池野 恋(いけの こい、本名:玉山智恵美 1959年4月16… 池野 恋(いけの こい、本名:玉山智恵美 1959年4月16日 - )は、日本の漫画家。岩手県稗貫郡石鳥谷町(現:花巻市石鳥谷町)出身・在住。代表作の『ときめきトゥナイト』はシリーズ累計で3000万部を超えるヒット作、他に『ナースエンジェルりりかSOS』など。1980年代から90年代にかけて少女漫画雑誌『りぼん』を代表する漫画家の一人として活躍、2000年代からは作品発表の場を主に『Cookie』に移して活動している。血液型はB型。 祖父の影響で絵を描くことが好きになり、小学校1年生のときに手塚治虫の『ジャングル大帝』を読んで漫画の面白さに衝撃を受ける。1972年、町立石鳥谷中学校に進学、2年生のときにコックリさんに似た大明神様という占いで「19歳で漫画家デビューする」という答えが出たことを友達から聞き、意識する。
吉田 清司(よしだ せいじ、1959年4月12日 - )は岩… 吉田 清司(よしだ せいじ、1959年4月12日 - )は岩手県盛岡市出身のバレーボール指導者。FC東京バレーボールチームの監督と総監督を歴任。専修大学法学部教授(スポーツ科学)。息子はフェンシングオリンピック代表選手の吉田健人。 1988年全日本女子コーチとしてソウルオリンピックを経験、1997年オーストラリア男子代表コーチ、2005年からは全日本男子アナリストに就任し北京オリンピック出場に貢献。2009年東アジア競技大会全日本男子代表監督を務めた。 2011年ロンドンオリンピック出場を目指す全日本男子チームのマネジャーに就任。
水原 洋(みずはら ひろし、1959年3月9日 - 2006… 水原 洋(みずはら ひろし、1959年3月9日 - 2006年2月24日)は、岩手県盛岡市出身のギター製作家。 彼の死を悼む作家の斎藤純やバイオリン製作家の松本伸らが中心となって、2007年から盛岡市民文化ホールを会場に「水原洋記念演奏会」が開かれている。
千田 美智仁(ちだ みちひと、1958年12月22日 - )… 千田 美智仁(ちだ みちひと、1958年12月22日 - )は、日本の元ラグビー選手。 黒沢尻工業高校→新日鐵釜石(現・釜石シーウェイブス)。現在は新日鐵エンジニアリング盛岡営業所長を務める傍ら、北上市のクラブチーム・ブレイズラガーのアドバイザーを務めるとともに、北上市立南中学校・北上ラグビースクールで指導を行っている。 釜石及び日本代表では、始めロック。日本代表ウエールズ遠征(1983)の際、第3列の大型化を図る構想のもとにフランカーにコンバート。以後、日本代表ではフランカー・No8、釜石では主にNo8を務める。 伝説のトライとして、下記が挙げられる。1983年ウエールズ選抜とのテストマッチで、後半20分過ぎの3・3・2の変則スクラムから「千田・左」のサインプレーによりダイレクトフッキングのボールを拾いスクラムサイドを駆け抜け、そのまま約30mを独走しトライ。
佐藤 智一(さとう ともかず、1958年12月17日 - )… 佐藤 智一(さとう ともかず、1958年12月17日 - )は、日本の漫画家。岩手県東磐井郡川崎村(現:一関市)出身。 川崎村立薄衣小学校、川崎村立川崎中学校(現:一関市立)、岩手県立千厩高等学校を卒業後、平松伸二とコンタロウの下で4年間のアシスタントをしたのち、1978年『一狂はん』で第9回赤塚賞佳作を受賞。同年、『週刊少年ジャンプ』8月21日号(集英社)に掲載されてデビュー。 代表作である『壁ぎわ税務官』は、フジテレビ系列金曜エンタテイメント枠にてテレビドラマ化された。『ゴーストママ捜査線』は、2012年7月期に日本テレビ系列で連続ドラマ化された。
上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、… 上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、日本の劇作家・翻訳家・演出家・俳優。「Drama Project 空中スケッチ」主宰。法政大学文学部日本文学科「比較演劇学」講師。 岩手県出身。岩手県立一関第一高等学校卒。 慶應義塾大学文学部哲学科在学中より、演劇活動を開始し、演出家・奈良橋陽子に師事。演劇集団UPS(あっぷす)の創設に参加。Method Acting(メソッド演技法)を修得し、俳優としてキャリアを積む。その後、ドラマ性の高い脚本と音楽性の高い演出で独自の世界を創造している。 父は作家・上野霄里。動物行動学者・上野吉一は実弟。
