及川 善弘(おいかわ よしひろ、1958年 - )は、日本の… 及川 善弘(おいかわ よしひろ、1958年 - )は、日本の映画監督。日本映画監督協会会員、日活芸術学院主任専任講師。城西国際大学准教授。 青森県青森市出身。青森県立青森高等学校を経て1982年に早稲田大学教育学部を卒業後、にっかつ撮影所演出部に入り、加藤彰に師事。『白バラ学院 わいせつな放課後』(監督: 北村武司、出演: 麻生かおり、渡辺玖未、南理香子)などの助監督時代を経て、1990年にベルリン国際映画祭・アジア太平洋映画祭出品の児童向け作品『夏のページ』(出演: 三浦浩一、小林かおり、佐野史郎)で監督デビューを果たしたが評価は厳しく、その後の監督作はテレビやビデオの数作にとどまった。日活芸術学院主任講師となってからはそれもほとんど見られなくなったが、2000年にはその日活芸術学院の創立25周年記念作品『「紅の拳銃」よ永遠に』(出演: 黒部弘康、中丸シオン、宍戸錠、布施博)で実に10年ぶりの映画界復帰を果たした。
高橋 美保子(たかはし みおこ、1958年 - )は、日本の… 高橋 美保子(たかはし みおこ、1958年 - )は、日本のハーブ研究家、ハーブセラピスト。 米イオンド大学薬学部ハーブセラピスト学科准教授、日本代替医療学会会員。青森県弘前市出身。 1980年、弘前大学教育学部卒業、富士幼稚園教諭。1983年、健美会クリニック助手。1989年、バイオシステム専務取締役。1994年、農業生産法人健民ハーブ農場専務取締役。1996年、北國新聞文化センターハーブ・アロマ講師。2002年、NPO法人環境浄化微生物研究所専務理事。 1994年、石川県珠洲市八ケ山に「珠洲ハーブの丘」を、同市唐笠町に「すずはぁぶ唐笠ふぁーむ」を立ち上げ、本格的なハーブ栽培を行うとともに、各地を訪問してハーブ栽培指導を開始した。
菊池 誠(きくち まこと、1958年 - )は、日本の物理学… 菊池 誠(きくち まこと、1958年 - )は、日本の物理学者。大阪大学大学院理学研究科物理学専攻及び同大学サイバーメディアセンター教授。専門は統計力学、生物物理学、計算物理学。「ニセ科学フォーラム」実行委員。と学会会員。京都府生まれ、青森県弘前市育ち。
佐々木聡(ささき さとし、1957年11月23日- )は、日… 佐々木聡(ささき さとし、1957年11月23日- )は、日本の経営学者、明治大学教授。 青森市生まれ。1981年学習院大学経済学部卒、1988年明治大学大学院経営学研究科博士後期課程満期退学、95年「戦前・戦中期の日本における科学的管理発展の史的研究」で経営学博士。静岡県立大学経営情報学部助教授、明治大学経営学部助教授をへて、99年教授となる。
鈴木 聡(すずき あきら、1957年10月6日 - )は、日… 鈴木 聡(すずき あきら、1957年10月6日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。 青森県弘前市出身。1980年に弘前大学人文学部卒業、1982年に東京大学大学院人文科学研究科英文学修士課程修了、東大英文科助手、1987年に学習院大学専任講師、1989年に助教授、1991年に東京外国語大学助教授、のち教授。2023年に東京外国語大学を定年退職、名誉教授。 イェーツが専門だが、若くして『ユリイカ』などに寄稿し、理論的著作の翻訳が多数ある。いち早くガヤトリ・スピヴァクの翻訳をしたほか、テリー・イーグルトンの翻訳も多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
佐藤 真(さとう まこと、1957年9月12日 - 2007… 佐藤 真(さとう まこと、1957年9月12日 - 2007年9月4日)は、日本のドキュメンタリー映画監督。 東京都立富士高等学校、東京大学文学部哲学科卒業。 青森県弘前市で生まれる。 2歳で家族が上京。千葉県松戸市のマンモス団地で物心付き、東京都練馬区石神井で育つ。 東京大学在学中より水俣病の運動に関わり、香取直孝監督の『無辜なる海 1982年・水俣』の助監督となる。1984年に、その映画の自主上映の途中で、阿賀野川とそこに暮らす人々と出会い、映画作りを決意する。 各務洋一監督に私淑した後、1989年からスタッフ7人と新潟に2年間移り住んで住民と密着して暮らし、1992年に初の監督作品『阿賀に生きる』を完成させ、絶賛される。
長内 孝(おさない たかし、1957年8月30日 - )は、… 長内 孝(おさない たかし、1957年8月30日 - )は、青森県青森市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、野球指導者、解説者。
