小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉… 小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉1月10日 - 1952年〈昭和27年〉8月12日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長。 岩手県東和賀郡十二鏑村(のち和賀郡土沢町→東和町現・花巻市)出身。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1906年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。樺太民政署に入り、東京営林局などに勤務した。その後、1908年に母校の盛岡高等農林学校の助教授となり、1918年に教授となった。同年に退職後、岩手林業に入り、常務取締役となった。 1929年、盛岡市会議員となり、18年務めた。 盛岡市長選挙に立候補して、社会党の新人を破って初当選を果たした。
佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1883年(明治16年)… 佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1883年(明治16年)1月10日 - 1965年(昭和40年)5月17日)は、日本の外科医。東京医学専門学校教授、順天堂医学専門学校教授を歴任し、日本外科学会会長。東京府日本橋区出身。 1883年(明治16年)1月、日本橋区の樋口家に生まれる。 1905年(明治38年)7月、第一高等学校を卒業し、京都帝国大学福岡医科大学に進学して、順天堂副医院長で順天堂医院第2代医院長佐藤進の養子である佐藤恒久の養子になる。1907年(明治40年)義父恒久が死去する。1909年(明治42年)12月、福岡医科大学を卒業し、卒業後は福岡医科大学外科(三宅速教授)に入局。1912年(大正元年)よりドイツ・イギリス・ベルギー・オランダに留学しゲッティンゲン大学やベルリン大学で病理学・肺外科の研究に従事し、第一次世界大戦勃発により1914年(大正3年)帰国した。
生田 鹿之丞(いくた しかのじょう、1882年〈明治15年〉… 生田 鹿之丞(いくた しかのじょう、1882年〈明治15年〉1月10日 - 1955年〈昭和30年〉6月12日)は、日本の教育者。大阪府立大手前、府立清水谷、清友学園の高等女学校3校で校長を務めた。 1882年(明治15年)島根県松江市出身。岩佐湪一の子として生まれ、1886年(明治19年)生田厚の養子となった。第五高等学校 (旧制)(現・熊本大学)卒業。1910年(明治43年)4月15日、教諭として大分県立臼杵中学校(現・大分県立臼杵高等学校)に赴任。1914年(大正3年)6月8日、愛媛県立宇和島中学校(現・愛媛県立宇和島東高等学校)の教諭。1917年1月18日、秋田県師範学校(現・秋田大学教育文化学部)の教諭となる。
瀬川 直一(せがわ なおいち、1880年(明治13年)1月1… 瀬川 直一(せがわ なおいち、1880年(明治13年)1月10日 - 1968年(昭和43年)8月21日)は、日本の船長、第二代日本海事検定協会会長。位階は従五位。 牧師である父、瀬川浅と母つやの長男として佐賀県で生まれ、その後すぐ長崎市へ移り、同地で育つ。 東山学院を経て、1906年(明治39年)に東京商船学校を卒業後、日本郵船に入社。英国留学の経験や英語が得意だったことを活かして、主に欧州航路の乗組船員として乗務に就いた後、小樽丸、加賀丸、靖国丸等の船長を務める。 1933年(昭和8年)に日本郵船を退職、1935年(昭和10年)日本海事検定協会に検査員として就職し、横浜出張所所長や理事などを務めた。
神岡 一亨(かみおか いっこう、1879年〈明治12年〉1月… 神岡 一亨(かみおか いっこう、1879年〈明治12年〉1月10日 - 1924年〈大正13年〉11月21日)は、日本の医師、軍医。李王家御典医。広島県高田郡長田村(現在の安芸高田市)出身。最終階級は陸軍三等軍医正(少佐相当官)。
籾山 梓月(もみやま しげつ、明治11年〈1878年〉1月1… 籾山 梓月(もみやま しげつ、明治11年〈1878年〉1月10日 - 昭和33年〈1958年〉4月28日)は、明治後期から戦前にかけての日本の俳壇の重鎮。旧姓は吉村、本名は仁三郎(じんざぶろう)。俳号に庭後、江戸庵など。茶道では宗仁と称す。 俳書堂・籾山書店の経営者であり、俳句総合雑誌の草分け『俳諧雑誌』の創刊者・主宰者。他、『時事新報社』、昭和化学などの取締役を歴任。 東京府日本橋区呉服町にて、代々飛脚屋と両替屋を兼ねる吉村家の9代目・吉村甚兵衛の長男として生まれる。父の吉村甚兵衛が始めた陸運元會社は現在の日本通運の前身である。陸運元會社は東京日本橋佐内町の和泉屋邸内に股立され、江戸時代から続く旧来の飛脚業者の再編成を行い、その元締めをしていた。