中村 三春(なかむら みはる、男性、1958年12月3日 -… 中村 三春(なかむら みはる、男性、1958年12月3日 - )は、日本の日本近代文学研究者。学位は、博士(文学)(東北大学・論文博士・2011年)(学位論文「新編言葉の意志 有島武郎と芸術史的転回」)。北海道大学教授。 岩手県釜石市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学文学部日本文学科卒、同大学院博士課程中退。2011年「新編言葉の意志 有島武郎と芸術史的転回」で、東北大学より博士(文学)の学位を取得。東北大学助手、弘前学院大学文学部講師、山形大学人文学部講師、助教授、教授を経て、2008年10月から北海道大学大学院文学研究科教授。2007年宮澤賢治賞奨励賞受賞。有島武郎、太宰治、宮沢賢治、横光利一、村上春樹、小川洋子などを専門とし、テクスト理論の立場から研究する。
千田 善(ちだ ぜん、1958年10月10日 - )は、日本… 千田 善(ちだ ぜん、1958年10月10日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、通訳・翻訳者(セルビア・クロアチア語など)、政治学者。元日本共産党中央機関紙特派員。 元・サッカー日本代表監督イビチャ・オシムの通訳を務めたことで知られる。 岩手県胆沢郡胆沢町(現・奥州市)出身。胆沢町立南都田中学校(現・奥州市立胆沢中学校)、岩手県立水沢高等学校、東京大学教育学部卒業。ベオグラード大学政治学部大学院修士課程国際政治専攻中退。専門は国際政治、民族紛争、異文化コミュニケーション、サッカーなど。 しんぶん赤旗特派員として、ベオグラード(セルビア)、リュブリャナ(スロベニア)を合わせてユーゴスラビアでの生活を10年近く送る。
KUUBO(クーボ、1958年〈昭和33年〉9月 - )は、… KUUBO(クーボ、1958年〈昭和33年〉9月 - )は、日本のレゲエミュージシャン・ベーシスト。本名は大久保晋。 岩手県釜石市出身。KUUBOとは、レゲエの本場ジャマイカのミュージシャン達の間で親しまれる愛称。 1988年、ジャマイカのゲットーエリア「トレンチタウン」に居住し、日本人レゲエミュージシャンとして初めて現地で活動して、数多くのライブ・レコーディングを行う。また、ボブ・マーリー・ファミリーのバンド「ノウリッジ」にスカウトされ1年ほどボブ・マーリーが住んでいた部屋に居候していた。 日本に帰国してからは、FIRE BALL 、PANG、MEGARYU、leccaなど多くのジャパニーズレゲエミュージシャンとバンドマスター・ベーシストとして共演している。
高橋 ジョージ(たかはし ジョージ、1958年8月13日 -… 高橋 ジョージ(たかはし ジョージ、1958年8月13日 - )は、日本の歌手、タレント、俳優である。本名、高橋 恭司(たかはし きょうじ)。音楽バンド 『THE 虎舞竜』のボーカルを務める。
多田 一彦(ただ かずひこ、1958年7月1日 - )は、日… 多田 一彦(ただ かずひこ、1958年7月1日 - )は、日本の政治家。岩手県遠野市長(2期)。行政書士。 岩手県遠野市出身。1977年岩手県立遠野高等学校卒。高校時代はサッカー部で、全国大会出場を経験した。1981年青山学院大学法学部卒。同年遠野市役所勤務。その後、市役所を退職し、首都圏の会社に勤務する。遠野市と宮守村の合併後に「宮守ブロイハウス、コテージランドかしわぎ」を運営する柏木平レイクリゾート(株)の代表取締役社長に就任し、その経営に当たる。2011年3月の東日本大震災により、NPO法人「遠野まごころネット」を結成し、理事として活動する。 2017年の遠野市長選挙に立候補したが、現職の本田敏秋との一騎打ちに敗れ落選した。
大石 満雄(おおいし みつお、1958年(昭和33年)6月2… 大石 満雄(おおいし みつお、1958年(昭和33年)6月27日 - )は、日本の政治家。元岩手県花巻市長(2期)。 岩手県花巻市出身。岩手大学大学院を修了後、旧花巻市議会議員を3期務め、2006年の合併による花巻市長選挙に立候補して当選する。2010年の選挙でも再選。2014年の選挙で上田東一に敗れ、落選した。
小沢 昌記(おざわ まさき、1958年(昭和33年)6月16… 小沢 昌記(おざわ まさき、1958年(昭和33年)6月16日 - )は、日本の政治家、実業家。元岩手県奥州市長(3期)、元奥州市議会議員(1期)、元水沢市議会議員(2期)。 岩手県水沢市(現・奥州市)出身。水沢市立水沢小学校、水沢市立水沢中学校卒業。1977年3月、岩手県立水沢高等学校卒業。1983年3月、東京経済大学経営学部経営学科卒業。同年4月、婦人服地の小売店である株式会社モミジに就職(本店・東京都武蔵野市)。1985年12月、家業の婦人服地の小売業、有限会社小沢幸に入社。1989年厄年連「戊戌会」会長、1992年水沢青年会議所副理事長、1993年日本青年会議所東北地区岩手ブロック協議会専務、1995年水沢青年会議所理事長。
