佐藤 晃一(さとう こういち、1924年12月23日 - 2… 佐藤 晃一(さとう こういち、1924年12月23日 - 2022年5月10日) は、日本の中央銀行家、実業家。ホテルオークラ代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。佐藤潤象元衆議院議員の孫。 ホテルオークラ創業家の大倉喜八郎らと事業を興した実業家・佐藤潤象元衆議院議員の孫である。府立一中、旧制学習院高等科を経て、1948年に東京大学経済学部卒業後、日本銀行入行。大成観光(のちにホテルオークラに商号を変更)常務取締役や、同社取締役副社長を経て、1992年から代表取締役社長を務めた。1995年から代表取締役会長を務め、1999年に青木寅雄らとともに代表権を返上し、相談役に退いた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
尾崎 順通(おざき のりみち、1924年10月22日 - … 尾崎 順通(おざき のりみち、1924年10月22日 - 2020年4月24日)は、日本の銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。 東京都出身。1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に配炭公団に入社。1952年に武蔵野銀行に転じ、1973年に取締役に就任し、1979年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1987年6月には頭取に就任。1992年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1994年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2020年4月24日、死去。95歳没。
若山 修(わかやま おさむ、1924年9月12日 - 200… 若山 修(わかやま おさむ、1924年9月12日 - 2006年9月22日)は、日本の銀行家、経営者。青森銀行頭取を務めた。青森県出身。 1944年に福島経済専門学校を卒業し、1946年に青森銀行に入行。 1970年に取締役、1977年に常務、1980年に専務を経て、1982年10月には頭取に就任。1995年4月には相談役に就任。青森県公安委員長も務めた。 1995年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2006年9月22日呼吸不全のために死去。82歳没。
小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 20… 小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 2009年7月10日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は従5位。 山梨県出身。1944年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学)を卒業し、1947年5月に山梨中央銀行に入行。1978年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1991年6月には頭取に就任。1995年6月に会長を経て、2001年6月から2002年6月まで相談役を務めた。 甲府商工会議所会頭、山梨県銀行協会理事会長、山梨県長期計画審議会会長、山梨県行政改革委員会会長、甲府ファッション協会会長を務めた。 2000年に勲四等旭日章を受章、山梨県県政特別功績者に選ばれている。
井上 實(いのうえ みのる、1924年(大正13年)1月10… 井上 實(いのうえ みのる、1924年(大正13年)1月10日 - 2021年(令和3年)11月11日)は、日本の銀行家。東京銀行頭取を務めた。 東京出身。1947年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ニューヨーク支店、外国総務部、総務室各次長、同室長を歴任。 1972年11月に取締役に選任され、ロンドン支店長委嘱。常務、専務、副頭取を経て、1985年9月に前任である渡辺康病没により、頭取に就任し、1990年6月に相談役に退く。 1996年4月に三菱銀行との合併で発足した東京三菱銀行では相談役、特別顧問を務めた。 2021年11月11日、死去。97歳没。
桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7… 桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7月14日 - 2018年 <平成30年> 1月18日)は、日本の経営者、銀行家。伊予銀行頭取を務めた。位階は正五位。 愛媛県出身。1948年に京都大学経済学部を卒業し、同年4月に伊予銀行に入行。1971年10月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1979年12月に専務を経て、1983年6月には頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年1月18日急性心臓死のために死去。94歳没。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。
雲井 洋(くもい よう、1923年5月2日 - 1993年6… 雲井 洋(くもい よう、1923年5月2日 - 1993年6月10日)は、日本の経営者、銀行家。百五銀行頭取を務めた。三重県出身。 1946年に早稲田大学商学部を卒業し、1951年に百五銀行に入行。1959年に取締役に就任し、1962年11月に常務、1969年5月に専務を経て、1977年6月に副頭取に就任し、1991年6月に頭取に昇格し、1993年4月までに務めた。 1993年6月10日心不全のために死去。70歳没。