長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22… 長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役会長。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1980年に早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。大阪編集局社会部、名古屋編集部、東京編集局経済解説部、経済部に記者として勤務。その後、秘書室長、東京編集局経済部長、経営企画室長等を歴任。 2012年常務、2015年専務、2020年副社長を経て、2021年3月に社長に就任。グローバルとデジタルを両輪とする事業戦略を進め、日経電子版の有料会員数を伸ばし、2026年3月代表権のある会長に退く。
山上 進(やまがみ すすむ、1957年7月11日 - )は、… 山上 進(やまがみ すすむ、1957年7月11日 - )は、青森県青森市出身の三味線奏者。 高校時代はロックバンドを結成。ヤマハポピュラーソングコンテストにも出場経験がある。1970年代には矢野顕子の作品(『JAPANESE GIRL』『長月 神無月』)に参加。 津軽を代表する津軽三味線、尺八、横笛奏者として活動。 最近では、伊奈かっぺいのライブにおいて津軽三味線、ギターを担当している。 近年[いつ?]は、古典楽器やシンセサイザーなどの他楽器とのセッションも積極的に行い、津軽三味線の伝統を守りながらも意欲的な音楽活動を展開している。
岡堀 勉(おかぼり つとむ、1957年7月10日 - )は、… 岡堀 勉(おかぼり つとむ、1957年7月10日 - )は、青森県三戸郡南郷村(現・八戸市)出身の元競輪選手。1976年モントリオールオリンピック日本代表。日本競輪選手会青森支部に所属していた。 八戸電波工業高等学校在学時代、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会の個人追い抜きにおいて、1973年、1974年と2連覇。 その後、日本大学文理学部に進み、1976年モントリオールオリンピック男子4000m団体追抜競走に同郷である小笠原嘉、小笠原義明と組んで出場した。記録は4'37"03で14位(予選敗退)。 日大卒業後、島野工業へ入社。同社在籍時代に1980年モスクワオリンピック代表選手に選出されたものの、ボイコットにより出場できず「幻の代表選手」となった。
井上 力(いのうえ ちから、1957年〈昭和32年〉6月15… 井上 力(いのうえ ちから、1957年〈昭和32年〉6月15日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。 青森県八戸市出身。防衛大学校(第24期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主に艦艇や海上幕僚監部等で勤務したのち、第4護衛隊群司令、練習艦隊司令官、自衛艦隊司令部幕僚長、統合幕僚監部運用部長等の要職を歴任し、2012年(平成24年)7月から舞鶴地方総監を務め、2014年(平成26年)10月14日、第43代横須賀地方総監に任命された。2015年(平成27年)12月1日に退官。
高田 邦洋(髙田 邦洋、たかだ くにひろ、1957年(昭和3… 高田 邦洋(髙田 邦洋、たかだ くにひろ、1957年(昭和32年)5月18日 - )は、日本の実業家、銀行家。青森経済同友会代表幹事、みちのく銀行特別顧問。 青森県上北郡七戸町出身。三本木高校、日本大学法学部卒業後、1981年にみちのく銀行に入行する。 小柳支店長や堅田支店長、経営企画部長を歴任して、2006年に取締役に就任する。その後、取締役常務執行役員を経て、2012年に代表取締役副社長となり、翌2013年に杉本康雄の後任として代表取締役頭取に就任した。 2018年に頭取を藤澤貴之に譲って、代表権のない取締役会長に退き、2022年6月に特別顧問。
山本 恒太(やまもと こうた、1957年3月1日 - )は、… 山本 恒太(やまもと こうた、1957年3月1日 - )は、日本の実業家。青森放送代表取締役社長。青森県青森市出身。早稲田大学教育学部卒業。