鈴木 裕(すずき ゆう、1958年6月10日 - )は、日本… 鈴木 裕(すずき ゆう、1958年6月10日 - )は、日本のゲームクリエイター。株式会社YS NET代表取締役社長。株式会社SEGAR&Dクリエイティブオフィサー。[いつ?] 1980年代中盤から1990年代にかけてはセガに在籍。同社でゲームディレクター・プロデューサーの役職にあった頃は、その頃のセガを代表するアーケードゲームのヒット作を多数制作し、後に同社のR&Dクリエイティブオフィサーの一人となった。 岩手県釜石市生まれ、三陸町(後の大船渡市)出身。岡山理科大学理学部電子理学科卒業。1983年にセガに入社した。学生の頃から三次元CGを研究していたこともあり、3DCGがアーケードゲームで一般的になる以前からリアル志向の疑似3D表現を用いたゲームを多く制作していた。
渕上 清(ふちがみ きよし、1958年6月5日 - )は、日… 渕上 清(ふちがみ きよし、1958年6月5日 - )は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(1期)。大船渡市議会議員(4期)、大船渡市議会議長(第21代)を歴任。 岩手県大船渡市盛町出身。岩手県立大船渡高等学校卒業。1981年に渕上板金工業所(現:有限会社フチガミ)に入社し、2005年には同社の代表取締役に就任する。大船渡青年会議所理事長、東北ブロック商工会議所青年部連合会会長、大船渡五葉ライオンズクラブ会長なども務めた。 2007年の岩手県議会議員選挙大船渡選挙区に民主党公認で立候補したが、惜敗。2010年の大船渡市議補選で初当選し、4期務める。2020年5月には議長に就任したが、2021年1月には自身が取締役を務める株式会社地域活性化総合研究所が、事業収入の8割が市からの委託料であることから兼業禁止に抵触するとの指摘を市から受け、2月14日に議員辞職し、同研究所の取締役も辞任した。
北田 たくみ(きただ たくみ、1958年(昭和33年)3月1… 北田 たくみ(きただ たくみ、1958年(昭和33年)3月13日 - )は、日本の建築家・家具デザイナー・著作家。 株式会社「のるすく」代表取締役社長。 現在建築家と家具デザイナーとして活躍を続けている。 岩手県盛岡市生まれ。通商産業省を退省後、90年に株式会社のるすく設立。 広葉樹の無垢材を使用した家具のデザインに従事し、店舗や住宅の空間デザインを経て一級建築士事務所設立。 現在は神奈川県川崎市の溝の口駅,フィオーレの森に『のるすく建築設計室』と東京都目黒区の都立大学駅に『のるすくショールーム』がある。
高橋 比奈子(たかはし ひなこ、1958年1月19日 - )… 高橋 比奈子(たかはし ひなこ、1958年1月19日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、文部科学副大臣(菅義偉内閣)、環境大臣政務官(第2次安倍内閣・第3次安倍内閣)、岩手県議会議員(2期)、盛岡市議会議員(3期)を務めた。政治活動時には高橋 ひなことも表記される。本名は横田 比奈子。 岩手県盛岡市生まれ。盛岡市立仁王小学校、盛岡市立下小路中学校、盛岡白百合学園高等学校を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。大学4年の時にテレビ東京の朝番組アシスタントを務める。1981年、テレビ岩手報道制作局アナウンス部入社。1986年、退社しフリーアナウンサーとなり、株式会社プロアナウンサーネットワークパネットに所属。
三田 紀房(みた のりふさ、1958年1月4日 - )は、日… 三田 紀房(みた のりふさ、1958年1月4日 - )は、日本の漫画家。 岩手県北上市出身。血液型B型。岩手県立黒沢尻北高等学校を経て、明治大学政治経済学部卒業。大学の体育会に至るまでの剣道競技経験を持ち、その経験は初期の作品『空を斬る』に色濃く反映されている他、村上もとかの代表作である『六三四の剣』に影響を与えるにも至った(『六三四の剣』は三田の故郷である岩手県が舞台でもある)。 大学4年生の盆過ぎに初めて就職相談を行った結果、流通業界しか採用活動をしていなかったことから、大学卒業後はそのまま西武百貨店へ就職した。しかし1年後、2つの衣料品店を経営していた実父が、店の業績が芳しくない中で体調を崩してしまったことから、退職して岩手の実家に戻り、兄とともに家業を手伝う。
畠山 直哉(はたけやま なおや、1958年 - )は、日本の… 畠山 直哉(はたけやま なおや、1958年 - )は、日本の写真家。日本芸術院会員、東京芸術大学⼤学院映像研究科メディア映像専攻教授。 岩手県陸前高田市出身。1976年岩手県立大船渡高等学校卒業、1981年筑波大学芸術専門学群総合造形コース卒業。1984年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修士課程修了。大学では大辻清司に師事。大学卒業後は東京に移り活動を続ける。 生家の近くに大規模な石灰石鉱山があったことから、高校時代からこれらの採掘現場や工場現場の様子を油絵として描いていた。大学卒業後、岩手をはじめ日本各地を回り石灰石鉱山の現場や石灰工場、発破の瞬間、または都会の建築群や地下水路などを撮影するようになった。
