深井 隆(ふかい たかし、1951年8月6日 - )は、日本… 深井 隆(ふかい たかし、1951年8月6日 - )は、日本の彫刻家。 1951年、群馬県高崎市に生まれる。1970年群馬県立高崎高等学校卒業。浪人時代は早稲田の古本屋街をうろちょろし、BTや美術書を買い漁っていた。 1976年東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。1978年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。1984年より東京藝術大学彫刻科専任講師。 1988年第19回中原悌二郎賞優秀賞、1989年第14回平櫛田中賞、同年第13回上毛芸術奨励賞特別賞受賞。2005年東京藝術大学美術学部彫刻科教授、2019年より東京藝術大学名誉教授、COI拠点特任教授。2013年に紫綬褒章を受章、2014年に板橋区民文化特別賞を受賞した。
桑子 敏雄(くわこ としお、1951年7月25日 - )は、… 桑子 敏雄(くわこ としお、1951年7月25日 - )は、日本の哲学者、社会的合意形成・プロジェクトマネジメントコンサルタント。一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズ代表理事、東京工業大学名誉教授。 群馬県太田市生まれ。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1975年東京大学文学部哲学科卒業、1980年同大学院博士課程単位修得退学、同文学部助手、1994年学位取得(博士(文学)、東京大学)。1981年南山大学文学部講師、1984年助教授、1989年東京工業大学工学部助教授、1996年同大学院社会理工学研究科教授。2018年東京女子大学現代教養学部教授、2022年同退職。この間1983-1984年ケンブリッジ大学客員研究員、2002-2003年フランス国立社会科学高等研究院客員教授、2009-2011年大連大学客員教授。
立川 談四楼(たてかわ だんしろう、1951年6月30日 -… 立川 談四楼(たてかわ だんしろう、1951年6月30日 - )は、日本の落語家、作家。本名∶高田 正一。出囃子は『喜撰』。落語立川流所属。群馬県邑楽郡邑楽町生まれ。 1970年3月群馬県立太田高等学校卒業と同時に、立川談志に入門。前座名は寸志。前座時代には林家種平、林家公平、柳家ほたるの4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。 1975年11月∶二ツ目昇進。談四楼と改名。1980年、NHK新人落語コンクール優秀賞受賞。 1983年、落語協会での真打昇進試験において、談四楼と兄弟子の小談志(後に談志門下を離れ喜久亭寿楽になる)が不合格になる。これをきっかけに談志は弟子をつれて落語協会を離れ、落語立川流を結成。
桐生 かほる(きりゅう かほる、1951年4月24日 - )… 桐生 かほる(きりゅう かほる、1951年4月24日 - )は、日本の元女優。本名同じ。一部作品では桐生 かおる表記が用いられている。 群馬県太田市出身。精華学園高等学校、女子美術短期大学卒業。 中学時代に劇団ひまわりに入団。1960年代前半より後半にかけて雑誌のモデルとして『女学生の友』や『なかよし』などに登場する傍ら映画に子役として出演。主演級の出演は水谷豊(トッペイ役)主演のテレビ映画『バンパイヤ』(1968年、全26話)のヒロイン・大西ミカ役であった。手塚治虫の原作では、途中で死んで退場する大西ミカであるがテレビ版では、トッペイの恋人として最後まで出演した。この『バンパイヤ』のクレジットでは途中まで「桐生かおる」とされていたが、後半の第14話からは「桐生かほる」となっている。
小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 201… 小川 正行(おがわ まさゆき、1951年4月7日 - 2017年4月22日)は、日本の教育学者、公衆衛生学者。群馬大学教育学部教授。専門は公衆衛生学、健康教育学、保健統計学。位階は従四位。 趣味で始めた柔道では講道館七段を持ち、大学でも柔道実習の講師、またスキー実習の講師を務めて一級の運動指導者として名を馳せていた。平成2年に腹部手術により容姿が変貌したが、晩年まで柔道指導を行い、群馬大学柔道部顧問も務めた。長男は教育者のおがわしんたろう。
