伊藤 玄二郎(いとう げんじろう、1944年2月10日 – … 伊藤 玄二郎(いとう げんじろう、1944年2月10日 – )は、編集者・エッセイスト。かまくら春秋社代表取締役、星槎大学教授。日本ペンクラブ会員、鎌倉ペンクラブ会長。 神奈川県鎌倉市出身。中央大学法学部政治学科卒業。河出書房新社勤務を経て、里見弴の勧めを受けて1970年かまくら春秋社を設立、月刊「かまくら春秋」を創刊。1989年、「かまくら春秋」にて、NTT全国タウン誌フェスティバル・タウン誌大賞を受賞。ポルトガル国立リスボン工科大学客員教授。早稲田大学客員教授、関東学院大学教授、2014年星槎大学教授。2004年、ポルトガル政府よりエンリケ航海王子勲章コメンダドール章を受章。2019年、神奈川文化賞受賞。
佐藤 昭郎(さとう あきお、1943年2月10日 - )は、… 佐藤 昭郎(さとう あきお、1943年2月10日 - )は、自由民主党の元参議院議員(2期)。広島県生まれ。青森県立弘前高等学校、東京大学農学部農業工学科卒業。血液型はB型。 1966年、農林水産省入省。北陸農政局長や構造改善局次長を歴任。1998年の第18回参議院議員通常選挙に全国土地開発事業団を支持団体として比例区より出馬し当選。第1次小泉内閣第1次改造内閣では防衛庁長官政務官をつとめた。政治家の年金未納問題では1年7か月分が未納だった。 2010年の第22回参議院議員通常選挙には出馬せず、引退。
福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月… 福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月10日 - 1975年(昭和50年)9月23日?)は、日本のアルペンスキーヤー。 北海道磯谷郡蘭越町出身。北海道倶知安農業高等学校から明治大学に進み、大学3年時の1963年に第41回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技に滑降と回転の2種目で優勝する。1963年、北海道スポーツ賞を受賞する。 1964年1月19日、オーストリアで開かれたゴルデック国際スキー大会の回転競技で優勝する。同年、オーストリアチロル州のインスブルックで開かれた第9回オリンピック冬季競技大会に出場した。成績は滑降が45位、回転が23位、大回転が25位であった。 1965年1月にスイスで開かれたラウバーン国際スキー大会において、男子滑降で43位、男子回転レースで14位に終わる。
坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は… 坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は、日本の作曲家、編曲家。尚美学園大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学高等学院を卒業。東京芸術大学器楽科(チェロ専攻。中退)の後、1963年から1967年にかけて山本直純のアシスタントを務めると同時に作編曲を師事した。1965年に作曲家としてデビュー。 作品は幅広く、ビリーバンバンの「さよならをするために」、伝書鳩の「目覚めた時には晴れていた」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおるの「鳥の詩」、チェリッシュの「あの空へ帰ろう」の作曲・編曲を手がけている。 また、フジテレビの「世界名作劇場」の音楽を担当した他、数々のTVドラマや映画、アニメの音楽も手がけている。
松本 英昭(まつもと ひであき、1942年2月10日 - 2… 松本 英昭(まつもと ひであき、1942年2月10日 - 2023年10月23日)は、日本の自治官僚。元自治事務次官。退官後は自治総合センター理事長、第28次・第29次地方制度調査会専門小委員長、地方公務員共済組合連合会理事長、地方公務員共済組合協議会会長などを歴任した。 1979年に大臣官房総務課長補佐だった際の青田買いは官庁で話題となっており、同年の大蔵省入省者曰く「東大法学部に何度も足を運び、ここぞと思う人物には電話もかけて説得していた。大蔵省に行くのが決まっていたが、情熱と人柄にホダされて自治省へ行った者もいた」という。この年は18人中17人が東大法学部で占めた。
鶴保 征城(つるほ せいしろ、1942年(昭和17年)2月1… 鶴保 征城(つるほ せいしろ、1942年(昭和17年)2月10日 - )は、日本の計算機科学者、実業家。 1966年(昭和41年)大阪大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了後、日本電信電話公社(現・NTT)に入社する。1989年(平成元年)11月、日本電信電話ソフトウェア研究所長となり、1991年(平成3年)3月、工学博士(大阪大学)。のち、NTTデータ通信取締役開発本部長、同社常務取締役技術開発本部長を経て、1997年(平成9年)6月、NTTソフトウェア代表取締役社長となった。2003年(平成15年)6月、同社取締役相談役。同年、高知工科大学工学部情報システム工学科教授。2004年(平成16年)独立行政法人情報処理推進機構ソフトウェア・エンジニアリング・センター所長・経済産業省産業構造審議会臨時委員、2008年(平成20年)日本学術会議連携会員、2009年(平成21年)学校法人専門学校HAL東京校長、2010年(平成22年)テリロジー監査役就任。
