松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日… 松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日本の女優。本名は長谷川 万里子。 新潟県出身。新潟県立新発田高等学校卒業。虹の会、東京映画、劇団現代劇場を経て、東京俳優生活協同組合に所属。 特技は華道、小唄、三味線。 テレビドラマでは、松本清張作品に多数出演している。
新潟県:1,930人
松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日… 松浪 志保(まつなみ しほ、1935年1月1日 - )は、日本の女優。本名は長谷川 万里子。 新潟県出身。新潟県立新発田高等学校卒業。虹の会、東京映画、劇団現代劇場を経て、東京俳優生活協同組合に所属。 特技は華道、小唄、三味線。 テレビドラマでは、松本清張作品に多数出演している。
小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )… 小林 公生(こばやし きみお、1935年(昭和10年)- )は、日本の実業家。カルピス株式会社代表取締役会長・社長を歴任した。現在はカルピス株式会社相談役・財団法人三島海雲記念財団名誉理事。
石附 実(いしづき みのる、1934年11月29日 - 20… 石附 実(いしづき みのる、1934年11月29日 - 2006年5月23日)は、日本の教育学者。大阪市立大学名誉教授。専門は比較・国際教育学、近代日本比較教育文化史。 新潟市生まれ。1959年、京都大学教育学部卒業。1965年、同大学院博士課程満期退学。1973年「近代日本海外留学史の研究」で教育学博士。神戸山手女子短期大学講師、1966-1968年、オーストラリア国立大学極東史研究所員。天理大学助教授。大阪市立大学文学部助教授、教授。1996年、定年退官、名誉教授。京都女子大学教授。2005年退職。
馬場 謙一(ばば けんいち、1934年11月6日 - )は、… 馬場 謙一(ばば けんいち、1934年11月6日 - )は、日本の精神医学者。 新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)生まれ。1958年東京大学文学部独文科、1962年慶應義塾大学医学部卒業。1967年医学博士の学位を取得。斎藤病院勤務、1972-1974年西ドイツのゲッチンゲン大学に学ぶ。1976年群馬大学教育学部助教授、1983年教授、横浜国立大学教授、放送大学教授、中部大学教授、南八街病院、上諏訪病院勤務。
長谷川 義明(はせがわ よしあき、1934年(昭和9年)11… 長谷川 義明(はせがわ よしあき、1934年(昭和9年)11月2日 - )は、日本の政治家。元新潟県新潟市長(3期、第28代~第30代)。現在は特定非営利活動法人愛郷会理事長、全国良寛会会長を務める。
たか たかし(1934年10月27日 - )は、新潟県新発田… たか たかし(1934年10月27日 - )は、新潟県新発田市出身の作詞家。本名は高橋 広雄。 新潟県立新発田高等学校在学中に若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ」に出会い、身の震えるような感動を覚える。立教大学文学部中退後は北海道に渡り、業界新聞記者、セールスマン、興信所調査員、ルポライターなどを経験。青島幸男と知り合ったことが契機となり、以後放送作家として各種音楽番組を手がけるが、仕事上「昭和歌謡全集」(新興楽譜出版社)を隅々まで目を通したことで、歌謡詩に興味を持つようになる。 作詞活動は1967年から美川憲一の「ネオン化粧」でデビューし、西城秀樹「情熱の嵐」、松崎しげる「愛のメモリー」等、ヒット曲を世に送り出す。
梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 199… 梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 1998年12月26日)は、日本の映画監督、脚本家である。元俳優。1966年(昭和41年) - 1979年(昭和54年)の一時期、東元 薫(とうもと かおる)と名のったことがある。その初期には東本 薫とクレジットされた作品もあり、1972年(昭和47年) - 1974年(昭和49年)の一時期黒木 剛(くろき ごう)の名で監督、小泉 大介(こいずみ だいすけ)の名で脚本を書いたこともある。 1934年(昭和9年)9月10日、新潟県高田市(現在の同県上越市)に生まれる。 長じて東京に移り早稲田大学に進学したが、中途退学する。当初は俳優を志しており、日本文化協会(NBK)という劇団に所属、同劇団には野上正義(1940年 - 2010年)らがいた。
