東條 敬(とうじょう さとし、1951年11月14日 - )… 東條 敬(とうじょう さとし、1951年11月14日 - )は、日本の財務官僚。財務総合政策研究所教授や、財務省北海道財務局長を経て、株式会社福邦銀行代表取締役頭取を務めた。 東京都出身。1974年日本大学法学部卒業。 1978年大蔵省入省。2003年財務省東海財務局理財部長。2005年財務省財務総合政策研究所研修部長兼研究部教授。2005年国家公務員共済組合連合会総務部長。2008年財務省北海道財務局長。2009年預金保険機構財務部長。2010年株式会社福邦銀行専務取締役。2011年から株式会社福邦銀行代表取締役頭取を務め、経営強化にあたった。2015年には越前市との間で包括的地域連携を締結。
楠橋 高幸(くすばし たかゆき、1950年11月14日 - … 楠橋 高幸(くすばし たかゆき、1950年11月14日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手、ポジションは内野手。
速水 亮(はやみ りょう、1949年11月14日 - )は、… 速水 亮(はやみ りょう、1949年11月14日 - )は、日本の俳優。本名、越坂部 茂(こさかべ しげる)。旧芸名、炎 三四郎、豊田 正文、三崎 玲資。 千葉県君津市出身(出生は神奈川県横浜市)。木更津中央高等学校(現、木更津総合高等学校)中退。妻は元女優の美山尚子、長男は俳優の香坂優介。オールアウト所属。 6歳まで横浜商店街あたりに住み、家の近くにあった映画館に足しげく通う。 千葉県の木更津中央高等学校で、柔道部の主将を務めた。公式戦で無敗を誇り、大学から引き合いが来るほどの強さで、本人は柔道で大学へ進み、武道館に出場するのが夢だったという。しかし、素行面で学校ともめごとが絶えず、もうすぐ3年に上がろうというとき、高校側から退学処分を受ける。
笹倉 明(ささくら あきら、1948年11月14日 -)は、… 笹倉 明(ささくら あきら、1948年11月14日 -)は、日本の小説家。タイ在住の上座部仏教の日本人比丘(僧侶)。比丘としての名前はプラ・アキラ・アマロー。 シンガーソングライター・レコーディング・エンジニア・スタジオ兼カフェのオーナーで内装職人の笹倉慎介は実子。 兵庫県西脇市生まれ。淳心学院高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。広告代理店、フリーの雑誌記者等を経て、1980年、日本人青年の異国放浪を描いた『海を越えた者たち』(第4回すばる文学賞佳作入選)でデビュー。 1988年、『漂流裁判』で第6回サントリーミステリー大賞受賞。翌1989年、ジャパゆきさんによる殺人事件をテーマにした長編小説『遠い国からの殺人者』で第101回直木賞を受賞。
山本 繁太郎(やまもと しげたろう、1948年〈昭和23年〉… 山本 繁太郎(やまもと しげたろう、1948年〈昭和23年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉3月15日)は、日本の政治家、元建設官僚。山口県知事(第46代)を務めた。 山口県柳井市出身。山口県立柳井高等学校から東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、1972年(昭和47年)に建設省(後の国土交通省)に入省し、住宅局長等を歴任。以降は内閣府等を経て、麻生内閣のもとで務めた内閣官房地域活性化統合事務局長を最後に退官。 2008年(平成20年)には福田康夫内閣で初めての国政選挙となる衆議院山口2区補欠選挙に自由民主党公認、公明党推薦で立候補。この補選は山口2区選出の福田良彦(自民)が岩国市長選へ立候補するため議員辞職したこと(後に市長選に当選)に伴うものだった。
山﨑 恒(やまざき ひさし、1948年11月14日 - )は… 山﨑 恒(やまざき ひさし、1948年11月14日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元公正取引委員会委員。元札幌高等裁判所長官。千葉県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 … 青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 - )は、宮城県仙台市太白区出身で押尾川部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名は庄司 幸雄(しょうじ ゆきお)。現役時代の体格は181cm、152kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。最高位は西関脇(1983年7月場所)。愛称は「土俵の鉄人」。初土俵(序ノ口)以来1630回の連続出場記録保持者であった。 中学時代はサッカー部に所属していた一方で、小学5年生の頃から自転車やサッカースパイクを買うために新聞配達を行っていた。この新聞配達を冬の雪の中でもひたすら行ったことが、健康面や精神面の修養に効果をもたらした。相撲経験は皆無であったが、横綱・大鵬のような力士になりたいと卒業直前に力士を志し、アルバイトで貯めた金で上京して大鵬が所属する二所ノ関部屋に出向き入門を許可された。
