唐澤 範行(からさわ のりゆき、1951年10月20日 - … 唐澤 範行(からさわ のりゆき、1951年10月20日 - )は、日本の実業家。長野県上伊那郡箕輪町出身。東京理科大学工学部卒業。アサヒフードアンドヘルスケア社長、アサヒグループ食品社長、学校法人東京理科大学理事長補佐を経て、2018年、公立大学法人公立諏訪東京理科大学初代理事長に就任。 アサヒスーパードライの海外製造拠点立ち上げを手掛ける。また、2015年にはアサヒグループの食品事業3社を統合したアサヒグループ食品の社長に就任し、新体制の礎を築いた。公立大学法人公立諏訪東京理科大学の元理事長である。
川手 洋一(かわて よういち、1951年4月28日 - )は… 川手 洋一(かわて よういち、1951年4月28日 - )は、日本の実業家。富士器業株式会社の取締役会長。 長野県生まれ、佐久地方で育つ。1975年に立教大学経済学部を卒業後、報知新聞社(スポーツ報知)に入社する。入社後の3年間は一般スポーツに配属され、大相撲、バスケットボール、レスリングなどの取材担当者となる。入社4年目からはプロ野球担当となり、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズの専任となる。読売ジャイアンツを担当した7年間は、監督として長嶋茂雄、王貞治、藤田元司、選手として中畑清、原辰徳、篠塚和典、江川卓などの取材を行った。中日担当時は星野仙一とも親交が深かった。 1990年に、後述の理由により報知新聞社を退社し、義父が創業した家庭用品の金物問屋であった富士器業株式会社に入社する。
西沢 俊夫(にしざわ としお、1951年4月22日 - )は… 西沢 俊夫(にしざわ としお、1951年4月22日 - )は、東京電力株式会社の第12代社長。 戸籍上の正しい表記は西澤 俊夫で、こちらの表記が使われることも多い。 長野県大町市出身。長野県松本深志高等学校を経て、京都大学経済学部卒業。 大学卒業後、東京電力入社。企画畑のエリートで、勝俣恒久の懐刀といわれており、温厚な人柄として知られる。福島第一原発事故で引責辞職した清水正孝の後継として、2011年6月に社長に就任した。公益社団法人ACジャパンの理事や、社団法人経済企画協会の副会長、日本原燃株式会社の取締役も務めた。
柄澤 康喜(からさわ やすよし、1950年〈昭和25年〉10… 柄澤 康喜(からさわ やすよし、1950年〈昭和25年〉10月27日 - )は、日本の実業家。MS&ADインシュアランスグループホールディングス株式会社取締役会長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1975年京都大学経済学部卒業。住友海上火災保険株式会社(現:三井住友海上火災保険株式会社)に入社した。
清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は… 清水 愼一(しみず しんいち、1948年12月1日 - )は日本の観光学者、実業家。JR東日本で取締役や仙台支社長などを務めた。 長野県小諸市出身。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1972年 国鉄(1987年4月からJR東日本)に入社。2000年6月 同社取締役兼鉄道事業本部営業部長委嘱。2002年6月 仙台支社長。2004年6月 退社。 同年6月 JTB常務取締役。2008年4月 立教大学観光学部観光学科特任教授。
市村 良三(いちむら りょうぞう、1948年5月31日 - … 市村 良三(いちむら りょうぞう、1948年5月31日 - 2023年6月14日)は、日本の政治家、実業家。元長野県上高井郡小布施町長(4期)。 1982年(昭和57年)から市村が親族とともに始めた町並み修景事業は観光まちづくりの成功例として知られている。観光庁から観光カリスマ百選に認定された。 長野県小布施町上町に生まれる。長野県長野高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年、ソニーに就職。27歳で帰郷。 1979年(昭和54年)12月30日、おじの小布施町長の市村郁夫が任期途中で死去。1980年(昭和55年)、市村郁夫の息子の次夫とともに和菓子店「小布施堂」の経営を引き継ぐ。
林 新一郎(はやし しんいちろう、1948年(昭和23年)5… 林 新一郎(はやし しんいちろう、1948年(昭和23年)5月12日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県岡谷市長。 岡谷市生まれ。松商学園高等学校を経て、東京農業大学農学部醸造学科卒業。昭和46年(1971年)繊維会社に入社したが、父の死去により、家業の豊島屋を承継した。岡谷商工会議所副会頭を経て、平成7年(1995年)岡谷市長選挙に当選した。 2022年11月3日、秋の叙勲において、旭日小綬章を受章した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日… 白井 芳夫(しらい よしお、1948年5月1日 - )は、日本の技術者、実業家。