横井 大三(よこい たいぞう、1914年6月11日 - 20… 横井 大三(よこい たいぞう、1914年6月11日 - 2006年7月22日)は、日本の検察官。最高裁判所判事。本籍は神奈川県だが、生まれたのは朝鮮平安北道。 旧制府立高等学校を経て1937年(昭和12年)に東京帝国大学法科を卒業。司法官試補となり、1938年(昭和13年)から裁判官として法曹キャリアをスタートさせ、東京・新潟地裁などに勤務したが、1945年(昭和20年)4月に司法省に転じ、以降は検察官となる。現行刑事訴訟の「証拠」の項目をGHQと折衝しながらつくりあげた。その後、刑事局参事官、刑事局刑事課長、ついで東京地検、東京高検、最高検それぞれの公判部長を務めた。 仙台高検検事長、名古屋高検検事長を務めた後、1977年(昭和52年)6月に定年退官し、約1年間専修大学の教授をしていた。
森 寅雄(もり とらお、1914年〈大正3年〉6月11日 -… 森 寅雄(もり とらお、1914年〈大正3年〉6月11日 - 1969年〈昭和44年〉1月8日)は、日本人の剣道家、フェンシング選手。剣道の段位は八段(範士追贈)。米国フェンシング界では「タイガー・モリ」の異名をとった名選手である。昭和初期の日本剣道界、米国フェンシング界でトップクラスの実力を持ちながら、さまざまな事情で優勝を逃した「悲運の剣士」としても知られる。 群馬県山田郡桐生町新宿(現・桐生市新宿)に、野間(旧姓・岡田)善次郎・ヤスの子として生まれる。初名は野間 寅雄。曽祖父は幕末の北辰一刀流玄武館四天王の一人である森要蔵。寅雄の名は、要蔵とともに白河戦争で戦死した彼の息子(野間寅雄の大叔父)・森寅雄にちなんだものである。
土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年… 土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年4月20日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走で出場。 同じロサンゼルスオリンピック参加者の田島直人と結婚し、田島姓となった。日本のオリンピック選手同士の結婚の第一号である。 京都市出身。祖父は「大和の山林王」と謳われた土倉庄三郎で、庄三郎の長男・鶴松の娘が麻である。 京都府立京都第一高等女学校高等科(現在の京都府立鴨沂高等学校)在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走に出場。前者は予選落ちしたが、後者で日本チーム(他に中西みち・村岡美枝・渡辺すみ子)は5位に入賞した。
黒澤 俊夫(くろさわ としお、1914年6月10日 - 19… 黒澤 俊夫(くろさわ としお、1914年6月10日 - 1947年6月23日)は、大阪府出身のプロ野球選手(外野手)。
早坂 寿雄(はやさか としお、1914年(大正3年)6月10… 早坂 寿雄(はやさか としお、1914年(大正3年)6月10日 - 2004年(平成16年)3月9日)は、日本の電気音響学者。 1914年6月10日生まれ。1937年3月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。同年4月、同学部助手。1941年3月、逓信省電気試験所技師。1945年7月、工学博士。1952年11月、日本電信電話公社電気通信研究所音響研究課長。1959年2月、同電気通信研究所次長。1963年4月、同理事・所長。1967年5月、沖電気工業常務取締役。1970年5月、同専務取締役。1984年11月、勲三等瑞宝章受章。 1956年5月から1958年5月まで、日本音響学会会長。
渡辺 綱也(わたなべ つなや、1914年〈大正3年〉6月9日… 渡辺 綱也(わたなべ つなや、1914年〈大正3年〉6月9日 - 1979年〈昭和54年〉8月24日)は、日本の国文学者、国語学者。新潟大学名誉教授。 新潟県東蒲原郡津川町大字津川(現 阿賀町津川)出身。 1933年(昭和8年)3月に新潟中学校を卒業、1936年(昭和11年)3月に新潟高等学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業、東京帝国大学文学部大学院に入学、1942年(昭和17年)3月に退学。 1942年(昭和17年)4月に東京帝国大学文学部助手に就任、1943年(昭和18年)9月に陸軍予科士官学校教授に就任、東京帝国大学文学部助手を兼任、1944年(昭和19年)5月に東京帝国大学を退職、1945年(昭和20年)8月に陸軍を退官。
右近 保太郎(うこん やすたろう、1914年6月8日 - 1… 右近 保太郎(うこん やすたろう、1914年6月8日 - 1997年9月8日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長、会長を務めた。福井県出身。 1938年に東京帝国大学経済学部商学科を卒業し、同年に東京海上火災保険に入社。。 1946年に日本火災海上保険に転じ、1957年に常務に就任し、1958年6月には副社長に就任し、1963年7月には社長に昇格。1981年7月に会長に就任し、1984年に取締役相談役に就任。 1975年10月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲三等瑞宝章を受章。。 1997年9月8日呼吸不全のために死去。83歳没。
