嘉陽 快宗(かよう やすとき、1999年7月14日 - )は… 嘉陽 快宗(かよう やすとき、1999年7月14日 - )は、沖縄県那覇市出身で、中村部屋(入門時は二所ノ関部屋)所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長171cm、体重168kg、最高位は東前頭16枚目(2025年5月場所 - 7月場所)。 いわゆる「花のイチイチ組」の1人。 千葉県市川市生まれ。市川市立新井小学校4年次から市川市相撲教室に通って稽古を積み、12歳からは新潟県に相撲留学して糸魚川市立能生中学校から新潟県立海洋高等学校に進学。高校卒業後は日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科に進学し、4年次(2021年度)に全日本相撲選手権大会と全国学生相撲選手権大会の両大会でベスト8の実績を残して大相撲の三段目最下位格付出の資格を獲得した。
奥富 夕夏(おくとみ ゆうか、1998年7月7日 - )は、… 奥富 夕夏(おくとみ ゆうか、1998年7月7日 - )は、日本の女子相撲選手、総合格闘家。 千葉県柏市出身。柏市立増尾西小学校、柏市立逆井中学校、日本体育大学柏高等学校卒業。 日本大学文理学部中国語中国文化学科を卒業。大学卒業後は、相撲の実業団チームのある企業に一般社員として勤務。2010年に全日本小学生女子相撲大会(6年生、50kg以上60kg未満級)で優勝。以来、中学、高校、大学と相撲を続け、数々の大会で優勝・上位入賞。全日本女子相撲選手権では軽量級で3連覇、国際女子相撲選抜堺大会では2019年に同階級で優勝の実績を持つ。就職先には競技者として所属できないが、仕事に影響が出ない範囲で練習に参加することを認められた。
隆の勝 伸明(たかのしょう のぶあき、 1994年11月14… 隆の勝 伸明(たかのしょう のぶあき、 1994年11月14日 - )は、千葉県柏市出身で湊川部屋(入門時は千賀ノ浦部屋、一時常盤山部屋)所属の現役大相撲力士。本名は石井 伸明(いしい のぶあき)。身長184cm、体重168kg、血液型はO型。最高位は西関脇(2020年11月場所 - 2021年5月場所、2022年1月場所)。好物は肉料理(特に生姜焼き)、白米。好きな言葉は「笑う門には福来る」。 6人兄弟の4番目で、他の兄弟は皆細身だったのに対し、伸明少年のみ体格に恵まれており、小学1年の時から地元の相撲大会に出場し、3年生の時に地元・千葉県の柏相撲少年団で本格的に相撲を始めた。厳格な父の指導もあり最初は嫌がっていた稽古も積極的に取り組むようになった。
千代嵐 慶喜(ちよあらし よしのぶ、1991年7月12日 -… 千代嵐 慶喜(ちよあらし よしのぶ、1991年7月12日 - )は、千葉県木更津市出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は渡邉 慶喜(わたなべ よしのぶ)。本名の名前から十五代将軍などと称される。身長172.5cm、体重141.0kg。得意手は押し。最高位は東十両10枚目(2011年11月場所)。血液型はAB型。 幼少期は父親から柔道を勧められたが、柔道の練習では2歳上の兄を押し出してばかりであったため、7歳の時に相撲に転向。小学校6年次に関東大会で優勝を果たす。2006年全国都道府県中学校相撲選手権にてベスト8に入った。幼少時より「千代の富士の弟子になんて誰でもなれる訳じゃない。ならなきゃ自分は後悔する」という考えから九重部屋へ入門することを志し、体を鍛えるため四股を一日数百回踏んでいたという。
旭日松 広太(あさひしょう こうた、1989年7月21日 -… 旭日松 広太(あさひしょう こうた、1989年7月21日 - )は、千葉県野田市出身で友綱部屋(入門時は大島部屋)に所属した元大相撲力士。本名は松嶋 広太。身長174cm、体重133kg。最高位は東前頭11枚目(2012年11月場所)。得意技は押し、引き。血液型はB型。好物は湯豆腐のちゃんこ、焼肉(特にハラミ、タン)、テールスープ、テグタン、妻の手作りおろしポン酢ハンバーグ。 3歳からレスリングを始め、関宿町立木間ヶ瀬小学校(現在の野田市立木間ヶ瀬小学校)2年次から6年次まで5年連続で全国大会で優勝している。野田市立木間ヶ瀬中学校進学後もレスリングを続けチャンピオンも経験していたが、「レスリングではメシが食えない。
若荒雄 匡也(わかこうゆう まさや、 1984年2月24日 … 若荒雄 匡也(わかこうゆう まさや、 1984年2月24日 - )は、千葉県船橋市出身で阿武松部屋所属に所属していた元大相撲力士。本名は八木ヶ谷 匡也(やきがや まさや)、愛称はマサヤ。苗字は後述する理由から母方のものを名乗っており、旧姓は不明。現役時代の体格は身長180cm、体重172kg、血液型はO型、星座は魚座。得意技は突き押し、引き。最高位は西小結(2012年1月場所)。現在は年寄・不知火。 千葉県船橋市で生まれ、2歳のときに父親を交通事故で失い、母親の手で育てられる。小学生低学年のころから親戚の家の近くにあった阿武松部屋に出入りしており、阿武松部屋が主催する相撲教室である「キッズ阿武松」で相撲を学んだ。
