篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は… 篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は、日本の編集者、ジャーナリスト、実業家。月刊『創』編集長、『マス読』編集長、創出版社長。「コミック表現の自由を守る会」事務局長、「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。茨城県出身。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、1976年に一橋大学経済学部卒業。当時の一橋大生は商社や銀行にフリーパスではあったが、篠田はそういった進路に疑問を感じ、雑誌ジャーナリズムを志して政策時報社に入社する。 1980年、政策時報社を退社し総合評論社に入社する。月刊『創』編集部所属となり1981年の月刊『創』編集長就任後、徐々にメディア批評誌化を進める。 1982年、月刊『創』編集者3人で創出版設立。
植木 宣隆(うえき のぶたか、1951年9月 - )は京都府… 植木 宣隆(うえき のぶたか、1951年9月 - )は京都府出身の編集者で、出版事業家である。株式会社サンマーク出版 取締役会長。 1951年京都生まれ。1976年京都大学文学部独文科卒業。 株式会社潮文社を経て78年、サンマーク出版の前身である株式会社教育研究社に入社。 戦後2番目(当時)の大ヒットとなった春山茂雄著『脳内革命』(1995年、410万部)をはじめとして、久徳重盛著『母原病』(1979年)や船井幸雄著『これから10年 生き方の発見』(1992年)などを企画編集した。リチャード・カールソン著『小さいことにくよくよするな!』(1998年、173万部)や稲盛和夫著『生き方』(2004年、150万部)、新谷弘実著『病気にならない生き方』(2005年、140万部)、近藤麻理恵著『人生がときめく片づけの魔法』(2011年、159万部)など、編集長として、また経営者として8冊の単行本ミリオンセラーに恵まれてきた。
渋谷 陽一(しぶや よういち、1951年〈昭和26年〉6月9… 渋谷 陽一(しぶや よういち、1951年〈昭和26年〉6月9日 - 2025年〈令和7年〉7月14日)は、日本の音楽評論家、編集者、DJ。2024年3月31日にロッキング・オン・グループ代表取締役社長を退任して代表取締役会長となる。 東京都新宿区出身で、東京都立千歳丘高等学校在学時から『音楽専科』などのロック誌に寄稿し、18歳でグランド・ファンク・レイルロードのレコード評を記し、音楽評論家として活動を始める。明治学院大学在学中の1970年に水上はるこが中心となっていたミニコミ誌『レボリューション』を新宿のロック喫茶で発見し、投稿した。1970年発行の11号で、当時の「既存のロックに対する批評やロック観をぶち壊し、ロックに先行しうる論理を構築する」という意思を宣言する投稿で、中村とうようの評論家としての姿勢を批判などした。
岸田 一郎(きしだ いちろう、1951年4月15日 - )は… 岸田 一郎(きしだ いちろう、1951年4月15日 - )は日本の編集者、メディアプロデューサー。 プロッツ株式会社取締役、株式会社yanG取締役編集長、ウェブメディア「LUXURY TV」元編集長。大阪府大阪市都島区出身。血液型AB型。 1974年3月、日本大学経済学部卒業後はフリーライターとして活動。1979年、男性誌「BIGMAN」の創刊に参画するため、株式会社世界文化社に入社。1988年10月16日、編集長として若者向け男性誌「Begin」を創刊。以後も編集長として、1990年には自動車誌「Car EX」を、1993年には男性誌「MEN'S EX」及び「時計Begin」を、1997年には富裕層向け自動車誌「ACTIVO」を、それぞれ創刊させる。
山口 由美子(やまぐち ゆみこ、1951年3月7日 - 20… 山口 由美子(やまぐち ゆみこ、1951年3月7日 - 2008年6月18日)は、日本の編集者、ライター、イラストレーター。大阪府出身。 大学在学中の1971年に、村元武らと日本初の情報誌『プレイガイドジャーナル』の創刊に参加。編集を担当する他、誌面のADや表紙イラストも手がける。また、人気の書籍シリーズ「青春街図」の手書きの地図を描いた。1976年から1980年までは編集長。川崎ゆきお「猟奇王」やいしいひさいち「バイトくん」などの、漫画単行本の編集も担当した。 出産を機に退社し、フリー編集者に。「プガジャ」関連の仕事や、「チャンネルゼロ」でのいしいひさいちの単行本の編集などを担当する。また、「文房具探偵」を名乗り、様々な文房具についての文章を、雑誌コラムや、「チャンネルゼロ」のサイト等で発表していた。