齋藤 和(さいとう のどか、1947年11月14日 - 19… 齋藤 和(さいとう のどか、1947年11月14日 - 1975年5月19日)は、日本の政治活動家。男性。 元東アジア反日武装戦線 “大地の牙” メンバーで、同部隊の事実上のリーダーであった。1974年の三井物産爆破事件をはじめ、同部隊による連続企業爆破事件において、主導的役割を担ったとされる。 北海道室蘭市出身。北海道室蘭東高等学校では生徒会長を務めた。高校時代にアナキズム理論に出会い、松田政男、山口健二、川仁宏、笹本雅敬らの東京行動戦線に賛同し、シンパとなった。夏休みには上京し東京行動戦線の母体である現代思潮社でアルバイトをするほどの熱心さだった。 東京都立大学人文学部に進学し上京。東京行動戦線から派生した笹本、朝倉喬司らのベトナム反戦直接行動委員会にも参加し、1966年10月19日に東京都田無市(現:西東京市)の日特金属工業(現:住友重機械工業)を襲ったメンバーの一人だったが、逮捕はされなかった。
梶田 信一郎(かじた しんいちろう、1947年11月14日 … 梶田 信一郎(かじた しんいちろう、1947年11月14日 - )は、日本の地方公共団体職員、自治官僚。一般財団法人自治総合センター理事長。 自治省税務局市町村税課課長、兵庫県庁総務部部長、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、財団法人地域創造理事長、一般財団法人地域創造理事長などを歴任した。 岡山県出身の地方公共団体職員である。熊本県の事務吏員として東京事務所で採用され、のちに熊本県庁の総務部地方課にて勤務した。その後、自治省に入り、財政局、大臣官房、税務局などで勤務するとともに、他省庁や地方公共団体への出向を繰り返した。自治省では税務局にて市町村税課の課長に就任しており、出向先の兵庫県庁では総務部の部長に就任するなど、要職を歴任した。
戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )… 戸川 安宣(とがわ やすのぶ、1947年11月14日 - )は、日本の編集者、ミステリ評論家。 東京創元社の元会長、元社長。光文文化財団理事。 ミステリ専門書店「TRICK + TRAP」元店主。日本推理作家協会、本格ミステリ作家クラブ各会員。本格ミステリ作家クラブでは事務局長をつとめた。編集者としてミステリ作家を多数育成する傍ら、文庫解説等の執筆を行う。 戦時疎開先の長野県で出生し、翌年、東京に移り荒川区南千住で育つ。 生家は備中庭瀬藩戸川家の分家である帯江戸川家で、江戸時代には3000石の大身旗本だった。同名の庭瀬藩主戸川安宣は、直系ではないが、先祖筋にあたる。曽祖父は、帯江戸川家8代目戸川安愛の弟で、9代目戸川最兎女(もとめ)栄秀。
仁井谷 俊也(にいたに としや、1947年11月14日 - … 仁井谷 俊也(にいたに としや、1947年11月14日 - 2017年10月2日)は、広島県尾道市出身の作詞家。69歳没。 29歳で演歌に目覚め、歌謡同人誌『こけし人形』に10年間の投稿生活を送る。1985年、38歳のとき第18回日本作詩大賞で新人賞を受賞。これを機に広島に妻子を残して単身上京。営業職のサラリーマンから「脱サラ」で作詞家に転身した。 1998年には天童よしみの「人生しみじみ」が藤田まさと賞を受賞。2005年、氷川きよしが「面影の都」で第38回日本有線大賞を受賞。2014年、氷川きよしの「ちょいと気まぐれ渡り鳥」が第47回日本作詩大賞を受賞した。 生前は日本音楽著作権協会評議員・日本作詩家協会常務理事・日本音楽作家団体協議会理事を歴任。
阿藤 快(あとう かい、、1946年〈昭和21年〉11月14… 阿藤 快(あとう かい、、1946年〈昭和21年〉11月14日 - 2015年〈平成27年〉11月14日)は、日本の俳優・タレントである。神奈川県小田原市出身。東京都立大学法学部法律学科(二部)卒業。劇団俳優座、舞プロモーションを経て、 ボニート合同会社(Bonito LLC)に所属していた。血液型A型。本名は阿藤 公一(あとう こういち)。旧芸名は阿藤 海(読み同じ)。 中学時代は野球に熱中していた。神奈川県立西湘高等学校に入学するが、高校に野球部がなかったため2年時に退学。その後、野球部名門校の編入試験を受験するも不合格になり、西湘高校へ復学。卒業後は、東京都立大学法学部法律学科の第二部に合格し、入学。