春日錦 孝嘉(かすがにしき たかひろ、1975年〈昭和50年… 春日錦 孝嘉(かすがにしき たかひろ、1975年〈昭和50年〉8月22日 - 2020年〈令和2年〉4月24日)は、千葉県夷隅郡岬町(現在のいすみ市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は鈴木 孝洋(すずき たかひろ)。愛称は本名から「スズキ」、四股名から「ニシキ関」、容貌から「梅三郎」「梅さん」(アニメ『ど根性ガエル』の登場人物にちなんで)など。身長188cm、体重152kg。血液型はB型、趣味は釣り、水彩画。社交的・温厚な性格で、ファンサービスが良い力士として知られた。得意手は突き、押し。最高位は西前頭5枚目(2003年9月場所・2004年1月場所・2006年1月場所)。 料理店の次男として産まれる。
3代 木村 銀治郎(きむら ぎんじろう、本名:遠藤 紀行(え… 3代 木村 銀治郎(きむら ぎんじろう、本名:遠藤 紀行(えんどう のりゆき)、旧姓:糸井、1974年12月30日 - )は、大相撲の元幕内格行司。最終所属は芝田山部屋。 千葉県八千代市にて生まれ、生後半年後に同県市川市に転居。小学1年生まで同地で過ごした。その後、東京都墨田区向島へ転居。 幼稚園では、現在女流囲碁棋士として活躍中の桑原陽子(旧姓祷)とは同クラスだった。 将来は音大を卒業してピアニストになりたいという夢を持ち、それと同時にプロ野球や大相撲にも目を向けて、東京場所になると毎日国技館まで自転車を漕いで通いつめ、日々学校が終わると、東京場所開催期間中は昼間は国技館、夜は野球観戦、その合間にピアノの練習もするという生活を送っていた。
闘牙 進(とうき すすむ、1974年7月4日- )は、千葉県… 闘牙 進(とうき すすむ、1974年7月4日- )は、千葉県市川市行徳出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は玉城 順(たまき じゅん)。最高位は東小結(2003年9月場所)。現役時代の体格は189cm、174kg。得意手は突き、押し。趣味は音楽鑑賞。血液型はA型。 父は、高砂部屋の元序二段だった高勇。長く伸びた揉み上げが特徴で、NHKの大相撲中継では「もみあげの闘牙」と評されたこともある。父の開設していた道場で柔道を習い、中学校時代は父の故郷である沖縄県で過ごした。1年先輩には阿嘉(後の元幕内・若ノ城)がいる。中学卒業後、柔道の強豪・東海大学付属相模高校に入学するも、腰を痛めて柔道の道を断念した。
12代 式守 錦太夫(しきもり きんだゆう、本名:押田 裕光… 12代 式守 錦太夫(しきもり きんだゆう、本名:押田 裕光(おしだ ひろみつ)、1973年4月29日 - )は、大相撲の幕内格行司である。血液型はA型。千葉県柏市出身。現在は放駒部屋所属。元関脇・麒麟児(19代北陣)は義理の叔父にあたる。 もとは力士志望であったが身長が規定に足りず、柏市立柏中学校時代に麒麟児から行司としてスカウトを受けた。中学卒業後の1989年(平成元年)3月場所で初土俵。1996年1月場所で旧二所ノ関部屋の名跡である式守慎之助(4代)を襲名。2006年3月場所で十両格に昇進した。 2013年1月場所後に二所ノ関部屋は所属力士が全員引退して消滅したため、松ヶ根部屋に移籍。 2014年1月場所で幕内格に昇進すると同時に、先代(11代)の立行司昇進で空き名跡となっていた式守錦太夫(12代)を襲名した。
新明 嘉規(しんめい よしのり、1972年9月16日 - )… 新明 嘉規(しんめい よしのり、1972年9月16日 - )は、武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。最高位は東幕下12枚目(1999年1月場所)。 千葉県佐倉市出身。佐倉市立佐倉中学校では柔道部に所属し、県大会で優勝。全国大会では沖縄県代表の真喜志慶治に僅差で敗れた。八千代松陰高等学校ではレスリング部に入り、1990年のインターハイに出場し、115㎏級で優勝。卒業後は専修大学に入り、レスリングを続けたが、2年で中退、大学時代は大会出場の経験はなかった。地元のレスリングクラブの先生に頼み、中央大学相撲部監督を介して、武蔵川部屋を紹介され、武蔵川部屋に入門した。1992年7月場所で初土俵を踏む。
小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - … 小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - )は、千葉県市川市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は小岩井 康年(こいわい やすとし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東小結(1997年7月場所)。現在は年寄・中立。身長186cm、体重138kg。父は元関脇・小城ノ花正昭、兄は元前頭・小城ノ花昭和、趣味はサッカー、スポーツ観戦、血液型はA型。 1987年3月場所初土俵、1991年11月場所新十両、1993年5月場所新入幕、2004年1月場所限りで引退した。 新入幕を果たした1993年5月場所では9勝6敗と勝ち越したものの、翌7月場所は4勝11敗と大敗して十両に陥落。再入幕の11月場所(前頭16枚目)で11勝を挙げて敢闘賞を受賞。