古川 武弘(ふるかわ たけひろ、(1942年(昭和17年)2… 古川 武弘(ふるかわ たけひろ、(1942年(昭和17年)2月10日 - )は、日本の銀行家。阿波銀行代表取締役会長。徳島県那賀郡那賀町海川出身。中央大学法学部卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、… ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、文筆家。 東京府生まれ。本名は桜井(稲留)尚子。日本女子大学附属高等学校、東京藝術大学器楽科卒、東京ゾリステンに入団、ヴァイオリンを弾く一方で作曲家の伝記などの執筆活動を行う。執筆にあたっては現地調査を行っていた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
杉岡 邦由(すぎおか くによし、1942年2月10日 - 2… 杉岡 邦由(すぎおか くによし、1942年2月10日 - 2016年/2017年)は、日本の走高跳の選手。1959年から1972年にかけて日本選手権優勝6回、オリンピック出場4回(1960年ローマ、1964年東京、1968年メキシコシティー、1972年ミュンヘン)。走高跳の技術が飛躍的に発展した時代に選手として活動、正面跳び(はさみ跳び)・ベリーロール・背面跳びの3種の跳躍方法をマスターしながら記録を伸ばした。 1962年アジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)に出場し、走高跳で優勝した。 日本大学第二高等学校3年生であった1959年、日本選手権で優勝(2m00)。日本大学に進学・卒業ののち、八幡製鐵に入社した。
福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月1… 福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本の歴史学者・民俗学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、元・神奈川大学外国語学部・大学院歴史民俗資料学研究科教授。柳田國男研究者。 三重県四日市市出身。 1963年に東京教育大学文学部史学科を卒業した。その後同大学大学院文学研究科に進み、1971年に文学研究科修士課程を修了した。 1977年に武蔵大学助教授となり、1984年に教授に昇進した。同年、国立歴史民俗博物館教授となる。 1993年に新潟大学に移る。1998年に神奈川大学教授となり、2011年まで務める。神奈川大学では非文字資料研究センター長を2010年3月まで兼務した。
鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年〈昭和16年〉2月10… 鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年〈昭和16年〉2月10日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(6期)、文部政務次官(宮澤改造内閣・第2次森内閣)、環境政務次官(第2次橋本内閣)、衆議院文教委員長、文部科学大臣(第10代)を歴任した。 神奈川県横浜市港北区師岡町で出生。1953年3月 横浜市立大綱小学校卒業。1956年3月 横浜市立大綱中学校卒業。1959年3月 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。 1963年3月 早稲田大学政治経済学部卒業。4月 毎日新聞東京本社に入社。政治部記者として15年間勤務。 1977年7月 衆議院議員・河野洋平(新自由クラブ代表)の秘書になる。1983年12月 第37回衆議院議員総選挙に神奈川1区(中選挙区制)から初めて立候補し、落選。
遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月… 遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月10日 - )は、日本の建築家。遠藤剛生建築事務所代表。神戸芸術工科大学特別教授。 山形県出身。1964年、大阪工業大学工学部建築学科卒業、1969年、遠藤剛生建築設計事務所設立。同年生まれに伊東豊雄や安藤忠雄など世界的に著名な建築家がおり、日本建築界において花の16年といわれる昭和16年生まれの建築家の一人である。
柏木 征夫(かしわぎ いくお、1941年(昭和16年)2月1… 柏木 征夫(かしわぎ いくお、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本の政治家。和歌山県御坊市長(7期)。 1964年京都大学農学部卒業後、京都大学助手、福岡県農業試験場を経て、1979年に和歌山県庁に入庁。農業振興課副課長を務める。 1992年、和歌山県選出の二階俊博衆議院議員の誘いを受けて御坊市長選挙に立候補し、柏木以外に立候補者がいなかったため、無投票で初当選した。自由民主党所属だった二階はその後新生党、新進党、自由党、保守党、保守新党を経て自民党に復党するが、柏木は一貫して二階の支援を受け、御坊市長に当選し続けた。なお、2012年までの6度の市長選のうち、4度は無投票による当選であった。
