織坂 幸治(おざか こうじ、1930年1月1日 - )は、日… 織坂 幸治(おざか こうじ、1930年1月1日 - )は、日本の詩人。本名・中村靖 福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)に入学後、最後の海軍予科練生として15歳で終戦を迎える。福岡中学4年生に復学し卒業。西南学院大学中退後、映画会社、電通を経て、1974年(昭和49年)コピーライターを辞め喫茶店主に。会社員の時から詩集の発行を手掛け、詩人としても活動。1987年(昭和62年)文芸同人誌「海」の編集責任者となる。1991年(平成3年)から同誌に評論「言語風景論」を執筆。2003年(平成15年)一行詩一行句集「詩句発句」を刊行。1995年(平成7年)に福岡市文学賞受賞。
林 有厚(はやし ゆうこう、1930年(昭和5年)1月1日 … 林 有厚(はやし ゆうこう、1930年(昭和5年)1月1日 - )は、広島県出身の実業家。株式会社東京ドーム社長などを務める。
原田 實(はらだ みのる、1930年1月1日 - 2011年… 原田 實(はらだ みのる、1930年1月1日 - 2011年11月7日)は、日本の経営情報学者。 山口県出身。1947年福岡県中学修猷館、1949年旧制福岡高等学校文科甲類(第1学年終了)を経て、1955年九州大学経済学部を卒業。1960年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 1960年4月年西南学院大学商学部専任講師、1963年4月同助教授を経て、1969年4月九州大学経済学部助教授に転じ、1974年6月同教授に就任。経営労務論講座を担当。1988年4月経済学部組織変更に伴い企業管理講座を担当。 1985年4月から1987年3月まで九州大学評議員を務めた。 2011年11月瑞宝中綬章受章。
岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2… 岡崎 万寿秀(おかざき ますひで、1930年1月1日 - 2024年12月21日)は、日本の政治家、俳人。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党名誉幹部会顧問を経て、同党名誉役員。俳号は万寿(まんじゅ)。 佐賀県唐津市出身。1953年に中央大学法学部を卒業後、日本共産党の理論誌『前衛』の編集長を経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙の比例代表から出馬し日本共産党の第7位に登載されたが落選。同年の第37回衆議院議員総選挙に榊利夫の後継として旧東京2区から出馬し初当選。以後1986年の第38回衆議院議員総選挙でも再選を果たすものの、第39回、第40回の各衆院選で次点に終わる。 2024年12月21日死去。
戸田 金一(とだ きんいち、1930年1月1日 - )は、日… 戸田 金一(とだ きんいち、1930年1月1日 - )は、日本の歴史学者・教育学者。秋田大学名誉教授。元聖園学園短期大学保育科教授。専門は近代日本教育史・教育学。 栃木県に生まれる。1953年、東京文理科大学教育学科卒業。秋田大学教授、八戸工業大学教授、聖園学園短期大学教授をへて、秋田大学名誉教授、教育学博士。1981年に秋田市文化賞、1994年に北方教育特別賞を受賞。かつて皇民化教育を批判的に研究していた。2008年秋の叙勲で、瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤浦 敦(ふじうら あつし、1930年1月1日 - 2023… 藤浦 敦(ふじうら あつし、1930年1月1日 - 2023年5月28日)は、日本の映画監督・プロデューサー、脚本家、落語作家。 東京都港区赤坂出身で、実家は青果問屋の家系。先々代藤浦周吉(三周)が初代三遊亭圓朝一門を経済的に支援した縁から「圓朝」の名跡を預かることになり、「三遊派宗家」を名乗る。 祖父は藤浦周吉(三周)、父は東京市会議員も務め東京中央青果株式会社(現在の東京シティ青果株式会社)の初代社長で三遊亭圓朝関連の著書も多数出版した藤浦富太郎。 1952年早稲田大学政治経済学部卒業後、同大学大学院国文科を中退し、読売新聞記者を経て、1954年、日活入社。助監督となり、伊藤大輔監督を師と仰ぐ。
坂倉 藤吾(さかくら とうご、1930年(昭和5年)1月1日… 坂倉 藤吾(さかくら とうご、1930年(昭和5年)1月1日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 三重県伊勢市出身。名古屋逓信講習所(現在の郵政大学校)卒業。郵便局に勤務した。全逓信労働組合三重地区書記長、全逓信労働組合副委員長、全逓信労働組合執行委員長、三重県労働協議会副委員長、部落解放同盟の三重県共闘会議議長を歴任。 1977年(昭和52年)の第11回参議院議員通常選挙で、日本社会党公認で三重県選挙区から立候補して、284483票(得票率34.7%)を獲得し、自由民主党の久保田藤麿や新自由クラブの候補者の田中覚を破り47歳で当選する。1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙で自由民主党候補の水谷力に敗れて落選する。
