和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 201… 和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 2016年6月22日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。晩聲社創立者、週刊金曜日初代編集長・社長。筆名に轍寅次郎(わだち とらじろう)。 1945年、北海道十勝管内幕別町札内に生まれる。中学3年の時、60年安保闘争のデモに参加。北海道帯広柏葉高等学校時代に民青同盟に加入し、1963年、日本共産党入党(党費滞納を理由に30代半ばで除名)。 1968年に法政大学社会学部を卒業し、サイマル出版会、総合雑誌「時代」編集部を経て、1972年徳間書店グループの現代史出版会の設立に参加。1976年にルポルタージュ専門の出版社「晩聲社」を創立する。1988年、編集プロダクション「鐵五郎企画」を創設。
塩田 耕一(しおだ こういち、1945年9月23日 - )は… 塩田 耕一(しおだ こういち、1945年9月23日 - )は、フリーアナウンサー、元秋田テレビのアナウンサー、元報道制作局次長兼制作一部アナウンサー担当部長。 北海道小樽市出身。日本大学卒業後、1969年の秋田テレビ開局と同時に入社。大学時代に土居まさるに出会い、誉められたのをきっかけにアナウンサーの道へと進む。 秋田テレビが誇る長寿番組である、「クボタ民謡お国めぐり」の司会を2005年3月までの11年間、また報道では夕方のローカルワイドニュース「テレポートあきた」のメインキャスターを1978年4月の放送開始から1989年3月の放送終了までの11年間に渡って務めた。 2005年9月23日で還暦を迎えた後も定時ニュース等を担当したが、2006年9月30日をもって退職した。
宮本 美智子(みやもと みちこ、1945年8月28日 - 1… 宮本 美智子(みやもと みちこ、1945年8月28日 - 1997年6月13日)は、日本のノンフィクション作家。 自身の体験に基づく作品を発表したほか、低炭水化物ダイエットに関する著作を残している。 夫はイラストレーターの永沢まこと。 北海道富良野市生まれ。北星学園大学文学部英文学科卒業後、1968年にアメリカ合衆国にわたり、インディアナ州にあるゴーシェン大学に留学。その後、ニューヨークのソーホーに移住し、17年間の生活で美術館や画廊でプロデュースなどの仕事に従事。同時期に執筆活動を始め、1986年より東京都で作家として活動を始めた。 1997年6月13日、急性多臓器不全で逝去。51歳没。 著書『世にも美しいダイエット』では、「米、小麦を摂取しない」「1回の食事で取る炭水化物は、パンやパスタなどとし、30g程度に制限する。
岸本 純幸(きしもと すみゆき、1945年8月24日 - 2… 岸本 純幸(きしもと すみゆき、1945年8月24日 - 2025年5月7日)は、日本の実業家。JFEエンジニアリング代表取締役社長兼最高経営責任者を務めた。 北海道名寄市出身。1970年北海道大学大学院工学研究科修了、日本鋼管入社。1991年日本鋼管福山製鉄所製銑部長。1995年日本鋼管福山製鉄所原価総括部長。1997年日本鋼管取締役福山製鉄所副所長に昇格。1999年日本鋼管常務取締役福山製鉄所長。2000年日本鋼管執行役員専務。2002年日本鋼管代表取締役執行役員副社長。2003年JFEスチール代表取締役副社長。2005年JFE物流代表取締役社長。2008年からJFEエンジニアリング代表取締役社長兼CEOを務め、一般職の廃止を行うなどした。
池澤 夏樹(いけざわ なつき、1945年7月7日 - )は、… 池澤 夏樹(いけざわ なつき、1945年7月7日 - )は、日本の小説家・詩人。翻訳、書評も手がける。日本芸術院会員。 文明や日本について考察を基調にした小説や随筆を発表している。翻訳は、ギリシア現代詩からアメリカ現代小説など幅広く手がけている。各地へ旅をしたことが大学時代に専攻した物理学と併せて、池澤の作品の特徴となる。詩が小説に先行していることも、文章に大きな影響を与えている。 声優の池澤春菜と起業家、投資家の池澤摩耶は娘。画家のSaya(摩耶の娘)は孫。 北海道帯広市出身で、マチネ・ポエティクで同人の原條あき子(山下澄、1923年 - 2004年)と福永武彦の間に、疎開先の帯広で誕生した。
中村 宏之(なかむら ひろゆき、1945年6月9日 - 20… 中村 宏之(なかむら ひろゆき、1945年6月9日 - 2025年4月29日)は、日本の陸上競技指導者、元陸上競技選手。北海道ハイテクAC前監督。福島千里(100m、200m日本記録保持者)、北風沙織、寺田明日香などの短距離走選手の育成・指導で知られる。 北海道富良野市出身。札幌東高等学校時代に陸上競技を始め、三段跳びの選手として活躍した。日本体育大学ではインカレや日本選手権上位に入る。教員になった後も陸上競技を続け、中標津高等学校教員時代には第14回東日本実業団陸上競技選手権で三段跳びで優勝している。その後は指導者へと転向し、北海道恵庭北高等学校時代には伊藤佳奈恵(100m、200m元日本記録保持者)らを指導した。
姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、… 姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、日本の元女優、歌手。本名:橘 郁子(旧姓)。夫は元プロ野球選手の倉田誠。妹の橘和子も日活で女優を務めた。 染物業を営む家庭の5人兄妹の3番目(次女)として北海道札幌市南8条西3丁目で生まれた。生家は中島公園近くの紺屋『橘屋』。曽祖父は石川県の人で19世紀後半に渡道、当地で代々染物業を営んでいた。ちなみに、遠祖は四国地方で忍者をしていたという。札幌静修高等学校1年生の1961年、大映『すっとび仁義』の主演・橋幸夫の相手役募集に応じて当選。同年10月、大映に入社し同作品でデビュー、同時に日本大学第二高等学校に転校した。その後同校を卒業している。
前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、… 前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、日本の実業家。ホーマック(後のDCMホーマック)元会長兼社長・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)初代社長・DCM Japan初代社長。北海道釧路市出身。 ホーマック初のプロパー社長で、カーマ(後のDCMカーマ)・ダイキ(後のDCMダイキ)との経営統合による持株会社・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)の初代社長となった。 しかし、DJHDの社長就任後、ホーマックの取引先やホーマック関連会社役員によるインサイダー事件が発生し、久田宗弘副社長(当時、カーマとDCM Japanの2社の社長を兼任)を後継に指名し、DJHDの社長を引責辞任した。
板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は… 板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は、北海道出身の元ノルディック複合・スキージャンプ選手。北海道小樽潮陵高等学校、明治大学商学部卒業後、国土計画入社。 1968年グルノーブルオリンピックから3大会連続出場。グルノーブルオリンピックは複合で出場し、得意のジャンプで2位につけたがクロスカントリーでは30位のタイムでトータル10位。 1972年札幌オリンピックでは笠谷幸生、金野昭次、青地清二、藤沢隆らと共に“7人の侍”と呼ばれたジャンプメンバーの1人で、70m級ジャンプは前日にメンバーが7人から4人に絞られ出場できなかったが、90m級ジャンプでは70m級銅メダルの青地に代わって出場。
佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1945年4月25日- )は… 佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1945年4月25日- )は、日本の警察官僚。第19代警察庁長官を務めた。弁護士 (第一東京弁護士会登録)。 北海道函館市出身。香川県立高松高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業後、1968年 (昭和43年)、警察庁に入庁。元々は内科医を志望していたが、警察も「社会の医者」であることから、警察に入ったという。 刑事畑が長く、入庁後は高知県警察本部刑事部鑑識課長、栃木県警察本部刑事部捜査第一課長、警視庁本富士警察署長、警視庁警務部教養課長、大阪府警察本部刑事部捜査第二課長、警視庁刑事部捜査第二課長、内閣法制局第二部参事官、警察庁長官官房総務課長、警視庁刑事部長などを歴任。
宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和… 宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和20年〉3月27日 - )は、日本の女優、歌手。所属事務所は東宝芸能(1990年から)。 北海道小樽市生まれ、愛知県名古屋市育ち。愛知淑徳高等学校卒業。夫は伊丹十三。長男は池内万作。義理の娘(池内万作の妻)は、音楽家である本田みちよ。俳優の佐々木勝彦は再従兄。 1963年、高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。 1964年、劇団青俳に入団後にフリーとなる。 NHKドラマ「あしたの家族」(1965年 - 1967年)で共演した俳優・伊丹十三と交際に発展、1969年1月に結婚。子どもが3歳頃よりおおよそ2年間、毎日自作の物語を作って聞かせていた。