四宮 和生(しのみや かずお、1946年11月14日 - )… 四宮 和生(しのみや かずお、1946年11月14日 - )は、日本の経営者。ヨータイ元代表取締役社長である。 1946年生まれ。徳島県出身。1970年(昭和45年)3月に山口大学工学部を卒業。同年4月に大阪窯業耐火煉瓦(現ヨータイ)に入社。1995年(平成7年)4月に日生工場製造部長、1997年6月に同社工場長、1999年6月に同社取締役日生工場長、2001年に同社専務役日生工場長 兼 技術研究所・エンジニアリング事業部・貝塚工場管掌、2003年3月に同社専務取締役本社営業部・東京支社・九州支社・名古屋支社・岡山支社管掌、2003年6月に代表取締役専務、2004年4月に同社代表取締役営業部・東京支社・九州支社・名古屋支社・岡山支社・海外営業部管掌を歴任した。
桂 南八(かつら なんぱち、1946年11月14日 - 20… 桂 南八(かつら なんぱち、1946年11月14日 - 2007年11月15日)は、落語芸術協会に所属していた落語家。本名∶楡井 勇。 1947年、群馬県新田郡に生まれる。地元の高学を卒業後三洋電機に入社。サラリーマンとなる。 1967年、二代目桂小南に入門。1970年、二ツ目昇進。 1981年に三笑亭夢太朗、三遊亭栄馬と共に真打昇進。1984年、国立演芸場にて金賞受賞。 2007年、消化管出血のため死去。61歳没。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月… サトル・サトウ(佐藤 達〈さとう さとる〉、1945年11月14日 - )は、フランスを拠点に活動する画家、造形作家。宮城県登米市出身。宮城県佐沼高等学校卒。フランス・パリ在住。 1969年、パリでデビュー。1979年、「鉛直主義」を世界に向けて宣言し国際的抽象画家となったサトルは、幾何学構成的絵画から立体作品、環境造形作家として、パリを拠点に多くの制作、発表を各国で行っている。 これまで、個展70回、グループ展380回、環境造型作品制作設置は40点を数え、30か国で発表している。
山田 豊彦(やまだ とよひこ、1945年11月14日 - )… 山田 豊彦(やまだ とよひこ、1945年11月14日 - )は、日本の経営者。埼玉県出身。 1968年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に東急建設に入社。2000年6月に取締役を就任し、2002年6月に常務、を経て、2003年5月には社長に就任。2007年6月には特別顧問に就任。
城野 昭(じょうの あきら、1944年11月14日 - )は… 城野 昭(じょうの あきら、1944年11月14日 - )は、元テレビ西日本(TNC)・毎日放送(MBS)の男性アナウンサー。 神奈川県藤沢市出身。國學院大學卒。テレビ西日本を経て、1973年に毎日放送へ移籍。 主に野球などスポーツ中継を担当。プロ野球中継では「江夏の21球」で知られる1979年の日本シリーズ第7戦をはじめ、1992年10月10日のヤクルト優勝決定試合、1995年の日本シリーズ第2戦などの実況を担当。年末年始恒例の『全国高校ラグビー大会』では長年にわたり決勝戦の実況を担当。また、かつて行われていた「ソウル国際女子駅伝」のメイン実況も務めた。 1981年春の選抜高校野球の開会式では、入場行進曲(『青い珊瑚礁』)を歌った松田聖子をゲスト席に迎え実況を務める。
荻谷 忠男(おぎや ただお、1944年11月14日- )は、… 荻谷 忠男(おぎや ただお、1944年11月14日- )は、日本の経営者。北海道テレビ放送社長、会長を務めた。茨城県出身。 1969年に東京大学教養学部を卒業。千代田生命、朝日新聞社での勤務を経て、2002年6月に北海道テレビ放送常務に就任し、2004年6月に専務を経て、2005年6月に社長に就任。2011年6月に会長に就任。2008年6月にはテレビ朝日監査役に就任。
安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 200… 安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 2000年代初頭?/2008年頃?/2009年?/2018年12月25日?)は、日本の女性ジャズシンガー。 北海道札幌市生まれ。12歳まで札幌で過ごし、中学の時、東京都目黒区の目黒第十中学校に転入する。同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。東京都立広尾高等学校では授業をさぼってジャズ喫茶に入り浸り、サラ・ヴォーンやアート・ブレイキーに夢中になる。同校卒業後の1961年、18歳でテレビ番組「勝ち抜きジャズ」ボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。20歳のとき俳優座養成所に16期生として入所するが2年で中退(養成所同期に古谷一行、鶴田忍、峰岸徹、大林丈史、大出俊、太地喜和子などがいる)。
