佐々木 基晴(ささき もとはる、1926年(大正15年) -… 佐々木 基晴(ささき もとはる、1926年(大正15年) - )は、日本の民謡歌手。日本民謡佐々木基晴流家元で、江差追分等の日本民謡の大御所。財団法人日本民謡協会理事、北海道民謡連盟最高師範、道南口説節実行委員会代表などの肩書きを持つ。 北海道渡島支庁亀田郡湯川町(現・函館市)生まれ。 5歳より民謡を唄い初め、1949年、『この声百万ドル第1回全国大会』に優勝。翌年には27曲の北海道の発掘民謡を発表した。 基声会を発足させ指導者として全国民謡と江差追分の保存・普及、少年民謡の育成と指導に努めた。1976年には内閣総理大臣より昭和50年度『芸術文化に活躍された人々』の招待を受けた。1982年に芸術祭優秀賞受賞。
辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月2… 辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月25日)は、日本の放送局経営者。エフエム富士(FM-FUJI)初代社長。 北海道小樽市生まれ。小樽中学校(旧制。のちの北海道小樽潮陵高等学校)、静岡高等学校(旧制。のちの静岡大学)、東京大学国文科を卒業後、日本放送協会へ入局。 民間放送草創期に東京放送(TBS)へ移籍し、TBSラジオの番組編成・制作業務に従事。ラジオの編成課長だった1963年(昭和38年)、プロ野球シーズン中の夜間にナイター中継を優先させる編成の導入へ関わった。その後、テレビ営業局ネットワーク業務部副部長を経て、1969年(昭和44年)9月にテレビ山梨(UTY)へ出向。中学校の先輩である諏訪博からバックアップを受け、1981年(昭和56年)のTBS定年退職後も引き続きUTYへ残り、最終的には取締役専務を務めた。
鈴木 ヨチ(すずき ヨチ、1926年〈大正15年〉 - 20… 鈴木 ヨチ(すずき ヨチ、1926年〈大正15年〉 - 2009年〈平成21年〉7月4日)は、日本のアイヌ文化伝承者。長年にわたって北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)の理事を務めて、解散寸前だった同協会苫小牧支部の再建に努めた他、アイヌ文化の伝承、アイヌへの差別解消などの活動にも尽力した。 北海道鶴居村のアイヌの家庭で誕生した。当時は明治政府の同化政策によるアイヌへの差別の影響が強かった時代であり、尋常小学校高等科では、アイヌであることをからかわれたり、他の生徒にボールをぶつけられたりして、登校拒否になることもあった。ある教師が差別を否定して生徒たちを諭したことで、いじめは少なくなった。この教師は生徒たちに「アイヌも人間だ」と説き、この教えがヨチにとって、後年の生きる支えとなった。
因藤 壽(いんどう ひさし、1925年12月30日 - 20… 因藤 壽(いんどう ひさし、1925年12月30日 - 2009年8月8日)は北海道稚内市生まれの現代美術家。 モノクローム絵画が特徴。 1942年、北海道庁立苫小牧工業学校本科電気科(現在の北海道苫小牧工業高等学校)を卒業。卒業後、北海道大学超短波研究所に勤務。 1947年頃より仕事の傍ら、クレヨン画を始める。その後、喜茂別や倶知安の中学校の教員に転身。道内の美術展に積極的に出品する。1950年第2回読売アンデパンダン展に出品。以後も継続して出品。 1963年、大宮市(現さいたま市)に移り、首都圏の画廊で個展を開催。その後も精力的に制作活動に取り組んだ。 2009年8月8日、他界。 北海道立旭川美術館、北海道立近代美術館、埼玉県立近代美術館などが作品を所蔵する。
浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - … 浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - 2018年5月19日)は、日本の歴史学者。専門は、イギリス近代史でマルクス主義の立場からピューリタン革命と名誉革命を中心に研究していた。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、日本科学者会議代表幹事、全国革新懇代表世話人、労働者教育協会副会長、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員など護憲組織を歴任。 北海道小樽市生まれ。旧制小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)、仙台陸軍予備士官学校を経て、1948年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学在学中はボート部に所属。村松恒一郎ゼミ出身。 1947年に小樽経済専門学校(現小樽商科大学)教授を務めていた父が結核のため死去。
柴田 高好(しばた たかよし、1925年12月20日 - )… 柴田 高好(しばた たかよし、1925年12月20日 - )は、日本の政治学者。東京経済大学名誉教授。 北海道苫小牧市生まれ。1943年北海道庁立釧路中学校卒業。1945年官立静岡高等学校文科卒業。1946年九州大学法学部入学、具島兼三郎教授に師事。1949年九州大学法学部政治学科卒業。1952年同大学法学部大学院特別研究生修了、県立静岡法経短期大学助手。静岡大学の鈴木安蔵教授と交流する。1957年春から1960年頃まで黒田寛一と交流し、黒田から方法論として武谷三男の三段階論・技術論についての示唆を受ける。1964年静岡大学法経短大部教授。1972年東京経済大学教授。1996年定年退職、名誉教授。