近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 20… 近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 2025年11月28日)は、日本の実業家。北海道電力の社長、会長を経て、現在名誉顧問。第7代北海道経済連合会会長。元公益社団法人北海道観光振興機構会長。 北海道札幌市生まれ。父親は鉱山技師。原子力発電環境整備機構理事長を務めた近藤駿介は実兄。北海道名寄高等学校を経て、北海道札幌南高等学校卒業後、北海道大学工学部で黎明期にあった原子力教育を受ける。北大工学部電気工学科卒業後、1969年北海道電力入社。若手時代にアメリカの原子力発電所での実務研修を受け原子力運営課長を経て、泊発電所長、理事苫小牧支店長、取締役事業推進部長などを歴任し、2004年から取締役社長、原子力発電を重視する経営路線を強め泊原発3号機の建設推進や原価の見直しによる「本格改定」で2度の電気料金値下げやオール電化住宅の普及を主導した。
橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、… 橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、日本の英文学者、英国文化研究者。北海道大学名誉教授。専門はイギリス・ロマン派詩人の研究、および1980年代以降の多文化社会としての英国文化研究。北海道札幌市出身。
齋藤 軍治(さいとう ぐんじ、1945年3月 - )は、日本… 齋藤 軍治(さいとう ぐんじ、1945年3月 - )は、日本の化学者。京都大学名誉教授。紫綬褒章受章。日本化学会賞等受賞。 北海道小樽市生まれ。1967年北海道大学理学部卒業。1972年北海道大学大学院理学研究科化学専攻博士課程修了、理学博士。1973年エモリー大学博士研究員。1975年ゲルフ大学博士研究員。1977年テキサス大学ダラス校博士研究員。1979年岡崎国立共同研究機構分子科学研究所助手。1984年東京大学物性研究所助教授。1989年京都大学理学部化学科教授。1995年京都大学大学院理学研究科教授。1996年-2004年文部省(のち文部科学省)学術国際局科学官。1998年レンヌ第1大学客員教授。
高尾 弘明(たかお ひろあき、1945年2月9日 - 201… 高尾 弘明(たかお ひろあき、1945年2月9日 - 2015年7月21日)は、日本の政治家。元北海道赤平市長(3期)。 北海道赤平市出身。北海道赤平高等学校卒。赤平市役所に入り、財政課長、市民部長、収入役を務める。 2003年2月14日までに市民部長を辞任し、2月17日に正式に立候補を表明した。4月27日、初当選を果たした。※当日有権者数:13,176人 最終投票率:83.14%(前回比:-pts) 5月1日、正式に就任した。2007年4月15日、無投票で再選を果たした。2011年4月17日、無投票で3選を果たした。2014年12月18日、定例市議会で健康上の問題を理由に、2015年の市長選に立候補しない意向を表明した。
長谷川 俊輔(はせがわ しゅんすけ、1945年〈昭和20年〉… 長谷川 俊輔(はせがわ しゅんすけ、1945年〈昭和20年〉1月27日 - )は、日本の政治家。元北海道根室市長(3期)。 北海道根室郡根室町出身。1963年、北海道根室高等学校卒。根室市役所に入り、水産経済、企画振興、総務の各部長を経て、1998年に収入役、2002年に助役となり、2006年、根室市長選挙に立候補し、無投票で当選した。2010年の市長選挙でも無投票で再選した。2014年の市長選挙では新人候補に2000票余の差で当選した。この間、全国市長会水産都市協議会会長を務めた。2018年の市長選挙には不出馬を表明し、政界から引退した。
小野塚 勝(おのづか まさる、1945年1月20日 - )は… 小野塚 勝(おのづか まさる、1945年1月20日 - )は、日本の企業経営者。北海道テレビ放送(HTB)の元アナウンサー・報道局長・解説委員。
安田 侃(やすだ かん、1945年1月5日 - )は、北海道… 安田 侃(やすだ かん、1945年1月5日 - )は、北海道美唄市出身で、イタリアを拠点に活動している彫刻家。 大理石やブロンズによる彫刻を中心とした作品が多い。特に野外彫刻作品は緩やかな曲線と量感のある形態をもち、北海道はもとより、東京、酒田市、日立市、イタリア・ミラノ、フィレンツェ、オーストラリア、イギリスなどに設置されている。札幌駅のコンコースにあり札幌の待ち合わせスポットとなっている「妙夢」も安田の作品である。 現在イタリアを主に活動中。出身地である美唄市にもアトリエを持つ。美唄市の野外彫刻公園「アルテピアッツァ美唄」では、閉山になった炭鉱の学校跡地に大理石やブロンズの作品が展示されている。