長田 博孝 (ながた ひろたか、1923年〈大正12年〉4月… 長田 博孝 (ながた ひろたか、1923年〈大正12年〉4月21日 - 2015年〈平成27年〉1月8日)は、日本の銀行家。三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)取締役。 鳥取県出身。三菱化工機社長・長田清治郎の二男。祖父は鳥取市本町4丁目で呉服太物商を営む長田幾蔵。1948年、東京大学法学部政治学科卒業。 三菱銀行に入り本店貸付課長代理、桜橋支店副長調査部調査役業務第二部業務第一課長、本店貸付第一課長を経て1966年に有楽町支店長。1977年、取締役。1980年、常任監査役。 2015年1月8日、腎不全のため死去した。 鳥取市在籍で、住所は東京都世田谷区駒沢2丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
神尾 昌一(かみお しょういち、1923年3月15日 - 2… 神尾 昌一(かみお しょういち、1923年3月15日 - 2006年3月4日)は、日本の銀行家。埼玉銀行頭取を務めた。 東京都出身。1944年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1946年に埼玉銀行に入行。 1974年5月に取締役に就任し、1978年8月に常務、1981年6月に専務を経て、1982年6月に副頭取に就任し、1987年6月には頭取に昇格。1989年3月に取締役に退き、同年6月に相談役、1998年4月に特別顧問を経て、同年12月から2001年10月までに名誉顧問に就任。 1990年11月に藍綬褒章を受章。 2006年3月4日急性肺炎のために死去。82歳没。
荒田 俊雄 KBE(Sir Arata Toshio , K… 荒田 俊雄 KBE(Sir Arata Toshio , KBE , あらた としお、大正12年(1923年)2月17日 - 2009年(平成21年)12月22日)は、日本の銀行家、ベアリング実業家。日本精工代表取締役社長、会長、名誉社友。ナイト、従四位勲二等瑞宝章。名誉法学博士(ダラム大学)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 稔(たなか みのる、1923年1月14日 - 200… 田中 稔(たなか みのる、1923年1月14日 - 2007年3月3日)は、日本の経営者、銀行家。佐賀銀行頭取を務めた。 佐賀県出身。1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1947年12月に大蔵省に入省した。1974年6月に動力炉・核燃料開発事業団理事を経て、1977年6月に佐賀銀行顧問に就任し、1978年6月に副頭取を経て、1980年5月には頭取に就任。1994年1月から2002年6月までに会長を務めた。 2007年3月3日、心不全のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 保一郎(たなか やすいちろう、1923年1月10日 -… 田中 保一郎(たなか やすいちろう、1923年1月10日 - 2011年7月29日)は、日本の経営者、銀行家。東京都民銀行頭取を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行。1972年5月に東京都民銀行取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1979年6月に副頭取を経て、1982年6月に頭取に就任。1989年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に退いた。 1988年11月に藍綬褒章を受章。 2011年7月29日肺炎のために死去。88歳没。
酒井 次吉郎(さかい じきちろう、1923年 <大正12年>… 酒井 次吉郎(さかい じきちろう、1923年 <大正12年> 1月2日 - 2010年 <平成22年> 1月25日)は、日本の銀行家。元静岡銀行代表取締役会長。第7代静岡銀行頭取。位階は従四位。 バブル時代に頭取を務め、異常な熱気を帯びた日本経済の先行きに疑問を感じ、地方銀行本来の役割を思い起こし、都心の大企業やノンバンクから貸出金を回収。後のバブル崩壊の影響を最小限度に止めた。 1923年(大正12年)静岡県島田市に生まれる。1940年(昭和15年)静岡県立静岡中学校卒業。1944年(昭和19年)慶応義塾大学文学部卒業。1945年(昭和20年)、静岡銀行入行、1969年(昭和44年)、取締役。
中山 富太郎(なかやま とみたろう、1922年 <大正11年… 中山 富太郎(なかやま とみたろう、1922年 <大正11年> 12月12日 - 2017年 <平成29年> 10月23日)は、日本の経営者、銀行家。八十二銀行頭取を務めた。位階は正五位。 長野県出身。1946年に京都帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に八十二銀行に入行。1977年12月に取締役に就任し、1981年に常務、1984年に副頭取を経て、1989年6月に頭取に就任。1994年6月に会長に就任し、1997年6月には取締役相談役に就任。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2017年10月23日老衰のために死去。94歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
中山 真(なかやま まこと、1922年11月1日 - 200… 中山 真(なかやま まこと、1922年11月1日 - 2008年5月3日)は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1947年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年10月に三洋商会に入社。新潟アスファルト工業での勤務を経て、1951年12月に北越銀行に転じ、1972年5月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年6月に副頭取に就任し、1987年6月には頭取に昇格。1993年6月に会長に就任。 1993年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年5月3日多臓器不全のために死去。85歳没。