15代 西野 嘉右衛門(にしの かえもん、1878年(明治1… 15代 西野 嘉右衛門(にしの かえもん、1878年(明治11年)1月10日 - 1967年(昭和42年)5月16日)は、日本の実業家、政治家。藍商・酒造業、西野嘉右衛門家15代当主、貴族院多額納税者議員。旧名・保太郎。 徳島県勝浦郡小松島浦(現小松島市)で、豪商・西野保太郎の二男として生まれた。西野家は創業万治元年といわれる阿波藍商人(屋号・野上屋)で、現在は酒造の西野金陵として知られる。 1900年、専修学校(現専修大学)理財課を卒業。一年志願兵として入隊し陸軍二等主計に進み日露戦争に出征した。兄・14代嘉右衛門の死去により、1905年3月27日に家督を継承し15代嘉右衛門を襲名した。 家業の藍商が、外国産の安価な藍の輸入によって影響を受けたため、化学染料製造を開始した。
加藤 賢司(かとう けんじ、1878年1月10日 - 194… 加藤 賢司(かとう けんじ、1878年1月10日 - 1944年3月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 岐阜県本巣郡、後の生津村出身。1901年、日本法律学校(現・日本大学)卒、同専攻科で学ぶ。日露戦争に従軍して、陸軍歩兵中尉となる。帰郷後は営農する。岐阜県参事会員、本巣郡農会長、岐阜県山林会評議員、地方森林会議員、郡林業協会副会長、県農会議員となる。治水事業に取り組んだ。1919年9月から連続3回13年に渡って、本巣郡選出の岐阜県会議員に当選した。また、1927年12月1日から1928年12月4日まで第37代同議長を務めた。また、これと前後して1920年8月から連続6回24年生津村会議員を務めた。
吉田 良三(よしだ りょうぞう、1878年(明治11年)1月… 吉田 良三(よしだ りょうぞう、1878年(明治11年)1月10日 - 1944年(昭和19年)7月12日)は、日本の会計学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。近代簿記会計の開拓者として知られる。早稲田大学教授、東京商科大学教授、中央大学教授を歴任し、会計教育でも大きな影響力を持った。 高知県高知市出身。旧姓・宇賀。海南中学校長の吉田数馬の書生となり、のち養子となる。1903年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部領事科卒、商学士。1935年「間接費の研究」で東京商科大学より商学博士の学位を取得。1902年から早稲田大学で講師として教え、1906年から早稲田大学教授を務める。1913年から欧米に留学し、コロンビア大学で原価計算のJ・リー・ニコルソンに師事するなどした。
青木 まつ(あおき まつ、1877年〈明治10年〉1月10日… 青木 まつ(あおき まつ、1877年〈明治10年〉1月10日 - 1959年〈昭和34年〉1月23日)は、日本の社会事業家。兵庫県姫路出身。旧姓は吉川。バプテスト派の婦人宣教師タムソン夫人の片腕として、日本初の福祉的幼稚園である善隣幼稚園で、恵まれない子供たちの保育に尽力した。 1877年に兵庫県姫路で誕生、横浜の捜真女学校(現・捜真女学校中学部・高等学部)を卒業した。 1895年(明治28年)にタムソン夫人が神戸の葺合地区に、神戸の恵まれない子供たちのために、善隣幼稚園を設立した後、同幼稚園に勤めて、タムソンの片腕となり、その後の約40年間にわたって、保母として仕事を助けた。「善隣」名は「善い隣人として地域社会の改善を図る」との意味で、まつが発案した名前である。
喜安 璡太郎(きやす しんたろう、1876年(明治9年)1月… 喜安 璡太郎(きやす しんたろう、1876年(明治9年)1月10日 - 1955年(昭和30年)12月22日)は戦前日本の英語教育者、雑誌編集者。新潟県立高田中学校教諭、早稲田実業学校教員。長年『英語青年』編集を引き受け、引退後は「河畔通信」「鵠沼通信」を連載した。 1876年(明治9年)1月10日愛媛県伊予郡恵久美村(松前町恵久美)の豪農の長男として生まれた。早く父を喪い、教育熱心な母の下、近所の和尚に四書五経を学んだ。地元の小学校に通い、1886年(明治19年)米湊村の高等小学校に編入した。 伯母宅に預けられて松山高等小学校に転校し、『文学之栞』編集に参加した。1889年(明治22年)私立伊予尋常中学校に進学し、1892年(明治25年)卒業した。