鈴木 正樹(すずき まさき、1945年1月2日 - )は、日… 鈴木 正樹(すずき まさき、1945年1月2日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身。王子製紙所属。 1968年グルノーブルオリンピックでは500m15位、1500m40位。 1972年札幌オリンピックでは500m8位。 3度目のオリンピックとなったインスブルックオリンピックでは旗手を務め、競技では500m11位、1500m19位だった。 レークプラシッドオリンピック日本選手団、サラエボオリンピック日本選手団コーチ。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
宮腰 昭男(みやこし あきお、1945年 - )は、日本の工… 宮腰 昭男(みやこし あきお、1945年 - )は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。札幌大学元学長・札幌大学女子短期大学部元学長。小樽市生まれ。 北海道小樽潮陵高等学校、北海道大学工学部卒、同大学院工学研究科博士課程修了、札幌大学経済学部助教授、同経営学部教授、経営学部長、情報メディアセンター長、入試部長などを歴任後、2003年4月札幌大学・同女子短期大学部学長に就任。2011年学長退任。札幌大学退職。北海道ハイテクノロジー専門学校客員講師(2015年まで)。現在、札幌大学名誉教授。 公職に北海道医師会医政検討委員会委員、札幌市医師会医療情報システム顧問ほか。 最適炉などの高効率廃棄物発電技術開発に関する研究のほか、近年は地域医療計画および地域医療実態や老人医療費、病院経営などの調査研究なども幅広く研究対象としている。
藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員… 藤島隆(ふじしま たかし、1945年- )は、日本の図書館員、図書館研究者。 北海道札幌市生まれ。1970年、北海学園大学法学部を卒業し、北海道大学附属図書館勤務。旭川医科大学、山梨医科大学、山形大学、徳島大学等を経て、2005年富山大学附属図書館を退職。図書館・貸本業を研究した。
大内 東(おおうち あずま、1945年 - )は、日本の工学… 大内 東(おおうち あずま、1945年 - )は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。現在、北海道大学名誉教授。北海道網走市出身。 1967年北海道大学工学部卒業。1974年(昭和49年)北海道大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了。同年、北海道大学工学部助手。1981年(昭和56年)北海道大学工学部助教授。1989年北海道大学工学部教授。2004年観光情報学会会長。2009年北海道大学定年退官。同名誉教授。北海商科大学商学部教授。北海商科大学開発政策研究所研究副所長。2016年北海商科大学定年退職。 専門は、システム工学。特にシステム構造やモデリング法の研究開発。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
大鎌 邦雄(おおかま くにお、1945年 - )は、日本の歴… 大鎌 邦雄(おおかま くにお、1945年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。東北大学名誉教授。 北海道函館市出身。1968年北海道大学農学部農業経済学科卒業。1973年北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。指導教官は川村琢。1973年農林省農業技術研究所。1974年農林省農業総合研究所(現・農林水産政策研究所)。1993年「行政村の事業と集落機能との関連に関する社会経済史学的研究 : 秋田県西目村の事例から」で農学博士(北海道大学)。1997年東北大学農学部教授。大学院農学研究科教授も兼務。2009年定年退職、名誉教授。東北学院大学非常勤講師、東北農業経済学会副会長(1999-2003年)、同会長(2002-06年)、日本農業経済学会常務理事(2001-02年)、農業史研究会会長(2003-05年)も務めた。
芝垣 美男(しばがき よしお、1945年 - )は、日本の弁… 芝垣 美男(しばがき よしお、1945年 - )は、日本の弁護士・アマチュア落語家。高座名は「山笑亭小粒」。芝垣美男法律事務所所長。札幌弁護士会所属。北海道室蘭市生まれ。 1969年北海道大学法学部卒業。在学中に司法試験合格。また、在学中に北海道大学落語研究会初代会長を務めた。1974年弁護士登録。芝垣美男法律事務所所長。1984年室蘭落語長屋に参加し、本格的に落語家活動も始める。1994年(平成6年)全日本社会人落語選手権大会で準優勝。2010年現在、北海道素人落語協会会長。 この他、1985年に札幌弁護士会副会長。 『北海道人物・人材情報リスト2004 か-と』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)p966 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。 北海道富良野高等学校卒業。1967年明治大学法学部卒業。1967年北海道庁に入庁。1988年北海道庁企画振興部地域振興室振興課課長補佐。1989年同渡島支庁地方部長。1991年同生活福祉部生活文化課課長。1994年同企画振興部企画室参事。1996年同企画振興部対策室室長。1997年同総合企画部政策室室長。1999年同上川支庁支庁長。2000年総合企画部長。2001年北海道副知事。2003年2月に北海道庁を辞職し、堀達也知事退任の後を受けて、第15回統一地方選挙の北海道知事選挙に出馬。
