滝沢 貞夫(たきざわ さだお、1934年7月26日 - 20… 滝沢 貞夫(たきざわ さだお、1934年7月26日 - 2016年11月20日)は、日本の国文学者。信州大学名誉教授。専門は中世和歌で、『詞花和歌集』以後の二十一代集の総索引を作成した業績がある。 新潟県生まれ。長野県長野市育ち[要出典]。1957年東京教育大学文学部卒業、1959年同大学院修士課程修了。長野県立高校教諭を経て、1968年長野工業高等専門学校助教授、1972年信州大学教育学部助教授、1979年同教授。2000年定年退任、名誉教授。正四位、瑞宝中綬章追贈。
丸山 瑛一(まるやま えいいち、1934年7月12日 - 2… 丸山 瑛一(まるやま えいいち、1934年7月12日 - 2019年12月24日)は日本の電子技術者。材料工学者、理化学研究所名誉研究員。工学博士(1977年、大阪大学)。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校を経て、昭和32年(1957年)東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。同34年(1959年)同理学部物理学科卒業。同年日立製作所中央研究所に入所し、同59年(1984年)主管研究長、同60年(1985年)基礎研究所長。のち研究開発推進本部技師長。平成5年(1993年)オングストロームテクノロジー研究機構常務理事。平成11年(1999年)政策研究大学院大学教授を経て、理化学研究所フロンティア研究システム長。
若林 正俊(わかばやし まさとし、1934年〈昭和9年〉7月… 若林 正俊(わかばやし まさとし、1934年〈昭和9年〉7月4日 - 2023年〈令和5年〉11月11日)は、日本の農林水産官僚、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。 農林水産大臣(第43・45・46代)、環境大臣(第8代)、財務副大臣(第2次森改造内閣(中央省庁再編後)・第1次小泉内閣)、大蔵総括政務次官(第2次森改造内閣(中央省庁再編前))、総務政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、参議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、参議院農林水産委員長、参議院政治倫理審査会会長、参議院議員(2期)、衆議院議員(3期)などを歴任した。 「若」の字は、くさかんむりの部分が3画の「艹」ではなく、4画の「十十」である字体を正式な表記としている。
藤森 三男(ふじもり みつお、1934年7月3日 - 202… 藤森 三男(ふじもり みつお、1934年7月3日 - 2020年3月29日)は、日本の経営学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年慶應義塾大学経済学部卒業。1965年同大学商学部助手。1971年カリフォルニア大学ロサンゼルス校School of Management客員研究員。1972年慶應義塾大学商学部助教授。1980年同大学教授。1982年ニューサウスウェールズ大学Faculty of Commerce交換教授兼任。1990年ミネソタ大学ツインシティー校School of Management交換教授兼任。2000年慶應義塾大学名誉教授、立正大学経営学部教授。経済学博士、商学博士。
石城 謙吉(いしがき けんきち、1934年6月16日 - )… 石城 謙吉(いしがき けんきち、1934年6月16日 - )は、日本の動物生態学者、北海道大学名誉教授。 長野県諏訪市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1961年北海道大学農学部卒業。1969年同大学院博士課程修了、「北海道産イワナ属魚類の形態並びに生態に関する研究」で農学博士。1970年北海道大学農学部苫小牧演習林助手、1972年助教授を経て、農学部教授、1999年定年退官、名誉教授となる。
山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2… 山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2007年5月10日)は、日本の作詞家。長野県上田市出身。日本社会事業大学卒業。本名は山崎 裕世(やまざき ひろよ)。 2007年5月10日、大腸癌のため死去。72歳没。