頴川 史郎(えがわ しろう、1922年10月30日 - 20… 頴川 史郎(えがわ しろう、1922年10月30日 - 2007年3月4日)は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。長崎県出身。 1947年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1964年11月に日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に転じ、1970年11月に取締役に就任し、1972年4月に常務を経て、1975年12月に副頭取に就任し、1982年11月に頭取に昇格。1987年12月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2007年3月4日病気のために死去。84歳没。
向江 久夫(むかえ ひさお、1922年7月14日 - 200… 向江 久夫(むかえ ひさお、1922年7月14日 - 2006年10月18日)は、日本の銀行家。足利銀行頭取、会長を務めた。 鹿児島県出身。1950年に東京大学法学部を卒業し、同年に足利銀行に入行。1965年に取締役に就任し、1968年5月に常務、1972年5月に専務、1974年7月に副頭取、1976年1月に代表取締役を経て、1978年6月には社長(のちの頭取)に就任。1992年6月から1997年11月までに会長を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2006年10月18日、多臓器不全のために死去。84歳没。
鈴木 邦一(すずき くにいち、1922年5月18日 - 2… 鈴木 邦一(すずき くにいち、1922年5月18日 - 2010年3月19日)は、日本の銀行家。大東銀行頭取を務めた。 千葉県出身。1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年12月に大蔵省に入省。1971年9月に退官し、同年11月に大東銀行専務に就任し、1973年10月には社長に昇格。1989年2月に頭取、1991年6月に会長を経て、1997年6月には相談役に退いた。 2010年3月19日、肝臓がんのために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瀬長 浩(せなが ひろし、1922年5月6日 - 1997年… 瀬長 浩(せなが ひろし、1922年5月6日 - 1997年10月21日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1944年に東北帝国大学理学部物理科を経て、1949年にハワイ大学を卒業。琉球貿易庁、琉球政府での勤務を経て、後に中部製糖社長に就任。1972年に沖縄銀行頭取に就任し、1983年には会長に就任。 1997年10月21日に腎不全のために死去。75歳没。
石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999… 石川 操(いしかわ みさお、1922年5月2日 - 1999年1月6日)は、日本の経営者、銀行家。茨城県水戸市出身。 1940年に水戸商業学校を卒業し、1942年に常陽銀行に入行。1969年10月に取締役、1974年11月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年7月には常陽銀行副頭取に就任。1988年7月に取締役相談役を経て、1989年6月には相談役に退いた 1999年1月6日肺炎のために死去。76歳没。
神谷 健一(かみや けんいち、1922年(大正11年)4月2… 神谷 健一(かみや けんいち、1922年(大正11年)4月23日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の銀行家。国民政治協会会長(第6代)、三井銀行社長、三井住友銀行名誉顧問、慶應義塾評議委員会議長、交詢社理事等を歴任。 兵学者・宇都宮三郎の本家に当たる子孫。幼稚舎より慶應義塾に学ぶ。 海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> … 樋泉 正起(といずみ まさおき、1922年 <大正11年> 4月23日 - 2012年 <平成24年> 1月30日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は正五位。 山梨県出身。1946年に早稲田大学法学部を卒業し、1947年に山梨中央銀行に入行。1977年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務、1982年6月に副頭取を経て、1983年6月に頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1995年6月から1997年6月までに取締役相談役を務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2012年1月30日心筋梗塞のために死去。
井上 太一(いのうえ たいち、1922年3月30日 - 19… 井上 太一(いのうえ たいち、1922年3月30日 - 1997年7月8日)は、日本の経営者、銀行家。京都銀行頭取を務めた。京都府京都市出身。 1946年に大阪商科大学を卒業し、同年に京都銀行に入行。1968年11月に取締役に就任し、1972年3月に常務、1974年11月に専務を経て、1978年12月に副頭取に就任し、1979年4月に頭取に昇格。1994年5月に会長に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。 1997年7月8日肝不全のために死去。75歳没。