井山 淳(いやま じゅん、1945年 - )は、日本の元お笑… 井山 淳(いやま じゅん、1945年 - )は、日本の元お笑い芸人。 志村けんの元相方。お笑いコンビ「マックボンボン」の元メンバー(ボケ)で、ザ・ドリフターズの付き人でもあった。渡辺プロダクションに所属していた。 北海道富良野市出身。高校時代は柔道部。中学3年生の時に家庭にTVが設置され、その際目にしたハナ肇とクレイジーキャッツに衝撃を受け、お笑いの世界に憧れるようになる。高校1年の時、由利徹に「弟子にしてください」と手紙を書く。一人でもこんなお笑いが出来るんだというのが理由である。由利徹からの返事は「高校を卒業しなさい。その時考える」だった。その後、由利の返事通り高校生活を送ったが、徐々にザ・ドリフターズやコント55号のお笑いの方へと興味が移っていったという。
石井 ポンペ(いしい ポンペ、1945年 - )は、日本の社… 石井 ポンペ(いしい ポンペ、1945年 - )は、日本の社会運動家。 のりこえねっと共同代表。のりこえねっとの書籍である『ヘイトスピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』には石井も執筆する。 反原子力発電所の立場である。 1945年に北海道穂別町で生まれる。アイヌ民族の集落で生まれ育つ。 1960年に中学校を卒業し、同級生のほとんどは東京に集団就職をしていったものの、北海道の地元に残った。それから飯場で寝泊りする生活をして実家に戻る。実家に戻ってからは鉄道の工夫をする。17歳で母親に背中を押され札幌に求職に出る。1968年、アイヌの戸塚美波子が北海道新聞に投書した北海道百年記念事業への違和を綴った文章を見て、民族運動に向かった。
片岡佐吉(かたおか さきち、1945年 - )は日本の人形蒐… 片岡佐吉(かたおか さきち、1945年 - )は日本の人形蒐集家。アンティークドール、球体関節人形、市松人形、創作人形などのコレクターであり、人形博物館「マリアの心臓」のオーナー。人形写真を撮影する写真家としても知られる。 1978年、札幌市中央区南1条通に「人形屋佐吉」をオープンし、本格的に人形の蒐集をはじめる。1984年には東京都に表参道店を開く。 2004年には、東京都渋谷区に人形博物館「マリアの心臓」を開館する。2011年に閉館。 2015年より京都市左京区大原の日本家屋にて再開する(2022年7月閉館)。2016年から2018年にかけて中央区銀座一丁目に、マリアの心臓を開館していた。 人形屋佐吉は、高齢等を理由に、表参道店を2010年に、札幌店を2014年に閉店。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。
中村 文昭(なかむら ふみあき、1944年〈昭和19年〉12… 中村 文昭(なかむら ふみあき、1944年〈昭和19年〉12月18日 - )は、日本の詩人、文芸批評家、舞踊批評家。北海道旭川市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。元日本大学芸術学部文芸学科教授。えこし会(江古田詩人会)主宰。 北海道旭川市に生まれる。旭川東高等学校卒業後、日本大学芸術学部映画学科に進学。 日芸在学中に吉本隆明の『試行』を知り、吉本隆明に私淑。1967年日芸映画学科卒業。卒論は「フェデリコ・フェリーニ」。その後約半年かけ評論「アルチュール・ランボォ」800枚を書き上げる。「アルチュール・ランボォ」は第17回までが『試行』に掲載されている。 1968年『あぽりあ』の同人となる。『あぽりあ』5号から中村と詩人坂井信夫と共同編集、20号からは中村単独編集。
渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )… 渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )は、日本の近世文学研究者。立教大学名誉教授。元立教新座中学校・高等学校校長、元自由学園最高学部学部長。専門は近世文学・大名文芸圏・遊里史など。前田愛に師事した。 北海道函館市生まれ。1963年、北海道函館中部高等学校卒業。1964年立教大学法学部に入学するも、1966年に同大学文学部日本文学科へ転籍。1968年、立教大学文学部日本文学科卒業。1971年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了。1976年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位取得退学。 横浜市立横浜商業高等学校定時制教諭(1970年4月 - 1972年3月)、武蔵高等学校教諭(1972年4月 - 1978年3月)を経て、1978年4月梅光女学院大学短期大学部専任講師。