鈴木 克昌(すずき かつまさ、1943年(昭和18年)11月… 鈴木 克昌(すずき かつまさ、1943年(昭和18年)11月14日 - )は、日本の政治家。社団法人蒲郡青年会議所理事長、愛知県議会議員(4期)、蒲郡市長(第11・12代)、衆議院議員(5期)、総務副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、民主党幹事長代理、国民の生活が第一国会対策委員長、生活の党代表代行・幹事長などを歴任した。 愛知県蒲郡市生まれ。蒲郡市立蒲郡中学校、愛知県立蒲郡高等学校、日本大学経済学部卒業。蒲郡青年会議所理事長等を歴任した。 1982年、愛知県議会議員補欠選挙に立候補し初当選。県議を4期務めた。県議時代は自由民主党に所属。 1993年12月20日、県議を辞職。1994年の蒲郡市長選挙に立候補し初当選した。
安田 匡裕(やすだ まさひろ、1943年11月14日 - 2… 安田 匡裕(やすだ まさひろ、1943年11月14日 - 2009年3月8日)は、日本の映画やCMのプロデューサー・ディレクター。兵庫県香住町(現・香美町)出身。 明治大学卒業後に電通映画社に入社、ディレクターとして多くのテレビコマーシャルの企画・演出に携わる(レナウン「シンプルライフ」高倉健出演他)。 同社退社後、CFプロデューサー檀太郎と1984年に株式会社スケールを設立する。 1987年にテレビコマーシャルの制作を中心とする制作プロダクション、株式会社エンジンフイルムを設立する。 設立後、現役の演出家としてテレビコマーシャルの制作に関わる一方で、映画のプロデュースにも意欲を示し、親交のあった相米慎二監督の『東京上空いらっしゃいませ』で初の企画、プロデュースを果たす。
四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 194… 四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 1943年11月14日(82歳) - )は、岩手県出身の作曲家・作詞家である。 1943年生まれ、岩手県水沢市出身。音楽での立身を思い上京し、ビクターレコードの歌手オーディションに合格、猪俣公章の門下生になり、作曲を始める。その後、歌手としては売れなかったが、1973年に作曲した三善英史「遠い灯り」、1980年に作詞作曲した田辺靖雄ほかの「おれでよければ」、1984年に発売された木村友衛ほかの「浪花節だよ人生は」(作曲を担当)などがヒットした。 主な作品として資料より、各賞受賞作を中心にピックアップした。(順不同。なお特記の無い限り作曲を担当)
真鍋 一史(まなべ かずふみ、1942年11月14日 - )… 真鍋 一史(まなべ かずふみ、1942年11月14日 - )は、日本の社会学者。元青山学院大学教授、関西学院大学名誉教授。 香川県高松市丸亀町出身。1967年慶應義塾大学法学部卒、1971年同大学院法学研究科政治学博士課程満期退学、同年関西学院大学社会学部助手、1972年専任講師、1975年助教授、1981年教授。1984年「世論とマス・コミュニケーション その理論と調査」で慶大法学博士。2009年関西学院大を退職、名誉教授、元青山学院大学地球社会共生学部教授。 1990年『広告の社会学』で日本広告学会賞受賞。
上吉原 一天(かみよしはら かずひろ / いってん、1942… 上吉原 一天(かみよしはら かずひろ / いってん、1942年(昭和17年)11月14日 - )は、日本の自治官僚、政治家、元自由民主党参議院議員(1期)。 1942年、栃木県に生まれる。1965年、東京大学法学部を卒業。 同年、自治省に入省。以後、1970年、諫早税務署長、1973年、福島県総務部財政課長、1986年、消防庁危険物規制課長、1987年、自治省官房企画兼参事官、同年、愛媛県総務部長、1993年、消防庁官房審議官などを歴任。 1996年10月20日、第16回参議院議員通常選挙栃木県選挙区補欠選挙で自由民主党から出馬して当選。1998年7月第18回通常選挙では次点で落選し参議院議員を一期務めた。
中村 勝行(なかむら かつゆき、1942年11月14日 - … 中村 勝行(なかむら かつゆき、1942年11月14日 - 2022年3月11日)は、日本の脚本家、小説家。俳優の中村敦夫は兄にあたる。時代小説を書くときのペンネームは「黒崎裕一郎」。 機械いじりと絵を描くことが好きだった少年時代だったとのこと。しかし「絵は芸術大学に不合格だった時点で、映画のカメラマンは目が悪いからあきらめた」という。東京電機大学を卒業後、撮影機材会社の技師、制作会社プロデューサーの手伝いなどを経て、必殺シリーズへの原稿持ち込みがきっかけでテレビの世界に入り1975年に『必殺仕置屋稼業』で脚本家デビュー。必殺シリーズ、「ザ・ハングマン」などの脚本を手がける。 また時代小説も手がけており、1995年には、中村勝行名義で発表した『蘭と狗 長英破牢』で第6回時代小説大賞を受賞した。
毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭… 毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭和16年)11月14日 - 2001年(平成13年)9月2日)は、日本の建築家。日本建築学会賞作品賞など多数受賞。 初期に毛綱モン太(もづなもんた)と名乗っていたが「毅曠」に改名。1970年代の日本の前衛建築の先鋒の観が有ったとされる。「阿弥陀から弥勒への七つのメッセージ』という九枚のパネルを発表し、世界的にも有名となった。 彼の設計は、「機能」というものに挑戦的であった。例えば、初期の代表作「反住器」は8m角の立方体(建築本体)のなかに4m角の立方体(部屋)が有り、その中に1.7m角の立方体(家具)が有り、三者は同形にデザインされているという。
鬼武 一夫(おにたけ かずお、1941年11月14日 - 2… 鬼武 一夫(おにたけ かずお、1941年11月14日 - 2021年10月14日)は、日本の生物学者。理学博士(名古屋大学)。専門は生殖生物学・発生生物学で、下等脊椎動物の生殖(イモリの受精研究等)で成果を上げる。山形大学副学長、東北文教大学学長を経て学校法人富澤学園副理事長を務めた。山口県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994… 瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994年6月5日)は、日本の工学者。理学博士(京都大学・1977年)、最終職歴は京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)計測装置部門助手(現助教)であった。熊取六人衆の一人。 1940年(昭和15年)11月14日、兵庫県神戸市に生まれる。 1959年(昭和34年)3月、大阪府立高津高等学校を卒業、翌1960年(昭和35年)4月、京都大学工学部原子核工学科に入学する。1964年(昭和39年)3月、同大学同学科卒業、同年4月、京都大学大学院工学研究科原子核専攻修士課程に入学する。 1966年(昭和41年)3月、同大学院同課程修了、工学修士の学位を取得、同年4月、京都大学原子炉実験所計測装置部門助手(現在の職階では助教)となる。
岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - … 岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - 2002年1月23日)は、日本の政治家。 自由民主党元衆議院議員(3期)。民主党元衆議院議員・紀の川市市長岸本健の父。 和歌山県那賀郡粉河町(現在の紀の川市粉河町)出身。和歌山県立粉河高等学校、神奈川大学卒業、法政大学大学院修了。京都短期大学政治学講師。 1975年(昭和50年) 和歌山県議会議員。1987年(昭和62年)5月19日 - 和歌山県議会副議長。1988年(昭和63年) -全国みかん生産府県議会議員対策協議会会長。1990年(平成2年)7月11日 - 和歌山県議会議長。 1992年(平成4年) 自由民主党県連議員総会会長。
内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、… 内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・桜花会元幹事。工学博士(大阪市立大学)。 専門は、有機合成化学・物理化学/物質科学・熱分解。 大阪工業大学工学部応用化学科卒業。大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。1974年大阪工業大学工学部応用化学科助教授などを経て、1982年大阪市立大学大学院より工学博士号を取得。大阪工業大学工学部応用化学科教授を経て、2005年同大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。 主な所属学会は、日本化学会など。
徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉… 徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉11月7日)は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 「有恒」は「ゆうこう」とも読む。本名及び旧筆名は、杉江 博愛(すぎえ ひろよし)。 代表作となる「間違いだらけのクルマ選び」を出版する前は、本名で活動していた。「徳大寺有恒」の名前は、「できるだけ偉そうにしよう」と決定したペンネームである。この筆名の姓に関しては、堂上家で清華家7家のうちの一つである公家の徳大寺家と姻戚関係は一切無い。 「NAVI」(二玄社)や「ベストカー」(三推社)、「ENGINE」(新潮社)などの自動車専門誌や「MEN'S EX」(世界文化社)などの男性ファッション誌、テレビ、新聞、各種講演などを中心に幅広いジャンルで活躍していた。