生井 健夫(なまい たけお、1930年1月1日 - 2019… 生井 健夫(なまい たけお、1930年1月1日 - 2019年8月29日)は、日本の男性俳優、声優。栃木県日光市出身。生前はプロダクション・タンクに所属。身長166cm、体重80kg。 劇団俳優座2期生。劇団仲間代表。第52回文化庁芸術祭演劇部門優秀賞。 1963年放送のテレビドラマ『戦友』では滝原軍曹役で主演を務めた。 2019年8月29日死去。89歳没。 趣味・特技は書道(50年)師範、オペラ演出。 『特別機動捜査隊』の佐久間刑事など、現代劇では刑事役を演じることが多かった。
田原 基稔(たはら もととし、1929年1月1日 - 199… 田原 基稔(たはら もととし、1929年1月1日 - 1996年)は、北海道出身のプロ野球選手(投手)。 弟は元中日ドラゴンズ投手の田原藤太郎。 北海中から社会人野球の札幌鉄道局を経て、1950年に新たに創立された国鉄スワローズに参加。 1年目は56試合に登板し、負けは22敗と多かったものの勝ち星は4完封を含める13勝を挙げ、チーム投手陣の中で1番の成績だった。1951年は31試合に登板するが4勝12敗と成績は振るわなかった。1952年は完封勝利の1勝しか挙げられず、1953年は1軍での登板がなかった。 1954年は中日ドラゴンズでプレーするが1軍登板は1試合に終わり、同年限りで現役を引退した。
庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日… 庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の法学者(刑事訴訟法・冤罪事件)、弁護士。法学博士。「狭山事件の再審を求める市民の会」代表。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制群馬県立桐生中学校、学習院高等科を経て、1960年京都大学法学部を卒業。1963年一橋大学大学院法学研究科刑事法学修士課程修了、1966年同博士課程満期退学。指導教官は植松正。1979年「民衆刑事司法の動態の研究」で法学博士(京都大学)の学位を取得。 1966年中京大学法学部助教授、1971年同教授、1981年から1983年まで同学部長。1983年から香川大学法学部教授、1985年から1987年まで同学部長。
岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1… 岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月24日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した報道写真で知られる。 東京府出身。大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の長男として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。父のいとこに二・二六事件判決後に後追い自殺した海軍少佐堤正之、伯父(父の姉の夫)に医学者緒方知三郎、弟に、後の俳優岡村春彦がいる。 学習院初等科から学習院中等科に進むが退学。
疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日… 疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日 - )は、日本の実業家。コーナン商事創業者、初代代表取締役社長。 和歌山県新宮市生まれ。1945年(昭和20年)大阪市立住吉商業高等学校卒業。1951年(昭和26年)関西大学文学部英文科卒業。 寺下石油、木津川タンカー勤務を経て、28歳で石油商社「木津川石油商会」を立ち上げ、1961年「港南石油商会」創業、1970年(昭和45年)石油販売会社・日本燃料販売設立。石油危機をきっかけに事業の多角化を図るため、1978年(昭和53年)ホームセンター事業のコーナン商事設立。ホームセンターの草分けとして発展し、近畿地区トップのチェーンに成長させ、2001年には東証一部上場を果たした。