渡辺 秀央(渡邉 秀央、旧本名:渡邉 秀雄、わたなべ ひでお… 渡辺 秀央(渡邉 秀央、旧本名:渡邉 秀雄、わたなべ ひでお、1934年〈昭和9年〉7月5日 - 2024年〈令和6年〉7月31日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 郵政大臣(第54代)、内閣官房副長官(第3次中曽根内閣)、衆議院商工委員長、衆議院議員(6期)、参議院経済産業委員長、参議院議員(2期)、新党改革最高顧問、改革クラブ代表、自由民主党全国組織委員長、日本ミャンマー協会会長、同理事長などを歴任。 新潟県栃尾市(現・長岡市)出身。東京都立目黒高等学校、拓殖大学政経学部卒業。中曽根康弘の秘書を務める。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に、旧新潟3区(定数5)から自民党公認で立候補し初当選。
赤澤 計眞(あかざわ かずま、1934年5月5日 - 201… 赤澤 計眞(あかざわ かずま、1934年5月5日 - 2012年5月14日)は、日本の歴史学者。専門はイギリス中世史。 新潟県十日町(現十日町市)に生まれる。実家は「的新」という老舗の仕出屋であった。1938年1月1日に発生した十日町映画館崩壊事故で九死に一生を得た。十日町高校から東京大学文学部へ進学し、1961年には西洋史学科を卒業、さらに1963年には同言語学科を卒業し大学院へ進んだ。西洋中世史を堀米庸三に学びながら、経済史の演習にも参加し、大塚久雄・松田智雄・岡田与好らに信頼されていた。 1972年4月、学生紛争の余波の残る新潟大学に着任し、人文学部史学科西洋史専攻の助教授となった。翌月に同学部は新潟市西大畑町から五十嵐二の町へ移転している。
渡辺 広康(わたなべ ひろやす、1934年5月2日 - 20… 渡辺 広康(わたなべ ひろやす、1934年5月2日 - 2004年1月11日)は、日本の実業家。東京佐川急便社長。自民党や二子山部屋などのタニマチとしても知られる。 新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)で出生。1963年、渡辺運輸を設立。 1980年代に入ると佐川急便の東京進出に伴い、業務提携の後、佐川急便の系列下として東京佐川急便を設立し社長となる。社員に労働基準法を無視した超長時間労働を強いる一方、巨額の金を自民党の有力政治家をはじめ、読売ジャイアンツの選手やOB、橋幸夫などの芸能人、二子山部屋を中心とした力士たちに気前良く配るタニマチとして知られた。 1986年、暴力団・稲川会会長石井進と住友銀行による平和相互銀行乗っ取りに協力して多額の報酬を手にし、岩間カントリークラブ開発の所有権を得る。
諏訪 春雄(すわ はるお、1934年3月30日 - )は、日… 諏訪 春雄(すわ はるお、1934年3月30日 - )は、日本の近世文学・芸能史学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1966年)。学習院大学名誉教授。 新潟県新潟市生まれ。1956年新潟大学人文学部国文学科卒業、1961年東京大学大学院国文科博士課程単位取得退学、1958年中・高等科教諭、1970年学習院女子短期大学教授、1979年学習院大学教授。1966年「元禄歌舞伎の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。2005年定年退職、名誉教授。 国際浮世絵学会理事長、歌舞伎学会監事、日本近世文学会代表など。1995年内山記念浮世絵賞、2004年安倍能成記念学術賞。2013年秋、瑞宝中綬章受勲。
安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - … 安城 欽寿(あんじょう きんじゅ、1934年3月15日 - 2024年9月25日)は日本の実業家。京セラ株式会社代表取締役社長を務めた。 新潟県西蒲原郡味方村(現新潟市南区)出身。1954年新潟明訓高等学校を経て、1960年東京経済大学経済学部卒業。京セラで副社長を経て、1986年から創業者稲盛和夫から譲られ代表取締役社長を務めた。副会長、相談役を経て、2007年財団法人京都花鳥館理事長。 2024年9月25日、京都市内の病院で死去。
高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は… 高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は日本の実業家。日本郵船副社長、郵船航空サービス社長、公立大学法人首都大学東京理事長、特定非営利活動法人一橋総合研究所理事長等を歴任。
