小林 清治(こばやし せいじ、1924年8月13日 - 20… 小林 清治(こばやし せいじ、1924年8月13日 - 2007年4月4日)は、日本の歴史学者。福島大学名誉教授。専門は日本近世史。 北海道旭川市出身。東北大学文学部史学科卒、同大学院博士課程満期退学。1972年「奥羽における戦国大名の成立と展開」により東北大学から文学博士の学位を授与される。福島大学学芸学部助教授、教育学部教授。86年定年退官、名誉教授、東北学院大学教授。
一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月… 一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月23日 - 2014年(平成26年)3月24日)は日本の実業家、元室蘭民報社社長。北海道室蘭市出身。 その他、室蘭市教育委員(1978年から1995年まで)・NHK番組審査委員・室蘭保健所保健協議会委員・室蘭市労働問題審議会委員・室蘭交通安全協会理事・室蘭市中央卸売市場開設運営協議会委員・室蘭防犯協会理事・室蘭剣道連盟会長などを歴任。
峰岸 久(みねぎし ひさし、1924年5月5日 - 2023… 峰岸 久(みねぎし ひさし、1924年5月5日 - 2023年11月17日)は、日本の翻訳家、ジャーナリスト。本名、埜邑 義道(のむら よしみち)。日本記者クラブ会員、日本文芸家協会会員。峯岸 久の表記もある。 北海道函館市生まれ。1952年東京大学仏文科卒。同年、日本新聞協会に入会。会報・編集各課次長、広告課長、業務部長兼経営部長、国際部長。1979年、事務局次長、同年理事待遇。1989年4月欧州駐在代表。 一方、翻訳家としてジョン・ウィンダム、J・G・バラード、クリフォード・D・シマックなどのSFを主として翻訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 201… 干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 2013年11月12日)は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。 旧制北海道庁立旭川中学校(現:北海道旭川東高等学校)、日本製鐵輪西、旭川鉄道局を経て、1950年に大阪タイガースに入団。初年度である同年に10勝を挙げる活躍をする。オーソドックスなアンダースローの投手であった。1951年も先発陣の一角として期待されたが4勝に終わり、1952年に肩を故障して退団。わずか3年のプロ野球生活であった。 2013年11月12日、89歳で死去した。 予告先発制度の導入前によく行われていた投手による偵察メンバーであるが、干場はその第1号である。1950年4月22日、熊本市水前寺野球場での対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘で迷った松木謙治郎選手兼任監督は、前日の対広島カープ戦で完投勝利を挙げた干場を1番・レフトとして出場させる。
三戸部 スエ(みとべ すえ、1924年〈大正13年〉3月31… 三戸部 スエ(みとべ すえ、1924年〈大正13年〉3月31日 - 1986年〈昭和61年〉4月24日)は日本の女優。北海道夕張市出身。本名同じ。 日本大学芸術科(現・日本大学藝術学部)中退。太平洋戦争の戦時中当時は瑞穂劇団に参加し所属。 1971年に俳優座を退団。フリーとなって商業演劇、映画やテレビドラマに多く出演。脇役・老け役としての実力は高く評価された。1986年4月24日、胃癌のため死去。62歳没。 親類に作家の橘善男がおり、2001年に三戸部の半生を題材にした「小説俳優座―わざおぎ狂乱」(鳥影社)を出版している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-198… 小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-1985年8月6日)は、日本の政治学者。専門は、政治学・比較政治学。元中央大学教授。北海道釧路市出身。 1952年中央大学法学部(旧制)卒業。1952年中央大学法学部助手。1957年中央大学法学部助教授。1964年中央大学法学部教授。1985年在職中に心不全で逝去。 この他に、日本比較法研究所副所長、日本政治学会理事、東京外国語大学外国語学部・明治大学法学部・早稲田大学法学部・立教大学法学部の非常勤講師を務めた。 専門は、政治学・比較政治学。特に、政治原論、平和学、地方自治論、アメリカ政治史、イギリス政治史などを研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年… 箕輪 登(みのわ のぼる、1924年3月5日 - 2006年5月14日)は、日本の政治家、医師。位階は従三位。 