菊地 清(きくち きよし、1946年 - )は、山形県鶴岡市… 菊地 清(きくち きよし、1946年 - )は、山形県鶴岡市出身の絵本作家、造形作家。 山形県鶴岡市に生まれる。国学院大学を卒業。1971年よりコピーライター、クリエイティブディレクターとして広告、CM、セールスプロモーションの企画制作を手がける。1988年以降は絵本作家・造形作家として、絵本やポップアップカード、ペーパーアートの実用本創作に重点をおいた活動を続けている。1996年に福島県岩瀬郡鏡石町にアトリエを構え、自然と向き合いながら、木や石、ステンレスなど多彩な素材の造形物をはじめ、立体・平面を問わない自由な創作を心がけている。また、教育施設での親子造形教室、生涯学習教室、カルチャースクール教室での講師やワークショップなどを行っている。
吉田 司(よしだ つかさ、1945年〈昭和20年〉9月29日… 吉田 司(よしだ つかさ、1945年〈昭和20年〉9月29日 - )は、日本のノンフィクション作家。 山形県山形市出身。父親が両足が不自由になり、母親(吉田コト(子))は農村で「一銭店」と呼ばれる雑貨屋を営むことになる。毎晩、酔っぱらった農民たちが押し寄せ、卑猥な宴会を開いたり母親を誘う状態を目の当たりにしており、身障者の家庭から快楽の種を貪りとろうとする農民や封建的なムラの風土への憎悪を抱く。これらの経験を通して得た日本人の原像とつながる村落共同体への反発が、インテリが陥いりがちな民衆への無条件な賛美とは一線を画する後の活動の原点となった。 山形県立山形東高等学校卒業。早稲田大学第一文学部に入学。
佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )… 佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )は、日本の歴史学者。フランク王国史を中心とする西洋中世史の研究で世界的に著名。名古屋大学名誉教授、日本学士院会員、フランス学士院碑文・美文アカデミー外国人連携会員。 名古屋大学大学院教授、フランス社会科学高等研究院客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、パリ第1大学招聘教授、西洋中世学会会長などを歴任。日本学士院賞受賞。 山形県東田川郡余目町(現・庄内町)出身。1964年山形県立酒田東高等学校卒業、1968年中央大学法学部法律学科卒業。1973年早稲田大学大学院文学研究科西洋史専修修士課程修了、1976年同博士課程単位取得退学。1969年から1971年 カーン大学人文学部留学。
佐藤 輝(さとう てる:1945年〈昭和20年〉3月10日 … 佐藤 輝(さとう てる:1945年〈昭和20年〉3月10日 ‐ )は、日本の俳優、ミュージカル俳優、声優。本名は、佐藤 輝昭(さとう てるあき)。オフィス天童所属。 山形県余目町(現・庄内町)出身。余目町立余目小学校、余目中学校を経て山形県立酒田東高等学校卒業[要出典]。劇団俳優小劇場養成所2期生。歌って踊れる個性派俳優として演技力、歌唱力が高く評価されている。1976年より20年間、劇団動物園にて活動。 ミュージカル『ラ・マンチャの男』にサンチョ・パンサ役で1995年から出演、2008年の帝劇公演でサンチョ役484回の日本最多出演を記録した。『子午線の祀り』(伊勢三郎義盛役)、『チャングムの誓い』(養父カン・ドック役)、『おしん』(定次役)、大河ドラマ『元禄繚乱』の忠僕八助役など代表作多数。
佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日… 佐高 信(さたか まこと、1945年〈昭和20年〉1月19日 - )は、日本の評論家、東北公益文科大学客員教授。元「週刊金曜日」編集委員。山形県酒田市出身。 「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人を務める。 近年はYouTube番組であるデモクラシータイムスの『3ジジ放談』に平野貞夫、前川喜平と共に出演している。 2022年、全7巻の『佐高信 評伝選』(旬報社)が刊行されている。 父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師で、支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)。山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。