梅津 和郎(うめづ かずろう、1929年1月1日 - )は、… 梅津 和郎(うめづ かずろう、1929年1月1日 - )は、日本の政治・経済学者、大阪外国語大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授。 島根県松江市出身。別名・田中一狼。1959年京都大学大学院経済学研究科国際経済論博士課程満期退学、1964年「日本の貿易思想 日本貿易政策思想史研究」で経済学博士。大阪外国語大学講師、助教授、教授を経て、名古屋市立大学教授。1994年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授を務めた。1964年日本商業学会賞受賞。国際政治、大学経営などに健筆をふるった。2011年瑞宝中綬章受章。
桐谷 圭治(きりたに けいじ、1929年 <昭和4年> 1月… 桐谷 圭治(きりたに けいじ、1929年 <昭和4年> 1月1日 - 2020年 <令和2年> 2月2日)は、日本の生態学者。専門は、昆虫学・生態学。日本応用動物昆虫学会名誉会員、アメリカ昆虫学会フェロー。位階は正六位。 1929年大阪府生まれ。1954年京都大学農林生物学科卒業。1959年京都大学大学院農学研究科博士課程中退。1959年和歌山県農業試験場朝来試験地主任。1966年高知県農業技術研究所専門研究員。1979年農林水産省農業技術研究所昆虫科害虫防除第2研究室長。1983年農林水産省農業環境技術研究所昆虫管理科長。1989年アジア・太平洋地区食糧技術センター副所長。1996年農林水産省農業環境技術研究所名誉研究員。
佐竹 明(さたけ あきら、1929年1月1日 - 2024年… 佐竹 明(さたけ あきら、1929年1月1日 - 2024年10月21日)は、日本の聖書学者、広島大学名誉教授。 東京府(現東京都新宿区)出身。 1953年東京大学教養学部教養学科卒、1955年同大学院人文科学研究科西洋古典学専攻修士課程修了、1956年から1959年まで西ドイツ・ハイデルベルク大学、スイス・チューリヒ大学神学部に留学。1959年から1962年までハイデルベルク大学付牧師。1963年ハイデルベルク大学神学博士。1963年から1976年まで青山学院大学文学部神学科助教授、教授。1977年から1990年まで広島大学総合科学部教授。1990年から2004年までフェリス女学院大学教授。1996年から2004年まで同大学学長。
田村 諄之輔(たむら じゅんのすけ、1929年(昭和4年)1… 田村 諄之輔(たむら じゅんのすけ、1929年(昭和4年)1月1日 - 2011年(平成23年)9月6日)は、日本の法学者。専門は商法、特に会社法。学位は、博士(法学)。東京都出身。 1961年(昭和36年) 東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手。1964年(昭和39年) 立教大学専任講師、1966年(昭和41年) 同助教授。1970年(昭和45年)上智大学法学部助教授、1975年(昭和50年)同教授。1987年(昭和62年)上智大学法学部長。1994年定年、特別契約教授。1998年(平成10年)退職、名誉教授、東亜大学教授。2000年(平成12年) 博士(法学)(早稲田大学)。 学外では、日本信託法学会理事、同常務理事、日本学術会議民事法学研究連絡委員会委員、法制審議会商法部会委員、司法試験考査委員などを歴任した。
坪田 昭三(つぼた しょうぞう、1929年1月1日 - )は… 坪田 昭三(つぼた しょうぞう、1929年1月1日 - )は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 1945年、静岡県立静岡中学校卒業。宅孝二、福井直俊に師事し、1949年、東京音楽学校卒業。1950年、第19回日本音楽コンクール第3位入賞。1951年、東京音楽学校研究科修了。同年、第1回リサイタル、その後、放送、オーケストラとの共演、巌本真理弦楽四重奏団との共演など、室内楽の分野でも活躍。1983年と1984年には霧島国際音楽祭に参加。ゲルハルト・ボッセ(Vn)、ミラン・シュカンパ(Va)、アントニン・コホート(Vc)、ミロシュ・サドロ(Vc)等と共演。これまでに、巌本真理、黒岩俊夫とのベートーヴェンのピアノ三重奏曲の連続演奏により、民放最優秀賞、「巌本真理を中心とする10人の演奏グループ」によるブラームス室内楽連続演奏会により、毎日芸術賞、明治百年記念芸術祭賞などを受賞。
上野 正彦(うえの まさひこ、1929年1月1日 - )は、… 上野 正彦(うえの まさひこ、1929年1月1日 - )は、日本の法医学者、医事評論家、作家。元東京都監察医務院長。医学博士(日本大学)。専門は法医学。 解剖5,000体以上、検死20,000体以上の死体を見てきた死体の専門家。 茨城県生まれ、小学6年間を北海道美国町(現在の積丹町)で過ごす。実父は美国町で開業医として無償で多くの診療を行い名誉町民となる。地元に旧制中学がないため上京。1954年東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。1959年医学博士(日本大学)、論文は「酸塩基平衡失調時の寒冷血球凝集反応」、 同年東京都監察医務院に入り監察医となる。1984年同院長。その間、1981年から厚生省医道審議会委員、1984年杏林大学医学部客員教授を務める。