北村 邦夫(きたむら くにお、1951年(昭和26年)2月2… 北村 邦夫(きたむら くにお、1951年(昭和26年)2月23日 - )は、日本の産婦人科医、作家。一般社団法人日本家族計画協会会長。経口避妊薬(ピル)や緊急避妊法の普及、思春期の性教育と性感染症予防に関する啓発活動で知られる。 群馬県渋川市生まれ。母子家庭で6人兄弟の困窮家庭に育つ。群馬県立渋川高等学校を卒業後、地域医療に従事すれば授業料が免除される自治医科大学医学部に、1972年に第1期生として入学した。卒業後は群馬県庁に在籍しながら、群馬大学医学部産科婦人科学教室で臨床を学んだ。 1988年4月、日本家族計画協会クリニック所長に就任。その後、同協会理事長、家族計画研究センター所長などを経て会長に就任した。
あだち 充(あだち みつる、1951年2月9日 - )は、日… あだち 充(あだち みつる、1951年2月9日 - )は、日本の漫画家。群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋商業高等学校卒。本名は安達 充(読み同じ)。 群馬県伊勢崎市に生まれる。三男一女の末っ子であり、直近の兄で3歳半年上のあだち勉から甚だしい影響を受ける。 少年時代は、兄のあだち勉とともに、貸本漫画の読者投稿コーナーの常連だった。勉は高校在学中から貸本漫画で原稿料を得ており、充はその手伝いをしていたことから、貸本漫画業界で「群馬の天才兄弟」として知られる存在となる。 絵を仕事にする希望を持ち、地元では一番商業美術に力を入れていた群馬県立前橋商業高等学校の商業美術部に入部する。しかし、明確な展望はなく、両親の勧める通りに安定した職業へ就く可能性もあったという。
ミスター・ポーゴ(1951年2月5日 - 2017年6月23… ミスター・ポーゴ(1951年2月5日 - 2017年6月23日)は、日本のプロレスラー。本名は、関川 哲夫。群馬県伊勢崎市出身。元大相撲力士。バックボーンは柔道。 地元名士で、群馬県議会議員を6期、議長まで務めた関川勝三郎の末子。坊ちゃん扱いされて育った。 恵まれた体格を活かして小学3年から柔道を習い、伊勢崎工高から中央大学法学部にスポーツ推薦で進学(ジャンボ鶴田と同期)したものの、勉学と柔道部の厳しい練習には付いて行けず、更に父の急逝にショックを受けて1年で退学。 父の没後、周囲の人間が手の平を返したような態度に絶望して「腕っ節だけで成り上がってやるよ!」という思いを強め、亡父の後援者の仲介で大相撲・二所ノ関部屋に入門し、四股名は「関川」として1971年7月場所で初土俵。
関 有一(せき ゆういち、1951年 - )は、日本の総務官… 関 有一(せき ゆういち、1951年 - )は、日本の総務官僚。消防庁審議官や、総務省大臣官房審議官、総務省行政評価局長等を経て、中央大学総合政策学部教授。 群馬県出身。群馬県立渋川高等学校を経て、1975年東北大学法学部卒業、行政管理庁入庁。1979年コーネル大学大学院政治学研究科修士課程修了。行政管理庁行政監察局企画担当課長補佐、総務庁行政管理局行政手続法制定準備室長等を歴任し、行政手続法策定などにあたった。 1999年総務庁長官官房会計課長。2001年総務省中国四国管区行政評価局長。2002年総務省郵政企画管理局次長。2003年消防庁審議官。2004年総務省大臣官房審議官。2005年総務省関東管区行政評価局長。
松下 宏(まつした ひろし、1951年 - )は自動車評論家… 松下 宏(まつした ひろし、1951年 - )は自動車評論家、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立中央高等学校、立命館大学産業社会学部を卒業後、自動車業界紙「ユーストカー」記者、自動車雑誌やアウトドア誌の編集者を経てフリーの評論家として独立。「カーセンサー」「中古車情報」など人気自動車雑誌誌上で活躍中。元々、庶民的な視点で評論するスタイルをとってきたが、最近は安全装備面を重視する傾向が見られる。新車と中古車の購入ガイドやローン・保険など車に関する経済情報に詳しい。[独自研究?]趣味はプロレス観戦と映画鑑賞で、カレーが大好物。クルマテレカのコレクターとしても知られ、今まで集めた数は数千枚にも達する(同じ種類のカードを保存用と交換用の2枚ずつ持つのが持論らしい)。
いしざか びんが(1951年 - )は、日本の音楽家。作曲家… いしざか びんが(1951年 - )は、日本の音楽家。作曲家・作詞家・ギタリスト。本名は石坂幸久。 群馬県吾妻郡高山村出身。群馬県立沼田高等学校卒業。クラシックギターの弾き語りをしている。
吉野 大作(よしの だいさく、1951年 - )は、日本のシ… 吉野 大作(よしの だいさく、1951年 - )は、日本のシンガーソングライター。河合塾漢文科講師。群馬県出身。