五十嵐 勲(いがらし いさお、1945年(昭和20年) - … 五十嵐 勲(いがらし いさお、1945年(昭和20年) - )は、日本の教育学者、東京都市大学客員教授、早稲田大学大学院教職研究科客員教授。山形県鶴岡市出身。 ※2004年 武蔵工業大学付属中学校校長に着任。
後藤 広喜(ごとう ひろき、1945年 - )は日本の漫画雑… 後藤 広喜(ごとう ひろき、1945年 - )は日本の漫画雑誌編集者。『週刊少年ジャンプ』の第4代編集長。 山形県鶴岡市出身。1970年に東京教育大学(現・筑波大学)を卒業して集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部へ配属され、「アストロ球団」(遠崎史朗・中島徳博)、「さわやか万太郎」(本宮ひろ志)、「ドーベルマン刑事」(武論尊・平松伸二)、「私立極道高校」(宮下あきら)、『キャッツ♥アイ』(北条司)などを担当。中島徳博の初代担当者として有名である。その後、副編集長を経て1986年から1993年までに週刊少年ジャンプ編集長を務め、生え抜き編集長第一号となった。 後に集英社取締役を経て、2002年9月、集英社の子会社である創美社(現・集英社クリエイティブ)に常務取締役として出向。
鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山… 鬼海 弘雄(きかい ひろお、1945年 - )は、写真家。山形県寒河江市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。
田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - 202… 田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - 2023年2月8日)は、日本の政治ジャーナリスト、日本経済新聞客員コラムニスト。
佐藤 清(さとう きよし、1944年(昭和19年)7月21日… 佐藤 清(さとう きよし、1944年(昭和19年)7月21日 - )は、日本の政治家。元山形県村山市長(2期)、元村山市議会議員(6期)。 山形市立商業高等学校卒業。1983年、村山市議会議員に初当選(日本社会党、のち社会民主党)。村山市議を6期務める。2005年、当時の村山市長菊池汪夫が市職員採用を巡る受託収賄容疑で逮捕された。同年の市長選挙に立候補し、初当選する。2009年に元村山市職員の志布隆夫らを破って再選。2013年の市長選では再び立候補した志布に敗れた。
三浦 光紀(みうら こうき、1944年(昭和19年)6月27… 三浦 光紀(みうら こうき、1944年(昭和19年)6月27日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家。徳間ジャパンコミュニケーションズ専務取締役などを務めた。山形県酒田市出身。 山形県立酒田東高等学校を経て、早稲田大学を卒業。 佐高信は高校時代からの親友で、慶大に進んだ佐高は、庄内地方出身者が入る駒込の学生寮で生活するが、三浦はよく、この寮に遊びにいった。入学した早大では、グリークラブに加わり、1年下には渋谷系の牧村憲一、吉田拓郎などを担当した前田仁、3年下にはサザンオールスターズを発掘したビクター音楽産業の高垣健などがいた。 1968年(昭和43年)4月、キングレコードに入社。文芸部教養課に配属され、プロデューサー・長田暁二のアシスタントとしてスタートする。
村山 士郎(むらやま しろう、1944年6月11日 - )は… 村山 士郎(むらやま しろう、1944年6月11日 - )は、日本の教育学者。専門は教育社会学。大東文化大学名誉教授。 山形県東根市出身。1977年東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。1983年「ロシア革命と教育革命」で東京大学より教育学博士の学位を取得。大東文化大学助教授、教授。2015年退任。日本作文の会常任委員会副委員長。教育科学研究会常任委員。