菊池 敏夫(きくち としお、1929年1月1日 - )は、日… 菊池 敏夫(きくち としお、1929年1月1日 - )は、日本の経営学者。日本大学名誉教授。 1951年早稲田大学政治経済学部卒、1954年同大学院修士課程修了。1956年千葉商科大学講師、助教授、1966年教授、1974年日本大学経済学部教授となる。1999年定年、名誉教授、中央学院大学特任教授、客員教授を務めた。2012年瑞宝中綬章受勲。経営行動研究学会会長を務めた。
中島 春雄(なかじま はるお、1929年〈昭和4年〉1月1日… 中島 春雄(なかじま はるお、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 2017年〈平成29年〉8月7日)は、日本の俳優、スーツアクター、スタントマン。愛称は春ちゃん。山形県酒田市出身。趣味・特技は水泳、潜水、スキューバ・ダイビング、柔道。 実家は食堂を兼ねた肉屋で、5人兄弟の三男(末子)だった。水泳・素潜りが得意で、のちのゴジラ役では大いにこれが役立った。三男坊で家業は継げず、父親の死去や中学受験に失敗したことなども重なり、小学校卒業後に横須賀へ移る。 1943年(昭和18年)、14歳で横須賀の海軍航空技術廠の養成所に入る。 1944年(昭和19年)、養成員(予科錬)となり、航空母艦信濃の発着機部(カタパルト担当)配属となる。
鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - 2022… 鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - 2022年11月2日)は、日本の経済学者。専門はゲーム理論、日本の第一人者として中村健二郎ら有数の研究者を育てるとともに、『ゲーム理論入門』などの著書を残した。学位は、経済学博士(東北大学)。東京工業大学名誉教授。東京工業大学教授(工学部社会工学科、理学部情報科学科)、東京理科大学教授(工学部経営工学科、経営学部)を歴任。学徒勤労動員の著書でも知られる。瑞宝中綬章受章者(2013年)。 福島県石川郡石川町出身。3人の兄がいたが長兄と三兄は鈴木光男が生まれる前に夭逝し、次兄も鈴木が5歳の時亡くなっている。1943年4月、石川町立尋常小学校に入学する。
増田 芳雄(ますだ よしお、1928年1月1日 -2017年… 増田 芳雄(ますだ よしお、1928年1月1日 -2017年3月22日)は、日本の植物学者。理学博士(京都大学・1961年)。大阪市立大学名誉教授。スイス・ローザンヌ大学名誉博士。 関東州大連市生まれ。敗戦で引き揚げ、松山高等学校卒。1953年、京都大学理学部植物学科卒業。1961年、「オーキシン作用機作の細胞生理学的研究」で京都大学より理学博士の学位を取得。1965年、大阪市立大学理学部助教授、のち1971年に教授。1991年、定年退官、名誉教授、帝塚山学園人間科学研究所所長、帝塚山短期大学教授。1997年、退任。スイス・ローザンヌ大学名誉博士、国際植物成長物質学会会長。退任後は、ウィーン音楽に関する論文をいくつか執筆している。
飯田 文彌(いいだ ぶんや、1928年(昭和3年)1月1日 … 飯田 文彌(いいだ ぶんや、1928年(昭和3年)1月1日 - )は、日本の歴史学者・郷土史家。山梨郷土研究会会員。 山梨県山梨市下神内川に生まれる。1952年(昭和27年)3月に中央大学法学部を卒業後、同年4月に山梨県の高等学校教員となり山梨県立山梨高等学校に配属される。 翌1954年4月には谷村高等学校教諭となり、菅沼英雄・手塚寿男らとクラブ活動としての郷土研究を行い、1957年(昭和32年)には『郡内機業発達史』として刊行する。なお、同年には甲斐史学会が立ち上げられており、飯田も会員として参加し機関紙『甲斐史学』に論考を発表している。以来、主に甲斐国近世期の経済産業史・百姓一揆や民衆生活史に関して研究を行う。
内須川 洸(うちすがわ ひろし、1928年1月1日 - 20… 内須川 洸(うちすがわ ひろし、1928年1月1日 - 2016年11月10日)は、日本の教育心理学者。筑波大学名誉教授。吃音教育が専門。 東京出身。1955年東京大学教育学部卒、1960年同大学院博士課程満期退学、62年「吃音の診断法に関する臨床心理学的研究」で教育学博士。1960年東京慈恵会医科大学助教授、1963年東京学芸大学特殊教育研究施設助教授、1974年大阪教育大学教授、1978年筑波大学教授、92年定年退官、名誉教授、昭和女子大学教授・生活心理研究所所長。従四位、瑞宝中綬章追贈。