敷島 勝盛(しきしま かつもり、1970年12月15日 - … 敷島 勝盛(しきしま かつもり、1970年12月15日 - )は、千葉県船橋市出身で陸奥部屋(入門時は立田川部屋)所属の元大相撲力士。本名は吉種 弘道(よしたね ひろみち)。現役時代の体格は身長184cm、体重187kg。血液型はAB型。最高位は西前頭筆頭(1998年3月場所)。得意手は左四つ、寄り。現在は年寄・浦風。 千葉県立船橋古和釜高等学校時代は柔道部に所属していた。知人の紹介で立田川部屋に入門し、高校卒業直前の1989年1月場所に本名である「吉種」で初土俵を踏んだ。 1場所後に入門した弟弟子の豊桜と共に立田川部屋の新鋭として周囲から期待され、幕下上位でやや足踏みをしたものの、入門から約4年後の1993年5月場所において新十両に昇進し、新十両を期に四股名を「敷島」と改名した。
木村 誠司郎(きむら せいしろう、本名:蠣崎献二、1970年… 木村 誠司郎(きむら せいしろう、本名:蠣崎献二、1970年3月4日 - 2003年12月26日)は、九重部屋に所属していた大相撲の行司であった。最高位は幕下格。千葉県銚子市出身。 初土俵当初は木村献二の行司名で、下の名前は本名を使っていた。序二段格の1988年1月場所で木村榮ノ助に改名した。 幕下格の1993年の1年間のみ、木村海颯聖(きむらみさき)という、行司名としては珍名・難読に当たる名前を名乗った。これは自ら考えて命名したという。 その後、木村誠司郎に改名して幕下格行司を務めるが、控えに座っていたときに取組をしていた落ちてくる力士にのしかかられた影響で出場できない状態となり、2003年1月場所から全休を続けた。
若闘将 敏男(わかとうしょう としお、1968年10月23日… 若闘将 敏男(わかとうしょう としお、1968年10月23日 - )は、間垣部屋所属の元大相撲力士。千葉市出身。韓国国籍であり本名は黄 敏夫(황민부、ファン・ミンブ)。日本における通名は金本 敏夫(かねもと としお)。身長182cm、体重115kg。血液型B型。最高位は東十両9枚目(1992年9月場所)。得意技は左四つ、上手投げ。 運転手の二男で、千葉市立千草台中学校から習志野市立習志野高等学校では柔道部に所属し、千葉市大会で個人優勝を果たす活躍を見せた。他にも空手・野球も習っており、当初はプロレスラーを志していたのでウェイトトレーニングのジムにも通っていた。しかし、高校2年生の春に「力士になろう」と急に力士を志し、それを知ったジムの会長が間垣部屋を紹介したので、高校を2年で中退して入門した。
旭豪山 和泰(きょくごうざん かずやす、1968年9月18日… 旭豪山 和泰(きょくごうざん かずやす、1968年9月18日 - )は、千葉県市川市国分出身(出生地は東京都江東区)で大島部屋に所属した元大相撲力士。本名は木村 泰山(きむら たいざん)。最高位は東前頭9枚目。身長181cm、体重176kg。得意は突き、押し。現在は東京都江戸川区でちゃんこ屋を経営している。血液型はO型。 千葉県出身。中学時代は柔道をやっていた。大相撲に入門したきっかけは、「関取になったら学校に君の写真額が飾られるぞ。」と大島親方に口説かれたことである。実際に、母校である市川市立第一中学校の校舎の一角には、現在[いつ?]でも自身の写真額が掲げられている。 ずんぐりむっくり型で、押し相撲にはもってこいの体型であった。
小城ノ花 昭和(おぎのはな あきかず、1967年11月18日… 小城ノ花 昭和(おぎのはな あきかず、1967年11月18日 - )は、千葉県市川市出身(出生地は東京都港区)で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は小岩井 昭和(こいわい あきかず)。最高位は東前頭2枚目(1990年5月場所・1996年3月場所)。現役時代の体格は身長188cm、体重137kg。得意手は左四つ、上手投げ。現在は年寄・出羽海。父は元関脇・小城ノ花正昭、弟は元小結・小城錦康年。 元関脇・小城ノ花(13代高崎)を実父として生まれる。実弟には元小結・小城錦がいる。千葉商大付属高校では野球部に所属しており、相撲経験はなかった。それどころか千秋楽の打ち上げで出羽海部屋に出入りする以外は相撲部屋とは接点が無く、むしろ父親は「(相撲は)お前には無理だ」「勉強しないと相撲取りにさせるぞ」と、入門には反対だった。
琴富士 孝也(ことふじ たかや、1964年10月28日 - … 琴富士 孝也(ことふじ たかや、1964年10月28日 - 2025年8月8日)は、千葉県千葉市花見川区出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士、YouTuber。本名は小林 孝也(こばやし たかや)。現役引退後は年寄として後進の指導に務めたが、4年ほどで退職。のちタレント、焼肉店店長に転向するが、2014年に逮捕・起訴され有罪判決が確定。その後、療育の仕事に従事。 身長191cm、103kg(現役力士時代は身長191cm、150kg)。得意手は突っ張り、左四つ、吊り、寄り、上手投げ。最高位は西関脇(1990年7月場所)。 千葉市立幕張中学校出身。1980年3月場所、佐渡ヶ嶽部屋から初土俵を踏んだ。
大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12… 大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12日 - )は、千葉県千葉市出身の元大相撲力士、プロレスラー。本名は河原 修(かわはら おさむ)。 1963年9月12日に千葉県千葉市で、母親がスナックを経営している家に三男として生まれる。小学校高学年では少年野球で速球派投手として活躍していたが、千葉市立花園中学校では一転してバレーボール・サッカーなど様々な球技を行っていた。中学校時代のある日、教師から半ば強引に参加を誘われた相撲の全国大会へ出場するなど、次第に相撲を始めるようになった。 安田学園高等学校進学後は相撲部に所属し、1年先輩である寺尾常史から稽古を付けられていたが、寺尾が2年生で中退したことで河原も1年生の11月に中途退学、スナックを廃業した母親が勤務する千葉畜産工業に就職した。