江遠 要甫(えとお ようすけ、1934年5月10日 - )は… 江遠 要甫(えとお ようすけ、1934年5月10日 - )は、長野県飯山市出身の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。 明治大学卒業後、長野営林署に勤務。 ジャンプでは長野県出身者として初のオリンピック代表となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
山岸 一雄(やまぎし かずお、1934年(昭和9年)4月28… 山岸 一雄(やまぎし かずお、1934年(昭和9年)4月28日 - 2015年(平成27年)4月1日)は、ラーメン店「東池袋大勝軒」を創業した日本の料理人・実業家。 東京都豊島区東池袋にあるラーメン店「東池袋大勝軒」の創業者である。日本におけるつけ麺の普及に広く貢献し「つけ麺の元祖」や「つけ麺の生みの親」「ラーメンの神様」と呼ばれ広く親しまれた。「支那そばや」創業者である佐野実が、ラーメンの世界で唯一尊敬する人物と公言するなど、同業者からも一目置かれる存在であった。 長野県中野市生まれ。4歳の時に父の勤務先だった神奈川県横須賀市に転居。7歳の時に父が戦死、母の実家のある長野県に戻り、同県下高井郡山ノ内町に移った。
塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年… 塩島 大(しおじま だい、1934年4月9日 - 1985年9月20日)は、日本の造園家、建設(都市計画)官僚、政治家である。位階は正五位勲四等、勲章は旭日小綬章。衆議院議員(1期)。日本造園学会常務理事、日本都市計画学会評議員。 長野県北安曇郡池田町生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、東京大学農学部入学。1959年(昭和34年)、 大学卒業とともに建設省入省(同期に望月薫雄元建設事務次官)。計画施設課、大阪府土木部、総理府近畿圏整備本部、首都圏整備委員会を経て、1981年(昭和56年)に建設省公園緑地課長を務め、1982年(昭和57年)8月、退官。公園緑地課長の時に、国営アルプスあづみの公園を考案したほか、東京大学・明治大学で講師を務めた。
山岸 静馬(やまぎし しずま、1934年4月2日 - 199… 山岸 静馬(やまぎし しずま、1934年4月2日 - 1990年10月4日)は、長野県上水内郡信州新町出身のプロ野球選手。 長野北高校から1954年に高橋ユニオンズへ入団。ヴィクトル・スタルヒンがプロ最後の先発登板となった1955年10月7日の試合では先発捕手として出場した。 1956年に球団が吸収合併されたため1957年は大映ユニオンズ所属となり同年に退団。退団後は電電信越でプレーし都市対抗野球大会にも出場した。
中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 20… 中西 立太(なかにし りった、1934年3月18日 - 2009年1月11日)は、日本のイラストレーター。「歴史画」の第一人者といわれている。 長野県上田市生まれ。1952年長野県上田松尾高等学校卒業。 1955年小学館で小さなカットなどの仕事をはじめる。 1962年小学館科学図説シリーズ『人類の誕生』で第8回サンケイ児童出版文化賞受賞。1964年小学館科学図説シリーズ全体で第11回サンケイ児童出版文化賞大賞受賞。
宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 201… 宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 2019年11月24日)は、日本出身のネパールの実業家、政治家。 長野県小県郡青木村出身。長野県上田高等学校、日本大学理工学部工業化学科、機械工学科(二部)卒業。在学中は山岳部に所属していた。 理研ビニル工業、千代田化工建設に勤務。1958年に南極地域観測隊第4次隊、1962年にヒマラヤ登山隊、1965年にグリーンランド遠征隊(隊長)に参加。1966年、自転車でインドからネパールに入る。同年ネパール政府通商産業省中小企業局に勤務。1968年にトランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年にヒマラヤ観光開発株式会社(本社・東京)を設立。
町田 行彦(まちだ ゆきひこ、1934年3月8日 - 202… 町田 行彦(まちだ ゆきひこ、1934年3月8日 - 2025年9月22日)は、長野県長野市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。 長野北高校では、2年生次の1950年夏の甲子園予選信越大会決勝に進むが、松商学園に敗退し甲子園出場を逸する。同年の秋季北信越大会では優勝を飾るが、翌1951年春の選抜には選出されなかった。高校通算36本塁打。高校同期に松橋慶喜、1年下に山岸静馬がいた。 1952年に国鉄スワローズへ入団。入団後まもなく強肩を見込まれて、本来の守備位置である三塁手から外野手にコンバートされた。1953年には開幕から右翼手として起用され、7月には杉浦清に代わり初の四番打者も経験。1954年には初の規定打席(29位、打率.250)に達する。
