浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日… 浅利 慶太(あさり けいた、1933年〈昭和8年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉7月13日)は、日本の演出家、実業家である。東京都出身。永田町小学校(現麹町小学校)、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学専攻中退。特選塾員。慶應義塾評議員。 劇団四季創設者の一人で、劇団の運営・管理に当たる「四季株式会社」の代表取締役社長・会長・芸術総監督をつとめた。劇団四季、四季株式会社を、商業主義ミュージカル劇団としても企業としても成長させた。 1933年、演劇プロデューサー浅利鶴雄の息子として東京に生まれる。8歳の時に太平洋戦争開戦、11歳の時に空襲が始まって長野県軽井沢の別荘に疎開し、そこで1945年の終戦を迎えた。
岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14… 岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14日 - )は、日本の工業技術者、経営者。金属加工会社・岡野工業株式会社の代表取締役(社長・ただし2018年に2年後を目途に廃業すると表明している・後述)。東京都墨田区出身。 1933年(昭和8年)生まれの東京都出身。金属深絞り加工の世界的工業技術者(金型職人)として知られていて、東京都墨田区の従業員数6人という小さな町工場でありながら、その高い技術カが日本はもちろん、世界の大企業やNASAなどに注目され、製品が次々に採用される実績を持つ。講演多数、著書20以上。 1945年、向島更正国民学校初等科を卒業後、実父が創業した金型工場を手伝い始める。
神林 留雄(かんばやし とめお、1933年2月12日 - 2… 神林 留雄(かんばやし とめお、1933年2月12日 - 2023年8月18日)は、日本の実業家。 東京出身で、東京都立上野高等学校を経て東京大学法学部卒業し、NTTデータ社長・会長などを歴任した。 1955年4月、日本電信電話公社(現 日本電信電話株式会社)入社。 1995年6月、NTTデータ通信株式会社(現 株式会社NTTデータグループ)の社長に就任。上場後約1年で東京証券取引所一部指定替えを果たすとともに、国内外同時募集の公募増資を行い、当社の経営基盤・財務基盤の礎を確立した。インターネットビジネス、電子商取引など、当時の新たな情報サービス分野に積極的に取り組むとともに、電子商取引実証推進協議会の理事に就任するなど、個社の垣根を越えて業界全体の発展に貢献した。
普勝 清治 (ふかつ せいじ、1933年 - 2014年9月… 普勝 清治 (ふかつ せいじ、1933年 - 2014年9月18日)は、日本の実業家。元全日本空輸社長。
田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 20… 田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 2006年7月19日)は、日本のスポーツライター、高校野球指導者、プロ野球監督・球団経営者。東京都出身。 日本大学第三高等学校、日本大学卒業。共に野球部に所属し、一塁手、投手として活躍。右投右打。 1956年、日刊スポーツ野球記者となる。 1960年、母校の日本大学第三高等学校野球部監督に就任。1962年の選抜高等学校野球大会では準優勝に導く。 その後、日刊スポーツ野球記者に復帰後、1968年2月、高校野球での実績を買われ、プロ経験はないもののサンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)二軍監督に就任。1971年・1972年と2年連続でイースタン・リーグ優勝を果たした。
吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 -… 吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 - )は日本の光学設計者、実業家。元ニコン社長・会長。
伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito,… 伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito, 1932年3月19日 - )は、日本の実業家、雑誌編集者、作家、歌人。 日本初の商業ベースの同性愛雑誌『薔薇族』創刊者・編集長。第二書房代表取締役社長、ロマンの泉美術館館長。 男性同性愛者のためのゲイ雑誌刊行により、全国の書店に置くことで「同性愛者の存在を可視化」させ、社会的少数者は「自分だけではない」と明確に分かるようになる。雑誌の投稿欄、読者座談会やカフェ開業など交流の場を設け、コミュニティ作りに尽力。「薔薇族」「百合族」を命名。『薔薇族』編集長を40年間務めた。 東京府に生まれる。荏原小学校代沢分教場(世田谷区立代沢小学校)、世田谷中学校・高等学校を経て、駒澤大学文学部国文科を卒業。