村井 恒夫(むらい つねお、1941年2月10日 - 201… 村井 恒夫(むらい つねお、1941年2月10日 - 2018年1月21日)は、日本の経営者。綜合警備保障社長、会長を務めた。 東京都出身。1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1968年9月に綜合警備保障に転じ、1970年8月に常務に就任し、1980年11月に副社長を経て、1986年9月には社長に就任。1994年6月に会長に就任し、2009年4月には相談役に就任。 2018年1月21日大動脈解離のために死去。76歳没。
佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1941年2月10日 - )… 佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1941年2月10日 - )は元・外交官、ナカノフドー建設監査役、パイオニア社外取締役。岡山県出身。趣味・特技はゴルフ、スキー、器楽。 1964年に東京大学教養学部を卒業と同時に外務省に入省。1983年に国際連合局政治課長、1984年に国際連合局政策課長、1985年に在フランス日本国大使館参事官、1987年4月にフランス大使館公使、1989年に官房外務参事官・兼・内閣官房外政審議室審議官、同年に官房審議官、1991年9月に在モントリオール総領事、1994年2月に文化交流部長、1995年8月に中南米局局長、1997年7月に在ポーランド日本大使、2000年5月から2003年11月まで在ベルギー日本大使を勤め、同年12月に退官。
勇崎 恒也(ゆうざき つねや、1941年(昭和16年)2月1… 勇崎 恒也(ゆうざき つねや、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 明治大学出身。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティーオリンピックに出場した。 安倍忠俊 | 飯島健 | 岩橋邦雄 | 神戸勝 | 木原征治 | 小島博 | 小島芳夫 | 佐土市良 | 中村敏治 | 中山弘 | 藤原博之 | 矢口照夫 | 山崎久寿 | 勇崎恒也 | 綿田道則 | 監督: 五百木一雄 岩橋邦雄 | 岡部道夫 | 加奥成雄 | 木原征治 | 高島昭男 | 滝沢健治 | 武田守洋 | 田中博司 | 橋本征治 | 松本紀彦 | 三輪宏 | 山岡敏彦 | 山口順一 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 吉村実 | 若林徹也 | 渡辺寛 | 監督: 小林定義 井出信夫 | 大塚智万 | 恩田昌史 | 加奥成雄 | 上村幸夫 | 河村一夫 | 工藤明朗 | 高島昭男 | 田中博司 | 長屋恭一 | 松本紀彦 | 安田善治郎 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 西村省三 | 吉村実 | 和田明仁 | 監督: 市川日出男 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
34代 式守 伊之助(さんじゅうよんだい しきもり いのすけ… 34代 式守 伊之助(さんじゅうよんだい しきもり いのすけ、本名:棚田 好男(たなだ よしお)、1941年2月10日 - 2022年1月4日)は、大相撲の立行司の一人である。式守伊之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。花籠部屋→放駒部屋→二子山部屋→貴乃花部屋所属。北海道赤平市出身。 1955年9月場所に木村光彦の名で初土俵。長く譲り名がなかったため、実に45年もの間この名で通していた。 1977年1月場所より十両格に昇格。1989年1月場所より幕内格に昇格。2001年1月場所より三役格昇進と同時に2代木村光之助と改名。 2005年11月場所で31代木村庄之助が停年。もう一人の立行司である33代式守伊之助と光之助は翌2006年1月場所後に停年を迎えるため2人とも昇格するか注目されたが、33代伊之助は32代木村庄之助を襲名、光之助も立行司に昇格、34代式守伊之助を襲名した。
四方 八洲男(しかた やすお、1940年(昭和15年)2月1… 四方 八洲男(しかた やすお、1940年(昭和15年)2月10日 - )は、日本の政治家。元京都府綾部市長(3期)、元京都府議会議員(3期)、元綾部市議会議員(2期)。兄は元毎日新聞編集委員、元サンデー毎日編集長の四方洋、長男は京都府議会議員の四方源太郎。 兵庫県西宮市生まれ。終戦と共に、両親の郷里である綾部市(当時は何鹿郡綾部町)にUターンし、綾部市立綾部小学校、綾部市立綾部中学校、京都府立綾部高等学校、京都大学経済学部卒業。1963年(昭和38年)三菱重工業株式会社に入社。 1976年11月に「オールカラー版 世界の童話」(小学館)を自分の子供に読み聞かせていたところ、『ピノキオ』中の「びっこのキツネ」「めくらのネコ」という箇所に気づき、その点を指摘しながら「五体満足で利口な主人公を『期待される子供像』として描いている反面、他の障害を持つキャラクターを社会の落伍者として描いており、差別を拡大助長させる童話であり看過できない」と出版社に抗議する。
