本多 利夫(ほんだ としお、1939年(昭和14年)10月9… 本多 利夫(ほんだ としお、1939年(昭和14年)10月9日 - )は、日本の政治家。元千葉県鴨川市長。 千葉県鴨川市出身。中央大学法学部卒。旧鴨川市議会議員を4期14年務め、議長も務める。1990年の鴨川市長選挙に立候補し初当選、2005年に天津小湊町と合併するまで旧鴨川市長を4期務める(1994年から3期連続無投票当選)。2005年の合併後の鴨川市長選挙に立候補し、無投票で当選する。市長を1期務め、2009年に退任した。2010年に旭日中綬章を受章。2012年に鴨川名誉市民に推戴された。
新井 彰(あらい あきら、1939年9月19日 - )は、千… 新井 彰(あらい あきら、1939年9月19日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 銚子商業高校から昭和鉄管を経て、1962年に大毎オリオンズへ入団。1964年に引退。
水越 勇雄(みずこし いさお、1939年(昭和14年)8月1… 水越 勇雄(みずこし いさお、1939年(昭和14年)8月14日 - )は、日本の政治家。元千葉県木更津市長(3期)。旭日小綬章。 千葉県木更津市に生まれる。1958年(昭和33年)3月、千葉県立木更津第一高等学校(現千葉県立木更津高等学校)卒業。家業を継ぎ、半農半漁の生活をしていた頃、八幡製鉄の君津・木更津地区進出の噂を聞き、勤めに出ることを決心。1959年(昭和34年)7月、木更津市役所に採用される。 1999年(平成11年)6月、市役所を退職。同年7月、収入役に就任。2000年(平成12年)4月、助役に就任。 2002年(平成14年)2月14日、37億円の借金を抱え、税金滞納までしていた木更津市長の須田勝勇が、指定暴力団から約3億1千万円の借金をしていたことが新たに発覚。
落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 -… 落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 - )は、日本の元海上自衛官である。最終階級は海将補。自衛隊初の海外任務となった、湾岸戦争後のペルシャ湾掃海派遣部隊の指揮官。現在は鎌倉市在住。 太平洋戦争での沖縄戦において、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を送った事で有名な大田実海軍中将の三男である。
関 勝治(せき かつじ、1939年5月 - )は、千葉県市川… 関 勝治(せき かつじ、1939年5月 - )は、千葉県市川市出身の日本の柔道家。現役時代は中量級の選手。組み手は左組み。得意技は体落。身長171cm。体重76kg。 それまでは陸上競技やバスケットボールなどに取り組んでいたが、中学3年の時に加藤道場に入門して柔道を始めた。千葉商大付属第一高校3年の時にはすでに20歳になっていたが、高校生として初となる全日本選手権出場を果たした。大会では予選リーグ1勝1敗の成績で翌日の決勝トーナメントには進めなかった。この際に、フットワークはいいが、体落一辺倒のマンボ的柔道はあまり感心できないとも評された。1961年には明治大学政治経済学部に進学すると、師範の姿節雄や曽根康治の指導の下で鍛えられて全日本学生柔道優勝大会では4連覇達成に貢献した。
小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 201… 小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の元選手。佐倉アスリート倶楽部代表取締役。マラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学客員教授。千葉県佐倉市出身。 大きなサングラスが特徴で、小出正子は実子。高橋健一は婿にあたる。 千葉県立山武農業高等学校卒業後、家業の農業に従事していたが、陸上競技への思いを断ち難く出奔。小出の語るところによると、「電話工事のアルバイトや工事現場の作業員をやりながら食いつなぎ、昭和高圧(現在の高圧昭和ボンベ)駅伝部で競技を続けた」後に苦学の末、22歳で順天堂大学体育学部に入学。箱根駅伝に3年連続出場(1年時の第38回は5区区間10位、2年時の第39回は8区区間3位、3年時の第40回は8区区間5位)。
桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 -… 桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、元文化放送アナウンサー。 本名は永峰 康雄(ながみね やすお)。千葉県市川市出身。O型。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1961年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。 1972年10月9日から10年間 パーソナリティを務めた『桂竜也の夕焼けワイド』は「ベルベットボイス」と称する落ち着いた語りで人気を博した。担当番組で用いたマイクネームの「桂」は桂文楽 (8代目)から。「竜也」は黒岩重吾の小説に出てくる人物からもらったという。 2004年9月、同社を定年退職。その後はアルツハイマー型認知症を発症。
千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny C… 千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 2], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
臼井 日出男(うすい ひでお、1939年1月3日 - )は、… 臼井 日出男(うすい ひでお、1939年1月3日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。
長谷川和廣(はせがわ かずひろ、1939年 - )は、日本の… 長谷川和廣(はせがわ かずひろ、1939年 - )は、日本の経営者、実業家、経営コンサルタント、ノンフィクション作家。現在、会社力研究所代表。 千葉県生まれ。千葉県立佐倉高等学校を経て、中央大学経済学部を卒業後、マルチナショナル企業である十條キンバリー、ゼネラルフーズ、ジョンソン等で、マーケティング、プロダクトマネジメントを担当。その後、ケロッグジャパン、バイエルジャパン、バリラックス・ジャパンなどで代表取締役社長などの要職を歴任。2000年、株式会社ニコンの眼鏡事業部、及び子会社ニコンオプチカル社と、仏エシロールの日本法人バリラックス・ジャパンとの合弁会社ニコン・エシロール社の副社長、後に代表取締役。
新坂 一雄(しんさか かずお、1939年-1991年12月2… 新坂 一雄(しんさか かずお、1939年-1991年12月28日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。従五位。勲四等。
式田 信一(しきた しんいち、1938年12月3日 - )は… 式田 信一(しきた しんいち、1938年12月3日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 県立船橋高校から1957年に中日ドラゴンズへ入団。1963年に引退。
守屋 浩(もりや ひろし、本名:守屋 邦彦(もりや くにひこ… 守屋 浩(もりや ひろし、本名:守屋 邦彦(もりや くにひこ)、1938年9月20日 - 2020年9月19日)は、日本の歌手、俳優である。千葉県市川市出身。安田学園中学校・高等学校卒業。女優、歌手の本間千代子は元夫人。 所属事務所は1960年より堀プロダクション(現在のホリプロ)、所属レコード会社は日本コロムビア→日本クラウンであった。ホリプロ所属タレントでヒットした第1号である。亡くなるまで同社の所属であった。 1957年、スイングウェストのバンドボーイとして芸能界入りし、1958年に日劇ウエスタンカーニバルでデビューする。ほぼ同時に堀プロダクションを設立した堀威夫の提案により芸名を「守屋浩」とする。
中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16… 中野 誠也(なかの せいや、1938年〈昭和13年〉9月16日 - )は、日本の俳優、演出家。本名は同じ。 千葉県市川市出身。東京都立両国高等学校卒。早稲田大学第一文学部演劇科中退。劇団俳優座に所属。 劇団俳優座の第10期生でデビュー。初舞台は『黄色い波』。 1960年代、1970年代に、テレビドラマで二枚目として活躍。「新劇の二枚目俳優」と呼ばれる。主演ドラマは『竜馬がゆく』『次郎長三国志』など。「洋画劇場」や「NHK」の外国ドラマなどで声優も務めた。また、1970年代以降は刑事ドラマや時代劇の常連悪役として活躍している(ただし時代劇でも善人役を演じることがあるなど完全な悪役専門ではない)。 趣味はピアノ、アコーディオン、ハーモニカ。