大塚 勝夫(おおつか かつお、1944年5月13日 - 19… 大塚 勝夫(おおつか かつお、1944年5月13日 - 1998年9月15日)は、日本の経済学者。専門は、経済発展論、開発経済学、日本経済論。 山形県東置賜郡高畠町生まれ。山形県立米沢興譲館高等学校、早稲田大学商学部卒業後、1971年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1974年同博士課程単位取得退学。指導教官は梅村又次。1991年、経済学博士(一橋大学)。博士論文は「経済発展と技術選択 -日本の経済と発展途上国-」。一橋大学経済学部助手、財団法人国際開発センター研究員、オーストラリア国立グリフィス大学現代アジア研究学部助教授、和光大学経済学部教授等を経て、早稲田大学商学部教授。1998年9月、胃癌のため死去。
大山真人(おおやま まひと、1944年(昭和19年)5月13… 大山真人(おおやま まひと、1944年(昭和19年)5月13日 - )は日本のノンフィクション作家。 山形県山形市出身。高齢者問題を中心に活動中。 早稲田大学第一文学部卒業。卒業後は、学習研究社に入社。主に女性雑誌、音楽雑誌の編集を手掛ける。学習研究社を退社後、ノンフィクション作家として数々の著書を刊行。 2008年、高齢者が気軽に訪れる事ができる「居場所」を作る運動として「幸福亭」を開設、主宰。 2011年4月、統一地方選挙所沢市議会議員選挙(定数36)に無所属で立候補し、46名中45位で落選した。 2013年3月、著書『騙されたがる人たち』で、詐欺問題のプロでありながら、自ら振り込め詐欺に騙され、被害者になったことを告白。
五十嵐 敬喜(いがらし たかよし、1944年1月28日 - … 五十嵐 敬喜(いがらし たかよし、1944年1月28日 - )は、日本の弁護士、都市政策学者、立法学者。法政大学法学部政治学科名誉教授(都市政策)。菅直人再改造内閣で内閣官房参与を務めた。 山形県河北町出身、早稲田大学法学部卒業。大学在学中の21歳時に司法試験に合格、司法修習(20期)を経て、弁護士となった。不当な建築や都市計画による被害者の弁護活動に携わるとともに、従来の公共事業を批判、「美の条例」(神奈川県真鶴町)の制定を支援するなど、美しい都市創りを訴えている。また、日本において「日照権」という権利を生み出したことで知られている。 1981年(昭和56年)には、早川書房が徳間書店および作家の堀晃を訴えた『太陽風交点事件』で早川書房側の弁護士を務め、敗訴した。
石黒 征三(いしぐろ せいぞう、1943年11月15日 - … 石黒 征三(いしぐろ せいぞう、1943年11月15日 - )は日本の実業家。アルプス電気グループの現アルパイン株式会社代表取締役会長。山形県出身。電気部品メーカーの最大手のアルプス電気の創業者である片岡勝太郎の子息で2代目代表取締役社長・片岡政隆と義兄弟である。
佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は… 佐藤 教郎(さとう のりお、1943年10月30日 - )は、日本の実業家。日立電線株式会社代表取締役社長や、同社取締役会長、社団法人日本電線工業会会長などを務めた。 山形県長井市出身。1966年山形大学工学部機械工学科卒業、日立電線入社。山形大学硬式野球部出身。日立電線日高工場に34年間勤務し、1996年からは日立電線日高工場長を務めた。1997年日立電線取締役に昇格。2000年日立電線パワーシステムズ代表取締役社長に就任。2002年日立電線常務取締役。2003年から日立電線代表取締役社長を務め、アメリカ合衆国での生産拡大を進めるなどした。2004年日本電線工業会会長。2009年日立電線取締役会長。
土田 正剛(つちだ せいごう、1943年(昭和18年)10月… 土田 正剛(つちだ せいごう、1943年(昭和18年)10月25日 - 2026年(令和8年)4月16日)は、日本の政治家。山形県東根市長(7期、在任中死去)。元・山形県議会議員(4期)。 山形県東根市出身。山形県立山形東高等学校卒業。1967年(昭和42年)3月、慶應義塾大学法学部卒業。1969年(昭和44年)5月、衆議院議員松沢雄蔵の秘書となる。1974年(昭和49年)12月、国務大臣となった松沢の秘書官となる。 1979年(昭和54年)4月30日、山形県議会議員に就任。4期連続当選。県議時代は自由民主党に所属し、同党山形県連組織委員長、政調会長、幹事長などを務めた。 1993年(平成5年)2月14日に行われた山形県知事選挙に加藤紘一や近岡理一郎など自民党主流派の支援、さらに公明党、民社党、スポーツ平和党の推薦を得て立候補するも落選。
