西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - … 西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - 2003年1月14日)は、日本の実業家、経営学者。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1957年)(学位論文「経営分析 その理論と方法に関する研究」)。国鉄監査委員、健保組合連会長、東洋英和女学院理事長を歴任。藍綬褒章、勲三等旭日中綬章、勲二等瑞宝章受章。 福井県敦賀市出身。1926年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒。三機工業、東京建鉄を経て、1934年芝浦製作所に入社。芝浦マツダ工業経理部長、芝浦製作所経理部長を経て、1945年取締役。のち常務、専務、副社長を歴任。1957年「経営分析 その理論と方法に関する研究」で商学博士(早稲田大学)の学位を取得。
平澤 貞二郎(ひらさわ ていじろう、1904年1月5日 - … 平澤 貞二郎(ひらさわ ていじろう、1904年1月5日 - 1991年8月20日)は、日本の実業家・詩人である。 平澤貞二郎は福井県坂井市三国町の仏壇屋に生まれ、15歳の時に上京した。1921年に東京府立商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)を卒業したのち、大沢商会や報知新聞社などに勤務した。その傍らで詩の創作活動に励み、1925年に萩原朔太郎や室生犀星らが出していた雑誌『感情』の流れを汲んだ『帆船』に参加したり、1927年に詩誌『金蝙蝠』を創刊したり、1928年に詩集『街の小民』を出版したり、1930年にはプロレタリア詩誌合同のプロレタリア詩人会の委員長に就任して機関誌『プロレタリア詩』を13号まで刊行したりするなど、1920年から1930年代頃にはプロレタリア詩人として活動している。
吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 19… 吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 1993年6月23日)は、明治期から昭和期にかけての歌人、実業家。 福井県福井市出身。旧制福井中学校(現福井県立藤島高等学校)、東京帝国大学法学部卒業。石川島造船所自動車部門に入社し、のちにいすゞ自動車専務取締役や相談役を務めた。1974年、勲三等瑞宝章受章。東京都杉並区天沼に居を構えた。 歌人としては1925年「アララギ」に入会、土屋文明に師事し、のち選者、発行人。歌誌「柊」選者。高度経済成長期を背景に写実主義を貫いた。1965年『くさぐさの歌』で第11回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)、1976年『流るる雲』で第27回読売文学賞、1988年『朝の霧』で第23回迢空賞受賞。
小森 善一(こもり よしかず、1902年3月30日 - 19… 小森 善一(こもり よしかず、1902年3月30日 - 1990年9月15日)は、日本の実業家。小森コーポレーション社長を務めた。福井県福井市出身。 1918年に福井高等工業学校機械科を卒業。上京を経て、1923年に小森印刷機械製作所(のちの小森コーポレーション)に入社した。1946年に株式会社への変更と同時に専務に就任し、1952年3月に社長に昇格し、1979年から相談役を務めた。 1965年に黄綬褒章を受章し、1972年に勲三等瑞宝章を受章した。 1990年9月15日心不全のために死去。88歳没。
青木 清左衛門(靑木 清左ヱ門、あおき せいざえもん、189… 青木 清左衛門(靑木 清左ヱ門、あおき せいざえもん、1899年(明治32年)1月29日 - 1981年(昭和56年)1月21日)は、大正から昭和期の青年団指導者、実業家、政治家。衆議院議員(2期)、福井県坂井郡本荘村長。幼名は是茂。 福井県坂井郡芦原村(芦原町を経て現あわら市)で青木栄の長男として生まれ、父の実家、坂井郡本荘村河間(芦原町を経て現:あわら市)の代々庄屋を務めた青木家の養子となる。1919年(大正8年)福井県立福井中学校(現福井県立藤島高等学校)を卒業した。 本荘村青年団長、坂井郡青年団副団長、福井県青年団長を務め、福井青年社を設立。月刊雑誌『福井県青年』『若越春秋』の出版を行う。