河村 哲二(かわむら てつじ、1951年 - )は、日本の経… 河村 哲二(かわむら てつじ、1951年 - )は、日本の経済学者。法政大学名誉教授、経済理論学会前代表幹事。専門は理論経済学(政治経済学・マルクス経済学・制度派経済学)、アメリカ経済論、グローバル経済論。 群馬県生まれ。群馬県立沼田高等学校卒。1975年、東京大学経済学部経済学科卒業。1980年、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位修得。1994年、経済学博士(東京大学)。博士論文は「第二次世界大戦アメリカ戦時経済論―「戦時高蓄積」構造と戦後の「持続的成長」構造:戦後景気循環の変容をめぐって」。 帝京大学経済学部教授、武蔵大学経済学部教授を経て、2005年4月より法政大学経済学部教授。2022年4月より同名誉教授。
市村 政美(いちむら まさみ、1950年〈昭和25年〉12月… 市村 政美(いちむら まさみ、1950年〈昭和25年〉12月29日 - )は、日本のアルペンスキー選手。1970年代の日本スキー界で活躍した。現在は競技スキーを専門とするスキースクール冬龍門の代表を務める。 群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)出身。群馬県立利根農林高等学校(現・群馬県立利根実業高等学校)から法政大学に進学し、中退。1971年(昭和46年)に日本楽器製造(現・ヤマハ)に入社。 1972年(昭和47年)の札幌オリンピックに出場し、大回転3分15秒34で15位、回転1分54秒83で17位の成績を収める。1977年(昭和52年)1月24日、オーストリア・キッツビューエルで行われたアルペンスキー・ワールドカップ男子回転第5戦ハーネンカム大会にて7位入賞の快挙を成し遂げた。
グラン浜田(グランはまだ、1950年11月27日 - 202… グラン浜田(グランはまだ、1950年11月27日 - 2025年2月15日)は、日本のプロレスラー。本名は濱田 廣秋(はまだ ひろあき)。群馬県前橋市出身。身長167cm、体重90kg。その軽量な体を生かしてルチャリブレを活動の中心としている。最も著名な日本人ルチャドールの1人とされ、日本およびメキシコにおいて顕著な活躍を残している。 娘のソチ浜田、浜田文子も元プロレスラーである。 身長も小さく、ルチャリブレでの活躍とスタイルからシュート系の強さと無縁と思われがちであるが、浜田自身は柔道のミュンヘンオリンピック候補選手であり、その気の強さも相まって昭和新日本プロレスの中でも有数の猛者であった。治安の悪いメキシコで成功した理由に、プロレスセンスの良さとシュートの強さが比例していた背景がある。
渡辺 真理(わたなべ まこと、男性、1950年11月25日 … 渡辺 真理(わたなべ まこと、男性、1950年11月25日 - )は、日本の建築家。法政大学デザイン工学部建築学科教授。専門は建築意匠、都市デザイン 妻である木下庸子とユニットを組み、設計組織ADHとして、住宅から公共建築まで幅広い建築設計を手がけており、日本建築学会賞、JIA新人賞などを受賞している。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校、京都大学工学部建築学科卒業。同大学院修士課程修了。1979年、ハーバード大学デザイン学部大学院修了。 1981年~1987年、磯崎新アトリエ勤務、ロサンゼルス現代美術館などを担当。1987年、設計組織ADH主宰(木下庸子とのユニット)。1996年、法政大学工学部教授(2007年、改組によりデザイン工学部教授)。
亀山 豊文(かめやま とよふみ、1950年〈昭和25年〉10… 亀山 豊文(かめやま とよふみ、1950年〈昭和25年〉10月18日 - )は、日本の政治家。元群馬県桐生市長(3期)、群馬県議会議員。 栃木県足利郡菱村(1959年の越境編入により現在は群馬県桐生市)出身。祖父・孝之は菱村長・桐生市議会議員を務め、父・憲明も桐生市議会議員・群馬県議会議員を務めた。 1969年に群馬県立桐生高等学校を卒業し、1973年専修大学法学部卒業。家業の繊維会社に勤める。 1983年桐生青年会議所理事長、1987年日本青年会議所関東地区群馬ブロック副会長。父の引退に伴い1995年の群馬県議会議員選挙に桐生市選挙区から無所属で出馬し初当選。以後3期務める。県議時代は自由民主党に所属した。
佐藤 良明(さとう よしあき、1950年10月13日 - )… 佐藤 良明(さとう よしあき、1950年10月13日 - )は、日本のアメリカ文学・ポピュラー音楽研究者、翻訳家。東京大学名誉教授。元放送大学教授。 山梨県生まれ、群馬県高崎市育ち。兄は、多摩美術大学名誉教授でグラフィックデザイナーの佐藤晃一。 トマス・ピンチョン研究でデビューし、1980年代に人類学者グレゴリー・ベイトソンの研究や翻訳を軸とした評論活動を行う。 1990年代は、東京大学教養学部における英語教育改革を柴田元幸らと主導。全学共通の英語テキスト『The Universe of English』(東京大学出版会)シリーズは学内外から反響を呼んだ。 2000年以降は、ポピュラー音楽研究に主軸を移し、また『リトル・チャロ』等の放送教材製作に関わり、新潮社『トマス・ピンチョン全小説』の翻訳を完結に導く。
