金子 啓明(かねこ ひろあき、1947年3月1日 - )は、… 金子 啓明(かねこ ひろあき、1947年3月1日 - )は、日本の美術史学者。専門は日本彫刻史。東京国立博物館名誉館員。 東京都出身。慶應義塾大学大学院修士課程修了後、東京国立博物館にて仏像彫刻史を研究。同館にて彫刻室長、法隆寺宝物室長、企画課長、事業部長、副館長を歴任。慶應義塾大学文学部教授、日本大学芸術学部客員教授、興福寺国宝館館長(2008年~2018年)などを務めた。 東京国立博物館の企画展として「金銅仏 中国・朝鮮・日本」展(1987年)、「大和古寺の仏たち」(1993年)、「法隆寺献納宝物」(1996年)、「仏像 一木にこめられた祈り」(2006年)、「国宝 薬師寺展」(2008年)、「国宝 阿修羅展」(2009年)などを手がけ、成功に導いた。
副田 護(そえだ まもる、1947年3月1日 - )は日本の… 副田 護(そえだ まもる、1947年3月1日 - )は日本の編集者、小説家、ノンフィクション作家。 福岡県福岡市に生まれる。中央大学付属高等学校を経て、1971年慶応義塾大学商学部卒業。 産経新聞、交通遺児育英会勤務後、1973年桃園書房入社。1976年『月刊小説』編集長就任、1977年『小説春秋』編集長兼任、1979年『小説CLUB』編集長兼任。 桃園書房在職中から少年マガジン、少年サンデー、ビッグコミック、漫画アクションなどに、神谷不志夫、依田功のペンネームで記事を連載。1985年桃園書房退社。 1987年㈲ブックランド設立、代表就任。2001年㈲ブックランド解散、㈲企画集団トモ設立、代表就任。
村石宏實(むらいし ひろちか、1947年3月1日 - 202… 村石宏實(むらいし ひろちか、1947年3月1日 - 2022年3月27日)は、日本の演出家・映画監督。別名は村名 宏美、村名 宏実、村石 ヒロチカ。 東京都出身。東京写真大学(現・東京工芸大学)卒。 1967年、円谷プロダクションに入社し光学撮影部に配属、光学撮影スタッフとして『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』に参加した。『怪奇大作戦』の終了後、番組制作が途切れた際に、特殊技術の大木淳吉から『快獣ブースカ』でチーフ助監督を務めていた大映テレビの松生秀二を紹介され、助監督に転向し『東京警備指令 ザ・ガードマン』へ参加。三船プロダクションや東映などで経験を積み、1973年に自主作品『OH!カオ』で監督デビューする。
三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 -… 三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 - )は、埼玉県川越市出身の落語家。五代目圓楽一門会顧問。出囃子は『松の太夫』または『正札付』。本名:内田 啓次。 1965年10月、五代目三遊亭圓楽に入門。五代目圓楽の総領弟子であり、圓楽の師匠・六代目三遊亭圓生にとって初の孫弟子であった。前座名は圓生の本名「山崎松尾」から一字をとり「楽松」と名付けられた。入門時に師匠の圓楽は自身の活動が忙しく、また当時は大師匠・圓生の身の回りの世話をする前座がいなかったため、圓生のもとに預けられて修行する。圓生は「初孫」として可愛がってくれたが、稽古の時だけは怖ろしかったという。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、金原亭駒三、三遊亭梅生、立川談十郎とともに二ツ目昇進。
垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日… 垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日 - )は、日本の空手家で、沖縄空手道小林流尚倫會沖縄本部道場範士。国際沖縄小林流空手道連盟の会長でもある。沖縄県宮古島宮古島市(旧・平良市)出身。段位は十段。 1988年10月、沖縄空手道小林流小林館協会垣の花道場開設。同道場に於ける門下生指導と共に沖縄県初の施設機能強化推進費の補助を基に美さと児童園空手クラブを結成。 1990年5月、社会福祉法人国際福祉会理事長末吉業信を会長として、青少年の健全育成、国際交流親善を標榜する沖縄空手道小林流尚倫會を発足。現在は同会副会長。 1992年7月、沖縄コンベンションセンター会議棟ならびに展示棟に於いて琉球・韓国青少年交流祭を第一部シンポジウム、第二部交流祭の構成にて開催。
