針生 雄吉(はりう ゆうきち、1937年2月25日 - 20… 針生 雄吉(はりう ゆうきち、1937年2月25日 - 2025年3月27日)は、日本の政治家、医師。元公明党参議院議員(1期)。医学博士。 宮城県仙台市出身。1963年東北大学医学部卒。1968年東北大学大学院医学研究科修了。修了後は国立水戸病院や仙台市立病院などに産婦人科医として勤務する。1986年の第14回参議院議員通常選挙に比例区から公明党公認で立候補したが次点に終わる。1990年塩出啓典の衆院選立候補(落選)に伴い繰り上げ当選、1期務めた。1992年引退。 2025年3月27日午前1時18分、肺炎のため仙台市の病院で死去。88歳没。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
渡邊 洋(わたなべ ひろし、1937年1月2日- )は、日本… 渡邊 洋(わたなべ ひろし、1937年1月2日- )は、日本のフランス文学者・比較文学者。富山大学名誉教授。 仙台市生まれ。1965年東北大学文学部仏文科卒。67年同大学院修士課程修了、東北大学文学部助手、1968年岩手大学教養部講師、71年助教授、77年人文社会科学部教授、1987年富山大学人文学部教授。2001年定年退官、名誉教授。
神永 昭夫(かみなが あきお、1936年〈昭和11年〉12月… 神永 昭夫(かみなが あきお、1936年〈昭和11年〉12月22日 - 1993年〈平成5年〉3月21日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 全日本選手権大会を3度制し、猪熊功と共に1960年初頭に“神猪時代”を築いた。柔道競技がはじめて採用された1964年の東京オリンピックでは無差別級に出場するも、決勝戦でオランダのアントン・ヘーシンクに敗れて銀メダルに終わった。 宮城県仙台市出身。東北高校在学中に柔道をはじめたが、恵まれた体格のため、短期間で格段の進歩を遂げる。東北高校在学3年の時、薦められて講道館で昇段試験を受け、そこで19人抜きの快挙をなして即日3段の認定を受けた。これは当時としては破格の扱いであった。
奥山 玲子(おくやま れいこ、1936年10月26日 - 2… 奥山 玲子(おくやま れいこ、1936年10月26日 - 2007年5月6日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、版画作家である。別名、おくやま れいこ。 宮城県仙台市にて出生。小学生高学年ですでに大人の文学を読み、中学生にかけての時期には兄弟を役者にして、ストーリーと衣装を自作した舞台を毎年2回自宅で開いていた。 宮城学院中学校・高等学校から東北大学教育学部に進学。日本の敗戦で社会の価値観が変わったことから大人に対して反抗的な態度を取るようになり、高校でも変わらなかったという。東北大学への進学は父親の意向だった。 大学卒業後、上京。上京の経緯について、雑誌『週刊文春』1963年7月22日号をデジタル化した文春アーカイブスでは「外国語大学への入学を目指した」としているが、叶精二は「どうしても教員になる気にはなれず、家出同然」だったと著述しており、ニュースサイト「リアルサウンド」の記事でも「家出同然で上京」と記述されている。
阿部 博之(あべ ひろゆき、1936年10月9日 - )は、… 阿部 博之(あべ ひろゆき、1936年10月9日 - )は、日本の工学者。東北大学名誉教授。専門は機械工学(材料力学、固体力学)。東北大学工学博士。 東北大学総長、日本機械学会会長、知的財産戦略会議座長、全米技術アカデミー外国人会員、日本工学アカデミー会長等を歴任した。 1955年、宮城県仙台第二高等学校卒業。1959年、東北大学工学部機械工学科を卒業して日本電気へ入社。1967年、東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了。「薄肉および厚肉殻の弾性変形に関する理論的研究」で工学博士。同年、東北大学工学部講師となる。1968年、東北大学工学部助教授。1975年、ノースウェスタン大学客員研究員。
大槻 義彦(おおつき よしひこ、1936年6月18日 - )… 大槻 義彦(おおつき よしひこ、1936年6月18日 - )は、日本の物理学者(放射線物性、核物性、大気電気学)。早稲田大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。テレビタレント。 身長169センチメートル。宮城県角田市出身(その後茨城県古河市に在住し、東京都に拠点を持つ)。 球電(プラズマ)の物理学的研究の第一人者。1990年、電磁波で火の玉を作ることに世界で初めて成功。それまで鬼火、狐火などと呼ばれ心霊的現象とされてきた火の玉(怪火)が科学現象である可能性の一つを提示した。 超常現象のひとつとして一時期話題となった「ミステリーサークル」という呼称の先駆者でもある。 長男の大槻東巳は、父親同様に物理学者(東京大学理学部卒、上智大学理工学部物理学科教授)。
