび、蝶に関する著作を多く出版している。
若松 美黄(わかまつ みき、1934年10月15日 - 20… 若松 美黄(わかまつ みき、1934年10月15日 - 2012年8月1日)は、日本の舞踊家、振付家、舞踊研究家。北海道小樽市出身(札幌市生まれ)。 1950年代後半から60年前半にかけて、土方巽らとともに前衛的な創作舞踊を数多く発表し、日本のコンテンポラリーダンスの草分けとなる。その後、妻の津田郁子とともに、若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニーを立ち上げ、作品を発表するほか、筑波大学、日本女子体育大学、東京女子体育大学などにおいて舞踊教育に携わり、日本のモダンダンスの枠組の拡大に努めた。 朝倉書店, 松浦義行編. スポーツの科学 p.143-158 若松美黄の近作プログラム モダンダンス研究と評論1 :11 モダンダンス研究と評論2:26-27 モダンダンス研究と評論 3:28-29 モダンダンス研究と評論 4 :24-25 モダンダンス研究と評論 7 :29-32 モダンダンス研究と評論 13:30-31 女子体育14(8 ):46-53 女子体育19(10):42-44 心30(2):26-46 女子体育19(11):36-38 女子体育19(12):46-49 女子体育20(5):48-55 女子体育21(9):63-64 肉体言語10:82-88 体育科教育28(13):40-41 さいたま舞芸4 バレエのための教養講座5 :22-23 トリムライフ50:18-22 トリムライフ6:20-23 女子体育25(6):42-45 筑波フォーラム22:121-125 女子体育27(7):2-6 クラブライフ62:1-12 体育科教育37(10):30-32 トリムリーダー養成講座サブ・テキストp.89-99 音楽の世界26(7): 3-5 女子体育31(6):60-63 体育科教育37(10):30-32 90年代のレジャーマインドp.7-10 悲劇喜劇4:32-35