岡本 泰明(おかもと やすあき、1939年(昭和14年)11… 岡本 泰明(おかもと やすあき、1939年(昭和14年)11月14日 - 2020年(令和2年))は、日本の政治家。元大阪府柏原市長(2期)。 大阪府出身。大阪大学法学部卒業。柏原市議会議員を経て、2005年(平成17年)柏原市長選挙に立候補し、当選。2009年(平成21年)に再選。2013年(平成25年)に退任した。
渡辺 惇夫(わたなべ あつお、別表記:渡邉 惇夫、1938年… 渡辺 惇夫(わたなべ あつお、別表記:渡邉 惇夫、1938年〈昭和13年〉11月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。第84代新潟県議会議長、新潟県議会議員(9期)、新潟市議会議員(2期)。 1957年(昭和32年)、新潟明訓高等学校卒業。中央大学法学部卒業。1979年(昭和54年)の新潟市議会議員選挙に無所属で立候補して、初当選を果たした。同年5月2日に就任した。1983年(昭和58年)の選挙では自由民主党公認で立候補して、再選を果たした。1987年(昭和62年)の新潟県議会議員選挙に新潟市選挙区から、自民党公認で立候補して初当選を果たした。1991年(平成3年)の県議選で再選を果たした。
白石 太一郎(しらいし たいちろう、1938年11月14日 … 白石 太一郎(しらいし たいちろう、1938年11月14日 - )は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長。 1938年、大阪府大阪市に生まれた。大阪星光学院高等学校を経て、1961年同志社大学文学部文化学科文化史専攻を卒業。同大学院文学研究科文化史専攻に進み、1964年に修士課程修了、1968年に同博士課程を単位取得満期退学した。 1986年4月より古代学協会研究員に就いた。翌1969年8月より奈良県立橿原考古学研究所に勤務。1978年に文化庁国立歴史民俗博物館設立準備室調査官となり、国立歴史民俗博物館の設立準備にあたった。1981年に同館が開館すると、同館助教授に就いた。
和崎 俊哉(わざき しゅんや、1938年11月14日 - 2… 和崎 俊哉(わざき しゅんや、1938年11月14日 - 2011年)は、日本の俳優。本名同じ。旧芸名は和崎 俊也(読み同じ)、和崎 隆太郎。広島県呉市出身。 広島県立呉宮原高等学校卒。1957年に東映へ入社し、京都撮影所製作の時代劇映画に数多く出演。1966年に松竹に移籍するが1969年にフリーとなり、以降はテレビドラマや舞台を中心に活動。 時代劇作品における凄腕の用心棒や剣客などの武闘派役から悲運な善人役、冷酷非情な悪役、若いメンバーをまとめる頼もしい司令塔役まで、叩き上げの役者として幅広い演技力を発揮した。2011年、大腸癌により死去。
安福 建雄(やすふく たつお、1938年11月14日 - 2… 安福 建雄(やすふく たつお、1938年11月14日 - 2017年7月17日)は、日本の能楽師(大鼓方)、人間国宝、東京芸術大学邦楽科元講師、国立能楽堂元研修主任講師 1938年11月14日生まれ。東京都出身。安福春雄の長男として父に師事。高安(たかやす)流。初舞台は、1947年の「経正」。能楽三役育成会(1954年9月発足)の第一期生。立教大学文学部日本文学科卒業。 1965年11月、一噌幸政、住駒明宏、鏑木岑男、山本則寿と能楽春秋会を結成して約10年間活動する。1983年に父が亡くなり、宗家預かりとなる。 おおらかで、しかも曲の位を的確に捉えた演奏に定評があり、東京芸術大学邦楽科講師、国立能楽堂研修主任講師としても、後進の指導にあたった。
北岡 郊司郎(きたおか こうしろう、1936年11月14日 … 北岡 郊司郎(きたおか こうしろう、1936年11月14日 - 2020年9月21日)は、日本の経営者。大昭和製紙(現在の日本製紙)社長を務めた。 徳島県出身。1961年に一橋大学社会学部を卒業し、同年に大昭和製紙に入社した。1987年6月に取締役に就任し、1991年6月に顧問、1994年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2001年3月から2003年3月までに社長を務めた。 2020年9月21日、肺血栓塞栓症のために死去。83歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大沢 鉄男(おおさわ てつお、1936年11月14日 - )… 大沢 鉄男(おおさわ てつお、1936年11月14日 - )は、北海道、岩内町出身の元自転車競技選手。 