郵政大臣(第42代)、防衛政務次官、衆議院議員(8期)を歴任した。 北海道小樽市生まれ。小樽市中学校(現:北海道小樽潮陵高等学校、小樽市立長橋中学校)、北海道帝国大学(現:北海道大学)医学専門部卒業。第二次世界大戦末期の1945年3月に陸軍軍医見習士官に任官し、同年8月に終戦を迎える。翌1946年より日本医療団寿都病院(現:寿都町立寿都診療所)外科医長。1948年、寿都町に箕輪外科医院を開業。1952年に小樽市に戻り、稲穂で箕輪外科医院を開業。 1960年、薄田美朝(元警視総監。後に衆議院議員)に見出され第29回衆議院議員総選挙に旧北海道第1区(定数5)から保守系無所属で立候補したが、立候補者9人中7位で落選する(当時の旧北海道1区では日本社会党の横路節雄や自由民主党の椎熊三郎(元衆議院副議長)、高田富與(元札幌市長)ら有力候補がしのぎを削っていた)。
鈴木 秀次(すずき ひでじ、1924年1月25日 - 200… 鈴木 秀次(すずき ひでじ、1924年1月25日 - 2002年4月13日) は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 北海道滝川市出身。1942年北海道帝国大学予科工類修了。1945年北海道帝国大学理学部物理学科卒業、東北帝国大学金属材料研究所助手。1950年東北大学金属材料研究所講師。1953年東北大学金属材料研究所助教授。1954年日本金属学会功績賞受賞。1955年東北大学理学博士。1956年シカゴ大学金属研究所客員研究員。1959年日本原子力研究所副主任研究員。1963年東京大学理学部教授。1967年松永賞受賞。1970年ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンガウス客員教授。
増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月… 増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月11日 - 2016年〈平成28年〉4月1日)は、日本の溶接研究者、工学者。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学名誉教授。専門は溶接。2016年現在、同大学では唯一の日本人終身待遇名誉教授である。 北海道小樽市生まれ。その後、栃木県足利市に転居。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学第一工学部船舶工学科卒業。1959年東京大学より工学博士号を授与される。米国バッテル研究所勤務を経て、マサチューセッツ工科大学工学部船舶工学科準教授。その後、1971年に教授に昇格。1973年にアメリカ国籍取得。 ボストン日本人会会長、三井造船技術顧問、神鋼商事技術顧問、川崎重工業技術顧問、日本大学客員教授、徳島文理大学客員教授などを歴任する。
竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 20… 竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 2006年4月18日)は、日本の政治家、参議院議員(2期)。 北海道夕張市出身。1944年(昭和19年)逓信官吏講習所外国通信語学科を卒業後、札幌郵便局に入り、郵政事務官として勤務する。全逓北海道地方本部書記長を経て、1965年(昭和40年)参議院議員選挙に北海道地方区から日本社会党で立候補し当選。以後2期12年務める。1994年(平成6年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2006年(平成18年)4月18日、肺炎のため札幌市内の病院で死去、82歳。死没日をもって従四位に叙される。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6… 卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6日 - 2002年(平成14年)3月11日)は、日本の官僚。約20年間にわたり、侍従として昭和天皇に仕えた。 侍従となった1969年(昭和44年)から2002年(平成14年)の死去直前まで、毎日欠かさず付けた32年間の日記は、『卜部亮吾侍従日記』(全5巻)として、朝日新聞社から2007年に順次公刊された。同日記は、昭和天皇と香淳皇后に仕えていた広報担当者の日記であり、長期にわたってつけられたものであること、昭和天皇崩御(1989年(昭和64年)1月7日)前後の内情(特に昭和から平成への代替わりの実務を仕切った当時の経緯)と昭和天皇の晩年の姿が分かることから貴重な史料である。