荒谷 真平(あらや しんぺい、1914年6月8日 - 199… 荒谷 真平(あらや しんぺい、1914年6月8日 - 1999年1月5日)は日本の医師、生化学者、歯学者。元東北大学歯学部長、歯学部教授、東京医科歯科大学歯学部生化学講座初代主任教授、国立予防衛生研究所歯科衛生部部長。 1938年、日本大学医学部卒業。卒業後、同大学生化学教授の志賀直の元で研究に従事、志賀の台北帝国大学赴任に同行。 戦後、東京医学歯学専門学校(東京医科歯科大学)にて研究、1952年東京医科歯科大学歯学部生化学講座開設に伴い教授に就任。山本肇、佐伯政友らと東北大学歯学部創設のため1966年に東北大学へ赴任、1967年同歯学部長。 1971年兼任で国立予防衛生研究所歯科衛生部部長、1977年に専従、1980年退任。
飯塚 敏子(いいづか としこ、1914年6月8日 - 199… 飯塚 敏子(いいづか としこ、1914年6月8日 - 1991年12月14日)は、日本の女優。本名・本間 敏子(旧姓・飯塚)。 戦前の松竹時代劇を代表する女優の一人である。 1914年6月8日、埼玉県大里郡武川村明戸(現・深谷市)に生まれる。生後間もなく、東京市芝区新橋(現・東京都港区新橋)にて「新橋旅館」を経営していた実家に移る。従って、現役時代の俳優名鑑等では、「東京生まれ」と書かれた物も多い。小学校の頃から、岡安喜代八について三味線と尺八を学ぶ。1927年、文化学院女学部に入学。同校の先輩に夏川静枝・入江たか子・伊達里子などがいる。家庭の事情により同校を3年で辞め、家業を手伝っていたが、1930年に雑誌「婦人公論」主催の美人投票に当選する。
金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 200… 金久 卓也(かねひさ たくや、1914年6月7日 - 2008年6月26日)は、日本の医学者、内科学者。医学博士。内科疾患の精神身体医学的側面について研究した、日本における心身医学の草分け。鹿児島大学名誉教授。 鹿児島県瀬戸内町生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)四年修了を経て、第七高等学校造士館 (旧制)理科を1934年に卒業。1938年、九州帝国大学医学部を卒業。学部では操坦道のもとでデング熱やワイル病について研究した。金子廉次郎教授の第一内科に入局し九大講師。1945年11月、「黄疸出血性レプトスピラ病における出血の成因に関する実験的研究」で九州大学より医学博士取得。また戦後は稲田竜吉東京大学教授が主催するインフルエンザ研究会にも参加した。
廣江美之助(ひろえ みのすけ、1914年6月7日 - 200… 廣江美之助(ひろえ みのすけ、1914年6月7日 - 2000年1月12日)は日本の植物学者である。専門はセリ科植物の分類学的研究である。 岐阜県出身、東京大学植物学科を経て、カリフォルニア大学に留学した。京都大学教授を長く務めた。昭和30年頃から警察の植物鑑定に協力し、『捜査植物学』全4巻を出版し、京都府警永年捜査貢献賞を受賞した。
中田 大三(なかだ だいぞう、1914年〈大正3年〉6月7日… 中田 大三(なかだ だいぞう、1914年〈大正3年〉6月7日 - 1998年〈平成10年〉3月25日)は、日本の実業家。神戸電鉄をはじめとする神戸電鉄グループの発展に大きく尽力した。 1914年(大正3年)6月7日に山梨県甲府市に生まれる。1936年(昭和11年)山梨高等工業学校電気工学科を卒業し、同年に阪神急行電鉄(のちの阪急電鉄で会社としては現在の阪急阪神ホールディングス)に入社。1966年(昭和41年)11月に取締役に就任し、1969年(昭和44年)5月に常務となった。 神戸電鉄では、1970年(昭和45年)に三木駅衝突事故や丸山駅追突事故など多数の負傷者を出す重大事故を繰り返して大阪陸運局(現・近畿運輸局)より特別監査が行われており、さらに1954年(昭和29年)以来無配状態を続けるという経営状態で、これを受けて社長の原泰良や専務・常務が退任する事態になっていた。
三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 200… 三浦 一郎(みうら いちろう、1914年6月6日 - 2006年3月13日)は、日本の西洋史学者・エッセイスト。元茨城大学教授、上智大学名誉教授。 東京府豊島師範学校附属小学校、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学西洋史卒業。 戦後新制成蹊高等学校教諭を経て、茨城大学助教授、1966年同大学教授、1970年上智大学教授、1980年同大学特別待遇教授、1985年退職、同大学名誉教授。ギリシア古代西洋史を専門とするが、『世界史こぼれ話』が角川文庫に収められて人気を博した。 没年91。葬儀は日本基督教団高輪教会、喪主は長男の三浦久利夫(くりお)。