斎藤 光(さいとう ひかる、1956年12月13日 - )は… 斎藤 光(さいとう ひかる、1956年12月13日 - )は、日本の科学史・科学論、近現代文化誌研究者。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部教授。日本科学史学会会員、現代風俗研究会理事。 青森県弘前市出身。1980年、京都大学理学部卒業。北海道大学大学院をへて、1987年、東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論) 修士課程修了。 1990年、京都精華大学講師。1995年、同助教授。2002年、同教授。2007年、同人文学研究科長。2009年、同全学研究センター長。2013年、同大学ポピュラーカルチャー学部長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
柿崎 幸男(かきざき ゆきお、1956年11月28日 - )… 柿崎 幸男(かきざき ゆきお、1956年11月28日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 三沢高校から1974年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから5位指名され入団した。1978年に1軍初出場し、18試合に出場。1980年も28試合に出場するが、守備や代走での出場に留まり打席に立つ事は無かった。この年を最後に現役を引退した。 あぶさんに張本勲と共に登場人物として描かれたことがある。
工藤 達朗(くどう たつろう、1956年11月25日 - )… 工藤 達朗(くどう たつろう、1956年11月25日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。中央大学大学院法務研究科教授。指導学生に武市周作中央大学教授、木原淳関西大学教授がいる。 青森県出身。青森県立青森高等学校、中央大学法学部卒業。1981年中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了(指導教授:川添利幸)。同年、中央大学法学部助手。1985年同法学部助教授。1997年同法学部教授。2004年同法科大学院教授。
倉光 弘昭(くらみつ ひろあき、1956年11月8日 - )… 倉光 弘昭(くらみつ ひろあき、1956年11月8日 - )は、日本の政治家。青森県つがる市長(2期)。 青森県西津軽郡木造町(現・つがる市木造柴田)生まれ。青森県立五所川原高等学校、明治大学農学部卒業。 1982年(昭和57年)4月、木造町役場に入庁。 2005年(平成17年)2月11日、西津軽郡木造町、森田村、柏村、稲垣村、車力村の1町4村が合併して、つがる市が誕生。2017年(平成29年)4月、つがる市副市長に就任。 2021年(令和3年)2月21日告示、2月28日執行のつがる市長選挙に自由民主党の推薦を受けて立候補し、無投票で初当選した。3月13日、市長就任。2025年(令和7年)2月、無投票で再選。
三杉磯 拓也(みすぎいそ たくや、1956年(昭和31年)5… 三杉磯 拓也(みすぎいそ たくや、1956年(昭和31年)5月11日 - )は、青森県八戸市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は上沢 秀則(かみさわ ひでのり)。最高位は西前頭2枚目(1979年1月場所、1982年3月場所)。現役時代の体格は187cm、121.5kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り、上手投げ、突き落とし。現役引退後は、1988年から2021年まで峰崎部屋の師匠を務めた。7代峰崎。 14歳で弟ができるまで1人っ子として育ち、幼少期は大人しい性格からいじめられていた。とはいえ187cmの長身は当時から目を引き、中学生の相撲大会に出場し、何人ものスカウトが来た。
三村 申吾(みむら しんご、1956年4月16日 - )は、… 三村 申吾(みむら しんご、1956年4月16日 - )は、日本の政治家。 青森県知事(公選第17・18・19・20・21代)。衆議院議員(1期)、青森県上北郡百石町長(1期)を務めた。 父・三村輝文は元青森県議会議員で、2003年から2011年まで親子で県知事・県議会議員を務めていた。東京大学文学部の同期である妻・三村三千代は八戸学院大学短期大学部客員教授で、専門は国文学、特に古典文学。 青森県上北郡百石町(現おいらせ町)生まれ。青森県立八戸高等学校、東京大学文学部国文学科卒業。東大の同期には、立憲民主党所属の参議院議員杉尾秀哉がいた。大学卒業後、新潮社に入社。文芸編集畑を歩み、畑山博、綱淵謙錠、山口瞳、中沢けいらを担当した。