久米重治(くめ じゅうじ、1946年3月1日 - 2008年… 久米重治(くめ じゅうじ、1946年3月1日 - 2008年5月9日)は日本の大蔵官僚。横浜税関長、大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長などを歴任。趣味はスポーツ観戦。血液型はB型。 大阪府泉南郡出身(父は徳島県、母は三重県)。大阪府立北野高等学校、東京大学法学部卒業。1968年 大蔵省に入省(理財局資金課)。1973年7月 大館税務署長。外務省在インド日本大使館勤務、理財局国有財産総括課長補佐(総括・総務・審査)、理財局資金第一課長補佐、大阪税関総務部長、理財局総務課たばこ塩事業室長、東京税関総務部長などを経て、1991年6月 経済企画庁総合計画局計画課長。1993年6月25日 横浜税関長。
若井 康彦(わかい やすひこ、1946年3月1日 - )は、… 若井 康彦(わかい やすひこ、1946年3月1日 - )は、日本の政治家、都市計画家。
里村正治(さとむら せいじ、1946年(昭和21年)3月1日… 里村正治(さとむら せいじ、1946年(昭和21年)3月1日 - )は、日本の銀行家。フィデアホールディングス顧問。 東京都出身。東大教養学部卒業後、富士銀行入行。同期入行には、南日本銀行頭取である森俊英、スルガ銀行社長である岡野光喜らがいた。 同行時代は欧州、ニューヨーク勤務など、海外や国際業務担当が長く、帰国後は本部勤務等を経て旧・安田銀行本店所在地である小舟町支店(現・みずほ銀行小舟町支店)において取締役支店長、代表取締役常務関西駐在を歴任した他、コンプライアンス、リスク統括役員も務めた。 2002年には、町田睿頭取の招聘により荘内銀行入りし、町田の後任含みとして頭取をサポートしつつ、業容の進展や拡大に尽力した。
安田 常雄(やすだ つねお、1946年3月1日 - 2024… 安田 常雄(やすだ つねお、1946年3月1日 - 2024年9月12日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近現代思想史。神奈川大学特任教授。同大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター客員研究員。国立歴史民俗博物館名誉教授。学位は経済学博士(東京大学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、… 橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、日本の英文学者、英国文化研究者。北海道大学名誉教授。専門はイギリス・ロマン派詩人の研究、および1980年代以降の多文化社会としての英国文化研究。北海道札幌市出身。
安部 琢哉(あべ たくや、1945年 <昭和20年> 3月1… 安部 琢哉(あべ たくや、1945年 <昭和20年> 3月1日 - 2000年 <平成12年> 3月27日)は、日本の生態学者。亜熱帯、熱帯地域(主にマレーシア、ケニア、タイ、オーストラリア)のシロアリ調査研究を行った。理学博士(京都大学、1975年)。位階は従四位。勲三等瑞宝章。
夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1… 夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1月2日)は、日本の漫画編集者、漫画原作者、スポーツライター。ペンネームに但馬弘介。日本文芸社の創業者夜久勉の養子(旧姓:藤原)。 兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)林垣生まれ。1963年兵庫県立八鹿高等学校卒業。 養父が創立した日本文芸社で長年、漫画雜誌の編集者を務める(経営権は相続しなかった)。『漫画ゴラク』編集者時代に『野望の王国』などを担当。『カスタムコミック』の副編集長時代に、つげ義春に作品を依頼し、それが縁で1984年、つげの作品をメインとする漫画雑誌『COMICばく』を創刊、1987年まで編集長を務めた。 『COMICばく』終刊後、退職。