山田 和子(やまだ かずこ、1951年〈昭和26年〉3月6日… 山田 和子(やまだ かずこ、1951年〈昭和26年〉3月6日 - )は、日本のSF編集者、翻訳家、評論家。 福岡県北九州市生まれ。慶應義塾大学文学部独文学専攻中退。 『季刊NW-SF』誌の編集長としてJ・G・バラード等の紹介に努める。また、SF翻訳者、SFにおけるフェミニズムの論客としても活躍。長く科学技術関係の編集に携わり、この分野でも訳書がある。 上記NW-SF時代に、創刊者の山野浩一から将棋を教わったところ、たちどころに上達。1977年に、女流アマ名人戦で優勝。70年代は、将棋の女性アマチュア強豪としても有名であった。山野浩一が主宰したNW-SFワークショップでは、「囲碁・将棋部」の活動が盛んであり、山田は当時、松岡正剛と囲碁を打ったこともあるという。
志賀 隆生(しが たかお、1951年 - )は、日本のライタ… 志賀 隆生(しが たかお、1951年 - )は、日本のライター、編集者。妻は日本文学研究者の川崎賢子。 東京都生まれ。青山学院大学卒業。 山野浩一主催のNW-SFワークショップに参加し、そこで知り合った新戸雅章・永田弘太郎らとSF同人誌『SF論叢』を1974年に創刊。1982年-1986年まで9号刊行された、新時代社発行のSF評論雑誌『SFの本』の編集人をつとめる。 1985年に編集プロダクション「オブスキュアインク」を設立して、代表取締役。この頃、単身、上京してきた後の殊能将之が、ライター・編集者として居候していたこともある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
渡邊 直樹(わたなべ なおき、1951年(昭和26年) - … 渡邊 直樹(わたなべ なおき、1951年(昭和26年) - )は、日本の雑誌編集者。国際宗教研究所顧問。元大正大学文学部,表現学部教授。現在は、大正大学地域構想研究所客員教授、大正大学出版会編集長。 東京都出身。1964年に東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1970年に同附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、1976年に東京大学文学部宗教学科を卒業、同年平凡社に入社し『太陽』編集部を経て1981年に退社。嵐山光三郎らと青人社の創立に参加し、『DoLiVe 月刊ドリブ』の三代目編集長となる。 その手腕を評価され、扶桑社で『SPA!』『PANJA』、アスキーで『週刊アスキー』を創刊し、編集長を歴任。
高橋 丁未子(たかはし てみこ、1951年 - )は、日本の… 高橋 丁未子(たかはし てみこ、1951年 - )は、日本のエッセイスト、編集者、書店店主。ギャラリスト。 東京都文京区本郷に育つ。武蔵野美術短期大学卒業後、北宋社の編集者になり、橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』や末井昭の『素敵なダイナマイトスキャンダル』などの他、村上春樹の研究読本の編集を手がける。その後、村上春樹を題材にしたエッセイ本などを出しながら、書店「ヴァリエテ本六」の店主となった。ヴァリエテ本六は2019年8月をもって閉店。 Amazon-高橋丁未子参照
小川 隆(おがわ たかし、1951年 - 2019年6月13… 小川 隆(おがわ たかし、1951年 - 2019年6月13日)は、日本のアメリカSF翻訳家、評論家、編集者。日本SF作家クラブ会員。翻訳学校ユニカレッジ講師。本名は、小林祥郎(こばやし・よしお)。 東京都出身。早稲田大学第一文学部仏文科を卒業後、編集者・翻訳家に。編集者として集英社で「集英社ワールドSF」を担当。1981年から英米SFの新作を紹介研究するファングループ「ぱらんてぃあ」を、主催(会員には山岸真、中原尚哉、内田昌之、尾之上俊彦、中野善夫らがいた)。 1985年にはファンジン『ぱらんてぃあ』でSFファンジン大賞を受賞。小林祥郎名義でのSFファン活動により、1992年柴野拓美賞を受賞。
見城 徹(けんじょう とおる、1950年〈昭和25年〉12月… 見城 徹(けんじょう とおる、1950年〈昭和25年〉12月29日 - )は、日本の編集者、実業家。株式会社幻冬舎代表取締役社長。株式会社タッチダウン代表取締役社長。株式会社キャブ代表取締役社長。エイベックス株式会社取締役(非常勤)。株式会社テレビ朝日の放送番組審議会の委員長。株式会社プロラボホールディングス最高顧問。一般社団法人パッションリーダーズ特別顧問。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。清水市立有度第一小学校、清水市立第七中学校、静岡県立清水南高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、廣済堂に入社。初めて企画した『公文式算数の秘密』(1974年)が38万部のベストセラーとなる。