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
牛山 積(うしやま つもる、1934年2月9日 - )は、日… 牛山 積(うしやま つもる、1934年2月9日 - )は、日本の法学者。専門は、民法・環境法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1978年)。早稲田大学名誉教授。 長野県諏訪郡湖東村(現茅野市)出身。長野県諏訪清陵高等学校卒業、1958年早稲田大学法学部卒業、1963年同大学院博士課程満期退学、78年「公害裁判の展開と法理論」で法学博士。1962年早大法学部助手、65年講師、67年助教授、72年教授。2004年定年退職、名誉教授、大宮法科大学院大学教授。専門は、民法・環境法。
二村 一夫(にむら かずお、1934年2月 - )は、日本の… 二村 一夫(にむら かずお、1934年2月 - )は、日本の歴史学者。専門は、労働史。法政大学名誉教授、法政大学大原社会問題研究所名誉研究員。 長野県松本市出身。長野県諏訪清陵高等学校、東京都立大泉高等学校を経て、1956年東京大学文学部国史学科卒業。1958年法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了、同大学法学部助手。1960年東邦大学一般教養科専任講師。1963年同大学助教授。1966年法政大学大原社会問題研究所兼任研究員。1967年同研究所専任研究員。1973年法政大学教授。1976年ウォーリック大学社会史研究センター訪問研究員。1977年ハーバード大学、ミシガン大学、カリフォルニア大学バークレー校各日本研究所訪問研究員。
小島 麗逸(こじま れいいつ、1934年1月23日 -202… 小島 麗逸(こじま れいいつ、1934年1月23日 -2024年12月7日 )は、日本の経済学者・中国研究者。中国の経済建設・日本植民史・アジア経済を研究。大東文化大学名誉教授。アジア経済研究所調査研究部次長を経て、学校法人大東文化学園理事・北京大学光華管理学院客員教授・現代中国学会理事などを務めた。 長野県下伊那郡下久堅村(現飯田市)出身。長野県飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)を経て、1960年一橋大学経済学部卒。種瀬茂ゼミ出身。同年アジア経済研究所入所。山梨県大月市で農耕や、牧畜、植林に従事しながらアジア経済研究所に通い、石川滋一橋大教授の指導の下で研究に従事。1978年からアジア経済研究所主任研究員。
松橋 慶季(まつはし よしき、旧名:義喜(よしき)、秀康(ひ… 松橋 慶季(まつはし よしき、旧名:義喜(よしき)、秀康(ひでやす)、1934年1月10日 - 2015年2月22日)は、長野県長野市出身のプロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。 長野県長野北高等学校では2年生の時、捕手として1950年夏の甲子園予選信越大会決勝に進むが、松商学園に敗退し甲子園出場を逸する。松商学園の控え捕手は吉沢岳男であった。同年の秋季北信越大会では優勝を飾るが、翌年春の選抜の出場校には選出されなかった。高校同期に三塁手の町田行彦、1年下に控え捕手の山岸静馬がいた。 1952年に阪急ブレーブスに入団するが、翌1953年に国鉄スワローズに移籍。阪急から国鉄に移籍したのは、郷里に母を一人残した中、長野県から遠い西宮市でプレーするのを好まなかったからである。
伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャ… 伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京外国語大学フランス語科卒業。1958年共同通信社入社。外信部、サイゴン支局長、パリ支局長、ハノイ支局長、国際局次長、編集委員次長、論説副委員長などを務めた。
片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚… 片野 満(かたの みつる、1934年 - )は、日本の映画脚本家・演出家・監督・プロデューサー。 東京都出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。岩波映画製作所にて科学映画、教育放送番組の脚本・演出・監督・プロデューサーを歴任し、内閣総理大臣賞ほか多数の受賞作品に携わった。安井電子出版取締役制作本部長を務めた。