渡辺 栄(わたなべ さかえ、1933年11月16日 - 20… 渡辺 栄(わたなべ さかえ、1933年11月16日 - 2016年もしくは2017年)は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。調教師時代に2001年度JRA年度代表馬ジャングルポケット、桜花賞優勝馬シャダイソフィア、朝日杯3歳ステークス優勝馬フジキセキなどを管理した。1989年度JRA賞最高勝率調教師、1991年度同最多勝利調教師および優秀技術調教師。新潟県出身。 戸籍上の表記は旧字体が含まれた渡邊 榮だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていない為、新字体に修正して登録している。 1933年、新潟県北蒲原郡本田村(現・新発田市)に農家の五男として生まれる。幼少期から農耕馬に親しんで育ち、神事の競馬などにも出場していた。
杵渕 衛(きねふち まもる、1933年〈昭和8年〉9月25日… 杵渕 衛(きねふち まもる、1933年〈昭和8年〉9月25日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の政治家。元新潟県栃尾市(現・長岡市)長(4期)。 新潟県古志郡栃尾町(のち栃尾市を経て、長岡市)出身。新潟県立栃尾高等学校卒。1963年、栃尾市議会議員に初当選し、6期務め、副議長、議長を務める。1986年、栃尾市長に当選し、4期務める。2002年に落選した。
川口 敦子(かわぐち あつこ、1933年9月17日 - )は… 川口 敦子(かわぐち あつこ、1933年9月17日 - )は、日本の女優。本名、横森 敦子。 新潟県長岡市出身。青山学院女子短期大学卒業。劇団俳優座所属。 身長164cm、体重48kg、おとめ座。夫は俳優の横森久。 1954年、青学短大卒業後に俳優座養成所に入団。養成所時代『町人貴族』で初舞台。 俳優座養成所に6期生として入所する。同期には近藤洋介、宮部昭夫、大山のぶ代、阿部百合子、阿部六郎、佐伯赫哉、山本清がいた。1957年に劇団俳優座に入団後は、『ハムレット』、『小市民』、『幽霊はここにいる』などの舞台に出演。 映画では、『からみ合い』(1962年)、『悪党』(1965年)、『竹山ひとり旅』(1977年)などに出演。
山本 迪夫(やまもと みちお、1933年7月6日 - 200… 山本 迪夫(やまもと みちお、1933年7月6日 - 2004年8月23日)は、日本の映画監督。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校を経て早稲田大学卒業後、1956年に東宝に入社。岡本喜八の助監督を多く務め、1966年に『遊撃戦』でテレビドラマ監督としてデビュー。1969年には三橋達也主演のアクション映画『野獣の復活』で劇場用映画を初監督する。女性スリラー映画を得意とした。 代表作は、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970年)、『呪いの館 血を吸う眼』(1971年)、『血を吸う薔薇』(1974年)の3本からなる血を吸うシリーズ。日本の風土に吸血鬼ならびにヨーロッパのゴシック的ムードを大胆に導入し、さらに演出もハマー・フィルムを思わせるショッカー演出で、日本のホラー映画史でもひときわ異彩を放つものになっている。
捧 賢一(ささげ けんいち、1933年6月24日 - 201… 捧 賢一(ささげ けんいち、1933年6月24日 - 2018年5月8日)は、日本の実業家。株式会社コメリの創業者、名誉会長ファウンダー。
笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日… 笠原 茂(かさはら しげる、1933年(昭和8年)6月11日 - 1990年(平成2年)11月13日 )は、新潟県新潟市出身のアマチュアレスリング選手でのちに明治大学農学部教授。1956年メルボルンオリンピックレスリング男子フリースタイルライト級銀メダリスト。
岩田 暁一(いわた ぎょういち、1933年5月6日 - 20… 岩田 暁一(いわた ぎょういち、1933年5月6日 - 2025年4月4日)は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授。 新潟県出身。1952年新潟県立新潟高等学校卒業、1956年慶應義塾大学経済学部卒業、1962年同大学院博士課程満期退学、1975年「寡占価格への計量的接近」で経済学博士。1959年慶大工学部助手、1965年商学部助手、1966年助教授、1973年教授。1999年定年、名誉教授。 ゼミでの教え子に片岡剛士、岡田利規がいる。