佐藤 善仁(さとう よしひと、1957年10月18日 - )… 佐藤 善仁(さとう よしひと、1957年10月18日 - )は、日本の政治家。岩手県一関市長(2期)。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校・明治大学経営学部を卒業。1984年一関市役所に入る。市役所では収納課長、企画振興部次長兼企画調整課長、企画振興部長、市長公室長、総務部長などを経て、2017年から2期4年2カ月余り副市長を務める。2021年9月に行われた市長選挙に立候補し、無投票で当選した。2025年9月、無投票で再選。
瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1957年9月 - )は、日本… 瀬川 昌久(せがわ まさひさ、1957年9月 - )は、日本の文化人類学者、東北大学教授。 1957年、岩手県花巻市で生まれた。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業し、東京大学教養学部へ進み、文化人類学を専攻した。1981年に同大学を卒業し、同大学大学院に進学。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程を中退し、7月より国立民族学博物館助手となった。 1989年、東北大学教養部助教授に就いた。1989年、学位論文『東南中国の宗族と村落:香港新界の中小宗族を中心とした分析』を東京大学に提出して学術博士の学位を取得。1993年より文学部助教授。1996年、同大学東北アジア研究センター教授に昇格。2007年から2009年にはセンター長を務めた。
坂下 広朗(さかした ひろあき、1957年7月1日 - )は… 坂下 広朗(さかした ひろあき、1957年7月1日 - )は、日本の国土交通官僚。国土交通省海事局長や、国土交通省大臣官房技術総括審議官等を経て、日本海事協会会長。 1976年岩手県立盛岡第一高等学校卒業 1980年横浜国立大学工学部船舶海洋工学科卒業、運輸省(現国土交通省)入省。 1999年日本貿易振興会ロンドン・ジャパン・シップ・センター次長 2004年国土交通省海事局技術課長、国土交通省大臣官房参事官(海事局担当) 2005年海事局企画課長。日本船舶技術研究協会の設立などにあたった。 2007年海事局造船課長。 2008年海事局安全・環境政策課長。 2011年大臣官房技術審議官(海事局担当)。
平野 雅龍(ひらの がりゅう、1957年5月15日 - 20… 平野 雅龍(ひらの がりゅう、1957年5月15日 - 2016年5月25日)は、岩手県北上市出身の空手家。国際総合武道教育連盟総裁、空手道牙城會館創始館長。元・全日本フルコンタクト空手道連盟理事。教士八段。 幼少より武道を修練し、柔道、剛柔流空手、極真空手などを修行した後、自ら「創拳道」を興し、さらに大道塾など、多種の武道を研鑽して1989年(平成元年)に空手道牙城會館を設立。2000年(平成12年)には武道教育を通じての人材育成、各種武道団体との交流推進を指標として、国際総合武道教育連盟を発足させた。 現在、岩手県北上市を中心に県内各地に支部を開設し空手指導を行う一方、連盟加盟団体との交流を深めている。
猿子 恵久(さるこ しげひさ、1957年4月28日 - )は… 猿子 恵久(さるこ しげひさ、1957年4月28日 - )は、日本の政治家。岩手県雫石町長(2期)。元雫石町議会議員(3期)。 岩手県雫石町長山生まれ。岩手県立盛岡農業高等学校卒業。 2003年(平成15年)、雫石町議会議員に初当選。2011年(平成23年)、3期目の当選。同年、議長に就任。 2014年(平成26年)10月19日に行われた雫石町長選挙に立候補。この年の選挙は現職の深谷政光、元職の中屋敷十、猿子の3人の争いとなったが、次点で落選。2015年(平成27年)、岩手県農業法人協会理事に就任。 2018年(平成30年)10月28日に行われた町長選に再度挑戦。現職の深谷政光との一騎打ちを制し、初当選を果たした(猿子:4,881票、深谷:4,326票)。
鈴木 正幸(すずき まさゆき、1957年4月16日 - )は… 鈴木 正幸(すずき まさゆき、1957年4月16日 - )は、岩手県九戸郡出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 私立龍澤高校から、社会人野球の札幌トヨペットに入団。1980年の都市対抗野球にチームとして初出場。樋口博美(王子製紙苫小牧から補強)らの好投もあり決勝に進出。大昭和製紙との決勝ではリリーフとして起用されるが、佐々木正行に本塁打を浴びるなど攻略され、準優勝に終わった。 1980年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに入団。 1982年には5月から先発として起用され2勝を挙げる。1安打完投を2回も記録するほど好調だった(内訳は1勝1敗)。6月18日の対大洋戦では、2回に屋鋪要の犠飛で1点を失うも8回2死まで無安打投球だったが、投手の野村収に唯一の安打を打たれ、味方打線はその野村に1安打完封を喫したため、両軍1安打ながら負け投手になった。