江藤 价泰(えとう よしひろ、1928年1月1日-2016年… 江藤 价泰(えとう よしひろ、1928年1月1日-2016年3月21日)は、日本の法学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。東京出身。師は兼子一。ゼミ出身者に足立啓明他。 1952年東京大学法学部法律学科卒業。1952年東京都立大学人文学部助手。1957年同法経学部助手。1958年同法経学部助教授。1966年同法学部助教授。1967年同法学部教授。1989年東京都立大学停年退官。同名誉教授。大東文化大学法学部法律学科教授。1991年同法学研究所長(1997年まで)。1997年同法学部長・学校法人大東文化学園理事(1999年まで)。2001年大東文化大学定年退職。 この他に、東京都立大学評議員や東京都立大学学生部長、大東文化大学附属図書館長、日本国際法律家協会会長、日本司法書士会連合会顧問などを歴任。
三浦 洸一(みうら こういち、1928年1月1日 - 202… 三浦 洸一(みうら こういち、1928年1月1日 - 2025年1月11日)は、日本の歌手。本名は、桑田 利康(くわた としやす)。 神奈川県三浦市出身。持ち歌は文芸を題材にして書かれた曲いわゆる「文芸歌謡」が多い。謹厳実直な歌唱法が特長で、社歌や自治体制作の音頭など委託制作盤も多数吹き込んでいる。血液型はA型。 神奈川県三浦市三崎地区の浄土真宗本願寺派最福寺の三男・第四子(四人兄弟の末っ子)として出生。長兄は陸軍に入隊しビルマで戦死したため、次兄が住職を継ぐ。その次兄も1993年に死去し、現在は甥(次兄の長男)が住職を務めている。幼少期より厳格な祖父のもと、読経を学ぶ。 現在の三浦市立三崎小学校、市立横須賀商業学校を卒業。
吉野 正敏(よしの まさとし、1928年1月1日 -2017… 吉野 正敏(よしの まさとし、1928年1月1日 -2017年7月4日)は、日本の地理学者・気候学者・気象学者。東京都出身。 東京文理科大学地学科地理学卒。東京教育大学大学院、1953年同助手、1961年「風に及ぼす小地形の影響」で理学博士の学位を取得。1957年に法政大学助教授となり、その後、教授となる。1961-1963年ボン大学研究奨学生。1974年に筑波大学教授となり、1992年に定年退官し名誉教授となる。その後、愛知大学教授となる。1967-1968年ハイデルベルク大学客員教授。 2001年から2010年まで国際連合大学の上席学術顧問をつとめた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 202… 田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 2024年9月12日)は、日本の合唱指揮者。東京混声合唱団の創立者。新潟県出身。東京藝術大学講師、桐朋学園大学客員教授、国立音楽大学招聘教授を歴任。 作曲家と協力して日本の合唱音楽の創造に尽くし、400曲以上に渡る合唱曲の初演の指揮を行った。 旧制大阪高校中退。合唱部の後輩に作曲家の多田武彦がいる。1951年、中学校教員を退職し、NHK大阪放送合唱団へ入団。指揮者であった森本芳雄の死去により急遽指揮者を務めたことが指揮者デビューとなる。1952年、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学。声楽をネトケ=レーヴェ、指揮法をクルト・ヴェスの各氏に師事する。
小宮山 昭一(こみやま しょういち、1928年1月1日 - … 小宮山 昭一(こみやま しょういち、1928年1月1日 - 2013年1月21日)は、日本の実業家、埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)元専務、学校法人立教学院元理事長。 1928年生まれ。1950年、立教大学経済学部経済学科卒業。 埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)に入行。銀行では広報マンとして広報業務を担った。 同行専務を務める。同行退職後、1995年7月から2007年5月まで学校法人立教学院理事長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 19… 坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 1985年12月21日)は、日本の西洋美術史研究家、美術評論家。早稲田大学教授。父は美術史家坂崎坦。東京都生まれ。 『夜の画家たち』などの著作でドイツ表現派や幻想派の画家を紹介、評論活動、執筆活動をおこなう。深井克美など無名の芸術家の紹介にも力をそそいだ。1985年9月7日に自殺した盟友鴨居玲の後を追うように同年12月21日に自殺。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