野村 六彦(のむら むつひこ、1940年2月10日 - )は… 野村 六彦(のむら むつひこ、1940年2月10日 - )は、広島県広島市出身の元日本代表サッカー選手。元日立(現柏レイソル)所属。日本サッカーリーグ(JSL)初代得点王。ポジションはFW又はMF。 実家は老舗の文具店。広島市立袋町小学校を経て、広島市立国泰寺中学校へ進む。小学校6年までは野球をやっていたが、周りから、せっかくサッカーの名門国泰寺に入ったんだから男らしいサッカーをやろうと誘われ、サッカー部に入部。一年生は30数人いたが、基礎練習の反復が面白くなく3日で8人に減った。野村もその1人だったが、負けたようで悔しく再入部する。宮本輝紀、今西和男らも同中学出身。卒業後は、当時"広島三強"といわれた国泰寺高、広大附属、修道に負けないサッカー部をと強化していた広島舟入高校の校長に誘われ同校に進学。
下河辺 元春(しもこうべ もとはる、1940年2月10日 -… 下河辺 元春(しもこうべ もとはる、1940年2月10日 - )は、日本のジャーナリスト・経済学者で、元嘉悦大学助教授。専門は、国際経済・通商政策・政治外交史。 下河辺三史・美世夫妻の長男として東京府(現・東京都)に生まれる。父・三史は実業家・下河辺建二の次男で日製産業(現・日立ハイテク)の元社長、母・美世は元内閣総理大臣・芦田均の長女。末弟は音楽プロデューサーの下河辺晴三。 成蹊大学を卒業後共同通信社に入社。共同通信時代に国際政治学者の進藤榮一とともに『芦田均日記』の編纂をしたことで知られている。退社後、学校法人嘉悦学園法人事務局企画室長を務めたのち、嘉悦女子短期大学で教鞭を取る。 ミュージシャン・小沢健二の母・牧子(心理学者)は、下河辺の従姉にあたる(牧子の父・下河辺孫一は元春の父・三史の兄にあたる)。
辻 亨(つじ とおる、1939年2月10日 - )は、日本の… 辻 亨(つじ とおる、1939年2月10日 - )は、日本の実業家。丸紅代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 大分県出身。1961年東京大学法学部卒業、丸紅飯田(現丸紅)に入社。1991年取締役に昇格。1995年常務取締役。1996年代表取締役常務取締役。代表取締役専務取締役物資・建設部門統括役員を経て、1999年から代表取締役社長を務め、アジア通貨危機後の不況への対応を行った。2003年代表取締役会長。2004年取締役会長。2008年相談役。2011年大成建設取締役。2012年丸紅名誉理事。2020年11月、旭日重光章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松熊 信義(まつくま のぶよし、1939年2月10日 - )… 松熊 信義(まつくま のぶよし、1939年2月10日 - )は日本の俳優。福岡県出身。現代制作舎所属。劇団新人会出身。 日本大学芸術学部演劇科卒業。1962年4月、文化座に入団。『炎の人』の中年紳士役が初舞台。 特技は殺陣。舞台を中心に活動しており、演出も手掛ける。
松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )… 松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )は日本の実業家、徳間書店代表取締役相談役、多摩大学大学院経営情報学研究科客員教授、元・加州住友銀行代表取締役会長、元・東京総合信用代表取締役社長、クオーク初代代表取締役会長、元・大映代表取締役社長、元・徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役会長。 1938年生まれ。富山県高岡市出身。高岡市立中田小学校、高岡市立中田中学校を経て、富山県立高岡高等学校にて学んだ。上京し、学習院大学の政経学部に入学し、1960年に卒業する。 大学卒業後、住友銀行に入行する。1985年に取締役となり、以降1988年に常務、1991年に専務に就任した。1992年、住友グループに属する信販会社である東京総合信用の社長に就任した。
鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10… 鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元TBSアナウンサー。 本名は同じだが、TBS在職当時より冒頭表記と「鈴木 史郎」表記の両方が見られる。 京都府京都市北区、上賀茂神社の社家、神社を守護する武士の家系の出身。父親が日中貿易会社を設立し、幼少期は仕事関係から中国大陸で暮らす。第二次世界大戦の終戦後は、父親が無実のスパイ容疑をかけられ中国政府に拘束、強権的に財産没収を受ける。そのため母親と妹2人の4人で日本へ引き揚げることとなり、北京から天津の港まで約120kmを徒歩で移動したという。佐世保に着いた時、黄砂で空も空気も黄色く濁っていた中国に比べて、日本は「こんなにもきれいな国があるのか。