小形 博行(おがた ひろゆき、1957年3月5日 - )は、… 小形 博行(おがた ひろゆき、1957年3月5日 - )は、日本の経営者。ヱスビー食品社長、会長を務めた。岩手県釜石市出身。 1979年に慶應義塾大学工学部を卒業し、同年にヱスビー食品に入社した。2012年に取締役に就任し、2014年に常務を経て、2016年6月には社長に昇格。2022年6月から2024年6月までに会長を務めた。
斎藤 純(さいとう じゅん、1957年1月5日 -)は、日本… 斎藤 純(さいとう じゅん、1957年1月5日 -)は、日本の作家、小説家。戸籍上は齋藤純であり、斎藤純はペンネームである。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第四高等学校、立正大学文学部哲学科卒業。コピーライターを経て1985年エフエム岩手に入社。FMディレクターの仕事の傍ら、1988年『テニス、そして殺人者のタンゴ』で作家デビューを果たし、1991年に小説家として独立。1994年、短編『ル・ジタン』で第47回日本推理作家協会賞短編部門受賞。2000年、フジテレビ系列にて放送の連続ドラマ『モナリザの微笑』(江口洋介主演)の企画コンセプトを元に、同名の競作小説を手がける(新潮社刊)。 2001年に、それまで13年住んだ神奈川県川崎市から、生まれ故郷の盛岡市に移住し、現在も在住。
石川 一洋(いしかわ いちよう、1957年 - )は、日本の… 石川 一洋(いしかわ いちよう、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。NHK元記者。専門はロシア情勢。NHK解説委員を務めその担当分野は、ロシア、ユーラシア、エネルギーなど。 岩手県出身。岩手県立盛岡第一高等学校(1976年卒業)、東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業後、1982年NHK入局。 1982年から1985年に秋田放送局記者、1985年から1988年に青森放送局三沢通信部記者を経て、1988年から1992年は報道局取材センター国際部記者を務め、1992年から1996年にモスクワ支局記者、1996年から1998年に報道局国際部記者、1998年から2002年に報道局国際部デスク・日露プロジェクト統括経て、2002年から2007年にはモスクワ支局長を務めた。
道又 爾(みちまた ちかし、1957年 - )は、日本の心理… 道又 爾(みちまた ちかし、1957年 - )は、日本の心理学者。専門は認知心理学、認知神経科学。上智大学名誉教授。 岩手県宮古市出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1982年茨城大学人文学部人文学科心理学専攻卒業。1988年南カリフォルニア大学大学院心理学研究科実験心理学専攻博士課程修了、Ph.D.。国際基督教大学教養学部教育学科心理学研究室副手を経て、1990年に明治学院大学文学部心理学科が設立されると同助教授に着任。1997年明治学院大学文学部心理学科教授。1998年上智大学総合人間科学部心理学科教授。2023年退任、上智大学名誉教授。元日本基礎心理学会理事・編集委員。専門は認知心理学、認知神経科学。
藤村 正之(ふじむら まさゆき、1957年 - )は、日本の… 藤村 正之(ふじむら まさゆき、1957年 - )は、日本の社会学者。武蔵大学教授・上智大学文学部教授・上智大学総合人間科学部教授などを経て、2023年より上智大学特別契約教授。上智大学副学長・教授、福祉社会学会会長、関東社会学会会長、日本社会学理論学会副会長等を歴任。 岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1980年一橋大学社会学部卒業、1986年筑波大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得満期退学、1998年博士(社会学)。 1986年東京都立大学人文学部助手、1989年武蔵大学人文学部講師、1991年同助教授、1997年同教授、2002年上智大学文学部教授、2005年上智大学総合人間科学部社会学科教授、2014年上智大学副学長(学務担当)。
菊地 広哉(きくち こうや、1957年 - )は、日本の実業… 菊地 広哉(きくち こうや、1957年 - )は、日本の実業家。インターナショナル・マネジメント・グループ日本支社(IMGジャパン)代表。 岩手県江刺市(現・奥州市)出身。1976年岩手県立水沢高等学校、1981年立教大学文学部心理学科卒業。 1981年博報堂入社。1983年よりスポーツ・マーケティング事業の立ち上げに携わり、数々の国内、海外スポーツイベントの開発、スポンサーシップ商品の開発に携わる。1989年より同僚2名と社内で「日本サッカーリーグプロ化プロジェクト」を立ち上げ、1993年のJリーグ設立に携わる。1994年よりHakuhodo Deutschland GmbH.(博報堂ドイツ)での勤務を経て、1999年に同社を退職。