織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日… 織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日本の伝統芸能の制作者、演出家、脚本家、著述家。国立劇場(現・日本芸術文化振興会)で43年間勤務し、主に歌舞伎の制作・演出に携わった。2006年に日本芸術文化振興会理事に就任。現在、日本演劇協会専務理事、日本舞踊協会副会長などを務める。 1945年3月1日、北海道勇払郡安平村(現・安平町)字追分に、織田要と妻ミイの次男として生まれた。父の要は地元追分町の町会議員を40年間務め、町議会議長を務めた。 地元の追分高校を卒業後、1963年4月、國學院大學文学部日本文学科に入学。同大学では西角井正慶、高崎正秀、岡野弘彦、三隅治雄らから教えを受けた。
山本 重政(やまもと しげまさ、1944年3月1日 - )は… 山本 重政(やまもと しげまさ、1944年3月1日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
平井 克彦(ひらい かつひこ、1944年3月1日 - )は、… 平井 克彦(ひらい かつひこ、1944年3月1日 - )は、日本の会計学者、明治大学名誉教授。 山梨県生まれ。明治大学経営学部卒、同大学院経営学研究科博士課程満期退学。1994年「引当金会計についての研究」で立教大学経営学博士。千葉商科大学講師ののち、明治大学経営学部助教授、教授。2014年定年となり、名誉教授。
松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977… 松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977年11月5日)は、かつて日本中央競馬会に所属していた元騎手。 鹿児島県川内市生まれ。 弟に元装蹄師の松若清人。甥に装蹄師の松若勝。大甥にJRA騎手の松若風馬。 増本勇厩舎に見習騎手として入り、1965年3月にデビューした。デビュー年に14勝を挙げ、2年目には18勝、3年目にも9勝をマークし減量騎手を卒業したが、その後は騎乗馬には恵まれなかった。1976年には規定騎乗数の60回に足りず、騎手免許の更新が危ぶまれたが、関係者の努力と、その真面目な性格を日本中央競馬会が認め、免許更新の許可がおりたということもあり、競馬関係者からは親しまれていた。
日暮 真三(ひぐらし しんぞう、1944年3月1日 - )日… 日暮 真三(ひぐらし しんぞう、1944年3月1日 - )日本のコピーライター、作詞家。千葉県松戸市出身。明治大学フランス文学科中退。娘はロック歌手の日暮愛葉、実兄はビッグコミックの表紙イラストレーターの日暮修一。 千葉県松戸市で酒問屋の息子として生まれる。大学1年目でイラストレーターをしていた兄のツテを伝い、プロダクションに入ると共に、久保田宣伝研究所(現・宣伝会議コピーライター養成講座)を受講。講師であった電通のコピー局長・近藤朔にスカウトされ、大学を中退し電通に嘱託社員として入社。翌年、銀座に広告企画室「ドーニカ」を設立。原宿のセントラルアパート461号室にあったプロダクション、「デルタモンド」でメンズウェアーJAZZの広告シリーズを制作、注目を集める。
川井 敏久(かわい としひさ、1943年〈昭和18年〉3月1… 川井 敏久(かわい としひさ、1943年〈昭和18年〉3月1日 - )は、日本の政治家、元千葉県松戸市長(4期)。元千葉県議会議員(自由民主党)。 次男は元千葉県議会議員(松戸市選挙区)の川井友則であり、2018年・2022年・2025年市長選挙に立候補したが落選。 千葉県松戸市出身。法政大学第一中学校・高等学校(現法政大学中学校・高等学校)、法政大学経済学部卒。卒業後は東京スヰフト株式会社に入り、代表取締役となる。その後有限会社川友の代表取締役となる。 1970年、松戸市議会議員に当選、1982年まで3期務め、副議長となる。1983年、松戸市から自民党公認で千葉県議会議員に立候補し当選する。 1994年、松戸市長宮間満寿雄の死去による松戸市長選挙に立候補し、初当選する。
加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本の… 加藤 茶(かとう ちゃ、1943年3月1日 - )は、日本のコメディアン、歌手、俳優、ドラマー。ザ・ドリフターズ、こぶ茶バンドのメンバーである。本名は加藤 英文(かとう ひでゆき)。身長163cm、体重60kg。血液型はA型(長年AB型としていたが間違いが判明)。愛称は「加ト茶」「加トちゃん」「カトちゃん」「ヒデ坊」「チャー坊」など。父はギタリストの平八郎(たいら はちろう)。