橋本 一明(はしもと いちめい、1927年〈昭和2年〉1月1… 橋本 一明(はしもと いちめい、1927年〈昭和2年〉1月1日 - 1969年〈昭和44年〉1月29日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。國學院大學教授。 群馬県碓氷郡原市町(現・安中市)に生まれる。旧制群馬県立高崎中学校、旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部仏文科を卒業。一高在学時代には原口統三の影響を受け、フランス象徴派の詩人、特にアルチュール・ランボーを研究した。1965年(昭和40年)國學院大学教授。 42歳で肺癌により死去した。墓所は高崎市八幡霊園。 小説家の丸谷才一は國學院大学で同僚だった橋本について次のように語っている。 「わたしの二十代の末から十数年間の国学院時代――と名づけてゐるのですが、その国学院時代のわたしの生活にいちばん縁の深いのはこの三人(注・橋本一明、菊池武一、佐藤謙三)でした。
出光 裕治(いでみつ ゆうじ、1927年1月1日 - )は、… 出光 裕治(いでみつ ゆうじ、1927年1月1日 - )は、日本の実業家。第6代出光興産代表取締役社長。第6代日本プラントメンテナンス協会会長。第16代石油連盟会長。 出光興産創業者出光佐三の兄雄平の次男。1943年東京府立第一中学校4年修了。旧制浦和高等学校を経て、九州大学法文学部経済科卒業、マルクス経済学の高橋正雄ゼミ出身。1993年から出光興産社長を務めた。1994年日本プラントメンテナンス協会会長。 1995年には出光興産からは出光計助、石田正実に続き3人目となる石油連盟会長に就任。1998年出光興産相談役に退いた。 2012年旭日重光章受章。
式 正英(しき まさひで、1927年1月1日 - 2024年… 式 正英(しき まさひで、1927年1月1日 - 2024年9月28日)は、日本の地理学者、お茶の水女子大学名誉教授。 東京府荏原郡入新井町(現東京都大田区)生まれ。1948年第一高等学校理科甲類卒業、1951年東京大学理学部地理学科卒業、1953年同大学院前期課程修了、建設省地図調査部地理部勤務、1959年お茶の水女子大学文教育学部講師となり、1961年助教授、1973年教授。1978年文教育学部長、1992年定年退官、名誉教授となる。2024年9月28日、肺炎のため東京都内の病院で死去。97歳没。 2005年11月瑞宝中綬章受章。
沖浦 和光(おきうら かずてる、1927年1月1日 - 20… 沖浦 和光(おきうら かずてる、1927年1月1日 - 2015年7月8日)は、日本の社会学者、民俗学者。桃山学院大学名誉教授、同大学長。専攻は芸術論、社会思想史、比較文化論。もっぱら被差別民、被差別部落、マルクス主義的民族論などの研究を行う。 大阪府豊能郡箕面村半丁(現・箕面市)の生まれ。小学校2年生のころに大阪市内の紀州街道沿いにある下町の長屋に引っ越す。 箕面村牧落小学校、大阪市阿倍野区晴明丘小学校、住吉区田辺小学校と転校を繰り返したのち、私立桃山中学校、旧制浪速高等学校文科甲類を経て、1953年東京大学英文科でアメリカ文学を研究。東大卒業後、大学院に進学するかたわら、大田区立大森第八中学校で英語を教える。
伊藤 玲子(いとう れいこ、1927年1月1日 - )は、日… 伊藤 玲子(いとう れいこ、1927年1月1日 - )は、日本の政治家。「体罰の会」発起人。美しい日本をつくる会代表、「建て直そう日本 女性塾」幹事長、元鎌倉市議会議員、新しい歴史教科書をつくる会顧問。美しい日本をつくる会の代表を務めた。
黒田 吉益(くろだ よします、1927年1月1日 - 202… 黒田 吉益(くろだ よします、1927年1月1日 - 2021年1月4日)は、日本の地球科学者。専門は岩石学・地球化学。学位は、理学博士(東京教育大学)。信州大学名誉教授。元日本地質学会会長。元日本学術会議会員。 九州大学理学部地質学科卒業。東京教育大学理学部助手、信州大学理学部教授を経て、信州大学名誉教授。日本地質学会会長や、日本学術会議会員(第4部)を務めた。1960年東京教育大学より理学博士学位を取得。 国際協力事業団の技術援助プロジェクトとして、中国科学院地質与地球物理研究所に多数の日本人研究者を送り込み、技術協力・共同研究を促進した。これにより2002年、中華人民共和国「国際科学技術協力賞」を受賞。