塙 五郎(はなわ ごろう、1938年2月10日 - )は、脚… 塙 五郎(はなわ ごろう、1938年2月10日 - )は、脚本家。本名は館野 彰。東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。 早稲田大学文学部演劇学科卒業後、東映に入社。東京撮影所に所属し、多くの映画、テレビドラマの助監督・監督を経て脚本家に転身する。 『キャプテンウルトラ』の頃から、佐藤肇とのコンビで脚本も執筆しており、『夜明けの刑事』からは、佐藤が命名したペンネーム(塙五郎)も併用し始める。 『特捜最前線』では、長坂秀佳らとともに番組の主力ライターとして活躍。佐藤と共に本名の館野彰名義で第13話「愛・弾丸・哀」を執筆したのをきっかけに、以後は塙五郎のペンネームに専念して、最下層の人々の悲劇を軸に置いたハードかつアバンギャルドな人情ものの作品を数多く輩出した。
鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月1… 鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月10日 - )は、日本の政治家。元青森県南津軽郡田舎館村長(5期)。旭日小綬章受章。 田舎館村出身。青森県立黒石高等学校卒業後、家業の農業に従事。1983年10月に田舎館村議会議員になる。1991年10月1日から1995年9月30日まで第12代同副議長を、同年10月2日から2001年3月9日まで、第18・19代同議長を務めた。 1999年10月1日に行われた田舎館村議会議長選挙に絡み、9月4日に阿部潤司村議から現金30万円を受け取り投票を約束したとして、2001年2月9日に収賄の疑いで逮捕された。鈴木は賄賂を飲食代などに使ったものの別の村議から議長選に出馬するよう説得されたため賄賂を阿部に返金した上で議長選に立候補、阿部との一騎打ちとなったが議長に再選した。
山下 和正(やました かずまさ、1937年2月10日 - )… 山下 和正(やました かずまさ、1937年2月10日 - )は、日本の建築家。工業デザインも手がけている。また、古地図のコレクターであり、岐阜県図書館には山下和正コレクションがある。
高辻 知義(たかつじ ともよし、1937年2月10日 - )… 高辻 知義(たかつじ ともよし、1937年2月10日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 ワーグナーを研究、ワーグナー作品の絵入り本の翻訳のほか、対訳本も刊行している。1980年代に、NHKラジオドイツ語講座(中級)の講師を務め、『ローエングリン』を訳読した。 妻はピアニストの岡村梨影。 東京市生まれ。広島大学附属福山高等学校卒業。1959年東京大学文学部ドイツ文学科卒業、1961年東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専門課程修士課程修了。1963年國學院大學文学部講師。 1965年から1966年まで、ベルリン自由大学(西ドイツ)へ留学。 1970年10月より東京大学教養学部助教授、1986年より東京大学教養学部教授、その後東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻主任。
稲留 照雄(いなとめ てるお、1937年(昭和12年)2月1… 稲留 照雄(いなとめ てるお、1937年(昭和12年)2月10日 - )は、日本の政治家。元大阪府泉南市長。 大阪府出身。1959年(昭和34年)慶應義塾大学文学部哲学科卒業。 1974年(昭和49年)以来、泉南市長に3選。1986年(昭和61年)8月、落選した。その後、2004年(平成16年)まで泉南市議会議員を務めた。
大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )… 大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )は、日本の実業家、ゴルフ評論家、ゴルフ場設計者。 兵庫県西宮市生まれ。1959年、関西学院大学を卒業し住友ゴム工業の前身である日本ダンロップに入社。大学時代にゴルフ部に所属(主将まで務めた)していた経験を生かしてゴルフ用品の開発などに携わる[要出典]。 1973年、同社の関連会社でゴルフ競技運営などを行うダンロップスポーツエンタープライズの設立と同時に出向の形でマネージャーとして入社。トーナメントプロデューサー・ディレクターとして「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」など数多くのゴルフトーナメントを手掛けた。トーナメントのプロデュースをしていくうちにゴルフ場設計の重要性を痛感するようになり、ゴルフ場設計に本格的に乗り出す[要出典]。
二見 伸明(ふたみ のぶあき、1935年(昭和10年)2月1… 二見 伸明(ふたみ のぶあき、1935年(昭和10年)2月10日 - )は、日本の政治家。 運輸大臣(第68代)、衆議院議員(8期)、公明党副委員長を歴任。 東京都台東区出身。埼玉県立浦和高等学校卒業、早稲田大学大学院修了。政治団体霞見會代表。日本戦略研究フォーラム政策提言委員。創価学会出身の公明党副委員長で、1994年の羽田内閣で運輸大臣を務めた後、新進党結党に参加して小沢一郎に接近し、小沢の自由党(後の民主党)に留まった。 公明新聞政治部長・第1編成局長を経て、1969年12月の衆院選に公明党公認で茨城3区から出馬し当選。いわゆる落下傘候補であった。以後衆院議員を計8期務め、1970年から1993年まで中央執行委員。
