野中 一也(のなか かずや、1934年)は、日本の教育学者。… 野中 一也(のなか かずや、1934年)は、日本の教育学者。京都教育センター代表。大阪電気通信大学名誉教授。元大阪私学教職員組合委員長。 1934年、北海道根室市生まれ。小樽商科大学商学部中退、東京大学教育学部卒業、京都大学大学院博士課程満期退学。その後、大阪電気通信大学講師、助教授、教授を経て、現職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
草野 洋(くさの ひろし、1934年 -没年不明 )は、日本… 草野 洋(くさの ひろし、1934年 -没年不明 )は、日本のジャーナリスト。北海道夕張市生まれ。主に政治・企業・官公庁を専門に活動する政治経済ジャーナリスト。日本作家クラブ理事、社団法人日本地方新聞協会日本報道クラブ副代表幹事、内閣府認証日本INGO副理事長。JLNAブロンズ賞受賞、日本作家クラブ文芸賞受賞(2回)。 1934年、北海道夕張市に生まれる。旧樺太へ渡り戦後引き上げ、室蘭の食品会社に勤務。1960年、作家を志して上京し、同志25名と文芸同人誌『黄鹿文学』を発行し主宰する。1974年、40歳の時、ジャーナリストとして独立。 1976年、月刊誌『新政経』を創刊。1984年、月刊誌を改名し会員制情報誌『新政経情報』として発刊。
片岡 寛光(かたおか ひろみつ、1934年 - )は、日本の… 片岡 寛光(かたおか ひろみつ、1934年 - )は、日本の行政学者。学位は、博士(政治学)(早稲田大学)。称号は、早稲田大学名誉教授(2005年)、瑞宝中綬章受章(2012年)、早稲田大学名誉評議員(2014年)。専門は、行政学。 札幌市生まれ。北海道札幌西高等学校、早稲田大学政治経済学部卒。 1967年以降早稲田大学政治経済学部に助手から勤務。1976年から教授。1990年から1994年まで同学部長。1994年から1998年まで同大学大学院政治学研究科委員長。2003年から2005年まで同大学大学院公共経営研究科専任教授・委員長。カリフォルニア大学で在外研究を行う。1990年から1994年日本行政学会理事長。
菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を… 菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を中心に活動する写真家、画家、実業家。北海道江別市出身。 1952年北海道札幌工業高等学校採鉱科卒業。同年、三菱鉱業芦別鉱業所に入社。1954年に同社を退職し、画家に転向。1955年に読売日本アンデパンダン展に出展や、東京・銀座養生堂画廊で個展を開催。 北海道振興代表取締役社長久末鉄男の助力を得て、1964年にスナックバー (飲食店)の「バー・サン」を経営。さらに、シャンソンバーやパブを手掛け、1966年ドリームフード株式会社を札幌に設立し、同社代表取締役社長に就任。1970年に居酒屋「いろはにほへと」を札幌にオープンさせ、全国にチェーン店方式を採用し、「いろはにほへと」のほか「春花秋灯」「常盤うどん」などの飲食店チェーンを札幌圏を中心に出店する一方、関東、関西、東北にも進出。
東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月1… 東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月17日)は、雑誌編集者、実業家。地元である函館市を中心に、北海道にまつわる書籍・雑誌を出版した。 幼少期は、地方回りで家にあまりおらず、母も家業で忙しく、祖父母と過ごす時間が多かった。函館西高校から明治大学文学部卒。父に大学進学に反対され、学生時代はアルバイトに明け暮れていたが、女子高校の教師をしていた伯母が学費を援助してくれていた。東京で編集社に入社し、料理の雑誌編集に携わり、編集長を10年ほど務めた。その後、50歳ころ、函館に戻り、当時、函館唯一の出版社である1986年2月に幻洋社を設立。設立してから数年後、ラジオ番組で「地方の生きのいい、ぴちぴちとしたテーマをもとに、いい本づくりが私たちの手で生まれてもいい」と意気込みを語っていた。
能勢 邦之(のせ くにゆき、1934年 - )は、日本の政治… 能勢 邦之(のせ くにゆき、1934年 - )は、日本の政治家・元官僚。北海道岩見沢市出身。北海道岩見沢西高等学校卒。北海道大学法学部卒。1959年同大学院法学研究科修士課程修了。北海道岩見沢市市長(1990年-2002年)。