日野自動車代表取締役社長や、豊田通商代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 長野県小諸市で出生後、北海道旭川市に移住。北海道旭川北高等学校を経て、1973年北海道大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。技術畑で商品開発部門を担当し、1997年第2ボデー設計部長に就任。2001年取締役第2開発センター長に昇格。2002年士別車両実験部長。2003年常務役員第1トヨタセンター長。2005年専務取締役技術管理本部長兼商品開発本部長。2007年顧問、日野自動車取締役副社長。2008年から日野自動車代表取締役社長を務め、リーマン・ショック後の世界金融危機下での不況への対応を行った。
花岡 清二(はなおか せいじ 1947年9月28日 - )は… 花岡 清二(はなおか せいじ 1947年9月28日 - )は元セイコーエプソン社長。長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校、東北大学工学部卒。前セイコーエプソン会長、元中部経済連合会副会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
土屋 裕弘(つちや みちひろ、1947年7月12日 - )は… 土屋 裕弘(つちや みちひろ、1947年7月12日 - )は、日本の実業家。三菱ケミカルホールディングス取締役、田辺三菱製薬(現・田辺ファーマ)代表取締役社長及び取締役会長、相談役、住友電気工業取締役、関西医薬品協会会長、道修町まちづくり協議会会長を務めた。現在はラクオリア創薬の取締役となっている。
荒川 堯(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長… 荒川 堯(あらかわ たかし、1947年5月3日 - )は、長野県北佐久郡(現・佐久市)出身の元プロ野球選手(内野手)・実業家。右投右打。 プロ野球ドラフト会議での入団拒否をきっかけに、後年のルール改正にもつながる荒川事件の当事者となった。 1947年に長野県北佐久郡岩村田町(のちに近村との合併で浅間町、現:佐久市)の映画館経営者の家に生まれる。幼い頃から母親の実家で田植えの手伝いをしていた。 4歳のころから野球を始め、浅間中学校時代には「長野に出澤あり」と内外で知られるほどの存在となっていた。また通知表はオール5で、両親が常々「東京大学に行かせたい」と言うほど勉学面でも優秀だった。中学3年の時、岩村田町の近くに来ていた読売ジャイアンツコーチの荒川博が実の両親を介して堯を呼び、自らの前で素振り等をさせた。
八丁地 隆(はっちょうじ たかし、1947年1月27日 - … 八丁地 隆(はっちょうじ たかし、1947年1月27日 - 2025年2月22日)は、日本の実業家。日立物流会長、日立総合計画研究所社長、日立グループ最高環境責任者、日立製作所代表執行役副社長、日立アメリカ会長等を歴任。また経団連の経済法規委員会企画部会長や法務省法制審議会委員等を務め、会社法改正作業などにもあたった。 長野県飯田市出身。1970年に一橋大学商学部を卒業し、日立製作所に入社。 日立製作所で企画室長や代表執行役執行役副社長等を務めたのち、2007年から日立総合計画研究所社長兼日立グループ最高環境責任者を務め、中期計画「環境ビジョン2015」に沿い、二酸化炭素排出量の少ないエネルギーとエネルギー消費の少ない製品の開発活用、資源の循環的な利用、生物多様性のためにクリーンな活動等を実現させるため、日立グループ全体での計画実施を行った。
佐々木 孝治(ささき こうじ、1946年9月8日 - )は、… 佐々木 孝治(ささき こうじ、1946年9月8日 - )は、日本の実業家。ユニー代表取締役社長や、同社取締役会長、日本チェーンストア協会会長等を歴任した。食品産業功労賞受賞。 長野県下伊那郡阿南町出身。長野県飯田高等学校を経て、1969年法政大学経営学部卒業、西川屋チェン(のちのユニー)入社。ユニー取締役住関本部長兼書籍部長を経て、1997年からユニー代表取締役社長。2005年日本チェーンストア協会会長。2007年ユニー取締役会長。2012年食品産業功労賞受賞。2013年ユニーグループ・ホールディングス取締役。2014年にはユニーグループ・ホールディングス相談役として、ゴルフコンペで同席したファミリーマートの上田準二代表取締役会長と、経営統合交渉を開始することを合意し、のちの経営統合に導いた。
宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )… 宮下 正裕(みやした まさひろ、1946年6月27日 - )は、日本の経営者。竹中工務店社長、会長を務めた。長野県伊那市出身。 伊那北高等学校を経て、1971年に東京大学工学部都市工学科を卒業し、同年に竹中工務店に入社した。2003年3月に取締役に就任し、2007年3月に常務、2010年3月に専務、2012年3月に副社長を経て、2013年3月に社長に就任。2019年3月に会長に就任。