岡島 秀夫(おかじま ひでお、1924年(大正13年) - … 岡島 秀夫(おかじま ひでお、1924年(大正13年) - 2019年(令和元年))は、日本の農学者。学位は、農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。元道都大学短期大学部学長。北海道岩見沢市出身。 1947年北海道帝國大学農学部農芸化学科卒業。同年、厚生省東京衛生試験所助手。1949年東北大学農学研究所助手。1955年東北大学農学研究所講師。1961年 北海道大学より農学博士の学位を取得、学位論文は「水稲根群の生理機能に関する研究とくに窒素栄養を中心として」 1968年同農学部助教授。1970年同農学部教授。1979年文部省学術審議会専門委員。1983年北海道大学農学部学部長。1987年北海道大学停年退官。
下田 晶久(しもだ あきひさ、1924年(大正13年) - … 下田 晶久(しもだ あきひさ、1924年(大正13年) - 2009年(平成21年))は、日本の医学者(医学博士)。元旭川医科大学学長。旭川医科大学名誉教授。専門は病理学。 北海道岩内郡岩内町生まれ。北海道帝国大学医学部卒業。1949年(昭和24年)同大学院医学研究科修了。同医学部助手。同医学部講師。国立札幌病院検査科医長。1960年1月 北海道大学 医学博士 論文の題は 「脳血管周囲構造の電子顕微鏡的研究、脳水腫及び脳腫脹に関連して」。 1973年(昭和48年)旭川医科大学医学部教授。1974年(昭和49年)同副学長。1987年(昭和62年)旭川医科大学学長に就任。1991年(平成3年)旭川医科大学退官。
旭國 強(あさひくに つよし、1924年 - 没年不明)は、… 旭國 強(あさひくに つよし、1924年 - 没年不明)は、北海道旭川市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は山田 強(やまだ つよし)。174cm、83kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、下手投げ。 1940年5月場所に初土俵。1948年5月場所に十両昇進したが、在位はこの1場所のみ。1949年1月場所限りで廃業した。
荏原 哲夫(えばら てつお 1924年 - 1956年2月1… 荏原 哲夫(えばら てつお 1924年 - 1956年2月18日)は、日本のヤクザ。会津屋連合会会津家小高一家・小高龍湖組長の実子分。北海道札幌市雁来町(現札幌市東区)出身。通称は雁来のバラ。 藤田五郎(小説家)の「北海道やくざ者」(『大侠客』青樹社に収録)には荏原の歌について記述がある。 荏原哲夫は、まったく不思議な男だった。道を歩くときも、人を斬るときも、怪我をして医者の手当てを受けるときも、たえず言葉になっていない歌を唄っていた。口笛を吹くこともある。音痴で、音色も低かったが、不思議と哀感があった。この歌のどこが気に入ったのか、彼は死ぬまで、一つ覚えのその歌を唄い続けていた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
石井 次郎(いしい じろう、1923年12月18日-1992… 石井 次郎(いしい じろう、1923年12月18日-1992年4月1日)は、日本の地質学者。理学博士(北海道大学)。 北海道出身。北海道札幌師範学校付属小学校卒業。北海道庁立札幌第二中学校卒業。1946年北海道帝国大学理学部卒業。1946年同応用電気研究所助手。1955年北海道大学大学院(旧制)理学研究科修了。同理学部助手。北海道札幌西高等学校定時制教諭や、北海道農業専門学校教師を経て、1961年に北海道大学にて「北海道第四紀火山噴出物の風化過程」で理学博士受く。1961年北海道大学水産学部助教授。1968年東海大学海洋学部札幌教養課程教授。1988年北海道東海大学工学部教授。1992年3月31日北海道東海大学定年退職。
上口 利男(かみぐち としお、1923年(大正12年)11月… 上口 利男(かみぐち としお、1923年(大正12年)11月23日 - 2018年(平成30年)7月18日)は、日本の弁護士・元地方公務員。上口利男法律事務所所長。北海学園大学出身の生え抜き法曹の一人。札幌弁護士会所属。専門は民事全般。 北海道石狩郡当別町出身。旧制中学校卒業後、1941年(昭和16年)札幌地方裁判所に入所。1943年(昭和18年)札幌地方裁判所書記官に就任。1956年(昭和31年)北海学園大学経済学部2部中退。1959年(昭和34年)司法試験に合格。1962年(昭和37年)弁護士登録。1977年(昭和52年)北海道収用委員会委員。1981年(昭和56年)同委員長。1982年(昭和57年)札幌弁護士会会長に就任。
唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2… 唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2015年1月5日)は、日本の邦楽作曲家、筝曲家(生田流)。妻は筝曲家の中島靖子。 北海道深川市生まれ。父親は尺八奏者、母親は筝曲家。農業経済学者の唯是康彦は従弟。3歳から生田流筝曲を学ぶ。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、一度就職するが、間もなく退職し、東京音楽学校邦楽科に入学。宮城道雄に師事する。その後、後身の東京藝術大学に楽理科が設置されると転科し、在学中の1952年、邦楽コンクール(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞。 卒業後の1953年から2年間、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事。この間クックレーベルからレコード『日本の琴』をリリース。
尾山 力(おやま つとむ、1923年6月9日 - 2008年… 尾山 力(おやま つとむ、1923年6月9日 - 2008年1月9日)は、日本の医学者・麻酔学者。弘前大学名誉教授。 北海道釧路市出身。北海道帝国大学医学専門学校卒、1956年北海道大学医学博士。ハーヴァード大学で麻酔学を学ぶ。北海道大学医学部講師、1965年弘前大学医学部助教授、1971年教授、1991年定年退官、名誉教授、ツムラ薬理研究所。日本麻酔学会会長、国際ペイン・クリニック学会会長。 2000年、勲三等旭日中綬章を受章。2008年1月9日、心不全のため死去。
北村 文雄(きたむら ふみお、1923年〈大正12年〉4月1… 北村 文雄(きたむら ふみお、1923年〈大正12年〉4月18日 - 2017年〈平成29年〉3月1日)は、日本の造園学者・造園教育者。 専門は造園植物である芝、花蓮。北海道旭川市生まれ。父親の故郷新潟県のほか熊本県と福岡県などに転居し、以降栃木県から東京に移る。
川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 19… 川田 正則(かわた まさのり、1923年3月20日 - 1986年12月30日)は日本の政治家、元衆議院議員(3期)。
小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年… 小田 稔(おだ みのる、1923年2月24日 - 2001年3月1日)は、日本の天文学者・宇宙物理学者。理学博士(大阪大学・論文博士・1956年)。東京大学名誉教授。 北海道札幌市出身。大阪帝国大学理学部物理学科菊池正士研究室出身だが、菊池の弟子・渡瀬譲に師事したので、小田は菊池の孫弟子といえる。はじめ実験物理学を専攻したが、その後電波天文学に転向し、さらに宇宙線物理学およびX線天文学を専門とするに至った。旺盛な好奇心と夢のような発想の持ち主で、研究者仲間から「星の王子さま」の愛称で呼ばれた。 1923年(大正12年)、北海道に生まれる。1934年、台北帝国大学教授に就任した父に従って台湾に移住。
小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 20… 小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 2004年7月31日)は、日本の歴史学者、北海道教育大学名誉教授。フランス近代史専攻。兄はドイツ文学者の小栗浩。 北海道函館市生まれ。1949年東北大学文学部西洋史学科卒業。北海道教育大学講師、助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授。1999年秋、勲三等旭日中綬章受勲。 2004年7月31日、多臓器不全のため死去。
中浜 元三郎(なかはま もとさぶろう、1923年(大正12年… 中浜 元三郎(なかはま もとさぶろう、1923年(大正12年)2月4日 - 2012年(平成24年)6月26日)は、日本の政治家。北海道登別市長(3期)。 北海道幌別郡幌別村(のち幌別町→登別町、現・登別市)出身。鉄道教習所卒。国鉄に入り、その後、帰郷し、登別町役場に勤務し、観光課長、開発、総務の各部長や助役を歴任し、1979年、登別市長選挙に立候補し、現職を破って当選した。1983年に再選。1987年に三選した。翌1988年、贈収賄事件で助役が逮捕され、その責任を取って市長を辞職した。
