飛内 将大(とびない まさひろ、1985年1月25日 - )… 飛内 将大(とびない まさひろ、1985年1月25日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。青森県むつ市出身。血液型はO型。妻は歌手のAimer。 3歳頃から実家にあったオルガンを弾きながらラジカセに録音して遊ぶようになり、小学校6年生頃から作曲を始める。青森県立田名部高等学校を卒業後、洗足学園音楽大学に進学。19歳頃からトラックメイカー、リミキサーとしてコンピレーション・アルバムへの参加やアレンジなどのキャリアをスタート。 ギターに始まり、キーボード、DJ、ドラム、デジタル・オーディオ・ワークステーションなど様々な遍歴からエレクトロやハウス系をはじめとしたエレクトロニック・ダンス・ミュージックにバンドサウンドを織り交ぜたサウンドを独自の手法で創り上げ、ポップス、ロック、ブラックミュージックなど、様々なジャンルのサウンドにも対応出来るオールラウンダーである。
岡嶋 かな多(おかじま かなた、1984年7月7日 - )は… 岡嶋 かな多(おかじま かなた、1984年7月7日 - )は、日本の女性作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、ボーカルプロデューサー。 青森県黒石市出身。幼少期をアメリカで過ごしていた帰国子女であり、現在は東京を拠点に活動している。 クレジット名は「Kanata Okajima」。 BTS、嵐、安室奈美恵、TWICE、King & Prince、NiziUを含む、多数のアーティスト、プロジェクトに楽曲を提供。オリコン1位の獲得は170回を越える。 三浦大知が歌う「仮面ライダーエグゼイド」主題歌『EXCITE』(作詞・作曲)で、日本レコード大賞 優秀作品賞を受賞。 さらに2025年には、第67回日本レコード大賞にて、作詞・作曲を手がけたM!LK『イイじゃん』が優秀作品賞を受賞し、自身にとって二度目の受賞となった。
木村 イオリ(きむら いおり、Iori Kimura、198… 木村 イオリ(きむら いおり、Iori Kimura、1983年4月20日 - )は、日本のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家。青森県青森市出身。 bohemianvoodoo、PRIMITIVE ART ORCHESTRAのメンバー。"木村イオリ & 森田晃平 DUO"、弟の木村仁星とのピアノ・デュオ、ソロ・ピアノの活動も行っている。また、tsukuyomi、宇田川別館バンドのサポート・ミュージシャンとしても活動。 5歳でピアノを始め、父親の影響で幼少期からジャズに触れる。 初めての作曲は6歳の頃。その曲は、モーションブルー横浜でのソロライブ時に演奏されたことがある。 中学の頃は、サッカー部に所属。
類家 心平(るいけ しんぺい、1976年4月27日 - )は… 類家 心平(るいけ しんぺい、1976年4月27日 - )は、日本のジャズトランペット演奏者、作曲家。青森県八戸市出身。父は版画家の類家謙次郎。 小学4年生の時に実家にあった父のトランペットをいじるうちに魅力に取りつかれ、小中学校では吹奏楽部に入部。高校生時代にジャズ・トランペッター、マイルス・デイヴィスの音楽を聴きトランペッターを志すようになる。その後、海上自衛隊に入隊。入隊直後の数ヶ月間は他の隊員と同様に団体行動の基本動作等の基本教練を受けたのち音楽隊に配属された。 6年間の自衛官生活の後に上京し、多くのミュージシャンとセッションするなどジャズをはじめ、ポップ、前衛、クラブなど、幅広く活動。
佐藤 生朗(さとういくお、1968年7月10日 - 2026… 佐藤 生朗(さとういくお、1968年7月10日 - 2026年2月25日)は 青森県弘前市出身の作曲家・歌手である。