富士乃真 司(ふじのしん つかさ、1960年11月6日 - … 富士乃真 司(ふじのしん つかさ、1960年11月6日 - )は、千葉県船橋市(出生地は千葉県山武郡)出身で九重部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は矢木 哲也(やぎ てつや)。最高位は東前頭筆頭(1988年1月場所)。身長181cm、体重147kg。得意手は左四つ、寄り。現在は年寄・陣幕。第65代横綱・貴乃花の長男である花田優一の元岳父。 中学時代は野球部に所属していた。中学2年の時に相撲に興味を持ち、同級生で同じく野球部に所属していた武田雅史(後の6代木村玉治郎)とともに、蔵前国技館まで良く足を運んでいたという。中学を卒業後、元横綱・北の富士が率いる井筒部屋に入門し、1976年3月場所で初土俵を踏んだ。
次郎(じろう、本名:西出 和夫(にしで かずお)、1960年… 次郎(じろう、本名:西出 和夫(にしで かずお)、1960年1月19日 - )は、大相撲の元呼出。三保ヶ関部屋→春日野部屋所属。 千葉県習志野市出身。長く土俵作りの責任者を務め、「土俵作りの名人」の異名をとった。 2008年1月場所から2022年11月場所まで、三役呼出筆頭の地位に在位していたが、その期間中、出場力士の最高位が関脇の優勝決定戦として次に示す3番を呼び上げた。 2019年11月場所より、不祥事により10月に退職した立呼出の拓郎に代わって結びの一番を含む最後の2番を呼び上げている。 次郎にとって拓郎は同じ部屋に入門・所属してきた兄弟子で40年以上の付き合いがあった。拓郎は退職が決まる前に次郎に「九州は行けなくなるから、頼むな」と電話をかけており、拓郎の退職届受理は春日野から聞いたという。
岩波 重廣(いわなみ しげひろ、1955年2月15日 - 1… 岩波 重廣(いわなみ しげひろ、1955年2月15日 - 1999年1月21日)は、千葉県木更津市畑沢出身(山口県光市育ち)で、立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 栄一(いわした えいいち)。最高位は東前頭8枚目(1980年5月場所)。現役時代の体格は181cm、143kg。得意手は突き、押し。趣味はラジコン。 出生地は千葉県だが、父・吉郎の仕事(新日鉄の社員であった)の関係で小学校時代(それ以前の幼稚園時代も含む)から高校1年生の1学期までは、山口県光市で過ごした。 1970年7月、生まれ育った千葉に戻り、8月より千葉県立天羽高等学校に転入。 高校2年生の時に何となくではあるが力士を志望し、元関脇・羽黒山が率いる立浪部屋の門を叩いた。
麒麟児 和春(きりんじ かずはる、1953年3月9日 - 2… 麒麟児 和春(きりんじ かずはる、1953年3月9日 - 2021年3月1日)は、千葉県柏市出身(出生時は東葛飾郡柏町)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は垂澤 和春(たるさわ かずはる)。最高位は東関脇。現役時代の体格は182cm、146kg。得意技は突っ張り、押し、左四つ、寄り。引退後は年寄・北陣として後進を指導し、停年まで協会に属していた。 12代式守錦太夫は甥。 父は国鉄の駅長を務めていたので夜勤が多く、病気がちな母を助けるために姉と二人でよく家事を手伝っていたという。小学2年生から柔道を行っていたが、柏市立柏第二中学校入学時に90キロに達した体格を生かして柔道の大会で活躍したため、相撲を志すようになったという。
栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 -… 栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 - )は、千葉県千葉市出身で、大和証券バスケットボール部所属の元バスケットボール選手、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は浜中 忠(はまなか ただし)、旧姓は大野。大相撲時代は身長191cm、体重95kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。最高位は東十両13枚目(1973年9月場所)。父も元力士で、大野山の四股名で三段目まで昇進した。 千葉商業高校卒業後は、身長191cmの体格を見込まれて大和証券バスケットボール部に入社し、いきなり主力となり、1967年に行われた第22回全日本実業団競技大会で活躍、チームの日本リーグ入りに大いに貢献した。バスケットボールを続けていれば1972年ミュンヘンオリンピック日本代表入りを果たせると言われたほどの大器であったが「バスケットじゃ飯が食えない。