北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 20… 北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 2002年1月8日)は、北海道網走郡網走町(現:網走市)北浜出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は緒方 昇(おがた のぼる)。最高位は西関脇。 1923年2月1日に、北海道網走郡網走町北浜(現:北海道網走市北浜)で料理屋を営む家に次男として生まれた。幼少期から地元では有名な腕白だったが、小学4年生の時に実兄が事故で没したことでショックを受け、それ以降は腕白な性格から内気な性格へ変わっていった。実家が地元で人気の料理屋だったことから、厳しい父親に毎日家の手伝いをさせられていた。当時の網走郡は網走刑務所のイメージから陰惨とした場所であると勘違いされやすかったが、本人が入幕後に語ったところによると冬の寒さは厳しいが、道立公園には6月頃から9月頃まではハマナス、エゾキスゲ、カンゾウ、スズラン、ヒオウギアヤメなど50種類程度の花が咲き誇る明るい街であったという。
緑嶋 英三(みどりしま えいぞう、1923年1月25日 - … 緑嶋 英三(みどりしま えいぞう、1923年1月25日 - 没年不明)は、北海道石狩郡石狩町(現在の北海道石狩市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は今井 英三(いまい えいぞう)。現役時代の体格は176cm、88kg。自己最高位は東前頭4枚目(1947年11月場所)。得意手は左四つ、押し。 16歳の時に上京して角界入りし、1940年1月場所にて初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、故郷の北海道石狩郡に因んだ「石狩岩」(その後、当時の立浪部屋の師匠である元小結・緑嶋友之助の現役名をそのまま貰って、「緑嶋」と改名している)。 以来、順調に出世し、負け越しなしで1944年1月場所で十両に昇進。 その後、1945年6月場所で入幕を果たし、以降は主に幕内中位で活躍した。
滝 正(たき ただし、1923年(大正12年)1月21日 -… 滝 正(たき ただし、1923年(大正12年)1月21日 - 2003年(昭和15年)7月26日)は、日本の政治家、獣医師。1942年空知農業学校獣医専科卒業。北海道美唄市出身。美唄市長(1980年(昭和55年) - 1996年(平成8年))。 1942年(昭和17年)静岡農学校教員。その後、徴兵を経て復員。1949年(昭和24年)美唄農業共済組合に獣医師として勤務。1967年(昭和42年)美唄市議に初当選。以後連続4期当選し、副議長などを務めた。議長在職中の1980年(昭和55年)美唄市長に初当選。連続4期務め、1996年(平成8年)に引退。
島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月… 島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月22日 - 2014年12月11日)は、日本の放送評論家。 北海道札幌市出身。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 慶應義塾大学在学中に学徒徴兵され、復員後に新聞界に入る。報知新聞の芸能記者を経て、報知新聞東京本社編集局次長、電通PRセンター企画局長、渡辺音楽出版制作部長などを歴任。その後は放送評論家として活躍。特に時代劇に造詣が深く、それに関する著書も多い。 2014年12月11日、急性心不全のため死去。92歳没。
斎藤 要(さいとう かなめ、1922年9月14日 - 200… 斎藤 要(さいとう かなめ、1922年9月14日 - 2004年9月23日)は、日本の農学者。農学博士(北海道大学)。小樽商科大学名誉教授。元小樽短期大学学長。専門は物理化学、商品科学。 北海道小樽市出身。1946年(昭和21年)北海道帝国大学農学部卒業。1951年(昭和26年)北海道大学大学院特別研究生課程修了。同年10月、北海道大学農学部非常勤講師、同年12月鹿児島大学助教授。1960年、北海道大学農学博士(「魚類血清蛋白質の組成に関する比較生化学的研究」) 。1962年(昭和37年)小樽商科大学商学部助教授。翌年、同教授。1986年(昭和61年)小樽商科大学停年退職、同大学名誉教授。同年10月、小樽女子短期大学教授。
門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日… 門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日 - 2018年〈平成30年〉10月1日)は、昭和後期から平成時代にかけて活躍した日本の社会活動家。北海道出身、アイヌ民族。 小冊子『アイヌの叫び』の著者貝澤藤蔵と川村コヨの長男。日高管内の沙流郡平取町生まれ。北海道旭川東高等学校(旧制旭川中学)卒業。 1939年(昭和14年)から朝鮮の炭鉱会社で働いた。戦後は旭川営林局にはいり、測量審査などにあたる一方、人権擁護委員も務めた。1972年(昭和47年)10月、旭川市で起こった「風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件」を機に旭川アイヌ協議会の創設に尽力し、その初代会長となった。1975年(昭和50年)、北海道アイヌ文化伝承保存会副会長となった。