桜井 新(さくらい しん、1933年4月8日 - 2017年… 桜井 新(さくらい しん、1933年4月8日 - 2017年11月9日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)、元衆議院議員(6期)。櫻井新とも書く。 新潟県南魚沼郡大和町(現:南魚沼市)出身。新潟県立六日町高等学校併設中学校、新潟県立新潟工業高等学校を経て1957年早稲田大学第一理工学部卒業。早稲田大学在学中から田中角栄の書生を務めた後に田中氏の後援会「越山会」の青年部長として活動した。東京都から新潟県に帰郷して建設業を経営した[要出典]。 1971年、新潟県議会議員選挙に立候補。この時は自らの会社の従業員を党員登録して、支部大会を半ば乗っ取る格好で自民党の公認を獲得し、当選して2期務める。
大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 202… 大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 2020年1月20日)は、日本の英文学者、早稲田大学名誉教授。位階は正五位。 新潟県長岡市生まれ。1954年新潟県立長岡高等学校卒、1959年早大文学部英文科卒、1964年同大学院博士課程満期退学。早稲田大学文学部助教授を経て教授。2003年定年、名誉教授。2014年、瑞宝中綬章受章。正五位。 シェイクスピア、エリザベス朝演劇が専門。 2020年1月20日死去。86歳没。没後に正五位に追叙された。
坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2… 坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2020年7月15日)は、日本の弁護士。新潟水俣病第1次訴訟の弁護団幹事長。新潟水俣病第2次訴訟の弁護団長などを務めたことで知られる。日本弁護士連合会常務理事。 新潟県小千谷市生まれ。新潟県立小千谷高等学校、中央大学法学部卒業。1959年に弁護士を開業し、1963年に新潟市で坂東克彦法律事務所を開設した。 長年、新潟水俣病訴訟で中心的な役割を担い、1967年提訴の第1次訴訟に弁護団幹事長として参加。四大公害病で初めて原因企業を訴えた。1971年9月29日の新潟地裁判決で昭和電工の過失責任を認めさせ、原告を勝訴に導いた。1982年提訴の第2次訴訟で1995年まで弁護団長を務めた。
渡邊 栄一(わたなべ えいかず、1933年2月5日 - 20… 渡邊 栄一(わたなべ えいかず、1933年2月5日 - 2016年11月29日)は、日本の実業家。ヤスダヨーグルト前社長。 新潟県北蒲原郡安田村(現阿賀野市)出身。 新潟県立水原農学校卒業後、農業に従事。 1961年、1頭の牛を購入して酪農家としての人生を歩み始める。1987年4月、志を同じくする酪農家たちと渡邊含めた9人で安田牛乳加工処理組合を設立し、初代責任者に就任する。1989年8月、同組合を有限会社ヤスダヨーグルトへと改組する。1995年、同社初代社長に就任する。 2016年11月29日、死去(享年84)。
岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は… 岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は、日本の女優・映画プロデューサー。本名:吉田 鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の無声映画で活躍した二枚目俳優・岡田時彦。母は宝塚歌劇団卒業生で男役を務めた田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。 1933年、東京市渋谷区代々木に生まれたが、生後間もなく京都に移住。翌1934年、父が結核で死去し、以後母は女手一つで茉莉子を育てることとなる。東京市大森区北千束に住む母の妹で、宝塚スターだった御幸市子のもとで暮らし、青葉幼稚園・赤松小学校に通う。少女時代は病弱なこともあって内向的な性格であった。 1938年、母の田鶴はダンス教師の資格をとり、上海で教えることになった。
栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月… 栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 2016年〈平成28年〉3月2日)は、日本の運輸官僚。第26代海上保安庁長官。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に東京大学法学部を卒業、4月に運輸省に入省、鉄道監督局総務課に勤務。 1981年(昭和56年)に運輸省航空局飛行場部長に就任、航空局次長、貨物流通局長を歴任、1985年(昭和60年)に運輸政策局長に就任、1986年(昭和61年)に第26代海上保安庁長官に就任。 1989年(平成元年)に日本航空に入社、常務取締役、専務取締役を歴任、1993年(平成5年)に副社長に就任、1997年(平成9年)に日本アジア航空代表取締役会長に就任、2001年(平成13年)に特別顧問に就任。
小川 秋實(おがわ あきみ、1933年 - )は、日本の医学… 小川 秋實(おがわ あきみ、1933年 - )は、日本の医学者(泌尿器科学)。新潟県出身。 1952年新潟県立新潟高等学校卒業。1958年東京大学医学部医学科卒業。1959年東京大学医学部泌尿器科助手、1965年医学博士(東京大学)。1966年から1年間フランス政府給費留学生。1973年東京大学医学部助教授。1978年信州大学医学部教授、1992年医学部長、1995年学長、1999年退官、名誉教授、伊那中央総合病院長。2009年瑞宝重光章受章。
平原 春好(ひらはら はるよし、1933年 - )は、日本の… 平原 春好(ひらはら はるよし、1933年 - )は、日本の教育学者。教育学博士(論文博士・1967年)(「「帝国憲法」下における教育行政原則の成立と批判の研究」)。神戸大学名誉教授。 長岡市生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1967年、「「帝国憲法」下における教育行政原則の成立と批判の研究」で、教育学博士の学位を取得。 東京大学助手、神戸大学助教授を経て、教授。1996年、定年退官、名誉教授、工学院大学教授。のち帝京大学教授、2003年に退職。ハーバード大学共同研究員。日本教育法学会会長(1995-1997年、1999-2001年)。
安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月… 安田 辰昭(やすだ たつあき、1933年 - 2008年2月21日)は、日本の高校野球指導者、教員。小千谷高野球部監督、新発田農高野球部監督、新潟県高校野球連盟理事長などを歴任した。
真島 一男(眞嶋 一男、まじま かずお、1932年(昭和7年… 真島 一男(眞嶋 一男、まじま かずお、1932年(昭和7年)10月28日 - 2001年(平成13年)11月22日)は、日本の政治家、官僚。位階は従四位勲二等、勲章は瑞宝章。参議院議員(通算3期)、通商産業政務次官、建設省大臣官房総務審議官、都市局長を歴任。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡工業高等学校卒業。中央大学法学部卒業後、一橋大学大学院法学研究科の田上穰治ゼミで学ぶ。旧司法試験合格。大学院修了後、1960年、建設省に入省。経済企画庁総合計画局計画官、近畿地方建設局総務部長、道路局路政課長、道路局道路総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房審議官、都市局長、大臣官房総務審議官などを歴任。1990年、国際花と緑の博覧会の大会実行委員長を務めた。
大溪 洗耳(おおたに せんじ、1932年〈昭和7年〉10月2… 大溪 洗耳(おおたに せんじ、1932年〈昭和7年〉10月24日 - 2003年〈平成15年〉5月14日)は、書家。新潟県川西町生まれ。「日本教育書道藝術院」創立者。
小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年… 小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年〉9月18日 - )は、日本の外交官、国際法学者。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長。 国連大使・外務事務次官などを歴任。皇后雅子の実父。愛子内親王の外祖父。 新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)生まれ。小和田毅夫・静夫妻の次男で、8人きょうだいの4番目。父・毅夫は新潟県立高田校長を務めた。生家の跡地は現在清水園の駐車場となっている。本籍地は新潟県村上市。 旧制新潟県立柏崎中学校(現:新潟県立柏崎高等学校)2年のとき、父の転勤により旧制新潟県立高田中学校に転校した。高田中学校在学中の学制改革を経て新潟県立高田高等学校を卒業し、東京大学文科一類に進学し、東京大学教養学部教養学科(国際関係論分科)在学中の1954年(昭和29年)に外交官領事官試験に合格、翌年の1955年 (昭和30年)に大学を卒業して(教養学士)、外務省に入省した。