加藤 吉太夫(かとう きちだゆう、1895年(明治28年)2… 加藤 吉太夫(かとう きちだゆう、1895年(明治28年)2月2日 - 1988年(昭和63年)3月11日)は、日本の農業経営者、農民運動家、政治家。衆議院議員(1期)、福井県今立郡中河村長。1930年(昭和5年)吉太夫と改名。位階は従五位。 福井県今立郡中河村下河端(現鯖江市)で、加藤家の二男として生まれる。1911年(明治44年)福井県立武生中学校(現福井県立武生高等学校)を卒業した。 農業を営み、下河端青年団長、中河村会議員、福井県農民連盟副委員長、中河村長、中河村徳尾合同耕地整理組合長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福井県全県区から福井県農民連盟副委員長として出馬し当選し、衆議院議員に1期在任した。
酒井 利雄(さかい としお、1891年(明治24年)7月7日… 酒井 利雄(さかい としお、1891年(明治24年)7月7日 - 1969年(昭和44年)2月3日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、福井県会議長、福井県坂井郡鳴鹿村長。 福井県坂井郡鳴鹿村楽間(丸岡町を経て現坂井市丸岡町楽間)で、酒井利右衛門の長男として生まれる。1916年(大正5年)家督を相続した。土木建築請負業を営む。 鳴鹿村会議員を経て1934年(昭和9年)鳴鹿村長に就任。福井県会議員に選出され、同議長も務めた。1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け福井県全県区から出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。
山田 清(やまだ きよし、1890年(明治23年)3月 - … 山田 清(やまだ きよし、1890年(明治23年)3月 - 1945年(昭和20年)10月26日)は、日本の実業家。大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。国産電機(現:マーレエレクトリックドライブズジャパン)元常務取締役。従四位勲二等。 福井県福井市出身。山田外吉の三男として生まれる。1911年(明治44年)7月31日、海軍機関学校(20期)を卒業。その間、京都帝国大学電気科を卒業。1911年(明治44年)7月31日、機関少尉候補生として海軍に入隊。津軽乗員を経て、同年12月3日より安芸乗員となる。 1912年(大正元年)12月1日、機関少尉に任官。1914年(大正3年)12月1日、機関中尉に昇進。
内藤 豊次(ないとう とよじ、明治22年(1889年)8月1… 内藤 豊次(ないとう とよじ、明治22年(1889年)8月15日 - 昭和53年(1978年)3月20日)は、日本の実業家。エーザイ創業者・元社長。 戦前、日本の薬業界が主に外国品の輸入に頼っていることに対し、日本でも新薬の研究開発に注力しなければならないと考えていたという。周りの協力が得られなかったため、独力で創業した「合資会社桜ヶ岡研究所」が、現在のエーザイである。 福井県丹生郡糸生村(現・越前町)出身。明治36年(1903年)武生中学校を2年で中退したが、この時点で旧制高等学校卒業程度の学力を持っていたためという。明治38年(1905年)に大阪の工場で奉公し、翌年神戸の貿易商ウインケル商館(経営者はドイツ人)に勤める。
須田 孝太郎 (すだ こうたろう、1888年1月16日 – … 須田 孝太郎 (すだ こうたろう、1888年1月16日 – 1936年6月28日 )は、日本の実業家。 小林多喜二の小説でもある「蟹工船」の創業者。露領水産組合評議員、雲城会幹事、小浜港湾修築期成同盟会評議員。 明治21年(1888年)1月16日、小浜市太興寺に生まれる。小浜市立松永小学校をへて明治36年 – 旧制小浜中学校中退。旧制成城中学校卒業。 大正5年 – カムチャッカで紅サケ缶詰工場経営。昭和2年 – 大同漁業を設立、専務取締役、社長を歴任。 昭和7年 – 日魯漁業と合同、重役となる。昭和10年 – 日露漁業協会理事長。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山端 祥玉(やまはた しょうぎょく、1887年4月4日 - … 山端 祥玉(やまはた しょうぎょく、1887年4月4日 - 1963年2月24日)は、日本の写真家、実業家。本名は啓之助。 1887年(明治20年)、福井県勝山市に生まれる。小学校を卒業後、1904年(明治37年)より東京・本郷の望月東涯に写真を学ぶ。その後、近衛歩兵第1連隊に入営し、 除隊後出張写真師となり、1910年(明治43年)、蘭領スマトラ島メダン市の朝日写真館技師長に就任する。1914年(大正3年)、英領シンガポールに写真材料商サン商会と写真館を設立する。帰国後、1927年(昭和2年)に東京・築地にG.T.サン商会(1943年(昭和18年)に山端写真科学研究所と改称)を創設し、1933年(昭和8年)に写真印画用の高速輪転機で特許を取得する。