鈴木 徹(すずき とおる、1936年4月4日 - 2004年… 鈴木 徹(すずき とおる、1936年4月4日 - 2004年12月22日)は、宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身のプロ野球選手・審判員。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の古川高校を卒業後、1955年に内野手として大洋ホエールズに入団。同期に伊藤春男がいる。一軍出場のないまま引退し、1963年にセ・リーグ審判員に転じる。1963年~1993年まで31年間審判員を務め、2539試合に出場したのち、1993年シーズン終了後引退。また、1992年から1993年までは審判部主任を務めた。審判員袖番号は17。 日本シリーズの出場はないが、オールスターは4回出場、1992年第2戦(7月19日・千葉マリンスタジアム、ヤクルトの古田敦也がオールスター史上初のサイクルヒットを達成した試合)では右翼線審、出身地(宮城球場)での開催となった第3戦では球審を務めた。
若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1… 若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1日 - 2012年〈平成24年〉10月17日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。宮城県出身。本名は伊藤孝(いとう たかし)。 宮城県遠田郡涌谷町出身。父親は馬喰で獣医師をしていたが大酒飲みで、孝は幼いときからこの父に反抗しながら育った。農業高校二年時中退、家出し上京。職人見習いや新聞配達、新宿安田組の大幹部だったヤクザ(荒木恷)の下働きなどを経験。1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁され執行猶予付の判決を受ける(その時の経験により後に監督デビュー作の『甘い罠』は“警官を殺すために映画監督になった”と豪語した通りに警官殺しの映画になっている)。
大沼 清(おおぬま きよし、1936年3月12日 - )は、… 大沼 清(おおぬま きよし、1936年3月12日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 白石高校では、エースとして1953年夏の甲子園に出場。1回戦で熊本高に敗退。 1955年に国鉄スワローズへ入団。1956年に一軍に上がり、9月18日には大洋ホエールズを相手に初先発。しかしその後は登板機会がなく、1957年限りで退団、社会人野球の富士重工に移った。
大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8… 大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の女優である。本名:椎名 暁美。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。身長160cm、血液型はB型。特技はジャズダンス。東京理科大学名誉教授の大森英樹は実弟。作家の大森黎は実姉。 短大生だった19歳の時にスカウトされて日活に入社する。 テレビドラマ初出演は1957年である。 翌年から始まった『バス通り裏』にレギュラー陣の1人として出演する(十朱幸代や岩下志麻らを世に出した人気ドラマだった)。番組が終了すると活動の中心を舞台へ移し、子ども向けミュージカルで歌って踊り、1年に200本もの舞台をこなしていたという。 私生活では28歳で結婚、30代半ばで劇団を辞めて一時休業(子供はいない)。
藤村 和男(ふじむら かずお、1936年 - )は、日本の教… 藤村 和男(ふじむら かずお、1936年 - )は、日本の教育学者。財団法人 教科書研究センター研究部長。 宮城県気仙沼市上鹿折出身。小学4年生のときに茨城県日立市から疎開。宮城県気仙沼高等学校を経て、1960年東京大学教育学部教育学科(教育史・教育哲学専攻)、1961年東京大学教育学部教育行政学科(教育行政専攻)卒業。 1996年から2002年まで(財)教科書研究センター研究部長を務める。
加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心… 加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心理学者、岩手大学・東北大学名誉教授。 宮城県大崎市に生まれる。大崎市立鳴子小学校、大崎市立鳴子中学校、宮城県古川高等学校卒業、1967年東北大学大学院文学研究科博士課程(心理学専攻)中退。東北大学文学部助手、宮城県技術吏員、岩手大学教養部・人文社会科学部教授、同名誉教授、東北大学情報科学研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授、尚絅学院大学教授を務めた。1992年「認知の体制化に関する研究」で東北大学博士(文学)。2015年11月瑞宝中綬章受章。