中山 彰規(なかやま あきのり、1943年3月1日 - 20… 中山 彰規(なかやま あきのり、1943年3月1日 - 2025年3月9日)は、日本の体操競技選手であり、夏季オリンピックの金メダリストである。 愛知県名古屋市中区出身。中京商業(現中京大学附属中京高等学校)、中京大学を卒業し、その後、同大学の体育学部教授となった。 1968年メキシコシティーオリンピックと1972年ミュンヘンオリンピックの体操競技で合計6個の金メダルと、2個の銀メダル、2個の銅メダルを獲得した。日本男子体操五輪・世界選手権の団体総合10連覇(1960年から1978年)のうち4回出場した。つり輪と鉄棒の種目では彼の名前を冠した技「ナカヤマ (Nakayama) 」がある。 2005年に国際体操殿堂入りし、表彰を受けた。
多賀 英典(たが ひでのり、1943年3月1日 - )は、日… 多賀 英典(たが ひでのり、1943年3月1日 - )は、日本の男性音楽プロデューサー、映画プロデューサー、キティ・レコードやキティ・フィルムをグループ会社としてもつキティ・グループの創業者。 台湾にて出生。その後、日本の神奈川県横浜市に移住。1966年に横浜市立大学商学部を卒業と同時にレコード会社ポリドールに入社。音楽ディレクター・プロデューサーとして、小椋佳 や井上陽水を手がけ、黒盤(アナログレコード)総生産数1位から5位中3枚のアルバムを叩き込んだ伝説のプロデューサー。特に井上陽水に対する影響は大きく、楽曲「心もよう」の曲名は多賀が命名したものである。1972年10月に独立しキティ・ミュージック・コーポレーションを設立。
菅原 邦城(すがわら くにしろ、1942年3月1日 - 20… 菅原 邦城(すがわら くにしろ、1942年3月1日 - 2019年2月8日)は、日本の文学者、言語学者。大阪外国語大学名誉教授。北欧語・北欧文学の、日本では有数の専門家である。
亀渕 昭信(かめぶち あきのぶ、1942年〈昭和17年〉3月… 亀渕 昭信(かめぶち あきのぶ、1942年〈昭和17年〉3月1日 - )は、日本のラジオ・ディスクジョッキー、ラジオパーソナリティ、ポピュラー音楽研究家。 元ニッポン放送代表取締役社長(1999年 - 2005年)。日本民間放送連盟顧問。 媒体によっては、異体字で「亀淵昭信」とも表記される。 愛称は「カメ」「カメちゃん」。ラジオ局の制作スタッフと出演者を兼任し、のちに役員・社長として経営にたずさわった。社長退任後、ラジオパーソナリティとしての活動を再開した。 ゴスペル歌手でボイストレーナーの亀渕友香は妹。 北海道夕張郡由仁町出身(ニッポン放送第2代社長鹿内信隆と同郷。亀渕は後に「由仁町ふるさと大使」を務める。
大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、… 大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、日本の実業家。オークワ代表取締役会長。日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長、和歌山県公安委員会委員長等も歴任。 三重県熊野市出身。日本大学商学部卒業。和歌山県和歌山市に本社を置き、南近畿(大阪府・奈良県・三重県)を中心にスーパーマーケットチェーンを展開しているオークワ創業者である大桑勇の長男である。現在、同社の代表取締役会長を勤めている。2008年3月、同年5月15日をもって、現職と兼任でCEOに就任する事が発表された。 その他、日本流通産業株式会社の代表取締役社長(代表者)や日本チェーンストア協会の副会長、日本スーパーマーケット協会の副会長も務めている。
水野 耕太郎(みずの こうたろう、1941年3月1日 - )… 水野 耕太郎(みずの こうたろう、1941年3月1日 - )は、東邦ガス代表取締役元会長。愛知県出身。 1963年名古屋大学法学部卒業後、東邦ガス入社。人事部長、企画部長等を経て代表取締役社長。2008年早川敏生会長と相談の上、後任の社長に佐伯卓を据え、社長を退任、会長に就任。中部経済同友会代表幹事。2008年12月より愛知県公安委員会委員長。
肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日… 肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日 - )は、日本の児童文学作家、政治家、薬剤師。大阪樟蔭女子大学教授、文字・活字文化推進機構理事長。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)を歴任。 大阪府大阪市出身。大阪府立大手前高等学校を経て 1965年に大阪薬科大学卒業。1965年、白水貿易株式会社 歯科医療器入社。1975年、薬局開業。1979年に「先生しごいたる」で児童文学作家としてデビュー。1981年、川村たかし・那須正幹ら児童文学創作集団「亜空間」の結成に参加。 1989年の第15回参議院議員通常選挙において日本社会党公認で比例区より立候補し初当選。1991年、社会党シャドーキャビネット文化政務次官に就任。