友野 宏(ともの ひろし、1945年7月13日 - )は、日… 友野 宏(ともの ひろし、1945年7月13日 - )は、日本の実業家。長野県出身。住友金属工業の最後の社長で、新日鐵住金初代社長兼COO・相談役を経て、社友。元日本経団連副会長。 京都大学工学部を経て、京都大学大学院工学研究科修士課程修了。1971年、住友金属工業に入社。1979年にスイス連邦工科大学工学博士号を取得。2005年、社長に就任。2012年10月、新日本製鐵と住友金属工業の経営統合により発足した新日鐵住金の代表取締役社長兼COOに就任した。しかし、会長兼CEOの宗岡正二とともに、前身企業からのトップ在任期間が長きにわたることから、2014年4月1日付で代表権のある副会長に就任し、翌年には相談役に退いた。
小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4… 小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4月23日 - )は、日本の政治家、実業家。 長野県宮田村長(3期)、宮田村副村長、ルビコン常務執行役員、ルビコン電子専務取締役、秋田ルビコン専務取締役、韓国信英取締役副社長などを歴任。 長野県上伊那郡宮田村大久保区出身。長野県伊那北高等学校を経て、1968年(昭和43年)3月、日本大学法学部法律学科を卒業。同年4月、窪田建設株式会社に入社。翌1969年(昭和44年)10月にルビコン株式会社に入社。ルビコン入社後、ルビコン総務部長、韓国信英取締役副社長、秋田ルビコン専務取締役、ルビコン電子専務取締役、ルビコン常務執行役員などを歴任。この他、宮田村消防団第3分団第2部部長、宮田村氏子総代会会長、宮田村大久保区長を務めた。
吉田 總一郎(Soichiro "Sol" Yoshida、… 吉田 總一郎(Soichiro "Sol" Yoshida、1945年 - 2026年2月24日)は、日本の実業家、経済学者、環境学研究者、ディーゼル燃料・ディーゼルエンジン研究者。長野県長野市生まれ。 現在、長野、東京をベースに、環境、CSR、代替エネルギー、動植物性脂肪酸(油脂)分野の研究及びビジネス・アプリケーション、コンサルティング、講演、執筆活動を国際的に展開している。
山田 秀雄(やまだ ひでお、1944年12月25日 - )は… 山田 秀雄(やまだ ひでお、1944年12月25日 - )は、日本の実業家である。株式会社オリンパスの専務執行役員や副社長執行役員などを歴任した。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校卒業。1963年(昭和38年)4月、18歳でオリンパス光学工業(当時)に入社した。中央大学法学部卒業。 会津オリンパス出向を経て、1980年10月オリンパス光学工業本社に戻り経理部資金グループ配属。1989年1月同グループリーダー就任。1994年4月経理部副部長。1997年4月総務・財務部長。2002年(平成14年)6月、同社の執行役員に就任。その後は、同社コーポレートセンター長、取締役、常務執行役員を経て、2005年(平成17年)4月にはCSR本部担当、及び監査室担当となった。
鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )… 鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )は、日本の経営者。三菱レイヨン(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。 長野県長野市出身。1965年に東京外国語大学を卒業し、同年に三菱レイヨンに入社。1997年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年6月に社長に就任。2012年4月に取締役に就任し、2016年4月に相談役を退く。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の… 永山 勝利(ながやま かつとし、1943年 - )は、日本の実業家。ホテルルートイングループ創業者・会長、ルートインジャパン代表取締役会長。 長野県上田市出身。家業の青果店をスーパーマーケットにし、1977年永山興産(現・ルートインジャパン)設立。1985年に上田ロイヤルホテルを1号店として開業。以降、利益率を重視した施設整備を進め、業容を拡大させた。長野県庁への寄付で基金が作られ、2015年度に児童養護施設出身者を対象にした「長野県飛び立て若者!奨学金」が創設された。後任のルートインジャパン代表取締役社長を務める永山泰樹は息子。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月… 百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月23日 - )は、日本の実業家。長野県塩尻市出身。
