宇佐川 晶子(うさがわ あきこ、1952年1月21日 - )… 宇佐川 晶子(うさがわ あきこ、1952年1月21日 - )は、日本の翻訳家。本姓・村上。 東京都生まれ。1974年、立教大学英米文学科卒業。1974年から1976年までチャールズ・モリ・タトル商会(現・タトル・モリ・エージェンシー)に勤務、のち翻訳家として独立。 SF、推理小説、ファンタジーなどを多く翻訳している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
北尾 吉孝(きたお よしたか、1951年1月21日 - )は… 北尾 吉孝(きたお よしたか、1951年1月21日 - )は、日本の実業家、SBIホールディングス代表取締役会長兼社長兼CEOで、SBIインベストメント代表取締役執行役員会長兼社長。SBIグループの創業者でもある。また、学校法人SBI大学院大学理事長で同大学教授でもある。 2005年のライブドアによるニッポン放送買収騒動においては、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)側のホワイトナイトとなった。北尾自ら経営戦略等を語りIRにも力を入れている[要出典]。 2021年、SBIホールディングスは新生銀行(現:SBI新生銀行)に対して、日本の金融業界では極めて異例とされる事前通告なしの敵対的買収(ブラックナイト)を実施した。
前田 順司(まえだ じゅんじ、1951年1月21日 - )は… 前田 順司(まえだ じゅんじ、1951年1月21日 - )は、日本の裁判官。東京高等裁判所部総括判事。 栃木県西方町で2006年、職務質問から逃げるために石灯籠(重量約3kg)で警察官を襲ったとされる中国人男性に警察官が発砲して死なせたのは「過剰防衛」だとして、男性の遺族が栃木県に約5千万円の損害賠償を求めた訴訟で二審東京高裁の裁判長を担当し、2011年4月26日請求を棄却した一審・宇都宮地裁判決を変更し、職務質問から逃げるために石灯籠(重量約3kg)で襲いかかろうとしたとの警察官の供述は目撃者の証言や現場の状況から信用性に疑いがあり、警棒での制圧や威嚇射撃を行っていれば抵抗をやめた可能性もあったとして、適切な拳銃使用を定めた警察官職務執行法に違反すると認定し、中国人男性の遺族に計約1千万円の支払いを県に命じる判決を言い渡した。
樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は… 樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は、岩手県久慈市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 東北高等学校から日本電信電話公社東北支社(電電東北、現在のNTT東日本宮城支店)へ入社した後に、同社硬式野球部(現在の東北マークス)所属の内・外野手として社会人球界で活躍。1970年のNPBドラフト会議において、読売ジャイアンツ(巨人)から4位で指名された。 電電東北からは1970年に佐藤政夫(高校の後輩にも当たる左投手)が巨人に入団していたが、1年在籍しただけで(この年から1972年までシーズン終了後に年に1回開催されていた)プロ野球選抜会議(ドラフト会議と同じ趣旨・要領で開催された「トレード会議」)を通じてロッテオリオンズへ移籍した。
香坂 優(こうさか ゆう、1950年1月21日 - )は、日… 香坂 優(こうさか ゆう、1950年1月21日 - )は、日本のアルゼンチン・タンゴ歌手。愛知県名古屋市出身。本名、太田 多恵子(おおた たえこ)。タレント活動時は「どんぐり音楽会」の歌のお姉さん、ポッポちゃんの愛称で親しまれた。 タンゴ界において、パリージャ(譜面のない即興の伴奏)による歌唱を得意とする希少な歌手。 1950年1月21日、愛知県名古屋市にて出生。3歳の時、飛び入りで出場した中部日本放送主催の「子供のど自慢」にて優勝。中部日本放送児童合唱団に所属する。1968年愛知県立愛知商業高校卒業(第15回生)。その後、名古屋テレビタレントセンター卒業を経て、CBCにてテレビ・ラジオのタレント司会者・アナウンサーとして週7本のレギュラーを持つほどになる。
柳居 俊学(やない しゅんがく、1950年1月21日 - )… 柳居 俊学(やない しゅんがく、1950年1月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の山口県議会議員(9期)、元自由民主党山口県支部連合会長、山口県大島郡周防大島町神宮寺住職。山口県議会議長(7期)、元山口県大島郡東和町長(3期)。山口県東和町(現周防大島町)出身。