山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2… 山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、昭和・平成期の歌人。北海道南富良野町生まれ。北海道歌人会設立に参画。第33回日本歌人クラブ賞、第61回北海道文化賞受賞。 父の山名薫人も短歌雑誌・結社の『潮音』に所属した歌人である。 1925年(大正14年)12月15日、北海道上川管内南富良野町に生まれる。1940年(昭和15年)、15歳で短歌結社(雑誌)『潮音』『新墾()』に入会。現在の札幌光星高等学校を卒業。明治大学に進学。大学在学中より特別幹部候補生として苫小牧市沼ノ端の独立旅団に入隊し、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦を迎える。 戦後は1948年(昭和23年)、北海道新聞社に入社。
荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2… 荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2002年11月10日、76歳没)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。中山伊知郎門下で専門はマクロ経済学。1974年から1975年まで日本経済学会会長。 今上天皇の学生時代の個人教授としても知られる。 荒ゼミナール出身者としては、時子山和彦(元一橋大学教授)、鈴村興太郎(一橋大学名誉教授・文化功労者・日本学士院会員・元日本経済学会会長・紫綬褒章受章者・日本学士院賞受賞者)、美濃口武雄(一橋大学名誉教授)、伊藤隆敏(一橋大学名誉教授、東京大学名誉教授、元日本経済学会会長、紫綬褒章受章者、コロンビア大学教授)、矢吹雄平(元岡山大学教授)、高橋はるみ(参議院議員)(元北海道知事)、新田八朗(富山県知事)、金田勝年(元法務大臣、外務副大臣)、枝廣直幹(福山市長)、田中正昭(元東京国税局長)、吹野博志(元デルコンピュータ会長)、西條辰義(元一橋大学教授)、山﨑和之(国連大使、元外務審議官)、浅田統一郎(中央大学教授)、戸田学(早稲田大学教授)、鴇田忠彦(東京都立大学名誉教授)、田村紀之(東京都立大学名誉教授)、楠本捷一朗(筑波大学名誉教授)、篠塚友一(筑波大学教授)、皆川正(名古屋大学名誉教授)、武隈慎一(一橋大学名誉教授)、山崎昭(一橋大学名誉教授)、丸山雅祥(神戸大学名誉教授)、小栗誠治(滋賀大学名誉教授)、杉田定大(元経済産業省大臣官房審議官、元東京工業大学特任教授)、矢野康治(元財務事務次官)、瀧本徹(元観光庁観光地域振興部長)などがいる。
石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11… 石井 亨(いしい とおる、1925年(大正14年)11月11日 - )は、日本の自治官僚、政治家。仙台市長(第26、27期)。 仙台市の政令指定都市昇格や市営地下鉄の開業などの実績があるが、ゼネコンに絡む贈収賄事件で失職した。 北海道空知郡赤平村(現:赤平市)出身。札幌二中、旧制一高を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部政治学科を卒業した。地方自治庁(当時)に入庁し、千葉県開発部管理課長などを務めたが、1963年(昭和38年)、当時の宮城県知事・山本壮一郎に同県職員として招かれた。 その後、総務部次長、商工労働部長、総務部長を務め、1974年(昭和49年)に宮城県副知事に就任した。山本の後継者候補の一番手と見られていたが、1984年(昭和59年)11月に当時の仙台市長・島野武が急逝し、急遽、革新系とされた島野に代わる保守系の市長候補として担ぎ出されることとなった。
高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-20… 高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-2006年5月17日 )は、日本の経営者。サッポロビール社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に大日本麦酒(のちのサッポロビール)に入社した。1973年に経理部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1983年3月には社長に就任した。1989年3月に会長に就任し、1991年3月から相談役を務めた。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2006年5月17日下咽頭がんのために死去。80歳没。