久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26… 久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26日 - 2011年〈平成23年〉3月4日)は、日本の作曲家、合唱指揮者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市西区出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に新潟大学教育学部音楽科を卒業、東京芸術大学委託課程を修了。山田常三、石桁真礼生、松本民之助、柏木俊夫らに師事。 新潟大学教育学部音楽科教室助手、助教授を経て、1981年(昭和56年)から1年間、文化庁芸術家在外研修員としてアメリカのイェール大学宗教音楽研究所に留学、1982年(昭和57年)に教授に就任、1998年(平成10年)に退官。 2011年(平成23年)3月4日午前8時10分に新潟市西区寺地の済生会新潟第二病院で膵臓癌のため死去、78歳没。
小池 和男(こいけ かずお、1932年7月18日- )は、日… 小池 和男(こいけ かずお、1932年7月18日- )は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。労働経済学専攻。経済学博士(東京大学、1963年)(学位論文「日本の賃金交渉 -産業別レベルにおける賃金決定機構-」)。新潟県出身。
小出 弘(こいで ひろし、1932年(昭和7年)7月3日 -… 小出 弘(こいで ひろし、1932年(昭和7年)7月3日 - 2013年(平成25年)2月13日)は、日本の政治家。新潟県小千谷市長(2期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 新潟県小千谷市出身。新潟県立小千谷高等学校卒。小千谷市役所に入り、市議会事務局長、市選挙管理委員会書記長、総務局長を経て、1989年小千谷市長に当選。1993年は無投票当選。市長を2期務め、1997年に退任した。2006年秋の叙勲で旭日双光章を受章。2013年死去。死没日付をもって叙正六位。
牛木 素吉郎(うしき そきちろう, 1932年6月12日 -… 牛木 素吉郎(うしき そきちろう, 1932年6月12日 - )は、新潟県中頸城郡津有村(現:上越市)出身のサッカージャーナリスト、元サッカー選手。元兵庫大学経済情報学部教授。 太平洋戦争中は朝鮮で暮らしていたが、12歳で終戦に伴って日本に帰国。親戚を頼って新潟県中頸城郡津有村(現:上越市)に移った。 中学時代にサッカーを知り、新潟県立新潟高等学校を卒業後、東京大学文学部社会学科に入学してア式蹴球部に在籍した。1956年に大学を卒業して東京新聞に入社。1959年に読売新聞へ移り、運動部編集委員として30数年間スポーツ記者を務めた。また、1969年には読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)の設立に携わった。
川崎 清(かわさき きよし、1932年4月28日 - 201… 川崎 清(かわさき きよし、1932年4月28日 - 2018年6月9日)は、日本の建築家。学位は、工学博士(京都大学・1971年)。京都大学名誉教授。新潟県加茂市出身。
中村 千栄子(なかむら ちえこ、1932年4月25日 - 1… 中村 千栄子(なかむら ちえこ、1932年4月25日 - 1997年9月22日)は、日本の詩人、作詞家。中村は旧姓で、本名は新野 千栄子(あらの ちえこ)。 中村家の二女として新潟県柏崎市に生まれる。1945年、新潟県立柏崎高等女学校に入学。1951年、山脇学園高等学校卒業。高校時代に上京し、1953年、東京女子大学短期大学部国語科を卒業。そのまま東京で詩の勉強を続けようとしたが、母のすすめでいったん故郷に戻る。1954年、新潟大学学生歌、応援歌をそれぞれ応募し、前者が1位、後者が2位に選ばれたのを機に、詩作を本格的に行おうと決意する。同年5月より、加藤省吾の下で童謡の作詞を学ぶ。翌年、同郷の新野央と結婚し、再び上京。
近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16… 近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の歴史学者。新潟大学教授。専攻は中国近代史。 1932年、新潟県長岡市生まれ、または村松町(現・五泉市)生まれ。新潟県立長岡高等学校を経て、京都大学文学部史学科で東洋史を専攻して卒業。同大学院文学研究科修士課程、博士課程を修了。 卒業後はクラレチアン会立の高校教諭、大阪工業大学一般教育科の社会思想史担当を経て、1978年より新潟大学で中国史を教える。「范氏義荘の変遷」(『東洋史研究』21巻4号、1963年)は義荘研究の必読文献である。