品川 主計(しながわ かずえ、1887年1月15日 - 19… 品川 主計(しながわ かずえ、1887年1月15日 - 1986年2月14日)は、日本の内務官僚、実業家、読売ジャイアンツ球団社長。「球界の頑固親父」との異名も持つ[要出典]。従五位。 福井県福井中学校卒業後、1904年9月 旧制第四高等学校に入学した。同期には正力松太郎や河合良成がいた。第四高等学校卒業後は東京帝国大学に入学、同期に正力、河合の他、重光葵、芦田均、石坂泰三など。 東京帝国大学卒業後、内務省に入省して警視庁警視、京都府書記官・内務部長、宮城県書記官・内務部長などを務めた。1932年の満州国成立後、監察院長、監察院審計部長などを務める。黒竜江省長の韓雲階による汚職を摘発、一時彼を要職から遠ざけた。
近藤 由太郎(こんどう よしたろう、1884年(明治17年)… 近藤 由太郎(こんどう よしたろう、1884年(明治17年)8月1日 - 1965年(昭和40年)2月17日)は、日本の政治家、実業家、福井県大野町長、呉服店店主。 福井県南条郡武生町(現:越前市)の老舗呉服屋とがのや呉服店店主・古市幸助の三男として生まれた。1910年(明治43年1月)、大野町のこちらも老舗呉服屋あらごろ呉服店の店主で後に福井県会議員となる近藤金次郎の婿養子となり、店舗を一任される。 他に北陸絹布株式会社取締役、大越木材工業社長、大野町商工会議所の会頭を歴任し、1947年(昭和22年)4月に戦後初の市町村選挙にて大野町長に就任する。戦後の復興に力を注ぎ、1952年(昭和27年)10月に引退。
大和田 保太郎(おおわだ やすたろう、1884年(明治17年… 大和田 保太郎(おおわだ やすたろう、1884年(明治17年)4月 - 没年不明)は、日本の会社役員。大和田銀行、敦賀倉庫各監査役。 福井県敦賀郡敦賀町(現敦賀市)出身。大和田荘太郎の長男。1904年、京都府立第一中学校を卒業。銀行、会社の重役で、傍ら方面委員である。敦賀の文化芸術の発展に尽力する。趣味は日本画、洋画。宗教は曹洞宗。住所は敦賀市旭町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
池田 七郎兵衛(七郎兵衞、いけだ ひちろうべい / しちろべ… 池田 七郎兵衛(七郎兵衞、いけだ ひちろうべい / しちろべえ、1882年(明治15年)6月11日 - 1962年(昭和37年)2月20日)は、大正から昭和前期の地主、農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員(帝国議会・1期)、参議院議員(国会・1期)、福井県足羽郡酒生村長。幼名・千代三。 福井県足羽郡荒木新保村(酒生村荒木新保、足羽村、足羽町を経て現福井市)で、地主、先代・池田七郎兵衛の三男として生まれる。北陸中学校(現北陸中学校・高等学校)を卒業。1913年(大正2年)父の死去に伴い家督を相続し七郎兵衛を襲名した。農業を営む。 経営不振の第九十一銀行を買収して取締役頭取に就任。その他、福井紡績取締役、大正電気取締役、白山水力取締役、福井電力取締役、日本水力監査役などを務めた。
井上 富三(いのうえ とみぞう、1882年(明治15年)2月… 井上 富三(いのうえ とみぞう、1882年(明治15年)2月6日 - 1974年(昭和49年)3月28日)は、日本の実業家。大建産業副社長等を経て、呉羽紡績社長や、同社会長、呉羽化学工業会長などを務めた。 福井県遠敷郡熊川村生まれ。同郷の幼馴染だった伊藤竹之助の招きで東京高等商業学校(現一橋大学)在学中から伊藤本店で店内教育の講師を務め、1908年に同校本科卒業後、専門学校出身者として初めて伊藤本店に入店した。 1909年、マニラに視察のため出張。1914年伊藤忠支配人。1920年伊藤忠商事経理部長。1921年大同貿易監査役、富山紡績取締役、伊藤忠商事監査役。1929年呉羽紡績専務取締役。1933年伊藤忠商事取締役。
西野 藤助(にしの とうすけ、1878年(明治11年)12月… 西野 藤助(にしの とうすけ、1878年(明治11年)12月27日 - 1934年(昭和9年)9月18日)は、日本の実業家。福井県を人絹織物王国にした立役者。福井県今立郡岡本村(現・越前市定友町)にて、西野市兵衛(源助)の四男として誕生。 福井撚糸染工を経て福井精錬加工(現在のセーレン株式会社(英: SEIREN CO.,LTD.))、福井紡績(現在のダイワボウホールディングス株式会社)などを設立し、代表を務める。 1932年(昭和7年)に福井人絹取引所を開設し初代理事長となる。1934年(昭和9年)9月18日死去。享年57歳。福井県多額納税者、没後に正六位の位記を追賜。