川瀬 二郎(かわせ じろう、1914年6月5日 - 1981… 川瀬 二郎(かわせ じろう、1914年6月5日 - 1981年12月15日)は、日本の経営者。日本板硝子元社長。福岡県出身。 1935年に彦根高等商業学校を卒業し、同年4月に日本板硝子に入社。1962年5月に取締役に就任し、1966年5月に常務を経て、1971年5月には社長に就任。1976年5月に取締役相談役を経て、1978年6月には相談役に退いた。 1981年12月15日、肝硬変のために死去。67歳没
神威山 力雄(かむいやま りきお、1914年6月5日 - 1… 神威山 力雄(かむいやま りきお、1914年6月5日 - 1974年2月19日)は、北海道室蘭市出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は熊谷 力雄。最高位は十両4枚目。 花籠部屋に入門し、1929年5月初土俵を踏む。1934年1月満19歳で十両に昇進。この場所負け越し、幕下に落ちる。1935年1月、一場所で十両に復帰したが、この場所も負け越し再び幕下に落ちる。1936年1月、三度目の十両昇進で勝ち越し、この場所から5場所連続十両の地位にあった。1938年5月幕下に落ち十両復帰を目指し、「神惠山」(かむえやま)に改名(1941年5月)したが、十両に復帰することなく1942年5月に廃業した。1974年死去。
鬼 俊英(おに としひで、1914年〈大正3年〉6月3日 -… 鬼 俊英(おに としひで、1914年〈大正3年〉6月3日 - 1946年〈昭和21年〉)は昭和期の歌手。 福岡県山門郡山川村立山(現在のみやま市山川町立山)出身。神奈川県立湘南中学校を経て立教大学経済学部卒業。在学中は水泳選手としても活躍した。1939年(昭和14年)10月1日にテイチクから歌手デビュー。テイチクレコード盤の「空の勇士」、興亜行進曲など戦時歌謡中心に吹き込む。1941年にはキングレコードへ移籍。終戦後の1946年(昭和21年)、闇市に出回っていた航空機用のメチルアルコールを飲用し急逝。 妻は同じく昭和期の歌手である生島清美。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)… 堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)6月2日 - 2004年(平成16年)2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は、従三位勲一等瑞宝章。学位は、工学士(北海道帝国大学)。称号は、剣道範士。 札幌市出身。札幌一中(現北海道札幌南高等学校)を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学(後の北海道大学)工学部土木工学科卒業(工学士)。海軍省建設局に勤務。復員を経て、1946年(昭和21年)北海道庁に勤務。その後北海道開発庁へ出向し、1965年(昭和40年)同庁事務次官となる。1967年(昭和42年)北海道開発庁退官。
森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4… 森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4月14日)は、日本の女優、作家。 東京府渋谷町猿楽生まれ。岩谷松平の孫。旧姓は岩谷。跡見高等女学校卒。伯母森律子の養女となる。1932年松竹蒲田撮影所に入り、映画女優でデビュー。1934年新派に転向、花柳章太郎の相手役として活躍。1939年映画「残菊物語」で花柳の相手役を演じた。1956年失明して引退。同年、失明寸前に書き上げた自伝「女優」を出版。ベストセラーになり「書きますわよ」の流行語を生んだ。同作は映画化された(女優 (1956年の映画))。
徳永真一郎(とくなが しんいちろう、1914年6月1日 - … 徳永真一郎(とくなが しんいちろう、1914年6月1日 - 2001年12月5日)は、歴史小説家。元毎日新聞編集局参与。本名は德永眞一。地域的には主に近江を舞台に、時代的には戦国時代および幕末を舞台に、歴史上の人物を描写した作品を発表し続けた。 香川県綾歌郡飯山町(現在の丸亀市)に生まれる。旧制高松中学校(現、香川県立高松高等学校)を卒業。 1940年に毎日新聞社入社。毎日新聞社鳥取支局長、大津支局長、学生新聞編集部長などの職を歴任した。学生新聞編集部に在籍中に連載した「少年三国志」が東映から映画化された。 1964年(昭和39年)に吉川英治賞を受賞。1969年(昭和44年)に55歳で退職。1971年(昭和46年)から1975年(昭和50年)までの4年をびわ湖放送局で常務の職にあった。