村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月… 村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月15日 - 2008年(平成20年)1月21日)は、日本のメディアプロデューサー、実業家。テレビマンユニオン社長。東京国際大学国際関係学部教授。宮城県仙台市出身。東京大学文学部卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
牧 昌見(まき まさみ、1935年10月29日 - 2009… 牧 昌見(まき まさみ、1935年10月29日 - 2009年9月8日)は、学校経営学・教育行政学者。国立教育政策研究所名誉所員。 宮城県白石市出身。1958年東北大学教育学部卒、67年同大学院教育行政学専攻博士課程修了、「教員資格制度の発達に関する研究」で教育学博士。1963年東北大学教育学部助手、1967年国立教育研究所研究員、74年同研究室長、90年研究部長、その後、同研究所次長を経て退官。1996年聖徳大学児童学部教授。国立教育政策研究所名誉所員。晩年は、政策研究大学院大学の講師も務め、病魔に冒されながらも、2009年8月の集中講義を終えて、同年9月に逝去。 研究姿勢はあくまでも学校や教育委員会の現場に根付いたもので、全国の多くの教育長や学校管理職、教育センター職員から親しまれ、特に川崎市の学校管理職と共に学校経営診断カードの作成を試みたことで広く知られる。
幕田 圭一(まくた けいいち、1935年〈昭和10年〉9月1… 幕田 圭一(まくた けいいち、1935年〈昭和10年〉9月11日 - 2021年〈令和3年〉11月28日 )は日本の元実業家。東北電力元社長、東北経済連合会会長を務めた。宮城県白石市出身。 福島大学経済学部卒業後、東北電力入社。2001年に社長に就き、2002年の女川原発3号機の運転開始など電源開発を進め、燃料部門の経験を生かして調達先の多様化に取り組んだ。また任期中に2度の電気料金引き下げも決めた。2005年に会長に退く。 東北経済連合会会長時代には、2006年に東経連事業化センター、2007年に7県などと東北観光推進機構を設立し、東北経済の発展に尽力した。このほか、2006〜2015年には仙台フィルハーモニー管弦楽団理事長も務めた。
針生 宏(はりゅう ひろし、1935年6月2日 - )は日本… 針生 宏(はりゅう ひろし、1935年6月2日 - )は日本映画のプロデューサー。宮城県仙台市出身。美術評論家針生一郎は兄。 仙台一高を経て、東京大学経済学部を卒業。1960年に東宝へ入社。東宝撮影所に配属され、映画『慕情の人』より助監督を務める。演出部からテレビ部企画係、文芸部を経て、1971年に東宝映画へ出向。その後東宝テレビ部に移籍。 映画『モスラ』では、チーフ助監督の野長瀬三摩地からの指示で劇中歌「モスラの歌」のインドネシア語歌詞をカタカナに書き起こした。針生は、曲をつける際に歌いやすいよう変えるだろうと考えていたが、完成作品では針生の書いたものがそのまま使われており驚いたという。
星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16… 星 亮一(ほし りょういち、1935年〈昭和10年〉5月16日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、日本の小説家。東北史学会会員、日本文芸家協会会員。福島県郡山市在住。血液型B型。 宮城県仙台市生まれ。岩手県立一関第一高等学校。東北大学文学部国史学科卒業。後に日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了。専攻は日本近現代史。 大学卒業後、福島民報社に入社。最初の赴任地が会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に参加した。 1970年(昭和45年) 1月5日、この年の春に開局する福島中央テレビへ移籍。プロデューサー、制作部長、報道制作局長を歴任後、作家に専念。先祖は仙台藩重臣・佐藤宮内の家中で、戊辰戦争・白河口の戦いにも参戦したこともあり、戊辰戦争は作家としての大きなテーマの一つだった。
保原 喜志夫(ほばら きしお、1935年5月11日 - 20… 保原 喜志夫(ほばら きしお、1935年5月11日 - 2009年2月19日)は、日本の法学者。専門は、労働法・労災補償法・労働安全衛生法・産業医に関する研究。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1966年)。北海道大学名誉教授。宮城県出身。指導学生に加藤智章(北海道大学名誉教授)など。