仙波 憲一(せんば けんいち、1950年7月14日 - )は… 仙波 憲一(せんば けんいち、1950年7月14日 - )は、日本の経済学者。青山学院大学名誉教授・第17代学長(2011年 - 2015年)。専門は理論経済学、マクロ経済学、ミクロ経済学、経済・経営数学。 群馬県高崎市生まれ。群馬県立高崎高等学校、青山学院大学経済学部経済学科卒業。同大学院経済学研究科修士課程修了、博士課程単位取得満期退学(専攻:理論経済学)。青山学院大学国際政治経済学部国際経済学科専任講師、助教授などを経て、1993年より教授。 2015年12月まで青山学院大学学長を務める。 2017年4月より青山学院大学地球社会共生学部教授。2019年3月に同大学を定年退職し、名誉教授の称号を授与される。
山田 道郎(やまだ みちお、1950年〈昭和25年〉6月13… 山田 道郎(やまだ みちお、1950年〈昭和25年〉6月13日 - )は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、博士(法学)(明治大学・論文博士・2006年)(学位論文「証拠の森:刑事証拠法研究」)。明治大学教授。群馬県安中市出身。
新井 徹(あらい とおる、1950年6月3日 - 2024年… 新井 徹(あらい とおる、1950年6月3日 - 2024年10月3日)は、日本の実業家。森永製菓元社長。群馬県出身。 群馬県高崎市出身。1973年に早稲田大学理工学部卒業後、森永製菓に入社。広報・IR部長兼広告部長などを歴任し、2009年6月に取締役。常務を経て2013年6月に社長に就任。2017年に上場来高値を更新。2019年、社長を退任し同社顧問に就任。2024年10月3日午後8時34分、病気のため死去。74歳没。
井野 信義(いの のぶよし、1950年3月26日 - )は、… 井野 信義(いの のぶよし、1950年3月26日 - )は、群馬県桐生市出身の音楽家。ベーシスト、作曲家。 東京で育ち、暁星高校卒業。在学時よりR&Bバンドでクラブに出演。1969年、高校を出てすぐ加入したザ・ブルーベル・シンガーズで「昭和ブルース」が話題になったが、グループを脱退した。その後、クラシックのコントラバスを勉強する。1971年、高柳昌行と出会い、ジャズ界に進出。日本のトップベーシストとして、日野元彦とのコンビで非常に多くのレコーディングに参加した。また、同じく高柳門下で暁星高校の後輩、渡辺香津美とのデュオユニット"マウンテン"など、渡辺との共演も多い。 1979年、ドイツのメールス・ジャズ・フェスティバルに出演し、海外でも高い評価を受ける。
矢島 賢(やじま けん、クレジット表記・ken yajima… 矢島 賢(やじま けん、クレジット表記・ken yajima、1950年3月18日 - 2015年4月29日)は、日本のギタリスト、スタジオ・ミュージシャン。 ベーシストの江藤勲らとともに、日本の歌謡曲の黄金時代を、サウンド面で支えた。 次女はアートディレクターの矢島沙夜子。 群馬県前橋市生まれ。群馬県立渋川高等学校卒業後上京。ベトナム戦争最中の1969年より、横田や厚木等の在日米軍基地の将校クラブ、ティーンズ・クラブ等で演奏した。当時のゲストボーカルは五輪真弓。 その後東芝レコードプロデューサー渋谷森久の目に留まり、徐々にバンド活動からスタジオ・ミュージシャンの道を歩み始める。郷ひろみの「男の子女の子」や、山口百恵の「プレイバックPart2」、近藤真彦「ハイティーン・ブギ」などのヒット曲のセッションに参加し、セッション・ギタリストとしての名声を高める。
須永 徹(すなが とおる、1950年〈昭和25年〉2月14日… 須永 徹(すなが とおる、1950年〈昭和25年〉2月14日 - 1991年〈平成3年〉11月23日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 群馬県太田市出身。足利大学附属高等学校を卒業。1971年群馬大学工業短期大学部卒。富士重工に入り、その後衆議院議員小川省吾の秘書を務めた。太田中小企業労務協会理事長、自治労群馬県本部特別執行委員、日本社会党太田総支部書記長、同党群馬県副委員長を経て、1990年の総選挙で旧群馬2区から立候補して初当選。その前の第38回衆議院議員総選挙では落選している。 しかし在職中の1991年11月23日、群馬県桐生市内の知人の結婚披露宴に出席し祝辞を述べた直後に倒れ、近くの大間々町の恵愛堂病院に搬送されたが、30分後に死亡した。