岡田 栄(おかだ さかえ、1873年〈明治6年〉1月10日 … 岡田 栄(おかだ さかえ、1873年〈明治6年〉1月10日 - 1940年〈昭和15年〉7月19日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲政友会)。位階は正七位。勲等は勲四等。 高知県高岡郡松葉川村(窪川町を経て現四万十町)生まれ。東京法学院(現在の中央大学)を卒業。判事検事登用試験・弁護士試験に合格。神戸地方裁判所判事、大阪地方裁判所判事を経て、関東総督府審理官、関東都督府法院判官を歴任し、韓国政府法務補佐官を務めた。その後、官を辞して弁護士を開業した。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1918年(大正7年)の衆議院補欠選挙で再選された。 その他、北海道と朝鮮で農場を経営した。
福田 令寿(ふくだ れいじゅ、1873年1月10日 - 19… 福田 令寿(ふくだ れいじゅ、1873年1月10日 - 1973年8月7日)は、日本の医師。教育者。社会事業家。熊本市名誉市民。 ハンナ・リデルが創立したハンセン病病院回春病院はエダ・ハンナ・ライトの時代であったが、国の方針ですべての外国人はスパイだという目でみていた。経済的にも経営は困難であると評議員の福田令寿は閉鎖しようと発議した。福田は清算人代表となり、神戸に出かけシー・ビー・ケネス、上田穣、福田令寿で清算人会議を開いた。患者は九州療養所に引き取ってもらい、当座必要だろうというので九州療養所に6万円寄付、その外に土地建物は日本ライ予防協会(土地7,135.9坪、価格約7万円)を寄付した。後日細川家から土地を返してくれといわれたが、どうしようもなかった。
由比 質(ゆひ ただす、明治3年11月20日(1871年1月… 由比 質(ゆひ ただす、明治3年11月20日(1871年1月10日) - 昭和5年(1930年)4月7日)は、日本の教育者。称号は従三位勲二等。 高知県土佐郡神田村(現・高知市)出身。第三高等学校を経て、1896年(明治29年)、東京帝国大学文科大学史学科を卒業。山口高等学校教授・舎監、千葉県千葉中学校校長、第五高等学校教授・生徒監、第三高等学校教授、松山高等学校校長、第七高等学校造士館校長を歴任した。 1930年(昭和5年)、鹿児島市で講演中に脳溢血で倒れて急逝。墓所は染井霊園1-イ-4-19。同所には兄である陸軍大将由比光衛の墓もあり、右側の墓石が質のものである。
尾崎 紅葉(おざき こうよう、1868年1月10日(慶応3年… 尾崎 紅葉(おざき こうよう、1868年1月10日(慶応3年12月16日) - 1903年(明治36年)10月30日)は、日本の小説家。本名、徳太郎。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持つ。 帝国大学国文科中退。1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。『二人比丘尼色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称され(紅露時代)、明治期の文壇に重きをなした。 泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など優れた門下生がいる。 俳人としても角田竹冷らとともに秋声会を興し、正岡子規と並んで新派と称された。 1868年1月10日(慶応3年12月16日)、江戸(現東京都)芝中門前町(現在の芝大門)に生まれる。
佐藤 友熊(さとう ともくま、1866年1月10日(慶応元年… 佐藤 友熊(さとう ともくま、1866年1月10日(慶応元年11月24日)- 1923年(大正12年)9月1日)は、明治から大正期の検察官、警察官僚。関東都督府警視総長、札幌区長。夏目漱石の友人。 薩摩国給黎郡喜入郷前之浜村(現鹿児島県鹿児島市喜入前之浜町)で、神官・佐藤彦松、比佐夫妻の長男として生まれる。1883年頃に上京し、東京大学予備門受験準備のため成立学舎に入り英語を学び、夏目漱石と交流。牛乳配達、新聞配達などをしながら学費を稼いだ。1884年9月、東京大学予備門予科に入学し、「成立学舎」の出身者らを中心に夏目漱石、中川小十郎、太田達人、中村是公、橋本左五郎らとともに「十人会」を組織した。