福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、… 福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、日本の通産官僚・実業家。学校法人東洋大学総長(2018年12月より)。通商産業事務次官・株式会社神戸製鋼所副会長・株式会社電通総研社長・学校法人東洋大学理事長などを歴任した。 東京府出身。父の福川篤四郎は鉄道官僚で運輸省鉄道総局総務長官などを務めた。東京都立第八高等学校(現:東京都立小山台高等学校)から慶應義塾大学工学部に進むも転学し、1955年3月に東京大学法学部卒業。 大臣官房企画室長、大平正芳内閣総理大臣秘書官、貿易局長、通産大臣官房長、産業政策局長を経て、1986年6月から1988年6月まで事務次官。中曽根内閣からの要請で、1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけに、省内で台頭してきた原発撤退派を排除する使命を担ったとされる。
脇村 春夫(わきむら はるお、1932年1月15日 - )は… 脇村 春夫(わきむら はるお、1932年1月15日 - )は、日本の実業家、元アマチュア野球選手。第5代日本高等学校野球連盟会長(2002年11月 - 2008年11月)。現在は、公益財団法人脇村奨学会代表理事。博士(経済学)(大阪大学)。 脇村禮次郎と祐子(正田貞一郎の三女)との子として東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)に生まれる。祖父は田辺市名誉市民・脇村市太郎、正田貞一郎。おじに経済学者・脇村義太郎、鉱物学者・正田篤五郎、数学者・正田建次郎がいる。上皇后美智子の従兄にあたる。
前川 正雄(まえかわ まさお、1932年 - )は日本の企業… 前川 正雄(まえかわ まさお、1932年 - )は日本の企業経営者、前川製作所顧問。
庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2… 庄 幸司郎(しょう こうしろう、1931年10月6日 - 2000年2月18日)は、昭和後期、平成時代の市民運動家、ジャーナリスト、実業家。 1931年(昭和6年)10月6日、中国大連生まれ。東京都立一橋高等学校卒。1963年(昭和38年)、庄建設株式会社を設立、代表取締役。のち映画制作会社青林舎、シグロ、および出版の記録社、影書房の代表取締役も兼務。戦争末期の大陸での体験から一貫して反権力・反戦の姿勢をつらぬき、市民運動に力をそそぐ。ミニコミ誌「告知板」、雑誌「辺境」などを刊行し、記録映画「よみがえれカレーズ」などを製作した。2000年(平成12年)2月18日死去。68歳。
福富 太郎(ふくとみ たろう、1931年(昭和6年)10月6… 福富 太郎(ふくとみ たろう、1931年(昭和6年)10月6日 - 2018年(平成30年)5月29日)は、東京都出身の実業家、絵画蒐集家。 本名中村勇志智。創業したキャバレーハリウッドは最盛期にFC店を含め、全国に44店舗を構え、キャバレー太郎、キャバレー王の異名をとった。 東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区)に生まれる。1943年(昭和18年)東京府立園芸学校(現在の東京都立園芸高等学校)入学後は朝5時登校でイモ作りに励む。1945年(昭和20年)5月24日、家が空襲で焼け、家人は親類の家に移るが、自分ひとり自宅裏に防空壕を掘って住む。敗戦後も穴蔵暮らしを続け、手作りイモ飴を売った金で農家からイモを買い出し、ヤミ屋をしてしのぐ。
内田喜吉(うちだ きよし、1931年3月15日 - )はラオ… 内田喜吉(うちだ きよし、1931年3月15日 - )はラオックス元社長。東京都出身。ラオックス創業者の谷口正治とは遠縁にあたる。 1948年に中央商業学校を卒業後、谷口商店に入社。同年7月には谷口電機から分離した朝日無線電機に転じる。以降、1959年に常務取締役、1974年に専務取締役を経て、1976年にラオックスの専務取締役となる。1981年、副社長に就任。1990年にはラオックスのザ・コンピュータ館の立ち上げも行っている。 1991年6月、ラオックスの2代目社長に就任。1995年6月まで4年間つとめた。 ラオックス社長を退任後は株式会社ダイエー・メディア・ソリューションズの代表取締役専務をつとめている。
松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11… 松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)1月1日)は、日本の学者、実業家、作曲家。学位は社会科学博士(ストラスブール大学)。放送史、音楽史を専門とした。学校法人東海大学副理事長、東海大学平和戦略国際研究所所長、同松前記念館館長、同文明研究所長、同総合教育センター教授などをそれぞれ歴任した。東京都出身。 父は松前重義、妻澄子方の義父は池田清就。松前国際友好財団理事長や日本衛星放送取締役、エフエム東京取締役、札幌コンサートホールKitara館長なども務め、東海大学及び東海大学系列小・中・高等学校の校歌を作曲している。
藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年… 藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年6月14日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長、会長を務めた。 東京都出身。1969年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に三井信託銀行に入社。1982年6月に取締役に就任し、1986年9月に常務、1987年9月に専務を経て、1991年9月に社長に就任した。1996年6月には会長に就任し、1999年4月に取締役、1999年6月に顧問を経て、2000年4月には中央三井信託銀行特別顧問に就任。 2021年6月14日、誤嚥性肺炎のために死去。90歳没。
宮本 悦也(みやもと えつや、1931年(昭和6年)- )は… 宮本 悦也(みやもと えつや、1931年(昭和6年)- )は、日本の実業家である。電通経済関西支社長を経て、企業向けコンサルタントとして活動し、東京アンドパリ社社長、流行学研究所社長となる。社会現象を分析、研究して流行学(英:modology)を創始した。東京都出身。 1931年(昭和6年)東京府で生れる。東京府立芝愛宕尋常小学校を経て、1944年(昭和19年)旧制東京府立二十二中学(現:東京都立六本木高等学校)へ入学する。その後、東京空襲に遭い岡山県へ疎開する。1945年(昭和20年)旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ2年次転入する。そのまま終戦を迎え、1948年(昭和23年)同校を卒業した。
樫尾 幸雄(かしお ゆきお、1930年(昭和5年)11月29… 樫尾 幸雄(かしお ゆきお、1930年(昭和5年)11月29日 - )は、日本の実業家。カシオ計算機創業メンバーの「樫尾四兄弟」の一人(末弟)。四兄弟の役割分担では主に生産面を統括し、カシオミニのヒットに貢献。カシオ計算機副社長、特別顧問を歴任した。 東京都出身。東京都立第四商業学校を経て、1949年に日本大学専門部機械科を卒業。1957年、カシオ計算機兄弟とともに創業メンバーとなる。 カシオ計算機では、カシオの名を広めた世界初の個人向け電卓であるカシオミニの生産、デジタル式腕時計のG-SHOCKやデジタルカメラを一般化させたQV-10の生産にも関与し、カシオ計算機を世界的メーカーに育て上げる一翼を担った。
椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 200… 椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 2007年3月16日)は、日本の政治家、実業家、物理学者。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、自由の会代表、無所属の会代表などを務めた。 自由民主党副総裁、外務大臣、通商産業大臣を歴任した椎名悦三郎の次男。 東京府東京市(現・東京都文京区)出身。旧制府立高等学校を経て1953年名古屋大学理学部物理学科を卒業。電源開発に入った後、アメリカアルゴンヌ国立研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカーサムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父・椎名悦三郎の引退に伴い、第35回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選する。
藤居 寛(ふじい ひろし、1930年8月19日 - 2013… 藤居 寛(ふじい ひろし、1930年8月19日 - 2013年6月7日)は、日本の実業家。帝国ホテル社長。 東京都出身。終戦直後の夏1945年9月6日、15歳で両親を中央線笹子駅構内脱線転覆事故で亡くした。さらに事故の10日後に、身元確認のため埋葬されていた遺体を掘り起こし、その後自らの手で一晩かけて火葬した。以後、土木作業員などとして働き、祖母、妹、弟を養いながら学校に通った。大学時代は秋山富一(元住友商事社長)らとともに、体育会ラグビー部に所属。旧制東京府立千歳中学校(東京都立千歳高等学校の前身)を経て、1953年3月に一橋大学経済学部を卒業。 1953年4月 第一銀行入行、本店配属。堀留支店、労働組合副委員長、全国銀行協会連合会出向等を経たのち、第一勧業銀行で神田支店長、取締役個人開発部長、常務取締役等を務めた。
鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月1… 鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月12日 - )は日本の実業家、鹿島建設取締役相談役。工学博士(東京大学)。東京都出身。
鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本… 鳥羽 董(とば ただす、1930年4月17日 - )は、日本の実業家。味の素代表取締役社長や、同社代表取締役副会長、ダイエー代表取締役社長を務めた。 1955年慶應義塾大学大学院経済学研究科修了、味の素入社。1981年取締役に昇格。1985年常務取締役。1987年代表取締役専務。1989年から代表取締役社長として「WE-21」計画を推し進めた。後任の代表取締役社長には江頭邦雄を推したが、創業家の反対で叶わず、1995年代表取締役副会長に退き、1996年にはダイエーに顧問として移った。1999年からダイエー代表取締役社長を務めて経営再建にあたった。
渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 202… 渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 2021年6月8日)は、日本の実業家。三和銀行頭取や三菱東京UFJ銀行名誉顧問のほか、全国銀行協会連合会副会長、経済同友会副代表幹事等の公職も務めた。1993年藍綬褒章受章。 東京・赤羽出身。渡辺幸吉(中央大学名誉教授)は父。旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)に入学。渡辺文雄(俳優)は旧制中学の同級生。大学時代は弓道部に所属。またキリスト教青年会にも参加。大学同期の伊藤助成(元日本生命社長)と親しい関係であった。 1953年に大学を卒業し、三和銀行入行。入行後は、丸善石油(現コスモ石油)や岩井産業(現双日)への出向を経て、営業本部第二部長、融資部長、営業本部長等、国内営業部門を歩み、1988年に川勝堅二の後任として、頭取に就任した。
槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 202… 槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 2020年12月13日)は、日本の実業家。従三位。 イギリス生まれ、東京府(現:東京都)。ハーバード大学卒業。三菱商事の社長・会長・特別顧問、三菱グループ・三菱金曜会の世話人代表を歴任した。父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。 槙原稔の妻・喜久子は元三菱製紙会長・岩崎隆弥(弥太郎の孫、久弥の次男)の三女。旧制成蹊高校時代に隆弥の4人の娘に英語の家庭教師をしていた縁で隆弥の娘の1人・喜久子と結婚した。この結婚によって三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係で結ばれることになり、このことが後に三菱商事の社長に就任することにプラスになったと考えられている。
矢橋 謙一郎(やばし けんいちろう、1929年〈昭和4年〉1… 矢橋 謙一郎(やばし けんいちろう、1929年〈昭和4年〉12月13日 - 2001年〈平成13年〉3月21日)は、日本の実業家。関ヶ原石材株式会社取締役社長・取締役会長。 岐阜県立大垣中学校(現・岐阜県立大垣北高等学校)、旧制武蔵高等学校卒業。1950年(昭和25年)に東京大学理学部地理学科に入学し、1953年に東京大学を卒業すると大学院に進学した。大学院在籍時には暁星高等学校講師、学習院中等科講師などを務めている。 1958年(昭和33年)に東京大学大学院を修了し、成城大学経済学部講師に就任した。1962年(昭和37年)には父親の矢橋五郎が創業した関ヶ原石材株式会社に入社し、取締役兼海外部長に就任した。
米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2… 米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2014年2月16日)は、日本の技術者、実業家。コニカ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本科学技術連盟理事長、日本品質管理学会会長などを務めた。アメリカ品質学会(ASQ)功績賞、デミング賞本賞受賞。 東京市本所区(現墨田区)生まれ。府立七校(現東京都立墨田川高等学校)在学中に東京大空襲で家が焼失し、学生寮のある横浜工業専門学校(現横浜国立大学)に入学。1953年東京工業大学電気化学科卒業。大学では品質管理の水野滋教授に師事した。 1953年小西六写真工業(現コニカミノルタ)入社。八王子工場品質保証課長を経て、生産本部本部長付主任部員在任中に出版した著書『品質管理のはなし』で日経品質管理文献賞受賞。