石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、… 石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、日本の政治家、市民運動家、社会福祉学者。民主党所属の元衆議院議員(4期)。元民主党副代表。『季刊福祉労働』編集長。NPO法人「市民福祉サポートセンター」代表、「市民がつくる政策調査会」代表理事。 政治活動においては石毛 えい子の表記を主に用いている。 千葉県銚子市生まれ。 千葉県立銚子高等学校、日本女子大学文学部卒業。 大学卒業後は社会福祉団体の代表や飯田女子短期大学教授を務めるかたわら、市民運動に取り組む。専門は社会福祉学。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で比例東京ブロック単独2位で出馬し、初当選。1999年(平成11年)-7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に反対票を投じた。
大谷 治男(おおたに はるお、1938年7月4日 - )は、… 大谷 治男(おおたに はるお、1938年7月4日 - )は、日本の元陸上競技選手。千葉県印旛郡酒々井町出身。専修大学商経学部商業学科卒業。 酒々井町立酒々井小学校、酒々井町立酒々井中学校、成田高等学校、専修大学出身。 東京都墨田区向島で生まれたが、1945年3月10日に東京大空襲があり、父の実家のある千葉県酒々井町に移り住んだ。 中学卒業後はパン屋に就職することになっていたが印旛郡の中学生ロードレース大会で優勝し、成田高等学校に進学した。高校時代には全国高校駅伝に出場した。 高校卒業後は佐倉郵便局に就職することになっていたが、長嶋茂雄の兄である長嶋武彦との縁もあり、専修大学の補欠試験を受けて合格した。
大坪 政士(おおつぼ まさし、1938年6月18日 - )は… 大坪 政士(おおつぼ まさし、1938年6月18日 - )は、日本の陸上競技選手。1964年東京オリンピックで男子棒高跳に出場。その後、姓は小倉となっている。 千葉県木更津市桜井出身。木更津市立木更津第二中学校1年生の時に、校内のマラソン大会で優勝したことから陸上競技を始めたという。千葉県立木更津高等学校に進むと棒高跳で頭角を現し、3年生時の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で優勝した。 中央大学に進み、1959年に日本陸上競技選手権大会の棒高跳で4m20を跳び、同記録の安田矩明をかわして優勝した。 卒業後は日立製作所に属した。東日本実業団陸上競技選手権では第3回大会から第6回大会まで4回連続優勝。
飯島 恵喜(いいじま けいき、1938年5月16日 - )は… 飯島 恵喜(いいじま けいき、1938年5月16日 - )は、日本の陸上競技選手。専門はハードル。1950年代から1960年代にかけて活躍し、400mハードルの日本記録を保持していた。 1964年東京オリンピックで男子400メートルハードルに出場した。 千葉県海上郡旭町(現在の旭市)出身。千葉県立銚子商業高等学校在学中の1956年(昭和31年)、第11回国民体育大会(神戸市)で110mハードルに出場し優勝。 早稲田大学に進む。1960年(昭和35年)には、日本陸上競技選手権大会400mハードルで優勝するなどの成績をおさめ、ユニバーシアード陸上競技大会(ブルガリア)に出場した。 1961年、早稲田大学教育学部を卒業し、大昭和製紙に入社。
印南 博之(いんなみ ひろゆき、1938年5月10日 - 2… 印南 博之(いんなみ ひろゆき、1938年5月10日 - 2021年12月26日)は、日本の郵趣家。日本郵趣協会理事、切手の博物館設立委員を務めた。 千葉県千葉市出身。父は経済学・保険学者、明治大学名誉教授、創価大学名誉教授の印南博吉。 1961年明治大学政治経済学部卒業。全国共済農業協同組合連合会入会、全国農業協同組合中央会、中央協同組合学園、共済総合研究所、21世紀村作り塾へ出向、全国農業協同組合中央会で広報活動に従事。 郵趣関係以外では農政ジャーナリストの会、日本軍事史学会に所属し、日本旗章学協会専任講師、明治大学リバティアカデミー講師等も務める。西洋紋章研究家の一面もある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