原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014… 原 嘉壽子(はら かずこ、1935年2月10日 - 2014年11月30日)は、日本のオペラ作曲家。本名は原和子。 東京府出身。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同専攻科修了。ベネデット・マルチェッロ音楽院声楽科卒業。池内友次郎、デュティユー、コラデッティらに師事。元同志社女子大学教授。芸術選奨文部大臣賞、ジロー・オペラ賞、紫綬褒章、旭日小綬章などを受賞している。 1978年から1999年の間に18曲のオペラを作曲した。多くは日本オペラ振興会または二期会によって東京で初演されたが、イタリアでも上演された作品がある。全般的には日本の主題を好んで用いるが、2作目のオペラはシャーロック・ホームズを題材とするもので、また1999年には新国立劇場でドストエフスキーの「罪と罰」の大規模オペラを上演した。
金井裕(かない ゆう、1934年2月10日 - )は、フラン… 金井裕(かない ゆう、1934年2月10日 - )は、フランス文学者、翻訳家、茨城キリスト教大学名誉教授。 東京生まれ。本名・裕吉。京都大学文学部仏文科卒、1959年東京大学文学部仏文科卒。シオン短期大学教授、茨城キリスト教大学短期大学部教授、2004年定年退任、名誉教授。2006年のシオラン『カイエ1957-1972』で日本翻訳文化賞受賞。エミール・シオランを多く翻訳した。
松本 知則(まつもと とものり、1934年2月10日 - 2… 松本 知則(まつもと とものり、1934年2月10日 - 2003年6月14日)は、日本の経営者。九州朝日放送の社長を務めた。 大分県出身。1957年に一橋大学社会学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。取締役、名古屋本社代表、常務を経て、1993年8月に専務に就任。 1997年6月に九州朝日放送の社長に就任し、全国朝日放送取締役も兼任した。 2003年6月14日、肝不全、腎不全により死去。69歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山口 博人(やまぐち ひろと、1934年2月10日 - 20… 山口 博人(やまぐち ひろと、1934年2月10日 - 2013年8月4日)は、日本の経営者。住友林業社長を務めた。 鹿児島県伊佐市(旧大口市)出身。1954年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。 住友信託銀行での勤務を経て、1975年11月に住友林業に転職。1982年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1994年6月に社長に就任し、1999年4月には会長に就任。2001年6月には取締役相談役に就任し、2002年6月からは名誉顧問を務めた 2013年8月4日、心不全のために死去。79歳没。
ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月1… ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月10日 - 2010年〈平成22年〉1月18日)は、日本のタレント・ラジオパーソナリティ・随筆家・実業家。本名:安川 実(やすかわ みのる)。 神奈川県横浜市中区本牧出身。父親は横浜市の富岡海岸で漁業権を管理していた網元であり、漁業以外にも多くの副業を営む事業家であった。また、遡ると房総半島の片貝海岸辺りで代々漁師を営んでいた家でもあったという。第二次世界大戦中は素行の悪さから学童疎開を拒否され、当時敵国籍の子弟を預かっていた中区山手にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジへ一緒に入れられた。 横浜高等学校を経て、1952年6月に単身渡米。
増野 武夫(ますの たけお、1933年2月10日 - 202… 増野 武夫(ますの たけお、1933年2月10日 - 2026年2月3日)は、日本の経営者。協和埼玉銀行頭取を務めた。 埼玉県出身。1955年に東北大学法学部を卒業し、同年4月に埼玉銀行に入行。1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1989年6月に副頭取に就任し、1990年6月に頭取に昇格。1991年4月には協和埼玉銀行頭取に就任。1991年5月に相談役に就任し、1998年4月にあさひ銀行特別顧問を経て、2001年10月から特別参与を務めた。 2026年2月3日、誤嚥性肺炎のために死去。92歳没。