國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 -… 國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 - )は、千葉県市川市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は堀木 兼初(ほりき かねはつ)。176cm、110kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 少年時代から宮相撲に参加する相撲好きであった。1964年5月場所初土俵、1972年5月場所に十両昇進するも2勝13敗と大敗を喫し、翌場所に幕下陥落。十両在位はこの1場所に終わる。1975年9月場所限りで廃業。その後は、料理屋を経営した。
君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2… 君錦 利正(きみにしき としまさ、1937年7月6日 - 2013年7月16日)は、千葉県木更津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は五味 利正(ごみ としまさ)。現役当時の体格は177cm、125kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1963年5月場所)。 立浪部屋の元十両力士・桐ノ花の勧誘を受けて、地元の中学校を卒業後に角界入り。1953年(昭和28年)5月場所にて15歳で初土俵を踏み、翌9月場所、「房州山」の四股名で序二段に付いた(その後、「千葉ノ浪」を経て「君錦」に改名している)。 以来、徐々に番付を上げてゆき、1960年(昭和35年)3月場所で十両に昇進。そして、1961年(昭和36年)7月場所において、24歳で新入幕を果たした。
房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)… 房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)1月3日 - 1993年(平成5年)7月21日)は、東京府東京市(現:東京都大田区)生まれで千葉県東葛飾郡南行徳村(現:市川市相之川)出身で若松部屋(一時期、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は櫻井 正勝(さくらい まさかつ)→松崎 正勝(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西関脇(1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。 小学校入学後に終戦を迎えたが戦時中はスポーツ自体を行う余裕が社会に無かったため、幼少期に経験したスポーツと言えばかけっこ程度であった。
星甲 良夫(ほしかぶと よしお、1926年2月5日 - 20… 星甲 良夫(ほしかぶと よしお、1926年2月5日 - 2000年12月5日)は、千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市当代島)出身で、井筒部屋(一時期、双葉山道場預かり)に所属した元大相撲力士。本名は、小川 良夫(おがわ よしお)。現役時代の体格は171cm、107kg。最高位は西前頭4枚目(1957年5月場所)。得意手は右四つ、突っ張り、寄り、叩き、蹴手繰り。 体が小さく、身長も体重も足らずなかなか新弟子検査に合格できなかったが、1942年(昭和17年)5月場所で初土俵を踏んだ。そのため出世もゆっくりで、1955年(昭和30年)5月場所に於いて新入幕を果たした時には、既に29歳となっていた。 幕内では地味ではあったが、当時の幕内力士では随一の稽古で鍛えたためか、「努力の人」と讃えられた。
松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1… 松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1986年4月21日)は、千葉県東葛飾郡松戸町(現在の松戸市松戸)出身で大山部屋に所属した大相撲力士。本名は永井福太郎(ながい ふくたろう)。最高位は西大関。身長172cm、体重154kg。得意技は押し、左四つ、寄り、吊り。 小学校3年の時には既に体重16貫(60kg)に達し、関脇・髙登から小学校卒業の折には「ぜひとも私の所に弟子入りさせてほしい」と頼まれたという。その後引退して年寄・大山を襲名した髙登から再度勧誘され入門、1941年(昭和16年)1月場所で初土俵を踏んだ。四股名は故郷・松戸市と師匠の現役名・髙登にちなんでつけられた。当時「大山親方がすごいのを連れて来たらしい」と評判になった。
竹旺山 友久(ちくおうざん ともひさ、1921年3月12日 … 竹旺山 友久(ちくおうざん ともひさ、1921年3月12日 - 1977年1月5日)は、千葉県銚子市出身で山分部屋に所属した大相撲力士。本名は白土 酉松。得意手は突っ張り、右四つ、寄り、投げ。最高位は東前頭16枚目(1948年10月場所)。 千葉県銚子市出身、山分部屋に入門、1938年5月場所に初土俵。負け越しなし(五分の成績の場所はある)で1945年6月場所に新十両をはたす。右四つからの寄りや投げには迫力があり、大器と期待もされた。十両で3年、1948年5月場所に新入幕をはたし、その場所6勝5敗と勝ち越したが、翌場所3勝8敗と負け越すと、そのまま27歳で廃業した(番付上は1949年1月場所も幕内に名をとどめている)。
