松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6… 卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6日 - 2002年(平成14年)3月11日)は、日本の官僚。約20年間にわたり、侍従として昭和天皇に仕えた。 侍従となった1969年(昭和44年)から2002年(平成14年)の死去直前まで、毎日欠かさず付けた32年間の日記は、『卜部亮吾侍従日記』(全5巻)として、朝日新聞社から2007年に順次公刊された。同日記は、昭和天皇と香淳皇后に仕えていた広報担当者の日記であり、長期にわたってつけられたものであること、昭和天皇崩御(1989年(昭和64年)1月7日)前後の内情(特に昭和から平成への代替わりの実務を仕切った当時の経緯)と昭和天皇の晩年の姿が分かることから貴重な史料である。
富田 朝彦(とみた ともひこ、1920年〈大正9年〉7月3日… 富田 朝彦(とみた ともひこ、1920年〈大正9年〉7月3日 - 2003年〈平成15年〉11月13日)は、日本の警察官僚。第3代宮内庁長官。位階は正三位。北海道出身。 函館中学、旧制二高を経て、昭和18年(1943年)東京帝国大学法学部を卒業後、海軍を志願し、同年9月30日海軍三校のひとつ海軍経理学校に入学。 1944年2月、同校を卒業し海軍主計科士官(主計科短期現役第10期)となる。最終階級は海軍主計大尉。 戦後、内務省に入省。大臣官房属。その後は警察庁に入り警視庁交通部長、警察庁長官官房長、警察庁警備局長を歴任する。警備局長時代の警察庁長官は後藤田正晴であさま山荘事件などを担当した。その後、警視庁副総監、内閣調査室長を経て、1974年(昭和49年)11月26日 宮内庁次長、1978年(昭和53年)宮内庁長官に就任した。
桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - … 桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - 2014年9月26日)は、日本の農学者、農業経済学者、元技官官僚。学位は、農学博士(北海道大学)。専門は、テンサイ農業の経営および経済活動についての研究。北海道大学名誉教授。元北海学園北見大学学長・北海学園北見短期大学学長。渡邊侃門下。弟子は大谷俊昭。北海道生まれ。
堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)… 堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)6月2日 - 2004年(平成16年)2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は、従三位勲一等瑞宝章。学位は、工学士(北海道帝国大学)。称号は、剣道範士。 札幌市出身。札幌一中(現北海道札幌南高等学校)を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学(後の北海道大学)工学部土木工学科卒業(工学士)。海軍省建設局に勤務。復員を経て、1946年(昭和21年)北海道庁に勤務。その後北海道開発庁へ出向し、1965年(昭和40年)同庁事務次官となる。1967年(昭和42年)北海道開発庁退官。
三枝 三郎(さいぐさ さぶろう、1913年(大正2年)6月1… 三枝 三郎(さいぐさ さぶろう、1913年(大正2年)6月11日 - 2014年(平成26年)2月22日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。衆議院議員(3期)、福田派。 白鳥大橋の建設に尽力した。 北海道、現在の室蘭市で生まれる。旧制室蘭中学校(現北海道室蘭栄高等学校)を経て、1939年(昭和14年)東京文理科大学哲学科を卒業。同年10月、高等試験行政科に合格。同年、内務省入省し大阪府属となる。 以後、三重県、福岡県で勤務。1945年(昭和20年)宮内省書記官、1946年(昭和21年)警視庁警備交通部警備課長、1954年(昭和29年)警視長・和歌山県警察本部長、1960年(昭和35年)初代内閣総理大臣官房広報室長、1964年(昭和39年)総理府特別地域連絡局長を歴任。