山田 昇(やまだ のぼる、1950年〈昭和25年〉2月9日 … 山田 昇(やまだ のぼる、1950年〈昭和25年〉2月9日 - 1989年〈平成元年〉2月24日)は、日本のヒマラヤ登山家。8000メートル峰14座のうち9座に12回登頂。 小惑星(4807) Noboruは山田昇に因んで命名された。 1950年2月9日、群馬県沼田市に生まれる。1965年、群馬県立沼田高等学校入学、2年時より山岳部に所属。1968年、同校卒業、沼田山岳会に入会。 1969年、群馬県立前橋職業訓練校卒業、川崎市の池貝鉄鋼に入社。1976年退職。群馬県に戻り、木材店や自動車会社などに勤務しながら、沼田山岳会での活動を続ける。 1978年、ダウラギリに登頂して以降、世界の高峰に次々と登頂する。
藤井 敏夫(ふじい としお、1950年2月7日 - )は、日… 藤井 敏夫(ふじい としお、1950年2月7日 - )は、日本の俳優。本名同じ。群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)出身[4]。身長175cm、体重68kg。血液型はO型。明治大学卒業。オフィス天童所属。
吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9… 吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社上席執行役員を経て、テレビ朝日ホールディングス(テレビ朝日HD)、テレビ朝日社長などを務めた。群馬県出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。1974年(昭和49年)東京大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。福島支局に配属となり、県政担当記者となる。木村守江福島県知事の土地開発に絡む収賄汚職事件を取材。それにより、78年度の日本新聞協会賞を受賞。その後、東京本社浦和支局を経て、79年政治部に異動。 1990年(平成2年)ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(行政学修士)。同大では新芝宏之(岡三証券グループ社長)と一緒に勉強した。
甲斐 彰(かい あきら、1950年 - )は日本の写真家、フ… 甲斐 彰(かい あきら、1950年 - )は日本の写真家、フービズム(HOOBISM)作家。 群馬県藤岡市出身。高校時代の山での遭難、10年間にわたる長い闘病の時代を経て、写真史における自己の果たすべき役割を確信した。 フリーランスフォトグラファー、クリエイティブディレクターを経て、1988年、デジタルによる写真の表現領域の拡張に資するため、日本初のデジタルイメージング専門カンパニーであるフォートン株式会社を設立。 2000年、50歳を機に、本格的に創作活動を開始。絵画と写真と3DCGを融合させた全く新しいビジュアル表現「フービズム」作品を発表。精力的に創作を続けている。 2024年1月フォートン株式会社は株式会社博報堂プロダクツと資本業務提携。
星野 秀孝(ほしの ひでたか、1949年11月26日 - )… 星野 秀孝(ほしの ひでたか、1949年11月26日 - )は、群馬県利根郡利根村出身のプロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。 沼田高校武尊分校には硬式野球部がなかったため、星野は軟式野球部で活動した。「プロの入団テストがあったら教えて欲しい」と周囲に言っていると、星野の存在が、東京大学出身者であった「学校の事務員の先輩か何か」を通じて、東大OBで当時中日ドラゴンズに在籍していた井手峻を経由し、ちょうど関東の各学校を巡回する予定だったスカウト・田村和夫の知るところとなり、視察のチャンスを得た。星野は学校の昼休み、田村を捕手として投球テストを受けることになったが、緊張でボールが高めにしか行かなかった。
関 礼子(せき れいこ、1949年11月 - )は、日本近代… 関 礼子(せき れいこ、1949年11月 - )は、日本近代文学研究者、元中央大学文学部教授。 群馬県出身。群馬県立渋川女子高等学校卒、1971年立教大学文学部英文科中退、1974年同日本文学専攻卒業、1984年同大学院博士課程単位取得満期退学、嘉悦女子短期大学専任講師、1989年亜細亜大学教養部助教授、97年教授、2001年経済学部教授、2011年中央大学文学部教授。2020年定年退職。1998年『語る女たちの時代 一葉と明治女性表現』でやまなし文学賞受賞。2008年日本近代文学会理事、2016年代表理事。樋口一葉が専門。