貞岡 義幸(さだおか よしゆき、1950年1月21日 - )… 貞岡 義幸(さだおか よしゆき、1950年1月21日 - )は、日本の外交官。内閣審議官等を経て、初代駐パラオ特命全権大使を務めた。 高知県出身。1974年(昭和49年)一橋大学経済学部卒業。1974年4月、外務省入省。 内閣官房内閣審議官、デトロイト総領事、埼玉大学国際交流担当参事役、参議院事務局国際部長、2008年(平成20年)9月から国家公務員共済組合連合会常任監事。 2010年(平成22年)1月に在パラオ兼勤駐在官事務所が大使館に昇格。同年常駐の初代パラオ駐箚特命全権大使に就任。日本の捕鯨の円滑化のため、2011年に締結されたシーシェパードとパラオ政府との間の協定を破棄させた。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。
岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、… 岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、元NHKアナウンサー。 横浜市出身。明治大学卒業後、1972年に入局した。初任地は帯広で、松江、ラジオセンターなどで勤務した。 ラジオセンター 時代
十七代目 市村 家橘(じゅうしちだいめ いちむら かきつ、1… 十七代目 市村 家橘(じゅうしちだいめ いちむら かきつ、1949年(昭和24年)1月21日 – )は、歌舞伎役者、俳優。屋号は橘屋。定紋は根割り橘、替紋は左巻き七巻き半渦巻。伝統歌舞伎保存会会員。本名は市村 寿(いちむら ひさし)。 舞踊名「村山右近」。 歌舞伎役者の二代目市村吉五郎と清元名取りの母の長男として生まれる。 父方の養祖父は十五代目市村羽左衛門、また父方の実祖父である十二代目片岡仁左衛門の血筋を歌舞伎界に残す最後の役者である。片岡進之介、片岡孝太郎、六代目片岡愛之助はいずれも義理の三従弟(親同士が又従兄弟)。弟は江戸浄瑠璃清元節の清元佳栄太夫。一人娘の小川 彩 (AYA、SIZKU)は元女優であり、歌やデザインも手がけるアーティストの道を歩んでいる。
向井 滋春(むかい しげはる、1949年1月21日 - )は… 向井 滋春(むかい しげはる、1949年1月21日 - )は、日本のジャズ・トロンボーン奏者。 愛知県名古屋市出身。愛知県立熱田高等学校に入学時に吹奏楽でトロンボーンを始めたのがこの世界に入るきっかけになった。同志社大学入学時にはサードハード楽団に参加し、2年からはモダン・ジャズ・バンドにも参加しトロンボーンの腕前を磨いた。1971年に上京して、大友義男・川崎遼のバンドで研鑽する。1976年にプロ・デビューし『For My Little Bird』を発表する。 1979年に約1年間ニューヨークに在住しフュージョン・ジャズに触発を受ける。この時に多くのアメリカで活躍していた各国のジャズ・ミュージシャンらの知己を得た。
田中 和德(たなか かずのり、1949年1月21日 - )は… 田中 和德(たなか かずのり、1949年1月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自民党組織運動本部長。神奈川県議会議員(1期)、川崎市議会議員(2期)を務めた。
田中 和明(たなか かずあき、1949年(昭和24年)1月2… 田中 和明(たなか かずあき、1949年(昭和24年)1月21日 - )は、日本の政治家。元埼玉県草加市長(2期)。 埼玉県草加市生まれ。1971年3月、國學院大學文学部を卒業し、同年4月に草加市役所に入職。広報広聴課長や草加市教育委員会、議会事務局長等を務める。2009年3月、草加市役所を退職。 2010年10月27日、草加市議会は臨時議会を開き、贈収賄事件で有罪判決が確定した元草加市助役を擁護する発言を問題視され、9月に不信任決議を可決されていた木下博信に対し、再び不信任決議を賛成多数で可決。地方自治法の規定により、木下市長は自動失職した。木下の自動失職により、12月12日に執行された出直し市長選に自民・民主・公明3党の支持を受けて無所属で出馬し、木下を破って初当選した。
衣笠 剛(きぬがさ つよし、1949年1月21日 - 202… 衣笠 剛(きぬがさ つよし、1949年1月21日 - 2025年2月7日)は、日本の実業家。株式会社ヤクルト球団代表取締役会長兼オーナー代行。一般財団法人日本バウンドテニス協会会長。公益財団法人日本体育協会評議員。 日本大学経済学部卒業後、1971年に株式会社ヤクルト本社に入社。入社後、営業部門・海外部門担当の後、日本生まれの生涯スポーツ「バウンドテニス」の普及に尽力。その後、ヤクルト本社広報室に移って以後は、広報畑がメイン業務となる。 2011年6月22日、株式会社ヤクルト球団代表取締役社長兼オーナー代行に就任。2023年3月15日、社長職を林田哲哉に譲り代表取締役会長となる(オーナー代行は引き続き兼務)。