湯河 元臣(ゆかわ もとおみ、慶応元年11月24日(1866… 湯河 元臣(ゆかわ もとおみ、慶応元年11月24日(1866年1月10日) - 昭和7年(1932年)9月25日)は、日本の逓信官僚。 静岡県士族の後藤家に生まれ、湯河はまの養子となった。1884年(明治17年)に司法省法学校に入学し、1893年(明治26年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。逓信属となり、逓信事務官、高等海員審判所審判官、逓信書記官、逓信参事官、海事局長、高等海員審判所長、管船局長を歴任した。1914年(大正3年)、逓信次官に就任。 退任後は日本郵船株式会社取締役や近藤記念海事財団理事長などを務めた。
西山 安久作(西山 阿久作、にしやま あくさく、1866年1… 西山 安久作(西山 阿久作、にしやま あくさく、1866年1月10日〈慶應元年11月24日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、地主・家主、会社役員。東京府北豊島郡西巣鴨町長。 東京市に西山家の長男として生まれる。1887年、家督を相続する。信用組合事務員、会社員になる。金融業を営む。 北豊島郡会議員、豊島信用組合長、氷川神社氏子総代、帝国種苗殖産監査役をつとめる。 また1915年4月23日に巣鴨村長に就職、1923年4月21日に西巣鴨町長を退職。 宗教は浄土宗。趣味は碁。住所は東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋(のち東京都豊島区池袋1丁目)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
広瀬 満正(ひろせ みつまさ、1860年1月10日(安政6年… 広瀬 満正(ひろせ みつまさ、1860年1月10日(安政6年12月18日)- 1928年(昭和3年)12月5日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 広瀬宰平の長男として伊予国新居郡金子村久保田(現愛媛県新居浜市久保田町)に生まれる。東京外国語学校を卒業後、郷里に帰り中萩、金子両村で数千ヘクタールに及ぶ開墾を行う。ほか、川崎汽船や朝鮮殖産銀行などの重役も務めた。 1911年(明治44年)愛媛県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年… 釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。出家前は一瀬常次郎。号は洪嶽、楞伽窟、不可往。 日本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師として、よく知られている。 1860年1月10日(旧暦 安政6年12月18日)、現在の福井県大飯郡高浜町の農家に生まれた。一瀬吾右衛門の二男で、幼名は常次郎。幼児から峻烈豪放で、人に下るということを好まなかった。 1870年、10歳(数え年で12歳)の時、一瀬家の親戚筋に当たり福井県出身である京都妙心寺天授院の越渓守謙が帰郷し、越渓の母の92歳の祝いを終えて京都に帰る際、兄の勧めにより、常次郎は僧侶になるべく越渓に預けられた。
鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3… 鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3年12月15日) - 1914年(大正3年)12月2日)は、日本の官僚、実業家、政治家。第2代大阪市長。韓国統監府初代総務長官。衆議院議員。
安藤 政次郎(あんどう まさじろう、1855年〈安政2年〉1… 安藤 政次郎(あんどう まさじろう、1855年〈安政2年〉1月10日 - 1930年〈昭和5年〉7月18日)は、明治時代の新聞販売業者・養豚業者。現在の豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)の前身である「安藤動物園」の創設者である。 三河国渥美郡吉田紺屋町(現・豊橋市大手町)に、紺屋を営む安藤喜久治の長男として生まれる。 明治10年(1877年)に故郷を離れ、静岡で新聞販売業を始める。同13年(1880年)には横浜に移り、同地でも新聞販売を行う。 横浜時代の政次郎は刺子の半纏にわらじ履きといういで立ちで、日の丸の小旗2本を組んで飾った黒塗りの挟み箱に新聞を入れて肩に担ぎ、鈴を鳴らして新聞を売って回った。