北村 義和(きたむら よしかず、1925年8月19日 - 1… 北村 義和(きたむら よしかず、1925年8月19日 - 1986年5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 北海道阿寒郡鶴居村出身。1945年北海道帝国大学農林専門部農学科卒。 大学卒業後、鶴居村農業会技術員、ホクレン農業協同組合連合会理事を経て、1975年から北海道議会議員(釧路支庁選出)を2期務めた。 その後、1980年の第36回衆議院議員総選挙に本名武の後継者として自由民主党公認で旧北海道5区から立候補し当選(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・太田誠一・川崎二郎・久間章生・森田一・高村正彦・柿澤弘治など)。1983年の第37回衆議院議員総選挙では自民党公認の北村と中川昭一に加え、保守系無所属で鈴木宗男(中川一郎の元秘書)と武部勤(元北海道議)が立候補する保守乱立選挙となり、そのまま落選し政界から引退した。
有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 19… 有馬 昌彦(ありま まさひこ、1925年7月22日 - 1991年9月27日)は、日本の俳優。本名:有馬 昌(ありま しょう)。 北海道札幌市出身。旧制第二高等学校(東北大学の前身校のひとつ)卒業。テコジャパンエージェンシー、ファミリープロダクションに所属していた。 高校卒業後の1950年、文学座研究所に入所。後に文学座座員に昇格する。1963年、文学座を脱退し、劇団雲の創立に参加。1969年に雲を退団。フリーを経て、1982年に演劇集団 円に入団した。デビュー作品は1951年、三越劇場での『シラノ・ト・ベルジェラック』。 舞台のほか、多くのテレビドラマや映画などにも出演。1966年のテレビドラマ『ウルトラQ』以来、特撮ドラマへの出演もよくあった。
水上 久(みなかみ ひさし、1925年7月9日 - )は、北… 水上 久(みなかみ ひさし、1925年7月9日 - )は、北海道小樽市出身の元アルペンスキー選手。 旧制小樽中学校 → 国鉄 1949年、第27回全日本スキー選手権大会のアルペンスキー成年新複合(滑降・回転)で優勝。翌年の同大会同種目では猪谷千春に次いで2位だったが、回転では猪谷を抑えて優勝している。 1952年オスロオリンピック代表に選出され、同オリンピックのアルペンスキー競技では、大回転で26位、滑降・回転では失格した。 引退後はプロに転向し、新潟県でインストラクターをつとめた。
岡田 利春(おかだ としはる、1925年5月28日 - 20… 岡田 利春(おかだ としはる、1925年5月28日 - 2014年10月11日)は、日本の政治家。日本社会党所属。元社会党副委員長。 北海道音別町(現釧路市)出身。雄別の尺別炭鉱に生まれた。釧路工業学校(現北海道釧路工業高等学校)採鉱科卒業後、1942年に太平洋炭鉱に入社。同社労働組合委員長、道炭労委員長を務め、1960年の第29回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から立候補し当選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選し政界引退するまでに当選9回。土井たか子が委員長に就任した86年から90年まで副委員長を務めた。1995年、勲一等瑞宝章受章。 本来の支持基盤であった炭鉱産業が衰退した後も、漁業関連票に食い込むことで強力な地盤を有していた。
萩原 哲晶(はぎわら ひろあき、本名:南沢 哲晶、1925年… 萩原 哲晶(はぎわら ひろあき、本名:南沢 哲晶、1925年(大正14年)5月26日 - 1984年(昭和59年)1月13日)は、日本の作曲家。 北海道岩見沢市で病院長の家庭に生まれる。弟の萩原秀樹はジャズピアニスト。旧制北海中学を経て、1942年(昭和17年)、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)器楽科に入学(クラリネット専攻)。同級に岩井直溥や早川博二がいた。戦時中は團伊玖磨、芥川也寸志、斎藤高順、梶原完たちと陸軍戸山学校軍楽隊に入隊。素人の養成機関の軍楽隊に音楽学校の生徒が入る背景には、乗杉嘉壽から山口常光(戸山軍楽隊)、山口から阿南惟幾へ話の持ち込みがあり、全く便宜を計る必要がない音楽学校の生徒である彼等は特例中の特例で、いわゆる徴兵から逃げた。
河渕 務(かわぶち つとむ、1925年5月16日 - 201… 河渕 務(かわぶち つとむ、1925年5月16日 - 2014年1月19日)は、日本のアイスホッケー選手、指導者。 日本女子アイスホッケーの父と呼ばれた。 北海道苫小牧市出身。1938年に旧制苫小牧中学校(現北海道苫小牧東高等学校)に入学してからアイスホッケーを始めた。立教大学に進学した後、1945年に中退し応召されて樺太に行った。復員した後、1947年に岩倉組に入社、アイスホッケー部の選手として、1954年の第7回国体、1957年の全日本アイスホッケー選手権で優勝、1959年に監督に就任した。 アイスホッケー日本代表の監督を務め、1960年の世界選手権Bプールで優勝、1964年インスブルックオリンピックの監督も務めた。