田口 久克(たぐち ひさかつ、1949年(昭和24年)1月2… 田口 久克(たぐち ひさかつ、1949年(昭和24年)1月21日 - 2018年(平成30年)10月14日)は、日本の政治家。茨城県稲敷市長(3期)。元NHK報道局チーフディレクター。 茨城県稲敷郡桜川村(現:稲敷市)生まれ。日本大学法学部卒業後、NHKに就職。報道局チーフディレクターとして、『ニュース7』『おはよう日本』『BSニュース』などの番組を担当した。 2008年10月8日に行われた稲敷市発注の配水管敷設工事の指名競争入札をめぐり、2009年2月23日、官製談合の疑いにより市内の建設会社社長と同社社員が逮捕される。官製談合防止法違反や、市幹部が談合に関与した可能性も指摘されたこの事件を機に、稲敷市長選挙への立候補を決意。
露の 慎悟(つゆの しんご、1949年1月21日 - 201… 露の 慎悟(つゆの しんご、1949年1月21日 - 2018年2月21日)は、兵庫県宝塚市出身の落語家。本名は紺井 重一。 吉本所属。師匠の五郎が吉本を抜けた後もしばらくは吉本だったが競艇の仕事をメインにするためフリーになる。繁昌亭が出来たころから再び落語を演じる機会が増え、他門の若手に稽古を付けたりもしていた。上方落語協会会員。 兵庫県立宝塚高等学校卒業で、桂小枝は後輩に当たる。1967年3月、2代目桂小春団治(後の2代目露の五郎兵衛)に入門、「桂団平」を名乗る。翌年、師匠が露の五郎を襲名したことにより「露の団平」と改名、さらに「露の新五」となり1983年に現在の芸名となる。 露の五郎兵衛門下の二番弟子だが、兄弟子が「立花家千橘」を名乗っており、「露の」の屋号を持つ噺家としては最古参である。
山岸 俊男(やまぎし としお、1948年1月21日 - 20… 山岸 俊男(やまぎし としお、1948年1月21日 - 2018年5月8日)は、日本の社会心理学者。北海道大学名誉教授。2004年紫綬褒章受章。2013年文化功労者。正四位、瑞宝重光章追贈。 愛知県名古屋市生まれ。一橋大学社会学部で社会心理学者の南博教授に師事。大学院修了後、就職先がなくワシントン大学に留学。Ph.D.取得頃から社会的ジレンマ研究を開始。北海道大学教授、東京大学特任教授を経て、2011年北海道大学名誉教授、2014年より一橋大学大学院国際企業戦略研究科特任教授。2004年、紫綬褒章受章。2013年、文化功労者顕彰。2005年10月より日本学術会議会員も務めた。 2018年5月8日、病気のため逝去、70歳没。
砂川 敏文(すながわ としふみ、1948年(昭和23年)1月… 砂川 敏文(すながわ としふみ、1948年(昭和23年)1月21日 - )は、日本の政治家・元官僚。元北海道帯広市長(3期)。 香川県大川郡志度町(現・さぬき市)出身。高松高校を経て、1970年帯広畜産大学畜産学部卒業。同年、農林水産省農地局入省。その後、北海道開発局と北海道開発庁を交互に渡り歩き、北海道開発庁大臣秘書官、北海道開発局帯広開発建設部次長、北海道開発庁考査主幹等を歴任し、1997年北海道開発局官房調整官を最後に退官。その後、1998年4月の帯広市長選挙に出馬し当選。以後連続3期当選。 2010年の市長選に出馬せず引退。 「環境に対する配慮と、福祉におけるユニバーサルデザインの推進」を掲げ、市の行財政改革にも着手。
倉澤 豊哲(くらさわ とよあき、1948年(昭和23年)1月… 倉澤 豊哲(くらさわ とよあき、1948年(昭和23年)1月21日 - 2019年(平成31年)2月27日)は、日本の警察官僚。元近畿管区警察局長。位階は従四位。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、警察に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
柴生田 晴四(しぼうた せいし、1948年1月21日 - )… 柴生田 晴四(しぼうた せいし、1948年1月21日 - )は、日本の経営者。東洋経済新報社社長、会長を務めた。父は歌人で明治大学名誉教授の柴生田稔。 東京都出身。1971年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東洋経済新報社に入社した。2003年12月に取締役に就任し、2006年12月には社長に就任し、2012年10月までに務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は… 高田 純次(たかだ じゅんじ、1947年1月21日 - )は、日本の俳優、コメディアン、実業家、タレント、司会者である。