金子 善次郎(かねこ ぜんじろう、1943年(昭和18年)9… 金子 善次郎(かねこ ぜんじろう、1943年(昭和18年)9月24日 - )は、日本の自治官僚、政治家。自治省大臣官房審議官を最後に退官後、衆議院議員となり国土交通大臣政務官、厚生労働大臣政務官を歴任。旭日重光章受章。 山形県川西町出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1966年に一橋大学法学部を卒業(田上穣治ゼミナール)後、自治省(現・総務省)に入省。 1968年から外務省に出向し、北米第一課での勤務を経て、在シカゴ日本国総領事館領事を務め、1974年に自治省へ復帰。1976年から静岡県に出向し、静岡県商工企画課長や静岡県工業課長を務め、1982年からは埼玉県に出向し、同年に埼玉県労働部次長、1984年に埼玉県生活福祉部長、1986年には埼玉県企画財政部長へ就任した。
岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は… 岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は、日本の編集者、漫画原作者、フリーライター。山形県山形市生まれ。 早稲田大学仏文科卒業。少年画報社で漫画雑誌『ヤングコミック』編集部勤務。1971年退社。その後、劇画原作者、フリーライターとなる。 宮谷一彦の実録漫画『ライク ア ローリング ストーン』には、本人役で出演している。
安野 侑志(やすの ゆうし、1943年〈昭和18年〉7月27… 安野 侑志(やすの ゆうし、1943年〈昭和18年〉7月27日 - 2012年〈平成24年〉8月25日)は、山形県鶴岡市出身で大阪府能勢町在住の、紙芝居師、創造学園大学創造芸術学部客員教授、特定非営利活動法人少年会議所相談役、通称:ヤッサン。娘に紙芝居師の安野ゆうみがいる。
佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1943年7月19日 - )… 佐藤 俊一(さとう しゅんいち、1943年7月19日 - )は東洋大学法学部第一部企業法学科教授(政治学、地域政治論)、山形県鶴岡市出身。 1967年に中央大学法学部法律学科から同大学院法学研究科(政治学)に進み、1973年に博士課程修了。1974年から1992年まで同大学法学部の非常勤講師を勤め、1995年から1997年までは群馬大学短期大学部助教授、1998年に母校の教養部教授を経て、同年に東洋大学法学部第一部企業法学科教授となる。それ以外にも1988年から2000年まで日本地方自治学会の理事と年報編集委員を1992年から1年間、日本行政学会企画委員を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
太田 威(おおた たけし、1943年(昭和18年)4月 - … 太田 威(おおた たけし、1943年(昭和18年)4月 - )は、日本の写真家。山形県鶴岡市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
髙橋正圀(たかはし まさくに、1943年1月8日 - )は日… 髙橋正圀(たかはし まさくに、1943年1月8日 - )は日本の脚本家。 横浜市生まれ。生後すぐの頃に山形県米沢市へ疎開。以後高校卒業時まで米沢で過ごす。 子供の頃から幻灯機に投影する作品を作って友達を集めて上映会を開いていた。それが高じて、自分で絵を描いてストーリーを作るようになった。また子供の頃は東映時代劇のファンでもあった。 山形大学工学部に入学するも、中退して東京のシナリオ研究所に入るために上京。改めて中央大学文学部に入学。学生時代は年に300本は映画を観賞し、大学のサークルでも8ミリ映画を製作していた。後に中央大学も中退。 シナリオ作家協会・シナリオ研究所修了後、24歳を過ぎた頃に「これがラストチャンス」とばかりに応募した第20回新人映画コンクールに佳作入選。
五十嵐 正(いがらし ただし、1943年(昭和18年) - … 五十嵐 正(いがらし ただし、1943年(昭和18年) - )は、山形県鶴岡市出身の、日本の教育者。盛岡ヘアメイク専門学校校長、岩手県内の高等学校長や教育委員会教育長などの要職を歴任。
