菅沼 栄一郎(すがぬま えいいちろう 1955年11月27日… 菅沼 栄一郎(すがぬま えいいちろう 1955年11月27日‐)は、東京都足立区出身の朝日新聞記者・ジャーナリスト。仙台在勤地方自治担当編集委員。
東京都:157人
菅沼 栄一郎(すがぬま えいいちろう 1955年11月27日… 菅沼 栄一郎(すがぬま えいいちろう 1955年11月27日‐)は、東京都足立区出身の朝日新聞記者・ジャーナリスト。仙台在勤地方自治担当編集委員。
阿川 大樹(あがわ たいじゅ、1954年12月1日 -)は、… 阿川 大樹(あがわ たいじゅ、1954年12月1日 -)は、日本の小説家、推理作家、コラムニスト、随筆家、ジャーナリスト、作曲家。日本推理作家協会会員。神奈川県横浜市在住。 東京都で商社マンの家に生まれ、子供の頃は親の転勤により引っ越しが多かったと語っている。中学生の頃から小説家を夢見ていた。 東京都立戸山高等学校卒業。高校時代には演劇部に所属し、同部後輩の井坂聡 (映画監督) とはOBとして知り合いになる 。高校2年 (1971年) の文化祭 (戸山祭) では、演劇部公演として、『狂人とピエロの唄』という創作劇の脚本を執筆。これは謡曲『隅田川』を題材としたミュージカルであった。また、生徒会にて制服の廃止を主導したと語っている。
野中 ともよ(のなか ともよ、1954年6月18日 - )は… 野中 ともよ(のなか ともよ、1954年6月18日 - )は、日本のテレビキャスター、ジャーナリスト、実業家。元三洋電機代表取締役(CEO)。そのルックス(えくぼ)から「ペコちゃん」と呼ばれたことがある。NPO法人ガイア・イニシアティブほか市民活動を率いている。 東京都出身。東京都立富士高等学校を経て、上智大学文学部新聞学科を卒業後、アメリカ合衆国のミズーリ大学コロンビア校大学院に留学。1994年、上智大学大学院文学研究科博士前期課程修了。 1979年からNHK総合テレビの報道、スポーツニュース番組でキャスターに就任。主な番組は、「海外ウィークリー」、「スポーツとニュース」、星野仙一、大塚範一と始めた「サンデースポーツスペシャル」の初代キャスター。
磯野 彰彦(いその あきひこ、1954年5月26日 - )は… 磯野 彰彦(いその あきひこ、1954年5月26日 - )は、日本のジャーナリスト。元毎日新聞社デジタルメディア局長、新聞研究本部長。まいまいクラブ内でブログ「竹橋発」を運営していた。現在は昭和女子大学評議員、キャリア支援センター長、グローバルビジネス学部会計ファイナンス学科特任教授。
岡本 厚(おかもと あつし、1954年3月26日 - )は、… 岡本 厚(おかもと あつし、1954年3月26日 - )は、日本のジャーナリスト、岩波書店代表取締役社長、元『世界』編集長。
前野 重雄(まえの しげお、1953年2月11日 - )は、… 前野 重雄(まえの しげお、1953年2月11日 - )は、日本のスポーツグッズ評論家・スポーツグッズ販売店経営者、コラムニスト、ジャーナリスト。東京都荒川区出身。台東区立根岸小学校卒。明治大学付属明治高等学校・中学校中退。ハワイ州立大学言論学部、世論誘導学科修了。旧姓は宇野(うの)。オフィス流体力学所属。
竹信 三恵子(たけのぶ みえこ、1953年 - )は、日本の… 竹信 三恵子(たけのぶ みえこ、1953年 - )は、日本のジャーナリスト、和光大学教授、元朝日新聞記者。
朽木 ゆり子(くちき ゆりこ、1950年 - )は、日本のジ… 朽木 ゆり子(くちき ゆりこ、1950年 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家、ノンフィクション作家。 東京都生まれ。小学校時代一時期神戸市に住む。東京都立小石川高等学校を経て1974年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業、その後、同大学院行政学修士課程修了。のち同大学院博士課程後期へ進学、在籍中に緒方貞子の薦めによりコロンビア大学芸術科学大学院(GSAS)(英語版)へ進学し、1977年9月から1980年5月まで同大学院政治学科博士課程に学ぶ。コロンビア大学院時代に週刊誌の取材の手伝いや通訳を行った伝手から、ジャーナリズムの分野へ移る。1980年日本へ帰国。フリーランスのジャーナリストを経て、1987年「日本版エスクァイア」創刊時の編集長と知り合いであったことから同年入社、1992年まで同誌副編集長を務める。