一渡 明(いちわたり あきら、1918年1月11日 - 19… 一渡 明(いちわたり あきら、1918年1月11日 - 1974年12月9日)は、現在の千葉県我孫子市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は渡辺 明。164cm、102kg。最高位は東前頭18枚目。 1933年5月初土俵、1937年1月十両昇進。1939年1月新入幕したが、1943年5月に若くして廃業。その後は食堂を経営したが、交通事故が原因で店をたたみ旅館を経営していたが後遺症で死亡した。
千葉昇 隆利(ちばのぼり たかとし、1915年1月2日 - … 千葉昇 隆利(ちばのぼり たかとし、1915年1月2日 - 没年不詳)は、千葉県野田市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は長妻 高治。最高位は十両6枚目。 春日野部屋に入門し、1929年1月「野田ノ里」の四股名で初土俵を踏む。1936年5月十両昇進、この間四股名を「千葉昇」に改めた。十両は連続6場所務めた。幕下に落ちた1942年1月に廃業した。
布引 國太郎(ぬのびき くにたろう、1910年3月5日 - … 布引 國太郎(ぬのびき くにたろう、1910年3月5日 - 没年不明 )は、千葉県富津市出身で粂川部屋、双葉山道場に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 國太郎(いとう くにたろう)。最高位は東十両3枚目。得意技は突っ張り、押し、左四つ、投げ。 粂川部屋に入門し、1929年3月場所に初土俵を踏む。入門当初は「富錦」の四股名であった。「錦岩」の四股名で1934年5月場所に十両に昇進。十両は連続で3場所務めたが、1936年1月場所に幕下に陥落。翌5月場所に十両に復帰したが1勝10敗と大きく負け越し、またしても幕下に陥落した。1939年5月場所に再度十両に復帰、四股名を「布引」に改めた。十両は連続して6場所務めたが、1942年1月場所は3勝12敗と大きく負け越し、この場所限りで廃業した。
大ノ濵 勝治(おおのはま かつじ、1909年9月20日 - … 大ノ濵 勝治(おおのはま かつじ、1909年9月20日 - 1979年1月1日)は、現在の千葉県銚子市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は若山 勝治。167cm、107kg。最高位は東前頭4枚目。 1927年1月初土俵、1932年1月十両昇進、1932年2月新入幕(春秋園事件の余波)したが、1933年5月に廃業した。もろ差しからの速攻を磨き、幕下時代には6戦全勝の優勝同点も記録した。春秋園事件の影響で幕内に上がったが、地力が伴わず4場所とも勝ち越せなかった。廃業後は千葉県内で鮮魚店を営み、巡業の勧進元を務めた。
金湊 仁三郎 (かねみなと にさぶろう、 1908年8月18… 金湊 仁三郎 (かねみなと にさぶろう、 1908年8月18日 - 1979年11月23日)は、現在の千葉県船橋市金杉町出身で湊川部屋に所属した大相撲力士。本名は石井 仁三郎。身長164cm、体重86kg。最高位は東前頭5枚目。1940年1月場所のみ金湊利三郎を名乗った[信頼性要検証]。 1927年1月場所に初土俵を踏む。1931年5月、双葉山定次とともに新十両を果たし、2場所連続して双葉山を破る。春秋園事件で一度は脱退するが、1933年1月に十両格別席で復帰、1934年5月場所に新入幕を果たした。 小兵ながら動きの早い相撲で、若手をいじめることが多く、「追いはぎ」とあだ名されている。大きな出羽ヶ嶽文治郎に初顔から連勝したり、新入幕の羽黒山政司に初日に土をつけたり、1939年1月には双葉山の連勝を止めた安藝ノ海節男を終盤に破って負け越しを味わわせたりと、大物食いで名をはせた。
銚子灘 傳右エ門(ちょうしなだ でんえもん、1902年3月1… 銚子灘 傳右エ門(ちょうしなだ でんえもん、1902年3月12日 - 1935年1月5日)は、千葉県銚子市出身で出羽海部屋(入門時は中立部屋)に所属した大相撲力士。本名は網中 仙太郎(あみなか せんたろう)。最高位は西前頭14枚目。 1902年3月12日に千葉県銚子市で生まれ、1922年1月場所において中立部屋から千ヶ岩の四股名で初土俵を踏む。1928年1月場所で新十両昇進を果たすが、師匠の死によって二子山部屋を経て出羽海部屋へ転籍した。幕下に陥落していた1930年1月場所から銚子灘と改名し、同年5月場所で十両に復帰し、1931年1月場所で新入幕を果たした。翌年に勃発した春秋園事件によって脱退するも1933年1月場所で復帰、十両格別席となり、翌年5月場所を最後に現役を引退、年寄・稲川を襲名した。
桐ノ花 光之助(きりのはな みつのすけ、明治30年(1897… 桐ノ花 光之助(きりのはな みつのすけ、明治30年(1897年)1月2日 - 平成5年(1993年)8月24日)は、大正時代の大相撲力士。春日山部屋→立浪部屋所属。本名は冨永 惣治。最高位は西十両2枚目。 千葉県天羽郡湊町(現・富津市)出身。高等小学校卒業後、14歳の時家出同然で上京。畳屋で働いた後、春日山部屋へ入門し、緑嶌友之助の内弟子となる。明治45年(1912年)5月場所「湊浪」の四股名で初土俵を踏む。大正3年(1914年)1月、序ノ口に上がり、初めて番付に載った。翌大正4年(1915年)5月に師匠緑嶌が引退し、立浪部屋として正式に独立したのに伴い移籍した。大正7年(1918年)1月、三段目で「桐ノ花」に改名。