上村 貢聖(かみむら こうせい、1956年2月21日 - )… 上村 貢聖(かみむら こうせい、1956年2月21日 - )はニッポン放送報道スポーツコンテンツセンター記者兼解説委員、元アナウンサー。 青森県三戸郡出身。生まれて間もない頃に一家は同県八戸市に転居。青森県立八戸高等学校から早稲田大学教育学部に進学し、大学時代はアナウンス研究会に所属。大学卒業後の1979年4月にニッポン放送入社。 入社3年目の1981年7月に糸居五郎から『オールナイトニッポン』月曜第二部のパーソナリティを引き継ぐ。中島みゆき著「伝われ、愛―月曜のスタジオから」に実名で登場する。 1990年代中にはアナウンサーから編成部プロデューサーに異動、『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』、『加トちゃんのラジオでチャッ!チャッ!チャッ!』などのプロデューサーを務めた。
小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月… 小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月10日 - )は、日本のボクサー。 青森県弘前市出身。弘前電波工業高等学校を経て、拓殖大学に入学する。同校在学中に、1976年モントリオールオリンピックにフェザー級で出場し、3回戦で敗退した。 ほか、1976年(昭和51年)全日本選手権フェザー級優勝、第8回アジア選手権ライト級準優勝、1977年(昭和52年)ベオグラード世界選手権出場などの結果を残した。 引退後は消防署員となり、弘前消防署西北分署などに勤務。ほか、弘前ボクシング協会理事長として後進の育成に当たった。
小倉 孝誠(おぐら こうせい、1956年1月2日 - )は、… 小倉 孝誠(おぐら こうせい、1956年1月2日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家。慶應義塾大学文学部教授。日本学術会議会員。 青森県生まれ。1974年青森県立弘前高等学校卒業。1978年京都大学文学部(仏文学科)卒業。1983年東京大学大学院人文科学研究科修士課程(仏語仏文学)修了、ソルボンヌ大学で文学博士の学位を取得、1988年東大博士課程中退、同文学部助手、1989年旧:東京都立大学助教授、1997年渋沢・クローデル賞受賞、2003年慶應義塾大学文学部教授。2011年『身体の歴史』の監訳で日本翻訳出版文化賞受賞。 エミール・ゾラを専門とし、第二帝政期フランスを中心とした風俗・犯罪、また歴史小説、推理小説などについて広く執筆・翻訳を行う。
小泉 公二(こいずみ こうじ、1956年 - )は、日本のテ… 小泉 公二(こいずみ こうじ、1956年 - )は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー。NHKエグゼクティヴ・プロデューサーや、NHK理事待遇関連事業局長、NHK出版代表取締役社長等を歴任した。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、上智大学法学部卒業後、1979年日本放送協会(NHK)に入局し、ディレクターとなった。NHK報道局エグゼクティヴ・プロデューサー等を経て、2008年NHK編成局編成主幹。 NHK編成局編成主幹・衛星放送センター長を経て、2011年NHK関連事業局長。2014年NHK関連事業局長(理事待遇)。2015年NHK出版代表取締役社長。2017年NHKインターナショナル理事長。
向谷地 生良(むかいやち いくよし、1955年12月19日 … 向谷地 生良(むかいやち いくよし、1955年12月19日 - )は、日本のソーシャルワーカー。元浦河赤十字病院ソーシャルワーカー(1978年4月 - 2003年3月)。 青森県十和田市生まれ。青森県立三本木高等学校を卒業。1978年、北星学園大学文学部社会福祉学科(現社会福祉学部)を卒業。在学中は、親からの仕送りを断り、特別養護老人ホームに住み込みでアルバイトをし、北海道難病団体連絡協議会(なんびょうれん)で筋ジストロフィーなどの難病の当事者のボランティア活動(青い鳥)なども行なった。 北海道日高にある総合病院浦河赤十字病院医療社会事業部に精神科専属のソーシャルワーカーとして勤務。同病院では、患者に住所・連絡先を書いた名刺を配って歩き、24時間どこへでも駆けつけるスタイルの実践を展開し、退院後の患者たちと古い教会堂で共同生活も行った。