角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 200… 角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 2008年4月29日)は、日本の経営者。東京出版販売(現在のトーハン)社長を務めた。新潟県出身。 1932年に東京堂に入社し、1934年に中央大学経済学部経済学科を卒業。1946年に日本出版配給を経て、1949年に東京出版販売に転職。 1961年5月に取締役に就任し、1967年に常務、1975年に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。1987年6月には会長に就任。 2008年4月29日老衰のために死去。93歳没。
相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は… 相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は、日本の歴史家、歌舞伎研究家。 詩人・相馬御風の三男として東京に生まれる。祖父は衆議院議員の藤田茂吉。妹は日本文学研究者の相馬文子。糸魚川中学校(現・新潟県立糸魚川高等学校)卒業後、安田靫彦に日本画を学ぶ。また河竹繁俊に師事して歌舞伎を学ぶ。 NHK大河ドラマ『新・平家物語』『国盗り物語』『元禄太平記』『花神』の時代考証を手掛けた。
足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 19… 足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 1985年8月14日)は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。 メディアを通して本居宣長の顕彰に大きな功績を残した。代表作である『やちまた』は、盲目の国学者である本居春庭を描いた評伝文学の傑作である。 東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。 諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。
伊藤 律(いとう りつ、1913年6月27日 - 1989年… 伊藤 律(いとう りつ、1913年6月27日 - 1989年8月7日)は、日本の政治運動家、元日本共産党政治局員。岐阜県土岐郡土岐村市原(現・瑞浪市)出身(広島県生まれ)。幼名は、恵一。中国名は、顧青。 父・連次郎の勤務先である広島で生まれた。間もなく父の故郷岐阜県瑞浪に戻る。幼少期から神童の誉れが高かったといわれ、旧制岐阜県立恵那中学校(現・岐阜県立恵那高等学校)4年生修了後、1930年に第一高等学校(現・東京大学教養学部)に入学する(飛び級入学。いわゆる「四修進学」)。同期に後に作家となる杉浦明平がいた。杉浦の後年の回想では、入学の時点で伊藤はすでに社会主義に関心を持ち、1年生から読書会を主催していたという。
藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日… 藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日 - 1998年9月17日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。リズミカルな筆触、明快な色調の風景画を得意とした。 静岡県伊豆下田生まれ。生後間もなく大阪に移住。1930年、鹿子木孟郎、赤松麟作に師事する。1931年(昭和6年)大阪天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)卒業後、上京して川端画学校に学ぶ。1935年(昭和10年)東京美術学校入学。寺内萬治郎、藤島武二に師事。1937年(昭和12年)ポール・ゴーギャンに憧れて南洋旅行。1939年(昭和14年)光風会展で初入選、F氏賞を受賞、第3回海洋美術展でも海軍協会賞を受賞。1940年、東京美術学校を卒業、第4回海洋美術展で朝日新聞社賞を受賞。
井尻 正二(いじり しょうじ、1913年6月26日 - 19… 井尻 正二(いじり しょうじ、1913年6月26日 - 1999年12月1日)は、日本の地球科学者・古生物学者・地質学者。学位は、理学博士(九州大学・論文博士・1949年)。東京経済大学教授を歴任。北海道小樽市出身。 小樽で倉庫業・海産物商などを営む名家に生まれたが、父が政治に血道を上げて家業に身を入れず没落し、中学校を卒業後に家族で上京。稲穂尋常高等小学校4年生の時に、大きな塩の結晶を作り、先生に褒められたことをきっかけに理科に興味を持つ。旧制小樽市中学校(現・小樽市立長橋中学校)卒。小中学校の同級生に広谷俊二(日本共産党中央委員)がいる。 1933年4月、動物学者で大伯父に当たる東京帝国大学教授・谷津直秀の勧めで東京帝国大学理学部地質学科に進学、古生物・化石研究の道に進む。