本角 寅造(もとずみ とらぞう、嘉永6年12月12日(185… 本角 寅造(もとずみ とらぞう、嘉永6年12月12日(1854年1月10日) - 大正2年(1913年)6月6日)は、日本の政治家。中浜村長(初代)、県会議員。 小篠津村(のち鳥取県境港市小篠津町)の本角家は代々"与平"、"所十郎"を襲名する豪農で、大庄屋をつとめた由緒ある家柄だった。 寅造は、先代所十郎の長男文蔵が幼少のため財ノ木の角家より入り、同家の家督を継いで明治18年(1885年)県会議員、続いて第7連合戸長を務めた。 明治22年(1889年)11月中浜村長に就任し、小篠津尋常小学校を中浜尋常小学校と改めて新しい村づくりの中核とし、校地も拡張した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
11代西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、諱は重威(しげたけ… 11代西川 甚五郎(にしかわ じんごろう、諱は重威(しげたけ)、1849年1月10日(嘉永元年12月16日) - 1905年(明治38年)4月6日)は、江戸時代末期から明治期の近江商人。西川甚五郎家山形屋11代、明治維新動乱期を越えて西川への発展の基礎を固めた。 1849年1月10日((旧暦)嘉永元年12月16日)に近江国蒲生郡八幡(現近江八幡市)において山形屋10代西川甚五郎の二男二女の第四子次男として誕生、長男夭折に伴い跡継ぎとして育てられ、幼名は伊三郎と称した。 1840年代(天保弘化年間)、越前国において近江より熟練工を招き蚊帳織りを開始したことから近江蚊帳の営業者は1878年(明治11年)当時5軒まで減っていた、加えて1866年(慶応2年)には徳川幕府の長州征伐のための御用金1千8百両の上納を求められ経営環境は極度に悪化していた。
鳥尾 小弥太(とりお こやた、弘化4年12月5日〈1848年… 鳥尾 小弥太(とりお こやた、弘化4年12月5日〈1848年1月10日〉- 明治38年〈1905年〉4月13日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将正二位勲一等子爵。諱は照光、のち敬高(孝)。幼名は一之助。通称は百太郎、鳳輔など。号は得庵居士、不識道人など。 弘化4年12月5日(1848年1月10日)、萩城下川島村に長州藩士(御蔵元付中間)・中村宇右衛門敬義の長男として生まれる。安政5年(1858年)に父とともに江戸へ移り、江川英龍に砲術を学ぶ。万延元年(1860年)に帰藩して家督を相続。文久3年(1863年)に奇兵隊に入隊。乱暴者なので、親から勘当され、自ら鳥尾と名を定めた。長州征伐や薩摩藩との折衝などの倒幕活動に従事した。
阪井 重季(さかい しげすえ/しげき、1847年1月10日(… 阪井 重季(さかい しげすえ/しげき、1847年1月10日(弘化3年11月24日) - 1922年(大正11年)3月1日)は、明治から大正期の日本陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。旧名・元助(二川元助、二川元助重遠)。家紋は四つ星。 土佐国土佐郡(高知藩)高知城下の高知中島町において、土佐藩士(馬廻役、300石。)・二川周五郎の長男として生まれ、後に阪井に改姓した。生家の中島町は板垣退助、片岡健吉の出身地であり、家が近所であった。 戊辰戦争に従軍し、1870年、大坂兵営予備生徒となる。翌年、御親兵として上京、陸軍大尉に任官し8番大隊副官となる。近衛6番大隊副官、広島鎮台地方司令官心得などを経て、1874年2月から翌月にかけて佐賀の乱に出征。
はたけやま 裕(はたけやま ゆう、1月10日 - )は、日本… はたけやま 裕(はたけやま ゆう、1月10日 - )は、日本のパーカッショニスト、作曲家である。 岩手県陸前高田市生まれ埼玉県育ち。国立音楽大学打楽器専攻卒業。卒業時に日本打楽器協会新人演奏会で最優秀賞受賞。 中学時代に友人の付き添いで入部した吹奏楽部で打楽器と出会いプロのパーカッショニストになる決意を固める。埼玉県立熊谷女子高等学校を経て、国立音楽大学に進学し卒業後にプロの世界へ現在に至る。桑田佳祐、加藤登紀子、上妻宏光、古澤巌、井上陽水、由紀さおり、辛島美登里など多くのアーティストのサポートを務める他、2007年に初のパーカッションソロアルバムを発売後、現在までに4枚のソロ名義のアルバムをリリース。
結花乃(ゆかの、1月10日- )は日本のシンガーソングライタ… 結花乃(ゆかの、1月10日- )は日本のシンガーソングライター。旧名はユカノ。静岡県富士市出身在住。 静岡県富士市生まれのシンガー・ソングライター。富士市立須津中学校、静岡県立富士高等学校を経て、浜松医科大学医学部看護学科を卒業後、看護師を経てシンガーソングライターになった。イラストを描くのが好きで、活動に使うイラストを自身で制作している。