吉成 儀(よしなり ただし、1927年 <昭和2年> 1月1… 吉成 儀(よしなり ただし、1927年 <昭和2年> 1月1日 - 2012年 <平成24年> 10月1日)は、日本の経営者。京葉銀行頭取を務めた。位階は従五位。長女の夫はノーベル生理学・医学賞受賞者の利根川進。 千葉県出身。1953年に拓殖大学商学部経営学科を卒業し、同年5月に千葉相互銀行(現在の京葉銀行)に入行した。1968年4月に取締役に就任し、1969年10月に常務、1972年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1980年6月には社長に昇格。1990年6月に会長に就任し、1998年10月から2000年4月までに頭取も兼任した。 2000年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2012年10月1日、急性心不全のために死去。
高橋 和平(たかはし まさひら、1927年(昭和2年)1月1… 高橋 和平(たかはし まさひら、1927年(昭和2年)1月1日 - 2014年(平成26年)1月15日)は日本の実業家、元日本フエルト社長・会長、元日本フエルト商事専務。 東京都出身。趣味は音楽・ゴルフ。 1948年(昭和23年)、東京大学第一工学部建築学科卒業。1952年(昭和27年)東京工業大学研究科繊維コース卒業、日本フエルト入社。1974年(昭和49年)同社取締役、1979年(昭和54年)常務取締役、1983年(昭和58年)専務取締役、1989年(平成元年)代表取締役社長、1995年(平成7年)代表取締役会長。 2014年1月15日、肺癌のため死去、87歳。 交詢社 第69版 『日本紳士録』 1986年 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
塩路 一郎(しおじ いちろう、1927年〈昭和2年〉1月1日… 塩路 一郎(しおじ いちろう、1927年〈昭和2年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉2月1日)は、日本の労働運動家。東京出身で明治大学法学部夜間部卒。1953年(昭和28年)の日産争議における活動で日産自動車社内で権力を得て、日産自動車労働組合書記長として、1986年(昭和61年)の失脚まで経営陣よりも日産の経営や人事を牛耳る絶対的権力者・独裁者であった 。自動車労連(日本自動車産業労働組合連合会)会長(1962年〈昭和37年〉就任)、ILO(国際労働機関)理事(1969年〈昭和44年〉就任)、自動車総連会長(1972年〈昭和47年〉の結成時に就任)も務めた。 東京市神田(現・東京都千代田区北東部)生まれ。
大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 19… 大谷 茂盛(おおたに しげもり、1926年1月1日 - 1990年10月15日)は、日本の化学工学者。元東北大学総長。従三位勲二等旭日重光章。 1926年、長野県南安曇郡真々部村(現・安曇野市)生まれ。1943年に 旧制長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)を卒業。旧制山梨工業専門学校(現・山梨大学工学部)に進んで1945年に卒業した。戦後、東北大学大学院第1期特別研究員として東北大学大学院工学部機械工学科で学び、1949年に卒業した。 1960年、東北大学工学部助教授に着任。1965年、「粒状物質内における水分移動に関する研究」を提出して、工学博士号を取得。また、同年に東北大学工学部化学工学科教授に昇進。
前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 … 前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。 奈良県吉野郡下市町広橋で、父理策、母可志の二男として誕生。旧制奈良中学(現・奈良県立奈良高等学校)を経て、同志社大学経済学部に入学するが、1945年(昭和20年)に応召されて中退。戦後まもなく詩作を始め、フランスやドイツの詩を学ぶ一方、柳田國男や折口信夫の民俗学にも傾倒した。1951年(昭和26年)に吉野に戻り、前川佐美雄を訪問。1956年(昭和31年)、詩集『宇宙駅』を刊行した。 その後、短歌に転じ、前川に師事する。
千原 雅生(ちはら まさお、1926年1月1日 - )は、大… 千原 雅生(ちはら まさお、1926年1月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは三塁手。
松下 康雄(まつした やすお、1926年1月1日 -)は、兵… 松下 康雄(まつした やすお、1926年1月1日 -)は、兵庫県神戸市出身の第27代日本銀行総裁。元大蔵事務次官。
佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年… 佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年3月1日)は、日本の経済学者、新潟大学名誉教授。