松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、… 松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、日本の検察官。元東京地検特捜部部長。 北海道函館市出身。北海道函館工業高等学校電気科を経て、苦学しながら1957年中央大学法学部を卒業。会社勤務の傍ら司法試験に挑み続け、1963年検事任官。山本清二郎の下で日通事件に関わった。ロッキード事件では児玉誉士夫の取調べ担当にあり、さらに1976年7月27日午前6時半、特捜部資料課事務官の4人らと共に、目白台の田中邸に出向き、田中角栄を逮捕、東京地検への同行を求めた。 1985年東京高検特別公判部長(政治家被告人のための公判担当)、1987年8月東京地検特捜部長、1989年最高検検事。以後、1990年大津地検検事正、1991年最高検検事、同年水戸地検検事正を経て、1993年7月法務省矯正局長に。
工藤 恒美(くどう つねみ、1933年11月17日 - )は… 工藤 恒美(くどう つねみ、1933年11月17日 - )は日本の漫画家、イラストレーター。日本漫画家協会会員。北海道札幌市出身。女性名に多い名前であるが男性である。 北海道札幌東高等学校卒業。北海道大学で文部事務官を勤め、その間、おおば比呂司と出会い展覧会などの仕事に携わるようになる。また、札幌市の広報誌に4コマ漫画などを発表。その後、文部事務官を辞し1962年に上京。新聞の4コマ漫画を中心に執筆活動を行い、1981年『ツッパラサール学園』にて第27回文藝春秋漫画賞を受賞した。
佐藤 タツエ(さとう タツエ、1933年〈昭和8年〉11月1… 佐藤 タツエ(さとう タツエ、1933年〈昭和8年〉11月10日 - 2003年〈平成15年〉12月31日)は、日本のアイヌ文化伝承者。かつて東京都に存在したアイヌ料理専門店「レラ・チセ」の元店長。継父は同じくアイヌ文化伝承者の山本多助。 北海道帯広市で、アイヌ民族として誕生した。幼少時に父が死去し、母の再婚相手が山本多助であった。 離婚後に仕事を求めて、1964年(昭和39年)に上京。北海道には各地にあった生活館のような拠り所が関東にはなかったことで、アイヌの権利回復を目的とし、東京周辺のアイヌたちと共に、1973年(昭和48年)に「東京ウタリ会」、1980年(昭和55年)に「関東ウタリ会」を結成した。
小住 健蔵(こずみ けんぞう、1933年11月 - )は、北… 小住 健蔵(こずみ けんぞう、1933年11月 - )は、北朝鮮による拉致被害者(西新井事件の被害者)。政府認定は受けていないが、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)では「拉致被害者」として認定している。 1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて、北朝鮮の工作員チェ・スンチョル(通称「朴」)によって拉致された。いわゆる「背乗り拉致」の被害者である。 小住健蔵は1933年(昭和8年)11月、樺太に生まれた。小学校・中学校を樺太で終え、1948年(昭和23年)、引揚船で北海道函館市に引き揚げてきた。引揚が遅れたのは、父親が土木技師をしており、ソ連占領後も技師として働けと命じられたためであった。
渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10… 渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10月24日 - 2014年(平成26年)4月30日)は、日本の作家。北海道空知郡上砂川町朝陽台出身。1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。
橋本 力(はしもと ちから、1933年〈昭和8年〉10月20… 橋本 力(はしもと ちから、1933年〈昭和8年〉10月20日 - 2017年〈平成29年〉10月11日)は、北海道出身のプロ野球選手、俳優。ポジションは外野手。OKエンターテイメント所属。 1952年(昭和27年)、函館西高校3年生時に第24回選抜高校野球大会へ出場。初戦でこの大会の優勝校となる静岡商業高校に1-0で敗れる。 1952年(昭和27年)、第34回高校野球選手権に出場。準々決勝で成田高校に延長15回の末4-1で敗れた。 1953年(昭和28年)、プロ野球国鉄スワローズへ入団予定だったが、恩人と敬愛する沼澤康一郎から囲い込みを受け、毎日オリオンズへ入団。 1957年(昭和32年)、外野手レギュラーを獲得。
五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月… 五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月16日 - 2000年(平成12年)5月23日)は、日本の弁護士・官僚・法学者。北海道函館市出身。専門は教育法学。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 函館の中学校卒業後、函館地方検察庁に入庁。北海道函館中部高等学校定時制、中央大学法学部通信教育課程卒業。東京高等検察庁事務官に就任。間もなく司法試験に合格。1967年札幌で弁護士登録。1977年札幌弁護士会副会長。1983年札幌学院大学法学部客員教授( - 1989年)。1990年札幌弁護士会会長に就任。1991年北海道弁護士連合会理事長に就任。
笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 20… 笠原 正行(かさはら まさゆき、1933年9月7日 - 2009年5月10日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(投手)。 北海道函館工業高等学校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1953年に一軍初登板し、1954年には9勝を記録。1956年に大映スターズへ移籍し、同年引退した。 2009年5月10日、肺がんのため死去。75歳没。実子は土浦日本大学高等学校の投手として、第68回全国高等学校野球選手権大会に出場した。
鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日… 鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日 - )は、日本の航空自衛官。第20代航空幕僚長。防大1期。 北海道出身。1957年(昭和32年)3月、防衛大学校電気工学科卒業(第1期)、航空自衛隊入隊。 1961年(昭和36年)12月、アクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」に所属。 1977年(昭和52年)1月1日、1等空佐。1978年(昭和53年)8月1日、第8航空団飛行群司令。1980年(昭和55年)8月1日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 1982年(昭和57年)7月1日、空将補昇任。同年8月2日、第7航空団司令兼百里基地司令。1984年(昭和59年)3月2日、航空幕僚監部防衛部長。
三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 200… 三田 英彬(みた ひであき、1933年8月23日 - 2004年7月16日)は、日本のノンフィクション作家、文芸評論家。日本文藝家協会会員、日本推理作家協会会員。 北海道函館市生まれ。 横浜市立大学文理学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。 学研編集部勤務を経てフリーライターとなり、文芸評論、近代文学研究などに従事。1970年7月、小説「サバンナに燃ゆ」が小学館主催の第1回小説セブン新人賞最終候補となっている。『北方領土・悲しみの島々』『戦後 幻のドン』『棄てられた四万三千人』などのノンフィクションを刊行。1977年、第1回「週刊読売」ノンフィクション賞に入選。 1983年、上田女子短期大学教授。
松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、… 松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、日本の文芸評論家。近畿大学・武蔵野大学教授、三島由紀夫文学館館長を経て顧問。 北海道札幌市生まれ。大阪市立大学文学部国語国文学科卒業後、産経新聞社に入社。記者時代の1963年に「森鷗外ノート」で第6回群像新人文学賞(評論部門)候補。1973年に「三島由紀夫論」を発表。文芸評論、小説を書き、徳田秋声論を書いている。1977年に姫路工業大学、1980年に近畿大学教養部教授。1982年から『文學界』で同人雑誌評を担当、1993年から2004年まで武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授。その時期は作家・漫画家の白倉由美の指導教官だった。 2006年『徳田秋声全集』(八木書店)の編纂で菊池寛賞受賞。
彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよ… 彩木 雅夫(さいき まさお、本名:新居 一芳(あらい かずよし)、1933年〈昭和8年〉8月5日 - 2022年〈令和4年〉9月16日)は、日本の作曲家。北海道音更町生まれ、帯広市育ち。札幌市在住。 『長崎は今日も雨だった』など、1960年代後半から1970年代にかけてのムード歌謡のヒットメーカーとして知られる。 馬仲買人の父とカフェを経営していた母の間で音更町の父の実家で生まれるも父は3歳時に死去、幼少期は音更の祖父母と過ごすことも多かった。1940年に帯広小学校に入学後、小学5年生時に池田町へ学童疎開。終戦後帯広中学校に戻り手に職をつけるべく帯広商工高等学校土木科(現・帯広柏葉高等学校)に進学し卓球や家でラジオなど電子工作に傾倒する一方、映画館にも通い時代劇や洋画の劇伴音楽に感銘を受ける。