斎藤 富雄(さいとう とみお、1932年〈昭和7年〉3月26… 斎藤 富雄(さいとう とみお、1932年〈昭和7年〉3月26日 - 1991年〈平成3年〉1月31日)は、日本の政治家。新潟県新津市(現・新潟市)長(3期)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 新潟県中蒲原郡新津町(のち新津市を経て、新潟市)出身。1954年新潟県立新津高等学校卒。卒業後は新津市役所に入り、企画室長などを経て、1974年助役に就任する。1981年の新津市長選挙に立候補し、初当選した。1985年に再選。1989年に三選を果たした。3期目途中の1991年、病気のため死去した。1991年死去。死没日付をもって正六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。
星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日… 星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日 - 2014年(平成26年)4月10日)とは、日本の弁護士(登録番号:21388、新潟県弁護士会)、政治家。衆議院議員(3期)、新潟県小千谷市市長(4期)を歴任した。元秘書に、金融担当大臣を歴任した民主党元衆議院議員中塚一宏。 新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年、中央大学法学部卒業。 1962年、司法試験に30歳で合格。 1965年、司法修習17期を修了(同期に松本啓二弁護士)し、東京弁護士会に入会。 1975年、小千谷市長に就任(以後4期務める)。同年、東京弁護士会を退会。 1989年5月31日、小千谷市長を辞職。同年10月、保守系無所属新人候補の政策集団自由連合の旗揚げに参加。
木島 長右ェ門(きじま ちょううえもん、1932年(昭和7年… 木島 長右ェ門(きじま ちょううえもん、1932年(昭和7年)2月9日 - 2017年(平成29年)12月12日)は、日本の政治家。新潟県糸魚川市長(3期)。 新潟県糸魚川市出身。早稲田大学政経学部卒。糸魚川市議会議員を4期、同議長を務め、1985年糸魚川市長選挙に立候補し、初当選する。1989年と1993年の市長選はともに無投票で当選。市長を3期務め、1997年に退任した。 在任中の実績として、『フォッサマグナと地域開発構想』が挙げられる。この構想は、フォッサマグナやヒスイなどを糸魚川市特有の地域資源として、地域振興はもとより教育に活用することを目指すものである。この構想によって、まず1990年にフォッサマグナパークが造られた。
関 淳(せき きよし、1932年2月8日 - )は、日本の実… 関 淳(せき きよし、1932年2月8日 - )は、日本の実業家で松下政経塾長を務めた。新潟県魚沼市出身。
杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 20… 杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 2004年8月3日)は、新潟県新発田市出身の脚本家。新潟県立新発田高等学校を経て、日本大学芸術学部映画学科卒業。 代表作は、日本テレビ系列の「年末時代劇スペシャル」シリーズ。本名をそのまま筆名にしているが、読み方は、筆名が「すぎやま・ぎほう」、本名が「すぎやま・よしのり」。 日本放送作家協会、脚本家連盟、各会員。 生家は映画館で、本人も少年時代は映画少年だったと話す。映画監督を志すも、映画会社の入社試験には次々に失敗。「そんなに映画が僕を嫌うなら映画の敵になってやる」として、まず映画とは違う方向へ行ってみようと、フリーでラジオ界入り。野坂昭如と知り合い、野坂が回してくれた伝手を頼って紹介してくれたNHKディレクターの安江泰雅との出会いが大きな転機となる。
起雲山 世志介(きうんざん よしすけ、1932年1月2日 -… 起雲山 世志介(きうんざん よしすけ、1932年1月2日 - 1977年6月8日)は、新潟県古志郡宮内町(現・同県長岡市宮内町)出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。本名は小川 美輔(おがわ よしすけ)。最高位は東前頭19枚目(1957年1月場所)。現役当時の体格は180cm、81kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げなど。 19歳の時、元大関・清水川が率いる追手風部屋へ入門し、1951年5月場所で初土俵。 同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、次の場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。なお、当初より四股名は、「起雲山」であった。 以来順調に番付を上げ、1955年1月場所で十両昇進、1956年3月場所で新入幕を果たした。