1956年、メルボルンオリンピックに出場。 その後、片倉自転車に入社。 1958年、東京アジア大会、1000mタイムトライアル優勝(1分14秒8)[リンク切れ][出典無効]。 1960年、ローマオリンピックに出場。 この項目は、自転車に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月… 南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月14日 - )は、日本の看護学者、政治家。勲等は旭日大綬章。「惠」ではなく「恵」を用いて南野 知恵子とも表記される。 山口大学医療技術短期大学部看護学科教授、日本赤十字看護大学看護学部教授、自民党参議院議員(3期)、参議院文教科学委員長、法務大臣(第74・75代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)、日本ユネスコ国内委員会委員などを歴任。 1935年、満洲国の竜江省斉斉哈爾市(現:中華人民共和国チチハル市)にて生まれ、1946年に日本に引き揚げる。その後は鹿児島県にて育つ。1954年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1958年3月、大阪大学医学部附属助産婦学校卒業。
多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は… 多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は、日本の経営者。タダノ社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日商岩井に入社。 1959年に多田野鉄工所(のちのタダノ)に転じ、1975年に取締役に就任し、1979年11月に常務、1985年11月に常務、1993年6月に副社長を経て、1997年6月には社長に就任。2003年6月に会長に就任し、205年3月からは相談役を務めた。 2004年4月に藍綬褒章を受章。
新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2… 新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2020年10月17日)は、日本の政治家。北海道室蘭市長(4期)。 北海道旭川市出身。1958年、専修大学商経学部卒。同年、室蘭市役所に入り、環境衛生、市民福祉、財政、総務の各部長を経て、1990年に収入役となる。1995年、室蘭市長選挙に立候補して初当選、以来、連続4期務める。2011年に室蘭市長を退任。2020年に死去した。
森嶌 昭夫(もりしま あきお、1934年11月14日 - 2… 森嶌 昭夫(もりしま あきお、1934年11月14日 - 2024年5月26日)は、日本の法学者。名古屋大学名誉教授。加藤一郎門下。元損害保険料率算出機構理事長。日本の法整備支援の草分け的存在。 1934年、平壌にて出生。東京都出身。1958年3月、東京大学法学部卒業(法学士)、同年4月、東京大学法学部助手、1968年、ハーバード・ロー・スクール大学院修了(LL.M.)。 2024年5月26日に名古屋市天白区の自宅にて病気のため死去。89歳没。
今井 清輔(いまい きよすけ、1934年11月14日 - )… 今井 清輔(いまい きよすけ、1934年11月14日 - )は元パナソニック電工代表取締役相談役。埼玉県出身。趣味・特技は渓流釣り、ランプ収集、絵画鑑賞、ハンティングなど。 1958年に山口大学経済学部経営学科を卒業と同時に松下電工に入社。マーケティング部長、広報部長を経て、1989年に取締役に就任。経営企画室長も務め、1991年に常務取締役、1992年に代表取締役副社長を経て、1994年2月に代表取締役社長に就任。その間に大阪工業会副会長も務めた。2000年2月に代表取締役会長に退き、2003年12月1日に代表取締役相談役に退く。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
東 陽一(ひがし よういち、1934年11月14日 - 20… 東 陽一(ひがし よういち、1934年11月14日 - 2026年1月21日)は、日本の映画監督、脚本家。和歌山県紀美野町出身。早稲田大学第一文学部英文学科卒。 早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社し、助監督として多く黒木和雄作品についたが、1962年、助監督のまま退社してフリーランスとなり、短編映画『A FACE』(1963年)で監督デビューした。長編第一作はさまざまな論議を呼んだドキュメンタリー作品『沖縄列島』(1969年)。つづく初の劇映画『やさしいにっぽん人』(1971年)で日本映画監督協会新人賞を受賞、劇映画三作目の『サード』(1978年)では第52回キネマ旬報ベストワン、第21回ブルーリボン賞作品賞、芸術選奨文部大臣新人賞などを受賞し、映画監督としての地歩を固めた。