芸能事務所・テイクワン・オフィス所属で、代表取締役も務める。 愛称は純ちゃん、純じい、Mr適当、TJ、ミスター無責任、テキトー男、5時から男。 東京都北多摩郡調布町大字国領(現:調布市国領町)出身。4歳時に母親が32歳で病没し、東京ガス勤務の父親と再婚相手たる継母との家庭で育つ。 調布市立第二小学校、調布市立第三中学校、東京都立府中高等学校卒業後、東京ガスへの就職や弁護士などを志し、中央大学・明治大学・法政大学・青山学院大学を受けるが全て不合格となる。その後一浪し、東京藝術大学・武蔵野美術大学・多摩美術大学・日本大学芸術学部などの美大系や成城大学を受験するがいずれも不合格となり、東京デザイナー学院グラフィックデザイン科 へ進学した。
吉田 愛一郎(よしだ あいいちろう、1947年1月21日 -… 吉田 愛一郎(よしだ あいいちろう、1947年1月21日 - )は、GreenT株式会社取締役会長、グリーンテック株式会社取締役会長、株式会社グリニッシュ代表取締役社長。NPO法人GREEN PLAZA研究所理事長。さいたま市獣医師共済組合事務局長。 ランニングシューズにローラースケートを付けたRoller Joggerを日米で製造販売する。イメージキャラクターにO・J・シンプソンを起用。世界はローラースケートブームに発展する。日本では東急ハンズ、ムラサキスポーツで爆発的に売れた。 サーフィン、スケートボード、スノーボードをいう70年代 文部省などがスポーツとは認められないとされていた3種目を推進。
加藤 進(かとう すすむ、1947年1月21日 - )は、フ… 加藤 進(かとう すすむ、1947年1月21日 - )は、フリーアナウンサー。元広島テレビ(HTV)アナウンサー。滋賀県大津市出身。 中学2年の時に広島市へ転居。広島大学を卒業後、1969年に広島テレビへ入社。プロ野球などスポーツ中継を担当した。また、報道制作局アナウンス部長を務めた。 広島東洋カープの地元広島でリーグ優勝した試合のテレビ中継実況を2回やっている(昭和54年(1979年)10月6日 阪神戦 広島市民球場 / 平成3年(1991年)10月13日 阪神戦 広島市民球場)。 広島東洋カープがチームで新幹線で移動中に優勝を迎えた時にその瞬間を同乗していた加藤がリポートした。 日本シリーズ第8戦をテレビ中継実況したのは2018年11月現在、加藤だけである。
大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月… 大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第17・18・19代)、群馬県議会議員(4期)、第80代群馬県議会議長、尾島町議会議員(2期)などを歴任した。 1946年1月21日、群馬県新田郡尾島町尾島(現在の太田市尾島町)で生まれる。父は尾島町長を務めた大澤明治。1964年、群馬県立太田高等学校卒業。1969年、慶應義塾大学工学部卒業。 1970年、海上自衛隊幹部候補生学校卒業(20期1分隊)。 1971年、大沢建設株式会社入社。1978年に株式会社三協を設立し代表取締役となる。1983年に尾島町議に当選、連続2期務め議長にもなった。
馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年〈昭和21年〉1月21… 馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本のノンフィクション作家、元外交官。 在イスラエル日本大使館公使、在タイ日本大使館特命全権公使、特命全権大使キューバ国駐箚、駐ウクライナ兼モルドバ大使、防衛大学校教授を歴任。日本文化チャンネル桜コメンテーター。 京都府船井郡八木町日置出身。八木町立富本小学校、福知山市立大江中学校、京都府立園部高等学校第16回を経て、京都大学法学部3年次在学中に外務公務員採用上級試験に合格し中退、1968年(昭和43年)に外務省入省。 研修先であったイギリスのケンブリッジ大学経済学部に入学し、1971年(昭和46年)に卒業。 外務本省では、国際連合局社会協力課長(1984年-1986年)、大臣官房文化交流部文化第一課長、東京都外務長(1995年-1997年)などを歴任。
細谷 一郎(ほそたに いちろう、1946年1月21日 - )… 細谷 一郎(ほそたに いちろう、1946年1月21日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 兵庫県立神戸高等学校時代には同校校長を務めた高山忠雄の指導を受けた。 早稲田大学、三菱重工等でプレーし、日本代表としても、国際Aマッチ4試合に出場し1得点を記録した。現役引退後は社業に専念して三菱重工関西支社地域開発プロジェクト部長などを歴任。また、神戸フットボールクラブのシニアチームに所属してプレーしている