南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日… 南川 直(みなみかわ ただし、本名同じ、1925年5月10日 - 2001年1月)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。逗子開成中学出身。俳優の田宮二郎は従弟にあたる。 終戦の翌年に復員後、鎌倉アカデミアの演劇科に進学。演技の勉強を積んだのち1950年に太泉映画(後の東映)のニューフェース一期生に合格。 脇役として地道ながら数多くの作品に出演。 1961年から放送開始したテレビ映画『特別機動捜査隊』ではレギュラーの刑事役として10年活躍。しかし健康上の問題を理由に役者を引退した。 1991年の単発テレビ時代劇『忠臣蔵 風の巻・雲の巻』では浅野家家老の役でサプライズ出演を果たす。
阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 -… 阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 - 没年不明)は、日本のプロレスラー、レフェリー、俳優、大相撲力士。 北海道旭川市出身。角界入りし、高砂部屋から大成山(おおなりやま)の四股名で1941年1月場所初土俵。1946年11月場所を最後に廃業。プロレスに転身して力道山率いる日本プロレスの初期メンバーとしてキャリアをスタートさせる。身長175cm、体重103kgという当時としては恵まれた体格を活かし、パワー溢れるレスラーとして活躍。その後、東京プロレスを経て国際プロレスへ移籍した。 プロレスラー引退後は国際プロレスのレフェリーに転向する。髭を蓄えており、ホイッスルを吹く独特で特徴のあるスタイルから「髭のレフェリー」「髭の阿部」の愛称で親しまれた。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日… 林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日 - 2008年(平成20年)9月8日)は、日本の工学者、元地方公務員・実業家。工学博士(北海道大学)。北見工業大学・道都大学元学長。北見工業大学・道都大学名誉教授。専門は、コンクリート工学。 北海道江別市出身。1948年(昭和23年)に北海道大学工学部土木工学科を卒業し、北海道庁網走土木現業所に入所。1951年(昭和26年)北海道開発局土木試験所に移る。1970年(昭和45年)同所所長。1975年(昭和50年)北海道開発局退官。日本セメント顧問。1977年(昭和52年)北見工業大学工学部教授。1984年(昭和59年)北見工業大学4代学長に就任。
戸塚 七郎(とつか しちろう、1925年3月11日 - )は… 戸塚 七郎(とつか しちろう、1925年3月11日 - )は、日本の哲学研究者、旧・東京都立大学名誉教授。西洋古典哲学専攻。 北海道小樽市生まれ。1950年京都大学文学部哲学科卒。東京都立大学助教授、教授、1987年定年退官、愛知大学教授。
中川 一郎(なかがわ いちろう、1925年〈大正14年〉3月… 中川 一郎(なかがわ いちろう、1925年〈大正14年〉3月9日 - 1983年〈昭和58年〉1月9日)は、日本の政治家。衆議院議員。自由民主党の派閥・自由革新同友会の領袖。正三位勲一等。 農林大臣(第49代)、農林水産大臣(初代)、科学技術庁長官(第35代)、原子力委員会委員長(第35代)。 「北海のヒグマ」と呼ばれ、タカ派議員として知られていた。財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融担当)などを務めた中川昭一は長男。参議院議員を務めた中川義雄は実弟。 北海道広尾郡広尾町に農業・中川文蔵、セイの長男として生まれた。祖父・五八郎の時代に富山県福光町から北海道の広尾郡広尾村にある山奥の開拓地に移住した農民の出である。
長谷川 晶(はせがわ あきら、1925年(大正14年)3月3… 長谷川 晶(はせがわ あきら、1925年(大正14年)3月3日 - 2005年(平成17年)6月11日)は、日本の洋画家・抽象画家である。 1925年3月3日北海道旭川にて、国鉄の車掌区に勤務していた父馨と母キヨとの次男として生まれる。稚内の小学校を卒業し、北海道庁立旭川中学校(5年制)を卒業後、北海道大学理学部臨教数学課へ進学。子供の頃から絵や漫画を描くのが得意であった。油絵を始めたのは大学に入ってからで、当時札幌在住の菊地精二に師事した。太平洋戦争末期、徴兵で旭川師団に入隊したが、まもなく終戦。卒業後、1946年21歳で函館高等女学校の数学教師として就職した。そこで田辺三重松と出会い師事した。
田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 20… 田中 嫺玉(たなか かんぎょく、1925年3月2日 - 2011年7月20日)は、日本のベンガル語翻訳家、著作家。女性。「田中かん玉」とも表記。 1925年(大正14年)、北海道旭川市生まれ。北海道庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)、日本女子大学家政科に進学。1945年(昭和20年)に戦争が終わると、中退して帰郷し、結婚して男の子2人を育てる。1954年(昭和29年)に東京都新宿区に引っ越した。1959年(昭和34年)、目白ロゴス英語学校を卒業。1969年(昭和44年)に仏教学者の渡辺照宏、東京外国語大学教授の奈良毅もとでベンガル語のラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』の翻訳を始め、5年後の1974年(昭和49年)に抄訳本を奈良毅と共訳で自費出版。