久代 信次(くしろ しんじ、1941年3月1日 - )は、日… 久代 信次(くしろ しんじ、1941年3月1日 - )は、日本の実業家。株式会社東京ドーム代表取締役会長。 1941年3月1日、東京府出身。1965年に中央大学卒業と同時に後楽園スタヂアム入社。入社以後は財務・経理畑を中心に歩む。 1995年に株式会社東京ドーム常務取締役就任。その後は子会社の後楽園不動産社長なども務め、専務執行役員に昇格する。 2009年に林有厚の後を受けて東京ドーム代表取締役社長に就任。その他には野球殿堂博物館理事、 中央大学学員会東京文京区支部副会長を務めている。 2015年2月24日付で、第6代日本ボクシングコミッション会長・コミッショナーに就任した。 2016年4月に東京ドーム代表取締役社長を退任し、会長に就任。
若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007… 若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007年4月16日)は、茨城県猿島郡七郷村(のち同郡岩井町→岩井市、現・坂東市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は冨山 順(とみやま じゅん)。最高位は東小結(1968年5月場所)。現役時代の体格は178cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり。 引退後は、年寄・大鳴戸から同・玉垣を襲名した。 実家は農家で土地相撲の大関を務めた父に似たのか、幼少の頃から怪力で、小学生の時に米俵を持ち上げ兄弟達を驚かせていた。自身の証言によると、米俵を担いだのは中学1年生の頃であり、2年生の時には80㎏の墓石を持ち上げた。兄弟はみな力が強く、冨山も野球、柔道、走り高跳び、砲丸投げで体を鍛えた。
池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日… 池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家、馬主である。 騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた。代表的騎乗馬にはヤマピットがいる。1979年に調教師へ転身、メジロデュレンによる菊花賞を始めとして数々のGI級競走を制し、1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として初めて国外の国際GI競走を制したステイゴールド、2005年に中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成したディープインパクト(JRA顕彰馬)など、数々の活躍馬を手掛けた。2011年に調教師引退。
大高善興(おおたか ぜんこう、1940年3月1日 - )は、… 大高善興(おおたか ぜんこう、1940年3月1日 - )は、日本の企業家。セブン&アイ・ホールディングス傘下のスーパーマーケットヨークベニマル会長、日本チェーンストア協会副会長。 福島県出身。1958年に福島県立郡山商業高等学校を卒業し、父親の大高善雄が創業した紅丸商店(現ヨークベニマル)に入社する。1962年、紅丸商店常務取締役に就任。1984年、ヨークベニマル専務取締役に就任。1994年、副社長に就任。2000年に兄の大高善二郎と交代する形で代表取締役社長に就任し、2003年より最高執行責任者(COO)に就任。15年3月会長CEOに退いた。日本チェーンストア協会副会長も務めた。2023年食料産業特別貢献大賞受賞。
栃忠 秀昭(とちただ ひであき、1940年3月1日 - 20… 栃忠 秀昭(とちただ ひであき、1940年3月1日 - 2008年1月21日)は、山口県山口市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は友景 通忠(ともかげ みちただ)。180cm、133kg。最高位は東十両9枚目。得意技は左四つ、寄り。 防府高校から春日野部屋に入門。1959年5月場所に初土俵。入門当初から将来を期待され、その期待通りに幕下まで負け越し知らずで出世したが、1961年5月に稽古で左膝関節を捻挫して低迷した。怪我が治ってから再び順調に出世し、1965年5月場所に十両昇進。9場所在位したが入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