大坪 檀(おおつぼ まゆみ、1929年4月13日 - )は、… 大坪 檀(おおつぼ まゆみ、1929年4月13日 - )は、日本の実業家、著述家、経営学者(マーケティング論・経営戦略論)。筆名は千尾 将(ちお まさる)。 学位はMaster of Business Administration(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1957年)。 静岡産業大学総合研究所所長(初代)、学校法人新静岡学園学園長(初代)・理事・顧問、一般財団法人ふじのくに医療城下町推進機構理事長(初代)、公益財団法人世界緑茶協会理事、静岡県立大学名誉教授。 ブリヂストンタイヤ株式会社での勤務を経て、株式会社ブリヂストン経営情報部部長、株式会社ブリヂストン宣伝部部長、静岡県立大学経営情報学部教授、静岡県立大学経営情報学部学部長(第4代)、静岡県立大学学長補佐、静岡産業大学国際情報学部教授、静岡産業大学学長(第2代)、学校法人第二静岡学園副理事長、学校法人新静岡学園理事長(第2代)などを歴任した。
秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 20… 秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 2025年7月13日)は、日本の経営者、理学博士。三菱マテリアル社長を務めた。 東京都出身。海軍兵学校(77期)、旧制成蹊高等学校(理甲)を経て、1951年に東京文理科大学理学部化学科を卒業。1954年に同大学院研究科を修了し、同年に三菱金属鉱業に入社した。1978年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年1月に専務、1992年6月に副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任し、2003年6月に取締役相談役を経て、2004年6月には名誉顧問に就任。1997年11月に藍綬褒章を受章し、2013年11月に旭日重光章を受章した。
根本 二郎(ねもと じろう、1928年11月1日 - 201… 根本 二郎(ねもと じろう、1928年11月1日 - 2014年12月7日)は、日本郵船最高顧問で、元社長・会長。日本経済団体連合会名誉会長。 東京府立第五中学校、旧制静岡高等学校を経て東京大学法学部卒業。1952年日本郵船に入社。1987年日本郵船副社長。1989年日本郵船社長。1995年日本郵船会長。2003年同社初の名誉会長に就任。2009年日本郵船相談役。 1995年日本経営者団体連盟会長。1999年日本経営者団体連盟特別顧問。2002年日本経済団体連合会名誉会長。 1998年中央教育審議会会長。 1998年三菱倉庫取締役、日本空港ビルデング取締役。1999年パレスホテル取締役。 1998年早稲田大学名誉博士。
佐野 喜秋(さの よしあき、1928年9月22日 - 199… 佐野 喜秋(さの よしあき、1928年9月22日 - 1993年1月31日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長を務めた。山梨県出身。 1951年に豊島実業高校(現在の豊島学院高等学校)を卒業し、同年に日本火災海上保険に入社。 1982年7月に取締役に就任し、1985年7月に常務、1986年6月に専務を経て、1988年6月には副社長に就任し、1989年月には社長に昇格。 1993年1月31日心不全のために死去。64歳没。
川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 20… 川上 哲郎(かわかみ てつろう、1928年8月3日 - 2021年1月9日) は日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長、同会長、関西経済連合会会長、日本電線工業会会長等を歴任。位階は従三位。勲一等瑞宝章受章。 東京都吉祥寺出身。父は厚生省官僚。東京府立二中、海軍兵学校第77期を経て、1952年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。古川栄一ゼミ出身。 商社志望だったが、大学卒業後は、健康診断で落ちた内定者の代わりとして、ゼミの教授の勧めで住友電気工業に入社。1975年同社取締役、1978年常務取締役、1980年代表取締役専務、1982年代表取締役社長、1991年代表取締役会長、1999年相談役。2008年8月名誉顧問 財団法人関西情報センター会長などを経て、1994年から1997年まで関西経済連合会会長を務め、関西国際空港第二期事業の取りまとめ等や、阪神・淡路大震災への対応にあたり、総理府阪神・淡路復興委員会委員も務めた。
重松 開三郎(しげまつ かいさぶろう、1928年 <昭和3年… 重松 開三郎(しげまつ かいさぶろう、1928年 <昭和3年> 7月23日 - 2022年 <令和4年> 11月15日)は、日本の実業家。重松製作所の代表取締役社長、会長を務めた。位階は正六位。 東京都生まれ。城北中学校を経て、1949年に都立工業専門学校機械科を卒業し株式会社重松製作所に入社。1952年に取締役、1956年に常務取締役、1977年に代表取締役社長に就任し、その後、代表取締役会長および相談役を務めた。2022年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 2002年に勲五等双光旭日章を受章した