塚田 京子(つかだ きょうこ、1949年〈昭和24年〉9月2… 塚田 京子(つかだ きょうこ、1949年〈昭和24年〉9月29日 - 2004年〈平成16年〉12月17日)は、日本の声楽家。元国立音楽大学助教授。群馬県桐生市出身。二期会会員。ソプラノ歌手として藤原歌劇団に所属[要出典]。死去時の本名は松田 京子。 1986年、群馬県の依頼により、松原真介(塚田と同世代のテノール歌手で、2021年現在は群馬音楽協会会長および群馬県合唱連盟理事長)と共に「群馬県の歌」をレコーディングする。この音源は30年以上たった今も、群馬テレビの放送開始時と終了時に流されている。
藤口 光紀(ふじぐち みつのり、1949年8月17日 - )… 藤口 光紀(ふじぐち みつのり、1949年8月17日 - )は、日本のサッカー選手。元日本代表。群馬県勢多郡粕川村(現・前橋市)出身。日本プロサッカーリーグ元理事。浦和レッドダイヤモンズ(株式会社三菱自動車フットボールクラブ)前社長。現在広島経済大学教授。 群馬県勢多郡粕川村(現・前橋市)に、藤口末光(日本選手権十種競技優勝者、群馬県体育協会副会長)の長男として生まれる。 新島学園高等学校サッカー部で活躍。3年時には群馬県代表として国体に出場する。頭脳明晰で知られ、1年の浪人後慶應義塾大学文学部に合格。慶應義塾大学体育会ソッカー部で1年生からレギュラーを獲得し、1969年に大学選手権優勝。在学中に日本代表に選出された。
滋野 文夫(しげの ふみお, 1949年7月4日 - )は、… 滋野 文夫(しげの ふみお, 1949年7月4日 - )は、群馬県前橋市出身の水泳選手。「国体男」として知られる。通算17回の出場は史上最多。 1949年7月4日、群馬県前橋市に生まれる。群馬県立前橋工業高等学校に入学し、高校総体や群馬県選手権で入賞する。法政大学入学後、水泳部の主将として、インターカレッジ3位の記録を残す。1965年の岐阜国体から1990年の福岡国体の間に、国体出場17回の記録を打ち立てる。2009年1月現在、前橋市水泳協会会長。2020年4月現在前橋市スポーツ協会会長。
沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は… 沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は、日本のアルペンスキー選手。札幌オリンピック代表となるなど1960年代末から1970年代に活躍した。群馬県吾妻郡草津町出身。大東文化大学卒業。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
井出 洋一郎(いで よういちろう、1949年(昭和24年)5… 井出 洋一郎(いで よういちろう、1949年(昭和24年)5月8日 - 2016年(平成28年)10月19日)は、日本の美術評論家。府中市美術館館長、群馬県立近代美術館館長を歴任。 1949年群馬県高崎市生まれ。1968年群馬県立高崎高等学校卒業。1972年上智大学外国語学部フランス語学科卒業、1978年早稲田大学大学院文学研究科西洋美術史専攻博士課程満期退学。 山梨県立美術館に勤務し、初代「ミレー番」学芸員を務める。1987年退職。上智大学講師、明星大学助教授、東京純心女子大学芸術文化学科教授、2009年府中市美術館館長、2015年群馬県立近代美術館館長。 2013年から日本テレビのルーヴル美術館特番の監修を務める。
小山 鉄郎(こやま てつろう、1949年5月3日 - )は日… 小山 鉄郎(こやま てつろう、1949年5月3日 - )は日本のジャーナリスト。元共同通信社編集委員兼論説委員。日本記者クラブ賞受賞。 群馬県伊勢崎市出身。一橋大学経済学部を卒業し、1973年共同通信社に入社。社会部、川崎支局、横浜支局、社会部などを経て、1984年から文化部。2024年11月まで共同通信社編集委員兼論説委員を務める。 この間、2009年まで文字文化研究所理事を務めたほか、白川静の漢字学や村上春樹についての著作活動も行う。村上春樹作品については『ノルウェイの森』刊行時(1987年9月)、唯一のインタビュアー。オウム真理教信者たちによる地下鉄サリン事件の被害者らへのインタビュー集『アンダーグラウンド』が1997年3月20日に刊行されることを特報。
岡村宗二(おかむら そうじ、1949年5月- )は、日本の経… 岡村宗二(おかむら そうじ、1949年5月- )は、日本の経済学者、大東文化大学教授。 群馬県太田市生まれ。立教大学経済学部卒、同大学院修士課程修了。上武大学助教授をへて、大東文化大学助教授、1989年教授となる。