池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月… 池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月21日 - )は日本の医師、医学者。専門は周産期医学。宮崎大学名誉教授で、2015年10月から同大学学長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1964年長崎県立長崎東高等学校卒業。1970年鹿児島大学医学部を卒業。1972年鹿児島市立病院に産婦人科医員として勤務。その後南カリフォルニア大学産婦人科とカリフォルニア大学アーバイン校産婦人科に留学する。1982年に医学博士号を取得(日本大学)。1990年に鹿児島市立病院産婦人科部長となる。1991年宮崎医科大学産婦人科教授。2003年宮崎医科大学の宮崎大学への統合に伴い宮崎大学医学部附属病院副病院長。
尼崎 博正(あまさき ひろまさ、1946年1月21日 - )… 尼崎 博正(あまさき ひろまさ、1946年1月21日 - )は、日本の造園学者、作庭家、京都造形芸術大学名誉教授。日本庭園研究センター所長。日本庭園・歴史遺産研究センター名誉教授。京都芸術短期大学学長、京都造形芸術大学副学長を歴任。学外では日本イコモス国内委員会理事、文化庁文化審議会文化財分科会第三専門調査会名勝委員会委員、文化庁史跡等における歴史的建造物の復元の取扱いに関する専門委員会(復元検討委員会)委員、文化財庭園保存技術者協議会評議会員、宮内庁御所離宮庭園特別整備技術指導委員、京都市美観風致審議会委員、京都市保育園連盟顧問、元離宮二条城保存整備懇談会副座長、並河靖之七宝記念館評議員、滋賀県文化財保護審議会副会長、大阪市文化財保護審議会委員、日本造園アカデミー会議副議長、日本造園学会評議員、茶の湯文化学会理事、日本造園修景協会評議員、史迹美術同攷会会長などを務める。
大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 … 大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 - )は、兵庫県加古川市東神吉町出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は和田 一男(わだ かずお)。身長178cm、体重118kg。最高位は東前頭筆頭(1969年11月場所)。 加古川市立東神吉小学校在籍時から、相撲に親しんでいた。加古川市高砂市組合立宝殿中学校では相撲部に入り、3年次には兵庫県中学校相撲大会個人戦で優勝した。出身地が近い三保ヶ関親方(元大関・初代増位山)の熱心な勧誘を受け、中学校卒業直前に三保ヶ関部屋へ入門し、1961年1月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 突っ張ってからの右四つに加え、土俵際の粘りや、突き落としや足技(時折、立合い一瞬の蹴手繰り)も見せるなど多彩な技の持ち主として知られた。
伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、… 伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、日本の卓球選手。 山口県周南市生まれ。専修大学卒業。1969年の世界選手権で男子シングルス、男子団体優勝の2冠に輝いた。生まれつき左利きであるが、現役を引退するまで、右手でラケットを打ち続けた。現在は、小中学生対象の講習会に参加し選手育成に努めている。 1971年名古屋世界選手権では団体戦で調子が出ず、苦手を公言していたカラカセビッチ等欧州選手の他中国選手の前陣速攻にも苦戦していたが、個人戦になると期待された長谷川、河野が敗退する中で李富栄、シュルベクの強敵を連破、17歳のステラン・ベンクソンには敗れたものの決勝に進出し、面目を保った。
郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - 2… 郷原 洋行(ごうはら ひろゆき、1944年1月21日 - 2020年1月31日)は、鹿児島県鹿屋市出身の元騎手・元調教師。 元騎手の郷原洋司は次男。吉野勇は岳父。 実家は農家。五人兄弟の次男として生まれ、父親に育てられた。幼少期より農耕馬などに乗り馬に親しみ、周囲には普通に馬車が走っていた。馬車のタイヤはまだゴムも巻かれていない時代で、パワーのある馬が引っ張っていた。弁当は日の丸弁当が当たり前で、パンや牛乳を持ってくる子がいれば羨ましがられた。中学時代はマラソンを好きになったこともあったが、日本中央競馬会の騎手講習生募集の広告を見て、東京へ出たい一心で騎手を志す。中学卒業後の1959年に馬事公苑騎手養成長期課程へ入所し、修了後の1961年より騎手候補生として中山・大久保房松厩舎に入門。