桑木 務(くわき つとむ、1913年6月25日 - 2000… 桑木 務(くわき つとむ、1913年6月25日 - 2000年2月15日)は日本の哲学者。
高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 201… 高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 2014年5月17日)は、日本の動物学者。第8代琉球大学学長(就任期間:1970年7月1日 - 1973年6月30日)。農学博士。専攻は応用動物学。沖縄県本部町出身。 ハブの研究で知られ、「ハブ博士」と呼ばれた。 イリオモテヤマネコの発見につながる幼獣の捕獲を果たしたことでも知られる。 沖縄の本土復帰に伴う国立大学化の際の学長であった。 戦後の1950年から1968年にかけて5回に渡り、調査団を結成して尖閣諸島に上陸して学術調査を実行。この時のメンバーには後に沖縄社会大衆党委員長となる瑞慶覧長方がいる。 紫綬褒章、勲二等瑞宝章、沖縄県功労者、沖縄タイムス賞などを受賞。
堀江 史朗(ほりえ しろう、1913年6月24日 - 200… 堀江 史朗(ほりえ しろう、1913年6月24日 - 2009年5月14日)は、脚本家、ラジオドラマの製作者、映画プロデューサー。元・博報堂代表取締役副社長。ペンネームは龍野 敏。 兵庫県西宮市生まれ。1934年に大阪商科大学(現、大阪市立大学)を卒業と同時にNHKに入局。1937年よりラジオドラマの放送にたずさわる。戦後のラジオ全盛期には、制作、脚本両面で放送界の中心的役割を果たした。1950年に脚本部長。 東宝撮影所に移籍して文芸部長。1955年に契約者となり、1962年に博報堂に移籍、テレビ・ラジオ局長、1974年に代表取締役副社長となる。のち、シナリオ・センター最高顧問。 2009年5月14日、肺炎のため95歳で死去。
永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991… 永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991年6月3日)は、日本の地球科学者である。岩石磁気学という分野を開いた。日本の南極観測を指導した。 愛知県岡崎市出身。第一東京市立中学、旧制第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、東京大学地震研究所を経て東京大学教授に就任した。疎開中は挙母町(現・豊田市宮町)の浄覚寺に滞在した。奇しくも30年前に日本人で初めて南極へ向かった白瀬矗が晩年1946年同じ挙母町に転居し亡くなった後、白瀬の妻と次女タケコが浄覚寺に滞在している。1944年7月、東京大学 理学博士、論文名は「火山岩、自然残留磁気およびその地球磁気学的諸問題への応用について(英文) 」。
伊瀬 仙太郎(いせ せんたろう、1913年〈大正2年〉6月2… 伊瀬 仙太郎(いせ せんたろう、1913年〈大正2年〉6月23日 - 1999年〈平成11年〉12月17日)は、東洋史学者。東京学芸大学名誉教授。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 1913年、香川県伊吹島(現観音寺市)で生まれた。香川師範学校、東京高等師範学校を経て、東京文理科大学を卒業。 卒業後は、母校の東京文理科大学副手に採用された。後に助手昇格。その後東京第一師範学校に転じ、1949年に同校が新制大学として東京学芸大学となってからは同大学助教授。その後教授昇格。1961年、学位論文『中国民族と周辺諸民族との交流に関する研究:特に隋唐時代を中心として』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。1978年に東京学芸大学を定年退官し、名誉教授となった。
門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2… 門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2006年)は、日本の画家、版画家。「現代の浮世絵師」とも呼ばれる。 1913年6月23日に、香川県三豊郡観音寺(現在の観音寺市八幡町)で門脇百太郎とみねの六男として生まれる。家は代々木材彫を営んでいた。 1994年にフランス国立高等美術学校(パリ)にて開催した個展がきっかけとなって、1995年8月、セントビンセント・グレナディーンから木版画「不動明王」の郵便切手が発行された。
西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21… 西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21日 - 1998年(平成10年)3月19日)は、日本の国文学者。 西尾実の長男として長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)に生まれる。1926年、一家で東京府豊多摩郡落合町に移る。旧制浦和高等学校文科を経て、1936年東京帝国大学文学部国文科卒。 1943年陸軍士官学校教授、1946年東京外国語大学教授を経て、1949年山梨大学教授、1979年定年退官、名誉教授、同年清泉女子大学教授、1985年上田女子短期大学学長。1989年11月勲三等旭日中綬章受章。中世説話文学を専門とした。