大矢崎 武男(おおやざきたけお、1933年2月10日 - 没… 大矢崎 武男(おおやざきたけお、1933年2月10日 - 没年不明)は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名は木越 武男。現在の秋田県大館市出身。182cm、119kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 1953年9月場所初土俵、1961年3月場所十両昇進。十両を11場所務めたが、十両中位の壁を破れず、1963年9月場所限りで廃業した。 叔父は大正から昭和にかけての十両力士の大矢崎信哉。
有馬 賴底(ありま らいてい、1933年2月10日- )は、… 有馬 賴底(ありま らいてい、1933年2月10日- )は、日本の禅僧。臨済宗相国寺派管長。初名は有馬永頼。道号及び現在の戸籍名は賴底。法諱は承黙。大龍窟とも号する。久留米藩主有馬家(赤松氏流)の子孫。東京市中野区出身。 1933年、有馬家分家筋の父・有馬正頼男爵と、母・明子との次男として東京で生まれる。父正頼は、有馬頼多と三番目の妻英子(菊亭公長姉)との子。また父正頼は、有馬本家当主であり中央競馬の競走名「有馬記念」に名を残す有馬頼寧の従兄弟にあたる。母明子は、旧沼津藩主の水野家当主水野忠亮子爵(水野忠敬長男)の娘。 学習院幼稚園から学習院初等科にかけて、華頂博孝(のち伏見博孝)、徳川宗広(田安徳川家。
岡本 貞子(おかもと さだこ、1933年2月10日 - )は… 岡本 貞子(おかもと さだこ、1933年2月10日 - )は、日本の浪曲の曲師。大阪府八尾市出身で、本名は境貞子。浪曲親友協会所属。 1947年に、伯母にあたる浪曲師の岡本梅嬢門下で岡本貞子と名乗る。1948年に徳島県貞光長にて「甘酒茶屋」で初舞台に上がり、1951年に曲師に転向。1961年頃に木下佳津枝(現在の浪曲師の京山幸枝栄)、田中絹代と共に音頭ショウ「ソフトショウ」結成し三味線を担当、1978年6月トリオを解消し浪曲の世界に復帰。 現在は2代目京山幸枝若、2代目京山小圓嬢等の曲師を勤める。 第11回上方の舞台裏方大賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 20… 木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 2006年2月5日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に三菱重工業に入社。1970年に分社独立した三菱自動車工業に転じ、1989年6月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1996年6月に社長に就任。1999年から会長を務めた。 2006年2月5日、胆管癌で死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 202… 松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 2020年1月23日)は、英文学者、成城大学名誉教授。英国ロマン派詩、特にジョン・キーツを研究し、薄田泣菫との比較研究も行った。 高知市出身。神戸大学文学部英文科卒。同大学院博士課程中退、名古屋商科大学助教授、1965年成城大学助教授、教授、1977-1978年オックスフォード大学客員研究員、同大学院特別研究生。1985年「キーツ-その夢と現実」で神戸大学学術博士。2002年定年、名誉教授。2010年秋、瑞宝中綬章受章。 2020年1月23日3時50分、心不全のため、広島県東広島市の病院で死去。88歳没。死没日をもって、従五位に叙される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 201… 中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 2015年10月29日)は、日本のノンフィクション作家。本名、高橋 道(たかはし みち)。旧姓、中島(なかじま)。 京都府京都市出身。1948年、東京都立武蔵高等女学校卒業。東京女子大学英文科卒業。1953年2月に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在のTBS)にアナウンサー2期生として入社。1958年12月にラジオ東京を退社。1959年1月、ラジオ東京と嘱託契約しタレントアナ第二号に(中島道名義)。1970年に中央大学大学院法学研究科(刑事法専攻)修士課程修了。同年乳がん手術を機に医療の質や安全について関心を持って作家活動を始め、一貫して患者の立場から医療改革を訴え、医療に法律が関わる問題とその接点となる諸問題、医療制度、安楽死、がんの告知、臓器移植、尊厳死など生命倫理の問題医療に関する問題をテーマした作品の執筆、訳書、評論活動が多く、脳死の状態を「見えない死」と紹介するなど、医療現場が直面する課題を社会に投げかけたり、看護の日を発案し制定を呼びかけた。
相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 20… 相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 2004年5月21日)は、日本の俳優。秋田県北秋田郡鷹巣町出身。晩年の所属は株式会社仕事。