菊地 定夫(きくち さだお、1933年7月24日 - 200… 菊地 定夫(きくち さだお、1933年7月24日 - 2001年12月10日)は、ノルディックスキージャンプの選手、指導者。 北海道小樽市出身。小樽緑陵高校(現在の小樽商業高校)から明治大学を卒業後クロバー乳業に入社、会社合併により雪印乳業に移った。 昭和30年代が全盛期でオリンピックには1960年スコーバレー大会、1964年インスブルック大会に二回連続で出場、インスブルック大会では日本選手団の旗手を務めた。 1961年-1962年のシーズンには出場13試合中12試合で優勝、2位1試合のシーズンセミパーフェクトを達成した(皮肉にも唯一勝利を逃したのは自社主催の雪印杯であった)。 1963年2月22日大倉山シャンツェで行われた第2回STVカップ国際スキージャンプ競技大会で1本目に102.0メートルを飛び、日本初の100mジャンパーとなった。
森 芳泉(もり ほうせん、1933年7月19日 - 2008… 森 芳泉(もり ほうせん、1933年7月19日 - 2008年4月20日)は、神奈川県横浜市(北海道小樽市生まれ)の書家。 本名は 佐藤 令子。毎日書道展審査会員 創玄展一科審査会員。
坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 … 坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 - 2015年3月2日)は、日本の外交官。外務省中南米局長や、駐スペイン特命全権大使を務めた。 北海道余市町出身。父は余市町長の坂本角太郎。北海道余市高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。スペイン語研修としてコロンビアに2年間留学。 1972年外務省中南米局中南米第二課長、1973年外務大臣官房国際報道課長、在英国日本国大使館参事官、1979年外務省経済協力局政策課長、1981年外務大臣官房総務課長。総務課長時代に情報調査局(現国際情報統括官組織)新設に尽力。 経済協力開発機構政府代表部公使、駐パラグアイ特命全権大使を経て、1988年外務省中南米局長。
岩城 成治(いわき せいじ、1933年(昭和8年)6月24日… 岩城 成治(いわき せいじ、1933年(昭和8年)6月24日 ~2011年10月4日)は、日本の政治家。北海道岩内高等学校卒業。自治大学校2部卒業。北海道岩内町生まれ。北海道岩内町町長(1983年 - 2003年)。 茅沼炭鉱軌道に2年間勤務後、1954年岩内町役場に入所。同町同町福祉課長、総務部長や同町助役を経て、1983年に岩内町役場を辞職して、岩内町長選挙に出馬し初当選。以後連続5期当選。2003年に新人候補者上岡雄司に1,000票以上の差をつけられ落選し、引退した。 家族として父に北海道ユネスコ副会長だった岩城幸治がおり、子息に富士電気商会代表取締役社長岩城直人がいる。また、親族に言語学者で札幌医科大学名誉教授の岩城禮三がいる。
有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、… 有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、日本の外交官。元日本国政府代表で、外務省北米局長、内閣外政審議室長、駐ドイツ特命全権大使、早稲田大学教授、中東調査会理事長を歴任。次男の有馬裕も外交官で、外務省大臣官房審議官及びサイバーセキュリティ政策担当大使である。 北海道札幌市生まれ。1950年、成蹊中学校卒業。成蹊高等学校在学中に、米国セント・ポールズ・スクールへ留学。1957年、ハーバード大学政治学部卒業。ハーバード大学大学院に進み、博士号取得、同大講師となる。1962年、外務省入省。北米局長、内閣外政審議室長、駐オランダ大使、駐ドイツ大使などを歴任。1997年、同省参与。1998年4月から2004年3月にかけ、早稲田大学政治経済学部教授。
田中 宏尚(たなか ひろひさ、1933年6月9日 - 201… 田中 宏尚(たなか ひろひさ、1933年6月9日 - 2011年4月17日)は、日本の農林官僚。林野庁長官、水産庁長官、農林水産事務次官を務めた。北海道室蘭市出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省した。1978年1月に大臣官房予算課長に就任し、1983年7月に大臣官房総務審議官、1984年7月に大臣官房長、1986年9月に林野庁長官、1988年1月に水産庁長官を経て、1989年7月から1990年8月までに農林水産事務次官を務めた。 2011年4月17日敗血症で死去。77歳没。
笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、… 笹野 貞子(ささの ていこ、1933年5月27日 - )は、日本の政治家、法学者。元参議院議員(2期)、京都創政塾理事長。 北海道函館市出身。北海道釧路江南高等学校、同志社大学法学部卒業。1962年、同志社大学大学院法学研究科修士課程修了。その後、堺女子短期大学教授などを務め、憲法学を教えた。 1978年から毎日放送『スタジオ2時』に出演。1980年、京都府明るい選挙推進協議会長に就任。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に向けて、日本労働組合総連合会を支持母体とする「連合の会」(日本社会党・公明党・民社党・社会民主連合推薦)が結成され、全国で多数候補者が擁立される。笹野は連合の会公認で立候補し、長年、「自共指定席」と呼ばれた京都府選挙区で自民党新人西田吉宏や日本共産党現職佐藤昭夫を凌ぎトップで初当選した。
山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998… 山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998年9月8日)は、日本のプロレス記者・評論家。 東京スポーツ新聞社に所属していた。北海道北見市出身。 1959年東京スポーツに入社、1967年9月22日から日本テレビの『日本プロレス中継』で解説者を務める。ターザン・タイラーの手錠事件写真を紹介するなど、海外マット界の情報を生かすというこれまでには無い画期的な解説を取り入れた。ジャイアント馬場との親交が深く、1972年の全日本プロレス旗揚げから1980年代末まで、長年に渡り『全日本プロレス中継』の解説者を務めた。 特に1981年世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦(蔵前国技館、優勝決定戦)にてスタン・ハンセンが乱入し、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組に助太刀した、いわゆるスタン・ハンセン乱入事件の時に山田が発した「ハンセンですよ!」は今でもプロレスファンの語り草になっている[要出典]。
田中 一郎(たなか いちろう、1933年5月6日 - )は、… 田中 一郎(たなか いちろう、1933年5月6日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手。 北見北斗高校から旭川鉄道局を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。1956年に退団した。
石田英夫(いしだ ひでお、1933年5月3日- )は、日本の… 石田英夫(いしだ ひでお、1933年5月3日- )は、日本の経営学者。経済学博士(慶應義塾大学・論文博士・1976年)。慶應義塾大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌東高等学校卒業。1957年慶應義塾大学経済学部卒業、1964年ハーバード・ビジネス・スクール修了、1976年「日本の労使関係と賃金決定に関する実証的研究」で慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。1961年慶應義塾大学ビジネススクール助手、1968年助教授、1976年教授、大学院経営管理研究科教授。1999年定年、名誉教授、東京理科大学教授、2002年中村学園大学教授、2007年東北公益文科大学教授。
青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2… 青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2015年12月10日)は、北海道札幌市出身 のプロ野球選手(投手)。 札幌光星高から社会人野球の札幌鉄道管理局に入団。社会人時代は、1955年にノンプロ全国大会で優勝。 1956年に大映スターズに入団。1958年にチームが大毎オリオンズへ吸収合併となり、同年は大毎でプレーし、シーズン終了後に退団。 1960年から1962年まで、社会人野球の東洋高圧砂川でプレーした。 引退後は岩手県北上市の会社に勤務していた。2015年12月10日、北上市で死去。82歳没。
阿座上 洋吉(あざがみ ようきち、1933年4月21日 - … 阿座上 洋吉(あざがみ ようきち、1933年4月21日 - )は、北海道出身の経営学者。専門は、経営管理、簿記会計、流通経済、建設経営など。北海道における簿記会計の第一人者。現在、地域経済研究所理事長、北海学園北見短期大学名誉教授。 北海道建設業審議会長、国土交通省北海道開発局入札監視委員会委員長、北海道経済産業局官公需適格組合諮問委員会委員長 阿座上は、体をこわして休学して長期入院したため、8年間に渡り在学した。しかし、「この8年に、法律の勉強もした。この在学経験が、のちの教員人生にもいい影響を与えた」と、述べている。