岡田 伊太郎(おかだ いたろう、1877年(明治10年)12… 岡田 伊太郎(おかだ いたろう、1877年(明治10年)12月1日 - 1961年(昭和36年)1月26日)は、日本の商人(農産物貿易商)、政治家・衆議院議員(立憲政友会)、実業家。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 福井県坂井郡金津町(現・あわら市)に生まれる。生家は米穀商を営む。岡田猪平の二男、あるいは長男。1890年、従兄の初代福山甚三郎を頼って北海道に渡り、福山醸造で働く。 その後独立し、1895年、札幌郡江別村(現江別市)で雑穀商を開業。江別村会議員、同町会議員、北海道会議員、江別倉庫社長、北海道農林社長などを務めた。また江別の電気事業に関わり、函館水電取締役、北海道電力顧問を歴任し、江別発電所(1991年廃止)の建設に尽力した。
山田 仙之助(やまだ せんのすけ、1876年(明治9年)11… 山田 仙之助(やまだ せんのすけ、1876年(明治9年)11月19日 - 1947年(昭和22年)3月1日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 石川県今立郡中野村(福井県今立郡中野村、中河村中野を経て現鯖江市)で、油商・山田仙太郎の長男として生まれた。1887年(明治20年)3月、修道尋常小学校を卒業。家業の菜種油・桐油製造販売、石油・肥料販売に従事。1918年(大正7年)2月、父の隠居により家督を相続した。 福井県下で羽二重の製織が流行し、1905年(明治38年)家業を機業に転換。1906年(明治39年)丹生郡朝日町(現越前町)、今立郡鯖江町(現鯖江市)、同郡北新庄村(現越前市)などに分工場を設けた。
近藤 茂(こんどう しげる、1874年〈明治7年〉12月15… 近藤 茂(こんどう しげる、1874年〈明治7年〉12月15日 - 1954年〈昭和29年〉1月1日)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本の電気技術者、実業家。工学博士。 逓信省の技官として電気局技術課長心得などを務め、退官後は実業界に転じて電力会社にかかわり大同電力常務取締役、昭和電力副社長に就任した。福井県出身。 福井県福井市出身。1874年(明治7年)12月15日、士族近藤寅之助の長男として生まれる。1896年(明治29年)7月第一高等学校第二部工科を卒業し、次いで1899年(明治32年)7月東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業した。同期に日本電気会長を務めた秋山武三郎らがいる。 卒業後は逓信省に入り、電気事業の監督にあたる。
田中 文蔵(たなか ぶんぞう、1874年7月2日 – 194… 田中 文蔵(たなか ぶんぞう、1874年7月2日 – 1941年12月18日)は、日本の実業家。三井物産取締役を務めた。 現在の福井県小浜市竹原に[要出典]田中熊吉の長男として生まれる。生家は豊かではなかったとされる[要出典]。 旧制福井県立小浜中学校を卒業後に上京した[要出典]。苦学の後に[要出典]東京法学院(現・中央大学)に入学する。1891年に東京法学院を卒業した。 卒業後は新聞雑誌編集の仕事に就いたが、1905年に三井物産に入社した。当初は見習社員として勤め、支店長会議の議事録作成を進言して実行したことが重役の益田孝に認められ、正式な社員として採用されたと伝わる[要出典]。1915年当時は庶務課長兼調査課長だった。
福島 文右衛門(ふくしま ぶんうえもん、1873年(明治6年… 福島 文右衛門(ふくしま ぶんうえもん、1873年(明治6年)8月20日 - 1937年(昭和12年)1月2日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 素封家・福島文衛の長男として敦賀県今立郡鯖江清水町(福井県今立郡鯖江町を経て現鯖江市)に生まれ、1905年(明治38年)3月、家督を相続し、前名文治を改める。生家は醤油醸造業を営んだ。1908年(明治41年)越前電気を設立し、同社長に就任。福井県農工銀行頭取を務めたのち、1911年(明治44年)福井県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。鯖浦電気鉄道や福井県鯖江女子師範学校の創設にも関与した。