三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994… 三野 博(みの ひろし、1921年11月21日 - 1994年4月8日 )は、日本の銀行家。百十四銀行頭取を務めた。 香川県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1946年に百十四銀行に入行した。1966年に取締役に就任し、1969年11月に常務、1975年12月に専務を経て、1979年12月には頭取に就任。1989年6月には会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 1994年4月8日、腹部大動脈瘤破裂のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月1… 井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月11日 - 2010年〈平成22年〉1月30日 )は、日本の銀行家、経営者。滋賀銀行頭取を務めた。 東京都出身。194年に東北帝国大学法文学部法科を卒業し、1946年9月に日本銀行に入行。1972年8月に預金保険機構理事を経て、1974年11月に滋賀銀行副頭取に就任し、1979年6月には頭取に昇格。1989年6月には取締役相談役に退き、1992年4月に日本銀行政策委員会委員を経て、1996年4月には滋賀銀行特別顧問に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2010年1月30日、癌のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> … 広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> 10月4日 - 2006年 <平成18年> 5月19日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 滋賀県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。日本銀行での勤務を経て、1954年10月に滋賀銀行取締役に就任し、1959年10月に常務、1963年10月に専務、1967年11月に副頭取を経て、1971年11月に頭取に就任。1979年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年5月19日肺炎のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
神林 虎二(かんばやし とらじ、1921年9月14日 - 没… 神林 虎二(かんばやし とらじ、1921年9月14日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。近畿銀行社長、会長を務めた。茨城県出身。 1950年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1951年に近畿相互銀行に入社。1968年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1979年6月には社長に就任した。1983年6月に会長を経て、1987年6月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。
伊地知 重威(いじち しげたけ、1921年8月24日 - 2… 伊地知 重威(いじち しげたけ、1921年8月24日 - 2007年3月16日)は、日本の銀行家。埼玉銀行頭取を務めた。 埼玉県出身。1944年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1945年に埼玉銀行に入行。 1973年5月に取締役に就任し、1975年10月に常務、1978年6月に専務を経て、1981年6月に副頭取に就任し、1976年4月には頭取に昇格。1987年6月に会長に就任し、1989年3月から1990年6月まで社長も兼任した。1991年4月に取締役相談役、同年6月に相談役、1998年4月に特別顧問を経て、同年12月には名誉顧問に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章。 2007年3月16日肺炎のために死去。
吉原 三郎(よしはら さぶろう、1921年 <大正10年> … 吉原 三郎(よしはら さぶろう、1921年 <大正10年> 8月10日 - 2008年 <平成20年> 2月3日)は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。位階は従五位。 千葉県出身。1946年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1948年5月に千葉銀行に入行。1952年1月に千葉興業銀行に転じ、1963年5月に取締役に就任し、1975年11月には頭取に昇格。1986年6月に会長、1996年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2008年2月3日急性心筋梗塞のために死去。86歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9… 荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9日 - 1989年(平成元年)6月3日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長、全国銀行協会連合会会長、経済同友会副代表幹事を歴任した。 東京生まれ。府立高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業。学徒出陣し陸軍経理学校で終戦を迎える。 1945年(昭和20年)秋に安田銀行(後の富士銀行)に入行。本店の貸付審査部門を長く担当し、本所、広島の支店長を歴任した。 1970年(昭和45年)取締役に選任され、73年に常務、75年に副頭取、81年から頭取を務め、87年に会長に退く。この間、全銀協会長を2度務め、経済同友会副代表幹事を6年間にわたり担った。