横山 謙三(よこやま けんぞう、1943年1月21日 - )… 横山 謙三(よこやま けんぞう、1943年1月21日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)出身(東京千代田区神田生まれ)の元サッカー選手(GK)、サッカー指導者。 現日本オリンピアンズ協会理事。 日本代表監督時代は横山兼三と名乗っていた が、後に元の謙三に戻した。 東京で生まれたが、戦時中であったため物心のつかないうちに疎開で浦和に引っ越した。サッカーの盛んな場所であったため、通っていた浦和市立常盤小学校のグラウンドにはサッカーのゴールがあった。横山は生まれた時から体が小さく、小児結核にかかったこともあったため、ちょっと走っただけで疲れたりするなど、学校に行けない時期も多かった。そのため本格的なスポーツは出来なかったが、その分、小学校の時はサッカーだけでなく、色々なスポーツで遊んでいた。
山本 亘(やまもと せん、1943年〈昭和18年〉1月21日… 山本 亘(やまもと せん、1943年〈昭和18年〉1月21日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。身長165 cm。体重55 kg。 成蹊大学政治学科、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻、フランス・ジャック・ルコック学校各卒業。兄は同じく俳優の山本學、山本圭。建築家の山本勝巳の三男で、叔父に映画監督の山本薩夫がいる。 劇団俳優座、仕事に所属していた。
林 勝彦(はやし かつひこ、1943年1月21日 -2022… 林 勝彦(はやし かつひこ、1943年1月21日 -2022年1月14日)は、日本の科学ジャーナリスト。元NHKエグゼクティブ・プロデューサー。サイエンス映像学会会長、科学ジャーナリスト賞選考委員。 1943年1月21日、東京生まれ。1965年、慶応義塾大学文学部哲学科(産業社会学)卒業後、NHKに入局。1965年山口放送局放送部、1970年教育局学校放送部、1973年番組制作局・科学産業部、1977年名古屋放送局放送部、1982年東京番組制作局教養科学部、1984年編成局NHKスペシャル番組部、1987年NHKエンタープライズ、1990年編成局NHKスペシャル番組部、1991年NHKクリエイティブ、1995年NHKエンタープライズ21と約40年間にわたり、約300本以上の番組制作(主に科学、環境、医学、医療、原子力など)に携わった。
森 哲弥(もり てつや、1943年1月21日 - )は、京都… 森 哲弥(もり てつや、1943年1月21日 - )は、京都府京都市生まれの詩人。滋賀県湖南市在住。近江詩人会会員。滋賀文学会理事。 1967年、立命館大学文学部哲学科心理学専攻卒業後、社会福祉法人「びわこ学園」に2003年まで勤務。その傍ら「初猟」、「仕事場」、「少年」、「少年玩弄品博物館」など多くの詩集を発表し続け、1977年には「重症心身障害児の教育における教材教具についての研究」で第1回ほほえみ賞を受賞した。また、2001年に発表した詩集「幻想思考理科室」で第51回H氏賞を受賞した。
中兼 和津次(なかがね かつじ、1942年1月21日 - )… 中兼 和津次(なかがね かつじ、1942年1月21日 - )は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。
小林 茂(こばやし しげる、1942年1月21日 - )は、… 小林 茂(こばやし しげる、1942年1月21日 - )は、フランス文学者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。東京教育大学附属駒場高等学校(現:筑波大学附属駒場高等学校)を経て1964年早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業、71年同大学大学院博士課程フランス文学専攻単位取得満期退学、フランス政府給費留学生として、パリ第3大学および第4大学でフランス文学、応用言語学を学ぶ。早大助教授を経て、早大文学学術院教授。その間、NHKテレビ・フランス語講座講師、パリ国際大学都市日本館館長などを歴任。比較文学会会員。2020年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田中 龍彦(たなか たつひこ、1941年1月21日 - 20… 田中 龍彦(たなか たつひこ、1941年1月21日 - 2020年7月22日)は、日本の経営者。ニチロ社長、マルハニチロホールディングス会長を務めた。 群馬県出身。1963年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日魯漁業(のちのニチロ)に入社。1993年6月に取締役に就任し、1996年4月に常務、1999年6月に専務を経て、2001年6月から2009年3月までに社長を務めた。2007年10月にはマルハニチロホールディングス会長に就任。 2020年7月22日心不全のために死去。79歳没。