千葉ヶ嵜 俊治(ちばがさき としじ、1893年4月10日 -… 千葉ヶ嵜 俊治(ちばがさき としじ、1893年4月10日 - 1933年1月16日)は、千葉県印旛郡富里町(現:千葉県富里市)出身で二十山部屋に所属した大相撲力士。本名は玉ノ井 俊治(たまのい としじ)(旧姓:宍倉)。最高位は東大関。 1893年4月10日に千葉県印旛郡富里町(現:千葉県富里市)で生まれる。子供の頃から相撲好きで、地元で開かれていた宮相撲に参加しては大関を張って活躍していたため、1910年に同郷の二十山を頼って二十山部屋へ入門、1911年6月場所で序ノ口から初土俵を踏んだ。宮相撲で大関を張っていた実力は伊達ではなく、幕下時代の1913年5月場所では、それまで無敗の快進撃を続けていた栃木山守也に初黒星を付けて話題を集めた。
稲葉嶽 光之助(いなばだけ みつのすけ、1889年11月7日… 稲葉嶽 光之助(いなばだけ みつのすけ、1889年11月7日 - 1978年5月7日)は、現在の千葉県市川市河原出身で濱風部屋、千田川(大阪相撲)に所属した力士。本名は雪吹 光之助(旧姓:及川)。身長173cm、体重94kg。東京相撲での最高位は東前頭14枚目(1916年5月場所)。 1911年2月に初土俵を踏み、1915年6月十両昇進。1916年5月に入幕したが1勝8敗1預の大負けだった。翌場所(1917年1月場所)は十両に落ち、2場所とも十両にあったが不振が続いた。場所後の巡業では出羽海部屋一行に加わったが、同年12月巡業先の埼玉県大宮で酒の席で暴行事件を起こした。一行の組長の入間川(元小結両國のち6代出羽海)は稲葉嶽をその場で破門を宣言した。
緋縅 祐光(ひおどし すけみつ、1889年7月25日 - 1… 緋縅 祐光(ひおどし すけみつ、1889年7月25日 - 1928年10月14日)は、現在の千葉県市原市出身で二十山部屋に所属した元力士。本名は鈴木 勇作。167cm、109kg。最高位は東前頭17枚目。 1903年1月13歳で入門。1905年1月場所序ノ口に付き、最初「槙ノ嶌」を名乗って着実に出世した。1910年1月場所新十両昇進、一時番付に「牧ノ嶌」と書かれたこともあった。1913年1月場所幕下に陥落したが、1914年1月場所に十両に復帰した。1915年1月場所、再び幕下に陥落していたが、この場所から四股名を「緋縅」と改めて翌1915年6月場所で再び十両に復帰し、そこで4勝1敗の好成績を残して1916年1月場所で新入幕を果たした。
鳳 谷五郎(おおとり たにごろう、1887年4月3日 - 1… 鳳 谷五郎(おおとり たにごろう、1887年4月3日 - 1956年11月16日)は、千葉県印旛郡大森村(現:千葉県印西市大森)出身で宮城野部屋(一時期勝ノ浦部屋)に所属した大相撲力士。第24代横綱。現役引退後は年寄として後進の指導につとめた。本名は瀧田 明(たきた あきら)。 1887年4月3日に千葉県印旛郡大杜村(現:千葉県印西市大森)で米屋「米庄」を営む家に生まれる。父親の滝田丹治は大の相撲好きが高じて玉垣部屋へ入門、三段目まで進んだが家業を継ぐために廃業した。そんな父を間近で見て育った明も相撲好きになったが、廃業後も田舎相撲に熱中し過ぎて財産を失った挙句、家業の米屋を廃業せざるを得なくなってしまった父は自身の二の舞を演じさせまいと明を船橋の呉服屋へ奉公に出して相撲の道に進ませぬように図った。
五十嵐 敬之助(いそあらし けいのすけ、1884年11月1日… 五十嵐 敬之助(いそあらし けいのすけ、1884年11月1日 - 1964年2月12日)は、現在の千葉県印西市出身で勝ノ浦部屋に所属した力士。本名は宮澤 啓助(旧姓椎名)。7代勝ノ浦。164cm、83kg。最高位は西前頭4枚目。 染物屋に奉公していたが、元力士の兄の世話で入門した。1902年5月新序、1909年1月十両昇進、2場所連続好成績で1910年6月滝ノ音の四股名で入幕を果たす。入幕2場所目に前頭4枚目まで昇進したがそれ以降は幕内下位に甘んじた。小兵だったが小手投げ、押しを得意とし、櫓投げや内無双もあった。1911年に後援者の名から五十嵐に改名。1914年には師匠の御舟潟の名を継ぎ、幕下に陥落した1917年5月に引退し、7代勝ノ浦を襲名、年寄として一時部屋も経営し、44年間在職し1961年1月に定年制実施で76歳で退職した。
竜ヶ嵜 枩太郎(りゅうがさき まつたろう、1884年1月20… 竜ヶ嵜 枩太郎(りゅうがさき まつたろう、1884年1月20日 - 1947年2月19日)は、現在の千葉県大網白里市四天木出身で阿武松部屋、出羽海部屋に所属した力士。本名は齋藤 松太郎。167cm、90kg。最高位は西小結。 紫雲竜吉之助に見出され入門した。1904年5月初土俵、1909年6月十両昇進。1910年1月入幕し、1913年5月小結に昇進した。ところがそれから不振に陥り、幕内中位から下位に沈み、1918年1月限り廃業。その後は満洲、朝鮮半島で料亭を経営。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
紫雲竜 吉之助(しうんりゅう きちのすけ、1882年1月7日… 紫雲竜 吉之助(しうんりゅう きちのすけ、1882年1月7日 - 1946年4月28日)は、現在の千葉県大網白里市四天木出身で高砂部屋、阿武松部屋に所属した力士。本名は斎藤 吉次郎。9代出来山、7代阿武松。172cm、86kg。最高位は東前頭筆頭。大見嵜八之助の甥。 1898年1月初土俵、1904年1月十両昇進。1907年5月入幕し、1908年5月には7勝2預の優勝相当の成績を収めた。1917年1月に引退し、出来山を襲名、出羽一門に属した。伯父が没したのち、阿武松を襲名した。 改名歴なし(番付上の表記揺れを無視した場合) この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