松本 秋男(まつもと あきお、1908年〈明治41年〉10月… 松本 秋男(まつもと あきお、1908年〈明治41年〉10月13日 - 1992年〈平成4年〉1月2日)は、日本の工学者・元官僚。工学博士。北海道大学名誉教授、元北見工業大学学長、元電気通信学会副会長。北海道札幌市出身。 1931年(昭和6年)北海道帝国大学工学部を卒業し、逓信省入省。国際電気通信(現KDDI)技術研究所長などを経て、1947年(昭和22年)北海道大学工学部教授。1959年(昭和34年)電気通信学会副会長。1970年(昭和45年)北海道大学停年退官。同名誉教授。1970年(昭和45年)北見工業大学理事・北見工業大学2代学長に就任。1978年北見工業大学退官。 電気工学を専門とし、伝達回路網学を研究。
富樫 凱一(とがし がいいち、1905年11月17日 - 1… 富樫 凱一(とがし がいいち、1905年11月17日 - 1993年4月21日)は、日本の土木工学者、建設官僚。東名高速道路の全線開通、本州四国連絡橋の完成などに尽力。文化功労者。 北海道旭川市生まれ。北海道帝国大学卒業。内務省に入り、関門国道改良事務所長、建設省道路局長、技監などを歴任し、1960年退任。1966年日本道路公団総裁、1967年土木学会会長、1970年本州四国連絡橋公団総裁。1978年海洋架橋調査会会長。 技術者として、関門トンネルの設計・建設や東名高速道路建設に一貫して尽力した他、本州四国連絡橋の児島・坂出ルート(瀬戸大橋)の建設に関しては、開発公団初代総裁として長大吊り橋を始めとする新技術の導入・開発に当たった。
小川 譲二(おがわ じょうじ、1904年4月10日 - 19… 小川 譲二(おがわ じょうじ、1904年4月10日 - 1974年1月21日)は、技官官僚・工学者。北海道大学出身初の北海道開発局局長。学校法人北海学園理事長。また、北海道における治水事業の第一人者である。 北海道札幌市生まれ。1928年北海道帝国大学工学部土木工学科を第1期生として卒業。 北海道庁に入庁し、札幌治水事務所に勤務。その後、釧路土木事務所所長、帯広土木現業所所長、石狩川治水事務所所長、北海道電源開発推進部長等を経て、1951年総理府技官・北海道開発局初代建設部長、1957年北海道開発局二代局長。1959年停年退官。1960年富士セメント(現、日鉄住金セメント)コンクリート工場建設実施本部長。
池田幸太郎(いけだ こうたろう、1904年3月4日 - 19… 池田幸太郎(いけだ こうたろう、1904年3月4日 - 1989年8月14日)は、日本の政治家・官僚・薬剤師。北海道旭川市出身。1925年東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒。北海道名寄市市長(1958年 - 1974年)。名寄市名誉市民。 1925年内務省東京衛生試験所に入所。1929年内務省退官。名寄町で家業である薬局を継ぐ。1951年北海道薬剤師会理事。1952年名寄町商工会議所副会頭に就任。同年、名寄町教育委員会委員にも就任(~1956年)。1955年名寄町議会議員に初当選。1958年名寄市が市制施行後、初となる市長選出馬し、名寄市長に初当選。連続3期を務め、1974年同市長を勇退。同年、名寄女子短期大学非常勤講師(薬局運営論)・旭川大学非常勤講師(地方自治論)。
加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993… 加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993年11月10日)は、日本の昭和期の官僚。正三位勲一等瑞宝章。北海道札幌市出身。 札幌二中、一高を経て、1926年に東京帝国大学法学部を卒業し、会計検査院に入る。1933年宮内省に移り、内匠寮主計課長・人事課長・総務局長などを歴任した後、1946年宮内次官、翌年宮内府次長。 1946年神奈川県を皮切りに始まった全国巡幸では、宮内大臣の松平慶民・侍従長の大金益次郎とともに企画・立案・実施の中心人物として活躍した。また、1945年12月に梨本宮守正王がA級戦犯に指名されたことから、GHQの対皇室政策に対して危機感を抱き、皇室・直宮家保全の立場から1947年の皇籍離脱を積極的に推し進めた。
酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974… 酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974年7月1日)は、日本の官僚・実業家。 帝国石油総裁・社長を務めた。 北海道札幌市出身。1924年に東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省。商工事務官、商工省鉱山局燃料課長、燃料局第一部油政課長兼資源課長兼商工書記官、燃料局石油部長、札幌鉱山局長などを歴任。商工事務官時代に旧石油業法の起案に携わり、1934年の同法の成立に尽力した。1941年10月鉄鋼局長、1943年鉄鋼統制販売株式会社社長。戦後も商工省燃料局長を務めたが、1947年に退官。同年の第23回衆議院議員総選挙において北海道1区から立候補したが落選した。1948年に帝国石油総裁となり、1950年の民営化後も引き続き1952年まで社長を務めた。
町村 金五(まちむら きんご、1900年(明治33年)8月1… 町村 金五(まちむら きんご、1900年(明治33年)8月16日 - 1992年(平成4年)12月14日)は、日本の内務官僚、政治家。
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1… 薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 秋田県出身。薄田正美の長男として生まれる。函館中学、旧制第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年7月、内務省に入り大阪府属兼警部として警察部特別高等警察課に配属された。 1921年11月、香川県警視となり警察部に勤務。1923年2月、朝鮮総督府に転じ総督官房庶務部に勤務し、警務局に異動。 1926年12月、地方事務官として栃木県農商課長に就任。以後、内務事務官・警務官、岡山県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。
大久保 偵次(おおくぼ ていじ、1883年(明治16年)6月… 大久保 偵次(おおくぼ ていじ、1883年(明治16年)6月15日 - 1973年(昭和48年)2月10日)は、日本の大蔵官僚。銀行局長時代に帝人事件の被告となるも無罪判決を受けた。関場家の養子となっていたため、前半生では関場偵次と名乗る。 鹿児島県に生まれる。長兄が屯田兵となっていたことから北海道琴似村に移住し、17歳で関場不二彦の養子となった。札幌中学、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学を卒業。文官高等試験に合格し、大蔵省に入省する。同期生に首席の後藤文夫や、石黒忠篤などがいる。 官歴は大蔵属に始まる。大蔵省事務官、同書記官を経て、仏国、英国各駐剳財務官代理、国際連盟総会随員を歴任。第一次世界大戦終結後の独国による対日賠償に関わった。
内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年… 内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年4月15日) - 1926年(大正15年)2月20日)は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏、明治・大正期の俳人。幼名は助之進、元服して師克(もろかつ)、のち素行(もとゆき)。俳号の「鳴雪」は、「何事も成行きに任す」の当て字という。鳴雪の号のほか、南塘・破蕉・老梅居も用いた。 伊予松山藩の上級武士内藤房之進と八十(やそ)の長男として、藩の江戸中屋敷に生まれた。嘉永2年(1849年)に実母が死去すると、曾祖母と祖母のもとで育てられた。安政元年(1854年)頃から父に漢籍を教わり、軍記物や草双紙、寄席や義太夫に親しんだ。なお、同時期に小使として出仕していた原田左之助(後の新撰組幹部で十番隊隊長。