堀 吉孝(ほり よしたか、1933年4月20日 - )は、日… 堀 吉孝(ほり よしたか、1933年4月20日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。 樺太出身。第二次世界大戦後苫小牧に引揚げ、苫小牧市立苫小牧東小学校、苫小牧市立苫小牧東中学校、苫小牧工業高校を経て富士製鐵室蘭製鉄所に入社。 1956年にコルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m17位、1500m23位、5000m46位だった。 4年後のスコーバレーオリンピックでは500m16位、1500m29位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、… 荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。 日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。 北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。荒巻によると荒巻家は平将門一門の末裔であり、両親は母方の祖父が小樽市色内町(現在の稲穂)で開いていた一万坪の採石場を継ぐため水戸市から移住してきたという。幼少期にはロース幼稚園というミッション系の幼稚園に通っており、その時に触れた聖書の世界観に影響を受ける。
田辺 洋二(たなべ ようじ、1933年4月1日 -2004年… 田辺 洋二(たなべ ようじ、1933年4月1日 -2004年12月19日 )は、日本の言語学者。大学英語教育学会会長、早稲田大学教育学部英語英文学科教授、東京国際大学言語コミュニケーション学部長。専門は英語教育。北海道函館市出身。
梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月3… 梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月31日 - 2025年(令和7年)1月6日)は、日本の政治家。元北海道千歳市長(1期)、元日本会議千歳支部長。 北海道小樽市出身。札幌商業高等学校卒、自治大学校卒。1949年、千歳町役場に入る。同町商工係長を経て、監査事務局長、千歳市総務課長、市民部長、環境部長、1983年に総務部長。 1987年無所属で千歳市長選挙に立候補、当選したが、1991年に落選。 2013年(平成25年)4月29日付(春の叙勲)で旭日双光章を受章。 2025年1月6日、肺炎のため死去。91歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
木幡 陽(こばた あきら、1933年3月17日 - )は、日… 木幡 陽(こばた あきら、1933年3月17日 - )は、日本の生化学者。薬学博士。東京大学名誉教授。東京都老人総合研究所名誉所長。北海道根室市出身。
浅見 公子(あさみ きみこ、1933年3月16日 - )は、… 浅見 公子(あさみ きみこ、1933年3月16日 - )は、日本の法学者。学位は、法学博士(北海道大学)。専門は比較法、英米の家族法に関する研究業績で知られる。成城大学名誉教授。北海道札幌市出身。
丹保 憲仁(たんぼ のりひと、1933年3月10日 - 20… 丹保 憲仁(たんぼ のりひと、1933年3月10日 - 2023年8月6日)は、日本の工学者。地方独立行政法人北海道立総合研究機構理事長。北海道大学および放送大学名誉教授。位階は従三位。工学博士。専門は環境工学。 北海道天塩郡豊富町出身。国際水協会会長、北海道大学総長、放送大学長などを歴任。
中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、… 中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、日本の中国文学者、作家。北海道大学文学部、言語文化部教授を経て、北海道大学名誉教授。『西遊記』などの中国文学、中国文化をテーマにした論考・エッセイ、中国やアジア諸地域を舞台にした小説作品を多数発表。 北海道札幌市生まれ。北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)、北海道札幌西高等学校を経て、1956年北海道大学文学部中国文学科卒業、同助手。 1961年に「世界ノンフィクション全集」監修者の吉川幸次郎に指名されて、耶律楚材「西遊録」を翻訳。また吉川には広く教えを受けた。65年オーストラリア国立大学高等学術研究所助手、67年退職、68年、香港、台湾で資料収集をへて帰国、71年北海道大学文学部助教授、81年教授、83年同言語文化部教授。