竹内 啓治(たけうち けいじ、1913年〈大正2年〉6月20… 竹内 啓治(たけうち けいじ、1913年〈大正2年〉6月20日 - 1997年〈平成9年〉3月2日)は、日本の実業家。住金鋼材工業(株)(現・日鉄建材)社長、コスモ経済企画研究所会長、藤島町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913… 斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日)は、日本の政治家、経済評論家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、 科学技術庁長官(44代)。東京出身。早稲田大学商学部卒業。商学博士、法学博士、文学博士。 1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後、日本経済新聞社に入社。上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した。 1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士、1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士、1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した。
野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう、1913年6月19日 … 野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう、1913年6月19日 - 1999年5月6日)は、日本の政治家。1978年から1990年までの3期にわたり、兵庫県尼崎市長を務めた。勲三等旭日中綬章。
市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月1… 市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月19日 - 2014年(平成26年)6月21日)は、日本の中国史学者、お茶の水女子大学名誉教授。 1913年、山梨県で生まれた。東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1937年に卒業。 卒業後は、東亜研究所書員として勤務。戦後の1951年、お茶の水女子大学助教授に就いた。1957年に教授昇格。1969年から1971年まで文教育学部長、1972年からは附属図書館長も務めた。1976年、お茶の水女子大学学長に就任。1979年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月からは中央大学教授として教鞭を執った。 2014年6月21日午前5時10分、老衰のため101歳で死去。
長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没… 長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没年不詳)は、日本の男性フィギュアスケート選手。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。慶應義塾大学法学部卒業。 1932-1933年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権と翌1933-1934年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権で3位、第6回大会では2位となった。 1935-1936年シーズン、ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック日本代表に選出され、同じく代表となった片山敏一、老松一吉、渡辺善次郎、稲田悦子ら4人とともに欧州遠征を行った。ベルリンで行われた1936年ヨーロッパフィギュアスケート選手権には片山、老松、稲田とともにエントリーをしたが棄権。