三上 英昭(みかみ ひであき、1944年12月1日 - )は… 三上 英昭(みかみ ひであき、1944年12月1日 - )は、日本の元裁判官。元札幌地方裁判所所長。北海学園大学元教授。中央大学法学部卒業。北海道夕張市出身。 司法研修所教官を経て 主に刑事裁判を担当。 教員紹介 - 北海学園大学法科大学院 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1… 大雪 嶺登(だいせつ みねと、1944年11月30日 - 1980年4月16日)は、北海道夕張市出身(本籍地は北海道夕張郡由仁町)で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は秋田 芳夫(あきた よしお)。最高位は東前頭3枚目(1971年7月場所)。現役時代の体格は183cm、120kg。得意手は右四つ、投げ、蹴返し。 夕張市立千代田中学校を卒業後、夕張鉄道に2年ほど勤務したが1962年、地元の道会議員の紹介で宮城野部屋へと入門。入門に際しては母の強い反対があったが、それを押し切る形で決めた角界入りであった。 同年9月場所にて17歳で初土俵を踏み、翌場所、本名でもある「秋田」の四股名で序ノ口に付いた。
河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )… 河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 北海道函館市にある宿泊施設・湯の川プリンスホテル 渚亭などを運営する株式会社湯の川プリンスホテルの代表取締役会長を務める。 1944年生まれ。北海道函館中部高等学校を卒業後、21歳の時に他界した先代から事業を引き継ぎ、1972年に湯の川プリンスホテルを創立した。その他、函館湯の川温泉協同組合理事長、社団法人函館観光協会副会長、函館商工会議所観光サービス部会長などを歴任。 2016年、湯の川プリンスホテルの社長職を息子の昌貴に譲り、代表取締役会長に就任した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。
吉澤 慶信(よしざわ よしのぶ、1944年11月15日 - … 吉澤 慶信(よしざわ よしのぶ、1944年11月15日 - )は、日本の地方公務員、経営者。元北海道副知事、元北海道庁経済部長。瑞宝中綬章受章。 AIR DO(北海道国際航空)取締役会長。 北洋銀行常勤監査役、元北海道副知事、元北海道経済部長を歴任。1999年、北海道庁経済部次長時代に、経営破たんした苫小牧東部開発株式会社の再建を託され、社長として赴任、任期の2001年まで黒字経営を続けた。この経営力・手腕がかわれ北海道経済界の強い推挙により、AIR DO会長に就任した。 高橋はるみの後援会長を務めていた。
八田 信之(はった のぶゆき、1944年11月6日 - )は… 八田 信之(はった のぶゆき、1944年11月6日 - )は、日本の重量挙げ選手、政治家。メキシコオリンピック重量挙げライト級4位。1970年北海道新聞スポーツ賞受賞。1990年から北海道ウエイトリフティング協会会長代行、1992年から同会長。 札幌市の西区選出市会議員を4期務めたほか、1995年第17回参議院議員通常選挙で青年自由党の比例区名簿1位、2000年の第42回衆議院議員総選挙では北海道1区の自由党候補(重複立候補)として出馬したものの落選した。2011年の統一地方選挙の北海道議会議員選挙にて札幌市西区選挙区より無所属で出馬し、初当選を果たした。北海道議会では会派「フロンティア」に所属した。
池田 隆一(いけだ りゅういち、1944年11月1日 - )… 池田 隆一(いけだ りゅういち、1944年11月1日 - )は、日本の政治家。小樽市議会議員(1期)、衆議院議員(1期)、北海道議会議員(3期)を務めた。 北海道小樽市に生まれる。小樽市立手宮小学校、小樽市立末広中学校、北海道小樽桜陽高等学校、北海道教育大学札幌校を卒業後、小中学校で教師を24年間務めた。また、北海道教職員組合小樽支部役員を務めた。 1991年の統一地方選挙で小樽市議会議員選挙に立候補して当選。1993年に小林恒人衆議院議員の引退に伴い日本社会党公認で第40回衆議院議員総選挙に北海道教職員組合組織内候補として北海道第1区から立候補し、当時北海道知事だった横路孝弘からも全面的な支援を受けて初当選(同区で社会党現職伊東秀子や公明党新人長内順一や日本新党公認新党さきがけ推薦の新人荒井聰も横路の支援を受け当選)。