西沢 吉治(にしざわ きちじ、1872年 - 1933年)は… 西沢 吉治(にしざわ きちじ、1872年 - 1933年)は、日本の実業家。明治時代に東沙諸島の無人島がどこにも所属していないことを知り、「西沢島」と名付けて占有し事業を展開した。 鯖江藩の蔵役を務めた為治の二男として鯖江町(現福井県鯖江市)に生まれた。貧困のため9歳で家族とともに上京したが、早くに父を亡くし、農商務省地質調査所の初代所長・和田維四郎に預けられ、同調査所の給仕をしながら夜学に通った。神戸で西沢商会を起こし、海外の鉱物採集に励んだ。[要出典] 伊豆諸島の開発に従事したが、1892年頃に結核を患い、八丈島で療養生活を送り、1894年の日清戦争勃発から近衛師団の酒保商人として中国大陸に渡り、さらに台湾へと従軍した。
熊谷 三太郎(くまがい さんたろう、1871年12月5日(明… 熊谷 三太郎(くまがい さんたろう、1871年12月5日(明治4年10月23日) - 1951年(昭和26年)5月1日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。旧姓は藤原。 福井県敦賀市阿曾出身。福井市の熊谷げんの養子となる。福井県立中学校を修了する。1898年(明治31年)宿布発電所の土木工事を請け負う。1907年(明治40年)中尾発電所工事で飛島組の下請けとなり、1926年(大正15年)飛島組取締役に就任。1938年(昭和13年)熊谷組を創立した。この間、1925年(大正14年)福井市会議員、同議長、福井県会議員などを歴任。ほか、熊谷組会長、第五十七銀行、中越銀行各頭取、敦賀セメント社長などを務めた。
森 広三郎(旧字体: 森 廣三郞、もり ひろさぶろう、187… 森 広三郎(旧字体: 森 廣三郞、もり ひろさぶろう、1871年1月4日(明治3年11月14日)- 1939年(昭和14年)7月13日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・広輔。 越前国今立郡稲寄村(福井県今立郡稲寄村、国高村稲寄、武生市を経て現越前市)で、豪農、先代・森広三郎の長男として生まれた。1901年(明治34年)8月、家督を相続し広三郎を襲名した。父の反対を受けながらも上京して英吉利法律学校(現中央大学)で学んだが、ついに父の意思に従い中退して帰郷した。 今立郡会議員に就任。1903年(明治36年)9月、福井県会議員に選出され、1905年(明治38年)5月まで在任し、同参事会員も務めた。
大星 鶴松(おおほし つるまつ、1871年 - 1936年1… 大星 鶴松(おおほし つるまつ、1871年 - 1936年10月11日)は、日本の実業家・大工職人。福井県丹生郡国見村(現・福井市)出身。号は「皖是」(きよゆき)。 福井の大工職人の大星重次郎の長子として生まれ、1890年北海道に弟と共に移住。札幌区で山本卯三郎の下で下請け大工となる。1897年に大型木造建築業者として独立。木工場も経営し、札幌で当代一流の木造建築業者として名を馳せる。官公庁との繋がりが深く、北海道庁立釧路中学校新築工事(1912年竣工)や旧札幌鉄道病院庁舎新築工事(1922年竣工)、札幌市第二高等小學校新築工事(1931年竣工)など官公庁関係の木造施設建築を多く受注した。1922年北海道土木建築請負業者聯合会の設立に参画し同会幹事。
三田村 甚三郎(みたむら じんざぶろう、1867年11月7日… 三田村 甚三郎(みたむら じんざぶろう、1867年11月7日(慶応3年10月12日) - 1934年(昭和9年)2月13日)は、福井県武生市(現越前市)出身の日本の実業家、政治家。 越前打刃物の名産地として知られる越前市越前府中(現越前市あおば町)でも有数の打物問屋に長男・欽二として出生。明治29年、家督を相続し、甚三郎を襲名。福井県立福井中学校(現福井県立藤島高等学校)を経て、東京専門学校(現早稲田大学)に入学し政治学を学ぶ。 福井新聞、有限責任信用組合武生金庫(現武生信用金庫)、武岡軽便鉄道株式会社(福井鉄道南越線)を設立。 福井県会議員を歴任後、衆議院議員に二期当選(1898-1902、1930-32)18年間無報酬で武生町長を務める。
熊谷 五右衛門(五右衞門、くまがい ごうえもん / ごえもん… 熊谷 五右衛門(五右衞門、くまがい ごうえもん / ごえもん、1865年7月25日(慶応元年6月3日)- 1942年(昭和17年)9月1日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越前国坂井郡熊坂村(福井県坂井郡坪江村、金津町熊坂を経て現あわら市熊坂)で、先代・熊谷五右衛門の長男として生まれる。農業を営む。1880年(明治13年)7月、家督を相続した。 坪江村会議員、坪江村長、坂井郡会議員、丸岡町長を務めた。1893年(明治26年)福井県会議員に選出され通算17年在任し、杉田定一系の中心として活動し、参事会員、副議長、議長も務めた。この間、九頭竜川の改修に尽力した。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福井県郡部から出馬して当選した。