前田 明日香(まえだ あすか、1月10日 - )は、石川県金… 前田 明日香(まえだ あすか、1月10日 - )は、石川県金沢市出身のフリーアナウンサー、パーソナリティ。所属はフリーランスで、主に北陸地方を中心に活動をしている。
つだ みきよ(本名津田 美貴代(読み同じ)、1月10日 - … つだ みきよ(本名津田 美貴代(読み同じ)、1月10日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。福井県出身。別ペンネームに蔵王大志(ざおう たいし)がある。
飯島 晶子(いいじま あきこ、1月10日 - )は、日本の女… 飯島 晶子(いいじま あきこ、1月10日 - )は、日本の女性声優、朗読家。 有限会社ヴォイスケ(VoiceK)の代表として、朗読に関するイベントの企画・制作やボイストレーニングといったレッスンなども手掛けている。 以前はプロダクション・タンクやアイムエンタープライズに所属していた。日本大学芸術学部卒業。NPO日本朗読文化協会理事。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
山根 美和子(やまね みわこ、1月10日- )は、日本の作曲… 山根 美和子(やまね みわこ、1月10日- )は、日本の作曲家、シンガーソングライター。 シンガーソングライター名義は、やまねみわこ。2015年高山市合併10年記念映画「きみとみる風景」の劇中音楽を担当し、また主題歌として「小さな世界」をリリースした。 広島県尾道市出身。尾道観光大使。 日本大学芸術学部 音楽学科作曲コース卒業。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
穴口 恵子(あなぐち けいこ、1月10日 - )は日本のスピ… 穴口 恵子(あなぐち けいこ、1月10日 - )は日本のスピリチュアル系自己啓発書作家・講演家、実業家。株式会社ダイナビジョン代表、ドルフィンスターテンプルミステリースクールジャパン校長。 大阪府堺市出身。アメリカ、オレゴン大学国際人間関係学部 修士課程終了(MA)スピリチュアル・アントレプレナー・アカデミー代表、ドルフィンスターテンプルミステリースクールジャパン代表を務める。
天紫 珠李(あまし じゅり、1月10日 - )は、宝塚歌劇団… 天紫 珠李(あまし じゅり、1月10日 - )は、宝塚歌劇団月組に所属する娘役。月組トップ娘役。 東京都世田谷区、玉川聖学院出身。身長166cm。愛称は「じゅり」。 2013年、宝塚音楽学校入学。 2015年、音楽学校卒業後、宝塚歌劇団に101期生として次席入団。月組公演「1789」で男役として初舞台。その後、月組に配属。 2017年12月25日付で娘役へと転向。 2019年、珠城りょう・美園さくらトップコンビ大劇場お披露目となる「夢現無双」で、新人公演初ヒロイン。続く「チェ・ゲバラ」(日本青年館・ドラマシティ公演)で、専科理事の轟悠の相手役を務め、東上公演初ヒロイン。 2021年の「幽霊刑事」でバウホール公演初ヒロイン。
上平 奈波(かみひら ななみ、1月10日 - )は、NHK札… 上平 奈波(かみひら ななみ、1月10日 - )は、NHK札幌放送局の契約リポーター・ディスクジョッキー。 北海道幕別町出身。北海道帯広緑陽高等学校を経て札幌大学法学部卒業後、地元のコミュニティFM局であるエフエムおびひろ(通称:FM-JAGA)に入社。DJとして活躍した。 2007年にFM-JAGAを退社し、NHK札幌放送局に移籍。現在は『フレッシュサウンド北海道』火曜日のディスクジョッキーを担当している他、レポーターとして『ほっからんど北海道』などにも出演。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
岩本 ナオ(いわもと ナオ、1月10日 - )は、日本の漫画… 岩本 ナオ(いわもと ナオ、1月10日 - )は、日本の漫画家。岡山県児島郡灘崎町(現:岡山市南区) 出身。血液型はO型。 子供のころ、赤石路代作品を読み、そのヨーロッパ描写に影響を受ける。また、『王家の紋章』にも夢中になる。特に両作のコスチュームに惹かれる。漫画の影響で、中学・高校時代に西洋史に興味を持ち、大学の専攻は、「古代ギリシャ・ローマ」。卒論テーマは「古代ギリシャ彫刻」。 2004年、『その彼女の存在』で第10回月刊フラワーズコミックオーディション金の花賞を受賞し、『月刊フラワーズ』(小学館)2004年5月号に掲載されデビュー。以降、同誌や『凛花』(小学館)で作品を発表。2007年から『月刊フラワーズ』で『町でうわさの天狗の子』を連載した。