佐藤 弘和(さとう ひろかず、Hirokazu Sato、1… 佐藤 弘和(さとう ひろかず、Hirokazu Sato、1966年1月24日 - 2016年12月22日)は、日本の作曲家、編曲家、クラシックギタリスト。左利き。ギターを演奏する際は左利き用の楽器を使用。青森県弘前市出身。 14歳の頃よりギターを始め、ほぼ同時期に作曲も独学で始める。 弘前大学教育学部音楽科卒業。ピアノを北岡敦子、波多江啓子、工藤勝衛に 師事。作曲を島一夫に師事。大学入学後初めて本格的なクラシック・ギターを入手。卒業後、ギターを渡辺範彦、永島志基に師事 。ソロ演奏や他楽器とのアンサンブルの他、東京ギターカルテット、青山忠マンドリンアンサンブルのメンバーとしても活動していた。洗足学園音楽大学クラシックギターコースにおいて講師を務めていた。
中里 あき子(なかざと あきこ、1965年5月21日 - )… 中里 あき子(なかざと あきこ、1965年5月21日 - )は、日本の女性歌手、作曲家。青森県出身。 1987年に「ウィル・ユー・リメンバー? 〜接吻はアスピリンの香り〜」で歌手デビュー。代表作は前掲曲のほか、「Ph.マーロゥの次に素敵な君へ」がある。 1965年、青森県八戸市に生まれる。3人きょうだいの第二子(兄、妹がいる)。1981年、弘前実業高等学校進学。 1984年、高校卒業と共に上京。後に所属する事務所の社長に出会ったことで芸能界デビューのきっかけを得る。 1987年6月、シングル「ウィル・ユー・リメンバー? 〜接吻はアスピリンの香り〜」で女性シンガーとしてデビュー。同曲は、フジテレビのテレビドラマ『男が泣かない夜はない』の主題歌として使われ、同ドラマに中里は俳優としても出演している。
田頭 勉(たがしら つとむ、1962年7月29日 - )は、… 田頭 勉(たがしら つとむ、1962年7月29日 - )は、日本の作曲家。元尚美学園大学音楽表現学科講師。配偶者は田頭優子。オリジナル作品の他、劇伴など放送関係の音楽を多く手がけている。 青森県八戸市生まれ。八戸高校を卒業後上京。東京芸術大学作曲学科を卒業後、同大学院作曲科を修了。芸術学修士。在学中は松村禎三に師事。日本音楽著作権協会正会員。 日本におけるアカデミックな作曲家としての登竜門的コンクールである「日本交響楽振興財団作曲賞」で第11回と第20回と2度入選し、その入選曲「叙情的幻想曲」と「REI for Orchestra」はいずれも東京交響楽団によって演奏され、NHK-FMにて放送された。
戸田 顕(とだ あきら、1959年 - )は、日本の作曲家。… 戸田 顕(とだ あきら、1959年 - )は、日本の作曲家。JASRACメンバー。青森県七戸町出身。 青森県七戸町出身。1975年(昭和50年)3月、国立音楽大学器楽科(ユーフォニアム専攻)卒業同年、東京芸術大学大学院音楽研究科入学。ユーフォニアムを大石清、指揮法をデビット・ハウエルに師事する。大学在学中より、ユーフォニアム奏者として活躍し、1978年、指揮者としてデビュー。以後、指揮者、作編曲家、クリニッシャンとして活動している。アメリカの吹奏楽作曲家を招聘したり、イリノイ州立大学(英語版)教育学部音楽科にて「日本の吹奏楽教育の現状」について講演を行うなどし、国内外での管楽器教育にも取り組んでおり、米国音楽教育機関紙「UP DATE」でも紹介された。
西崎 憲(にしざき けん、1955年 - )は、日本の小説家… 西崎 憲(にしざき けん、1955年 - )は、日本の小説家、翻訳家、作曲家。音楽レーベル「dog and me rocords」主宰。
鈴木 キサブロー(すずき きさぶろう、1953年2月14日 … 鈴木 キサブロー(すずき きさぶろう、1953年2月14日 - )は、日本の作曲家、ギタリスト。青森県弘前市出身。青森県立弘前南高等学校卒業。本名は鈴木 喜三郎(読みは同じ)。別名義にKeith Brownがある。 15歳のころから兄にギター、ウクレレを習う。B.B.キングに影響を受け、ギタリストを目指し1972年に上京。 1973年より布施明や中村雅俊、ちあきなおみなどのバックバンドでギターを担当。1977年に作詞家・岡本おさみと出会い、岡本の推薦で作曲家としてデビューする。 1980年に沢田研二に提供した「酒場でDABADA」が第22回日本レコード大賞・金賞を受賞。1986年に中森明菜に提供した「DESIRE -情熱-」は、第28回日本レコード大賞や1986 FNS歌謡祭グランプリ等多くの賞を受賞した。
浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本… 浜 圭介(はま けいすけ、1946年4月8日 - )は、日本の作曲家、元歌手。旧満洲(中国東北部)出身。 旧芸名は牧 宏次、大木 賢、浜 真二。本名は金野 孝(こんの たかし)。妻は元歌手の奥村チヨ。 1946年4月8日、旧満洲(中国東北部)の収容所で生まれ、1歳の時に日本に引き揚げる。青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。 15歳の時に高校を中退し、歌手を目指し上京。森山加代子の付き人となる。 1964年、牧 宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー。しかしヒットに恵まれず、一度青森に戻る。1966年に大木 賢(おおき けん)の芸名で『これが愛さ』で歌手として再デビュー。
桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月2… 桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月23日 - 2012年3月19日)は、日本の作曲家である。日本作曲家協会会員、日本レコード大賞制定委員会委員でもある。青森県平川市(旧南津軽郡尾上町)出身。 1957年(昭和32年)三船浩の「恋なんて捨てっちまえ」で作曲家デビュー。当時桜田はまだ18歳であった。 1986年(昭和61年)第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、北島三郎の「北の漁場」が受賞(作詞:新條カオル、編曲:斉藤恒夫)。1987年(昭和62年)第29回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、大月みやこの「女の駅」が受賞(作詞:石本美由起、編曲:丸山雅仁)。 2012年3月19日、急性白血病により死去。
川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月… 川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月29日 - )は、日本の作曲家。青森県出身。東京藝術大学音楽部作曲科卒業。多くの合唱曲を作曲している。作曲家の川崎絵都夫は息子にあたる。
菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2… 菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2021年4月24日)は、日本の作曲家、編曲家。青森県弘前市出身。日本大学藝術学部音楽学科卒業。 1961年に映画『八人目の敵』で映画音楽家としてのデビューを果たした後、1963年にはテレビドラマ『野菊の墓』で初のテレビ劇伴を担当した。 それ以来、テレビ番組や映画の劇伴・主題歌を手掛けてきた。 1931年(昭和6年)、鮮魚店の長男として生まれる。幼少のころから映画好きで、弘前市内と青森市内の映画館をほとんどハシゴしたという。 青森県立弘前工業高等学校機械科を卒業後、日本大学藝術学部音楽学科に入学し作曲を専攻。大学卒業後、プロの映画音楽家を目指して木下忠司に師事。