石井 恭二(いしい きょうじ、1928年〈昭和13年〉2月1… 石井 恭二(いしい きょうじ、1928年〈昭和13年〉2月13日 - 2011年〈平成23年〉11月29日)は、日本の実業家。現代思潮社(のちの現代思潮新社)の創業者である。 東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)江戸橋の天ぷら屋の生まれ。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)の同級に森本和夫がいる。 日本共産党に籍があったがアナーキズムに接近し、同党と思想的に相容れないアンリ・ルフェーヴルや黒田寛一の本を出して脱党。 家業の天ぷら屋を経て、1957年に現代思潮社(現・現代思潮新社)を創業、埴谷雄高、吉本隆明、澁澤龍彦、マルキ・ド・サド、ジョルジュ・バタイユ、モーリス・ブランショ、ジャック・デリダなどの著作を先駆的に刊行する。
ジョージ・フィールズ(George Fields、日本名・宮… ジョージ・フィールズ(George Fields、日本名・宮田譲治/みやた じょうじ、1928年 - 2008年10月2日)は、日本東京府生まれのオーストラリアの事業家、国際ビジネスコンサルタント。フィールズ・アソシエイト代表。産能大学客員教授。 1928年に、東京で生まれる。父親が日本人で母親がオーストラリア人のハーフ。初等教育、中等教育は日本で受ける。都立八中卒業。東京が空襲を受けた後、父の勧めでオーストラリアへ移住し大学へ進むことになった。パスポートを取得するまでの1年間は父親の知人の紹介で撮影所で働く。1954年、シドニー大学経済学部卒業。英国ユニリーバ勤務を経て、1964年ASIマーケットリサーチ日本支社赴任とともに来日、以後日本に居住。
河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日… 河野 俊二(こうの しゅんじ、1927年(昭和2年)8月1日 - 2012年(平成24年)6月12日)は、日本の経営者。宮崎県出身。元東京海上火災保険社長・会長。元日本損害保険協会会長。
堤 清二(つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 … 堤 清二(つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 - 2013年〈平成25年〉11月25日)は、日本の実業家、小説家、詩人。筆名は辻井 喬(つじい たかし)。学位は博士(経済学)(中央大学・1996年)。日本芸術院会員、財団法人セゾン文化財団理事長、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、『歴程』同人、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。国土計画取締役、西武鉄道取締役、京浜急行電鉄社外取締役、西武流通グループ(後のセゾングループ)代表などを歴任した。異母弟は西武鉄道グループ元オーナーの堤義明。 1927年、西武グループの創業者堤康次郎と、康次郎の妾(後に本妻)・青山操の間に生まれる。
出光 裕治(いでみつ ゆうじ、1927年1月1日 - )は、… 出光 裕治(いでみつ ゆうじ、1927年1月1日 - )は、日本の実業家。第6代出光興産代表取締役社長。第6代日本プラントメンテナンス協会会長。第16代石油連盟会長。 出光興産創業者出光佐三の兄雄平の次男。1943年東京府立第一中学校4年修了。旧制浦和高等学校を経て、九州大学法文学部経済科卒業、マルクス経済学の高橋正雄ゼミ出身。1993年から出光興産社長を務めた。1994年日本プラントメンテナンス協会会長。 1995年には出光興産からは出光計助、石田正実に続き3人目となる石油連盟会長に就任。1998年出光興産相談役に退いた。 2012年旭日重光章受章。
胡暁子(おう あきこ、1927年(昭和2年) - 2011年… 胡暁子(おう あきこ、1927年(昭和2年) - 2011年(平成23年) 10月31日)は、実業家・慈善活動家。タイガーバームを率いる胡一虎の配偶者。シンガポール赤十字副総裁などを歴任。 東京都千代田区に生まれる。生家は長瀬商店(花王)一族。番町小学校、文化学院卒。 昭和22年に日本で中国人男性と結婚するが、3人の子をもうけた後離婚。その後、昭和33年にアジア最大の財閥タイガーバーム3代目総裁、胡一虎に嫁ぐ。結婚式は香港・シンガポール・東京の三か所で行われた。 結婚後はシンガポールに移住し、主婦業の傍ら星虎公司社長や役員などを歴任。銀行、新聞社、建築、レジャー施設や旅行会社、スーパーマーケットから高級ブティック等におよぶ数十の会社をシンガポールを拠点に経営する。
沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉1… 沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉10月22日 - 2016年〈平成28年〉2月20日)は、日本の実業家、鼻煙壺収集家。ファミリーマート初代社長、良品計画会長、日本フランチャイズチェーン協会会長等も歴任した。東京生まれ。 馬込小学校、旧制東京中学校を経て、1951年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業後、伊藤忠商事に入社。大学時代は水泳部に所属。香港駐在、西友ストアー常務等を務めた。 1981年ファミリーマート社長に就任。発注の翌日納品、東海地方でのフランチャイズチェーン展開、プライベートブランド商品の導入、台湾進出などを行った。 1987年日本フランチャイズチェーン協会副会長、1991年同会長に就任。