倉田 寛之(くらた ひろゆき、1938年〈昭和13年〉4月9… 倉田 寛之(くらた ひろゆき、1938年〈昭和13年〉4月9日 - 2020年〈令和2年〉4月7日)は、日本の政治家。位階・勲章は従二位桐花大綬章。 参議院議長(第25代)、自治大臣(第49代)、国家公安委員会委員長(第58代)、参議院議員(4期)、参議院予算委員長、参議院国会対策委員長、千葉県議会議員(4期)等を歴任した。 千葉県東葛飾郡(現松戸市)生まれ。東京学芸大学附属高等学校、成城大学経済学部卒業。 1967年、千葉県議会議員選挙に立候補し、初当選した。以後4期連続当選し、当時最年少で千葉県議会議長も務めた。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で千葉県選挙区から立候補し、当選。
北原 亞以子(きたはら あいこ、本名:高野美枝、1938年1… 北原 亞以子(きたはら あいこ、本名:高野美枝、1938年1月20日 - 2013年3月12日)は、日本の小説家。 東京・新橋の祖父の代からの椅子専門の洋家具職人の家に生まれる。4歳で父が南方戦地で戦死し、6歳の1944年(昭和19年)11月30日に空襲で生家が焼失し、7歳で終戦を迎える。千葉県立千葉第二高等学校卒業。高校のころから小説家を志望し、石油会社でOLをしながら書き続ける。 28歳の時に同人誌「文藝首都」の同人への推薦人のつてが無く購読と批評提出のできる会員となり、処女作を提出するが出した原稿が訂正の赤入れだらけで真っ赤になるほど酷評され、ショックを受けて会員をやめる。1968年、同人誌「文学地帯」の同人となる。
上田 正治(うえだ しょうじ、1938年〈昭和13年〉1月1… 上田 正治(うえだ しょうじ、1938年〈昭和13年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉1月16日)は、日本映画の撮影監督。千葉県船橋市出身。 1956年に東宝撮影所の撮影助手として入社。1985年に黒澤明監督の映画、乱で撮影を担当。アカデミー撮影賞にノミネートされる。 2025年1月16日、急性心筋梗塞のため横浜市の病院で死去。87歳没。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
根本 實(ねもと みのる、1938年 - ) は、日本の材料… 根本 實(ねもと みのる、1938年 - ) は、日本の材料工学者。工学博士(東北大学・1966年)。九州大学名誉教授。元佐世保工業高等専門学校校長。元久留米工業大学学長。元日本金属学会副会長。元日本鉄鋼協会副会長。瑞宝中綬章受章。 東京生まれ。千葉県立佐原高等学校を経て、1960年東北大学工学部金属工学科卒業。1965年東北大学大学院工学研究科金属工学専攻博士課程単位取得退学。1966年東北大学より工学博士の学位を取得。1969年東北大学工学部助教授。1982年九州大学工学部教授。1992年日本金属学会副会長、軽金属学会理事。1994年日本鉄鋼協会副会長。1999年佐世保工業高等専門学校校長。
外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 20… 外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 2022年3月12日)は、日本の政治家、保健師(保健学博士)、看護師。衆議院議員(1期)、社会福祉法人かがやき会理事長を務めた。 1960年、東京大学医学部衛生看護学科卒業後、同大学の助手を経て、1968年、国立武蔵野療養所看護婦長に就任。翌1969年に渡米し、ボストン大学に留学。精神疾患を抱えたベトナム帰還兵の看護などにあたったという。1971年に同大学大学院看護学部修士課程を修了。帰国後の1973年、東京都精神医学総合研究所医療研究室主任研究員。1985年、同研究所副参事研究員。1989年に退職。1986年、精神障害者の社会参加と地域での生活を支援する「地域ケアセンター」を有志で立ち上げ、1989年に社会福祉法人かがやき会を設立。
霜 禮次郎(しも れいじろう、1937年12月9日 - )は… 霜 禮次郎(しも れいじろう、1937年12月9日 - )は、日本の整形外科医師、射撃選手。
牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994… 牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994年1月20日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 成田高等学校では投手、五番打者として活躍。1955年夏の県予選、南関東大会で3完封、5本塁打を記録。南関東大会決勝で鴻巣高を延長10回の末に破り、夏の甲子園に出場。甲子園では2回戦(初戦)で津久見高の田中喜八郎と投げ合うが、大差で完封負けを喫する。高校同期に左翼手、四番打者の平山正行(南海)がいた。 法政大学へ進学。エース、中心打者として活躍するが、東京六大学野球リーグは当時、長嶋茂雄、杉浦忠らの立大全盛期であり、法大は優勝に届かなかった。しかし1957年秋季リーグで、シーズン最優秀防御率0.19のリーグ記録を達成。
江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25… 江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25日 - 2014年(平成26年)11月27日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(当選3回)。自民党副幹事長、防衛政務次官、運輸政務次官、衆議院厚生委員長、自民党商工部会長、学校法人八千代松陰学園理事長(事実上の創立者、創業者)、千葉県神社総代会長、日本会議千葉会長などを歴任。 千葉県印旛郡阿蘇村字村上(現・八千代市)出身。1945年4月1日父の義勇が太平洋戦争でフィリピンのルソン島にて戦死。千葉県立佐倉第一高等学校卒業。千葉大学園芸別科修了。 1974年5月、千葉県議会議員補欠選挙に立候補して初当選し、その後4期務める。 1978年、山口久太に約1万5千坪の土地を無償提供し、八千代松陰高等学校創立に尽力。
緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 … 緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の俳優。旧芸名および本名は緒形 明伸(おがた あきのぶ)。趣味は絵手紙と水墨画。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身、千葉県千葉市育ち。長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。義理の娘(直人の妻)に女優の仙道敦子、孫に緒形敦(直人の息子)がいる。 なお、後述の通り、芸名の読みは元来「おがた"こぶし"」であるとされるが、一般には「おがた"けん"」として知られる。 1937年7月20日(火曜日)、東京府東京市牛込区で生まれる。男5人兄弟の四男として誕生。太平洋戦争中、空襲で牛込の家が焼かれたため、小学校2年生の時に千葉県千葉市登戸町(現・中央区登戸)に一家で疎開したという。
君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2… 君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2013年7月16日)は、千葉県木更津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は五味 利正(ごみ としまさ)。現役当時の体格は177cm、125kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1963年5月場所)。 立浪部屋の元十両力士・桐ノ花の勧誘を受けて、地元の中学校を卒業後に角界入り。1953年(昭和28年)5月場所にて15歳で初土俵を踏み、翌9月場所、「房州山」の四股名で序二段に付いた(その後、「千葉ノ浪」を経て「君錦」に改名している)。 以来、徐々に番付を上げてゆき、1960年(昭和35年)3月場所で十両に昇進。そして、1961年(昭和36年)7月場所において、24歳で新入幕を果たした。
茅野 直彦(ちの ただひこ、1937年(昭和12年)7月4日… 茅野 直彦(ちの ただひこ、1937年(昭和12年)7月4日 - )は、日本の囲碁棋士。千葉県野田市出身、中村勇太郎九段郎門下、日本棋院所属、九段。プロ十傑戦8位入賞、本因坊戦リーグ2期など。 野田市生まれ。1950年中村勇太郎に入門、院生となる。1953年初段。同年二段。1954年三段。1956年北陸新聞日本棋院新人戦で優勝。1959年五段。1963年六段。1966年大手合一部三等、七段。1970年プロ十傑戦8位入賞、本因坊戦リーグ入り。1974年八段。1975年本因坊戦リーグ入り。1978年棋戦戦八段戦優勝、最高棋士決定戦出場。1980年八段戦準優勝。1983年九段。1988年、89年に碁聖戦ベスト4。