中西 公(なかにし いさお、1940年3月1日 - 2009… 中西 公(なかにし いさお、1940年3月1日 - 2009年6月24日)は、日本の経営者。JCB社長を務めた。香川県出身。 1963年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1989年6月に取締役に就任し、1992年12月に常務、1995年6月に専務を経て、1997年5月に副頭取に就任。1998年6月にJCB社長に就任し、2003年6月には特別顧問に就任。 2009年6月24日脳腫瘍のために死去。69歳没。
六本木 誠人(ろっぽんぎ まさと、1940年3月1日 - )… 六本木 誠人(ろっぽんぎ まさと、1940年3月1日 - )は、昭和時代の日本の俳優。本名は、六本木 倫彬。旧芸名は、六本木 倫彬、六本木 真。群馬県出身。大正大学卒。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
高橋 敏(たかはし さとし、1940年3月1日 - )は、日… 高橋 敏(たかはし さとし、1940年3月1日 - )は、日本の日本史学者。専門は静岡の近世・近代史、江戸時代の教育史、江戸時代の博徒、江戸の訴訟など多岐にわたる。国立歴史民俗博物館、総合研究大学院大学名誉教授。 静岡県下田市生まれ。1963年東京教育大学文学部史学科卒業、1965年同大学大学院文学研究科修士課程修了。静岡県立高校の教員を長年務めた後、1983年群馬大学教育学部助教授に就任。1989年3月同教授、4月国立歴史民俗博物館教授。1990年「近世村落生活文化史序説 上野国原之郷村の研究」で文学博士(筑波大学)。1999年総合研究大学院大学教授。2005年定年退職、名誉教授 従来の歴史学において扱われてこなかった博徒や義民に注目した研究を行い、上州の国定忠治、竹居安五郎・黒駒勝蔵など甲州博徒、駿河の清水次郎長に関する著作を著した。
高谷 玲子(たかや れいこ、1939年3月1日 - 1965… 高谷 玲子(たかや れいこ、1939年3月1日 - 1965年2月11日)は、作家。東京都立上野高等学校荒川分校卒業。葛飾区立双葉中学校在学時に国語担当の教師の指導を受けて才能を見いだされ、さまざまな作文コンクールで入賞、文学の道を志す。23歳のとき、中学三年から少しずつ書きためた『静かに自習せよ』でデビューする。デビュー直前にガンが発覚するも、手術で治癒し、小説や短歌などの執筆活動を続ける。しかし第二作『涙で顔を洗おう』執筆終了後、再発したガンに侵され、刊行直前に25歳で死去した。その後、遺稿が編集者により整理され、第三作『悲しからずや』が刊行された。また、中学三年時から逝去に至るまでの日記が編集者の手により整理され、母親の手記で補足の上、1968年に『君がまぼろし 死にいたる手記』として刊行されている。
瀧澤 美恵子(たきざわ みえこ、1939年3月1日 -202… 瀧澤 美恵子(たきざわ みえこ、1939年3月1日 -2020年8月9日)は、日本の小説家。 新潟県中蒲原郡村松町出身。旧本名・岡村美枝子。新潟県立村松高等学校卒業、1960年東京外国語大学外国語学部中国語学科中退。1961年日産汽船入社、1964年マーシュ・アンド・マクレナン勤務。1980年滝澤淳と結婚。81年退社し専業主婦となる。1987年朝日カルチャーセンターの駒田信二の小説教室に入る。1989年「ネコババのいる町で」で第69回文學界新人賞受賞。1990年「ネコババのいる町で」で第102回芥川龍之介賞受賞。
原田 力男(はらだ いさお、1939年3月1日 - 1995… 原田 力男(はらだ いさお、1939年3月1日 - 1995年3月22日)は日本の音楽プロデューサー、ピアノ調律師。 山口県防府市に生まれ、1943年、義父を結核で失う。1957年に山口県立防府高等学校を卒業し、浜松市の日本楽器KK(ヤマハ)本社工場で徒弟制度の下、ピアノ調律の修業を開始。1959年にヤマハ調律師養成システム(委嘱制度)を終え、防府市の実家に帰り、同市内の玉重楽器店に勤務。1961年8月に同店を辞職して上京。1962年、法政大学夜間部に入学。ヤマハピアノ杉並サービスセンターに勤務しつつ同大学に3年余り通学するも、ピアノ調律師としての本業が多忙となり中退。1968年10月、独立して「原田ピアノ調律工房」を設立。