加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8… 加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県長野市長(2期)。現在は日本会議NAGANO会長を務める。 長野県長野市出身。1961年、長野県長野高等学校卒業。1965年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。内田産業株式会社を経て、1967年に株式会社本久入社。1985年に同社社長、2009年に本久ホールディングス社長に就任。インフラ整備、外食事業、ホテル国際21等のレジャー事業を手掛ける。 2007年から長野商工会議所会頭・長野県商工会議所連合会会長を務め、2009年には、しなの鉄道取締役会長にも就任した。 2013年10月27日に行われた長野市長選挙に立候補。
井口 武雄(いのくち たけお、1942年4月9日 - )は、… 井口 武雄(いのくち たけお、1942年4月9日 - )は、日本の経営者。三井海上火災保険社長を務めた。 長野県上伊那郡南箕輪村出身。1965年に東京教育大学法律政治学科を卒業し、同年に大正海上火災保険に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務を経て、1996年4月には社長に就任した。2000年6月に最高執行責任者を経て、2001年10月から2006年6月までに三井住友海上火災保険会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
倉本 實(くらもと みのる、1942年1月30日 - )は、… 倉本 實(くらもと みのる、1942年1月30日 - )は、日本の実業家。NTT移動通信網(現・NTTドコモ)常務取締役、パナソニック モバイルコミュニケーションズ(現・パナソニック コネクト)取締役副社長を務めた。 長野県諏訪郡富士見町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、山梨大学工学部卒業。1964年日本電信電話公社(現・日本電信電話)入社。1983年日本電信電話横須賀電気通信研究所(現・NTT横須賀研究開発センタ)移動通信方式研究室長。1987年同社移動体通信事業部システム開発部長。1992年NTT移動通信網(現・NTTドコモ)取締役研究開発部長。1996年同社常務取締役研究開発部長。1998年松下通信工業(のちのパナソニック モバイルコミュニケーションズ)理事移動体通信開発担当。
瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)… 瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。信濃毎日新聞社専務取締役、長野放送副社長を歴任。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東北大学文学部卒業。信濃毎日新聞社入社。同社松本本社代表、同社常務取締役、同社専務取締役、同社監査役を経て、長野放送副社長。長野県バレーボール協会会長。
鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)1… 鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)11月8日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。元長野県長野市長(3期)。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。大学在学中から生家が経営する炭平鷲澤(現炭平製作所)に入社し、1963年から代表取締役社長を務める。大学を卒業後、1965年長野陸送、1966年炭平運輸、1968年三国コンクリートの各代表取締役に就任。会社経営の傍ら、長野市及び長野県のPTA連合会会長、長野市教育委員会委員、長野商工会議所副会頭、東北信生コン事業協同組合理事長、長野市青年会議所理事長、長野県経営者協会常任理事などを歴任した。
依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27… 依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27日 - )は、日本の男性実業家で、ドリーミュージック代表取締役会長、エイベックス元会長兼社長。元日本レコード協会(RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っている。エイベックスの実質的な創業者として経営の中心を担ってきたが、同じく創業者である松浦勝人との経営方針の確執が深刻化、2004年8月3日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(2004年中に退任)。