引木 孝夫(ひきぎ たかお、1944年10月30日 - )は… 引木 孝夫(ひきぎ たかお、1944年10月30日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手(フォワード)。 釧路市立鳥取小学校→鳥取中学校を経て、釧路工業高校卒業後の1963年に王子製紙へ入社。1年目の同年からセンターFWのレギュラーとなり、日本リーグでは1966年の第1回から1982年の引退まで17回連続出場し、その間に第1回最優秀選手になるなど最優秀選手3回・得点王2回・アシスト王3回、ベスト6に9度も選ばれるなど活躍。 日本代表FWとして世界選手権に7回、オリンピックに2回(1968年グルノーブル・1972年札幌)出場。世界選手権ではCグループで優勝2回、Bグループで準優勝3回に貢献し、1967年の世界選手権ではCグループながら全勝優勝して世界にその名を轟かせた。
渡辺 貞(わたなべ ただし、1944年10月 - )は、日本… 渡辺 貞(わたなべ ただし、1944年10月 - )は、日本の計算機科学者。NEC SXシリーズ開発の中心メンバーである。北海道栗山町出身。東京大学大学院電子工学専攻修士課程修了。
大崎 正瑠(おおさき まさる、1944年9月27日 - )は… 大崎 正瑠(おおさき まさる、1944年9月27日 - )は、日本のコミュニケーション学者。 北海道滝川市生まれ。1968年慶応義塾大学商学部卒業後、キャノン勤務、その後、早稲田大学大学院修士課程修了。1981年大妻女子大学講師、1986年助教授、教授・のち東京経済大学教授を務めた。その間ペンシルベニア大学ビジネス・スクールおよびロー・スクール客員研究員、対外経済貿易大学(北京)交換教授などを経験。研究分野はビジネス・コミュニケーションおよび異文化コミュニケーション。
杉野 昭夫(すぎの あきお、1944年9月19日 - )は日… 杉野 昭夫(すぎの あきお、1944年9月19日 - )は日本のアニメーター、アニメ監督。北海道札幌市出身、北見市育ち。
中村 之保(なかむら ゆきやす、1944年9月11日 - )… 中村 之保(なかむら ゆきやす、1944年9月11日 - )は、元プロ野球選手である。ポジションは内野手(主に二塁手を守った)。北海道出身(ただし、森岡浩著『プロ野球人名事典』では、1990年版から2003年版まで一貫して神奈川県出身とされており、同書を出典にしたと見られるその他の資料でも神奈川県出身とするものが多い。なお、著者の森岡はこの記述に関しての出典を全く示していない) 札幌市立啓明中学校から北海高校(北海道)に進み、甲子園に3回出場。1961年の第33回選抜高等学校野球大会では、1回戦で御坊商工に延長10回サヨナラ勝ち。2回戦は同期の今井義則投手が先発するが、この大会に優勝した法政二高の柴田勲に抑えられ敗退。
網走 五郎(あばしり ごろう、本名:渡辺 尚武(わたなべ な… 網走 五郎(あばしり ごろう、本名:渡辺 尚武(わたなべ なおたけ)、1944年9月10日 - )は、日本の元俳優、ボクシングトレーナー。北海道出身。 北方領土まで自力で泳ぎ着くパフォーマンスをした事で知られる。 網走五郎の特筆性はソ連(現・ロシア)が実効支配している北方領土へ泳いで渡り、ソ連政府に北方領土返還の抗議文を手渡したことである。抗議文の内容は以下の通り。 貝殻島へ向かって泳ぎ、座礁船で休息中にソ連の警備艇に連行された。 大学中退後、プロボクサーを目指して協栄ボクシングジムに入ったが裸眼視力が悪かったためプロテストの受験ができなかった。 在職中から護国神社と同じ敷地内にある奥武山ボクシング会館で青少年にボクシング指導を無報酬で行い続けている。
金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 201… 金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 2019年9月5日)は、北海道札幌市西区出身の元スキージャンプ選手。母方の血縁に大倉山ジャンプ競技場初代バッケンレコード保持者の浜謙二がいる。 小学3年生の時にスキージャンプを始める。北海高校から日本大学に進学し、同大スキー部監督の八木祐四郎の指導を受ける。卒業後は北海道拓殖銀行に入行。 1968年グルノーブルオリンピックで五輪初出場。しかし、70m級で24位、90m級で20位に終わる(4年後に札幌オリンピックの開催が決まっていた日本は、この大会に過去最高の62選手を送り込んだが、メダルはおろか6位入賞すら果たせなかった)。 1972年の札幌オリンピックで2度目の五輪出場を果たし、70m級で銀メダルを獲得。
畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )… 畠山 重則(はたけやま しげのり、1944年8月2日 - )は、北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身の元騎手・元調教師。実家は有限会社畠山牧場で、長兄・重博は同牧場社長。 1964年に東京・田中和夫厩舎に騎手見習いとして入門し、1965年に騎手免許を取得。開業したばかりの田中にとって、笹倉武久と並ぶ第一号の弟子であった。年齢は畠山の方が上であったが、一度高校に入学してから入ったため、競馬界に入ったのは笹倉の方が早かった。畠山も入門当時は体が大きく、朝食の時に田中に「朝はパンで結構です」と言ってしまった。体重を気にしてのことであったが、それに合わせなければならない笹倉は「ただでさえ、腹が減っているのに、余計なことを言ってくれたんだ(笑)。