田辺俊彦(たなべ としひこ 1937年5月23日-1991年… 田辺俊彦(たなべ としひこ 1937年5月23日-1991年1月14日)は、日本の官僚。千葉県旭市出身。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は… 花沢 英雄(はなざわ ひでお、1937年4月20日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉県立銚子商業高等学校から1956年に大映スターズへ入団。1957年まで在籍したが制球に難があり1勝もできなかった。
泉水 博(せんすい ひろし、1937年3月10日 - 202… 泉水 博(せんすい ひろし、1937年3月10日 - 2020年3月27日)は、千葉刑務所で獄中者組合を結成した人物。千葉県木更津市生まれ。 千葉県立木更津第二高等学校(現在の千葉県立木更津東高等学校)を2年で中退後、職を転々とする。1960年、仲間と2人で会社重役の妻を刺殺し、1万5千円を奪った事件で逮捕された。泉水は無期懲役が確定し、千葉刑務所で服役した。 模範囚で仮釈放目前だったが、同じ刑務所の囚人が病気で吐血して苦しんでいるとき、看守を人質にとって、医者に見せろと要求をした。この行動が同じ刑務所にいた野村秋介らにより、ミニコミ紙や口コミで「千葉刑務所に泉水あり」との噂が広まり、後の統一獄中者組合の結成につながった。
佐藤 公久(さとう きみひさ、1937年(昭和12年)2月2… 佐藤 公久(さとう きみひさ、1937年(昭和12年)2月22日 - )は日本の経済産業評論家。元三菱総合研究所常務、元日本大学商学部教授。株式会社システム ブレーン所属。千葉県成田市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
瑳川 哲朗(さがわ てつろう、1937年1月22日 - 20… 瑳川 哲朗(さがわ てつろう、1937年1月22日 - 2021年2月17日)は、日本の俳優・歌手、声優。本名は、勝野 忠孝(かつの ただたか、旧姓・田辺)。デビュー当時の芸名は伊達京史。身長176cm、血液型はA型。千葉県館山市出身。
片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月… 片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、千葉県市川市出身の日本の実業家。位階は正五位。全日警創業者。全国警備業協会会長などを歴任した。 立教大学社会学部卒業後に父親が経営する、白黒ニュースフイルムを再生する会社の「三栄映材」に入社し、専務取締役に就任。 映画産業の衰退から転職を考えていた際に1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックでの開会式見学後に立ち寄った選手村でのきびきび動く警備員の姿を見て、感銘を受けた。1966年(昭和41年)に友人5人と全日警を設立。当時は警備業の認知度も低かったため、片岡ら幹部自らが実演を交えた営業を行うこともあった。
田中 昭一(たなか しょういち、1937年(昭和12年)1月… 田中 昭一(たなか しょういち、1937年(昭和12年)1月1日 - 2025年(令和7年)10月15日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(1期)である。 1937年、千葉県船橋市に生まれる。船橋市立法田中学校卒業。その後は農業に従事する。1971年(昭和46年)に船橋市議会議員に当選。後に1期を務めた。1975年(昭和50年)の千葉県議会議員に初当選し、後に6期を務め、1995年(平成7年)5月に千葉県議会議長に就任。 1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙において千葉県第4区から自民党公認で立候補し、新進党現職の野田佳彦ら3人を破って当選した。特に、野田との差はわずか105票差であった。
小野田 町枝(おのだ まちえ、1937年 - )は、(財)小… 小野田 町枝(おのだ まちえ、1937年 - )は、(財)小野田自然塾理事、小野田牧場共同経営者、日本女性の会会長。夫は小野田寛郎。 茨城県出身。千葉県立佐原女子高等学校卒業後、日産自動車、トーメン、ブリヂストンに勤務。その後、保険代理店を経営しながら、上智大学で聴講生として心理学を学ぶ。 1976年に小野田寛郎と結婚し、ブラジルへ移住。牧場を開拓し、日本語学校を創設した。 2006年、安西愛子の後任として日本会議の女性組織・日本女性の会の会長に就任。