長谷川 晋(はせがわ すすむ、1955年(昭和30年)10月… 長谷川 晋(はせがわ すすむ、1955年(昭和30年)10月14日 - 2020年(令和2年)9月8日)は、日本の元外交官。青森県八戸市出身。欧州や中東など計7か国で特命全権大使などを歴任した。2018年退官。 青森県立八戸高等学校を経て、1979年(昭和54年)東京大学教養学部を卒業し、外務省に入省する。大学時代はレスリング部主将を務めた。1980年から82年までグルノーブルでフランス語研修。 フランス、イスラエル、タイなどの在外公館で勤務したほか、在フランス日本国大使館一等書記官、外務省領事移住部邦人特別対策室長などを経て、防衛庁で運用局訓練課長を務めた。在イスラエル日本国大使館参事官、在オーストラリア日本国大使館公使、ウィーン国際機関日本政府代表部公使、2007年(平成19年)12月、メルボルン総領事を経て、2010年(平成22年)から2012年(平成24年)までイラク駐箚特命全権大使。
むつ 利之(むつ としゆき、1955年10月10日 - )は… むつ 利之(むつ としゆき、1955年10月10日 - )は、日本の漫画家。 青森県むつ市出身。青森県立田名部高等学校卒。1979年に「GOGO!ピンクソックス」にてデビュー。 代表作に、第13回講談社漫画賞少年部門を受賞した「名門!第三野球部」などがある。同作を執筆するまではお色気ギャグ漫画を中心として執筆していた。 「たたけよ、されば開かれん」が座右の銘で、作品中にたびたびこの言葉が使われている。
葛西 一貴(かさい かずたか、1955年10月 - )は、日… 葛西 一貴(かさい かずたか、1955年10月 - )は、日本の歯科医師・歯学者。日本大学松戸歯学部歯科矯正学講座教授。 1980年に日本大学松戸歯学部卒業、1984年に同大学院修了後、同大学助手、講師を務め、1998年より現職。 1984年、日本大学より歯学博士の学位を取得、論文の題は「顎・顔面頭蓋の成長発育に関する四次元的研究 : ミニブタの下顎骨に対する成長抑制について」。
川口 淳一郎(かわぐち じゅんいちろう、1955年〈昭和30… 川口 淳一郎(かわぐち じゅんいちろう、1955年〈昭和30年〉9月24日 - )は、日本の工学者。専門は、制御システム論・応用飛行力学。学位は、工学博士(東京大学・1983年)。オーストラリア国立大学教授。 宇宙科学研究所宇宙航行システム研究系教授、宇宙科学研究所宇宙航行システム研究系研究主幹、宇宙科学研究所深宇宙探査センターセンター長、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構シニアフェロー、内閣官房宇宙開発戦略本部事務局局長、東京大学大学院工学系研究科教授(兼任)、東北大学特任教授などを歴任した。 青森県弘前市出身。宇宙工学者である。特に制御システム論や応用飛行力学といった分野を専攻する。アストロダイナミクス、軌道力学、姿勢・軌道制御、航法・軌道決定論、惑星探査ミッション解析、システム制御論などの研究に従事した。
虎尾 達哉(乕尾達哉、とらお たつや、1955年9月24日 … 虎尾 達哉(乕尾達哉、とらお たつや、1955年9月24日 - )は、日本の歴史学者。鹿児島大学名誉教授。日本古代史専攻。 青森県弘前市生まれ。1974年青森県立弘前高等学校卒業、1979年京都大学文学部国史学専攻卒業、1983京都大学大学院文学研究科博士課程中退(指導教官は岸俊男)。1997年「古代参議制の研究」により京都大学・文学博士。1983年鹿児島大学法文学部助手、1987年5月助教授、1998年教授。2021年定年退職、名誉教授。現在、鹿児島大学および鹿児島県立短期大学非常勤講師、放送大学鹿児島学習センター客員教員。 1999年6月 - 2000年4月ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)客員研究員。
綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日… 綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日 - )は、現在の青森県つがる市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒滝 隆男(くろたき たかお)。現役時代の体格は177cm、107kg。最高位は東十両13枚目(1980年7月場所)。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 小学校から相撲部に所属し、青森県大会でも動きの良さを活かした相撲で大活躍し、この頃から力士を志していた。高校を中退し、家族に無断で上京。寿司屋でアルバイトしていたところを常連客の紹介により、大鵬部屋へ入門した。1973年9月場所にて初土俵を踏み、翌11月場所は序ノ口優勝を果たした。1980年7月場所で十両に昇進するも、5勝10敗と大きく負け越し、十両はこの1場所のみとなった。