後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 200… 後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 2000年1月29日)は、日本の政治家、統計学者。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(3期)、法務大臣(第50代)を歴任した。 父は元内務大臣の後藤文夫。 大分県大分市生まれ。旧制横浜高等工業学校(現:横浜国立大学)卒業。三菱鉱業(現:三菱マテリアル)の技師、内閣技術院参技官、内閣調査局調査官、宮城県職員、内閣統計委員会事務局基準課長、行政管理庁統計基準部企画課長等を経て、1959年、行政管理庁統計基準局長に就任。1967年の退官まで務める。 退官後、1968年から8年間、大分大学学長を務める。 1976年9月、岩男頴一の死去に伴う参議院大分地方区補欠選挙に立候補。
中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月… 中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月17日 - 1987年 <昭和62年> 7月23日)は、日本の国文学者。静岡女子大学(現:静岡県立大学)名誉教授。勲等は勲三等。位階は正四位。 静岡女子短期大学教授、静岡女子大学文学部教授、静岡女子大学文学部長、常葉学園短期大学教授、常葉学園大学教育学部教授などを歴任した。 1913年、新潟県生まれ。旧制新潟県立十日町中学校を経て國學院大學高等師範部第一部を卒業した。川治尋常高等小学校の代用教員を振り出しに、教育者としての道を歩む。応召を挟み、六日町高等女学校や新潟県立十日町中学校の教諭を務めた。その後、京都帝国大学文学部国語学国文学専攻にて学ぶ。
中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャ… 中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャンス、강 창수)、1913年6月16日 - 2013年1月8日)は、朝鮮半島出身の空手家。空手道拳道会初代会長。空手十段。 素手で材木を切断する『垂木切り』の演武で知られている。これは、中村の正拳突きや手刀で打たれた材木が「折られた」というよりは「切られた」ような滑らかな断面になることから名付けられた。 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』によれば、同じく朝鮮半島北部出身の力道山と力士時代から親交があり、力道山から朝鮮語で兄さんを意味する「ヒョンニム」と呼ばれ慕われていたという。相撲を廃業しプロレスに転向する際には空手を伝授、これが力道山の代名詞となった必殺技・空手チョップ誕生に繋がったとされる。
立川 宗保(たちかわ むねやす、1913年6月15日 - ?… 立川 宗保(たちかわ むねやす、1913年6月15日 - ?)は、日本の農林官僚。農林省蚕糸局長等を務め、退官後は農業機械化研究所理事長、日本蚕糸事業団理事長、日本食糧倉庫株式会社社長、大日本蚕糸会会頭等を歴任。 鹿児島県生まれ。串木野市(いちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1932年第七高等学校造士館文科卒業。1937年東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年農林省に入省し、馬政局、食糧管理局、企画院、興亜院、大東亜省等に勤務。1945年食糧管理局外地課長となり、以降農林省総務局経済課長、群馬県経済部長兼農地部長、農林省農地局経済課長、食糧庁総務部企画課長、大臣官房文書課長、水産庁漁政部長、水産庁生産部長、農地局管理部長、農林大臣官房参事官を経て、1958年8月農林経済局統計調査部長就任(同年9月農林水産技術会議事務局研究調整官併任)。
小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日… 小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日 - 2006年(平成18年)3月26日)は、日本のファッションデザイナーである。同じくファッションデザイナーとなったコシノ三姉妹(コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ)の母親としても知られる。
舛田 精一(ますだ せいいち、1913年6月15日 - 没年… 舛田 精一(ますだ せいいち、1913年6月15日 - 没年不明(1989年以降) )は、日本の会計学者。 東京出身。早稲田大学政治経済学部卒、日本鋼管に入社し、経理関係の課長、次長を務める。1960年東京シヤリングへ出向し、常務取締役経理部長。1964年日本鋼管を退社し、舛田財務研究所を創設、所長となる。経理関係の実用書を多数執筆した。