山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没… 山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 長崎県出身。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1975年4月から1979年4月までに理事を務め、同年6月に副頭取に就任し、1980年9月には協和銀行頭取に昇格。1986年9月に会長に就任し、1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)を経て、1998年4月から名誉顧問を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29… 上田 格(かんだ かく、1921年 <大正10年> 4月29日 - 2015年 <平成27年> 2月8日)は、日本の経営者、銀行家。鹿児島銀行頭取を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制、現鹿児島県立甲南高等学校)を卒業し、1941年に鹿児島高等商業学校(現鹿児島国際大学)を卒業。1942年11月出征、1945年11月復員。1946年に鹿児島銀行に入行。1948年伊集院支店を振り出しに、串良支店、都城支店と勤務し、1953年本店営業部貸付課長代理に着任して以降、ほぼ一貫して営業畑を歩む。1972年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年に専務を経て、1986年に副頭取に就任し、1988年3月には頭取に昇格。
荒井 政雄(あらい まさお、1921年〈大正10年〉3月12… 荒井 政雄(あらい まさお、1921年〈大正10年〉3月12日 - 没年不明)は、日本の銀行家(群馬銀行頭取)、群馬県副知事。 群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)出身。旧制小泉農業学校(現・群馬県立大泉高等学校)、千葉高等園芸学校(現・千葉大学)に学ぶ。1943年に京都帝国大学農学部農林経済学科を卒業。同年高等試験行政科に合格。1944年東部38部隊に入営し1945年召集解除。 内務省、神奈川県庁での勤務を経て、群馬県庁総務部長、出納長を歴任。1966年に司法試験二次試験に合格。1970年に群馬県副知事に就任。1974年4月には群馬銀行専務に就任し、1977年11月に副頭取を経て、1984年6月に副は頭取に就任。
市橋 保(いちはし たもつ、1921年 <大正10年> 2月… 市橋 保(いちはし たもつ、1921年 <大正10年> 2月18日 - 2005年 <平成17年> 9月17日)は、日本の銀行家。福井銀行頭取、会長を務めた。位階は正五位。 福井県福井市出身。1944年に慶應義塾大学工学部を卒業し、1945年11月に日本銀行に入行。1962年4月に福井銀行に転じ、1965年11月に取締役に就任し、1969年4月に常務、1972年11月に副頭取を経て、1982年10月に頭取には就任。1992年10月には会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2005年9月17日心不全のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2… 佐藤 智義雄(さとう ちぎお、1920年(大正9年)11月2日 - 2003年(平成15年)3月11日 )は、日本の銀行家、実業家。七十七銀行頭取を務めた。 宮城県仙台市出身。1942年に大倉高等商業学校を卒業。 1946年、七十七銀行に入行。経理部主計課長、企画部企画課長兼調査課長、総務部次長兼総務課長等を歴任。1967年10月に取締役に選任、1969年3月に東京支店長兼東京事務所長委嘱、1970年3月に常務、1982年4月に専務を経て、1987年4月に頭取に就任。1991年6月に会長に退き、1995年6月からは相談役を務めた。 2003年3月11日、心不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
伊夫伎 一雄(いぶき かずお、1920年〈大正9年〉7月8日… 伊夫伎 一雄(いぶき かずお、1920年〈大正9年〉7月8日 - 2009年〈平成21年〉9月2日 )は、日本の銀行家。三菱銀行頭取を務めた。 伊夫伎準一の長男として滋賀県で生まれ、東京で育つ。伊夫伎家は滋賀・伊夫伎神社の神官の家柄である。 1943年(昭和18年)に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に三菱銀行に入行した。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年(昭和19年)3月、経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官。第二工作部会計係官を務め、1945年(昭和20年)3月に主計大尉に進み終戦を迎えた。 戦後は三菱銀行に復帰。熱田支店長、調査部副部長、新橋支店長、大阪支店次長、調査部長を歴任。
熊崎 俊二郎(くまざき しゅんじろう、1920年(大正9年)… 熊崎 俊二郎(くまざき しゅんじろう、1920年(大正9年)6月30日 - )は、日本の銀行家。元北日本銀行会長、頭取。 愛媛県出身。 1982年、当時の北日本相互銀行社長である田中正一郎が入院しているさなか、見舞いを口実にある大蔵官僚が病室を訪れ、こう切り出したという。「徳陽(徳陽相互銀行)と合併して頂けませんか。」と。しかし、自主独立路線を堅持する方針であった田中は、申し出を拒絶。話はその場限りとなったという。 この折に大蔵官僚を病室まで案内したのが、同行専務取締役であった熊崎俊二郎その人であった。 熊崎は、熱心な金融再編論者として知られ、平成銀行構想があきらかにされた際には日本銀行、大蔵省間のパイプ役を自任し、同行の大株主であった企業を訪れ、合併に対する根回しを行っていたとされる。