祓川 正敏(はらいかわ まさとし、1939年3月1日 - 2… 祓川 正敏(はらいかわ まさとし、1939年3月1日 - 2012年8月13日)は、大分県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
遠藤 秀男(えんどう ひでお、1939年3月1日- )は、地… 遠藤 秀男(えんどう ひでお、1939年3月1日- )は、地誌研究家、富士山研究家。 静岡県富士宮市出身。筆名・富士宗四郎。國學院大學文学部卒。大学時代から富士山の研究を始める。地元で教師をしながら研究、のちにフリーになった。1968年静岡県教育奨励賞受賞。富士宮市史執筆委員。福よし美術店主を務めた。
御園生 誠(みそのう まこと、1939年3月1日 - )は、… 御園生 誠(みそのう まこと、1939年3月1日 - )は、日本の化学者。東京大学名誉教授。工学博士。専門は触媒化学、化学環境学。 鹿児島県出水市出身。1961年、東京大学工学部応用化学科卒業。1966年、東京大学大学院工学研究科合成化学専攻博士課程を終え、10月20日、「A study on heterogeneous acid catalysis」(「固体酸触媒反応に関する研究」)により工学博士の学位を授与される。東京大学助手、講師、助教授を経て、1983年4月より東京大学工学部教授。1999年3月、東京大学工学部教授退官。1999年4月、工学院大学教授就任。2005年3月、工学院大学教授退職。
小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 -… 小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 - )は、日本の仏教学者、僧侶。駒澤大学名誉教授。大本山總持寺顧問。長野県の曹洞宗広沢寺第30世住職。 長野県松本市生れ。1956年長野県松本深志高等学校卒業。同年、駒澤大学仏教学部仏教学科入学、1961年同卒業。同年東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻修士課程入学、1964年同修了。同年、駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻博士課程に入学し1968年3月同満期退学。同年、駒澤大学文学部専任講師、同大学国際仏教研究所理事。 1970年より1973年3月まで東海大学教養部非常勤講師。1971年より1994年3月まで曹洞宗教化研修所海外開教課程嘱託講師。
近藤 光郎(こんどう みつろう、1938年3月1日 - )は… 近藤 光郎(こんどう みつろう、1938年3月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1967年と1968年の登録名は近藤 瑞郎(こんどう みずお)。
兼子 勲(かねこ いさお、1938年3月1日 - 2013年… 兼子 勲(かねこ いさお、1938年3月1日 - 2013年7月18日)は元・日本航空代表取締役会長。東京都出身。
鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、… 鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。妻は元歌手の小野階子(おの しなこ)。 慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。学生時代は慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属。 母が所有していたピアノを独学で習得し、学生時代からジャズ・ピアニストとして活動を始め、のちに「ザ・ヒットパレード」のバックバンドにも参加。中村八大の影響でプロの作曲・編曲家を目指す。 西ドイツ・ドルトムントで開催された1966年世界体操競技選手権に日本代表専属のピアニストとして参加。床運動の規定曲を作曲する。 プロの作曲家としてデビューまもない1968年に『天使の誘惑』が、第10回日本レコード大賞を受賞する。