北 修二(きた しゅうじ、1925年2月28日 - 2007… 北 修二(きた しゅうじ、1925年2月28日 - 2007年5月25日)は、日本の政治家。北海道・沖縄開発庁長官、参議院議員(3期、自民党)。北海道空知郡奈井江村出身。農民運動を展開した。 空知農業学校卒業。1951年に25歳で奈井江町議に初当選し、1967年に奈井江農協(現・新砂川農協(JA新すながわ))組合長。北海道農協中央会(JA北海道中央会)副会長、北海道テレビ放送番組審議会委員などを経て1977年の参議院選北海道選挙区でトップで初当選。連続3回当選。1981年北海道開発政務次官。1984年参議院農林水産委員長。1990年に鳩山由紀夫を北海道知事候補に目論むが失敗。自民党道連会長を辞任。
工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 -… 工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 - 1996年8月27日)は、日本の実業家。政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。北海道議会議員(通算4期)。 北海道歌志内市出身。1943年早稲田実業学校卒。翌年陸軍に召集される。中央大学法学部に入るも中退。戦後、空知建設工業株式会社を創立し、代表取締役となる。ほか空知物産(株)、丸美大道通商(株)の各代表取締役に就任し、歌志内商工会議所会頭を務めた。1971年から北海道議を3期務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で北海道選挙区から自民党公認で立候補し当選。1986年の第3次中曽根内閣で法務政務次官、1988年の竹下改造内閣で北海道開発政務次官に就任。
坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13… 坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13日 - 2010年(平成22年)9月2日)は、日本の政治家。旭川市長、旭川市名誉市民。 北海道旭川市出身。坂東幸太郎の四男として生まれる。1945年(昭和20年)東京獣医畜産専門学校卒業。1948年(昭和23年)旭川市役所に奉職し3年間勤務後、旭川隣保会第三保育所長、敬生会老人ホーム敬生園長などを務め、1959年(昭和34年)に旭川市議会議員に当選。市議4期の間に、市議会副議長も務めた。 1978年(昭和53年)に旭川市長選挙に立候補し、現職の松本勇を破って、初当選。五十嵐広三、松本と続いた革新市政から保守市政を奪還した。以降4期、市長を務めた。
2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13… 2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13日 - 1987年10月15日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1963年11月~1987年9月。荒汐部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。北海道白糠町出身。本名は松井利雄(まつい としお)。 1936年に木村昭夫の名で初土俵。入門時は荒汐部屋の所属だったが、1943年1月場所後に5代荒汐は荒汐部屋を閉鎖して双葉山道場に弟子を譲った為、以降は双葉山道場から名称を変えた時津風部屋の所属となる。1950年1月に十両格に昇格。1956年5月に幕内格に昇格。1962年1月、2代式守伊三郎襲名。1963年9月場所、三役格行司の4代木村誠道がこの場所限り廃業したため、翌11月場所に38歳の若さで三役格に昇格。
岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2… 岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2015年1月16日)は、日本の武道家。大東流合気柔術六方会宗師。 岡本正剛は38歳という、武道を始めるには一般的に遅いと言われる年齢ではじめて大東流合気柔術の門をくぐった。それまで武道とは無縁の生活を送っていたが、知人から面白い技を使う人がいると聞き、冷やかし半分で堀川幸道のもとに見学に行ったのがその始まりだった。入門以来、ほぼ無欠席で稽古にいそしんだが本人は、「稽古後に皆でビールを飲むのが楽しみで通っていた」という。岡本は堀川門下生のなかでは異例のスピードで昇進した。 岡本の功績のひとつは、それまであまり知られることのなかった大東流合気柔術という武道を広く世に知らしめたことである。
宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992… 宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992年10月16日)は日本の物理学者。専門分野は核融合・プラズマ物理学。京都大学名誉教授。1991年紫綬褒章受章。 北海道札幌市生まれ。1952年京都大学工学部電気工学科卒、同教室助手、同講師。1960年、学位論文「同軸積層ケーブルの伝送特性 」で、工学博士(京都大学)。1962年よりアメリカ・プリンストン大学研究員、西ドイツ・マックスプランク研究所客員教授、イギリス・カラム研究所研究員を経て、1966年京都大学工学部教授。 1950年代よりヘリカル型核融合装置の研究に従事し、1958年に独自のヘリオトロン方式を提唱し、以降も実験を重ねながら装置の改良を進めた。
大矢 正(おおや ただし、1925年1月25日 - 1983… 大矢 正(おおや ただし、1925年1月25日 - 1983年1月1日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 北海道小樽市出身。日本大学で学ぶ。北海道炭礦汽船に入り、戦後は労働運動に加わり、北海道炭礦汽船労組委員長、北海道炭労委員長となる。1956年の第4回参議院議員通常選挙で北海道から日本社会党公認で立候補して初当選した。以来3期務める。この間参議院文教委員長、同石炭対策委員長、同公害対策及び環境保全特別委員長などを歴任した。1974年の第10回参議院議員通常選挙に出馬せず引退。 1983年1月1日死去、58歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
笹森秀雄(ささもり ひでお、1925年1月18日 - 201… 笹森秀雄(ささもり ひでお、1925年1月18日 - 2014年6月13日)は、日本の社会学者。学校法人吉田学園前学園長。専門分野は都市社会学、この他、医療社会学なども研究。北海道奥尻郡奥尻町出身。 1952年、北海道大学文学部哲学科卒業。同年、北海道大学文学部助手(指導教授:鈴木栄太郎・関清秀)。その後、北海道大学スラブ研究センター助手。1964年同教養部専任講師。1965年、北海道大学文学部助教授。1973年、旭川医科大学創立に伴い同医学部教授に就く。1990年、旭川医科大学停年退官。同名誉教授。北海道東海大学国際文化学部教授。1995年、北海道東海大学定年退職。学校法人吉田学園学園長。2007年、学校法人吉田学園退職。
目時 春雄(めどき はるお、1925年1月12日 - 199… 目時 春雄(めどき はるお、1925年1月12日 - 1995年3月28日)は、北海道江別市出身 の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1955年の登録名は目時 富士雄(めどき ふじお)。 札幌光星商業を卒業後、配炭公団野球部に入部。また、小樽野球協会にも所属していた。 1949年に大陽ロビンスへ入団。荒川昇治が正捕手でいた為レギュラーを獲得できずにいたが1952年に荒川が移籍したこともあって、この年に正捕手となった。1953年に大洋ホエールズと合併したが、この年もレギュラーとして出場し120試合に出場。打率.273、12本塁打を打ち、打点56は藤井秀郎に次ぐチーム2番目の成績だった。1956年からは土井淳の加入で控え捕手となった。
上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 200… 上西 晴治(うえにし はるじ、1925年1月7日 - 2009年11月10日)は、日本の小説家。 北海道十勝郡浦幌町生まれ。浦幌高等小学校卒業後、札幌師範学校附設の小学校准訓導養成所に学び、1941年に卒業して西足寄町の平和国民学校で教員生活に入る。小樽市の北海道青年学校水産教員臨時養成所に学び、1945年3月に卒業して塩谷村立青年学校に勤めるも、すぐに召集される。9月に復員後、増毛町の青年学校・中学校、札幌第四中学校、銭函中学校に勤め、その傍ら札幌文科専門学院夜間部に通う。講師の新間進一の影響を受けて文学熱が上がり、大東文化大学文政学部日本文学科に3年次編入し、1953年に卒業。卒論では有島武郎を選び、岩内町の木田金次郎を訪問する。
岡田 弘子(おかだ ひろこ、1925年〈大正14年〉1月3日… 岡田 弘子(おかだ ひろこ、1925年〈大正14年〉1月3日 - 2020年〈令和2年〉5月28日)は、北海道函館市の市立函館図書館の元館長、石川啄木関連の資料の保存に努める団体「函館啄木会」の事務局長、後に代表理事。父は市立函館図書館の初代館長の岡田健蔵。函館ゆかりの歌人である啄木の資料収集に尽力した父の跡を継ぎ、函館啄木会において、父から託された啄木関連の資料を守り、資料収集などに取り組んだ。北海道函館市出身。 1925年(大正14年)、岡田健藏の長女として誕生した。遺愛女学校、文部省図書館講習所(後の図書館情報大学)を経て、1943年(昭和18年)から市立函館図書館に勤務した。兄弟姉妹が皆死去しており、唯1人の父の実子であったことから、父の遺志を継ぎ、父直伝の図書館教育により、司書として勤めた。