佐賀 そおた(さが そおた、1943年(昭和18年) - )… 佐賀 そおた(さが そおた、1943年(昭和18年) - )は、日本の児童教育者。山形県天童市出身。大阪在住。児童教育に関する著書多数。
阿部 正俊(あべ まさとし、1942年11月4日 - 202… 阿部 正俊(あべ まさとし、1942年11月4日 - 2020年10月25日)は、日本の厚生官僚、政治家。 厚生省老人保健福祉局長を経て、自由民主党参議院議員(2期)を務めた。 山形県北村山郡小田島村(現東根市)出身。山形県立山形東高等学校を経て、東北大学法学部を卒業。 左目を5歳の時に事故で失い、左耳も高校生の時に聞こえなくなった。大学時代、障害者施設の花壇作りや農家に泊まり込んで農作業を手伝うワークキャンプに打ち込み、活動を通じ、社会福祉の整備が手付かずになっていると痛感する。 1966年4月、国の社会福祉の仕組みを築くために厚生省に入省。1978年12月、橋本龍太郎厚生大臣秘書官事務取扱。
大沼 保義(おおぬま やすよし、1942年(昭和17年)10… 大沼 保義(おおぬま やすよし、1942年(昭和17年)10月8日 - )は、日本の造り酒屋経営者。千代寿虎屋酒造株式会社社長(第3代)・会長。日本酒造組合中央会顧問。山形県酒造組合会長(第7代・5期)。寒河江市商工会会長。寒河江市教育委員会委員長。社団法人寒河江青年会議所理事長(第10代)。趣味は将棋(五段)。
守谷 良二(もりや りょうじ、1942年9月8日 - 201… 守谷 良二(もりや りょうじ、1942年9月8日 - 2017年9月29日)は、立正大学経済学部教授。東京都市大学、東京電機大学工学部非常勤講師。山形県白鷹町出身。ペンネームは守谷両時。専門は代数関数論,数式処理。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
林崎 昭裕(りんざき あきひろ、1942年5月27日 - 1… 林崎 昭裕(りんざき あきひろ、1942年5月27日 - 1969年3月3日)は、日本の射撃競技(ライフル射撃)選手。明治大学在学中に1964年東京オリンピックに出場、男子スモール・ボア・ライフル伏射で6位入賞。 山形県米沢市出身。明治高等学校卒業後、1961年(昭和36年)に明治大学に入学。 明治大学入学後、射撃部に入部し頭角を現す。1964年、大学4年生時には射撃部主将を務め、伏射60発競技で日本選手権を獲得した。1964年東京オリンピックに男子スモール・ボア・ライフル伏射種目で出場し、6位入賞(594点)。1位のラスロー・ハンメルは597点で、6位まで3点差という大接戦であった。 大学卒業後は競技から引退し、兄の起こした会社に勤務した。
井上 史雄(いのうえ ふみお、1942年5月17日 - )は… 井上 史雄(いのうえ ふみお、1942年5月17日 - )は、日本の言語学者、東京外国語大学名誉教授。明海大学名誉教授。 山形県鶴岡市出身。2023年、瑞宝中綬章受章。 専門は「新方言」、方言イメージ、言語の市場価値などのアンケートである。
篠塚 英子(しのつか えいこ、1942年5月1日 - )は、… 篠塚 英子(しのつか えいこ、1942年5月1日 - )は、日本の経済学者。株式会社小松製作所監査役。専門は労働経済学、金融政策、ジェンダー。お茶の水女子大学名誉教授。女性初の人事官、日本銀行政策委員会審議委員、日本政策金融公庫監査役などを歴任。
樋口 公一(ひぐち こういち、1942年3月11日 - )は… 樋口 公一(ひぐち こういち、1942年3月11日 - )は、日本の実業家である。グッドウィル・グループ(現 プロンプトホールディングス←ラディアホールディングス)株式会社の元執行役員、株式会社コムスンの元代表取締役社長。
黒澤 洋介(くろさわ ようすけ、1942年(昭和17年)3月… 黒澤 洋介(くろさわ ようすけ、1942年(昭和17年)3月9日 - )は、日本の実業家。山形新聞社相談役。 山形県長井市出身。1965年、早稲田大学第一文学部哲学科卒業後、山形新聞社入社。報道部長、編集局次長等を歴任。2005年、相馬健一が代表取締役会長に退いたことに伴い、代表取締役社長に昇格。2012年、代表取締役会長に退く。 ほかに公益財団法人山新放送愛の事業団理事長、一般社団法人山形県経営者協会会長などを務める。2015年、平成27年度三浦記念賞を受賞。
鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年〈昭和17年〉1月24… 鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年〈昭和17年〉1月24日 - 2021年〈令和3年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、衆議院運輸委員長、農林水産大臣(第14・51・52代)、総務庁長官(第12代)、運輸政務次官、新党みらい代表、国民の声代表、民政党幹事長、民主党国会対策委員長、常任幹事会議長、副代表、自由民主党青年局長、総務局長などを歴任した。父は衆議院議員を5期務めた鹿野彦吉。 民主党内では珍しい、自民党清和政策研究会出身。自民党時代は「清和会のプリンス」と呼ばれ47歳で初入閣するなど、将来の総裁候補として期待されていた。離党後も新党みらい・国民の声で代表を務め、新進党・民主党でも党首(代表)候補としてたびたび名前が挙がった。
花筏 健(はないかだ けん、1941年(昭和16年)9月24… 花筏 健(はないかだ けん、1941年(昭和16年)9月24日 -没年不明 )は、山形県鶴岡市出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は、三浦 健(みうら けん)。現役時代の体格は身長176cm、体重85kg。最高位は西十両17枚目。得意手は右四つ、内掛け。 実家は農家で、中学卒業後は昼間は町工場に務めながら、定時制高校に通った。卒業後は上京して就職するつもりだったが、1959年12月に知人から立浪親方(元横綱・羽黒山)を紹介され、高校在学中に立浪部屋に入門した。体重が足りず一度は新弟子検査を不合格になり、一旦は地元へ帰ったが、家族全員が改めて入門に反対したので逆に力士を志し始め、12月に再び上京して新弟子検査を受けて合格した。
熊谷 眞一(くまがい しんいち、1941年(昭和16年)5月… 熊谷 眞一(くまがい しんいち、1941年(昭和16年)5月18日 - 2021年(令和3年)2月8日)は、日本の実業家。シベール創業者。 山形県大江町に生まれる。 山形市立商業高等学校卒業後、仙台市、新潟県三条市、東京での菓子職人の修行を経て、父親が営む和菓子店「松月堂」に入る。1966年25歳の時、山形市緑町に県内では初となる洋菓子専門店「シベール」を開業し、市内や仙台市等に店舗網を広げていった。 洋菓子専門から10年後にパン製造に手を広げ、売れ残ったフランスパンを活用して売り出したという「ラスク」が手ごろな贈答品として全国で高い評判を受け、山形を代表する企業の1つに成長させ、JASDAQ上場へと導いた。
芳賀 卓(はが まさる、1941年2月 - )は、日本の植物… 芳賀 卓(はが まさる、1941年2月 - )は、日本の植物学者。理学修士。北海道教育大学名誉教授。利根別自然休養林研究会代表。山形県鶴岡市出身。
大塚 文雄(おおつか ふみお、1940年7月20日 - )は… 大塚 文雄(おおつか ふみお、1940年7月20日 - )は、日本の民謡歌手。愛称は民謡界のフーミン。 山形県西村山郡三泉村(現・河北町)出身。2歳年少で1999年に『孫』で一世を風靡した大泉逸郎とは、生家が近く、子供の時から「民謡少年」としてよく知られていた。 1959年、山形県立谷地高等学校卒業後に上京し、当時民謡歌手の代名詞的存在だった初代鈴木正夫に入門。1966年、キングレコード専属歌手となり、山梨県民謡『甲州盆唄(通称・市川文殊)』、『正調粘土節』でデビューした。 1977年に発売した『祝賀の舞』は120万枚を売り上げる大ヒット曲となった。ピーク時には毎月5000枚~7000枚が売れ、2002年時点でも毎年3000枚前後を出荷しているという。