木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月… 木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月14日 - 2011年(平成23年)2月13日)は、日本の技術者、実業家。元ソニー専務。元ソニー木原研究所会長。創業者井深大に見出され、ソニー創成期の基礎技術を確立させる。東京通信工業時代からのソニー創成期メンバーの一人。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)生まれ。東京府立第二中(現東京都立立川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科機械科を卒業後、1947年東京通信工業(現:ソニー)に新卒採用1期生として入社。 1950年に日本最初のテープレコーダー、1964年にビデオテープレコーダー国産第一号機やベータ方式のVTR「ベータマックス」を開発。
平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月… 平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月6日 - 2022年〈令和4年〉8月15日)は、日本の実業家。京浜急行電鉄社長、同社会長、横浜新都市センター社長、横浜ポルタ会会長、日本民営鉄道協会会長等を歴任した。位階勲等は従三位旭日大綬章。 東京府品川生まれ。府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校卒業。海軍兵学校同期にノーリツ創業者の太田敏郎、阪急電鉄社長および平松の後任として日本民営鉄道協会会長を務めた小林公平等がいた。1949年(昭和24年)東京工業大学機械工学科卒業。1950年(昭和25年)京浜急行電鉄入社。経理部長等を経て、1981年(昭和56年)取締役に昇格。
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月3… 渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - 2024年〈令和6年〉12月19日)は、日本の新聞記者・実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。「ナベツネ」の通称で知られ、読売関係者の間では「ワタツネ」と呼ばれていた。株式会社読売新聞社社長、読売ジャイアンツの球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長を歴任した。日本のプロ野球界に関連する渡邉の伝説は数知れず、自ら「俺は最後の独裁者だ」と語ったとされ、マスメディアにおいて「野球界の独裁者」または単に「独裁者」と呼ばれていることについては渡邉自身が認めていた。
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月3… 渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - )は、日本の新聞記者、実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。勲等は旭日大綬章。「ナベツネ」の通称で知られる。
氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年… 氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年)5月17日 - 2011年(平成23年)3月28日)は、日本のジャーナリスト、実業家。位階は正三位。 日本テレビ放送網代表取締役会長、日本民間放送連盟会長、読売新聞グループ本社取締役相談役を歴任。位階は正三位。読売新聞グループの総帥である渡邉恒雄の盟友として、同グループ内、特に日本テレビにおいて強大な発言力を有していた。趣味はパソコン。 また、東京都歴史文化財団理事長、東京都現代美術館館長も務めた。 古河合名理事を務めた氏家貞一郎の長男として東京に生まれる。 旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)で同級生の網野善彦、1年先輩の渡邉恒雄と知り合う。