後藤 謙次(ごとう けんじ、1949年10月5日 - )は、… 後藤 謙次(ごとう けんじ、1949年10月5日 - )は、日本のジャーナリスト、アンカーマン。 白鷗大学名誉教授。元共同通信社記者、編集局長。「政治コラムニスト」「政治ジャーナリスト」の肩書きでも活動している。東京都出身。 1968年、東京都立八潮高等学校卒業。1973年、早稲田大学法学部を卒業。共同通信社に入社し、函館支局、札幌支社編集部などに勤務する。 1982年以降、共同通信社本社政治部、首相官邸、自民党(旧田中派担当)、外務省、野党担当、自民党クラブキャップ、首相官邸クラブキャップなどを担当。 1997年、同社編集局編集委員兼論説委員に就任。2002年に同社政治部部長、2004年には同社論説副委員長兼編集委員に就任する。
大竹 オサム(おおたけ おさむ、1949年〈昭和24年〉5月… 大竹 オサム(おおたけ おさむ、1949年〈昭和24年〉5月22日 - )は、日本のジャーナリスト、作家、料理人。本名・大竹 修(読み同じ)、 大竹まこと(お笑いタレント、俳優)は双子の兄。大竹涼太は甥。血液型B型、東京都目黒区出身。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業。 世田谷区奥沢にあったイタリアンレストラン、Gotham Cafe'(ゴッサムカフェ)のオーナーシェフ。 ジャーナリストとしては、東スポ、週刊現代、雑誌フライデーの記者や漫画アクションでのインタビュアー経験が有り、ミスターバイク(モーターマガジン社発行のバイク雑誌)の編集長であった。 作家としては上記の経験よりバイクを題材にした物を中心に漫画原作や小説等を執筆。
須磨 佳津江(すま かつえ〈旧姓:井出〉、1949年5月13… 須磨 佳津江(すま かつえ〈旧姓:井出〉、1949年5月13日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ジャーナリスト。元NHKアナウンサー。 東京都出身。女子学院高等学校、東京女子大学卒業後、1972年にNHKにアナウンサーとして入局、朝の報道ワイドショー番組『スタジオ102』でデビュー。同期に小宮山洋子がいる。 1976年に結婚退職してフリーランスとなり、以降はNHKの番組を中心に『テレマップ』『ニュースの窓』『婦人百科』『ラジオジャパン土曜ワイド』などのキャスターを務めた。初のパソコン入門番組である『趣味講座・マイコン入門』の初代女性司会者でもある。園芸、特にガーデニングに造詣が深いことから、『趣味の園芸』では1994年から1999年3月まで5年間にわたって司会を務め、2005年3月までの11年にわたっても不定期に司会を担当した。
恵谷 治(えや おさむ、1949年3月28日 - 2018年… 恵谷 治(えや おさむ、1949年3月28日 - 2018年5月20日)は、日本のジャーナリスト。早稲田大学地域・地域間研究機構アジア研究所客員教授。著作上の氏名表記の「恵」は旧字体の「惠」を用いている。 民族紛争、軍事情報、特に北朝鮮問題が専門。 東京都墨田区に生まれ、その後広島県尾道市向東町に転居。1967年、広島県立尾道北高等学校卒業後、早稲田大学法学部卒。 冷戦時代はソ連の領土拡張主義や軍事的プレゼンス(ソ連脅威論)を取り上げていたが、その後北朝鮮に焦点を移す。北朝鮮の長距離ミサイルや反体制運動等の事情に関して、「SAPIO」に寄稿している。また北朝鮮が拉致した日本人について、50人程度と推定している[要出典]。
宮田 一雄(みやた かずお、1949年 - )は、日本のジャ… 宮田 一雄(みやた かずお、1949年 - )は、日本のジャーナリスト、産経新聞特別記者兼論説委員、iRONNA編集長。長年、AIDSやHIVなど感染症の取材を続けており、公益財団法人エイズ予防財団の理事も務める。
小宮山 洋子(こみやま ようこ、1948年〈昭和23年〉9月… 小宮山 洋子(こみやま ようこ、1948年〈昭和23年〉9月17日 - )は、日本のジャーナリスト、政治家。 厚生労働大臣(第14代)、内閣府特命担当大臣(少子化対策)(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、厚生労働副大臣(菅直人第1次改造内閣)、衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)、民主党財務委員長、NHK解説委員・アナウンサーを務めた。 元東京大学総長の加藤一郎は実父。現在の本名は「小宮山洋子」。出生名は「加藤洋子」。かつての本名は「根岸洋子」であった。 東京大学総長や成城学園学園長を歴任した加藤一郎の娘として東京都に生まれた。母方の祖父は大蔵大臣や初代大東亜大臣を務めた青木一男、父方の祖父は北海道銀行頭取を務めた加藤守一。