石山 照明(いしやま てるあき、1949年〈昭和24年〉4月… 石山 照明(いしやま てるあき、1949年〈昭和24年〉4月7日 - )は、日本の実業家。初代新日鉄マテリアルズ代表取締役社長や、初代新日本電工代表取締役社長を務めた。 群馬県藤岡市生まれ。群馬県立高崎高等学校を経て、1973年一橋大学経済学部卒業、新日本製鐵入社。進藤孝生日本製鉄代表取締役会長や、弁護士の一木剛太郎元新日本電工監査役は大学の同期。1996年新日本製鐵室蘭製鐵所総務部長。2002年新日本製鐵新素材事業部長。2005年新日本製鐵参与新素材事業部長。 2006年新日本製鐵新素材事業部が分社化され、新たに設立された新日鉄マテリアルズ代表取締役社長に就任。 中期経営計画の初年度に合わせ2011年日本電工代表取締役社長に着任。
入澤 孝一(いりさわ こういち、1949年〈昭和24年〉3月… 入澤 孝一(いりさわ こういち、1949年〈昭和24年〉3月8日 - )は、日本の教育者、スポーツ科学者、スピードスケート指導者である。元スケート日本代表ヘッドコーチ。冬季五輪メダリストの黒岩彰、黒岩敏幸、佐藤綾乃らを育て、日本スケート界の名伯楽として知られる。高崎健康福祉大学保健医療学部理学療法学科教授。専門は運動科学。群馬県スケート連盟副会長、群馬県スポーツ協会強化委員長。元群馬県スケート連盟理事長。 群馬県吾妻郡長野原町の生まれ。 群馬県立渋川高等学校普通科、中京大学体育学部に学ぶ。中京大から学士(体育学)を受ける。 大学を出た後教師になり、群馬県吾妻郡嬬恋村立西中学校、群馬県立嬬恋高等学校に赴任。
土屋 博映(つちや ひろえい、1949年3月3日 - )は、… 土屋 博映(つちや ひろえい、1949年3月3日 - )は、日本の国文学者。元跡見学園女子大学短期大学部言語文化科日本語専攻教授。元代々木ゼミナール古文科講師。 1979年より代々木ゼミナールで古文講師を勤めた。授業の合間に受験生を励ます替え歌を歌ったり、様々なエピソード、雑談を交えたスタイルから「お祭り講師」と呼ばれた。「わくわく動物ランド」「上海紅鯨団が行く」などのバラエティ番組でレギュラー出演をする。わくわく動物ランドに解答者としてオファーを受けた時には、当時「クイズダービー」のレギュラー解答者で学習院大学教授の篠沢秀夫に相談し、そこで数々のアドバイスと励ましを受けて、出演することを決めたという。
田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月1… 田島 雄一(たじま ゆういち、1949年〈昭和24年〉1月13日 - 2014年〈平成26年〉3月19日)は日本の政治家。群馬県議(8期)、第68・69代群馬県議会副議長、第72代群馬県議会議長を歴任した。 1949年1月13日、佐波郡采女村(現伊勢崎市)に生まれる。1967年、群馬県立前橋高等学校卒業。1972年、芝浦工業大学工学部工業化学科を卒業し、大洋工業に入社した。1975年、大洋工業社長となる。同年4月13日、群馬県議会議員選挙に佐波郡選挙区から立候補して初当選を果たした。1986年6月、衆議院選挙に立候補するため県議を辞職した。同年7月6日、旧群馬1区から無所属で第38回衆議院議員総選挙に立候補したが次点で落選した。
中澤 敬(なかざわ たかし、1949年 - )は、日本の実業… 中澤 敬(なかざわ たかし、1949年 - )は、日本の実業家、政治家。株式会社中沢ヴィレッジ代表取締役会長、一般社団法人草津温泉観光協会会長、一般社団法人日本温泉協会理事、元群馬県吾妻郡草津町長。 1949年、群馬県吾妻郡草津町生まれ。1972年、立教大学社会学部観光学科(現・観光学部)卒業。 大学卒業後、スイスへ渡り、スイスホテル協会設立のローザンヌホテルスクールで学んだ後、ジュネーブでホテル業務に携わる。 1978年に帰国し、草津温泉を代表する大規模リゾートホテル・株式会社中沢ヴィレッジの専務取締役に就任。 1998年、草津温泉旅館協同組合理事長に就任。 2002年~2010年、群馬県吾妻郡草津町長(二期8年間)に就任。
松沢 幸一(まつざわ こういち、1948年〈昭和23年〉12… 松沢 幸一(まつざわ こういち、1948年〈昭和23年〉12月13日 - )は日本の実業家、農学博士。キリンビール代表取締役社長を経て、明治屋代表取締役社長、日本洋酒輸入協会理事長。首都大学東京客員教授、埼玉大学客員教授、参天製薬監査役等を歴任。 群馬県邑楽郡千代田町出身。群馬県立館林高等学校を経て、1971年北海道大学農学部卒業。1973年北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、キリンビール入社、福岡工場検査部門配属。同期入社の前田仁と親しく交友した。 1978年ドイツ留学。1988年京都工場製造部長。1991年北海道大学農学博士。1992年経営企画室室長代理。1996年キリン・ヨーロッパGmbH代表取締役社長。