宇梶 静江(うかじ しずえ、旧姓:浦川〈うらかわ〉、1933… 宇梶 静江(うかじ しずえ、旧姓:浦川〈うらかわ〉、1933年〈昭和8年〉3月3日 - 、女性)は、日本の詩人、古布絵作家、絵本作家。アイヌ解放運動家である。白老町在住。 1933年(昭和8年)3月3日、 北海道浦河郡浦河町の和人も混住するアイヌ集落に浦川春松の次女(四男二女の3番目)として生まれた。幼少期は非常に貧しく困窮した生活であり、また、和人の子どもたちからの苛酷な差別に苦しんだ。「毛深い」と差別されるため、まつ毛を自ら切ったこともあり、増水した川に落とされそうになったこともあった。自らの出自がアイヌであることに嫌悪感を抱き、アイヌ同士で結婚すると、その子どもは自分と同じようにいじめられるのではないかと心配したこともあったという。
山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日… 山田 吾一(やまだ ごいち、1933年〈昭和8年〉2月20日 - 2012年〈平成24年〉10月13日)は、日本の俳優・声優。 北海道瀬棚郡瀬棚町(現・久遠郡せたな町)出身。北海道深川西高等学校卒業。 高等学校時代に演劇部で活動し、1951年、卒業後に会社員となるも、演劇への夢を捨てきれず、1952年上京。舞台芸術学院本科に入る。卒業後、劇団四季・劇団中芸に所属。 1958年には『事件記者』にガンさんこと岩見記者役で出演。猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じ、これが生涯の当たり役となり、後の劇場版にも同役で出演した。テレビドラマや映画の脇役で活動し、1973年の『仁義なき戦い 完結篇』では大友勝利(宍戸錠)大友組組長から松村保(北大路欣也)天政会会長代行に寝返るヤクザを演じ、1974年の『激突! 殺人拳』では千葉真一が扮する主人公の相棒である中国人を演じている。
田頭 博昭(たがしら ひろあき、1933年(昭和8年)1月1… 田頭 博昭(たがしら ひろあき、1933年(昭和8年)1月13日 - 2023年(令和5年)2月20日)は、日本の工学者。工学博士。元室蘭工業大学学長、北海道大学名誉教授。北海道島牧村出身。 1958年(昭和33年)北海道大学工学部卒業。リバプール大学大学院工学研究科博士課程修了。1962年(昭和37年)北海道大学工学部助教授。1973年(昭和48年)同工学部教授。1996年(平成8年)北海道大学退官。同名誉教授。北海道工業大学工学部教授。1997年(平成9年)室蘭工業大学理事・室蘭工業大学11代学長に就任。2006年室蘭工業大学退官。 電気工学を専門とし、プラズマプロセス用プラズマやペーパーミスト誘電体による高電圧絶縁、極低温液体による電気絶縁を研究。
伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国… 伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国営競馬、日本中央競馬会の騎手ならびに調教師であった人物。 1951年に国営競馬(後の日本中央競馬会)でデビュー。キタノオー、ダイゴホマレ、ガーネット、ニットエイトなどに騎乗して八大競走8勝、通算では471勝を挙げた。特に追い込みを身上とした勝負強い騎手として知られた。1972年より調教師として厩舎開業し、1998年8月に引退。日本中央競馬会調教師の伊藤伸一は長男。1958年初頭までは「勝尾(かつお)」姓であった。 1933年、北海道札幌市に生まれる。両親は市内で「入枡」という天ぷら店を経営しており、常連であった騎手兼調教師の上村大治郎に数頭の競走馬を預けてもいた。
半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日… 半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日本の法学者(知的財産法・民法)。元学校法人青山学院理事長、元青山学院大学学長。法学博士(北海道大学、1967年)(学位論文「著作権の一元的構成について」)。弁護士(第二東京弁護士会)。北海道札幌市出身。
牧田 正嗣(まきた まさつぐ、1933年1月1日 - 199… 牧田 正嗣(まきた まさつぐ、1933年1月1日 - 1991年)は日本の俳優。北海道出身。 北海道北見北斗高等学校卒。舞台芸術学院卒。 NHK北見放送劇団入団後に上京し、1955年5月に劇団中芸に入団。1959年、劇団統合により東京芸術座の所属となる。東映、東京俳優生活協同組合、独立企画に所属していた。