萩谷 順(はぎたに じゅん、1948年7月11日 - )は、… 萩谷 順(はぎたに じゅん、1948年7月11日 - )は、日本のジャーナリスト、法政大学名誉教授。元朝日新聞編集委員。 東京都出身。祖父は大阪の医師の萩谷理平治。父萩谷朴は国文学者、二松學舍大学と大東文化大学の名誉教授。母松江は安田銀行(現みずほ銀行)創業者の安田善次郎の三男で安田銀行頭取の安田善五郎の四女。戦前の歌手の徳山璉は義理の叔父にあたる。 学習院初等科、学習院中・高等科、東京大学法学部を卒業し1971年朝日新聞社入社。学習院の同級生に政治家の鳩山邦夫、作曲家の都倉俊一、東京大学名誉教授の能見善久、日本郵政社長の長門正貢などがいる。学習院高等科では第一外国語としてドイツ語を専攻。 宇都宮、長野両支局勤務の後、政治部、外報部、Deutsche Welle(ドイツ国際放送)派遣、カイロ特派員、ウィーン特派員、外報部次長、ボン特派員、英文雑誌ジャパン・クオータリー編集長などを歴任した。
若宮 啓文(わかみや よしぶみ、1948年1月16日 - 2… 若宮 啓文(わかみや よしぶみ、1948年1月16日 - 2016年4月28日)は、ジャーナリスト、コラムニスト。
小山 唯史(こやま ただし、1948年1月5日 - )は、日… 小山 唯史(こやま ただし、1948年1月5日 - )は、日本のジャーナリスト。 総合月刊誌、週刊誌等を中心に政治、企業から各種社会問題、スポーツ、医療、人物論、インタビュー等で署名記事を発表している。 父親はNHK東京放送劇団の声優・俳優の小山源喜。遠戚に作家の小山清、書道家の小山やす子。高祖父に東京向島料亭八百松の主人小山松五郎がいる。 東京都立墨田川高等学校・早稲田大学政経学部卒業。 ■『東京人』(都市出版) ■『プレジデント』(プレジデント社) ■『DIAS』(光文社) ■『調査情報』(TBSメディア総合研究所) ■月刊誌『宝石』(光文社) ■『週刊宝石』(光文社)
今泉 みね子(いまいずみ みねこ、1948年 - )は、日本… 今泉 みね子(いまいずみ みねこ、1948年 - )は、日本の環境ジャーナリスト、翻訳家。 東京都生まれ。女子学院高等学校、国際基督教大学教養学部自然科学科生物学(生態学)専攻卒業。1983年から1986年に、西ドイツのフライブルク大学に子連れ留学する。1990年からフライブルクに永住、ヨーロッパの環境政策・対策について執筆・講演・調査、生物学や環境保護についての英語・ドイツ語文献の翻訳を行う。動物学者・今泉吉晴は元夫。
山根 一眞(やまね かずま、1947年〈昭和22年〉10月1… 山根 一眞(やまね かずま、1947年〈昭和22年〉10月12日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、獨協大学経済学部特任教授。東京都出身。明治学院中学校、明治学院東村山高等学校(同校第1期生)、獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒業。元NHK『ミッドナイトジャーナル』『未来派宣言』キャスター。作家・西村寿行のデータマンをしていた時期もある。 父の山根章弘は美学者で東京音楽大学教授、それ以前は東映動画に勤務し、日本初の長編カラーアニメーション『白蛇伝』の制作に原案として上原信のペンネームで参加。アマゾンにおける環境問題の取材を30年に渡って行っている。週刊ポストの連載『メタルカラーの時代』は、日本のモノづくりの最前線を取材したもので700回を超える長期連載となっている。
町永 俊雄(まちなが としお、1947年(昭和22年)9月6… 町永 俊雄(まちなが としお、1947年(昭和22年)9月6日 - )は、福祉介護評論家・ジャーナリスト。NHKの元アナウンサー。 東京都出身。東京都立日本橋高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1971年(昭和46年)入局。以後八戸、岡山、東京、名古屋などで勤務。情報系の番組を担当することが多かったが、のちに社会福祉系の番組を専門とするようになる。2007年10月1日に嘱託職へ移行し、64歳となった2011年秋に嘱託終了。
小林 穂波(こばやし ほなみ、1947年(昭和22年)8月2… 小林 穂波(こばやし ほなみ、1947年(昭和22年)8月27日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。仙台放送専務取締役、フジテレビ報道キャスターを務めた。東京都出身。