横井 藤四郎(よこい とうしろう、1864年3月12日(元治… 横井 藤四郎(よこい とうしろう、1864年3月12日(元治元年2月5日)- 1933年(昭和8年)6月11日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・清水。 若狭国遠敷郡国分村(福井県遠敷郡遠敷村を経て現小浜市国分)で、清水幸助の二男として生まれる。1892年(明治25年)9月、遠敷郡三宅村(上中町を経て現三方上中郡若狭町)の仮屋、横井惣右衛門の婿養子となる。漢学、数学、英学などを学び、日清戦争、日露戦争に従軍した。 共立物産 (株) 支配人となり、同社取締役、沖台拓殖製糖取締役、中立砂糖 (株) 監査役、ユニオン硝子専務取締役、江若鉄道取締役などを務めた。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙で福井県郡部から無所属で立候補したが落選。
五十嵐 佐市(いがらし さいち、文久3年1月14日(1863… 五十嵐 佐市(いがらし さいち、文久3年1月14日(1863年3月3日) - 昭和19年(1944年)8月7日)は、日本の実業家、政治家。北海道多額納税者。北海造営(株)監査役。札幌電気軌道監査役。金融業。地主。北海道士族。衆議院議員。 越前国足羽郡、のちの福井県足羽郡和田村(現福井市)出身。福井県士族五十嵐佐次平の長男。明治31年(1898年)家督を相続する。金融業を営む。衆議院議員に挙げられる。 五十嵐農場(東中)の土地売却をめぐっては、当時急激に増加しつつあった小作争議との関わりで社会の注目を集めることになった。この農場は明治40年(1907年)に中島農場から所有権が移動したもので、実質的な所有者は札幌の金貸し業・五十嵐であった。
丹尾 頼馬(にお たのま、1858年10月15日(安政5年9… 丹尾 頼馬(にお たのま、1858年10月15日(安政5年9月9日)- 1928年(昭和3年)7月8日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、福井県丹生郡岡山村長。 越前国丹生郡下野田村(福井県岡山村、豊村を経て現鯖江市)で、丹尾兵馬の長男として生まれた。その後、大地主、農業、村役、馬売買を営む本家・丹尾清左衛門の養子となる。同郡家久村の木村塾で学び、1866年(慶応2年)福井藩立・立教館に入り漢学、数学、習字を修めた。1869年(明治2年)中學明新館(現福井県立藤島高等学校)に入学。その後上京し、築地のカロゾルス(クリストファー・カロザース)に師事し英語を修めた。1877年(明治10年)慶應義塾に入った。
小畑 岩次郎(おばた いわじろう、1858年3月22日(安政… 小畑 岩次郎(おばた いわじろう、1858年3月22日(安政5年2月8日) - 1936年(昭和11年)2月14日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員、福井県遠敷郡松永村長。 若狭国遠敷郡平野村(福井県遠敷郡平野村、松永村を経て現小浜市平野)で、小畑多四郎の長男として生まれた。1894年(明治27年)家督を相続した。漢学、算術を修めた。 1876年(明治9年)敦賀県属となり地租改正を担当し、滋賀県でも担って1881年(明治14年)に退官。若狭国敦賀郡人民総代となり復県の誓願を行う。福井県属となり勧業事務を担当し、養蚕、製糸、羽二重製造を奨励した。1890年(明治23年)農商務省に転じて大日本蚕糸会の設立に尽力し、同会幹事を務め、1894年(明治27年)に退官した。
山口 嘉七(やまぐち かしち、1857年9月13日(安政4年… 山口 嘉七(やまぐち かしち、1857年9月13日(安政4年7月25日)- 1932年(昭和7年)12月17日)は、明治から昭和初期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 若狭国遠敷郡小浜酒井町(福井県遠敷郡小浜町を経て現小浜市酒井)で、小浜藩士・山口甚太夫の三男として生れる。 1886年(明治19年)代言人試験に合格し、1893年(明治26年)弁護士登録を行い、大津、京都で開業。その後、帰郷して1895年(明治28年)4月、小浜町会議員となる。遠敷郡会議員、同参事会員にも在任。1897年(明治30年)8月、福井県会議員に初当選し、1908年(明治41年)3月まで通算5期、10年6ヵ月在任した。