匂坂 克久(さぎさか かつひさ)は、日本の文部科学官僚。文部… 匂坂 克久(さぎさか かつひさ)は、日本の文部科学官僚。文部科学省国際交流官等を経て、国立科学博物館副館長、国立科学博物館附属自然教育園長。 北海道北見市生まれ、札幌市育ち。北海道札幌西高等学校を経て、北海道大学法学部卒業。1988年文部省入省、大臣官房人事課総務班配属。1993年文部省教育助成局教職員課免許係長。1995年文部省大臣官房総務課行政事務管理室課長補佐。1996年北茨城市教育委員会事務局教育次長。1998年科学技術庁科学技術振興局国際課国際交流推進室長補佐。 1999年経済協力開発機構科学技術産業局出向。2001年東京都教育委員会学務部都立高校改革推進担当課長。2003年文部科学省スポーツ・青少年局企画・体育課企画官。
門山 泰明 (かどやま やすあき、1953年 - )は、日本… 門山 泰明 (かどやま やすあき、1953年 - )は、日本の総務官僚、弁護士。自治大学校長や、総務省大臣官房長、総務省自治行政局長等を経て、一般財団法人日本消防設備安全センター理事長。 北海道札幌南高等学校、東京都立西高等学校(1年次編入)を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1977年 自治省入省(財政局公営企業第一課)。同年7月 滋賀県総務課。1978年4月 滋賀県企画調整課。1979年3月 自治省大臣官房総務課。1980年4月 自治省行政局行政課。その後は福岡市企画課長、国土庁計画・調整局課長補佐、三重県財政課長、奈良県総務部長、総務省自治行政局行政課長、総務省大臣官房審議官、総務省選挙部長、自治大学校長、総務省大臣官房地域力創造審議官などを経て、2012年9月11日 総務省大臣官房長。
松浦 克巳(まつうら かつみ)は、日本の大蔵・財務官僚。 北… 松浦 克巳(まつうら かつみ)は、日本の大蔵・財務官僚。 北海道網走市生まれ。北海道札幌南高等学校を経て、1988年 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。内閣官房長官秘書官などを務めた。ハーバード大学留学。1992年7月 大蔵省主税局調査課外国調査第一係長。1994年7月10日 尾道税務署長。1995年 国際通貨基金派遣。1998年 大蔵省理財局資金第一課資金企画室課長補佐。1999年 理財局総務課課長補佐(総合資金・資金調整・調査)。2001年 財務省主税局税制第二課課長補佐(法人税)。2006年 財務省理財局総務課調査室長。2008年 財務省主計局司計課予算執行調査室長。2011年 財務省主計局主計官(防衛係担当)。
槌谷 裕司(つちや ゆうじ)は、日本の内閣府官僚。沖縄総合事… 槌谷 裕司(つちや ゆうじ)は、日本の内閣府官僚。沖縄総合事務局長や、沖縄振興開発金融公庫理事、内閣府沖縄振興局長などを歴任した。退官後、国立公文書館公文書アドバイザー、沖縄国際大学総合研究機構沖縄経済環境研究所特別研究員、早稲田大学招聘研究員。 北海道磯谷郡蘭越町出身。北海道倶知安高等学校を経て、1981年中央大学法学部卒業、総理府入庁。総務省統計局統計調査部調査企画課長などを経て、2008年内閣府大臣官房審議官。2011年内閣府沖縄総合事務局長。2013年沖縄振興開発金融公庫理事。2015年内閣府大臣官房総括審議官。2016年から内閣府沖縄振興局長を務め、石垣市で日本初となるバス自動運転車実証実験を進めるなどした。
古屋 浩明(ふるや ひろあき)は、日本の人事院官僚。人事院事… 古屋 浩明(ふるや ひろあき)は、日本の人事院官僚。人事院事務総長を経て、人事官。 北海道旭川市出身。北海道旭川東高等学校を経て、1980年東北大学法学部卒業、人事院入庁。給与局給与第一課長、人事課長を経て、2009年職員福祉局次長。2012年から給与局長を務め、国家公務員の給与引き下げ関連法案の整備などにあたった。2017年事務総長。2020年吉田耕三の後任の人事官に就任。2024年人事官を退任。
開山 憲一(かいやま けんいち)は、日本の弁護士・元法務官僚… 開山 憲一(かいやま けんいち)は、日本の弁護士・元法務官僚・元検察官。 北海道帯広市生まれ。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。北海道帯広三条高等学校在学中は軟式テニス部に所属。帯広三条高校卒業後、働きながら通信教育で学び司法試験に合格した苦労人。さいたま地方検察庁公判部検事だった2002年(平成14年)、刑事事件での論告中に涙を流したこともある。退官後、LEC大学教授に就任。その後退任。