野平 明雄(のひら あきお、1937年 - 2015年2月4… 野平 明雄(のひら あきお、1937年 - 2015年2月4日)は、日本の卓球選手。 千葉県立佐倉高等学校を経て専修大学出身。 1955年度、全日本卓球選手権大会では津野達雄と出場した男子ダブルスで荻村伊智朗 / 田中利明組を2-0で破り優勝。 1956年、東京で開催された第23回世界卓球選手権シングルス準決勝で田中に1-3で敗れ銅メダル。津野と出場した男子ダブルスで16強。 フォアハンドの豪打を武器に専修大学で活躍。現役引退後は指導者としても活躍し、千葉県の千城台卓球クラブで少年少女の育成に励み、五輪代表、世界代表の選手を育て上げた。平成元年アジアジュニア男子監督。1993年のアジアカップ日本代表男子総監督。
勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日… 勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日本の医学者。医学博士(九州大学)。筑波大学名誉教授。東亜大学大学院名誉教授。専門はスポーツ科学、環境生理学、運動生理学(特に体力医学・栄養生理学)。研究テーマは骨格筋線維の可塑性、超高齢エリートアスリートの身体機能とパフォーマンスなど。日本体育学会副会長。 日本体力医学会理事、評議会会長。 日本バイオメカニクス学会監事。日本運動生理学会理事。秩父宮記念スポーツ医・科学賞受賞(2020年)。 スポーツ医科学分野における研究者であると同時に自身もアスリートであり、80歳を超えてもなおテニスプレーヤーとして活動している。高校・大学時代はレスリングや柔道に没頭していたが、30歳を超えてからセカンドスポーツとしてテニスを始めた。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2日 - )は、日本の俳優。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。 千葉県東葛飾郡松戸町(現︰松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。 俳優座養成所を経て、1959年に文学座に入団。 1960年、岡本喜八監督作品の『大学の山賊たち』で映画デビュー。 1963年、劇団雲結成に参加し、1975年の劇団雲分裂を機にフリーになる。 1963年、黒澤明監督作品のサスペンス映画『天国と地獄』で誘拐犯・竹内銀次郎役を演じ、一躍注目を浴びる。この年、前年のNHKドラマ『アラスカ物語』 での共演がきっかけで交際していた元・宝塚歌劇団星組の黛ひかると結婚。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2日 - )は、日本の俳優・ナレーター。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。
中川 學(なかがわ まなぶ、1936年9月29日 - 200… 中川 學(なかがわ まなぶ、1936年9月29日 - 2004年2月17日)は日本の学者。専門は中国社会経済史、マクロエンジニアリング。一橋大学名誉教授、元国際マクロエンジニアリング学会協会連合筆頭副理事長。デウィット・クリントン知事記念国際マクロエンジニアリング学会賞。 千葉県市川市出身。栄光学園中学校、東京都立竹早高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業、1961年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1964年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学で村松祐次及び増淵龍夫に師事し東洋史研究にあたる。 1964年一橋大学経済学部専任講師、1968年同助教授、1977年同教授。
