伊達 風人(だて かざと、1977年5月4日 - 2011年… 伊達 風人(だて かざと、1977年5月4日 - 2011年2月12日)は、日本の詩人である。学位は学士(文学)(学習院大学)。本名は野川 洋二(のがわ ようじ)。 山形県山形市出身。高校は山形県立山形東高等学校、大学は学習院大学文学部日本文学科に進んだ。大学入学と同時に詩の世界に魅了せられ、以降、東京の広告会社に勤務しながらインターネットなどを通じて詩作を始めた。 2003年3月10日に「伊達風人ホームページ」を立ち上げ、詩や評論、エッセー等を掲載し始める。2003年からはWEB同人詩誌「めろめろ」に投稿。(2004年5月17日の同誌に初出の『数詞』が「いん・あうと」誌(04年各月号)にて、MONKから2003年のベストとして寸評を得る。
三上 ちさこ(みかみ ちさこ、1974年8月14日 - )は… 三上 ちさこ(みかみ ちさこ、1974年8月14日 - )は、日本の歌手、詩人。かつて音楽バンドfra-foaのボーカルを務めていた(その頃は三上ちさ子表記)。山形県東村山郡山辺町出身、山形県立山形東高等学校、東北大学卒。
山吹 草太(やまぶき そうた、1964年2月9日 - )は、… 山吹 草太(やまぶき そうた、1964年2月9日 - )は、詩人、脚本家、演出家。山形県酒田市生まれ。酒田南高等学校卒。奈良県生駒市在住。 酒・タバコ・釣り・コーヒー・チョコレートを愛する。 演劇やあらゆる芸術は詩から誕生するという考えを持っている。 2005年に奈良へ引っ越しする際、死にかけの野良猫を連れて帰り、人生の師として共に暮らしている。 アジア圏への旅が好き。
伊藤 啓子(いとう けいこ、本名:利根川啓子、昭和31年(1… 伊藤 啓子(いとう けいこ、本名:利根川啓子、昭和31年(1956年)10月17日 - )は、山形県鶴岡市出身の、日本の詩人。
松田 静子(まつだ しずこ、1940年(昭和15年) - )… 松田 静子(まつだ しずこ、1940年(昭和15年) - )は、日本の著作家、詩人。山形県鶴岡市出身。鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問、元高等学校教諭、藤沢周平文学研究家として知られる。 1940年(昭和15年)、山形県鶴岡市に生まれる。1963年(昭和38年)、東京教育大学(現・筑波大学)文学部卒業。山形県立高等学校の国語教師となる。1980年(昭和55年)頃から藤沢周平作品に関する文章を書き始める。2000年(平成12年)、『藤沢周平の魅力』により、第30回らくがき文学賞と、第43回高山樗牛賞を受賞する。2001年(平成13年)、高等学校教諭を定年退職。2006年(平成18年)、第24回NHKふるさと賞を受賞する。
佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)… 佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)10月26日 - )は、日本の農家、農業問題評論家、著作家、詩人。 無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山元村立山元中学校在学時に無着成恭の教えをうけ、1951年、文集『山びこ学校』に生活記録がのる。 山形県立上山農業高等学校定時制在学中に農民詩を発表。1955年、同校を卒業してからは家業の農業のかたわら、著作活動を続けている。 木村迪夫に影響を与え、詩の道へ進ませるきっかけを作った。
木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、… 木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、日本の農民詩人、文筆家。エッセイスト。ジャーナリスト。 詩誌「山形詩人」代表。農民文学会、現代詩人会会員。 山形県上山市牧野生まれ。本名・廸男。5人兄弟の長男として生まれ、父を小学校4年の時、戦争によって失った。 山形県立上山農業高等学校(後の山形県立上山明新館高等学校)定時制課程卒業。山びこ学校出身の佐藤藤三郎は同級生。高校時代から詩を書き始め、文化祭で登壇した農民詩人の真壁仁による宮沢賢治をテーマにした講演に感銘を受け、卒業式の日、真壁を訪ねて「詩を書き続ける」と誓った。1957年には真壁が創刊した同人誌『地下水』に参加する。 卒業と同時にサクランボの自営農に従事。
阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月2… 阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月20日 - 2009年6月12日)は日本の詩人。 山形県鶴岡市生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業。若いころは政治運動に身を投じた。代表的な詩集として、獄舎につながれた肉体的・精神的苦痛から幻影をみる詩集『眼の伝説』、『不覇者』(1982年第15回小熊秀雄賞受賞作)、故郷庄内地方の即身仏信仰をテーマとした『月の山』、難病に陥った中で病者の意識を追う迫力に満ちた作品『ベーゲェット氏』などがある。『べーゲェット氏』は1989年高見順賞を受賞した。 新日本文学会の日本文学学校の講師も務め、教え子に伊藤比呂美がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
粒来 哲蔵(つぶらい てつぞう、1928年1月5日 - 20… 粒来 哲蔵(つぶらい てつぞう、1928年1月5日 - 2017年6月2日)は、日本の詩人。 山形県米沢市生まれ。1934年福島県郡山市に転居。福島師範学校卒業。1952年古河第一小学校教諭。1954年上京し、『歴程』同人。弓月煌の筆名を用いる。1960年詩集『舌のある風景』で第2回晩翠賞、1972年『詩集 孤島記』でH氏賞、1977年『望楼』で高見順賞、2002年『島幻記』で現代詩人賞、2012年『蛾を吐く』で第63回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。藤村記念歴程賞選考委員、尚美学園短期大学教授、白鷗大学教授を歴任。 母方の従弟に粕谷栄市がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日… 土井 大助(どい だいすけ、1927年(昭和2年)2月20日 - 2014年(平成26年)7月30日 )は、日本の詩人・劇作家・社会運動家。本名:吉沢四郎(旧姓堀井)。 山形県鶴岡市出身。陸軍航空士官学校在校中に終戦を迎え、復員して、旧制新潟高等学校に編入、そこから東京大学法学部卒。1962年(昭和37年)、詩「十年たったら」でデビューした。この詩は、20歳代の日本共産党員を語り手とした詩だったので、それを読んだ壺井繁治が、作者も主人公と同じ境遇だと勘違いしたというエピソードがある。その後、詩人会議運営委員長、同顧問を歴任した。 1964(昭和39)年9月より1966(昭和41)年9月まで、中国 遼寧省大連市 大連日本語専科学校(現大連外国語大学)にて日本語教師を勤めた。
黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984… 黒田 喜夫(くろだ きお、1926年2月28日 - 1984年7月10日)は、日本の詩人。 山形県寒河江の生まれ。高等小学校卒業後、上京して京浜工業地帯で工場労働者として働く。戦後は日本共産党に入党、郷里で農民運動に参加するが胸を病み、療養しながら詩作を行う。関根弘、菅原克己らの同人誌『列島』や新日本文学会の雑誌『現代詩』などに参加、注目される。1959年、第1詩集『不安と遊撃』を刊行、翌年H氏賞を受賞する。プロレタリア詩と前衛詩の結合において戦後詩の一つの極北を示す詩人である。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日… 吉野 弘(よしの ひろし、1926年〈大正15年〉1月16日 - 2014年〈平成26年〉1月15日)は、日本の詩人。 山形県酒田市生まれ。1938年(昭和13年)酒田市琢成第二尋常小学校を総代として卒業し、1942年(昭和17年)12月、山形県酒田市立酒田商業学校を戦時繰り上げ卒業した。若いころ高村光太郎の「道程」を読んで感銘を受ける。商業学校卒業後、1943年(昭和18年)1月に帝国石油に就職した。1944年(昭和19年)に徴兵検査に合格するが、入隊5日前に終戦を迎えた。戦後は労働組合運動に専念していたが、1949年(昭和24年)に過労で倒れ、肺結核のため3年間療養した。入院中に詩人の富岡啓二と親しくなっている。
結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月… 結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月13日)は、日本の童謡詩人。童謡『ないしょ話』(山口保治作曲)の作詞者であるが、童謡が広く知られているのに対し、作詞者の知名度は高くない。 生涯で5000曲を超える童謡を作詞し、そのうち30数曲がレコード化されている。 本名は結城 芳夫(ゆうき よしお)。 歌人・結城健三と妻・えつの長男として山形県東置賜郡宮内町(現在の南陽市)で生まれる。父の仕事の都合で鶴岡町(現在の鶴岡市)、酒田町(現在の酒田市)へ移り、1930年より山形市内に移り住む。1934年に山形市立第四尋常高等小学校(現在の山形市立第四小学校)高等科を卒業すると「好きな本が読める」という理由から山形市内の八文字屋書店で住み込みの店員となる。