津田 禾粒(つだ かりゅう、1926年1月1日 - 1995… 津田 禾粒(つだ かりゅう、1926年1月1日 - 1995年12月30日)は、日本の古生物学者、地質学者。元新潟大学学長。 富山県上新川郡大沢野町(現・富山市)に生まれる。1949年に京都大学理学部を卒業。1951年、京都大学大学院を退学。同年3月、新潟大学理学部助手。1968年6月から同大学教授。1973年4月から同大学教養部教授。同年11月から10ヶ月間、ナイジェリアのイバダン大学招聘教授。1985年11月、新潟大学学長茂野六花の急死に伴い事務取扱学長。翌年2月より1992年1月まで、第10代新潟大学学長。 1992年1月に新潟大学を退官。1995年12月30日に食道がんにより、新潟大学医学部付属病院で死去。
佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年… 佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年3月1日)は、日本の経済学者。新潟大学名誉教授。専門は、財政学、地方財政論。東京都生まれ。勲二等瑞宝章受章。 東京都行財政調査会専門委員、税制調査会専門委員、特別区政調査会委員、外務公務員採用上級職試験委員、東京都市政調査会藤田賞選考委員などを歴任。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
原後 山治(はらご さんじ、1926年(大正15年)1月1日… 原後 山治(はらご さんじ、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)8月25日)は、日本の弁護士。 1926年和歌山県生まれ。1951年(昭和26年)東京大学法学部政治学科を卒業。1973年(昭和48年)から日本弁護士連合会理事。1981年(昭和56年)から1987年(昭和62年)まで同連合会の法廷委員会委員長を務めた。 在日韓国人の司法修習生採用をめぐる問題で弁護団長を務め、外国籍の人に門戸を開いた。このほか、法廷傍聴人のメモをめぐり「知る権利」が争われた訴訟、法廷外での弁護士仲裁制度の創設などに尽力した。 2008年8月25日、肺炎のため死去。墓所は多磨霊園。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
日野 資純(ひの すけずみ、1926年(大正15年)1月1日… 日野 資純(ひの すけずみ、1926年(大正15年)1月1日 - 2019年(令和元年)8月22日)は、日本の国語学者・方言学者。伯爵。静岡大学名誉教授。 東京出身。日野家の末裔で、父は伯爵・日野捷郎(ドイツ文学者・実吉捷郎)。1931年に父が隠居したため(間もなく離婚し、日野家を出た)、同年3月17日、5歳で伯爵を襲爵した。 1951年に東京大学文学部国文科卒、同助手となる。1954年に弘前大学講師、1958年に駒澤大学講師、1959年に静岡大学助教授、1972年に教授となり、1989年に定年退官、名誉教授、静岡英和女学院短期大学教授を務め、1996年に退職。
村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日… 村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日 - 2010年(平成22年)3月11日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取。 宮城県亘理町出身。東京大学経済学部卒業後、七十七銀行入行。 総務、人事、融資部門を長く担当した実務派で、銀行業務全般に通じた手腕が買われ、1991年に頭取に就任した。 頭取在任時においては、ATMの日曜稼動、7ヶ店の支店出張所の新設など営業基盤の拡充に取り組んだ。 仙台商工会議所会頭時代は、大手の圧力に対して仙台市の伝統である1月2日初売りを堅持する方針を崩さず、元日営業の店舗でも基本的に通常営業にとどめさせ、いわゆる「初売り」は2日に行わせるという方針を徹底させた。
本山 一雄 (もとやま かずお、1926年 <大正15年> … 本山 一雄 (もとやま かずお、1926年 <大正15年> 1月1日 - 2019年 <令和元年> 7月13日) は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1949年に東京大学経済学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1980年3月に取締役に就任し、1984年3月に常務を経て、1987年3月に社長に就任。1993年3月に会長に就任し、1999年6月には相談役に就任。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2019年7月13日、心不全のために死去。93歳没。死没日付をもって従四位に叙された。