髙見山 酉之助(たかみやま とりのすけ、1873年10月25… 髙見山 酉之助(たかみやま とりのすけ、1873年10月25日 - 1924年1月11日)は、新治県海上郡(現在の千葉県銚子市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は吉岡 酉之助。最高位は関脇(1910年1月場所)。現役時代の体格は身長173cm、体重139kg。 高砂部屋に入門し1895年(明治28年)6月場所から番付に記載される。四股名は加増山(かぞうさん)であった。 1907年(明治40年)1月場所新入幕、この時33歳であった。1910年(明治43年)1月場所関脇。巨体を生かして左四つに組み止め、ジワジワ寄る典型的な四つ相撲の取り口だが「鈍州」と呼ばれるほど、勝ちみが遅いため速攻や技能派力士を苦手としていた。
五所車 菊太郎(ごしょぐるま きくたろう、1870年3月1日… 五所車 菊太郎(ごしょぐるま きくたろう、1870年3月1日(明治3年1月29日) - 1925年4月3日)は、千葉県夷隅郡江場土村(現在のいすみ市)出身で宮城野部屋、勝ノ浦部屋に所属した力士。6代宮城野。世話人。本名は佐久間 菊太郎。最高位は東前頭8枚目。 京都相撲に在籍経験がある。1896年1月初土俵、1906年1月十両昇進。1907年1月には高見山酉之助らとともに入幕を果たした。この時37歳。しかし、在位はわずかに4場所で、現役晩年は番付が次第に下がり、最終的には三段目にまで陥落してしまい、1913年5月に引退して親方業に専念(すでに二枚鑑札だった)。1916年1月には廃業し、世話人に転じた。
鉞り 鉄五郎(まさかり てつごろう、1867年10月7日〈慶… 鉞り 鉄五郎(まさかり てつごろう、1867年10月7日〈慶應3年9月10日〉 - 1925年〈大正14年〉12月8日)は、現在の千葉県山武市(旧・上総国武射郡)で浦風部屋及び高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は今関 鉄五郎。身長体重は不明。最高位は東前頭13枚目。色黒で無愛想な容貌から「鬼」と言われた。 1886年1月初土俵(序ノ口)。1893年5月十両昇進。1894年6月新入幕。しかし、翌1895年1月場所前に大日本帝国陸軍に入営し、近衛師団の軍夫になった。台湾に出征するも、マラリアに罹ってあえなく帰国。1895年5月場所で東十両張出筆頭で復帰するも2勝8敗と負け越し、以後再入幕は叶わなかった。
鳳凰 馬五郎(ほうおう うまごろう、1866年10月11日(… 鳳凰 馬五郎(ほうおう うまごろう、1866年10月11日(慶応2年9月3日) - 1907年(明治40年)5月4日)は、下総国千葉郡久々田村(現在の千葉県習志野市津田沼)出身で宮城野部屋(一時錦戸部屋に移籍)に所属した大相撲力士。本名は三代川 寅之助(後に宮城野姓)。最高位は大関。5代目年寄・宮城野を襲名。身長179cm、体重117kg。 1886年5月場所初土俵。1891年1月場所鳳に改名、1892年1月場所鳳凰に改名、1892年6月新十両、1893年1月入幕。1894年1月「鳳凰 馬五郎」に改名。1895年6月場所6日目、横綱・初代西ノ海嘉治郎との対戦で、西ノ海の寄りを土俵際で回り込み、逆に寄り切って軍配を受けたが西ノ海の師匠で当時権勢を揮っていた高砂が物言いをつけ預かりとなる。
大見嵜 八之助(おおみさき はちのすけ、1866年9月23日… 大見嵜 八之助(おおみさき はちのすけ、1866年9月23日(慶応2年8月15日) - 1939年10月9日)は、現在の千葉県大網白里市四天木出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は原 夘三郎(旧姓斎藤)。6代阿武松。174cm、83kg。最高位は東前頭2枚目。紫雲竜吉之助の伯父。 1887年1月序ノ口、1893年1月十両昇進。十両を1場所で通過し、1894年1月入幕を果たした。この時の四股名は玉竜。以来1903年1月の引退まで三役には昇進できなかったが幕内上位をキープした。1899年5月新進の関脇梅ノ谷、1901年5月にも大関梅ノ谷に勝利。引退後は阿武松を襲名し独立。甥の紫雲竜などを育成。勝負検査役を長年務め、1939年年寄として73歳で没。
大蛇潟 大五郎(おろちがた だいごろう、1863年1月(文久… 大蛇潟 大五郎(おろちがた だいごろう、1863年1月(文久2年12月) - 1916年1月9日)は、現在の千葉県市川市鬼越出身で宮城野部屋、錦戸部屋、錦島部屋に所属した力士。本名は錦嶋 七太郎(旧姓岡田)。7代錦島。身長178cm、体重101kg。最高位は西前頭筆頭。 1885年5月に二枚目格付出で初土俵。1889年5月十両昇進した。1892年6月に新入幕、以後1907年1月に44歳で引退するまで連続で幕内に在位。また錦島部屋では二枚鑑札。引退後は親方業に専念したが、1916年に没した。享年55。 上の名前は番付上の表記揺れを考えなければ改名歴なし。下の名前は1890年5月場所まで「七五郎」、1891年1月場所から「大五郎」。