石川 好(いしかわ よしみ、男性、1947年(昭和22年)1… 石川 好(いしかわ よしみ、男性、1947年(昭和22年)1月5日 - 2024年(令和6年)8月19日)は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト、時事問題評論家。妻は小説家の殿谷みな子。 1947年、東京都伊豆大島(大島町波浮港)生まれ。1959年、大島町立第三中学校入学。1962年、東京都立大島高等学校入学。大島高校では野球部に所属し主将を務めた。1965年、都立高校卒業と同時に先行渡米していた実兄を頼り、短期農業移民資格でアメリカ・カリフォルニア州へ渡る。カリフォルニア州では、兄の勤めていた農園で働く。1969年に帰国。1974年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、再渡米し、庭園業を営む。
三ツ谷洋子(みつや ようこ、1947年-)は日本のジャーナリ… 三ツ谷洋子(みつや ようこ、1947年-)は日本のジャーナリスト、スポーツコンサルタント、プロデューサー。元産経新聞社記者、元法政大学教授、元株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役、女性スポーツ財団日本支部設立者、元公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事。専門はスポーツビジネス、スポーツジャーナリズム、女性とスポーツ、スポーツとまちづくり。 1947年:東京都で生まれる。 1970年:慶應義塾大学法学部政治学科卒業 1970年:産経新聞社入社、社会部記者を経て、サンケイスポーツ運動部記者となる。 1973年:同社退社後、フリーランスのスポーツジャーナリストとして、オリンピックなどの国内外のスポーツ事情を取材し、原稿執筆などを開始する。
平本 和生(ひらもと かずお、1945年10月16日 - )… 平本 和生(ひらもと かずお、1945年10月16日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家、BS-TBS取締役会長。元東京放送ホールディングス(TBSHD)取締役。東京都町田市出身。
重村 智計(しげむら としみつ、1945年9月30日 - )… 重村 智計(しげむら としみつ、1945年9月30日 - )は、日本の学者・ジャーナリスト、東京通信大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、延世大学校客員教授、同徳女子大学校客員教授、毎日新聞客員編集委員。日本ニュース時事能力検定協会理事。 元毎日新聞社記者。2000年(平成12年)に同社退職後は拓殖大学に移り、2004年(平成16年)より2016年(平成28年)まで早稲田大学国際教養学部教授。朝鮮半島情勢を主な専門分野とし、北朝鮮問題に関する分析を行う。関連の著書やテレビ出演もある。
大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月… 大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月8日 - )は、日本のジャーナリスト、元新聞記者、漫画原作者。実弟は元最高裁判所判事の大谷剛彦。 東京都目黒区出身。目黒区立第十中学校、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後の1968年4月、読売新聞社に入社、徳島支局勤務。1970年、大阪読売社会部(警察担当)へ異動。上司である黒田清と共に「黒田軍団」の一員として、数多くのスクープ記事を取材。1980年より、朝刊社会面コラム『窓』を7年間にわたって担当。 1987年、黒田が当時:取締役論説委員長で現在主筆である渡邉恒雄との社内政治対立から大阪読売を退社した際、行動を共にし、黒田と共に黒田ジャーナルを設立。
落合 正勝(おちあい まさかつ、1945年 - 2006年8… 落合 正勝(おちあい まさかつ、1945年 - 2006年8月7日)は、日本の服飾評論家、ジャーナリスト。 東京都中央区築地生まれ。立教大学法学部卒業。『ジャパンタイムズ』を経て服飾評論家として独立。1994年5月、男性向けファッション雑誌『MEN'S EX』(世界文化社)の連載で「クラシコ・イタリア」という言葉を紹介し、「ファッションとは流行を追うばかりでなく普遍的なクラシックがある」と主張し、服飾評論の世界に一石を投じた。1997年、フィレンツェ市長よりベスト・ペン・プライズを受賞。1998年、東洋人として初めてクラシコ・イタリア大賞を受賞。ファッション誌に限らず、中日新聞や生活雑誌『サライ』(小学館)などでも連載を勤めた。