村上 弘明(むらかみ ひろあき、1956年〈昭和31年〉12… 村上 弘明(むらかみ ひろあき、1956年〈昭和31年〉12月22日 - )は、日本の俳優・タレント。本名は同じ。 岩手県陸前高田市広田町出身。宮城県気仙沼高等学校卒業、法政大学法学部政治学科中退。オフィス佐々木、オスカープロモーションを経て、2024年12月1日から芸能事務所HONESTと業務提携となった。 父親は自転車店と三陸海岸でのワカメ養殖業を兼営しており、弘明も家業を手伝っていた。進学校・気仙沼高校に越境入学して卒業。医学部を目指して浪人中、映画館に入り浸って3浪した末に「東京の大学に行って教職課程を履修し故郷に帰って教師になる」と両親に言って法政大学法学部に進学。映画好きの友人が無断で応募した映画『もう頬づえはつかない』のオーディションを受けて主役にキャスティングされそうでされなかったことを切っ掛けに芸能事務所に籍を置く(後述)。
佐香 厚子(さこう あつこ、1956年〈昭和31年〉11月2… 佐香 厚子(さこう あつこ、1956年〈昭和31年〉11月23日 - )は、日本の漫画家。岩手県宮古市出身、盛岡市在住。1977年、神奈川県立外語短期大学卒業。1977年、『週刊少女コミック』(小学館)の4月24日号に『いちごパフェでデート』が掲載されデビューする。 1977年、『ちゃお』(小学館)創刊号にて『雲にのったら』を発表し、以降『ちゃお』で読み切りを多数発表。小学館では『プチセブン』『プチコミック』『Judy』『フォアレディ』で長いことレディスコミックで描き続けた。小学館のマタニティ雑誌『P-and』『幼児と保育』、学年誌、『ミニレディ百科』シリーズ等、をはじめ、実用育児書 まで多岐にわたる。
鈴木 弘規(すずき こうき、1956年9月11日 - )は、… 鈴木 弘規(すずき こうき、1956年9月11日 - )は、岩手県陸前高田市出身の元プロ野球選手(投手)。
倉成 淳(くらなり じゅん、1956年8月20日 - )は、… 倉成 淳(くらなり じゅん、1956年8月20日 - )は、日本の政治家。元岩手県奥州市市長(1期)。 岩手県水沢市(現・奥州市)出身。水沢市立姉体小学校(現・奥州市立姉体小学校)、水沢市立南中学校(現・奥州市立水沢南中学校)を経て、1975年岩手県立水沢高等学校卒業。卒業後は北海道大学農学部農芸学科に入学し、1979年に卒業。卒業後はカルピスに入社し、研究開発、生産、国際事業分野に従事し、国立予防衛生研究所などに研究生として出向した。2003年アメリカのカルピスの現地法人CALPIS USA INC.社長に就任する。2011年カルピス社発酵応用研究所長。2011年カルピス執行役員、2016年アサヒカルピスウエルネス常務取締役となる。
日蔭 暢年(ひかげ のぶとし、1956年7月9日 - )は、… 日蔭 暢年(ひかげ のぶとし、1956年7月9日 - )は、岩手県宮古市出身の日本の柔道家。身長170cm。得意技は谷落。 小学校6年の時に柔道を始めた。国士舘高校、国士舘大学卒業。 岩手県警に所属し、1983年の世界選手権78kg級で優勝するも、1984年のロサンゼルスオリンピックには国内予選で敗れて出場できなかった。1985年の世界選手権では2連覇を達成した。 その後、盛岡大学・盛岡大学附属高等学校の体育教師・柔道部顧問を経て、チュニジアのナショナルコーチとなり、その後2000年開催のシドニーオリンピック、2004年開催のアテネオリンピックで全日本女子柔道強化コーチを務める。 北京オリンピックに向けて、全日本柔道連盟(全柔連)の強化スタッフ・女子ヘッドコーチに就任。
奥友 志津子(おくとも しづこ、1956年4月1日 - 20… 奥友 志津子(おくとも しづこ、1956年4月1日 - 2026年6月25日)は、日本の女性漫画家。岩手県遠野市出身。 1975年、集英社の少女誌『りぼん』増刊夏の号にて「ねじれた時間」でデビュー。初期は主に『りぼん』や『りぼん』増刊号などで読み切りを掲載後、秋田書店の少女雑誌である『ボニータ』や『ひとみ』を中心に連載していた。代表作は通巻5冊の単行本が発行された「ドリーマー」シリーズ。 2010年から2014年まで、自らのブログ上で作品を発表していた(不定期)。 2026年6月25日に永眠したことを、同年7月5日に漫画家の中村理恵がXで報告した。70歳没。 ※出版社の明記がない作品は秋田書店発行。