ホキ 徳田(ホキ とくだ、1933年11月14日 - )は、… ホキ 徳田(ホキ とくだ、1933年11月14日 - )は、ピアニスト、歌手、女優。アメリカの文豪 ヘンリー・ミラーの8人目の妻として知られる。東京出身。 エスペランティスト・NHK解説委員の徳田六郎の長女として東京上野に生まれる。本名・浩子。母方は弓の達人那須与一の子孫にあたり、祖母は東京六本木の東洋英和女学院の創立者である。3歳からピアノと音楽を学び、桜美林高等学校卒業後、カナダの音楽学校アルマ・カレッジに留学。級友が「ヒロコ」をなまって「ホキ」と呼んだためこれを芸名とした。帰国後、1958年にコーラスグループ「スリーバブルス」としてデビュー。日劇ミュージックホールやテレビドラマ『サラリーマンの勲章』、『ザ・ガードマン』、映画『にっぽんぱらだいす』(1964年)、『怪談昇り竜』(1970年)などに出演する。
梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 20… 梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 2017年8月29日)は、日本の政治家。建設省官僚。前岐阜県知事、元全国知事会会長。氏名の読みは一般には「かじわら たく」として知られる。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒業。 県立岐阜高校、京都大学法学部を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。鳥取県に出向し知事の西尾邑次の部下だったこともある。 1985年に当時の岐阜県知事だった上松陽助の部下として、岐阜県副知事に就き、上松の引退を受け1989年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年在任し、全国知事会長も歴任した。 県内の産業振興にも積極的に取り組み、当時はほとんど知られていなかったCOSMOS (COsmic Scale Multimedia Of Six-faces) と称する当時世界に2台しか存在しなかった6面スクリーンの最先端の仮想現実環境の研究拠点を含む研究施設を県内に整備して振興に努めた。
伴野 文夫(ばんの ふみお、1933年11月14日 - )は… 伴野 文夫(ばんの ふみお、1933年11月14日 - )は、日本のジャーナリスト。
向井 豊昭(むかい とよあき、1933年11月14日 - 2… 向井 豊昭(むかい とよあき、1933年11月14日 - 2008年6月30日)は、日本の小説家。 1933年、東京都生まれ。祖父の向井夷希微は詩人で、石川啄木との交友があった。 空襲を避けるため、疎開先の下北半島の川内町(現むつ市)で育つ。大揚鉱山で働きながら、青森県立大湊高等学校定時制川内分校に通う。在学中は陸上競技部で活躍するも、1954年に結核にかかり闘病生活に入る。結核完治後、玉川大学文学部教育学科(通信教育課程)で教員免許を取得し、1962年から青森県の小学校教諭として勤務する。しかし、同年8月に北海道へ転出し、静内町立御園小学校、日高町立三岩小を経て、新冠町立新冠小学校に勤務する。
遠藤 章(えんどう あきら、1933年11月14日 - 20… 遠藤 章(えんどう あきら、1933年11月14日 - 2024年6月5日)は、日本の農芸化学者(応用微生物学)。勲等は正四位瑞宝重光章。学位は農学博士(東北大学・1966年)。株式会社バイオファーム研究所代表取締役所長、東京農工大学名誉教授・特別栄誉教授、文化功労者。 三共株式会社田無工場研究員、三共株式会社中央研究所副主任研究員、三共株式会社発酵研究所研究第三室室長、東京農工大学農学部教授、東北大学農学部特任教授、早稲田大学特命教授などを歴任した。 1933年、秋田県由利郡下郷村(のちに東由利町を経て由利本荘市)生まれ。1957年に東北大学農学部を卒業して三共株式会社に入社し、発酵研究所の研究第三室にて室長などを歴任した。
糸山 隆司(いとやま たかし、1932年11月14日 - 1… 糸山 隆司(いとやま たかし、1932年11月14日 - 1983年8月17日)は、兵庫県出身の日本のバスケットボール選手である。195cm、85kgという体格を持ち、日本初のビッグマンとして活躍した。 旧制佐賀中学(佐賀西高校)2年でバスケを始め、東京教育大に進み、在学中アジア大会に出場する全日本チームに選ばれる。 卒業後は日本鋼管に入社。メルボルン・ローマの五輪2大会に出場し、ローマ五輪では日本選手団の主将を務めた。 1965年には全日本チームのコーチを務めた。