佐々木 康之(ささき やすゆき、1935年2月20日 - )… 佐々木 康之(ささき やすゆき、1935年2月20日 - )は、日本の畜産学者・農学者。専門は、畜産学。農学博士(東北大学)。東北大学名誉教授。元帯広畜産大学学長。元三島学園女子短期大学学長。 宮城県仙台市生まれ。1957年(昭和32年)東北大学農学部畜産学科卒業。1963年(昭和38年)同大学院農学研究科畜産学専攻博士課程修了、農学博士。論文名は「反芻動物の唾液及び唾液分泌に関する研究」。 1963年6月、農林水産省東北農業試験場農林技官。1968年(昭和43年)東北大学農学部助手。1982年(昭和57年)同助教授。1987年、同教授。1994年(平成6年)農学部部長。1998年(平成10年)東北大学を停年退官、同名誉教授。
山田 明爾(やまだ めいじ、1935年〈昭和10年〉2月18… 山田 明爾(やまだ めいじ、1935年〈昭和10年〉2月18日 - 2015年〈平成27年〉8月10日)は、宮城県仙台市出身の仏教学者。文学修士。龍谷大学名誉教授。龍谷大学仏教文化研究所研究員。岐阜市の浄土真宗本願寺派教徳寺住職。
中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2… 中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2日 - 2024年〈令和6年〉10月1日)は、日本の実業家。電子機器メーカー・アンリツの元社長。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。 宮城県古川高等学校卒業。1958年に山形大学工学部電気工学科を卒業し、安立電気(現・アンリツ)に入社。1991年に取締役、1995年6月に専務に就任。 翌年6月、菅居紳至のあとを受けて61歳で社長に昇格。海外部門の再編成に注力し、1国に複数のグループ企業が所在していた状態を1国1社に整理した。 2000年6月に退任して会長。社長の後任には塩見昭が就いた。2001年4月に藍綬褒章を受章。 2024年10月1日に死去。
曽根 敏夫(そね としお、1935年 - )は、日本の音響学… 曽根 敏夫(そね としお、1935年 - )は、日本の音響学者、東北大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授。専攻は音響学、環境工学、情報通信工学。 曽根が生まれた1935年(昭和10年)は世界恐慌の余波が残る中で日本が戦時体制へと向かっていた時期であった。その後、太平洋戦争が勃発し、日本は敗戦をむかえる。戦後、日本はGHQによる占領政策のもとで復興を進め、1950年代には高度経済成長の兆しが見え始める。この時期、科学技術の発展が日本の産業復興を支える重要な要素となり、特に電気、通信、音響といった分野での研究が加速していった。 1935年(昭和10年)宮城県に生まれる。1953年(昭和28年)に宮城県古川高等学校卒業。
高橋 勇悦(たかはし ゆうえつ、1935年 - )は、日本の… 高橋 勇悦(たかはし ゆうえつ、1935年 - )は、日本の社会学者、旧・東京都立大学名誉教授。専攻は都市社会学。 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。1958年東北大学文学部社会学科卒。63年同大学院博士課程満期退学。立正大学講師、明治学院大学助教授、東京学芸大学助教授、東京都立大学教授、99年定年退官、名誉教授、大妻女子大学教授。2006年退職。94年日本都市学会賞受賞。
守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 20… 守屋 克彦(もりや かつひこ、1934年9月26日 - 2018年11月1日)は、日本の元裁判官・弁護士・法学者。専攻は、刑事訴訟法・少年法。東北学院大学教授。元仙台高等裁判所秋田支部長。東北大学で鴨良弼に師事。菊田クリミノロジー賞受賞。
樋口 陽一(ひぐち よういち、1934年9月10日 - )は… 樋口 陽一(ひぐち よういち、1934年9月10日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は法学博士(東北大学・1964年)。東北大学名誉教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員、日仏会館名誉理事長。 東北大学法学部教授、東京大学法学部教授、上智大学法学部教授、上智大学社会正義研究所所長、早稲田大学法学部特任教授などを歴任した。清宮四郎門下。弟子に渡邊康行、山元一、石川健治、蟻川恒正、毛利透など。 宮城県仙台市出身。仙台第一高等学校卒業後、東北大学法学部法学科入学。英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語等の語学に堪能で、それを生かして比較憲法学に取り組んだ。東北大学より法学博士、パリ第2大学(パンテオン・アサス)より名誉博士を授与される。