井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月… 井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月10日 - 2000年〈平成12年〉12月7日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取、会長を歴任した。 秋田県秋田市出身。三菱銀行勤務を経て、秋田銀行入行。審査部長、仙台支店長等を歴任する。 1971年(昭和46年)に竣工となった現本店の建設地選考の際には、当時の役員ほぼ全員が旧本店跡地への建設へと傾いた中、企画部長であった井上が県庁、市役所などが集積し官庁街として新しい街並みが形成されつつあった「山王地区」の将来性に着目。3ヶ月で行内を説得し、同地区への新築へと構想を具体化したは長く行内でエピソードとして語り継がれた。 頭取在任時は、第二次オンラインシステムの稼動、預金残高1兆円の達成、CSモニター制の導入など営業体制の整備にあたった。
阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2… 阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2001年9月3日)は、日本の銀行家・エコノミスト・思想史家・翻訳家。 愛知県生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省に入省する。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍運輸本部付となり、徴用船の配船業務に従事。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 戦後は日本銀行に移り、調査局、広島支店、国庫局に在勤。その後日本輸出入銀行・アジア開発銀行に転じた。 2001年9月3日、肺腺癌のため死去。
森嶋 東三(もりしま とうぞう、1920年1月8日 - 19… 森嶋 東三(もりしま とうぞう、1920年1月8日 - 1984年6月7日)は、日本の経営者、銀行家。東ソー社長を務めた。山梨県出身。 1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に日本興業銀行に入行。1962年5月に取締役に就任し、1972年11月に常務を経て、1975年5月に副頭取に就任。1978年6月に東洋曹達工業(現在の東ソー)顧問と副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。 1984年6月7日胆管癌のために死去。64歳没。
玉城 俊一(たまき としかず、1920年(大正9年)1月4日… 玉城 俊一(たまき としかず、1920年(大正9年)1月4日 - 1991年(平成3年)7月17日)は、日本の銀行家。荘内銀行頭取を務めた。 東京生まれ。学徒出陣を経て安田銀行(のち富士銀行)入行。安田商店発祥の地である小舟町支店で取締役支店長を務めた。 1970年代、荘銀がメイン先を務める農機具製造の今間製作所(現:コンマ製作所)や、庄内交通等の経営危機が表面化しその不良債権処理に際して、ノウハウの提供と資金的、人的支援を安田銀行以来の親密先である富士銀行に求めることになり、玉城が招聘され第5代頭取に就任した。 頭取時代は、山形相互銀行(現:きらやか銀行)と折半出資により、エスワイコンピューターサービスを設立し、委託方式で共同オンラインを稼動させた。
金 聖煥(キム・ソンファン、朝: 김성환、1919年12月2… 金 聖煥(キム・ソンファン、朝: 김성환、1919年12月24日 - 1979年10月8日)は、大韓民国の銀行家、政治家。第11代韓国銀行総裁、第10代韓国国会議員を歴任した。 本貫は慶州金氏。号は蕙山(ヘサン、혜산)、漢字表記は金 聖喚とも。 日本統治時代の平安南道平壌府(現・朝鮮民主主義人民共和国平壌市)倉田里出身。1940年福島高等商業学校卒。その後朝鮮銀行に入行し、1945年時点で同行平壌支店支配人代理を務めた。解放後はしばらく同支店が改組した朝鮮中央銀行外城支店に勤めたが、朝鮮戦争中の韓国軍と国連軍の平壌入城により帰順し、通行証を得て釜山まで南下し韓国銀行に再入行した。1951年から韓国銀行計理課長・文書課長・秘書課長・貿易金融課長・業務課長・業務部次長・銀行監督部管理局長・外換管理部長・業務部長・理事・銀行監督院長・第11代総裁(1970年5月2日~1978年5月1日)を歴任した。
斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月1… 斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本の銀行家、実業家。和光証券(現 みずほ証券)第4代社長、元日本興業銀行常務取締役。柔道六段。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)出身。1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に新潟高等学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 日本興業銀行に入行、1942年(昭和17年)9月30日に海軍経理学校(第9期)に二年現役補修学生として入校、1943年(昭和18年)1月15日に海軍主計中尉に任官、1月30日に卒業、横須賀海軍航空隊に配属、1カ月後に父島海軍航空隊に転属、硫黄島の飛行場使用規定を作成したり、地元農業に価格政策を導入し、作物の種類を豊富にしたりして、半年後に相模野海軍航空隊に転属、間もなく軍事参議官副官(塚原二四三海軍大将付)として海軍省に勤務、1944年(昭和19年)5月1日に海軍主計大尉に任官、1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終戦。