森 英介(もり えいすけ、本名:佐藤重男、1917年3月13… 森 英介(もり えいすけ、本名:佐藤重男、1917年3月13日 - 1951年2月8日)は、日本の詩人。生前はまったく無名であったが、没後に評価されるようになった。 佐藤重男として、1917年(大正6年)3月13日、山形県米沢市に生まれる。1936年(昭和11年)、早稲田大学文学部哲学科に入学するも、1939年(昭和14年)に中退。1940年(昭和15年)、結婚。1941年(昭和16年)に召集され浜松の航空隊に入隊後、青森県三沢基地に転属、病気のため豊橋の陸軍病院に送還され、1943年(昭和18年)に召集解除。長男、次男が生れた後、1945年(昭和20年)の敗戦前に離婚。1946年(昭和21年)9月に総合雑誌『労農』を米沢で創刊(第3号で休刊)。
芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1… 芳賀 秀次郎(はが ひでじろう、1915年(大正4年)1月1日 - 1993年(平成5年)5月9日)は、日本の教育者、詩人、歌人。 山形県白鷹町横田尻に生まれる。 1935年山形師範学校(現:山形大学地域教育文化学部)卒業後、山大教育学部附属小学校、山形南高、上山高での勤務を経て、長井高校長を務める。退職後、日大山形高校に移り教鞭を執った。旧制山形二中・山南には23年にわたり在籍し、児童文学作家である鈴木実は文芸部で指導を受けた。 アララギ派の歌人として出発し、1943年に情報局・朝日新聞主催の懸賞作詞「大日本の歌」が一位入賞。戦後は、戦中の反省から短歌を捨て詩作におもむく。1952年に洋酒壽屋(現:サントリー)主催で公募された新国民歌では応募した「われら愛す」が一位で入選する。
神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年〈明治38年〉1… 神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年〈明治38年〉11月29日 - 1990年〈平成2年〉10月24日)は、昭和期の日本の詩人・ドイツ文学者。本名は光太郎(みつたろう)(姓の読みを「じんぼう」とする文献もある)。 山形県山形市生まれ。山形県立山形中学校から山形高校を経て、京都帝国大学文学部独文科を卒業。在学中から同人誌に詩や短歌を発表して新散文詩運動の一翼を担った。 1934年、埼玉県浦和市(現:さいたま市)の別所沼のほとりに家を新築し、生涯にわたって活動拠点とした。この別所沼の家に、神保を兄と慕う立原道造の来訪をしばしば受けている。1935年、保田與重郎や亀井勝一郎らと『日本浪曼派』に参加し、詩誌『四季』などに作品を発表した。
山宮 允(さんぐう まこと、1890年(明治23年)4月19… 山宮 允(さんぐう まこと、1890年(明治23年)4月19日 - 1967年(昭和42年)1月22日)は、日本の詩人、英文学者。日本詩人クラブ発起人の一人。 山形県山形市出身。山形県立荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)から、第一高等学校に進む。一高時代からアララギの歌会に参加した。 1914年在学中に中心となって第三次『新思潮』を創刊、ほかに豊島与志雄、山本有三、井出説太郎(土屋文明)、柳川隆之介(芥川龍之介)、草田杜太郎(菊池寛)、成瀬正一、久米正雄、佐野文夫、松岡譲がいた。 1915年東京帝国大学英文科卒。 1917年、川路柳虹らと詩話会を結成、1918年から評論集『詩文研究』を上梓する。
酒井 忠良(さかい ただなが、1888年〈明治21年〉9月2… 酒井 忠良(さかい ただなが、1888年〈明治21年〉9月22日 - 1962年〈昭和37年〉2月12日)は、日本の華族、詩人、歌人、書家。位階爵位は正三位伯爵。財団法人致道博物館の創設者。 庄内藩11代藩主だった華族の酒井忠篤伯爵の次男で、最後の藩主酒井忠宝(忠篤の弟)の養子にあたる。幼名は小五郎。1915年(大正4年)の忠篤の死去に伴い、酒井佐衛門尉家20代当主となるとともに、2代伯爵位を襲爵した。富裕な華族で、山形県の多額納税者だった。1947年(昭和22年)8月15日、昭和天皇が戦後巡幸した際には、鶴岡市内の邸宅が御泊所となった。 1950年(昭和25年)、地域振興のため所有する庄内藩主御隠殿及び藩校致道館資料を財団法人以文会(現:致道博物館)を設立の上で寄付。
土屋 竹雨(つちや ちくう、1887年(明治20年)4月10… 土屋 竹雨(つちや ちくう、1887年(明治20年)4月10日 - 1958年(昭和33年)11月5日)は、日本の漢詩人。本名・久泰。字は子健。大東文化大学学長(初代)などを歴任。山形県鶴岡市出身。 1914年、東京帝国大学法学部卒。1928年、芸文社を興し『東華』を創刊、1931年、大東文化学院講師、のち教授、東京文政大学・文政大学・大東文化大学学長(初代)を務める。国分青崖のあと漢詩壇の第一人者となり、1949年、日本芸術院会員。余香吟社などの詩社を指導した。『日本百人一詩』(砂子屋書房、1943)の著作がある。