千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011… 千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011年5月31日)は、日本のフェンシング選手、指導者、政治家。宮城県本吉郡本吉町長(4期)。 宮城県本吉郡本吉町(現在の気仙沼市)津谷松岡出身。実家は味噌醤油で知られるカネセン徳田屋。宮城県仙台第一高等学校、明治大学卒業。 仙台一高ではフェンシング部を創設。大学時代には、全日本選手権エペ3位、フルーレ5位の成績を収めている。 1955年、宮城県鼎が浦高等学校フェンシング班コーチに就任。同校にフェンシング同好会を発足させた顧問と共に、鼎が浦高校を宮城県高校総体団体・個人優勝に、さらにインターハイ団体優勝、1958年には4連覇に導いた。教え子には1964年東京オリンピック出場の大和田智子などがいる。
伊藤武(いとう たけし、1934年3月5日 - 2020年7… 伊藤武(いとう たけし、1934年3月5日 - 2020年7月5日)は、日本の経済学者、大阪経済大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第二高等学校卒、1957年東北大学経済学部卒、63年同大学院経済学研究科博士課程中退、84年「マルクス信用論の解明」で経済学博士。1963年大阪府立商工経済研究所所員、1968年大阪経済大学講師となり、72年助教授、81年教授。87-89年経済学部長を務め、2004年定年、名誉教授となる。
日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 200… 日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 2003年7月6日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 仙台弁護士会副会長、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第14代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院農林水産委員長、郵政大臣(第61代)、社会民主党副党首などを歴任した。 宮城県桃生郡河北町(現石巻市)生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了(同期に佐々木秀典)。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。 父である日野吉夫の衆議院議員引退に伴い、成田知巳日本社会党委員長(当時)の勧めを受け、1976年の第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第2区から立候補し、初当選。
大友 篤(おおとも あつし、1934年 - )は、日本の社会… 大友 篤(おおとも あつし、1934年 - )は、日本の社会学者、統計学者、人口地理学。宇都宮大学教授、日本女子大学人間社会学部教授。 1934年(昭和9年)宮城県古川市に生まれる。1952年(昭和27年)に宮城県古川高等学校卒業、1956年東北大学理学部卒業、1976年理学博士。現在一般財団法人日本統計協会の研究員を務める。過去には総理府統計局、国際連合アジア経済研究所、総理府統計研究所や宇都宮大学、日本女子大学人間社会学部・人間社会工学部で教授を歴任。社会の変化をデータから読み解く研究に取り組んでいる。 21世紀に入り、少子高齢化や都市化、女性の社会進出など、日本社会は急速に変化している。こうした変化を正しく理解し、政策に生かすためには、統計データを活用した科学的な分析が不可欠となっている。
中嶋 明勲(なかじま あきのり、1933年12月23日 - … 中嶋 明勲(なかじま あきのり、1933年12月23日 - 2010年4月21日)は、教育社会学者。 仙台市出身。東北大学教育学部卒、同大学院博士課程修了、「社会学的教育思想の形成 フランスに於ける「社会学主義」を中心に」で教育学博士。愛知教育大学助教授、教授、90年名誉教授、名古屋工業大学教授、金城学院大学教授、東北学院大学教授。 長男は分子生物学者・東北大学准教授の中嶋正道(1960 - )。
片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月2… 片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の外交官。湾岸戦争時にイラク駐箚特命全権大使を務めた。 1933年(昭和8年)10月22日、東京に生まれる。本籍地は宮城県。片倉家は伊達政宗の乳母喜多の名跡を継いだ田村宗顕の後裔に当たる。夫人は民族学者の片倉もとこ。 旧制宮城県佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1953年(昭和28年)4月、東京大学教養学部理科Ⅱ類に入学する。1954年(昭和29年)4月、東大教養学部文科Ⅰ類に入学する。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)までダートマス大学に留学した。1959年(昭和34年)東大法学部公法科に戻り、在学中の同年9月、外務公務員採用上級試験に合格する。