岸 宏一(きし こういち、1940年(昭和15年)6月3日 … 岸 宏一(きし こういち、1940年(昭和15年)6月3日 - 2017年(平成29年)10月16日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期) 。位階は従三位。旭日重光章。 参議院厚生労働委員長・政治開発援助等に関する特別委員長・予算委員長、厚生労働副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、総務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、山形県最上郡金山町長(7期)、金山町議会議員(1期)を務めた。 山形県最上郡金山町の山林地主である岸家の一族に生まれる。1964年に早稲田大学政治経済学部卒業。大学卒業後、金山中学校助教諭や町教育委員会の事務嘱託を務めた。 1967年(昭和42年)、故郷・金山町の町議会議員に初当選する。
三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日… 三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日 - 2013年〈平成25年〉3月12日)は、日本の銀行家。山形銀行頭取、会長を歴任した。2010年(平成22年)旭日小綬章受章。位階は従五位。 三浦弥太郎山形銀行頭取の長男として、山形県山形市に生まれる。東京商科大学(現一橋大学)学長や両羽銀行(現山形銀行)頭取を務めた三浦新七は祖父。 慶應義塾大学商学部卒業後、三菱銀行勤務を経て、山形銀行入行。常務、専務を歴任し、45歳で頭取に就任するが、これに対しては行内外から若すぎるとの声も出た。 頭取在任中は、金融の自由化や国際化に対応し、事務センターの建設、第三次オンライン計画の策定のほか1988年(昭和63年)には、総預金1兆円を達成した。
山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 20… 山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 2010年10月22日)は、日本の会計学者。専門は会計学。学位は、商学博士(拓殖大学・1994年)。元国士舘大学21世紀アジア学部教授。 山形県米沢市生まれ。1963年高崎経済大学経済学部経済学科卒業後、同年4月旺文社入社(1966年6月まで勤務)。 1971年3月拓殖大学大学院経済学研究科修士課程修了後、同年4月高崎経済大学経済学部助手、1972年4月同大学経済学部専任講師、1975年4月同大学経済学部助教授、1981年同大学経済学部教授。2000年同大学経済学部長。2002年4月同大学大学院経済・経営研究科修士課程教授。2004年4月同大学大学院経済・経営研究科博士後期課程教授。
大友 浩(おおとも ひろし、1940年〈昭和15年〉4月17… 大友 浩(おおとも ひろし、1940年〈昭和15年〉4月17日 - )は、日本のフランス文学者。文学博士(東京大学)。Ph.D.(ボルドー大学)。元北星学園大学学長。現在、北海道大学及び北星学園大学名誉教授。山形県鶴岡市出身。 1963年東京大学教養学部卒業。1968年同大学院文学研究科博士課程修了。1971年ボルドー大学大学院文学研究科博士課程修了。1971年北海道大学文学部助教授。その後、同文学部教授。1994年大妻女子大学社会情報学部教授。北海道大学名誉教授。2000年北星学園大学学長に就く。2002年北星学園大学短期大学部学長に就く。2006年同学長退任。同文学部教授。2008年北星学園大学退職。
舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は… 舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は、日本の実業家、JTB元代表取締役会長、元社長、立教大学観光学部元教授、日本ワーキング・ホリデー協会元会長、公益財団法人日本交通公社評議員。 1940年2月6日、山形県山形市生まれ。山形東高卒業。1962年3月、東京教育大学(現・筑波大学)理学部卒業。同年4月、日本交通公社(現JTB)入社。 国際旅行事業からその経歴をスタートさせ、海外旅行のルック販売部販売課長、国内旅行のエース課長などを歴任。経営企画室長、取締役九州営業本部長、常務人事部長などを経て1996年に代表取締役社長就任。2002年から代表取締役会長を務めた。 JTB会長と兼任して立教大学観光学部教授を務め、ツーリズム産業の発展のために後進の育成を行うとともに、日本旅行業協会(JATA)では副会長、海外旅行委員長などの要職を務め、初の大使が誕生したスロバキアには旅行会社5社とJALの協力を得て初のチャーター便を飛ばすなどの活動を行った。