宮坂 真也(みやさか しんや、1940年3月30日 - )は… 宮坂 真也(みやさか しんや、1940年3月30日 - )は、日本の実業家。旭化成副社長執行役、日本環境安全事業(現・中間貯蔵・環境安全事業)初代代表取締役社長を務めた。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年一橋大学法学部卒業、旭化成工業(現・旭化成)入社。1973年同社住宅事業部資材室長。1985年同社住宅事業部東京営業部長。1991年同社住宅事業部営業統括部長。1993年同社取締役住宅事業部門長補佐。1996同社財務部長。1998年同社常務取締役経営計画管理部長。2001年同社専務取締役機能樹脂・コンパウドカンパニー社長。2003年旭化成取締役専務執行役員。2004年同社取締役兼副社長執行役、日本環境安全事業(現・中間貯蔵・環境安全事業)初代代表取締役社長。
横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は… 横川 紀夫(よこかわ のりお、1940年3月21日 - )は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、現在はヴィア・ホールディングスで代表権の無い会長職を経て代表取締役社長を務めている。 横川家の四男として長野県諏訪市に生まれる。1958年(昭和33年)3月に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、1962年(昭和37年)に兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社の取締役になる。 1974年(昭和49年)11月にすかいらーく常務取締役に就任、その後、すかいらーく代表取締役副社長、代表取締役会長、最高顧問を歴任。 2002年(平成14年)6月、あかつきビーピー(現・ヴィア・ホールディングス)取締役会長に就任、一時はヴィアホールディングス代表取締役会長を務めていた。
土屋 隆(つちや たかし、1940年2月9日 - )は、日本… 土屋 隆(つちや たかし、1940年2月9日 - )は、日本の実業家。東ソー代表取締役CEO(会長)。長野県松本市出身。
大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - … 大野 しげひさ(おおの しげひさ、1940年1月15日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者で、現在は番組制作会社・グリーンプロモーション の社長。本名は大野薫久(読み方は同じ)。血液型A型。身長170cm、体重68kg。3人兄妹(妹2人)の長男。 長野県松本市出身。中央大学高等学校中退。 バイタリティーあふれるキャラクターが持ち味。『走れ!ケー100』の伊賀山紋太、『がんばれ!!ロボコン』の大山新太郎(お父さん)役、『びっくり日本新記録』の司会などで一世を風靡した。CMでも活躍し、中でもシヤチハタは長年にわたって出演をした。その後芸能プロダクション『グリーンプロモーション』の面倒を見てくれないかという話があったことから、同社の業務に専念、水野美紀、宮澤寿梨(元ねずみっ子クラブ)を育てたが、1995年に事務所をいったん閉鎖し、休眠会社となる。
赤羽 昇(あかはね のぼる、1939年(昭和14年)11月7… 赤羽 昇(あかはね のぼる、1939年(昭和14年)11月7日 - 2020年(令和2年)12月22日)は、日本の実業家。株式会社ノリタケカンパニーリミテド代表取締役社長や、同社取締役会長、スリランカ民主社会主義共和国名誉総領事などを務めた。 長野県松本市出身。1962年(昭和37年)南山大学経済学部卒業、日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)入社。1994年(平成6年)、取締役。1997年(平成9年)、常務取締役。2000年(平成12年)、専務取締役。 2002年(平成14年)6月、代表取締役副社長。 2004年(平成16年)6月、代表取締役社長。 2012年(平成24年)6月、相談役。スリランカ民主社会主義共和国名誉総領事、森村商事取締役なども務めた。
岩間 辰志(いわま たつし、1939年〈昭和14年〉8月21… 岩間 辰志(いわま たつし、1939年〈昭和14年〉8月21日 - 2015年〈平成27年〉11月16日)は、日本の実業家。元サッポロホールディングス社長、名誉顧問。 長野県出身。長野県野沢北高等学校を経て1963年に早稲田大学政治経済学部を卒業。同年日本麦酒株式会社に入社(1964年にサッポロビールに社名変更)。 1998年3月に取締役、同11月常務取締役、1999年年11月代表取締役社長に、それぞれ就任。 2003年、サッポロビールの純粋持株会社化に伴い、サッポロホールディングス代表取締役社長に就任。2005年同社相談役、2007年同社名誉顧問。 2015年11月16日、慢性骨髄性白血病により76歳で死去。