十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、… 十津川 光子(とつがわ みつこ、1925年- 没年不明)は、日本の作家。本名は臺野澄子。 北海道樺戸郡新十津川村(現在の新十津川町)生まれ。庁立滝川高等女学校(現在の北海道滝川高等学校)を戦後に卒業。旭川日赤高等看護学校中退後滝川の職業安定所に勤務ののち上京し慶應義塾大学医学部付属厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部)を卒業、看護婦となる。農林省勤務の後日本油脂美唄工場へ転職し執筆活動を本格化させる。 小説を木々高太郎に師事し、1958年『コタンの春』を上梓(序文は木々)。1960年の『胎動期』は、東芝日曜劇場でテレビ放送され、三輪彰監督・新藤兼人脚本によって「胎動期 私たちは天使じゃない」として1961年に映画化された。
長岡 宗一(ながおか そういち 1925年 - 1994年1… 長岡 宗一(ながおか そういち 1925年 - 1994年10月8日)は、日本のヤクザ、北海道ボクシングジム経営者。北海道同志会(後の三代目山口組柳川組北海道支部)初代会長。北海道空知郡岩見沢町出身。通称はジャッキー。 大正14年(1925年)、北海道空知郡岩見沢町(現:岩見沢市志文町)で、長岡吉元と菊の子の12人兄弟の長男として生まれた。札幌市内の商業学校に進学し、在学中は、ボクシングと柔道の練習に打ち込んだ。 昭和36年(1961年)12月、三代目山口組柳川組・柳川次郎組長(本名は梁 元錫。通称はマテンの黒シャツ)は、札幌市で力道山一行のプロレス興行を行った。このとき、長岡は、柳川次郎と柳川組若頭・谷川康太郎(本名は康 東華。
高島 温厚(こうしま よしあつ、1924年12月25日 - … 高島 温厚(こうしま よしあつ、1924年12月25日 - 2009年6月12日)は、日本の政治家。網走管内留辺蘂町(現北見市)出身。北海道第二師範学校(現北海道教育大学函館校)卒。北海道小清水町長(1985年-1993年)。 小清水町立小学校教頭、北見市立富里小中学校校長、白滝村立白滝中学校校長などを経て、1971年小清水町教育長。同教育長を定年退職後、1985年小清水町長に初当選。以後連続2期務める。 2009年6月12日、急性循環不全のため死去、84歳。死没日をもって旭日双光章追贈、従五位に叙される。 給食時の食事マナーや仲間意識を育てるため、北海道内でいち早く全校食堂方式を採用した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28… 匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28日 - 1994年(平成6年)9月14日)は、北海道出身の美術評論家。挿絵など近代日本美術史研究で著書多数がある。 札幌一中(現北海道札幌南高等学校)卒、京都大学文学部選科中退、北海道大学文学部西洋史学科卒、同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て、1966年(昭和41年)から札幌大谷短期大学教授。1968年(昭和43年)から神奈川県立近代美術館に勤務、1981年(昭和56年)には同館長となる。1987年(昭和62年)に茨城県立美術博物館(現茨城県近代美術館)の館長となる。
長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)1… 長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)10月23日 - )は、日本の経済学者。統計学者。経済学博士。元小樽商科大学学長・小樽商科大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。 北海道野付郡別海村字オダイトウ生まれ。1941年(昭和16年)12月、根室商業学校(現北海道根室高等学校)を卒業。1944年(昭和19年)9月、小樽高等商業学校を卒業。1948年(昭和23年)3月、東京商科大学(現一橋大学)商学部を卒業。1948年(昭和23年)小樽経済専門学校講師に採用、1954年(昭和29年)小樽商科大学商学部助教授。その後、立正大学経済学部教授、北海道大学経済学部教授、北海道総合経済研究所長を経て、1972年(昭和47年)小樽商科大学商学部教授、1976年(昭和51年)、第5代小樽商科大学附属図書館長に就任。
島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2… 島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2019年7月18日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。北海道旭川市出身。 1947年に北海道大学農学部を卒業し、同年に明治乳業に入社。1973年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1981年9月に社長に就任。1989年6月から会長を務めた。 1994年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年7月18日心不全のために死去。94歳没。墓所は多磨霊園(18-1-12)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