大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月2… 大橋 洋治(おおはし ようじ、1940年(昭和15年)1月21日 - )は、日本の実業家。全日本空輸(全日空)社長、 ANAホールディングス会長、日本経済団体連合会副会長。 現在の中華人民共和国東北部の佳木斯で生まれ、岡山県高梁市で育つ。 父親は長崎高等商業学校卒で、ブリヂストンの石橋正二郎の秘書的な仕事を経て、大連で貿易商を営み、シベリア抑留を経験した。柔道四段の腕前で、大橋もその影響で高校時代は柔道部に所属した。 1964年4月、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、全日本空輸入社。 2001年4月に社長に就任。在任中は、アメリカ同時多発テロ事件や日本航空と旧日本エアシステムの統合など業界の激変に直面。
竜 雷太(りゅう らいた、本名:長谷川 龍男、1940年1月… 竜 雷太(りゅう らいた、本名:長谷川 龍男、1940年1月21日 - )は、日本の俳優である。大阪府箕面市出身、京都府舞鶴市育ち。三船プロ、田中プロモーション、アクターズプロモーションを経て、アートプロモーション所属。元妻は女優の吉成洋子、夏圭子(現:桂子)。息子は韓国でギタリストとして活躍する長谷川陽平。
西脇 興司(にしわき こうじ、1940年1月21日 - )は… 西脇 興司(にしわき こうじ、1940年1月21日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
清水 貞夫(しみず さだお、1940年1月21日 - )は、… 清水 貞夫(しみず さだお、1940年1月21日 - )は、日本の障害児教育学者。宮城教育大学名誉教授。 東京生まれ。1962年東京大学教育学部卒、和光学園小・中学校教諭、1967年宮城教育大学講師、助教授、教授、2004年定年退官、名誉教授、長野大学社会福祉学部教授、2010年退職。 2007年民主教育をすすめる宮城の会代表。 2020年瑞宝中綬章受章。
日下 圭介(くさか けいすけ、1940年1月21日 - 20… 日下 圭介(くさか けいすけ、1940年1月21日 - 2006年2月12日)は、日本の小説家、推理作家。江戸川乱歩賞作家である。本名は戸羽真一。 和歌山県に生まれる。1962年早稲田大学商学部出身。 1975年、朝日新聞社整理部記者であった時に応募した『蝶たちは今…』が江戸川乱歩賞を受賞。1982年に『木に登る犬』および『鶯を呼ぶ少年』が日本推理作家協会賞を受賞。1984年から作家業に専念。 初期の作風は中間小説的な推理小説であったが、1980年代後半から『黄金機関車を狙え』『チャップリンを撃て』など昭和初期の歴史に題材をとってミステリーを多く執筆する。 2006年2月12日、誤嚥性肺炎のため千葉市の病院で死去。
伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日… 伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日本の化学者。専門は有機金属化学。日本化学会を通した化学教育への貢献が評価される。横浜国立大学名誉教授。 岐阜県岐阜市出身。都立西高校卒業、東京工業大学工学部卒業、1967年に東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京工業大学資源化学研究所助手を経て1975年に横浜国立大学工学部助教授、1989年に同教授、組織替えにより2001年から同大学院工学研究院教授。2004年に定年退官、横浜国立大学名誉教授。 現在、株式会社アド技術顧問兼監査役。 1990年に日本化学会の理事に着任、化学教育へ取り組む。1999年から日本化学会副会長(2年間)、2001年に化学教育協議会副会長、2002年に日本科学教育学会の副会長。