銅谷 志朗(どうや しろう、1944年(昭和19年)4月30… 銅谷 志朗(どうや しろう、1944年(昭和19年)4月30日 - 2018年(平成30年)10月29日)は、日本のアナウンサー(山陽放送→テレビ朝日→フリー)、相撲キャスター、相撲ジャーナリスト。東京相撲記者クラブ会友。 港区立白金小学校、港区立高松中学校、東京都立三田高等学校を経て、明治大学政治経済学部経済学科を卒業後、1968年(昭和43年)4月、山陽放送(現在のRSK山陽放送)にアナウンサーとして入社、ラジオDJ、テレビ広報番粗、ニュースなどを担当。 1971年(昭和46年)4月、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に移籍。主にニュース、ドラマのナレーション、スポーツ実況(大相撲・プロレス・ボクシング・アーティスティックスイミング・重量挙げ・卓球・競馬・陸上競技フィールド競技など)を担当。
高野 孟(たかの はじめ、1944年4月17日〈戸籍上は3月… 高野 孟(たかの はじめ、1944年4月17日〈戸籍上は3月19日〉- )は、日本のジャーナリスト、『インサイダー』編集長。東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学第一文学部哲学科卒業。2002年より早稲田大学客員教授。サイバー大学客員教授。東アジア共同体研究所理事。千葉県鴨川市在住。選択的夫婦別姓制度実現のための民法改正運動を行っているmネットの呼びかけ人でもある。 高野実(後の総評事務局長)と倭文子(猪俣津南雄の元妻)の長男として生まれる。なお、気功師で毛沢東主義の政治運動家・津村喬は弟。高瀬羽皐は祖父。 かつては日本共産党の党員であり、大学卒業後に共産党系の通信社「ジャパンプレスサービス」(JPS)に入社したが、後に共産党とは袂を分かった。
藤村 幸義(ふじむら たかよし、1944年3月 - )は、日… 藤村 幸義(ふじむら たかよし、1944年3月 - )は、日本のジャーナリスト。元日本経済新聞論説委員、元拓殖大学教授。専門は中国の政治経済。 1967年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社する。北京特派員を経て、1987年に北京支局長となる。1993年に日本経済新聞論説委員に就任する。その後、2001年に拓殖大学国際学部教授に着任し、2008年から国際学部長を務めた。2014年退任。この間、法政大学や慶應義塾大学の非常勤講師、中国経済学会、日中関係学会の理事を務め、国際経済学会、中国経営管理学会などでも活動した。
猪熊建夫(いのくま たてお、1944年 - )は、東京都出身… 猪熊建夫(いのくま たてお、1944年 - )は、東京都出身の記者、ジャーナリスト、経営コンサルタント。専門はメディア論、コンテンツ産業論、学校教育。 1944年に東京都で出生。東京都立大学附属高等学校を卒業後、早稲田大学政経学部政治学科を中途退学し、京都大学農学部農林経済学科に転学した。 大学を卒業後、1970年に毎日新聞社に入社して記者となる。主に経済分野を歩み、仙台支局を経て、1974年に東京本社経済部記者として大蔵省、農林水産省、日本銀行などの官公庁、民間業界の取材を担当した。1988年に東京本社経済部副部長(デスク)に就任。 1990年に毎日新聞を退職後、船井総合研究所に入所し、経営コンサルタントとなる。
園田矢(そのだ ただし、1942年7月7日 - )は、日本の… 園田矢(そのだ ただし、1942年7月7日 - )は、日本のジャーナリスト、NHK外信部長などを歴任。
秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月… 秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部教授。元TBS記者・ワシントン支局長。
宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日… 宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、女優。 東京都立川市出身。戦争疎開で岡山県に移住し、高校卒業まで岡山市(旧都窪郡吉備町)で送る。東京教育大学卒業後、1964年4月、TBSにアナウンサー9期生として入社(同期に石川顯、大沢悠里、小島康臣、平原晋太郎、桝井論平、高階玲子、二村義子、山田照子、吉野好子)。1966年1月、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部。1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いラジオ局第一制作部勤務者兼アナウンサー研修室付に。1969年3月、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付、1970年7月、ラジオ本部アナウンス室、1989年1月、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部、1991年5月、アナウンスセンター兼ラジオ制作局にそれぞれ配属。
森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の… 森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト。 日本文藝家協会理事(2012年より)。日本ペンクラブ会員。 代表作は架空戦記『燃える波濤』(徳間書店)。 東京府生まれ。栃木県立黒磯高等学校、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、「週刊読書人」の記者を経て、フリージャーナリストとして独立。 1971年、『黒い龍』で作家デビュー。以後、世界をまたにかけたスパイ小説、軍事情報小説で人気を博す。 1983年には、日本冒険作家クラブの創設を提唱して実現。1985年には『雨はいつまで降り続く』で第93回直木三十五賞候補となった。その後、警察小説、青春小説、架空戦記などジャンルの幅を広げて活躍。
島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )… 島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )は、スポーツジャーナリスト、フリーアナウンサー。 個人事務所である有限会社「ニューヴォイス嶋村プロ」所属で、代表取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、1964年にNHKにアナウンサーとして入局。 音楽好きであることや高校・大学時代に合唱をしていた経験もあって、NHK入局時にもアナウンサーではなくミュージカルを担当する音楽ディレクターを志望していたが、米子支局(現在は鳥取放送局のエリア)在籍時代に、高校野球秋季中国大会での岡山東商・平松政次と関西・森安敏明の投手戦の実況を務めて感動し、スポーツアナウンサーを目指すことになった。
大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭… 大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭和16年)2月23日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、コメンテーター。 ジャーナリスト大宅壮一の三女。兄は詩人・大宅歩。芸能事務所ホリプロがマネジメントしている。 株式会社大宅映子事務所代表取締役、公益財団法人大宅壮一文庫理事長。(母・大宅昌から引き継いだ。) CNNj放送番組審議会委員、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、西武ホールディングス社外取締役、日本年金機構理事、公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本ゴルフ改革会議議長。元日本インフォメーションシステムズ (NIS) 代表取締役、元株式会社髙島屋社外取締役、元資生堂社外監査役。
平野 次郎(ひらの じろう、1940年(昭和15年)12月1… 平野 次郎(ひらの じろう、1940年(昭和15年)12月19日 - )は、日本のジャーナリスト、学者である。日本放送協会(NHK)解説委員、記者を経て、学習院女子大学特別専任教授。
近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11… 近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11月27日 - 1986年(昭和61年)1月27日)は、日本のジャーナリスト、作家。サンケイ新聞編集委員。サイゴン支局長として赴任した際にはベトナム戦争を取材し、サイゴン陥落を目撃した。東京府出身。 祖父、父と2代続いた医師の家の長男として東京大学医学部附属病院で生まれる。父・台五郎は、東京女子医科大学教授などを務め、ファイバースコープの開発にも貢献した。 湘南・逗子で育ち、進学した神奈川県立湘南高等学校では、万葉集などの日本の古典やサルトルなどのフランス文学に親しんだ、なかでも大河小説『チボー家の人々』に感銘を受け、早稲田大学仏文専修に入ったのも、訳者の山内義雄を慕っての選択だった。