小林 健治(こばやし けんじ、1950年12月13日 - )… 小林 健治(こばやし けんじ、1950年12月13日 - )は、日本の編集者、部落解放運動家。にんげん出版代表。 部落解放同盟東京都連合会品川支部員だったが、横領を理由に2015年6月19日付で部落解放同盟中央本部から除名処分を受け、2016年1月当時、除名処分の無効を訴えていた。2021年12月現在、除名処分が撤回された形跡はない。 岡山市生まれ。岡山県立岡山南高等学校を経て法政大学文学部日本文学科卒業。解放出版社に勤務。1980年から、部落解放同盟中央本部 マスコミ・文化対策部、糾弾闘争本部の一員として、出版・新聞・テレビにおける差別表現事件にとりくむ。2004年まで解放出版社事務局長を務める。
岩中 祥史(いわなか よしふみ、1950年11月26日 – … 岩中 祥史(いわなか よしふみ、1950年11月26日 – )は、編集者、出版プロデューサー、株式会社エディットハウス代表取締役。 生まれは三重県志摩郡鵜方村(現・志摩市阿児町鵜方)だが、3か月後東京都練馬区、東京都武蔵野市に移り、小学校入学時に名古屋市北区へ。ややこしいので、「名古屋生まれ」で通している。 名古屋市立東志賀小学校、名古屋市立北陵中学校を経て愛知県立明和高等学校を卒業。1年間の浪人生活を経て東京大学教養学部文科III類に入学し、1976年に東京大学文学部第三類(語学文学分野)を卒業後、8年間の出版社勤務を経て、株式会社エディットハウスを設立、現在に至る。 また、『大ナゴヤ人元気会』事務局長を務める。
松井 清人(まつい きよんど、1950年(昭和25年)11月… 松井 清人(まつい きよんど、1950年(昭和25年)11月19日 - 2021年(令和3年)8月15日)は、日本の編集者、実業家。文藝春秋社元社長。 東京都品川区生まれ。 1974年(昭和49年)、東京教育大学(現・筑波大学)文学部アメリカ文学科卒業後、文藝春秋入社。 『週刊文春』、『文藝春秋』の編集部を経て、『諸君!』、週刊文春、文藝春秋の編集長を務め、第一編集局長などを歴任した。『朝日ジャーナル』で霊感商法批判キャンペーンを展開していた有田芳生は、同誌が休刊したため、江川紹子から松井を紹介され、週刊文春で統一教会に関する取材を再開した。有田は松井を同志と呼んでいる。 2013年(平成25年)専務、14年社長に昇格し、18年6月社長から退いた。
のしろや秀樹(のしろや ひでき、本名:能代谷秀樹、1950年… のしろや秀樹(のしろや ひでき、本名:能代谷秀樹、1950年6月19日 - )は、北海道滝川市出身のフリーライター、編集者、音楽プロデューサー。 北海道滝川市で生まれ札幌市で育ち、東京でのサラリーマン経験を経て札幌市でCM制作会社を設立、音楽プロデューサーとして北海道内100社以上のCMソングを手掛けた。 1990年代には企画会社「スカットプロモーション」の代表として料理を通じた異業種交流会などのイベントを開いたほか、知人らなど寄稿者との共同出資で出版費用を賄う「グループエッセイ」形式の書籍の編集・発刊も行った。 1999年にテレビの取材でパークゴルフに挑戦したことをきっかけに北海道内のパークゴルフ場をめぐり、パークゴルフに関する書籍も著している。
今里 頼子(いまさと よりこ、1950年6月6日 – 199… 今里 頼子(いまさと よりこ、1950年6月6日 – 1996年1月19日)は、日本の編集者、ジャーナリスト。 福岡県立福岡高等学校、西南学院大学卒業後、「キャンパス福岡」編集長などを経て、1989年(平成元年)に西日本リビング新聞社入社。福岡都市圏の生活情報紙「リビング福岡」(西日本リビング新聞社)の編集長を務めた。 九州大学教授と結婚後は福岡国際ミズの会会員ともなり、女性の地位向上を目指して広く活動した。
星子 誠一(ほしこ せいいち、1950年4月9日 - )は、… 星子 誠一(ほしこ せいいち、1950年4月9日 - )は、日本の編集者、実業家。元「Viva Rock」「SHOXX」「Création」「Zy.」創刊編集長。編集プロデューサー、クリエイティブ・ディレクター、イベントプロデューサーでもある。
渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年〈昭和25年〉2月… 渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年〈昭和25年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイスト。 1950年(昭和25年)、裕福な薬局の子供として、広島県広島市に生まれる。崇徳高等学校卒業。 運動神経は鈍かったものの、子供のころからメカ好き、オートバイ好きであった。高校時代に二輪免許を取得し、自動車雑誌の購読も始めた。後の自身の漫画作品にも、オートバイに関する内容や、それにまつわる青春群像ものが多く、いわゆる「エンスー」となっていった。 1968年(昭和43年)に上京後、東京綜合写真専門学校に入学してカメラマンを目指していたが中退した。