下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2… 下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年6月21日 - 2023年12月16日)は日本の現代音楽の作曲家。 青森県弘前市出身。1945年の第二次世界大戦終戦が一つのきっかけとなり、音楽を独習し始める。青森県立弘前高等学校卒業、弘前大学卒業。大学卒業後の1955年に上京し、松平頼則に師事。1956年「グループ20.5」を結成、第1回作品発表会を開く。1961年の第6回でグループを解散。 1969年、ISCM主催世界音楽祭(ハンブルク)に「3群の弦楽オーケストラのためのリフレクション」が入選。以後、国際的に活躍した。1979年、文化庁主催芸術祭で「管弦楽のための彩響」が芸術祭優秀賞受賞。1992年「6人の奏者とテープのための風紋V」が「ワルシャワの秋92」で世界初演。
上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月… 上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月3日 - 1980年(昭和55年)9月14日)は昭和期の作曲家。兄は同じく作曲家の上原げんと。 青森県つがる市出身。東洋音楽学校卒業。1945年(昭和20年)、召集され満州へ出征。シベリア抑留を経験し、帰国後、兄上原げんとのもとで作曲を学ぶ。後に作曲家になる船村徹と知り合い、共にバンドの仕事をするなどして、1953年(昭和28年)テイチクレコードの専属作曲家になる。主に石原裕次郎とコンビを組み、「俺は待ってるぜ」、「錆びたナイフ」、「赤いハンカチ」などを作曲した。1980年(昭和55年)9月14日心臓疾患にて死去。56歳没。墓所は東京都の小平霊園。
上原 げんと(うえはら げんと、1914年(大正3年)12月… 上原 げんと(うえはら げんと、1914年(大正3年)12月28日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は、昭和期の日本の作曲家。上原 絃人とも。弟も同じく作曲家の上原賢六。 よこはま・たそがれ - 長崎から船に乗って - かもめ町みなと町 - 待っている女 - 夜汽車の女 - 旅鴉 - あなたの灯 - 霧の出船 - ふるさと - 狼のバラード - 夜空 - 別れの鐘の音 - 紅い花 - 浜昼顔 - みれん - 明日の愛 - 哀恋記 - ひろしのさくら音頭 - 千曲川 - ふたりの旅路 - 愛の始発 - 北酒場 - 旅人 - どこへ帰る - 途中駅 - 風の子守唄 - 今日だけは - 灯りが欲しい - 潮どき - まだ乾かない油絵に - あしたも小雨 - 熱愛 - 惜春 - 蟬時雨 - おまえとふたり 倖せさがして - 日本橋のうた - ふたりの夜明け - 港・ひとり唄 - 越前有情 - 人生かくれんぼ - 愛しつづけるボレロ - 流れのままに - 契り - あなた - 雨あがり - 細雪 - 科学万博音頭 - 長良川艶歌 - そして…めぐり逢い - 夢しずく - 浪花盃 - 追憶 - それは…黄昏 - 港の五番町 - 絆 - 面影の郷 - フラワー&グリーン 花の輪音頭 - 暖簾 - 二枚目酒 暖簾 (ニューバージョン) - 心 - 吹きだまり/母人よ - 時が過ぎれば… - おしどり - 杯に歌のせて - 愛別 - 終着駅 - べにばな - 涙でもかまわない - 女・ひとり - 汽笛 - パパとあそぼう - 愛のバラードを…となりで - 酒 尽尽 - 由良川慕情 - 女の酒場 - 粋な男 - 出発の朝 - 罪と罰 - 紫陽花 - 雑草 - そして…花送り - 千日草 - 傷だらけの人生 - 北のともしび - 酒ひとり - 流れ星 - 萩の花郷 - 再り会い 京都恋歌 - 山河 - 風雪に吹かれて聞こえる唄は… - おふくろの子守歌 - 逢いたかったぜ - 渚の女 (ニューバージョン) - 傘ん中 - 北物語 - 望郷の詩 - 逢えて…横浜 - アカシア挽歌/雪燃えて - 大阪ナイトスキャンダル - ふりむけば日本海 - 高瀬舟 - 献身 - ゆめかぜ - この愛に死んでも - ふるさと ~'08バージョン~ - 橋場の渡し - テネシーワルツ - 江戸の手毬唄 - 凍て鶴 - 雪が降る - 紅い花