夏井 高人(なつい たかと、1956年3月21日 - )は、… 夏井 高人(なつい たかと、1956年3月21日 - )は、日本の法学者。明治大学法学部(法情報学)・明治大学法科大学院教授(サイバー法)・明治大学大学院法学研究科教授(法情報学)、弁護士(元裁判官)。専門は法情報学、コンピュータ法及びサイバー法。サイバー法の権威であり、サイバー法研究の第一人者である。 岩手県宮古市出身。1974年に岩手県立盛岡第一高等学校、1978年に山形大学人文学部経済学科を卒業。1980年に司法試験合格、翌1981年に第35期司法修習生、1983年名古屋地方裁判所判事補(民事部)に任官。その後、盛岡地方裁判所判事補(刑事部)・同裁判所判事補(民事部)、千葉地方裁判所判事補(執行・保全部)、千葉家庭裁判所判事補(家事事件担当)、仙台地方裁判所気仙沼支部長判事、最高裁判所裁判所書記官研修所教官(民事、情報処理)、東京地方裁判所判事(労働部)を経て、1997年退官。
高橋 研(たかはし けん、1956年〈昭和31年〉2月27日… 高橋 研(たかはし けん、1956年〈昭和31年〉2月27日 ‐ )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学法学部卒。高校時代から曲作りを開始し、大学入学後に企画した音楽ビジネス案をきっかけとして、1979年にキャニオンレコードより、シンガーソングライターとして「懐かしの4号線」でデビュー。2枚のアルバムをリリースしライブ活動、1979年に映画『戦国自衛隊』に平井正芳1等陸士役で出演、同映画の「戦国自衛隊 オリジナル・サウンドトラック」にも参加。1980年頃には、岩手放送(現・IBC岩手放送)のラジオ番組『星空へ駆け上れ』でパーソナリティを務めていた。
新沼 謙治(にいぬま けんじ、1956年(昭和31年)2月2… 新沼 謙治(にいぬま けんじ、1956年(昭和31年)2月27日 - )は、日本の演歌歌手。 宇都宮の左官屋で働いていた19歳の頃、歌好きな親方に勧められて町内ののど自慢に出ると優勝した。すると周りから「これならおめえ、『スター誕生!』でも合格するんでねえか?」と乗せられ、同番組に応募する。しかしその後は「予選会では挑戦者700人の中から1次通過の20人には残るが、テレビに出る7人には選ばれない」という状況が4度続く。5度目の挑戦で歌唱曲を五木ひろしの『哀恋記』に変えたことで本戦出場を果たす。 後日行われた後楽園ホールのテレビ予選では、音質の良いマイクと生バンドの音で歌えたことが気持ち良くて自分の歌声に酔いしれてしまい、歌唱直後に司会の萩本から質問されてもしばらくボーッとしていたという。
佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、19… 佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、1956年2月8日 - 2009年6月27日)は、1980年代に活躍した女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。 岩手県大船渡市出身。岩手県立住田高等学校、日本体育大学卒業。大卒後は教育職を経て、瀬古利彦らがいたヱスビー食品に所属。増田明美らとともに、初期の日本女子マラソン界を代表する選手の1人だった。 5男2女の7人兄弟の末娘として生まれたことから七恵と命名される。日頃市中時代はバレーボール部に所属し、[要出典]住田高時代から兄の影響で陸上競技を始める。日体大時代までは中距離の選手としてインカレ等で活躍し、大学卒業後マラソンに進む。
照井 健(てるい たけし、1956年1月11日 - )は、フ… 照井 健(てるい たけし、1956年1月11日 - )は、フリーアナウンサー。IBC岩手放送に所属していた元アナウンサー。 岩手県花巻市生まれ。クラブ活動は中学・高校・大学と10年間テニス部だった。山形県立山形南高等学校を経て、中央大学卒業後、1978年4月にIBC入社。ラジオ『爆発ワイドラジオ新鮮組』『ワイドステーション』パーソナリティ、テレビ『ニュースエコー』メインキャスター、『じゃじゃじゃTV』司会などを歴任した。一時期体調を崩してデスク業務に専念するが、完治以降は再びテレビ・ラジオに多く出演した。 自身が担当する番組では、下ネタやオヤジギャグを飛ばす軽い面も見られるが、2011年3月11日の東日本大震災発生時は、余震でスタジオが度々大きく揺れる中、地震発生直後から16時までの1時間余り、単独で津波への警戒呼びかけや被害状況の報道を行った。
吉田 瑞彦(よしだ みずひこ、1956年〈昭和31年〉1月2… 吉田 瑞彦(よしだ みずひこ、1956年〈昭和31年〉1月2日 - )は、日本の弁護士。日本弁護士連合会理事、岩手弁護士会会長、東北弁護士会連合会副会長、日本弁護士連合会副会長などを歴任。 趣味はジャズ鑑賞・ジャズライブ鑑賞、ジャズピアノ演奏、ゴルフ