小笠原 嘉(おがさわら ただし、1955年6月21日 - )… 小笠原 嘉(おがさわら ただし、1955年6月21日 - )は、青森県八戸市出身の元競輪選手。1976年モントリオールオリンピック代表。日本競輪選手会青森支部に所属していた。新山将史(98期)、新山響平(107期)の伯父。 八戸電波工業高校(現・八戸工業大学第一高校)卒。 日本大学文理学部在籍中だった1976年、モントリオールオリンピック男子4000m団体追抜競走に同郷である小笠原義明、岡堀勉と組んで出場した。記録は4'37"03で14位(予選敗退)。 その後、日本競輪学校第44期生を経て、1979年10月27日、函館競輪場でデビューし5着。初勝利は同年同月28日の同場。 2002年8月13日選手登録削除。
矢野 顕子(やの あきこ、女性、1955年2月13日 - )… 矢野 顕子(やの あきこ、女性、1955年2月13日 - )は、日本のシンガーソングライター。
須藤訓任(すとう のりひで、1955年- )は、日本の哲学者… 須藤訓任(すとう のりひで、1955年- )は、日本の哲学者。大阪大学教授。フリードリヒ・ニーチェ、ジークムント・フロイトを研究。 青森県弘前市出身。1978年京都大学文学部哲学科卒、1983年同大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。大谷大学専任講師、助教授、1999年教授、2004年10月大阪大学文学研究科教授。 2012年「ニーチェの歴史思想 物語・発生史・系譜学」で大阪大学文学博士。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西崎 憲(にしざき けん、1955年 - )は、日本の小説家… 西崎 憲(にしざき けん、1955年 - )は、日本の小説家、翻訳家、作曲家。音楽レーベル「dog and me rocords」主宰。
福井 次郎(ふくい じろう、1955年 - )は、日本の小説… 福井 次郎(ふくい じろう、1955年 - )は、日本の小説家、詩人、映画評論家。 趣味のユダヤ人研究、 映画、専門の世界史を結びつけた本を執筆している。2013年には自身初の小説も刊行した。 青森県大鰐町出身、在住。父は中学校の教員であった。日本作詞家協会に所属した時期もあった。青森県立弘前高等学校入学後は演劇部に入部した。演劇部では全国大会優勝を成し遂げた。小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャー川口淳一郎は同期。一浪の後、早稲田大学第一文学部に入学。入学後1年目の夏には弘前市で劇団「炎天下」を立ち上げた。寺山修司は大学時代、一時アルバイトしていた渋谷のパブレストランの常連であった。
成田 晋 (なりた すすむ、1954年(昭和29年)9月27… 成田 晋 (なりた すすむ、1954年(昭和29年)9月27日 - )は、日本の実業家、銀行家。プロクレアホールディングス代表取締役社長、青森放送取締役。青森県生まれ。
丹野 義彦(たんの よしひこ、1954年9月1日 - )は、… 丹野 義彦(たんの よしひこ、1954年9月1日 - )は、日本の臨床心理学者・公認心理師。医学博士。東京大学名誉教授。宮城県生まれ。 青森県青森高等学校卒。1978年 東京大学文学部心理学科卒。東大在学中に第19次『新思潮』に参加。1981年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。 1985年 群馬大学大学院医学系研究科博士課程修了。「精神分裂病における半球機能および半球間連絡機能障害:一連の認知課題による検討と批判的考察」で群馬大学より医学博士の学位を取得。群馬大学医療技術短期大学部助教授。 1991年 東京大学教養学部助教授。2006年 同教授。2018年 公認心理師養成大学教員連絡協議会会長。
佐々木 孝昌(ささき たかまさ、1954年5月27日 - )… 佐々木 孝昌(ささき たかまさ、1954年5月27日 - )は、日本の政治家。青森県五所川原市長(2期)。 青森県五所川原市出身。父親は青森県議会議員の佐々木啓二。青森県立五所川原高等学校、日本大学法学部卒業。 五所川原市でタクシー会社の津鉄観光株式会社を経営していた佐々木は2007年(平成19年)、地元の別のタクシー会社、相互タクシー株式会社に合併の話をもちかけ五所川原交通株式会社を設立。それと同時に同社の代表取締役社長に就任した。五所川原法人会会長を務める。 2018年(平成30年)4月13日、任期満了に伴う五所川原市長選挙に出馬する意向を表明した。同年6月25日に行われた市長選は、平山誠敏市長の長男でガス会社社長の平山敦士(自民党・公明党推薦)との一騎打ちとなった。