林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月2… 林 泰章(はやし やすあきら、1939年(昭和14年)8月21日 - )は、日本の実業家、政治家。元長野県岡谷市長。 岡谷市生まれ。1962年(昭和37年)日本大学経済学部卒業。会社勤務を経て、1966年(昭和41年)和泉工業(メッキ関係)取締役となり、同代表取締役、岡谷青年会議所副理事を務めた。 1975年(昭和50年)9月、岡谷市長選挙に出馬し36歳で当選、当時、全国最年少市長であった。1995年(平成7年)9月まで5期務めた。在任中は公共下水道や市営住宅の整備、防災体制の強化、市街地の再開発、医療施設の充実などに尽力した。 スポーツ界では、1975年、岡谷市体育協会長となり、1979年(昭和54年)長野県スケート連盟会長、1980年(昭和55年)日本スケート連盟理事を兼任し、のち副会長となった。
井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 20… 井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 2018年9月2日)は、日本の実業家、政治家。橘倉酒造代表取締役会長。 衆議院議員(3期)、厚生大臣(第77代)、新党さきがけ代表(第2代)を歴任。 父は内閣官房長官や農林大臣、郵政大臣を務めた元衆議院議員の井出一太郎。作家の井出孫六は叔父。衆議院議員の井出庸生は甥。 長野県南佐久郡臼田町(現:佐久市)生まれ。長野県野沢北高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。大学では中国経済を研究していた。大学卒業後は、政治家である父・井出一太郎に代わって家業の酒造業の経営に携わる。 1986年、父・一太郎の引退に伴い、父の支持者から要請を受け、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧長野2区から立候補し、初当選した。
川村 昌平(かわむら しょうへい、1939年6月10日 - … 川村 昌平(かわむら しょうへい、1939年6月10日 - )は、日本の実業家。養命酒製造代表取締役会長。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、慶應義塾大学商学部卒業。1962年養命酒製造入社。1993年経理部担当部長。1996年取締役・経理部長。2002年常務取締役・人事、経理担当。2004年専務取締役執行役員・管理本部長。中期経営計画を3次まで立案し指揮した。2006年代表取締役専務取締役執行役員・総務、人事、経理担当。2007年代表取締役副社長執行役員・海外事業、総務、人事、経理担当。2008年代表取締役副社長執行役員・生産事業本部長。2010年代表取締役副社長執行役員・生産本部長、事業開発本部長。
青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)… 青木 拡憲(擴憲、あおき ひろのり、1938年(昭和13年)9月23日 - )は、日本の実業家。メンズ、レディースファッションの「AOKI」・ブライダルの「アニヴェルセル」・エンターテイメントの「快活フロンティア」を中心としたAOKIグループの創業者。元AOKIホールディングス代表取締役会長。公益財団法人AOKI財団 の評議員、名誉会長。日本創新党の有力な支援者だった。 1938年9月、更級郡篠ノ井町(現・長野県長野市)で米穀商・青木商店の長男として生まれる。太平洋戦争後の1946年、父親が質屋を開業するも、行き詰まる。 長野商業高校卒業後の1958年9月、数有る質流れ品の中で自分が着用し理解できる洋服の販売を決意、弟 青木寶久とともに個人商店「洋服の青木」を創業。
野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月… 野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月3日 - )は、日本の実業家。1997年(平成9年)に廃業した山一證券の最後の社長として知られる。 長野県出身。長野県屋代東高等学校を経て、法政大学経済学部卒業後、山一證券に入社。 1997年(平成9年)7月に山一證券の社長に就任したが、その僅か4ヵ月後の同年11月に廃業に追い込まれた。その記者会見の席で「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と号泣する野澤の姿は繰り返し報じられた。 山一證券の清算後には日産センチュリー証券社長およびユニコムグループホールディングス取締役副会長を歴任。その後は営業や経営の経験に基づき山一證券出身の企業家等の指導・教育をしているほか、ピーアールコンビナート株式会社が主催する「評判づくり研究会」の運営顧問およびブレーン(マーケティング分野担当)を務めている。
牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、… 牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、日本の新聞記者、実業家。元テレビ神奈川社長。前学校法人神奈川大学理事長。神奈川県海老名市在住。 長野県飯田市出身。飯田高校卒業後2年間浪人したのち、早稲田大学政治経済学部に入学。1965年、神奈川新聞社に入社。 1985年、社会部長に就任。1986年6月1日付の神奈川新聞に霊感商法の被害状況を取材した記事が掲載されると、その日の夕方から神奈川新聞社本社には、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者からの無言電話および抗議の電話が殺到。電話は3日夜までに8,400件を超え、会社の通信機能は麻痺した。牧内は6月4日付の同紙のコラムに実名で「暴力は、どんな形にしろ絶対に容認できない。
小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 20… 小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 2010年9月20日)は、日本の実業家。学習研究社(現・学研ホールディングス)代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年に東京教育大学(現・筑波大学)文学部を卒業し、同年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に代表取締役社長を務めた。2001年6月に相談役に就任。
横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、… 横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、日本の実業家。きわむ元気塾会長。高倉町珈琲会長。 すかいらーく創業者の一人であり、同社の元代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者や、日本フードサービス協会会長を務めた。 横川家の三男として長野県諏訪市に生まれた。3歳の頃、中国・満州に渡る。6歳の時、父が病死し、帰郷した。学制改革による新制諏訪市立四賀中学校を卒業し、後に兄弟で1962年(昭和37年)に当時の東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)のひばりが丘団地内にことぶき食品有限会社を設立し、取締役となる。子会社の株式会社ジョナス(後にジョナサン)の代表取締役社長、会長、すかいらーくの取締役を経て、2003年(平成15年)には兄弟と共にすかいらーくの取締役から退いたが、2006年(平成18年)3月31日にすかいらーく代表取締役会長兼最高経営責任者に就任、しかし業績不振から退任を求められ、2008年8月12日に臨時株主総会と取締役会で退任が決定された。
塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 202… 塚越 寛(つかこし ひろし、1937年10月3日 - 2026年6月29日)は、日本の経営者。伊那食品工業最高顧問を務めた。 現在の長野県駒ヶ根市で6人兄弟の次男として生まれた。長野県伊那北高等学校2年次在学中に肺結核に罹患し中途退学、貧しい家庭環境の中で闘病生活を送る。地元の製材会社を経て、21歳の時に伊那化学寒天(現在の伊那食品工業)に入社、1983年に社長、2019年に最高顧問に就任した。零細企業から日本国内における寒天のトップメーカーに育て上げ、独自の経営哲学『年輪経営』は、財界に多大な影響を与えた。1996年に黄綬褒章 、2011年に旭日小綬章を受章した。 2026年6月29日、老衰のため伊那市の自宅で死去した。
中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月… 中村 胤夫(なかむら たねお、1936年(昭和11年)11月13日 - )は、日本の経営者。三越社長・会長、相談役、特別顧問を歴任。長野県塩尻市生まれ。 名橋「日本橋」保存会会長、ECO EDO 日本橋 実行委員会 会長、慶應義塾大学評議員。
山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月… 山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月8日 - )は、日本の実業家。みずほフィナンシャルグループ名誉顧問。元富士銀行代表取締役頭取で、元みずほホールディングス代表取締役会長兼Co-CEO。長野県塩尻市出身。 企画畑などを経て、1986年から二年間、シカゴのヘラーインターナショナルコーポレーション(富士銀行が1984年に買収した米国の金融会社、後にGEキャピタルに売却)に副社長として出向。 第一勧業銀行会長兼頭取の杉田力之、日本興業銀行頭取の西村正雄とともに、みずほフィナンシャルグループ発足を率いた。 退任直後である2002年4月に発生した大規模なシステム障害の責任を問われ、退職慰労金の支払いは見送られていたが、みずほFGが公的資金の返済を終えたことから、退任から5年後の2007年、山本、杉田、そして西村の遺族に慰労金は支払われた。