糸井 重里(いとい しげさと、1948年〈昭和23年〉11月… 糸井 重里(いとい しげさと、1948年〈昭和23年〉11月10日 - )は、日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家、実業家。 株式会社ほぼ日代表取締役社長。株式会社エイプ代表取締役。フィールズ株式会社社外取締役。妻は女優の樋口可南子。日本モノポリー協会会長。 群馬県前橋市出身。生誕後に両親が離婚し、司法書士であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後、実母と1981年に再会した。 小学校3年の時に父親が再婚。幼少時から漫画好きで漫画家に憧れていた。中学時代は北杜夫に熱中した。 群馬県立前橋高等学校に入学。文学青年の友達ができ、アングラ文学などに目覚める。また、バンカラを気取って一本歯の下駄で学校に通った。
中沢 丈一(なかざわ じょういち、1948年〈昭和23年〉1… 中沢 丈一(なかざわ じょういち、1948年〈昭和23年〉10月20日 - )は日本の政治家。群馬県議会議員(8期)、第81代群馬県議会議長、群馬県議会副議長、前橋市議(2期)を務めた。 1948年10月20日、群馬県勢多郡上川淵村(現前橋市)大字上佐鳥に生まれる。1961年、前橋市立上川淵小学校卒業。1964年、前橋市立第七中学校卒業。1967年、群馬県立勢多農林高等学校卒業。1971年、東京農業大学農学部農業経済学科を卒業し、群馬県経済農業協同組合連合会に勤務する。1977年、退職して農業に従事するようになる。 1985年、前橋市議会議員選挙に無所属で立候補して初当選を果たし、2期6年務めた。
櫻井 彰生(さくらい あきお、1948年9月21日 - )は… 櫻井 彰生(さくらい あきお、1948年9月21日 - )は、日本の映画監督。ドキュメンタリー映画の世界で活躍している。
櫻井 顕(幼名は彰生、眞樹、1948年9月 - )は、日本の… 櫻井 顕(幼名は彰生、眞樹、1948年9月 - )は、日本の映画監督、シナリオライター、プロデューサー、小説家。群馬県前橋市出身。 当初は俳優を目指して早稲田大に学んだが、早稲田大学第二文学部演劇学科卒業後、映画監督大沼哲郎、杉山正美、小林米作等に師事。主に科学映画、記録映画製作に従事。その後日本テレビ放送網、電通映画社を経て1978年よりフリー映画作家としてインディペンダント映画作品の製作を目指す。 1979年「さよならの日々」で劇映画監督デビュー。同作品は1980年文化庁奨励賞を獲得。同作品の撮影は、村野鉄太郎監督の「月山」でカメラマンデビューした高間賢治の2作目。以来櫻井と高間は交流を続け、3本の自主映画作品を共に製作。
戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11… 戸所 隆(とどころ たかし、1948年〈昭和23年〉6月11日 - )は、日本の地理学者、高崎経済大学名誉教授。第36代日本地理学会会長(2016年 - 2017年)。群馬県前橋市総社町出身。
久慈 きみ代(くじ きみよ、1948年5月13日 - )は、… 久慈 きみ代(くじ きみよ、1948年5月13日 - )は、国文学者・青森大学名誉教授。群馬県出身。 高崎市生まれ。1971年駒澤大学文学部国文学科卒業。1996年弘前大学大学院人文科学研究科地域文化論専攻修士課程修了。同年、青森大学非常勤講師。青森短期大学専任講師を経て助教授。青森大学社会学部准教授を経て教授。研究分野は中古文学および「寺山修司の青森時代」の調査研究。2012年4月「あおもり古典を楽しむ会」を設立、のち顧問。地域と共にある研究を目指す。青森大学オープンカレッジ「源氏物語を読む」、NHK青森文化センター「じっくり読みたい源氏物語」講師、国際寺山修司学会運営委員などを歴任。 著書に「編集少年 寺山修司」「孤独な少年ジャーナリスト 寺山修司」「津軽の源氏物語」など。
羽生田 俊(はにゅうだ たかし、1948年〈昭和23年〉3月… 羽生田 俊(はにゅうだ たかし、1948年〈昭和23年〉3月28日 - )は、日本の政治家、眼科医。 参議院議員(2期)、厚生労働副大臣、参議院厚生労働委員長、日本医師会副会長、日本医師会総合政策研究機構所長、羽生田眼科医院院長などを歴任。資金管理団体は俊翔会。 父は眼科医で元衆議院議員の羽生田進。祖父は眼科医で元前橋市議会議長の羽生田俊次。 群馬県前橋市生まれ。1966年3月、群馬県立前橋高等学校卒業。1973年3月、東京医科大学医学部卒業。1973年、医師免許取得。 1973年6月、群馬大学医学部附属病院眼科学教室に入局。1985年12月、医学博士(群馬大学)となる。 1978年4月、羽生田眼科医院の院長に就任。