染田屋 茂(そめたや しげる、1950年 - )は、日本の編… 染田屋 茂(そめたや しげる、1950年 - )は、日本の編集者、翻訳家。日本推理作家協会会員。筆名に佐藤和彦。 東京都出身。東北大学文学部卒業。1974年から1986年まで早川書房編集部に在籍。田口俊樹は高校時代の友人で、染田屋の紹介でミステリ翻訳家となった。退社後、翻訳者専業ののち、再び編集者に。朝日新聞社(1996年 - 2007年)、武田ランダムハウスジャパン、KADOKAWAで翻訳書編集に携わる。 訳書に、スティーヴン・ハンター『極大射程』(新潮文庫)、トマス・H・クック『死の記憶』(文春文庫)、ボブ・ウッドワード『司令官たち』(文藝春秋・共訳)などがある。
小黒 一三(おぐろ かずみ、1950年 - )は、東京都出身… 小黒 一三(おぐろ かずみ、1950年 - )は、東京都出身の編集者。月刊『ソトコト』の元編集長、木楽舎社長。 武蔵中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部卒業後、1975年平凡出版(現・マガジンハウス)に入社。「BRUTUS」「GULLIVER」「クロワッサン」などの編集を担当し、1990年に退社。同年、トド・プレスを設立、LOHASの命名権ビジネスに携わるようになる。1999年に木楽舎から「ソトコト」を創刊(ソトコトの編集はトド・プレスが行なっている)。2006年4月からは自身がホストを務めるラジオ番組「LOHAS TALK」がJ-WAVEで開始され、現在に至る。
校條剛(めんじょう つよし、1950年- )は、元編集者、文… 校條剛(めんじょう つよし、1950年- )は、元編集者、文芸評論家、作家、元京都造形芸術大学教授。 東京都荻窪生まれ。1973年早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業、新潮社入社。『小説新潮』編集部に29年間在籍、9年間編集長を務めた。日本推理サスペンス大賞、新潮ミステリー倶楽部賞、小説新潮長編小説新人賞の創設に関与する。日本推理サスペンス大賞から乃南アサ、宮部みゆき、高村薫、帚木蓬生、天童荒太など、新潮ミステリー倶楽部賞から伊坂幸太郎、雫井脩介などを輩出する。新潮新書編集委員のときに、270万部のミリオンセラー『国家の品格』(藤原正彦)を担当。2007年、『ぬけられますか 私漫画家滝田ゆう』で第20回大衆文学研究賞受賞。
森永 博志(もりなが ひろし、1950年 - 2025年4月… 森永 博志(もりなが ひろし、1950年 - 2025年4月15日)は、日本の編集者、作家。創刊当時の『POPEYE』、『月刊PLAYBOY』、『BRUTUS』で特集記事を担当していた編集者としても知られる。 編集者としての代表作は『南海の秘宝』、『小説王』、山川惣治『バーバリアン』、上村一夫『菊坂ホテル』、吉田カツ『ラウンド・ミッドナイト』、布袋寅泰CDブック『よい夢を、おやすみ。』、『PATAGONIA PRESENTS』、『森羅/TRIP TO THE UNIVERSE』など。 代表的な著書は『原宿ゴールドラッシュ』、『ドロップアウトのえらいひと』。 愛称は「マッケンジー」。 1950年、東京都国立市に生まれる。
上野 裕一(うえの ゆういち、1949年12月19日 - )… 上野 裕一(うえの ゆういち、1949年12月19日 - )は、日本の実業家、雑誌編集者。 福岡県に生まれる。1968年福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学経済学部経済学科を中退。 1974年全国加除法令出版に入社。九州支社長、雑誌編集長を歴任。 1984年3月トーホーに入社。1989年4月九州支店情報システム室長、1996年2月経営企画室長兼情報システム部長、1999年4月取締役経営企画室長兼情報システム部長、2003年4月取締役常務執行役員経営企画室長兼情報システム部長を経て、2007年4月代表取締役社長に就任。社長を務めた10年間には、選択と集中を通じて、連結売上高を2000億円台に押し上げ、業務用食品卸売りで大手の地位を固めた。
北山 耕平(きたやま こうへい、本名:小泉 徹(こいずみ と… 北山 耕平(きたやま こうへい、本名:小泉 徹(こいずみ とおる)、1949年12月2日 - 2026年3月26日)は、日本の編集者、作家、翻訳家。元「宝島」編集長。神奈川県藤沢市生まれ。立教大学社会学部卒。 作家片岡義男との出会いが契機となり、立教大在学中の1973年、植草甚一編集の雑誌「WonderLand(ワンダーランド、通巻3号より「宝島」と改称)」の編集メンバーとしてその創刊から参加。のち(1975年1月号、公式には同年8月号から1976年6月号まで)編集長(4代目)となる。当初から小泉徹の名で寄稿していた(「長谷川海太郎伝」など)が、1975年1月号より筆名北山耕平を名乗る。 「全都市カタログ」に始まる「別冊宝島」を刊行するなどし、同誌は大胆な編集方針で日本でのサブカルチャー誌成立初期に、その方向性について決定的な役割を果たす。