角 五郎(かど ごろう、1922年8月26日 - 1990年… 角 五郎(かど ごろう、1922年8月26日 - 1990年7月24日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道室蘭市出身。1942年に名古屋高等商業学校を卒業し、1945年10月に北海道新聞社に入社。1977年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1982年に道新通信社社長に就任。1984年に北海道文化放送社長に就任し、1988年6月には会長に就任。 1990年7月24日に肝不全のために死去。67歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - … 大森 光章(おおもり こうしょう、1922年7月24日 - 2009年3月26日)は日本の小説家、フリーライター、禅僧(上座)。幼名は倖二。今出光章、北町陽一郎名義による作品もある。弟に歌人の大森亮三。 北海道虻田郡倶知安町の禅寺の生まれ。少年期から父親の伴僧として葬儀や法事に出席。旧制中学卒業後、小学校の代用教員をつとめる。函館師範学校中退。明治大学専門部文芸科中退。戦争末期に召集される。 小学校教員をつとめるかたわら、1947年に倶知安で『新芸術派』を創刊。1949年上京し、中河与一主宰の「ラマンチヤ」に参加。のち、新日本文学会に参加。 工員や印刷会社社員や大学職員として働きつつ、「文芸日本」「円卓」「層」「凱」「公園」など数々の文芸同人誌に関わる。
神 彰(じん あきら、1922年6月27日‐1998年5月2… 神 彰(じん あきら、1922年6月27日‐1998年5月28日)は、北海道出身の興行師、事業家、国際芸能プロモーター。
鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 20… 鈴木 清三(すずき せいぞう、1922年6月20日 - 2008年1月12日)は、日本のオーボエ奏者。 北海道札幌市出身。父親は清元高輪派の名匠:清元清美太夫。 1942年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)在学中に、満州国建国10周年奉祝使節団として東京音楽学校によって組織されたオーケストラに参加し、首都・新京その他で演奏に加わった。1944年、東京音楽学校を学徒出陣で繰上げ卒業。海軍航空隊で終戦を迎えた。卒業演奏はグロヴレーズの「サラバンドとアレグロ」(1943年末の報国演奏会)で、ピアノ伴奏を中田一次が務めた。 復員後、研究科に復学、修了後は東京フィルハーモニー交響楽団、NHKサロン・アンサンブル、日本フィルハーモニー交響楽団(創立メンバー)を経て、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の結成に参画し、首席奏者、運営委員長、楽団長、名誉首席奏者を歴任、1992年のリサイタルまで長く演奏活動を続けた。
廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5… 廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5日 - 2008年(平成20年)5月27日)は、元日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍主計大尉。戦後は印刷会社を経営。 北海道旭川市出身。父の転勤の関係で旭川市で出生するが、その後地元栃木県宇都宮市で育つ。士族。祖父は宇都宮藩士。父と二代ともに帝国陸軍士官。 旧制栃木県立宇都宮中学(現宇都宮高校)を経て1939年(昭和14年)12月に陸軍経理学校に進学(第5期、陸士56期相当)。ラバウル、フィリピン、インドシナ各地を転々とし、ボルネオ島にて終戦。終戦時階級は陸軍主計大尉。 終戦直後、オーストラリア軍に投降、同軍収容所にて捕虜生活を送り、翌年1946年(昭和21年)に復員後、鉄道教科書会社に就職。
資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月… 資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月3日 - 2014年(平成22年)3月12日)は、高野山真言宗の僧。管長。金剛峯寺411世座主。高野山大学卒業。北海道深川市出身。 1922年(大正11年)、北海道深川市の真言寺に生まれる。1935年(昭和10年)、同寺にて乃村龍澄師(第55世大覚寺門跡)に従い剃髪得度。1949年(昭和24年)に高野山大学卒業。 北海道旭川市の金峰寺住職を経て、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで金剛峯寺第411世座主と高野山真言宗の管長を務めた。 2014年(平成22年)3月12日、心不全のため死去。享年91。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 199… 三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の女性作家。
戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006… 戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006年10月21日)は、日本の実業家。フィンランド視察を基にした、北海道産業クラスター構想提唱者。北海道札幌市出身。東京工業大学(現東京科学大学)卒。
安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本… 安田 健(やすだ けん、1922年4月16日 - )は、日本の農学者。 北海道夕張市生まれ。本籍・石川県志雄町。1946年北海道帝国大学(現・北海道大学)農学部卒業。1961年『わが国稲作技術の地域的展開に関する文献的研究』で九州大学農学博士。1950年から農業発達史調査会(盛永俊太郎編集長、東畑精一会長)で稲作史の部門を担当。朝日新聞東京本社企画部に勤務。山階鳥類研究所でトキの研究。1959年『日本農業発達史』(農業発達史調査会)で朝日賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月… 木下 重教(きのした しげのり、1922年(大正11年)4月10日 - 2008年(平成20年)12月5日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は資源開発工学。北海道大学名誉教授・北海道情報大学初代学長。北海道夕張市出身。恩師は佐山総平。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18… 内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉8月11日)は、日本のスピードスケート選手。戦後のスピードスケート界を代表する人物の1人とされ、1951年(昭和26年)にスイスで開催された世界選手権で、日本新記録で優勝を飾った。その実績と将来性から、冬季オリンピックの代表選手に2度選ばれたが、戦争と自身の病気によりその2度とも出場の機会を失い、「不運のアスリート」とも呼ばれる。現役引退後はオリンピック日本代表選手のコーチとして、スケート界の発展に尽くした。 北海道札幌市出身。父の内藤芳雄は、幼少時、まだスケート靴が非常に高価だった時代より、我流でスケートを楽しんで技術を鍛え上げ、成人後は札幌スケート協会の幹事長を務めた。
谷岡 敏行(たにおか としゆき、1922年3月18日 - 1… 谷岡 敏行(たにおか としゆき、1922年3月18日 - 1953年12月13日)は日本の騎手。 1922年3月18日、競走馬の故郷、馬産地として名高い北海道日高郡新ひだか町静内神森(旧静内町)に、水田農業を営む父・谷岡倉太郎(一族は、1882年(明治15年)広島県大竹市より移住)と母・ナツ(一族は兵庫県淡路島より移住)の三男として生まれる。10人兄弟姉妹(兄2人、弟4人、姉1人、妹2人)の第4子である。 新ひだか町の有限会社谷岡牧場(1935年創業)、有限会社新和牧場(1994年創業)は本家にあたる。 静内尋常高等小学校を卒業時、静内町にある新冠御料牧場獣(現・家畜改良センター新冠牧場)吉住獣医師(稲葉幸夫の妹の夫)が、学校教室に来て騎手希望者を募ったところ、谷岡敏行が手を挙げ申し込んだ。
和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 201… 和田 寿郎(わだ じゅろう、1922年3月11日 - 2011年2月14日)は、日本の心臓血管外科医。札幌医科大学名誉教授。ワダ弁(人工心弁)の開発や、後に「和田心臓移植事件」として様々な疑惑が浮上する日本初の心臓移植手術を執刀したことで有名な医師。
藤井幸雄(ふじい ゆきお、1922年3月10日 - 1997… 藤井幸雄(ふじい ゆきお、1922年3月10日 - 1997年7月20日)は、日本の気象学者。 北海道帯広市出身。1942年中央気象台附属気象技術官養成所(現気象大学校)本科卒、中央気象台に入り、気象庁予報課、気象研究所に勤務、応用気象研究室長。そのかたわら東京医科歯科大学で学び、1980年「食中毒発生の気象学的考察」で医学博士号を取得した。インテルハーツ生気象事業部長、エンペックス気象計 (株) 開発部勤務。 1997年7月20日、拡張型心筋症のため死去。