若木 滋(わかぎ しげる、1932年(昭和7年) - (令和… 若木 滋(わかぎ しげる、1932年(昭和7年) - (令和5年)は、日本の建築家。工学博士(日本大学・1983年)。日本大学名誉教授、日本建築学会名誉会員。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)新潟高等学校卒業。1955年(昭和30年)日本大学卒業。 教職に就きながら当時日本大学教授職の前川國男の下で3年間修行し、ロンドン大学(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)へ1年間留学する。 帰国後に日本大学生産工学部教授に就任、同学部の施設などを多く手掛ける。 建築設計のほか建築教育にも従事した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
曽我 ミヨシ(そが ミヨシ、1931年(昭和6年)12月28… 曽我 ミヨシ(そが ミヨシ、1931年(昭和6年)12月28日 - )は、1978年(昭和53年)8月に新潟県佐渡郡真野町(現、佐渡市)から長女の曽我ひとみとともに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致された日本人女性。北朝鮮工作員による拉致被害者。 1932年(昭和7年)12月28日、新潟県佐渡郡真野村に生まれた曽我ミヨシは、中学卒業後に就職。茂を婿として迎え、ひとみ、富美子の二女をもうけた。親子は仲がよく、まるで友だちのようだと周囲から羨ましがられたという。母は優しい性格で、子どもたち2人に手をあげることもなく、少々わるいことをしても怒ることさえなかった。また、朝は農作業、昼は土建業できつい仕事をしたほかに帰宅してからはザルづくりの内職を夜12時まで続ける寡黙な働き者であった。
広井 庄一(ひろい しょういち、1931年12月19日 - … 広井 庄一(ひろい しょういち、1931年12月19日 - 2020年6月29日)は、日本の政治家。新潟県小千谷市長(1期)。 新潟県小千谷市出身。高等小学校卒。小千谷市議会議員を4期務め、副議長となった。1997年小千谷市長に当選。翌年市の発注工事の談合事件が起き、行政処分を不服とした市長解職請求運動が起き、広井はこれに反対した。同年10月に市長を辞職し、出直し市長選挙に立候補したが、元市議会議長の関広一に敗れた。
佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - … 佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - )は、日本の実業家。WOWOW代表取締役会長兼最高経営責任者などを務め、経営危機にあった同社の再建を行った。 新潟県上越市で5人兄弟の末っ子として生まれる。実家は酒屋。1950年新潟県立高田高等学校卒業。1956年大阪市立大学大学院経営学研究科修了、松下電器産業(現パナソニック)入社。1980年経営企画室長。1983年取締役昇格。1987年から副社長を務めたが、ナショナルリース不正融資事件で1992年参与に降格。 再建者を探していた中山素平からの打診を受けた山下俊彦の紹介で、1993年から日本衛星放送(現WOWOW)代表取締役社長を務め、債務超過状態にあった同社の再建を行った。
吉川 芳男(よしかわ よしお、1931年〈昭和6年〉10月2… 吉川 芳男(よしかわ よしお、1931年〈昭和6年〉10月25日 - 2018年〈平成30年〉4月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、労働大臣(68代)、参議院農林水産委員長などを務めた。 新潟県新潟市出身。父の平一は元新潟市議。 早稲田大学第一政治経済学部卒業。新潟県議会議員を5期務め、副議長(第59代)にも就任した。1983年の参議院議員選挙に出馬し初当選。 自民党内では田中派に所属。1987年7月に竹下登らが経世会を結成した際は残留し、二階堂進らの二階堂グループに属した。1990年の衆院選で二階堂グループは解散状態に追い込まれるが、選挙翌日の同年2月19日、吉川の宏池会(宮澤喜一派)入りが内定した。