小林 深緑郎(こばやし しんろくろう、1949年7月18日 … 小林 深緑郎(こばやし しんろくろう、1949年7月18日 - 2024年9月1日)は、日本の編集者、ライター、コラムニスト、ラグビー解説者、ラグビージャーナリスト。東京都生まれ。スティーブ小林と呼ばれることがある。 学生時代は陸上競技をしていた。立教大学卒業。 大学卒業後は、貿易商社に勤務したのち画家になる。その後ラグビーワールドカップ1987で取材。これ以降全大会取材している。 1989年からラグビーマガジンでコラムを連載、さらに1998年よりJ SPORTSでラグビー解説を務めていた。 2024年9月1日、心不全のため死去。75歳没。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
村上 玄一(むらかみ げんいち、1949年6月19日 - )… 村上 玄一(むらかみ げんいち、1949年6月19日 - )は、日本の作家、編集者。元日本大学芸術学部研究所教授。 宮崎県出身。宮崎市立住吉小・中学校、宮崎日大高校、日本大学芸術学部文芸学科卒。読売新聞社出版局図書編集部、「季刊フェミナ」「小説フェミナ」(学習研究社発行)副編集長、「小説王」(角川書店発行)副編集長、KSS出版書籍編集部編集長を経て、日大芸術学部教授。2021年退職。 編集者としては、おもに安岡章太郎、野坂昭如を担当。小説は20代後半より、同人誌「公園」(伊藤桂一、駒田信二、林富士馬、眞鍋呉夫・主宰)、「MAGMA」に参加、文芸誌「海燕」「浪曼派」などに発表。江古田文学賞選考委員。
松坂 健(まつざか けん、1949年2月11日 - 2021… 松坂 健(まつざか けん、1949年2月11日 - 2021年10月8日)は、日本のミステリ研究者、元雑誌編集者、ジャーナリスト、サービス産業研究者。筆名に深野 有(ふかの ゆう)。 日本出版学会、日本フードサービス研究学会、日本観光研究者学会、日本国際観光学会、日本観光ホスピタリティ教育学会、日本旅行医学会、日本推理作家協会、各会員。国際推理作家協会副会長。 東京都浅草出身。1971年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1974年、同大学文学部英文学科卒業。在学中は慶應義塾大学推理小説同好会に所属。 1974年、出版社柴田書店入社。「月刊食堂」編集部配属。1978年「月刊食堂」副編集長。1984年「月刊ホテル旅館」編集長。
亀和田 武(かめわだ たけし、1949年〈昭和24年〉1月3… 亀和田 武(かめわだ たけし、1949年〈昭和24年〉1月30日 - )は、日本の雑誌編集者、作家、コラムニスト、キャスターである。 栃木県生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒業。通称:カメチャン。
滝本 誠(たきもと まこと、1949年1月19日 - )は、… 滝本 誠(たきもと まこと、1949年1月19日 - )は、日本の美術・映画評論家、編集者。デイヴィッド・リンチ研究の第一人者。京都府福知山市出身。 東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。平凡出版(のちのマガジンハウス)に入社し、『クロワッサン』『ダカーポ』『鳩よ!』『自由時間』『ブルータス』などの編集者をつとめながら、評論を発表する。 SF誌『月刊バルーン』(1979年9月 - 12月号)に「都筑明」名義で、フィリップ・K・ディック『バルカンの鎚』の翻訳を連載したが、雑誌の休刊で未完となった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
工富 保(くとみ たもつ、1949年1月10日 - 2011… 工富 保(くとみ たもつ、1949年1月10日 - 2011年2月19日)は、日本の漫画編集者。男性。 高校時代は体操部で器械体操が得意だったという。 早稲田大学卒業後、1973年に講談社へ入社。新人社員として配属された『週刊少年マガジン』編集部では松本零士『男おいどん』終盤や永井豪を担当。1978年にはギャグ漫画家だった柳沢きみおに恋愛マンガを注文し、ラブコメブームを巻き起こす『翔んだカップル』を誕生させる。さらに小林まことの才能を見抜いてデビューに導き、『1・2の三四郎』の連載を決める。その後も、『シェリフ』(原作:鶴見史郎(すがやみつる)、画:真樹村正(現・どろんぱ))、『THE STAR』(島崎譲)などを担当。
松本 謙一(まつもと けんいち、1949年 - )は、日本の… 松本 謙一(まつもと けんいち、1949年 - )は、日本の雑誌編集者・鉄道ファン。月刊鉄道模型雑誌「とれいん」の元編集主幹。同誌の発行や鉄道模型の販売を行う株式会社エリエイの元社長。元新しい歴史教科書をつくる会東京支部長。元自由社取締役教科書編集室長。 東京都中央区出身。立教中学校(現立教池袋中学校)、立教高校(現立教新座高校)から1968年に立教大学に入学し、1年で中退。「鉄道ジャーナル」の契約カメラマンを経て、父の松本一郎(俳号・松本芒風、2003年死去)が東京・京橋や日本橋で営んでいた呉服店「ゑり栄」(エリエイの前身)に入社した。 妹はニューヨーク在住の聖公会宣教師で『イエスとともに歩む―十字架の道ゆき』などの訳書もある景山恭子。