野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は… 野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は、日本のスポーツライター(スポーツジャーナリスト)。元日刊スポーツ編集委員。石川県生まれ。 テレビ番組への出演も多く、眉毛がとてつもなく太くて濃いため「まゆげのノーさん」、「眉毛の野崎さん」の愛称で親しまれた。 1960年、東京都立桜町高等学校から中央大学法学部法律学科に入学。1964年に同大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。校閲部を経て、1968年には野球部に配属。その後コミッショナー事務局、遊軍記者を経て、1980年12月に野球部次長に就任。 1986年4月よりテレビ朝日『ニュースステーション』に出演。木曜日のプロ野球コーナーを担当するなどメディアにも登場し、テレビゲーム「プロ野球チームをつくろう!」にも「まゆげのノーさん」として登場した。
石 弘之(いし ひろゆき、1940年5月28日 - )は、日… 石 弘之(いし ひろゆき、1940年5月28日 - )は、日本の環境ジャーナリスト、環境問題研究者。専門は地球環境論。朝日新聞編集委員を経て東京大学教授、駐ザンビア特命全権大使等を歴任した。 その他にも、国連環境計画上級顧問、国連開発計画上級顧問、東欧環境センター常任理事、国際協力機構参与、通商産業省産業構造審議会委員、運輸省運輸政策審議会環境部会長、持続可能な開発のための日本評議会議長などを務めた。 東京市(現東京都豊島区)生まれ[要出典]。1953年、東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、1959年同中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業[要出典]、1965年東京大学教養学部教養学科卒業。
久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナ… 久保 紘之(くぼ こうし、1940年 - )は日本のジャーナリスト・評論家。産経新聞編集特別委員を歴任。
柏倉 康夫(かしわくら やすお、1939年2月23日 - )… 柏倉 康夫(かしわくら やすお、1939年2月23日 - )は、日本のジャーナリスト、フランス文学者。放送大学名誉教授。専門は、フランス文学、メディア論。
長岡 一也(ながおか かずや、1939年1月2日 - )は、… 長岡 一也(ながおか かずや、1939年1月2日 - )は、フリーアナウンサー・競馬ジャーナリスト。 旧満州東北部・奉天生まれ。父は飛行機のエンジン設計のエンジニアで、満州飛行機に勤務していた。日本へ脱出するための船が停泊する上海に向かう途中の列車の中で、終戦を迎えた。小学4年から6年にNHKラジオの番組で、児童合唱団の一員として3年間活動した。武蔵中学校・高等学校、千葉大学文理学部を経て、1961年に日本短波放送(現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社した。当初はプロ野球志望であったが、アナウンサーとして主に中央競馬実況中継を担当し、1962年1月の東京開催でデビューした。GI級レース・八大競走初実況は1963年の桜花賞(勝馬:ミスマサコ)で、実況中に解説の大川慶次郎は「ミスマサコ!ミスマサコ!」と叫んだ。
大久保 力(おおくぼ りき、1939年 - )は、日本のレー… 大久保 力(おおくぼ りき、1939年 - )は、日本のレーシングドライバー、自動車ジャーナリスト。東京都小金井市出身。元モーター新党代表。 1953年14歳から原付オートバイに乗り始める。その後、米軍立川基地周辺のライダーが集まるオートバイクラブ「東京オトキチクラブ」の一員に。1958年に浅間高原自動車テストコースで開催されたクラブマン初の全日本モーターサイクルクラブマンレース大会(MCFAJ主催に関わりレースとの縁が深まる。1960年5月、アマチュアオートレース大会(大井オートレース場、50ccクラス優勝・スーパーカブ)を機に同年9月にはトーハツ(東京発動機)の支援を受けていた同クラブから宇都宮市の元陸軍清原飛行場跡地で開催の第3回クラブマンレースにレーシングライダーの本格的デビューをする。