金森 馨(かなもり かおる、1933年9月3日 ‐ 1980… 金森 馨(かなもり かおる、1933年9月3日 ‐ 1980年11月1日)は、日本の舞台美術家。1980年に胃癌のため47歳で死去。 東京都江古田生まれ。中国青島で育ち、実相寺昭雄と出会う。終戦後北京で過ごした後宮城県白石市に引き揚げる。宮城県立白石高校では演劇部在籍後、1950年に東京立正高校に転校。文化学園美術科中退。1951年文学座舞台美術研究生。1952年文学座公演「恭しき娼婦」でデビュー。1954年劇団四季に入団。 1955年「野生の女」で、初めて衣装デザインを手がける。このころ土方巽や河原温が住む赤坂(港区)の「赤坂梁山泊」(進駐軍専用の連れ込み宿)と呼ばれるアパートに住み彼らと交友する。
菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16… 菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉11月28日)は、日本の俳優・声優・ラジオパーソナリティ・農業従事者である。 キャリアを始めた時は、その身長(178cm)を活かしファッションモデルとして活躍。その後の俳優としての出演作品は非常に多く(#出演作品)、映画のシリーズものとしては具体的には「現代やくざシリーズ」、『関東テキヤ一家』シリーズ、『まむしの兄弟』シリーズ、『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズなどがある。俳優としていわゆる「下積み」の時代が長かったが、39歳の時に公開された映画『仁義なき戦い』の大ヒットで有名になり、俳優としての地位を確立した。
小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は… 小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 宮城農学校から、社会人野球の電電東北を経て、1954年に東映フライヤーズに入団。しかし、前半は土井垣武・後半は山本八郎の陰に隠れ、控えでの出場が主だった。野村克也と同期であり、対戦したこともある。1958年に東映を退団した。 プロ退団後は社会人野球に復帰し、常磐炭礦(現・常磐興産。スパリゾートハワイアンズの経営会社として有名)、岩崎電気でプレーした。岩崎電気在籍中は、1963年に第13回日本産業対抗野球大会(通称:サンベツ)にも出場した。 現役引退後は、ヨークベニマル硬式野球部監督を務めた。 その後、2020年現在は福島県いわき市の中学硬式野球チーム「いわきリトルシニア」の会長を務めている。
藤井 一行(ふじい かずゆき、1933年3月30日 - 20… 藤井 一行(ふじい かずゆき、1933年3月30日 - 2015年12月25日 )は、日本の政治学者、ロシア思想史学者、富山大学名誉教授。 宮城県大崎市生まれ。1951年岩手県立黒沢尻高等学校卒業、東京外国語大学ロシア語学科入学。3年生に進級したあと、肺結核のため2年間休学。1957年同大学卒業。同年、一橋大学大学院社会学研究科入学、金子幸彦に師事。1965年一橋大学大学院博士課程満期退学。1967年、札幌大学外国語学部ロシア語学科助教授。1972年金沢大学教養部助教授(ロシア語)。1978年富山大学人文学部教授(ロシア語ロシア文学コース担当)。1998年、富山大学を定年退官、名誉教授。 19世紀ロシアの民主主義思想、20世紀初頭のロシア・マルクス主義(とりわけレフ・トロツキー)、スターリン主義体制、北朝鮮体制などを研究してきた。
尾形 英夫(おがた ひでお、1933年2月20日 - 200… 尾形 英夫(おがた ひでお、1933年2月20日 - 2007年1月25日)は、TMF代表取締役社長、元徳間書店常務取締役、『アニメージュ』初代編集長。宮城県気仙沼市出身。 宮城県気仙沼市松岩出身。宮城県気仙沼高等学校、明治大学卒業。 1961年に徳間書店入社後『アサヒ芸能』編集長などを経て、日本初のアニメ専門雑誌『アニメージュ』を創刊し初代編集長。誌名の由来は「animation」と「image」をミックスさせ、「アニメージュ」(Animage)とした。 アニメーターに目を掛け、漫画家として発掘するという手法を実践し特集号を多く組み、部数増加に成功。宮崎駿『風の谷のナウシカ』を『アニメージュ』(1982年 - 1994年)で連載させ、1984年春公開の同劇場版アニメ『風の谷のナウシカ』や、1986年夏公開の『天空の城ラピュタ』でプロデューサーをつとめる。
西田 耕三(にしだ こうぞう、1933年(昭和8年)2月16… 西田 耕三(にしだ こうぞう、1933年(昭和8年)2月16日 - 2016年12月27日)は、日本のフリーライター、地方史家、出版事業者。宮城県気仙沼市出身。大学(不明)中退後、記者、商工会議所勤務を経て、1976年より出版社・耕風社を始める。『三陸地方総合誌』主宰。東日本大震災で住居が全壊し、山形県にて被災避難生活していた。
彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日… 彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日本の社会評論家、翻訳家、社会運動家。 宮城県仙台市生まれ。1945年旅順工科大学勤務の父について渡り、3か月後敗戦。1949年帰国。1957年東北大学文学部国史学科卒業、1967年早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻博士課程満期退学。 木材検収員、通訳、非常勤講師(芝浦工業大学)などをしつつ戦争論や社会評論活動を行う。九条の会会員。 父は物理学者で新潟大学名誉教授の彦坂忠義。弟は物理学者で広島大学名誉教授の彦坂正道。母方の祖父は西洋史学者の阿刀田令造。妻は作家・フランス文学者の白井愛。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
我妻 建治(あがつま けんじ、1933年2月11日 - 20… 我妻 建治(あがつま けんじ、1933年2月11日 - 2022年10月25日)は、日本の歴史学者。第9代学校法人成城学園学園長、第13代成城大学学長、成城大学名誉教授。白石城調査指導委員会委員長、NHK放送研修センター評議員等も務めた。 宮城県白石市生まれ。宮城県白石高等学校を経て、東北大学卒業。1982年『神皇正統記論考』で東北大学文学博士の学位を取得。 成城大学文芸学部教授、成城大学民俗学研究所主事、成城大学文芸学部長等を経て、2001年から2007年まで第13代成城大学学長、2003年から2007年まで学校法人成城学園学園長。白石城調査指導委員会委員長や、財団法人NHK放送研修センター評議員等も務めた。
角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 20… 角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 2024年9月1日)は、日本の卓球選手。荻村伊智朗、田中利明らと共に日本卓球界に黄金時代を築き、「史上最速の強打者」と言われた選手。 宮城県志田郡古川町(現在の大崎市古川)出身。旧制宮城県古川中学校時代に卓球を始め、宮城県古川高等学校卒業と同時に大学入学の費用を稼ぐため、東京・日暮里の卓球ラケットメーカー・アームストロング (卓球)に就職。3年間の社会人生活を送る。アームストロングが建設した東京卓球会館の2階の6畳一間に住み込みで働き、仕事終了後は東京卓球会館で腕を磨いた。当時、東京卓球会館には荻村伊知郎、富田芳雄、大川とみなど、錚々たる顔ぶれが練習にきており現在では「伝説の卓球場」と呼ばれている。
川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月1… 川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月16日 - )は、日本の政治家。元・宮城県白石市長(5期)。 白石市の食品卸問屋を営む家庭に生まれる。東北大学経済学部で安井琢磨から教えを受ける。安井からは研究生として学窓に残る勧誘を受けたが、親の意向により中退後は家業を継いだ。 自由民主党宮城県連で青年部長などを務め、本人の回想では1974年の第10回参議院議員通常選挙に立候補した遠藤要の演説原稿の執筆もおこなっていた。宮城県知事の山本壮一郎に師事する。 1984年11月に白石市長に当選し、以後2004年まで5期務めた。この間、全国市長会副会長も務めた。 市長在任中は産業廃棄物最終処分場の建設を阻止するため、1998年に住民投票を実施し、最終的に建設中止に持ち込んだ。
出村 彰(でむら あきら、1933年1月12日 - )は、日… 出村 彰(でむら あきら、1933年1月12日 - )は、日本の神学者、東北学院大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1955年、東北学院大学文経学部英文学科卒。1957年、東京神学大学卒。1959年、同大学院修士課程(組織神学)修了、東北学院大学助手。1964年、プリンストン神学校神学博士。バーゼル大学神学博士。 その後、東北学院大学助教授、同教授。同副学長を歴任。定年退職後には、2007年より学校法人宮城学院理事長も務めた。 1972年、日本宗教学会賞受賞。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考… 石野 博信(いしの ひろのぶ、1933年 - )は、日本の考古学者。奈良県立橿原考古学研究所研究嘱託、兵庫県立考古博物館名誉館長。主として古墳時代を研究領域としており、とくに纒向遺跡の発掘調査に携わったことで知られる。 1933年、宮城県牡鹿郡渡波町(現・石巻市)で生まれた。宮城県石巻高等学校を経て、関西学院大学文学部に入学し、考古学を専攻。関西大学大学院に進み、修了。 大学院修了後、兵庫県教育委員会に勤務して文化財の調査と研究にあたった。のち、奈良県立橿原考古学研究所所員に転じた。同研究所では、1971年より関川尚功とともに奈良県桜井市の纒向遺跡の発掘調査に携わった。纒向遺跡出土土師器の分類によって纒向編年を行い、また、外部からもたらされた大量の土器の存在から纒向遺跡を3世紀の都市的な遺跡であることを明らかにした。
丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月… 丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月23日 - 2021年(令和3年)10月25日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取、仙台商工会議所会頭などを歴任した。 出生地は現在の登米市だが、実家は、姓の由来でもある宮城県丸森町の山林地主にあたる。 宮城県佐沼高等学校、東北大学時代は野球部で捕手として活躍。同大野球部でバッテリーを組んだ先輩が七十七銀行に入行しており、その紹介もあって就職を決める。 労働組合書記長や委員長を歴任したほか、人事部長に就任するまで14年間にわたり人事部に在籍。それ以降は、ほとんど営業一筋にキャリアを積んだ。 2001年(平成13年)頭取に昇格し、不良債権処理を進め、強固な経営基盤の確立や人材育成に力を入れた。
實方 謙二(さねかた けんじ、1932年11月20日 - 2… 實方 謙二(さねかた けんじ、1932年11月20日 - 2014年1月23日)は、日本の法学者。専門は、経済法・独占禁止法・アメリカ反トラスト法。学位は、法学博士(東京大学)。北海道大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 山本・森・松尾法律事務所弁護士(大阪弁護士会所属)。宮城県仙台市出身。「実方謙二」とも表記される この他、コロンビア大学法学部客員教授(1983年)やメルボルン大学法学部客員教授(1986年)、公正取引委員会「情報・通信産業と競争政策研究会」座長(1988年~1996年)、公正取引委員会「流通・取引慣行と競争政策検討委員会」座長(1989年~1990年)も務めた。
矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1… 矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1日 - )は、日本の詩人、英文学者、北星学園大学名誉教授。 宮城県石巻市生まれ。1955年東北学院大学文経学部英文学科卒業。1962年国際基督教大学大学院博士課程満期退学。1965年米国インディアナ州ゴーシェン大学大学院修了。1966年北星学園大学助教授、教授、1999年退職、名誉教授、北海道文教大学教授。2009年退職。日本現代英米詩学会会長、日本キリスト教文学会北海道支部会会長などを歴任。現代英米詩の翻訳を手がけ、多数日本に紹介した。詩誌「新現代詩」「Aurora」同人 。アナバプテスト・メノナイト教会シャローム集会責任者。 長男の矢口洋生は仙台白百合女子大学学長。
佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24… 佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24日 - 2009年(平成21年)7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。札幌高等検察庁検事長、参議院議員(2期)を務めた。 宮城県仙台市出身。仙台一高、東北大学法学部卒業。1955年に司法修習生。1957年に検察庁に入り、札幌地検検事、法務省刑事課長、東京地検刑事部長、横浜地検検事正、最高検刑事部長、札幌高検検事長などを歴任。 東京地検特捜部では、1972年の沖縄返還交渉での西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山太吉の私的なスキャンダルに向けさせた。
佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 201… 佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 2017年2月10日)は、東急レクリエーション元社長。
及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は… 及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は、日本のフランス文学者。茨城大学名誉教授、弘前大学教授、愛国学園大学教授。専門はフランス文学(近代詩、文芸批評)。 宮城県生まれ。宮城県古川高等学校卒業。1961年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。弘前大学、茨城大学を経て、愛国学園大学教授。日本フランス語フランス文学会会員、H.Boco研究会会員。みずから詩も書く。トドロフ、セール、バシュラールなどフランス思想書の数々の翻訳でも知られる。 2011年、瑞宝中綬章受章。