高橋 健治(たかはし けんじ、1934年 - )は、日本の生… 高橋 健治(たかはし けんじ、1934年 - )は、日本の生化学者。リボヌクレアーゼT1(英語版)の精製、一次構造、活性部位に関する研究で知られる。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1957年に東京大学理学部化学科を卒業した。1962年、東京大学大学院理学系研究科生物化学専門課程博士課程を修了し、理学博士の学位を取得した。赤堀四郎、江上不二夫のもとで研究を行い、同年に日本学術振興会奨励研究生となった。 1963年に東京大学理学部生物化学科助手となり、1965年から1968年までロックフェラー大学博士研究員を務めた。1973年に東京大学理学部生物化学科講師、1974年に京都大学霊長類研究所生化学研究部門教授、1984年に東京大学理学部生物化学科教授となった。
山本 尚志(やまもと たかし、1934年 - )は、日本の工… 山本 尚志(やまもと たかし、1934年 - )は、日本の工学者。専門は生産工学。東京大学生産技術研究所助教授、東洋大学教授、関東学院大学教授、相模工業大学教授などを経て、湘南工科大学名誉教授。 1934年(昭和9年)、長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校、東京大学工学部を経て、1958年(昭和33年)東京大学大学院修了。1961年(昭和36年)より東京大学生産技術研究所助手、助教授を経て、東洋大学理工学部教授、関東学院大学工学部教授、相模工業大学(現在の湘南工科大学)教授を務めた。2000年(平成12年)定年退官。湘南工科大学名誉教授。 山本が教授としての在任期間中の大半を占める1986年(昭和61年)から2007年(平成19年)まで、湘南工科大学では大学理事会(糸山英太郎理事長)と湘南工科大学教職員組合との間で「湘南工科大学事件」と呼ばれる法廷闘争が続いた。
渡部 清(わたなべ きよし、1934年 - )は、日本の教育… 渡部 清(わたなべ きよし、1934年 - )は、日本の教育者、書家、書道史研究家。長野県諏訪市出身。NHK番組や大河ドラマの題字制作に従事し、のちに横浜国立大学教授を務めた。 長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科を卒業し、同大学院教育学研究科修士課程を修了した。大学時代には西川寧の影響を受け、古典を中心に学んだ。また、仮名については森田竹華から学んだと述べている。 大学在学中からNHKのタイトル制作に関わり、卒業前から同局と契約して仕事を始めた。東京教育大学附属中学校・高等学校の講師も務め、のちに横浜国立大学教授を歴任した。 その後も古筆・古文書に関する活動を続け、室町時代から江戸時代までの書状を中心とする「ふみを読む会」の講師を務めている。
小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月… 小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月29日)は、日本のデザイナー。東京芸術大学名誉教授。長野県出身。 1953年(昭和28年)、長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1959年(昭和34年)、東京芸術大学美術学部デザイン科、同大学院修了。 東京芸術大学美術学部助教授、教授を務めた後、2002年(平成14年)定年退官。東京芸術大学名誉教授。 小松のデザインは、通信機器や登山・スキー用具などのデザインにはじまり、 教育・研究の場においては、"はたらきと美の統合"をテーマとして、工業デザインを軸に幅広いフィールドで展開されてきた。 東京芸術大学大学美術館で開催された退官記念展では、1980年代以降のデザインに関わった製品及び試作的作品を中心に、 その一端を"生活のどうぐ"、"生産のどうぐ"に大別し、「どうぐデザイン展」と題して展示紹介された。