平尾 和義(ひらお かずよし、1933年(昭和8年)1月1日… 平尾 和義(ひらお かずよし、1933年(昭和8年)1月1日 - )は、日本の畜産学者・獣医師。獣医学博士。専門は獣医学、畜産学。日本家畜人工授精師協会会長 。酪農学園大学名誉教授。元酪農学園大学学長。元学校法人酪農学園理事長。 北海道雨竜郡秩父別町出身。1955年(昭和30年)北海道大学獣医学部卒。同大学院獣医学研究科博士課程修了。北海道大学獣医学部助手・同附属動物病院獣医師。その後、酪農学園大学酪農学部酪農学科助教授。同酪農学部酪農学科教授。1989年酪農学園大学学長に就任(~1997年)。1995年学校法人酪農学園副理事長。1999年学校法人酪農学園理事長。2003年酪農学園大学定年退職。
加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経… 加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経済学者。元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表、博士(経済学)(中央大学・論文博士・2009年)。 北海道小樽市出身。1957年一橋大学経済学部卒業。大学では都留重人ゼミナールに参加。1962年イェール大学大学院修士課程修了。一橋都留ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、関根友彦(元ヨーク大学教授)、岩崎八男(通産官僚、元中小企業庁長官)などがいる。 大学卒業後東京銀行に入行し証券部長等を経て、1985年退社。セキュリティ・パシフィックに移り、円スワップ取引部門の立ち上げを行う。その後ソロモン・ブラザーズで銀行子会社の設立を行う。
高橋 英生(たかはし えいせい、1933年 - 2017年)… 高橋 英生(たかはし えいせい、1933年 - 2017年)は、北海道稚内市出身の画家。札幌を中心として東京、パリなどで活動し、現在は稚内市上勇知南部にアトリエを構える。15歳から国鉄に入社し鉄道員だったが33歳に退職し本格的に画家を志す。若いころは前衛的な作品が多かったが、のちにパリの街並みを描いた作品や風景画など作成し高い評価を得ている。稚内に移住してからは上勇知や利尻富士など地元の風景を中心に描いている。 北海道稚内市上勇知南部にある画家高橋英生のアトリエ。平成18年にいちど火災で全焼したが、その後再建される。1階はギャラリー、2階はカフェとなっており、地域のサロンとなっている。すぐそばには牛舎を改造した「ぎゃらりー華」があり自身や地元住人の様々な作品を展示するスペースが存在する。
小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30… 小林 恵(こばやし けい、1933年 - 2016年9月30日)は、キルトを紹介した日本のジャーナリスト。 北海道旭川市出身。本名小林恵子。北海道旭川北高等学校卒、専門学校北海道ドレスメーカー学院で学び、上京して杉野学園デザイン科・製帽科卒。ベルモード、アンディンケンで帽子デザイナーとして勤務ののちケイシャポーアトリエを主宰。 1964年にニューヨークに渡り、装身具の販売店を起こす。1983年に店を撤収、フリーのライターとなり、アメリカの暮らしの文化を日本に紹介し、キルトなどを普及させた。
林信行(はやし のぶゆき、1932年12月21日 - )は日… 林信行(はやし のぶゆき、1932年12月21日 - )は日本の大蔵官僚。放送大学学園総務部長、島根医科大学事務局長、徳島大学事務局長などを務めた。 北海道出身。北海道釧路湖陵高等学校卒業。1958年9月 大蔵省入省(主計局司計課)。主計局総務課長補佐(歳入・国債)、主計局共済課共済調査官、主計局主計監査官などを経て、1985年5月 放送大学学園総務部長。1987年9月 島根医科大学事務局長。1990年4月1日 徳島大学事務局長。1993年3月31日 退職。
木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は… 木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、日本のエネルギー政策の評論家、ジャーナリスト。旧姓、町田(まちだ)。 夫はTBSを経て、現在青森テレビ監査役、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式)。実母は、生活評論家の町田貞子。 北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。 4歳の時、父の仕事で旧満州の吉林省敦化に移住。終戦の1年前に、父が南方に出征したため、北朝鮮の羅津から新潟港へ最後の貨客船で帰国している。そのため同年代の中国残留日本人や、北朝鮮による日本人拉致問題に対しては深い思い入れがある。 東京都立豊島高等学校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒業。