塚田 佐(つかだ たすく、1936年(昭和11年)3月3日 … 塚田 佐(つかだ たすく、1936年(昭和11年)3月3日 - 2023年2月22日)は、日本の実業家、政治家。長野県長野市長(4期)。 長野県上水内郡安茂里村(現・長野市)で、塚田之安、とみ の長男として生まれた。長野県長野高等学校を経て、1958年(昭和33年)早稲田大学商学部卒業。家業の白土製造業に従事し、長野白土産業の専務取締役となる。 1967年(昭和42年)から長野市議会議員を2期、1975年(昭和50年)から長野県議会議員を3期務め、長野県地方社会福祉審議会長を兼任。 1985年(昭和60年)の長野市長選挙に立候補して初当選した。市長在職中には北陸新幹線関係都市連絡協議会会長の他、長野冬季五輪招致委員会会長を務め、招致運動を展開して1998年の長野冬季五輪大会の開催に力を尽くし、実現させた。
中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月2… 中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月23日 - 2013年(平成25年)11月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 科学技術庁長官(第48代)・総理府原子力委員会委員長(第48代)、衆議院議員(6期)等を歴任した。 父は元衆議院議員の中島巌。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)、中央大学経済学部卒業。大学卒業後、父・中島巌が経営する信南交通に入社。信南交通を経て地元・飯田市の青年会議所理事長を務める。 青年会議所での活動を通じて、仲間の企業家から政界への進出を勧められ、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧長野県第3区(定数4)から無所属で出馬したが、得票数6位で落選。
茅野 亮(ちの たすく、1934年12月12日 - 2010… 茅野 亮(ちの たすく、1934年12月12日 - 2010年5月4日)は、日本の実業家。すかいらーく創業者兄弟の次兄で、同社初代代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪農業高等学校(現長野県富士見高等学校)卒業。農家の養子となって10年間農業に従事したのち、1961年上京。兄弟である横川端、横川紀夫、横川竟とともに、1962年に保谷町のひばりが丘団地でことぶき食品を設立し同社社長に就任。1970年に府中市の甲州街道沿いですかいらーく国立店を開設したのを皮切りに、全国にファミリーレストランを展開して成功させた。2010年急性肺炎のため死去。享年75。
飯島 彰(いいじま あきら、1934年7月26日 - 200… 飯島 彰(いいじま あきら、1934年7月26日 - 2001年1月28日)は日本の実業家。トヨタ車体社長・会長を歴任した。 長野県千曲市出身。長野県屋代東高等学校、信州大学工学部卒業。トヨタ車体代表取締役社長を経て、2000年より同社会長。2001年、肝不全のため死去。
山岸 一雄(やまぎし かずお、1934年(昭和9年)4月28… 山岸 一雄(やまぎし かずお、1934年(昭和9年)4月28日 - 2015年(平成27年)4月1日)は、ラーメン店「東池袋大勝軒」を創業した日本の料理人・実業家。 東京都豊島区東池袋にあるラーメン店「東池袋大勝軒」の創業者である。日本におけるつけ麺の普及に広く貢献し「つけ麺の元祖」や「つけ麺の生みの親」「ラーメンの神様」と呼ばれ広く親しまれた。「支那そばや」創業者である佐野実が、ラーメンの世界で唯一尊敬する人物と公言するなど、同業者からも一目置かれる存在であった。 長野県中野市生まれ。4歳の時に父の勤務先だった神奈川県横須賀市に転居。7歳の時に父が戦死、母の実家のある長野県に戻り、同県下高井郡山ノ内町に移った。
宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 201… 宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 2019年11月24日)は、日本出身のネパールの実業家、政治家。 長野県小県郡青木村出身。長野県上田高等学校、日本大学理工学部工業化学科、機械工学科(二部)卒業。在学中は山岳部に所属していた。 理研ビニル工業、千代田化工建設に勤務。1958年に南極地域観測隊第4次隊、1962年にヒマラヤ登山隊、1965年にグリーンランド遠征隊(隊長)に参加。1966年、自転車でインドからネパールに入る。同年ネパール政府通商産業省中小企業局に勤務。1968年にトランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年にヒマラヤ観光開発株式会社(本社・東京)を設立。