荻原 達子(おぎはら たつこ、1934年 - 2007年5月… 荻原 達子(おぎはら たつこ、1934年 - 2007年5月2日)は、日本の能楽プロデューサー。 長野県岡谷市生まれ。東京女子大学短期大学部卒。能楽書林の編集部を経て、社団法人「銕仙会」の事務局長。退職後、同人組織の能楽座のゼネラルマネージャーを務めた。 様々な分野で演劇コーディネーターを務め、一貫して能・狂言の伝統の継承と創造活動を、裏方で支え、国内外を問わずあらゆる種類の能・狂言公演を手がけた。能楽師観世栄夫運転の自動車に同乗し帰宅中に東京都八王子市の中央自動車道で事故に遭い、頭部を負傷し亡くなった。73歳没。なお観世自身も衝撃で、闘病中だった事も重なり1ヶ月後に病没した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明… 諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。実家は代々教師の多い家系。中学時代から演劇に興味を持ち、脚本を書いて仲間と舞台作品を発表。長野県諏訪清陵高等学校時代は映画鑑賞して友人と語り合った。東京芸術大学を経て、成城大学経済学部在学中に演劇部に所属、映画美術助手として水谷浩、下河原友雄に師事。美術では限界があり、大監督の作品に満足できなくなり、監督を目指すようになり、契約助監督となる。1959年同大学卒業後、岩波映画製作所入社。羽仁進、羽田澄子らの助監督を務める。1965年『道程』で初監督。1995年同社社長に就任。その後、岩波映像販売社長、岩波映像会長を務める。
小山 恒三(こやま つねぞう、1933年12月20日 - 2… 小山 恒三(こやま つねぞう、1933年12月20日 - 2018年1月31日)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。 長野県小諸実業高等学校から東京鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズに入団。同年10月10日の対松竹ロビンス戦(西京極球場)に先発投手として一軍公式戦へのデビューを果たすと、完封で初勝利を挙げた。「スワローズの新人投手による一軍公式戦初登板での先発完封勝利」は球団史上初の快挙だが、小山に続く達成者は、東京ヤクルトスワローズ時代の2024年5月15日に松本健吾(トヨタ自動車出身の右投手)が対広島東洋カープ戦(松山坊っちゃんスタジアム)で記録するまで72年間現れなかった。 カーブやドロップなどの変化球を駆使していたものの、プロ野球投手としての実働年数はわずか2年で、1953年に現役を引退。
鎮西 清高(ちんぜい きよたか、1933年12月6日 - 2… 鎮西 清高(ちんぜい きよたか、1933年12月6日 - 2023年7月27日)は、日本の地質学・古生物学者。京都大学名誉教授。元日本古生物学会会長。専門は、軟体動物化石の古生態・日本列島の地史。 理学博士(東京大学・1961年)(学位論文「馬渕川谷新第三系の地質学的及び古群集生態学的研究」)。長野県下伊那郡下條村出身。
後藤総一郎(ごとう そういちろう、1933年12月5日 - … 後藤総一郎(ごとう そういちろう、1933年12月5日 - 2003年1月12日)は、日本の思想史学者。 長野県下伊那郡和田組合村遠山郷(現飯田市)出身。1952年長野県飯田東高等学校(現長野県飯田高等学校)卒業。病気療養を経て、1955年明治大学法学部入学後、同大学政治経済学部に再入学。東京教育大学講師、明治大学政治経済学部助教授、1987年同教授。1996-1999年に図書館長。1990年-2003年1月柳田國男記念伊那民俗学研究所初代所長。 橋川文三に師事、柳田國男研究を軸に『全集』(筑摩書房)編集委員を務め、「柳田國男研究会」、市民講座「常民大学」を主宰した。2003年神奈川県鎌倉市の病院で悪性リンパ腫のため死去。
高畠 通敏(たかばたけ みちとし、1933年(昭和8年)11… 高畠 通敏(たかばたけ みちとし、1933年(昭和8年)11月16日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、日本の政治学者。計量政治学の研究で知られる。立教大学名誉教授。 東京府(現東京都)生まれ。戦争中は長野県に疎開した。1949年長野県立上田松尾高等学校(現上田高等学校)入学。1950年東京都立日比谷高等学校編入学、1952年同校卒業。 1956年(昭和31年)東京大学法学部卒業。同年、東京大学法学部助手。 1961年(昭和36年)立教大学法学部助教授に就任。担当科目として政治原論、現代政治理論、平和研究を講義。 1965年(昭和40年)イェール大学留学。 1968年(昭和43年)立教大学法学部教授に就任。