長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、1944年7月20日 - … 長谷川 勝敏(はせがわ かつとし、1944年7月20日 - 2026年5月31日)は、北海道空知郡栗沢村(現在の岩見沢市)出身(出生地は樺太恵須取支庁恵須取郡珍内町)で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。現役時代の体格は身長183cm、体重128kg。得意手は左四つ、寄り、掬い投げ。最高位は東関脇。一時期、四股名を長谷川 戡洋(はせがわ かつひろ)としていた時期もあった。 叔父に宮城野部屋の十両力士・四季の花範雄がいる。 父親は炭鉱マンで、炭鉱のある樺太の珍内町(現在のロシア・サハリン州クラスノゴルスク)で生まれ、1950年(昭和25年)春に樺太から引き揚げる。1960年(昭和35年)3月場所に初土俵を踏んだ。
木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月2… 木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月28日 - 2026年4月17日)は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者。桐朋学園大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。 1967年(昭和42年)桐朋学園大学卒業。声楽を伊藤武雄に、指揮法を齋藤秀雄に師事。 1968年(昭和43年)に渡欧。ウィーン国立音楽大学に入学。在学中に国際コンクールで連続優勝(後述の受賞歴の項を参照)。1970年(昭和45年)ウィーン国立音楽大学を首席で卒業。 1970年(昭和45年)からライン・ドイツ・オペラ(西ドイツ・デュッセルドルフ/デュースブルク)と契約し、16年にわたり専属歌手として、プッチーニ『ラ・ボエーム』マルチェロ役などで活躍。
菅原 功一(すがわら こういち、1944年6月24日 - … 菅原 功一(すがわら こういち、1944年6月24日 - )は、日本の政治家(旭川市議、北海道議会議員、旭川市長)。また、ばんえい競馬を運営する北海道市営競馬組合の管理者も務めた。 北海道旭川市出身。北海道旭川商業高等学校卒。 旭川市議、北海道議会議員(自由民主党所属、当選2回)を経て1994年11月に実施された旭川市長選挙で初当選した。1998年には再選を、2002年には3選を果たしている。 主な功績に、旭山動物園の再生計画の推進(新施設建設)などがあるが、2002年に実施された旭川市長選挙では対立候補の元道議・東国幹に227票差まで詰め寄られる接戦となり、選挙後当時の助役が公職選挙法違反で逮捕されたり、金銭の貸借問題など数多くの疑惑を抱え、2004年にはリコール運動が起こった。
三田村 周三(みたむら しゅうぞう、1944年6月15日 -… 三田村 周三(みたむら しゅうぞう、1944年6月15日 - )は、北海道出身の俳優。 劇団三田村組主宰。バウスプリット株式会社所属。 北海道札幌南高等学校、舞台芸術学院卒業。劇団地球座を経て、1971年に劇作家・金杉忠男と出会い、金杉が率いる劇団中村座に入団。以降、1990年の同劇団解散まで全ての作品に出演する。現在も主に舞台を中心に活動する一方、映画やテレビドラマなどにも度々出演している。 舞台では自身の劇団の他、MODEや星屑の会などに中心俳優として客演。テレビドラマではフジテレビ系『イマジン』で、主演の深田恭子の隣に住むおじさん役を演じ、毎回数分の出演ながら強い印象を残した。
ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、… ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、本名:柏崎 敏一、1944年5月15日 - 2023年9月6日)は、日本の画家。ホテルマンから、アンリ・ルソーの世界に心魅かれ、突如画家への道を歩み始め、パリ、モンマルトルの丘で観光客相手に描きつづけた。古き佳き時代の“パリの通り”、イマジネーションの世界“パラダイス”人間の愛を基本に“ファミリー”のシリーズと、その描くメルヘンの世界は、多くの人たちの心をとらえて離さない。 1944年、樺太で父留吉、母ヨシの間に生まれ、両親の故郷秋田に引き揚げた後、釧路へ移った。旧旭小、共栄中、釧路商業高で学んだが、子供の頃は特別絵に力を入れてはいなかったという。