更田 豊治郎(ふけた とよじろう、1930年2月10日 - … 更田 豊治郎(ふけた とよじろう、1930年2月10日 - 2016年2月29日)は、日本の物理学者。第2代原子力規制委員会委員長の更田豊志は子。 上海生まれ。1953年3月、大阪大学理学部物理学科卒業。1957年1月、大阪大学大学院理学研究科博士課程中退。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)に入所。1989年1月、副理事長。1993年退職。 1961年6月8日、大阪大学より理学博士号取得。 一般社団法人日本原子力学会副会長、財団法人原子力データセンター(現高度情報科学技術研究機構)理事長、財団法人環境科学技術研究所会長、財団法人日本海洋科学振興財団理事長を歴任した。 2000年、勲三等旭日中綬章を受章。
岡田 宏(おかだ ひろし、1930年2月10日 - 2019… 岡田 宏(おかだ ひろし、1930年2月10日 - 2019年11月29日)は、日本の公団理事。 東京都出身。1953年に東京大学工学部土木工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社。1983年12月に常務理事に就任し、1986年12月に技師長、1987年10月に日本鉄道建設公団副総裁を経て、1989年67から1992年5月までに総裁を務めた。1992年7月にさくら銀行顧問、1993年7月に海外鉄道技術協力協会理事長を歴任した。 2000年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 2013年11月29日に死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
勝俣 孝雄(かつまた たかお、1930年2月10日 - 20… 勝俣 孝雄(かつまた たかお、1930年2月10日 - 2019年3月11日)は日本の経営者。新日本製鐵(現:新日鐵住金)副社長、九州石油(現:ENEOS)社長・会長を務めた。 東京府東京市出身。1953年に東京大学法学部卒業、八幡製鐵(後の新日本製鐵)入社。秘書生活を21年勤め社内では名物秘書長として知られた。 「ゴードファーザー」こと永野重雄、稲山嘉寛の二人が1983年に引退宣言。これにより1952年 - 1954年入社組の今井敬(旧富士出身)、佐々木喜朗(旧富士。大学の同期)、永野辰雄(永野重雄の長男)、勝俣の四人がほぼ同時期に取締役に昇進、激しい出世争いとなった。財界人脈が豊富な勝俣が次期社長候補No.1と期待されていた。
窪川 健造(くぼかわ けんぞう、1930年2月10日 - 2… 窪川 健造(くぼかわ けんぞう、1930年2月10日 - 2015年8月6日)は、日本の映画監督。主にテレビドラマの演出として活躍した。 1930年に文芸評論家の窪川鶴次郎と作家の佐多稲子の長男として生まれる。1953年、東京大学仏文学科卒。近代映画協会にて吉村公三郎、新藤兼人両氏に師事。『原爆の子』(1952年)に助監督として参加する。映画監督デビューは松川事件の被告の家族を描いた『手をつないで』(1960年)。専らフリーの立場でテレビ映画の監督として従事。テレビドラマ『チャコとケンちゃん』『木枯し紋次郎』『鉄平と順子』『放浪記』『剣客商売』などの演出を手掛けた。1978年放送の東海テレビ製作フジテレビ系ドラマ『雪山讃歌・ある青春〜立てた!滑れた!』で第1回赤十字映画祭テレビ映画部門最優秀賞。
三輪 秀彦(みわ ひでひこ、1930年2月10日 - 201… 三輪 秀彦(みわ ひでひこ、1930年2月10日 - 2018年12月15日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。元明治大学教授。 愛知県名古屋市生まれ。1953年東京大学文学部仏文科卒。國學院大學講師などを経て、1966年に明治大学講師となり、1973年以降助教授、のち教授を2001年まで務めた。 モーリス・ブランショ『死の宣告』、ナタリー・サロート『見知らぬ男の肖像』、マルグリット・デュラス『ジブラルタルの水夫』といった前衛フランス文学のほか、ジョルジュ・シムノン、ジュール・ヴェルヌ、ジェラール・ド・ヴィリエなどの娯楽小説も多く訳した。1963年『内面の都市』で文藝賞佳作となったこともある。日本近代文学などの文芸批評もある。
稲石 三二(いないし みつじ、1930年2月10日 - 20… 稲石 三二(いないし みつじ、1930年2月10日 - 2008年4月8日)は、日本の体育科教員、ハンドボール指導者。 愛知県豊橋市に生まれ、日本体育専門学校(現日本体育大学)を卒業。1950年から名古屋市立桜台高等学校教諭および同校ハンドボール部監督を務め、全国高等学校総合体育大会ハンドボール競技大会(インターハイ)に5連覇を含む9回優勝、国民体育大会で3連覇2度を含む9回優勝など、数多くの実績を残し選手を育てた。 高校教諭退職後、名古屋文理短期大学、名古屋文理大学の教員として体育学の研究およびハンドボール部指導を行った。 現在にいたるまで、愛知県がハンドボール王国と言われるほどハンドボールが盛んな理由は、稲石による普及活動に加え、稲石の教え子たちが後に高校教諭等になってハンドボール指導にあたったためである。