田口 義嘉壽(たぐち よしかず、1938年3月1日 - 20… 田口 義嘉壽(たぐち よしかず、1938年3月1日 - 2016年9月22日)は、日本の経営者。西濃運輸社長、会長を務めた。創業者田口利八の次男、田口利夫の弟 岐阜県大垣市出身。1960年に慶應義塾大学法学部を卒業。在学中でも、夏休みなどで必ず実家に帰省し、会社で働いていた。中部生産性本部での勤務を経て、同年10月に西濃運輸入社。 1968年に取締役に就任し、1973年に常務、1976年度日本青年会議所会頭、1981年7月に専務を経て、1987年7月には社長に就任。社長時代は、国内拠点の充実に取り組み、輸送網を国内外で拡大させて、同社を日本有数の物流企業に育て上げた。2003年6月に会長に就任し、2005年10月からは代表取締役を務めた。
篠沢 恭助(しのざわ きょうすけ、1937年(昭和12年)3… 篠沢 恭助(しのざわ きょうすけ、1937年(昭和12年)3月1日 - )は、日本の官僚。元大蔵事務次官。 東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、東京大学法学部第二類(公法コース)卒業後、大蔵省入省(為替局総務課)。 当時の事務次官候補の異動としては珍しく、大臣官房の文書課長や秘書課長、地方支分部局の局長などを経ずに主計局総務課長から、いきなり同局の末席次長に抜擢された。同期の千野忠男は主計官補佐(主査)、主計局総務課企画官、主計官、文書課長、近畿財務局長を経験していたが、他の同期より年齢が上で、主計局長→事務次官の順番待ちの最中に定年の壁に引っかかるため、篠沢を主計コースとし、千野を財務官となる国際金融コースへと変更した。
西村 嘉郎(にしむら よしお、1937年〈昭和12年〉3月1… 西村 嘉郎(にしむら よしお、1937年〈昭和12年〉3月1日 - 2022年〈令和4年〉12月2日)は、日本のテレビプロデューサー。朝日放送グループホールディングス常勤特別顧問。 朝日放送(ABC、現:朝日放送グループHD)の常務取締役、代表取締役社長、取締役相談役等を歴任した。 名前の読みを「にしむら よしろう」とする資料もある。 大阪府大阪市生まれ。兵庫県立西宮高等学校を卒業後、約1年郵便局へ務めた後、朝日新聞社の調査部で勤務しながら関西大学(以下、関大)文学部(二部)哲学科に在学した。 1958年4月に関大在学のままABCへ入社(関大は、入社後の1960年に卒業)。1964年より運動部(後のスポーツ局)へ配属され、1970年11月にテレビの制作部署へ異動し1995年3月までの間、視聴者参加型番組や演芸番組の制作に携わった。
山澤 逸平(やまざわ いっぺい、1937年3月1日 - )は… 山澤 逸平(やまざわ いっぺい、1937年3月1日 - )は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公益財団法人日本国際フォーラム参与、政策委員。
香山 壽夫(こうやま ひさお、1937年(昭和12年)3月1… 香山 壽夫(こうやま ひさお、1937年(昭和12年)3月1日 - )は、日本の建築学者・建築家。学位は、工学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。有限会社香山壽夫建築研究所所長。1996年日本建築学会賞、2000年公共建築賞、2002年日本建築学会作品選奨、2005年度日本芸術院賞受賞。 東京都生まれ。東京大学においては吉武泰水に師事、ペンシルベニア大学においてはルイス・I・カーンに師事した。専門は建築設計、建築意匠論、都市計画論。公共建築、教会建築、学校建築を多く設計している。大学キャンパスの設計においては、コミュニケーションに着目し、フォーマル・コミュニケーション、インフォーマル・コミュニケーション、フリー・コミュニケーションの3つのレベルの場を提供することが重要であると考え、実践した作品を設計している。
竹村 淳(たけむら じゅん、1937年3月1日 - )は、音… 竹村 淳(たけむら じゅん、1937年3月1日 - )は、音楽ジャーナリスト。 1937年3月1日に、神戸市に生まれる。6歳のときより、京都に移住するが、7歳のとき、父が中国で戦死する。1961年3月に早稲田大学第一文学部文学科演劇専修を卒業する。広告代理店に就職し、コピーライトを担当するが、1973年に独立し、フリーランスのコピーライターになる。 1976年より、ラテン音楽関係のジャーナリストとして活動を開始する。「スイングジャーナル」や「アドリブ」のジャズ専門誌で、フュージョン音楽の普及に努める。なお、本人は、評論家とされることを嫌う。ラテン音楽、フォルクローレ、タンゴ、ボサノヴァのジャンルの曲およびアーティストについてかなり精通し、全国のファンから尊敬されることとなる。