木村 繁(きむら しげし、1908年5月29日 - 1985… 木村 繁(きむら しげし、1908年5月29日 - 1985年)は、昭和時代日本の作曲家、音楽研究者。 青森県出身。兄は作曲家・民俗音楽収集家の木村弦三。 1908年(明治41年)、弘前市に生まれる。東奥義塾再興後の1回生であり、1933年(昭和8年)に法政大学英文科を卒業した後は小松耕輔、近衛秀麿らの師事を仰ぐ。 1947年(昭和22年)から1969年(昭和44年)まで県立弘前高校の音楽教諭を務める傍ら津軽地方の民謡を採譜・収集し、その成果を合唱曲「津軽の旋律」として1958年(昭和33年)に陸奥新報社より刊行した。作曲家としては元青森県副知事の横山武夫が作詞したものが多く、2代目「青森市民歌」をはじめ県内各地の校歌を数多く手掛けている。
明本 京静(あけもと きょうせい、1905年3月23日 - … 明本 京静(あけもと きょうせい、1905年3月23日 - 1972年10月17日)は、日本の作詞家、作曲家。本名は明本 教成。 青森県黒石市出身。旧制青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、旧制弘前高等学校卒業。東京帝国大学工学部中退。 近衛秀麿に師事し、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)でベートーヴェンの「第九」のテナー独唱者となる。 その後、しばらく鳴かず飛ばずの時代が続いたが、昭和14年(1939年)、朝日新聞社が募集した「皇軍感謝の歌」の当選作、「父よあなたは強かった」の作曲依頼が日本コロムビアに依頼され、専属作曲家12人の競作になり、採用されたのは最も無名に近かった明本の曲であった。
楠美 恩三郎(くすみ おんざぶろう、1868年4月17日(慶… 楠美 恩三郎(くすみ おんざぶろう、1868年4月17日(慶応4年3月25日) - 1927年(昭和2年)10月8日)は、日本の作曲家、教育者。東京音楽学校(現在の東京芸術大学)教授。青森県弘前市出身。 弘前藩士、楠美晩翠の三男として生まれる。1889年(明治22年)、東京音楽学校師範部を卒業。1902年(明治35年)、東京音楽学校助教授、1910年(明治43年)〜1917年(大正6年)まで同教授として活躍し、日本の音楽教育に貢献した。 また、島崎赤太郎、岡野貞一、南能衛、上真行、小山作之助らとともに、文部省編『尋常小学唱歌』の作曲委員の一人として参加し、『尋常小学読本唱歌』の編纂にもたずさわった。
伊藤 ゴロー(いとう ゴロー、Goro Ito 12月10日… 伊藤 ゴロー(いとう ゴロー、Goro Ito 12月10日 - )は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。本名:伊藤 尚規(いとう なおき)。 独特の作曲、編曲、オーケストラ・アレンジから「コードの魔術師」と呼ばれる。 幼少の頃は父親の影響でクラシック音楽(主にドイツ)一辺倒だったが、中学に入った頃にロック、ボサノヴァと出会う。影響を受けたギタリストはジョアン・ジルベルト、ラルフ・タウナー、キース・リチャーズ。影響を受けた作曲家はベートーヴェン、ガブリエル・フォーレ、ジョン・レノン、アントニオ・カルロス・ジョビン。 2005年に来日したキアラ・シヴェロ(Chiara Civello)のプロモーションライブをサポートした際、素晴らしいハーモニーだ!と賞賛される。
小林 志保(こばやし しほ、10月4日 - )は、日本の女性… 小林 志保(こばやし しほ、10月4日 - )は、日本の女性声優、ミュージシャン、作曲家。青森県弘前市出身。フリー。音楽活動での名義はWish Melodies。作曲家としてはCastle Doorに所属している。 小さい頃からアニメの主題歌やテレビで流れていた歌や親が聴いていた歌などの歌うことが好きであり、適当に自作して歌ったりしていた。幼稚園に入園してから近所のピアノ教室に通っていたが、小学校高学年時代にピアノ教室を辞めた。その頃絵本が好きで声に出して読むのも好きで、家ではごっこ遊びをしていた。アニメも好きで幼稚園時代はセーラームーンごっこをしており、セーラーヴィーナスの死亡シーンのごっこをやったりしていた。