石川 雄一(いしかわ ゆういち、1949年 - 2016年4… 石川 雄一(いしかわ ゆういち、1949年 - 2016年4月22日)は、日本の専門誌編集者・自動車評論家。四輪駆動車分野の専門雑誌編集等に携わった日本での先駆的人物で、四輪駆動車・軍用車両趣味の普及に寄与したことで知られる。 埼玉県出身。陸上自衛隊生徒第11期、神奈川県立湘南高等学校通信制(現・神奈川県立横浜修悠館高等学校)卒業。 1977年から1989年まで四輪駆動車専門月刊誌『4x4 Magazine』に主に編集長として携わる。同社の法人登記後は副社長にして編集の責任者。月刊誌の他に多くの別冊を執筆・編集した。ビデオ制作のプロデューサーでもあった。1990年から2008年まで『クロスカントリー・ビークル』(季刊)を主宰していた。
秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 20… 秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 2018年9月19日)は、日本の編集者、プロデューサー、クリエィティブディレクター、装丁家、俳優、作詞家、作曲家。千葉県松戸市生まれ。スコブルコンプレックス會社・主宰。資生堂文化デザイン部編集委員。 本人いわく「都市・空間・商品・宣伝・編集・芸能・芸術・食・身体・生活・ファッションなど多領域の仕事群を『魅力づくり』として遂行」する仕事を行っている。 1960年代には「秋山未知汚」「秋山未痴汚」名義を、1970年代には「秋山ミチヲ」名義を用いていた。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。同級生には南伸坊がいた。高校時代はバンドを組んでいて、おしゃれだった。
鈴木 敏夫(すずき としお、1948年〈昭和23年〉8月19… 鈴木 敏夫(すずき としお、1948年〈昭和23年〉8月19日 - )は、日本の映画プロデューサー、編集者。株式会社スタジオジブリ代表取締役議長、徳間記念アニメーション文化財団副理事長。 徳間書店取締役、徳間書店スタジオジブリ・カンパニープレジデント、徳間書店スタジオジブリ事業本部本部長、東京大学大学院情報学環特任教授、スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立金城小学校、東海中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学文学部社会・心理・教育学科社会学専攻を卒業。 大学在学中は執筆作業など多くのアルバイトを経験した。就職活動では執筆作業の経験があることから知人の助言もあって新聞社や出版社を志す。
瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 19… 瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 1999年3月16日)は、日本のミステリー評論家、映画評論家、編集者。筆名に、宅和宏、藤崎誠などがある。 映画評論家の瀬戸川宗太は弟。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業。在学中は「ワセダミステリクラブ」に所属し、海外ミステリ評論を手掛けていた。1年後輩の北村薫や、2年後輩の折原一らと親交があった。卒業後は東宝に入社し、テレビ部に配属されてテレビ番組の制作にたずさわり、7年後に退社。 1973年に紀田順一郎、荒俣宏が創刊した雑誌『幻想と怪奇』に、鏡明とともに編集同人として参加。 1980年、自身の個人出版社「トパーズプレス」を設立。 また、1982年に読書人向けの雑誌『BOOKMAN』を創刊。
末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フ… 末井 昭(すえい あきら、1948年6月14日 - )は、フリーの編集者、作家、サックス奏者。元白夜書房取締役編集局長。 岡山県吉永町(現:備前市)出身。7歳のとき、母親が若い男とダイナマイト心中した。 岡山県立備前高等学校の機械科に進学。高校卒業後、大阪・枚方のステンレス線の製造工場に集団就職したが、大阪の工場の過酷な労働がいやになり3か月で退職し、川崎の父親の元へ。父親と同じ自動車工場で働く。1967年、渋谷にあった青山デザイン専門学校のグラフィックデザイン科の夜間部に入学。デザイン会社に入社。主に看板のデザインをする。キャバレーや風俗店の看板描きをしていたとき、元同僚がエロ本の出版社に転職し、その縁で、のちに白夜書房を創業する森下信太郎からエロ総合誌の創刊をまかされ、1975年に『ニューセルフ』を立ち上げる。
野村 芳夫(のむら よしお、1948年3月5日 - )は、日… 野村 芳夫(のむら よしお、1948年3月5日 - )は、日本の編集者、翻訳家。本名、竹上昭。 日本推理作家協会会員。 1970年、日本大学文理学部英文科卒業。在学中に荒俣宏と同人誌「リトル・ウィアード」を創刊。 早川書房に勤務し、1975年に退社して小説家半村良のアシスタントを務める。のち、翻訳家となる。