輝昇 勝彦(てるのぼり かつひこ、1922年1月26日 - … 輝昇 勝彦(てるのぼり かつひこ、1922年1月26日 - 1967年2月20日)は、北海道留萌市(出生時は留萌郡留萌町)出身で高島部屋に所属した大相撲力士。本名は小林 良彦(こばやし よしひこ)。最高位は東関脇。 1922年1月26日、北海道留萌郡留萌町(現在の留萌市)にて、官吏の家に次男として生まれた。子供の頃から留萌町の相撲大会での怪力ぶりが話題となる。 高島部屋へ入門。1937年5月場所に於いて、15歳で初土俵を踏んだ。 体格面ではほとんど恵まれていなかったが、1日3000回の鉄砲を行ったと伝わる猛稽古で後の武器となる突っ張りを鍛え上げ、突き押し相撲で序二段・三段目で優勝、幕下も1場所で通過して1941年1月場所で新十両昇進、19歳で関取となった。
敦賀 一夫(つるが かずお、1922年〈大正11年〉1月21… 敦賀 一夫(つるが かずお、1922年〈大正11年〉1月21日 - 2025年〈令和7年〉4月14日)は、日本の政治家。元北海道稚内市長(2期)。 北海道宗谷郡稚内町または礼文町出身。札幌逓信講習所卒。卒業後は稚内郵便局に勤務し、地区労働組合事務局長を経て、1959年(昭和34年)に稚内市議会議員を1期務める。その後は日本電信電話公社に勤務し、1971年(昭和46年)に共同ボデー工業株式会社取締役社長に就任。1967年(昭和42年)と1971年の2回北海道議会議員選挙に稚内市選挙区から社会党公認で立候補したが、いずれも落選した。 1991年(平成3年)、8期32年務めた現職の浜森辰雄を破って稚内市長に当選する。
林 善茂(はやし よししげ、1922年 - 2013年)は日… 林 善茂(はやし よししげ、1922年 - 2013年)は日本の経済学者、北海道大学名誉教授。専門は、農業経済学・アイヌ民族文化研究。北海道小樽市生まれ。 1938年に北海道帝国大学予科農類に入学し、1943年に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。卒業後、農学部で研究生や助手となり、1948年8月に助教授に就任している。 1953年、新設された北海道大学経済学部に転じた。1962年に北海道大学で農学博士号を取得した。翌年、教授に昇格した。 1972年、北海道大学の評議員に選出される。1976年に北海道大学経済学部長に就任した。部長在職中の1977年に講義で「北海道経済史は辺境における開発の歴史として見ていくことであり、主体は日本人であってアイヌではない」「アイヌの歴史は切り捨てる」、また和人男性が蝦夷地に来た頃に彼らと結婚したアイヌ女性を「占領軍時代のパンパンと同じ」などの発言をおこなったことが学生やアイヌの反発を招き、糾弾として教室に封鎖される事態となった(機動隊により救出)。
永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本… 永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本の実業家。元三井ホーム社長。
おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1… おおば比呂司(おおば ひろし、1921年12月17日 - 1988年8月18日)は、日本の漫画家、デザイナー。北海道札幌市出身。本名は、大場博司。 漫画集団に所属し、イラストレーションの手法を取り入れたユニークな一コマ漫画で知られた。デザイナーとしての評価も高く、商業デザインの分野でも活躍した漫画家の草分けでもあった。また、テレビタレントとしても活動した。 蕎麦屋を営む大場清男・サン夫妻の次男として生まれ、幼少期から漫画・イラストの才能を発揮。札幌市第二高等小学校(現・柏中学校)卒業後印刷会社や看板描き、草履店での丁稚奉公を経て、1942年12月・21歳の時に徴兵で陸軍航空隊に入隊し整備士となる。
喜多 了祐(きた りょうゆう、 1921年11月28日 - … 喜多 了祐(きた りょうゆう、 1921年11月28日 - 2007年6月18日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士。小樽商科大学教授・一橋大学法学部教授を経て、一橋大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。中華人民共和国国務院の招聘により西安の西北法政学院において日本商法を講義。フルブライト留学生としてハーバード・ロー・スクール留学、ブリティッシュ・カウンシル留学生としてロンドン・スクール・オブ・エコノミクス法科大学院留学など海外研究の機会が多く、南山大学、富山大学、東洋大学大学院、亜細亜大学などでも講義。法学博士の学位を取得、学位論文は「私法における外観優越の理論―商法への展開のための基礎研究―」(1975年)。