五十嵐 豊一(いがらし とよいち、1924年9月27日 - … 五十嵐 豊一(いがらし とよいち、1924年9月27日 - 2008年8月30日)は、将棋棋士。九段。棋士番号46。北海道札幌市出身。 1939年、関根金次郎十三世名人門下に入門。順位戦には第2期から参加し、1948年にB級昇級により飛び級で四段から七段に昇段。 七段時代はB級一位となって名人挑戦者決定のプレイオフに参加し、A級三位の大山康晴に勝ち、A級二位の松田辰雄にやぶれた。 翌年、A級に昇級し八段となる。 1999年4月、勲五等双光旭日章受章。 2008年8月30日、慶應義塾大学病院にて心不全のため、死去。 (2004年4月1日現在) この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。
橋本 義彦(はしもと よしひこ、1924年9月26日 - 2… 橋本 義彦(はしもと よしひこ、1924年9月26日 - 2015年7月1日)は、昭和・平成期の歴史学者。平安貴族や院政の研究で著名。 1971年から2013年まで日本歴史学会理事や評議員に就任。
梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ 1924年9月20日 - 1… 梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ 1924年9月20日 - 1995年3月25日)は、日本の物理学者。理論物理学者。理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一博士の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名。
坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 -… 坂本 幸四郎(さかもと こうしろう、1924年9月19日 - 1999年5月10日)は、日本の小説家、川柳評論家。北海道函館市生まれ。 1942年に函館中学校(現:北海道函館中部高等学校)卒業後、国鉄入社。無線電信講習所(現:電気通信大学)を卒業して国鉄函館船員区に勤務した。 青函連絡船通信長として勤務していた現役当時、洞爺丸台風(1954年9月26日)の際に同航路を就航していた客載車両渡船『石狩丸』の次席通信士として、洞爺丸の転覆・遭難を発信し続けた第六真盛丸からのSOS通信を受信し、公電として発信した経験を有している。1990年、北海道文化賞奨励賞受賞。川柳の研究評論も手がけていた。 1999年、急性心不全のため死去。
勝井 信勝(かつい のぶかつ、1924年(大正13年)9月1… 勝井 信勝(かつい のぶかつ、1924年(大正13年)9月1日 - 1999年(平成11年)9月3日)は、日本の化学者。学位は、理学博士(北海道大学)。専門は天然物有機化学・植物病理学。北海道大学名誉教授。北海道岩見沢市出身。位階は正四位。 北海道大学理学部化学科卒。同大学院理学研究科博士課程修了。その後、同理学部講師、同理学部助教授、同理学部教授。1988年(昭和63年)北海道大学停年退官。同名誉教授。北海道東海大学工学部教授。1995年(平成7年)北海道東海大学定年退職。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 家族は、祖父に勝井組創業者の勝井森太郎、父に、勝井建設工業初代社長の勝井勝太郎。
畠山芳雄(はたけやま よしお、1924年8月21日- )は… 畠山芳雄(はたけやま よしお、1924年8月21日- )は、日本の経営コンサルタント。 北海道帯広市出身。1944年陸軍経理学校本科卒。46年札幌財務局勤務、工場、商社などに勤務の後、49年日本能率協会に入り、55年チーフ・コンサルタント、60年理事、67年常務理事。75年専務理事。81年理事長。
仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 200… 仲川 翠(なかがわ みどり、1924年8月20日 - 2005年3月13日)は、日本の教育者。北海道高等学校体育連盟、北海道高等学校野球連盟の元会長。元プロ野球選手。北海道小樽市出身(札幌市生まれ)。 北海道札幌市に生まれ、4歳で小樽市に移住。旧制小樽中学校から東京高等師範学校(現・筑波大学)に進学。在学中は東都大学リーグで活躍し、母校の一部昇格に貢献した。卒業後東和ゴムに入社したが、プロ野球再編問題によるセ・リーグ誕生に伴い新設され、選手が不足していた新球団国鉄スワローズの誘いに応じて入団。シーズン途中の入団だが、同期に金田正一がいる。投手として国鉄に2年在籍後に引退。本人は後に当時を振り返って、「プロで食べていこうという心づもりは無く、野球の大学をちょっと覗いてみようというぐらいの気持ちだった。
桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 20… 桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日 - 2011年10月16日)は、日本の画家。 戦後、安部公房、勅使河原宏らとともに「世紀の会」に参加し、アバンギャルド運動に大きく関わる。また、小河内ダム建設反対運動に加わり、ルポルタージュ絵画を製作した。 その後も、鋭い批判精神で社会を見据えた作品を発表し続けた。