高橋 広(たかはし ひろし、1956年 - )は、日本の漫画… 高橋 広(たかはし ひろし、1956年 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。 岩手県湯田町(現在の西和賀町)出身で、現在は埼玉県吉川市在住。 岩手県立黒沢尻工業高等学校卒業後、大日本印刷に入社。1975年に退社後、ちばあきおのアシスタントとなる。1978年、『すぎ鉄砲』で第17回手塚賞佳作を受賞し、1980年に『トライ!』でデビューする。 代表作に七三太朗原作の『イレブン』(月刊少年ジャンプ)がある。
小田 祐士(おだ ゆうじ、1955年12月16日 - )は、… 小田 祐士(おだ ゆうじ、1955年12月16日 - )は、日本の政治家。元岩手県 野田村長(5期)。全国簡易水道協議会会長。 岩手県野田村出身。1978年 (昭和53年)、九州産業大学工学部卒業。1979年、野田村役場職員採用。1996年 (平成8年)、国民宿舎えぼし荘副支配人。1998年、同水道課下水道係長。2002年、同農林商工課農林係長。2004年、同主任主査。 2005年、当時の村長辞職に伴う出直し選に立候補し初当選。 2009年、村長選で同じ一騎打ちを制し再選。全国簡易水道協議会の副会長に選任された。 2013年、村長選でやはり同じ一騎打ちを制し3選。 2017年、村長選を無投票で4選。
中村 一郎(なかむら いちろう、1955年(昭和30年)12… 中村 一郎(なかむら いちろう、1955年(昭和30年)12月 - )は、日本の地方公務員。岩手県庁職員、三陸鉄道社長を経て、現在は盛岡市副市長を務めている。 1955年、岩手県盛岡市生まれ。 1974年、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。 1979年に東京大学法学部を卒業し、岩手県庁に入る。 入庁後は総務、企画、地域振興、福祉、商工などの分野を担当。2010年4月から沿岸広域振興局長、2012年政策地域部長、2014年復興局長を歴任した。 東日本大震災発生時には沿岸広域振興局長として最前線で対応に当たり、その後も復興局長として岩手県の復興業務を指揮した。 2016年3月に県庁を退職。同年6月、三陸鉄道株式会社代表取締役社長に就任。
山本 正德(やまもと まさのり、1955年8月3日 - )は… 山本 正德(やまもと まさのり、1955年8月3日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元岩手県宮古市長(4期)。 岩手県田老町(現宮古市)出身。町立田老第一小学校(現・市立田老第一小学校)、町立田老第一中学校(現・市立田老第一中学校)、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、岩手医科大学歯学部卒業。勤務医を経たのち、1984年(昭和59年)4月12日、歯科医院を開業する。 2009年(平成21年)6月28日執行の宮古市長選挙に無所属で出馬し、初当選。同年7月3日、市長に就任。2013年(平成25年)6月9日告示、6月16日投票の市長選において無投票で2期目の当選。2017年(平成29年)6月18日告示、6月25日投票の市長選挙において8年ぶりの選挙戦となり、元市議の内舘勝則を破り3期目の当選。
増子 次郎(ますこ じろう、1955年(昭和30年)7月7日… 増子 次郎(ますこ じろう、1955年(昭和30年)7月7日 - )は、日本の実業家。東北電力取締役、元取締役会長。東北経済連合会会長。 岩手県一関市出身。1971年3月一関市立桜町中学校卒業。1974年3月岩手県立一関第一高等学校卒業。中学・高校とバスケットボール部に所属。 1980年3月北海道大学大学院工学研究科原子工学専攻修士課程修了後、同年4月東北電力入社。入社後は主に原子力畑を歩む。 2011年執行役員青森支店長。2014年執行役員火力原子力本部原子力部長。2015年常務取締役火力原子力本部副本部長 火力原子力本部原子力部長。2016年常務取締役火力原子力本部副本部長。2018年取締役副社長副社長執行役員 原子力本部長 QMS管理責任者。
髙橋 敏彦(たかはし としひこ、1955年4月7日 - )は… 髙橋 敏彦(たかはし としひこ、1955年4月7日 - )は、日本の建築家、政治家。勲等は旭日小綬章。元岩手県北上市長(3期)。 岩手県北上市和賀町(旧・和賀郡和賀町)出身。1974年3月、岩手県立黒沢尻北高等学校卒業。1978年3月、日本大学理工学部建築学科卒業 。1980年、日本大学大学院理工学研究科建築学専攻博士前期課程修了 。その後高橋建築事務所に入り、設計に従事する。後高橋設計に社名変更し、代表に就任。 岩手県総合計画審議会委員のほか、特定非営利活動法人いわてNPO-NETサポートの代表理事をつとめる。日本現代詩歌文学館で、1990年、日本建築士事務所協会連合会会長賞、1991年、日本建築士会連合会私の推薦する作品優秀賞受賞。
髙橋 敏彦(たかはし としひこ、1955年4月 - )は、日… 髙橋 敏彦(たかはし としひこ、1955年4月 - )は、日本の建築家、政治家。北上市長(2期)。