大和田 荘七(おおわだ しょうしち、安政4年2月11日(18… 大和田 荘七(おおわだ しょうしち、安政4年2月11日(1857年3月6日) - 昭和22年(1947年)1月30日)は、日本の実業家。北前船の船主であり、大和田銀行や大和田貯金銀行を創立した。 安政4年2月11日(1857年3月6日)、越前国敦賀(現・福井県敦賀市)に生まれた。出生名は山本 亀次郎(やまもと かめじろう)。父親は薬屋の山本三郎兵衛であり、兄の山本九郎左衛門は、大和田炭鉱株式会社取締役を務めた。初代大和田荘七に見込まれ、初代大和田荘七の長女万寿子と結婚して大和田家の婿養子となった)。1887年(明治20年)、30歳のときに2代目大和田荘七を襲名した。1892年(明治25年)、大和田銀行を設立した。
斎藤 修一郎(さいとう しゅういちろう、1855年8月24日… 斎藤 修一郎(さいとう しゅういちろう、1855年8月24日〈安政2年7月12日〉- 1910年〈明治43年〉5月6日)は、日本の外交官、農商務官僚、実業家。農商務次官。号・半狂学人、談笑門人。「斉藤」と表記する場合がある。 越前国南条郡武生で、福井藩越前府中領主本多家家臣・眼科医、斎藤策順の息子として生まれる。沼津兵学校付属小学校、大学南校で学ぶ。1873年(明治6年)、大学南校が開成学校と改称して、1875年(明治8年)に卒業し、同年7月、文部省第一回海外留学生として渡米し、1878年(明治11年)6月、ボストン大学法科を卒業した。 1880年(明治13年)9月に帰国し、同年11月、外務省権少書記官に任じられ公信局勤務となる。
伊藤 淳(いとう あつし、1854年11月22日(安政元年1… 伊藤 淳(いとう あつし、1854年11月22日(安政元年10月3日)- 1903年(明治36年)5月29日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越前国大野郡御領村(福井県大野郡阪谷村を経て現大野市御領)で、豪農・伊藤三郎左衛門の長男として生まれた。普通学を修めた。1874年(明治7年)8月に家督を相続した。 大区副区長、阪谷村五箇村組合長、大野郡会議員(2期)、同参事会員などを務め、明治初期に永昌社(金融機関)を創立して農家の便宜を図った。1885年(明治18年)11月、福井県会議員に選出され、1902年(明治35年)8月まで5期在任。この間、同常置委員、同参事会員などにも在任し、道路の整備などに尽力した。
久保 九兵衛(九兵衞、くぼ くへえ、1852年4月22日(嘉… 久保 九兵衛(九兵衞、くぼ くへえ、1852年4月22日(嘉永5年3月4日)- 1937年(昭和12年)1月23日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員。幼名・栄三郎。 越前国丹生郡風巻村(福井県丹生郡風巻村、天津村、清水町風巻を経て現福井市風巻町)で、斎藤(斉藤)清兵衛の三男として生まれ、1854年4月15日(安政元年3月18日)同郡三留村(三方村、清水町三留を経て現:福井市三留町)の大地主、庄屋、酒造業・先代久保九兵衛の養嗣子となり、1880年(明治13年)10月1日、家督を相続し九兵衛を襲名した。本保村(のち吉野村本保、現越前市)のたつみ(河野家屋号)塾などで漢学を修めた。
竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月… 竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月5日)- 1937年(昭和12年)1月16日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、福井県会議長、福井県大野郡上庄村長。旧姓・真柄(まから)。 越前国大野郡猪ノ島村(福井県大野郡上庄村を経て現大野市)で、真柄重右衛門の二男として生まれた。1873年(明治6年)7月、同郡稲郷村(上庄村を経て現:大野市)の旧家・故竹尾五右衛門の婿養子となり、その長女はま と結婚した。農業を営む。 1881年(明治14年)4月、福井県設置初の県会議員選挙で当選し、1899年(明治32年)9月まで通算6期在任した。この間、同議長(第5代1885年11月-12月)、同副議長(第6代1885年12月-1887年12月、第13代1892年11月-1893年9月)も務めた。
5代 大針 徳兵衛(德兵衞、おおばり とくべえ、1847年3… 5代 大針 徳兵衛(德兵衞、おおばり とくべえ、1847年3月17日(弘化4年2月1日)- 1908年(明治41年)8月11日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、福井県坂井郡雄島村長。幼名・長之助。 越前国坂井郡安島浦(福井県坂井郡安島浦、雄島村安島、三国町安島を経て現坂井市三国町安島)で、回漕業・4代大針徳兵衛の長男として生まれた。明治のはじめに5代徳兵衛を襲名した。回漕業を営む。 里正、組合総代、敦賀県第53大区小2区戸長、第14大区23小区戸長、浦役人、学務委員、所得税調査委員などを務めた。1889年(明治22年)5月、雄島村会議員となり、1890年(明治23年)2月、雄島村長に就任し、安島道の改修に尽力した。