アントン・ウィッキー・アンパラヴァナル(Anton Wick… アントン・ウィッキー・アンパラヴァナル(Anton Wicky Ampalavanar、1936年9月26日 - )は、スリランカ・コロンボ生まれで日本在住の国際比較学者、外国人タレント。国立セイロン大学卒。血液型B型。 セイロン大学卒業後、水産庁に入庁するが、それからすぐの頃に留学へ。カリフォルニア大学留学中に東京大学農学部教授の檜山義夫と知り合ったのがきっかけで、日本の留学の試験を受けて合格。同時にカナダへの留学の試験も受けていてこちらも合格したが、合格通知が先に届いた日本に行くことにし、1961年に文部省の国費留学生として来日した。当初日本語はまったく話せず、日本語学校での勉強に加え、毎晩渋谷のバーで、日本人にその日に学習した文章で話しかける「突撃スタイル」で日本語を習得した。
日暮 修一(ひぐらし しゅういち、1936年9月26日 - … 日暮 修一(ひぐらし しゅういち、1936年9月26日 - 2012年4月13日)は日本のイラストレーター。千葉県松戸市出身。 コピーライター日暮真三は弟、ミュージシャン日暮愛葉は姪。 1936年に日暮酒店の長男として生まれる。1942年、松戸市立中部小学校に入学。1953年、武蔵野美術学校デザイン科に入学しのちに卒業。東芝商事宣伝部製作室、イースト・パブリッシング勤務。1959年、第二七回毎日広告デザイン賞・第一部B部門ポスターデザイン毎日広告奨励賞受賞。 雑誌「ビッグコミック」「ラピタ」の表紙絵を長年描いていた。「ビッグコミック」は1970年から2011年に病気治療のため入院するまでの41年間(2011年11月25日号表紙の執筆が最後。
伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は… 伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は、日本の俳優。千葉県館山市出身。本名同じ。 安房第一高校、舞台芸術学院卒業。 劇団俳優座養成所、千田杉山教室を経て、劇団俳優小劇場に入団。初舞台は『十二夜』。フリーランス期間を経て、劇団俳小、エヌ・エー・シーに所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉9月14… 最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉9月14日 - 2026年〈令和8年〉2月8日)は、日本の哲学者、生物学者、社会学者、社会・思想評論家、思想家。和光大学名誉教授。 元全共闘活動家。和光大学人間関係学部教授(環境哲学)、人間関係学部学部長を経て名誉教授。ほか駿台予備学校論文科講師。NPOのオルタナティブ大学であるシューレ大学アドバイザーを務める。 神奈川県横浜市在住。(※2020年1月現在) 福島県生まれ、千葉県育ち。国民学校では病気で3年の長期欠席を経験している。 1959年(昭和34年) 千葉県立国府台高等学校を経て東京大学理科1類入学。1960年(昭和35年) ブント同盟員になるも「1日ブント」と呼ばれる。
古賀 正一(こが まさいち、1936年7月26日 - )は、… 古賀 正一(こが まさいち、1936年7月26日 - )は、日本の実業家、教育者。東芝では副社長まで昇進し、また父で市川学園創立者の古賀米吉の死後は学園理事長となった。 1936年に東京都で生まれた。市川中学校・高等学校を経て、東京大学工学部電気工学科を卒業後、東芝にエンジニアとして入社。1983年6月7日に当時市川学園の理事長と市川中学校・高等学校の校長を務めていた父が亡くなり、11日に理事長に就任した。2017年のインタビューによれば周囲に勧められてのことであり、当時の東芝の人事担当役員は1960年代に東芝を再建した社長の土光敏夫を例に挙げ、土光も母が創立した橘学苑の理事長をしていたのだからと理事長就任を勧めたのだという。
待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )… 待田 京介(まちだ きょうすけ、1936年6月22日 - )は、日本の俳優、空手指導家。千葉県館山市出身。 都立大泉高校卒業後、さまざまな職業に就くが俳優を志し、「俳優座養成所」「東宝芸能」を経て1958年(昭和33年)に日活へ入社する。1956年の映画『ドラムと恋と夢』では脚本を担当した。同年、井上梅次監督により『素晴らしき男性』で石原裕次郎の弟役にキャスティングされてデビュー。続いて小杉勇監督の『船方さんよ』の主役に起用された。小林旭、川地民夫らと共に売り出され、多くの作品に主演する。1959年(昭和34年)『らぶれたあ』に主演した。1961年に日活を退社してフリーランスへ。 テレビドラマでは、1961年(昭和36年)7月17日より3年間にわたって放送された『月曜日の男』(月曜日夜9時半から10時まで、TBS系列で放送)に主演しブレイク。