小笠原 義明(おがさわら よしあき、1954年4月29日 -… 小笠原 義明(おがさわら よしあき、1954年4月29日 - )は、青森県八戸市出身の元競輪選手。1976年モントリオールオリンピック日本代表。日本競輪選手会青森支部に所属していた。 八戸電波工業高等学校在学時代、1972年に開催された全国高等学校総合体育大会自転車競技大会の個人追い抜きで優勝。 その後、日本大学文理学部に進み、1976年のモントリオールオリンピック男子4000m団体追抜競走に同郷である小笠原嘉、岡堀勉と組んで出場した。記録は4'37"03で14位(予選敗退)。 その後、日本競輪学校第43期生(同期に滝澤正光、佐々木昭彦、小川博美、北村徹らがいる)を経て、1979年4月7日、前橋競輪場でデビューし5着。
山谷 清志(やまや きよし、1954年4月25日 - )は、… 山谷 清志(やまや きよし、1954年4月25日 - )は、日本の政治学者。同志社大学政策学部教授。専門は行政学、政策評価論、行政責任論。今村都南雄に師事。
白取 春彦(しらとり はるひこ、1954年4月11日 - )… 白取 春彦(しらとり はるひこ、1954年4月11日 - )は、日本の文筆家、翻訳家、マンガ原作者。 青森県青森市生まれ。 小さい頃から本が好きで、高校まで遠藤周作、北杜夫、ゲーテ、トーマス・マン、ダンテ、ドストエフスキーなど、あらゆる文学作品を読む。特にニーチェと三島由紀夫に感銘を受け、彼らの「ロマンチックでナルシスト」な部分に興味を抱く。 獨協大学外国語学部ドイツ語学科に進学。卒業後1979年ベルリン自由大学に留学、哲学・宗教・文学を学び、1985年に帰国。以降、宗教と哲学に関する入門書、解説書の執筆を手掛ける。 現在は週に1回、青森市内の大学青森中央学院大学で哲学「人間と倫理」の講義を担当している。
小中 肇(こなか はじめ、1954年3月23日 - )は、日… 小中 肇(こなか はじめ、1954年3月23日 - )は、日本の監督・演出家。日本映画監督協会会員。主にテレビドラマ作品を中心に活動していた。 弘前南高を経て法政大学文学部を中退。学生時代に行っていた劇団活動をきっかけとして東映撮影所の助監督となり、『バトルフィーバーJ』でチーフ助監督を務める。その後1990年に『森村誠一サスペンス』にて監督昇進。1996年の『超光戦士シャンゼリオン』を経て主にスーパー戦隊シリーズなどを手がけ、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』では年間を通じて初のメイン監督として采配を振った。 その後『爆竜戦隊アバレンジャー』では自身2度目となるパイロット版を手がけるが、途中降板。2005年には舞台『あたま山心中』の演出を手がけたが、それ以降主な演出作品はない。
手間本北栄(てまもと ほくえい、1954年3月3日 - )は… 手間本北栄(てまもと ほくえい、1954年3月3日 - )は、日本の彩書家。別号玲雲。 青森県東通村生まれ。後に本名を亀次郎から北栄に改名する。青森県立田名部高等学校2年中退後、宮城県仙台第一高等学校卒業。1973年、19歳で書道研究「麗」を主宰し、北栄書道会も設立して書道の研究に励む。 1978年から馬の絵で世界的に有名な三上隆彦に薦められ日輝展に作品を発表する(後に理事・審査員となる)。1980年、第15次全日本教育書道代表として中華民国派遣。1986年から国際展に出品する。1989年から墨一色の書から、一本の筆の先に3色~7色の顔料や濃淡の墨をつけ、一気に描き上げるカラーによる彩書作品を発表する。
津島 恭一(つしま きょういち、1954年2月4日 - )は… 津島 恭一(つしま きょういち、1954年2月4日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)などを歴任。 青森県北津軽郡金木町(現五所川原市)生まれ。青森県立青森東高等学校、武蔵大学経済学部卒業後、衆議院議員田沢吉郎の秘書を務める。1996年、第41回衆議院議員総選挙に青森4区(田沢の選出選挙区であった旧青森2区の一部)から自由民主党公認で出馬するが、新進党公認の木村太郎に敗れ落選した。2000年、第42回衆議院議員総選挙に自民党から比例東北ブロック単独で出馬するも再び落選。2003年、御法川英文の死去に伴い繰り上げ当選した。
佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月2… 佐原 若子(さわら わかこ、1953年〈昭和28年〉11月22日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(1期)、青森県保険医協会理事を歴任。 青森県五所川原市出身。青森県立五所川原高等学校から鶴見大学歯学部を卒業し、歯科医師となる。青森県保険医協会理事、歯科用レーザー認定医、小嶋歯科医院院長を務める。 2019年6月2日執行の青森県知事選挙に現職・三村申吾の対抗馬として、無所属(市民連合あおもり推薦)で立候補するが落選。 2024年10月27日執行の第50回衆議院議員総選挙に、比例東北ブロック単独の3位にてれいわ新選組公認で立候補。れいわ新選組は比例東北ブロックで1議席を獲得したが、名簿順位1位は小選挙区との重複立候補の候補2名で、共に供託金没収点(有効投票総数の10分の1)未満の得票に終わったため、佐原が初当選を果たす。
大觥 吉男(たいこう よしお、1953年10月30日 - )… 大觥 吉男(たいこう よしお、1953年10月30日 - )は、青森県青森市出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は横山 吉男(よこやま よしお)。最高位は西前頭8枚目(1978年7月場所)。現役時代の体格は174cm、133kg。得意手は左四つ、寄り。 建築業の家庭に、8人兄弟の末っ子として生まれた。もともと本人は力士になる気がなかったが、長兄は青森県下のアマチュア相撲の強豪で東奥日報杯の一般の部でも優勝しており、この長兄が熱心に角界入りを勧めた。最終的には両親の反対も押し切って、中学校在学中に二子山部屋へ入門した。 初土俵は、1968年11月場所。初土俵の同期生には、後の小結・青葉山と前頭・影虎がいる。
岩木 登(いわき のぼる、1953年10月7日 - )は、日… 岩木 登(いわき のぼる、1953年10月7日 - )は、日本の写真家。青森県十和田市出身。 青森県立三本木高等学校卒業、立教大学社会学部社会学科中退。 1982年よりフリーランス写真家となり現在にいたる。広告写真家として、リーバイス、ゴールドウィン、ブリヂストンスポーツ、ソニー・エリクソン、東芝等の企業広告の撮影を担当。その一方で、1984年から「幻色の都」というシリーズの作品を発表し、同年JPS(社団法人 日本写真家協会)展で入選。 2003年にNHK総合テレビジョン「小さな旅/20周年特別番組 東京/夜の光景」に出演。「幻色の都」の作品の紹介とインタビューを受けて、より広く知られるようになる。
坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )… 坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )は、ばんえい競走の調教師、元騎手。青森県つがる市出身。血液型O型。 1975年、5月3日騎手としてデビュー。所属は梨本照夫厩舎。5月11日にヤマトニシキで初勝利。 1983年8月17日に通算100勝、1989年11月27日に通算500勝、1995年8月28日に通算1000勝を達成した。 2003年、1月6日にばんえい史上3人目となる通算2000勝を達成した。 2007年、12月19日に2007年度第3回調教師・騎手免許試験新規合格者が発表され、調教師試験に合格したことが明らかになった。12月30日の騎乗が引退レース。 2008年、1月1日付で調教師免許が交付され、4月1日付で厩舎を開業。
櫛引 ユキ子(くしびき ゆきこ、1953年(昭和28年)6月… 櫛引 ユキ子(くしびき ゆきこ、1953年(昭和28年)6月12日 - )は、日本の政治家。青森県議会議員(4期) 青森県立五所川原高等学校卒業。田沢吉郎派重鎮市議の義父・櫛引留吉の後継として、1997年(平成9年)五所川原市議会議員選挙に初当選。
2代目 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、1953年4月3日… 2代目 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、1953年4月3日 - 2022年7月16日)は、青森県南津軽郡大鰐町出身で二子山部屋に所属した大相撲力士、第56代横綱。本名は下山 勝則(しもやま かつのり)。引退後は年寄・間垣。 大関時代までの四股名は「若三杉」だったが、横綱昇進を機に師匠の四股名「若乃花」を継承した(大関まで名乗った若三杉も当時部屋付き年寄だった11代荒磯の元関脇若三杉彰晃の四股名を継承したものである。)身長186cm、体重133kg。血液型はA型。現役時代の愛称は下の名前の勝則から「カンボ」と呼ばれていた。師匠であった初代若乃花の娘婿となったが、後に離婚。 小学校二年から青森県下の相撲大会に出場、大鰐地区の小学生相撲大会で4年連続優勝、中学2年の夏休みの作文には「将来は横綱か大関になりたい」と書いた。