大塚 海夫(おおつか うみお、1960年〈昭和35年〉8月6… 大塚 海夫(おおつか うみお、1960年〈昭和35年〉8月6日 - )は、日本の海上自衛官、外交官、神職。2020年(令和2年)9月に自衛官出身者として初めて特命全権大使(在ジブチ特命全権大使)に任命され、妻で外交官の中谷好江も同時に駐パラグアイ特命全権大使に任命された。2024年(令和6年)4月1日付で第14代靖国神社宮司に就任。 東京都出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校を経て、1983年(昭和58年)3月、防衛大学校機械工学科(第27期)を卒業後、海上自衛隊に入隊。1997年(平成9年)ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院修了、国際公共政策学修士。 護衛艦「とね」艦長、海上幕僚監部教育班長、海上幕僚監部防衛調整官、第21護衛隊司令、情報本部統合情報部長、海上自衛隊幹部学校副校長、第2護衛隊群司令、練習艦隊司令官、海上幕僚監部指揮通信情報部長、アメリカ中央軍日本国首席連絡官、自衛艦隊司令部幕僚長、海上自衛隊幹部学校長、情報本部長を歴任し、2019年(令和元年)12月に退官。
中谷 正寛(なかたに まさひろ、1943年(昭和18年)9月… 中谷 正寛(なかたに まさひろ、1943年(昭和18年)9月25日 - )は、日本の元陸上自衛官。第28代陸上幕僚長。1佐までの職種は普通科。 大阪府出身(2015年現在東京都在住)。1966年(昭和41年)3月に防衛大学校(第10期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後の初任地は第23普通科連隊。北海道でレンジャー訓練を受け、その後レンジャー教官を5回を務めたと語っている。その後、第28普通科連隊長、陸上幕僚監部防衛課長、東部方面総監部幕僚副長、北部方面総監部幕僚長、 第4師団長、中部方面総監等を歴任した。陸幕長候補には中谷と防大同期の天野良晴が有力視されていたが、天野が陸上幕僚監部人事部長在任中に発生した東富士演習場違法射撃事件に伴う不適切な事故処理が2000年(平成12年)に発覚し、辞任したため、2001年(平成13年)1月、第28代陸上幕僚長に就任した。
山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11… 山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の海上自衛官、第23代海上幕僚長。防衛大学校第7期卒業。 東京府出身。両国高校を経て防衛大学校(第7期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「とかち」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第23代海上幕僚長に就任。在任中の1998年(平成10年)には「北朝鮮によるミサイル発射実験」、翌1999年(平成11年)には「能登半島沖不審船事件」が発生。不審船事案では海上自衛隊創設以来初となる海上警備行動が発令され事態に対処した。
東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7… 東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7年)9月25日- 2021年(令和3年)10月3日)は、日本の元海上自衛官。第17代海上幕僚長。 東京都出身。東京水産大学では製造学科で食品衛生を研究テーマにしていた。卒業後、海上自衛隊に入隊。入隊の動機は当時、大学が久里浜にあり、目の前に海上自衛隊の基地があったことから「なんとなく、面白そうだから」という理由で入隊したという。 入隊後は空にあこがれて航空部隊へ進む。主に対潜哨戒機「S2F-1 トラッカー」のパイロットとして活躍し、飛行時間は3,500時間を超える。二十代で機長を務めていた頃は、護衛艦と共同で実施する対潜哨戒の作戦の方針をめぐって2佐クラスの艦長と無線でしばしば火花を散らしたという。
田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 20… 田村 秀昭(たむら ひであき、1932年9月21日 - 2008年1月4日)は、日本の航空自衛官、政治家。工学博士(京都大学)。参議院議員(3期)、国民新党結党時の副代表。最終階級は空将。 東京都生まれ。東京都立大学附属高等学校(同級生に佐藤信二)から防衛大学校へ進み、1957年に第一期生として卒業後、航空自衛隊に入隊。また、京都大学大学院工学研究科に進学して冶金工学を専攻し、博士課程を修了。1964年に工学博士の学位を取得。 航空自衛隊では、F-4EJ技術連絡官(在米1年間)、技術研究本部技術開発官付、航空幕僚監部装備部長、保安管制気象団司令、航空自衛隊幹部学校長(空将、1986年12月 - 1988年1月)を歴任。
大村 平(おおむら ひとし、1930年〈昭和5年〉1月2日 … 大村 平(おおむら ひとし、1930年〈昭和5年〉1月2日 - 2021年〈令和3年〉6月1日)は、日本の航空自衛官、著述家。 東京都出身。第18代航空幕僚長、技術畑からは初の航空幕僚長。工学博士。 自衛官としての勤務の傍ら、初等数学や統計学において啓蒙書を多数著した。 名古屋陸軍幼年学校に入校し2年時に終戦を迎えた。在学中はパイロットを目指していた。終戦後は旧制・東京高校を経て東京工業大学に進学。大学では機械工学を専攻し卒業後は製糸会社に勤めるが、仕事として今ひとつ物足りない感じを受け、1956年(昭和31年)に公募幹部(3等空尉)として航空自衛隊に入隊。 入隊後は防府基地で1か月の入隊教育を受けたのち、浜松基地の実験航空隊に配属された。