増田 通二(ますだ つうじ、1926年(大正15年)4月27… 増田 通二(ますだ つうじ、1926年(大正15年)4月27日 - 2007年(平成19年)6月21日)は、日本の実業家。パルコ社長を務めた。 東京・世田谷生まれ。父親は日本画家増田正宗。通二は4人兄弟の末っ子。世田谷区立守山小学校(現・世田谷区立下北沢小学校)から都立十中(現・東京都立西高等学校)に進み、堤清二と同級となる。旧制府立高校から東京大学文学部哲学科へ進学。東大在学中の24歳のとき、上野の日本料理店「花家」の娘・黒岩静江と一緒に暮らすための収入源として、堤の父で、父親のパトロンでもあった堤康次郎に頼み、学生の身分のまま西武鉄道グループの親会社である国土計画の社長付き雑用係として働き始める。
藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 200… 藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 2005年2月6日)は、東京府出身の実業家。元キユーピー社長。 府立三中、陸軍幼年学校、陸士を経て、水産講習所(現東京海洋大学)卒業。中島董商店入店。中島董商店から1951年にグループ会社の食品工業(現キユーピー)設立に伴い移動。1971年社長、1993年副会長、1995年取締役相談役、1999年顧問、2001年特別顧問。勲三等旭日中綬章(1996年)。2005年2月6日死去。享年79。
水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 20… 水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 2009年6月20日)は、日本の新聞記者、実業家。
遠山 直道(とおやま なおみち、1925年12月3日 - 1… 遠山 直道(とおやま なおみち、1925年12月3日 - 1973年3月5日)は、東京府出身の実業家、サッカー選手。ダヴィッド社社長、日興證券(現:SMBC日興証券)副社長、日本出版クラブ評議員を歴任した。 日興證券創業者の遠山元一の三男。旧制府立高校時代よりサッカー選手としてプレーし、1944年に東京帝国大学経済学部に入学した。なお、入学当初は太平洋戦争中でサッカーを禁止されていた時期であり、ア式蹴球部(サッカー部)の活動は出来ない有様であったが、戦後ア式蹴球部を復活させて主将も務めた。なお、遠山は兵役は免れたとされる。1946年5月に開催された復興第1回全日本サッカー選手権大会で東大LBの一員として優勝した。
石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11… 石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11月5日 - 2005年(平成17年)12月14日)は、日本の実業家。鹿島建設名誉会長、日本商工会議所第15代会頭。妻・ヨシ子は鹿島の第4代社長・鹿島守之助の娘。父は石川一郎初代経団連会長。 学位は工学博士(東京大学)。鹿島建設の社長・会長のほか、日本商工会議所及び東京商工会議所の名誉会頭、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)監査役、日本卓球協会第7代名誉会長、日本を守る国民会議顧問、日本会議顧問、東京メトロポリタンテレビジョン会長などを務めた。 東京府北豊島郡滝野川大字西ヶ原(現在の東京都北区西ヶ原)に生まれた。石川一郎、冨美子の六男。
岡田 卓也(おかだ たくや、1925年〈大正14年〉9月19… 岡田 卓也(おかだ たくや、1925年〈大正14年〉9月19日 - )は、日本の実業家。イオングループ名誉会長。四日市岡田家の7代目当主である。イオングループを子会社約300社、連結売上高9兆5,535億円、従業員数約56万人(2016年2月期)という日本の小売業を代表する企業に育て上げた。 三重県四日市市の老舗呉服商・岡田屋6代目の岡田惣一郎の長男(1男4女の末子で4人の姉がいる)として、1925年(大正14年)9月19日に四日市市(中部地区)に生まれた。誕生後に卓也は捨て子の風習で三滝川の橋に捨てられた。占い師の姓名判断により、戦死しにくいという「卓也」と命名された。父親は2歳の時に病死した。
永山 武臣(ながやま たけおみ、1925年(大正14年)8月… 永山 武臣(ながやま たけおみ、1925年(大正14年)8月30日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の実業家。松竹社長・会長を歴任した。 東京出身。屯田兵設立の功労者である男爵永山武四郎の孫。息子はフジテレビプロデューサーの永山耕三。 学習院初等科から高等科 (旧制) を卒業。京都帝国大学経済学部へ入学し、1948年(昭和23年)3月に京都大学経済学部を卒業した。 2006年(平成18年)12月13日午前7時48分、急性白血病のため都内の病院で死去。享年81歳。墓所は多磨霊園。 大学在学中の1947年(昭和22年)10月に松竹に入社し、東京劇場監事室に配属された。 1951年(昭和26年)1月の東京・歌舞伎座の再開と同時にその監事室に配属され、松竹創業者の一人である大谷竹次郎の下で、同年に上演された「源氏物語」(9代目市川海老蔵(後の11代目市川團十郎)や7代目尾上梅幸、2代目尾上松緑ら)や6代目中村歌右衛門襲名披露興行など第2次世界大戦後初期の歌舞伎の代表的な公演に関わることになった。