斉藤 英治(さいとう えいじ、1940年1月22日 - )は… 斉藤 英治(さいとう えいじ、1940年1月22日 - )は、日本の文筆家。 山形市生まれ。東北大学卒業後、武田薬品工業にてビタミンと脳科学の研究に従事する。ピップフジモト研究部部長、健康英知研究所所長。日本綜合医学会常任理事、日本健康科学学会理事を20年務める。 1989年、日本大学医学博士。学校法人エール学園IMGS大学院大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松田 静子(まつだ しずこ、1940年(昭和15年) - )… 松田 静子(まつだ しずこ、1940年(昭和15年) - )は、日本の著作家、詩人。山形県鶴岡市出身。鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問、元高等学校教諭、藤沢周平文学研究家として知られる。 1940年(昭和15年)、山形県鶴岡市に生まれる。1963年(昭和38年)、東京教育大学(現・筑波大学)文学部卒業。山形県立高等学校の国語教師となる。1980年(昭和55年)頃から藤沢周平作品に関する文章を書き始める。2000年(平成12年)、『藤沢周平の魅力』により、第30回らくがき文学賞と、第43回高山樗牛賞を受賞する。2001年(平成13年)、高等学校教諭を定年退職。2006年(平成18年)、第24回NHKふるさと賞を受賞する。
叶内 紀雄(かのうち としお、1940年(昭和15年)- )… 叶内 紀雄(かのうち としお、1940年(昭和15年)- )は、日本の銀行家。殖産銀行頭取を歴任した。 殖産相互銀行社長を務めた叶内長兵衛の孫として山形県山形市に生まれる。 山形県立山形東高等学校を経て中央大学法学部を卒業する。山形東高時代の同級生には、山形銀行頭取を歴任した三浦新らがいた。 中大卒業後、日本勧業銀行勤務を経て、殖産相互銀行入行。1987年には、在任25年に及んだ長谷川吉内社長の後を受け同行社長に就任する。 トップ在任中は普通銀行への転換、東証2部への上場など功績もあったが平成銀行、ミライオン銀行と2度にわたる合併破談を招いたとして引責辞任。特別相談役に退いた。
齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 20… 齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日)は、日本の俳人、編集者、文芸評論家。 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 20… 湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 2003年11月26日)は、日本の自動車技術者、実業家。元豊田工機代表取締役社長。 山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1962年東北大学工学部機械工学科卒業。トヨタ自動車で開発に携わり、トヨタ自動車工業労働組副執行委員長等を経て、1992年には石坂芳男、白水宏典らとともに取締役に昇格した。豊田工機常務取締役、豊田工機代表取締役副社長を経て、2000年からは豊田工機代表取締役社長を務めていたが、2003年に出張先の東京都内のホテルで死亡しているのが発見され、覚王山日泰寺で社葬が行われた。
高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は… 高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は、日本の建築家。山形県村山市出身。 山形県立山形東高等学校を経て、1962年に日本大学理工学部建築学科を卒業後、大林組に勤務。 1966年から1968年まで、デンマークのクローン・ラスムッセン設計事務所に勤務する。その後丹下健三都市建築設計研究所を経て、 1975年に計画・設計工房を谷口吉生と開設。1980年には谷口建築設計研究所取締役に就任し、1985年に谷口建築設計研究所の代表となり、谷口吉生とともに、資生堂アートハウス、土門拳記念館、東京都葛西臨海水族園、豊田市美術館などを手がけていく。 1996年から2007年まで母校日本大学理工学部建築学科の教授を務める。