伊丹 啓子(いたみ けいこ、1948年2月25日 - )は、… 伊丹 啓子(いたみ けいこ、1948年2月25日 - )は、日本の俳人、編集者。兵庫県生まれ。父は俳人の伊丹三樹彦、母も俳人の伊丹公子。夫は沖積舎舎主・沖山隆久。 1948年(昭和23年)兵庫県伊丹市生まれ。兵庫県立西宮高等学校を経て、関西学院大学文学部日本文学科卒業。在学中から父、伊丹三樹彦の結社「青玄」に学んだ他、攝津幸彦と知り合い「関学俳句会」を創立する。1991年、伊丹市芸術家協会新人賞受賞。2005年、伊丹三樹彦が病に倒れ「青玄」終刊、2006年に後継誌「青群」を立ち上げる。編集発行人を経て、顧問。現代俳句協会会員、日本文藝家協会会員。 著書に父の伊丹三樹彦を書いた『軒破れたる』、その師である日野草城を書いた『日野草城伝』などがある。
今岡 清(いまおか きよし、1948年 - )は、日本の元編… 今岡 清(いまおか きよし、1948年 - )は、日本の元編集者、天狼プロダクション代表取締役。作家の栗本薫は2度目の妻。 横浜市出身。中央大学法学部進学と同時に、SFファングループ「一の日会」に参加する。大学卒業後の1971年、日刊自動車新聞社に3か月勤務したのちに、早川書房に入社、SF担当の編集者となる。 森優(南山宏)が退社した1974年に、長島良三編集長のもとで『S-Fマガジン』の編集者になる。のち、早川浩(のちに社長、現・会長)編集長時代(今岡は編集長代行)を経て、1979年から6代目の『S-Fマガジン』編集長に就任する。1979年から、中断していたハヤカワ・SFコンテストを再開させ、神林長平、大原まり子など「SF作家第三世代」の作家たちをデビューさせるなど、手腕を振るう。
大泉 康雄(おおいずみ やすお、1948年(昭和23年)- … 大泉 康雄(おおいずみ やすお、1948年(昭和23年)- )は、日本の編集者。『週刊女性セブン』の編集長などを歴任した。 東京都出身。中央大学付属高等学校を経て、中央大学法学部を卒業した。小学校から中学校まで、連合赤軍事件の吉野雅邦と同級生であった。 1970年に小学館に入社した。『週刊女性セブン』編集部を経て、『プチセブン』編集長、『週刊女性セブン』編集長を歴任した。その後、小学館実用図書編集部次長や健康誌『だいじょうぶ』編集長を経て、小学館出版局プロデューサーを務めた。
矢澤 澄道(やざわ ちょうどう 1948年 - )は、日本の… 矢澤 澄道(やざわ ちょうどう 1948年 - )は、日本の編集者・高野山真言宗の僧侶。『月刊住職』の発行人および編集長。
岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9… 岡村 隆(おかむら たかし、1948年 - 2025年7月9日)は日本の探検家、作家、編集者。NPO法人南アジア遺跡探検調査会理事長、第23回植村直己冒険賞受賞。 1948年、宮崎県小林市に生まれる。宮崎県立小林高校を経て、1972年に法政大学文学部日本文学科を卒業する。在学中は探検部で活動し、1969年、独立直後で鎖国状態のインド洋モルディブへ特例で入国、日本人初の長期滞在者となり、半年間の民俗調査ののちスリランカの密林遺跡探検に転じる。大学卒業後は著述業や東海教育研究所の月刊誌『望星』編集長などの本業の傍ら、法政大学探検部などを母体に探査隊を組織して、これまでに同国で約250カ所、モルディブで11カ所の遺跡を発見、調査する。
高瀬 幸途(たかせ よしみち、本名:中里 幸途、1948年 … 高瀬 幸途(たかせ よしみち、本名:中里 幸途、1948年 - 2019年4月24日)は、日本の編集者。太田出版社長を務めた(1995年 - 2006年)。2013年に退社[要出典]後は、フリーとなった。 東京都出身。法政大学時代、非合法革命党派に所属。糸井重里とは対立するセクトにいた。 荒井晴彦に『神聖喜劇』(大西巨人・原作)のシナリオ版を書かせた。 ビートたけしとの交友もある。太田出版は、たけしの著作をよく出版していて、そのつながりからである。「ビートたけしのオールナイトニッポン」や「北野ファンクラブ」でも高瀬がネタになったことがよくあったという。 見城徹とは友人で、見城の『編集者という病』の編集を高瀬が手がけた。
長谷川 郁夫(はせがわ いくお、1947年12月15日 - … 長谷川 郁夫(はせがわ いくお、1947年12月15日 - 2020年5月1日)は、日本の文芸編集者・評論家。元小澤書店社長、大阪芸術大学教授も務めた。日本編集者学会初代会長。 神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学在学中の1971年に小沢(小澤)書店を創立。約六百数十点の文芸書の編集・制作に携わったが、2000年秋、東京地裁に自己破産を申請し倒産した。のち編集プロダクションを主宰し、長谷川郁夫事務所取締役、法政大学兼任講師。2007年から、大阪芸術大学教授、2013年から同芸術学部文芸学科長(2020年3月まで)。2010年2月日本編集者学会を発足し会長。 編集した全集類に「青山二郎文集」、「小川国夫全集(全14巻)」(各・小澤書店、1991~1995)、「田村隆一全集(全6巻)」(河出書房新社、2010~2011)などがある。
戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )… 戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )は、日本の編集者、ミステリ評論家。 東京創元社の元会長、元社長。光文文化財団理事。 ミステリ専門書店「TRICK + TRAP」元店主。日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ各会員。本格ミステリ作家クラブでは事務局長をつとめた。編集者としてミステリ作家を多数育成する傍ら、文庫解説等の執筆を行う。 戦時疎開先の長野県で出生し、翌年、東京に移り荒川区南千住で育つ。 生家は備中庭瀬藩戸川家の分家である帯江戸川家で、江戸時代には3000石の大身旗本だった。同名の庭瀬藩主戸川安宣は、直系ではないが、先祖筋にあたる。曽祖父は、帯江戸川家8代目戸川安愛の弟で、9代目戸川最兎女(もとめ)栄秀。
松田 哲夫(まつだ てつお、1947年10月14日 - )は… 松田 哲夫(まつだ てつお、1947年10月14日 - )は、日本の編集者。
水上 はるこ(みなかみ はるこ、1947年8月16日 - )… 水上 はるこ(みなかみ はるこ、1947年8月16日 - )は、元雑誌編集者、音楽評論家、翻訳家。本名非公開。 愛媛県生れ、山口県下関市で育つ。1966年、山口県立下関南高等学校卒業後、新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント )に入社。1966年5月、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」編集部に配属された。そのタイミングで来日したビートルズのコンサートをすべて見て、コンサート評を書いた。当時の編集長は星加ルミ子だったが、水上はボブ・ディランやジャニス・ジョプリンなどを好み、星加編集長の「そんな記事を書いても雑誌は売れない」というポリシーと対立し、3年後に一度、会社を辞めている。高校時代にはフォーク・ソングにも興味をもち、ギターを弾いて歌っていた。
岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日… 岩本 敏(いわもと さとし、1947年7月8日 - )は、日本の編集者。小学館で漫画雑誌の担当や、雑誌『サライ』の編集長などを務めた。岡山県津山市出身。退職後は三重県亀山市在住。らくだ亭(小学館主催の落語会)初代席亭。フリーランス・エディター、エッセイスト。 岡山県津山市に生まれる。1963年、岡山県立津山高等学校入学。高校1年の夏、小学館発行の雑誌『ボーイズライフ』の創刊記念読者特派員として、ロンドン、パリ、ローマを巡る旅を経験。南山大学外国語学部イスパニヤ語学科卒業後、1971年に小学館に入社。 『ビッグコミック』、『FMレコパル』、『少年サンデー』編集部を経て、『BE-PAL』創刊に携わり、同誌デスク、副編集長、編集長を歴任。
南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月… 南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月30日 - )は、日本の編集者、イラストレーター、エッセイスト、漫画家。本の装幀も多数手掛ける。 ペンネームは、宮武外骨の『滑稽新聞』に登場する絵師、「墨池亭黒坊」に因んで、本名の伸宏をもじったもの。エッセイに自らイラストをつける手法により、「イラストライター」と自称する。あたたかみのある描線の似顔絵や、シンプルながら洗練された装幀で知られる。第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。 『ハリガミ考現学』での貼紙の研究により、赤瀬川原平が提唱した路上観察学会にも参加。丸刈りでおむすび型の頭をトレードマークにしており、これを強調した自画像イラストでも知られる。
副田 護(そえだ まもる、1947年3月1日 - )は日本の… 副田 護(そえだ まもる、1947年3月1日 - )は日本の編集者、小説家、ノンフィクション作家。 福岡県福岡市に生まれる。中央大学付属高等学校を経て、1971年慶応義塾大学商学部卒業。 産経新聞、交通遺児育英会勤務後、1973年桃園書房入社。1976年『月刊小説』編集長就任、1977年『小説春秋』編集長兼任、1979年『小説CLUB』編集長兼任。 桃園書房在職中から少年マガジン、少年サンデー、ビッグコミック、漫画アクションなどに、神谷不志夫、依田功のペンネームで記事を連載。1985年桃園書房退社。 1987年㈲ブックランド設立、代表就任。2001年㈲ブックランド解散、㈲企画集団トモ設立、代表就任。