渡辺 健三(わたなべ けんぞう、1919年11月15日 - … 渡辺 健三(わたなべ けんぞう、1919年11月15日 - 2011年3月5日)は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1943年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年10月に横浜正金銀行に入行した。1946年3月に長岡中学校に奉職し、1949年8月に北越銀行に転じ、1968年11月に取締役に就任し、1970年5月に常務、1976年10月に専務を経て、1981年6月には頭取に就任。1987年6月に会長、1993年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2011年3月5日、心不全のために死去。
李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11… 李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11月13日 - 2008年8月13日)は、大韓民国の経済学者、銀行家、実業家、政治家。 本貫は星州李氏(朝鮮語版)[要出典]。日本名星山 正雄。延世大学校教授などを経て、韓国銀行総裁や、大韓民国財務部長官、韓国産業銀行総裁、錦湖石油化学会長等を歴任した。金塔産業勲章受章。 慶尚南道東萊郡(のちの釜山広域市)出身。東萊中学校(のちの東萊高等学校(朝鮮語版))を経て、1941年東京商科大学(のちの一橋大学)予科修了。1944年同大学卒業。 釜山大学校教授、延世大学校教授を経て、1961年大韓民国財務部長官顧問。1962年農業協同組合中央会会長。
渡辺 康(わたなべ やすし、1919年(大正8年)10月10… 渡辺 康(わたなべ やすし、1919年(大正8年)10月10日 - 1985年(昭和60年)9月25日)は、日本の銀行家。東京銀行頭取を務めた。 千葉県出身。1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ブエノスアイレス支店長、営業部次長、国際投資部長を歴任。 1972年5月に取締役に選任、国際投資部長を委嘱。1973年10月取締役ニューヨーク支店長委嘱、常務、専務、副頭取を経て、1982年6月には頭取に昇格した。 1985年9月25日、肺炎のため、頭取在職中に死去。65歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤森 鉄雄(ふじもり てつお、藤森 鐵雄、1919年7月16… 藤森 鉄雄(ふじもり てつお、藤森 鐵雄、1919年7月16日 - 2011年11月7日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)会長、東京商工会議所副会頭、東京メトロポリタンテレビジョン初代代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、東北帝国大学(現・東北大学)法学部卒業。戦時中は学徒出陣を経験しており、1945年3月の東京大空襲の際は、当時の陸軍糧秣本廠所属の少尉として部下たちを防空壕に避難させていたが、結果防空壕が満員となり入ることができず、隅田川に飛び込んで一晩をやり過ごした。翌朝になって防空壕に戻ってみると、中の部下たちは全員窒息死しており、結果として九死に一生を得たという。
緒方 太郎(おがた たろう、1919年 <大正8年> 7月1… 緒方 太郎(おがた たろう、1919年 <大正8年> 7月10日 - 2003年 <平成15年> 12月8日)は、日本の銀行家。千葉銀行頭取を務めた。位階は正四位。 東京都出身。父は陸軍大将の緒方勝一。1943年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後、日銀に復帰し、1974年4月から1975年4月までに理事を務めた。 1975年5月に千葉銀行副頭取に就任し、1976年4月には頭取に昇格。1987年6月に会長に就任し、1991年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。
石田 治夫(いしだ はるお、1919年2月16日 - 202… 石田 治夫(いしだ はるお、1919年2月16日 - 2021年6月3日)は、日本の銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。 東京都出身。1940年に明治学院高等部を卒業。満鉄での勤務を経て、1953年に武蔵野銀行に転じ、1970年11月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1983年6月に頭取に就任。1987年6月に会長、1992年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1989年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2021年6月3日老衰のために死去。102歳没。
吉村 眞一(よしむら しんいち、1919年2月12日 - 1… 吉村 眞一(よしむら しんいち、1919年2月12日 - 1996年9月7日)は、日本の経営者、銀行家。四国銀行頭取を務めた。 高知県出身。1940年に高文行政科に合格し、1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大蔵省での勤務を経て、1968年5月に四国銀行に転じ、副頭取に就任し、1971年8月には頭取に昇格した。1985年6月に会長を経て、1987年8月に再び頭取に就任し、1988年6月には会長に退いた。 1989年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年9月7日、胃癌のために死去。77歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。