宮村 武夫(みやむら たけお、1939年1月21日 - 20… 宮村 武夫(みやむら たけお、1939年1月21日 - 2019年8月16日)は、日本の牧師。新約聖書解釈学の権威。 東京府出身、日本クリスチャンカレッジ、ゴードン・コンウェル神学校、ハーバード大学神学部(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。寄居教会(当時:日本新約教団)にて牧会後、青梅キリスト教会(当時:日本新約教団)、首里福音教会にて牧会。沖縄聖書神学校校長、日本センド派遣会総主事、宇都宮キリスト集会牧師、名護チャペル協力宣教師、クリスチャントゥデイ編集長を務めた。 2019年8月16日、胃癌のため死去。80歳没。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
種部 儀康(たねべ のりやす、1938年1月21日 - )は… 種部 儀康(たねべ のりやす、1938年1月21日 - )は、鳥取県倉吉市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。妻は宮田征典(読売ジャイアンツ同期入団)の姉・鈴子。孫はシンガーソングライター兼グラビアアイドルの宮田みほ。 上灘小から倉吉東中を経て入学した倉吉農業高ではエースとして活躍したが、同年次に米子東高の義原武敏や境高の米田哲也といった好投手がおり、甲子園には出場できなかった。高校卒業後は1957年に米子鉄道管理局へ入社し、改札の切符切りなどの業務に従事。鉄道関係の略号などに詳しくなったほか、レールの上を走る汽車や貨車の車種を当てる特技も身に付けた。1961年にはクラレ岡山の補強選手として都市対抗に出場し、北海道拓殖銀行との1回戦に登板したが、敗戦投手となっている。
金井 久兮(かない ひさし、1938年1月21日 - )は、… 金井 久兮(かない ひさし、1938年1月21日 - )は、日本の経営者。 群馬県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行。1990年6月に第一勧業銀行取締役に就任し、1992年4月に常務、1994年4月にオリエントコーポレーション顧問を経て、同年6月に副社長に就任し、1999年6月から2003年6月までに社長を務めた。
松尾 靖彦(まつお やすひこ、1938年1月21日 - )… 松尾 靖彦(まつお やすひこ、1938年1月21日 - )は、日本の経営者。佐賀銀行頭取を務めた。 東京都出身。1961年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1988年6月に大臣官房審議官、同年7月に金属鉱業事業団理事を経て、1992年5月に佐賀銀行顧問に就任し、同年6月に常務、1994年6月に専務、1999年6月に副頭取を経て、2003年6月から2012年6月までに頭取を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北原 綴(きたはら つづる、1938年〈昭和13年〉1月21… 北原 綴(きたはら つづる、1938年〈昭和13年〉1月21日 - )は、日本の作家。本名は武井 遵(たけい じゅん)。詩人の金素雲は父。歌手の沢知恵は姪。主に児童書を書いたが、通貨偽造・強盗殺人事件により無期懲役判決が確定した。 1938年(昭和13年)に群馬県群馬郡室田町(榛名町を経て現・高崎市)で生まれる。母の実家・武井家は裕福な農家だったが、遵の父・金素雲には別居中の妻がおり、私生児であった。父は群馬に来ることなく朝鮮へ渡り、母も東京に出たため祖母の手で育てられた。幼少期に学校で朝鮮人差別を受け、群馬県立榛名高等学校に進学するが、傷害事件を起こし中退。自著では「東洋音大ヴィオリン科卒」とされている。
橋本 幸治(はしもと こうじ、1936年1月21日 - 20… 橋本 幸治(はしもと こうじ、1936年1月21日 - 2005年1月9日)は日本の映画プロデューサー、元映画監督、東宝映画常務取締役。栃木県足利市出身。
マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は… マイク 青木(マイク あおき、1936年1月21日 - )は、日本のゴルフルール研究家、ゴルフ評論家、元フォトジャーナリスト。東京都足立区生まれ。 東京都立足立高等学校を経て、1959年に中央大学法学部法律学科夜間部を卒業。在学中より在日アメリカ人フォトジャーナリストのアシスタントを約4年間務める。 その後、フリーのフォトジャーナリストとして活動を開始し、世界40か国を取材訪問する。1965年には単身で渡米してアメリカ合衆国・ニューヨーク市に居を構え、足掛け20年間滞在する。アメリカではプロスポーツの取材が多く、アメリカのPGAツアーを取材し、ゴルフルールに魅力に感じはじめ、「ルールの神様」と呼ばれたジョセフ・ダイに師事する。