瓜生 寅(うりゅう はじめ/はじむ、1842年2月24日(天… 瓜生 寅(うりゅう はじめ/はじむ、1842年2月24日(天保13年1月15日)- 1913年(大正2年)2月23日)は、幕末から明治時代の官僚、教育者、英学者、実業家である。別称は寅(とら)、通称は三寅、号は梅村・六合魁民、幼名は乕作。本姓は多部。海援隊士・瓜生震(雷吉)の兄。 日本の近代教育の起源となる1872年(明治5年)の「学制」起草者の一人で、故郷福井藩の英学教育にも大きな足跡を残した。大阪理学校(現・京都大学)校長、初代神戸税関長、日本鉄道会社幹事などの要職も歴任し、実業家としても活躍した。ホーム・リンガー商会と協同で下関に設立した「瓜生商会」は、三菱・三井の両財閥の石炭輸出の主要な仲介業者となった。
渡辺 徹(渡邉 徹、わたなべ とおる、1841年9月15日(… 渡辺 徹(渡邉 徹、わたなべ とおる、1841年9月15日(天保12年8月1日) - 1913年(大正2年)10月19日)は、幕末の勤王家、明治期の内務官僚、政治家、実業家。茨城県参事、御影町長、衆議院議員。幼名・政吉、後左衛門、又衛。 越前国南条郡武生で、福井藩越前府中領主本多家家臣・渡辺良右衛門の三男として生まれ、のち大坂の国学者・渡辺資政の養子となる。剣鎗銃砲の術を修めた。幕末の国事に奔走し、錦小路頼徳に仕え、七卿落ちの際にも随行し、錦小路死去後に東久世通禧に仕えた。 明治維新後、神奈川府巡察補に就任。以後、同巡察、神奈川県少参事、五條県大参事、甲府県権大参事、租税寮七等出仕、秋田県参事などを歴任。
坪田 仁兵衛(仁兵衞、つぼた にへえ、1838年11月22日… 坪田 仁兵衛(仁兵衞、つぼた にへえ、1838年11月22日(天保9年10月1日)- 1896年(明治29年)7月10日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員(1期)。幼名・慎之丞。 越前国坂井郡大牧村(福井県坂井郡大石村、春江町を経て現坂井市春江町大牧)で、大地主、大庄屋・先代坪田仁兵衛の二男として生まれた。農業を営み、坂井郡会議員、石川県会議員、福井県会議員、同常置委員となる。 1894年の第4回衆議院議員総選挙において福井県第2区から自由党所属で当選。衆議院議員を1期務め、在職中の1896年に死去。
上郎 幸八(こうろう こうはち、1836年10月18日〈天保… 上郎 幸八(こうろう こうはち、1836年10月18日〈天保7年9月9日〉 - 1916年〈大正5年〉12月29日)は、日本の資産家、実業家。族籍は神奈川県平民。 越前国南条郡白崎村(のち福井県南条郡王子保村白崎、現越前市白崎町)の農家に生まれた。新右衛門の二男。はじめ幸吉といい、後に幸八と改めた。 万延元年8月、東京日本橋木綿問屋小津清左衛門の店員となる。文久3年、横浜の西洋洗濯屋中山太郎左衛門の店員となる。仕事が終われば夜間は車の後押し、人力車夫等となり幾年か苦しい労働をつづけ、ついに両替店を開く。 国立七十四銀行取締役支配人となり、1880年には横浜正金銀行設立発起人、上信銀行顧問となる。
山本 怡仙(やまもと いせん、1828年(文政11年) - … 山本 怡仙(やまもと いせん、1828年(文政11年) - 1880年(明治13年)9月12日)は日本の実業家、教育者。幼名は仙次郎、字は等一、通称は平三郎また階、怡仙、怡僲、別に楳堂或いは梅堂逸人とも号した。松井耕雪、松村友松とともに幕末から明治初期にかけて「府中三人衆」とも称すべき人物で、府中の文化産業の発展に尽くした功績は甚だ大きい。
千本 久信(せんもと ひさのぶ、1827年7月13日(文政1… 千本 久信(せんもと ひさのぶ、1827年7月13日(文政10年6月20日) - 1885年(明治18年)10月15日)は、幕末の福井藩士、明治期の官僚・実業家。広島県権参事(未赴任)。初名・弥三郎。 越前国足羽郡福井下江戸町(現:福井県福井市)で、福井藩士・千本久備の長男として生まれる。天保2年4月5日(1831年5月16日)実父・久備の危篤に伴い、千本家は養父として小林久達(藤左衛門、東岫)を迎える。嘉永6年7月20日(1853年8月24日)江戸での砲術調練修行を命ぜられ、その後、兵科懸り、兵科局詰、兵科取調方などを務める。文久2年3月29日(1862年4月27日)書院番格として江戸詰となり、以後、松平春嶽の側近として活躍。