太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不… 太田 武彦(おおた たけひこ、1925年1月5日 - 没年不明)は、日本の作詞家、元自衛官。別名義に太田 かおる、太田 かほる。 現在の東京都江戸川区生まれ。1944年(昭和19年)に旧制上野中学校を卒業後、陸軍少年飛行兵に志願して終戦を迎える。復員後は国警秋田県本部に採用され警察官となったが、1950年(昭和25年)の警察予備隊発足と同時に入隊して以降、陸上自衛隊で仙台・青森・札幌・帯広を経て美幌駐屯地に転属した。 美幌時代は本名もしくは「太田かほる」名義で作詞の懸賞募集への投稿を精力的に行い、1966年(昭和41年)に北海道が公募した「道民のうた」で応募作「光あふれて」が入選した。以降も1970年(昭和45年)の日本万国博覧会公式テーマソング「世界のひろばで」、三越の2代目社歌などで入選。
斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Sa… 斎藤 高順(さいとう たかのぶ、英: Takanobu Saito、1924年12月8日 - 2004年4月11日)は、東京府(現・東京都)生まれの作曲家、指揮者、幹部自衛官。自由作曲家協会会員であり日本吹奏楽指導者協会理事・日本国民音楽振興財団理事も務めた。長男はチェロ奏者の斎藤章一、長女はバイオリニストの内藤景子、長女の夫はホルン奏者の内藤貴司、孫は俳優の内藤光佑。 1924年、東京・深川の酒屋の次男として生まれる。1942年に日本大学第一中学校(旧制、現・日本大学第一高等学校)を卒業。1943年に東京音楽学校(旧制、現・東京芸術大学)に入学し、1947年に卒業。1949年に同校の研究科を修了。
小林 照彦(こばやし てるひこ、1920年〈大正9年〉11月… 小林 照彦(こばやし てるひこ、1920年〈大正9年〉11月17日 - 1957年〈昭和32年〉6月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。陸士53期。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、空自では2等空佐。 1920年(大正9年)11月17日、東京府に生まれる。国士舘中学校を経て、1940年(昭和15年)2月に陸軍士官学校53期を卒業し、同年5月に陸軍砲兵少尉に任官したが、直後に砲兵科から航空兵科に転科し(昭和15年5月 陸軍航空兵少尉)、空中勤務者(分科は「軽爆撃機」)となる。飛行第45戦隊、飛行第66戦隊を経て、1943年(昭和18年)11月に飛行分科を「戦闘機」に転じ、明野陸軍飛行学校亀山分校で戦闘機学生教育を受ける。
白川 元春(しらかわ もとはる、1918年〈大正7年〉1月2… 白川 元春(しらかわ もとはる、1918年〈大正7年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉8月18日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官である。第11代航空幕僚長、第8代統合幕僚会議議長。 東京府出身。男爵陸軍大臣・白川義則の三男として生まれる。東京府立六中を経て陸軍予科士官学校に進む。原隊は立川の飛行第5聯隊。陸軍航空士官学校(51期)を卒業し、浜松陸軍飛行学校乙種学生、飛行第45戦隊付、航空士官学校区隊長を経て、飛行第90戦隊中隊長としてマレー、ジャワを転戦。陸大卒業後は、第2飛行師団参謀、終戦は南方軍総司令部参謀としてサイゴンで迎えた。 復員後は公職追放となり、妻の実家のある松江で本屋の番頭をしていた。
松平 永芳(まつだいら ながよし、1915年〈大正4年〉3月… 松平 永芳(まつだいら ながよし、1915年〈大正4年〉3月21日 - 2005年〈平成17年〉7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官、神職。靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。 二女武子の婿は17代目住友吉右衛門である。 東京に生まれる。祖父は松平春嶽。父は春嶽の長男・松平慶民(子爵、宮内大臣、戦後は宮内府長官)。母幸子は男爵新田忠純の四女。妻充子は侍従武官・侯爵醍醐忠重(海軍中将)の二女。また、尾張徳川家を継いだ侯爵徳川義親(靖国会初代会長)は叔父に当たる。 暁星中学校を卒業。1937年(昭和12年)海軍機関学校(第45期)を経て、1944年(昭和19年)10月、海軍少佐・正五位に至る。
衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23… 衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士48期・陸大55期恩賜。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、陸自では統合幕僚会議議長たる陸将。第9代陸上幕僚長、第6代統合幕僚会議議長。 陸軍中佐・衣笠寛(陸士18期)の長男。陸軍士官学校(第48期)。陸軍大学校(第55期)恩賜の軍刀組でもある、陸士卒業時の兵科は航空兵。航空軍や航空総軍の参謀などを歴任。 戦後は公職追放を経て、警察予備隊に入隊、陸上自衛隊発足直後に戦時中、「空の神兵」と謳われた帝国陸軍挺進団(陸軍落下傘部隊)の元隊員達とともに(但し、第1次研究員は落下傘降下未経験者であった)、落下傘降下の研究を開始し、初代空挺教育隊隊長として第1空挺団の創設に尽力し、同空挺団の初代団長となる。
福地 誠夫(ふくち のぶお、1904年(明治37年)2月14… 福地 誠夫(ふくち のぶお、1904年(明治37年)2月14日 - 2007年(平成19年)7月26日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。最終階級は日本海軍では海軍大佐、海上自衛隊では海将。退官後は記念艦「三笠」艦長を務めた。