大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は… 大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は、日本の科学ジャーナリスト、SFファン活動家。 東京神田生まれ。東京教育大学(中退)在学中から家庭教師、塾経営をはじめる。 1967年にSF同人誌『宇宙塵』に参加。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で投稿が紹介されている。 1968年から石原藤夫、柴野拓美らと「SFファン科学勉強会」(SFフ科会)を結成して活動。のちに草場純、志水一夫、鹿野司らもメンバーとなる。 1979年頃からSF乱学者を名乗る(「蘭学者」のもじり)。
下村 満子(しもむら みつこ、1938年6月17日 - )は… 下村 満子(しもむら みつこ、1938年6月17日 - )は、日本のジャーナリスト。東京都出身。旧姓、山田。 三宝教団第2代管長の山田耕雲の娘。母の山田和江は健康事業総合財団名誉理事長。弟の山田匡通は東京三菱銀行専務取締役、三菱証券代表取締役会長、イトーキ代表取締役会長を歴任。夫の下村紘一郎は健康事業総合財団専務理事。 慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業、ニューヨーク大学大学院修士課程修了。 1965年、朝日新聞社に入社。1982年、女性記者として初めてボーン・上田記念国際記者賞を受賞。在職中、1987年から1年間、ハーバード大学ニーマン特別研究員を務める。1994年に朝日新聞社を退社するまで、週刊朝日編集部やニューヨーク特派員を経て朝日ジャーナル編集長や同編集委員を務めた。
渡辺 圭(わたなべ けい、女性、1938年〈昭和13年〉 -… 渡辺 圭(わたなべ けい、女性、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本のジャーナリスト。神奈川県生まれ。1956年慶應義塾女子高等学校卒業。1960年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)入社。報道ディレクターとして文化大革命下の中国やベトナム戦争を取材。1970年フリーとなる。1981年米国ウィスコンシン州ミルウォーキーに移り住む。
清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10… 清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10月31日 - 2024年(令和6年)12月27日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産経新聞社特別顧問、日本美術協会副会長。 父は検事総長を務めた清原邦一。甥はフジテレビプロデューサーの清原邦夫。 清原邦一の次男として東京で生まれる。第二次世界大戦中、疎開した和歌山県・粉河の長田町小学校に入学、戦後は成蹊中学校・高等学校を経て1962年(昭和37年)慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、産経新聞社に入社した。 2024年12月27日午前7時4分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。87歳没。 東京本社社会部、横浜総局記者を短期間務めた後、1964年(昭和39年)から社内留学生として2年間、アメリカに留学、聴講生としてミシガン大学で学んだ。
大熊 一夫(おおくま かずお、1937年8月17日 - )は… 大熊 一夫(おおくま かずお、1937年8月17日 - )は日本のジャーナリスト。1970年、アルコール依存症を装って精神科病院に潜入入院し、『ルポ精神病棟』を朝日新聞社会面に連載。精神科病院廃絶に向け活動を行った。 東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)を卒業して朝日新聞記者に。週刊朝日副編集長、アエラ・スタッフライターをへて無所属のジャーナリストに。 1998年から大阪大学人間科学部教授。担当はソーシャルサービス論。日本の国立大学に初めて出来た福祉系講座の初代教授。2002年に定年退官。 1970年、アルコール依存症を装って精神科病院に潜入入院し、『ルポ精神病棟』を朝日新聞社会面に連載。