大江宏(おおえ ひろし、1913年(大正2年)6月14日 -… 大江宏(おおえ ひろし、1913年(大正2年)6月14日 - 1989年(平成元年)3月3日)は、日本の建築家。 モダニズムと日本の伝統様式とを決して融合することなく「混在併存」させた建築意匠で知られる。また、教育者として法政大学建築学科の礎を築き、多くの後進を育成した。主な作品に法政大学、香川県立丸亀武道館、普連土学園、国立能楽堂など。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章叙勲。秋田県秋田市生まれ。 父の大江新太郎は明治神宮造営技師を務め、日光東照宮の修理、および明治神宮宝物殿、神田明神の設計を手がけた建築家。長男の大江新は建築家・法政大学名誉教授。
小倉 親雄(おぐら ちかお、1913年6月13日 - 199… 小倉 親雄(おぐら ちかお、1913年6月13日 - 1991年10月7日)は、日本の図書館学者。京都大学名誉教授。鳥取県出身。 鳥取第二中学校(現、鳥取県立鳥取東高等学校)、松江高等学校を経て、1936年に京都帝国大学文学部を卒業。その後、朝鮮総督府図書館事務嘱託、陸軍士官学校教授など歴任。終戦後、京都帝国大学大学院に進み、1949年退学。京都大学附属図書館事務長となる。1956年、京都大学教育学部助教授、1969年、教授。1972年、教育学部長。1977年に退官して名誉教授となり、ノートルダム女子大学教授を1989年まで務めた。1991年叙従三位、叙勲三等授旭日中綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
永岡 光治(ながおか みつじ、1913年〈大正2年〉6月13… 永岡 光治(ながおか みつじ、1913年〈大正2年〉6月13日 - 1994年〈平成6年〉5月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期)、大分県宇佐市長、宇佐市名誉市民。 大分県宇佐郡長洲町(現宇佐市長洲)で生まれる。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、1934年(昭和9年)中央大学第二予科を卒業。さらに逓信官吏練習所第一部行政科を1936年(昭和11年)に卒業。逓信属、同事務官となり、東京中央電話局、逓信省郵務局に勤務した。 戦後、労働運動に参画し、全逓信従業員組合(のちの日本郵政公社労働組合)の結成と共に本省支部長に就任し、1947年(昭和22年)同中央本部書記長に就任。
河内 義就(こうち よしなり、1913年(大正2年)6月13… 河内 義就(こうち よしなり、1913年(大正2年)6月13日 - 1987年(昭和62年)10月5日)は、日本の建築家。広島県国泰寺町(現・広島市中区国泰寺町)生まれ。 原爆で壊滅した広島の復興を支えた人物の一人で、戦後に広島を拠点として活躍した。 広島工業大学特任教授、社団法人広島県モーターボート競走会理事なども歴任した。 1932年(昭和7年)に横浜国立大学の前身である横浜高等工業学校建築科に入学し、中村順平の弟子となる。1935年(昭和10年)の卒業後は逓信省経理局営繕課に就職、山田守の元で実務を経験した。 1939年(昭和14年)7月から終戦までは満州国に移籍し同国郵政総局経理科営繕技手仕官や技佐仕官として建築の活動を行う。
寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年〈大正2年〉6月12… 寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年〈大正2年〉6月12日 - 1998年〈平成10年〉10月25日)は、日本の政治家。北海道北見市長(1975年 - 1987年、3期)。 北見市生まれ。1927年(昭和2年)、北海道庁野付牛中学校(旧制)卒業。札幌の司法書士事務所や弁護士事務所に勤務。1938年(昭和13年)兵役に就く。1945年(昭和20年)終戦により復員。その後、北見市農業共済組合に入る。同組合長を経て、1951年(昭和26年)に地元・北見市の市議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。以後、市議会議員を連続6期当選した。1959年(昭和34年)5月8日、第5代同市議会副議長に選出された。
今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年(大正2年)6月12日… 今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年(大正2年)6月12日 - 1997年(平成9年)11月17日)は、昭和期の日本の政治家、経済評論家。衆議院議員(8期)。 山口県出身。山口高等商業学校(現山口大学)卒業。1945年、日本社会党の結党に参加した。 1947年4月の第23回衆議院議員総選挙に旧山口1区(定数4)から社会党公認で立候補し、トップで初当選した。 1951年の社会党の左右分裂では右派社会党に参加、1955年に両派は統一するも1959年に脱党し、1960年1月の民社党の結成に参加した。委員長西尾末広の下で党政策審議会長に就任。同年11月の第29回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で4番目の得票数で当選し、返り咲き。