永井 順裕(ながい まさひろ、1933年(昭和8年)11月1… 永井 順裕(ながい まさひろ、1933年(昭和8年)11月11日 - 2025年7月27日)は、日本の政治家。元長野県須坂市長。 現在の須坂市出身。長野県須坂農業高等学校(長野県須坂創成高等学校)卒業。衣料品販売会社の役員から、平成4年(1992年)須坂市長選挙に当選し、3期務めた。同18年(2006年)旭日小綬章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2… 小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2021年12月10日)は、日本の経営者。信濃毎日新聞社社長を務めた。 長野県長野市出身。1957年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社した。1964年に信濃毎日新聞社に転じ、1965年に取締役に就任し、1971年に常務、1982年に専務を経て、1988年に副社長に就任し、1993年3月には社長に昇格。2011年3月には取締役相談役に就任。共同通信社理事、日本新聞協会理事も務めた。また長野テレメッセージ社長も務めている。 2012年11月に旭日重光章を受章した。 2021年12月10日、心不全のために死去。88歳没。 長男は小坂壮太郎(信濃毎日新聞社長)。
甕 滋(もたい しげる、1933年10月20日 - )は日本… 甕 滋(もたい しげる、1933年10月20日 - )は日本の農水官僚。林野庁次長、大臣官房長、食糧庁長官、林野庁長官、農林水産事務次官、農林漁業信用基金理事長、地方競馬全国協会会長、農林水産技術会議会長などを歴任。血液型はA型。 長野県安曇野市出身。長野県上田高等学校、東京大学法学部卒業。日本政治史を専門とする岡義武のゼミで学ぶ。東大時代の同期に内海孚らがいた。自分にとって一番性に合うのは農林省だと考え、1957年に同省に入省。配属先は農政局総務課。1975年5月 畜産局食肉鶏卵課長。1978年7月 農林水産省畜産局食肉鶏卵課長。同年8月 大臣官房参事官。1979年8月 畜産局畜政課長。1981年7月 大臣官房秘書課長。
桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日… 桜本(櫻本) 富雄(さくらもと、とみお、1933年9月28日 - 没年不明)は、日本の詩人・評論家。 長野県小諸市生まれ。1952年東京都立上野高等学校卒業、1957年日本大学法学部法律学科卒業。「かつしか幼稚園」を姉弟で経営し、1972年から92年まで理事長。93年から99年まで東京学芸大学非常勤講師。1979年から個人通信誌『空席通信』を発行、戦時中の文学者の動向などを研究・調査してきた。2020年9月『空席通信』休載。「空席通信・余話」のSeesaaブログのみ継続。
はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月… はま みつを(本名:浜 光雄(はま みつお)、1933年9月20日 - 2011年2月22日)は、日本の児童文学作家。 長野県塩尻市出身。旧制松本中学を経て、信州大学教育学部修了。信州児童文学会会長を務めていた。 高橋忠治、和田登らとともに「とうげの旗」創刊の参加を機に創作活動に専念。1970年処女作『わが母の肖像』を刊行。1979年『春よこい』で赤い鳥文学賞) 1983年『レンゲの季節』で塚原健二郎文学賞) 1989年『赤いヤッケの駅長さん』で産経児童出版文化賞を受賞。 2011年2月22日、肺炎のため長野県松本市の病院で死去。77歳没。 はま自身が担任を務めた塩尻市の中学校の教え子の一人に、テレビプロデューサーで上智大学文学部新聞学科教授の碓井広義がいる。
小平 均(こだいら ひとし、1933年9月2日 - )は、日… 小平 均(こだいら ひとし、1933年9月2日 - )は、日本の実業家、技術者。東京電子応用研究所(TEAL)代表取締役社長。 茨城県出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、千葉大学工学部卒業。三波工業入社。東方電機 (現・パナソニック コネクト)に転職し、ファクシミリ開発にかかわる。電卓を開発し、カシオ計算機に転職。電気機械振興協会卓上電子計算機分科会の佐々木正会長と共にタムラ製作所の援助で1968年東京電子応用研究所(TEAL:Tokyo Electronic Application Laboratory)を創業し、代表取締役社長に就任。
荒井 利一(あらい りいち、1933年(昭和8年)8月16日… 荒井 利一(あらい りいち、1933年(昭和8年)8月16日 - )は、日本のバスケットボール選手。 長野県岡谷市出身。立教大学を経て、松下電器産業に所属。1956年メルボルンオリンピックに出場した。のち、大阪府バスケットボール協会の役員を務めた。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日… 平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日 - 2016年(平成28年)8月8日)は、日本の政治家。長野県上田市長。 上田市出身。信州大学工学部卒業。上田市役所に入庁し、助役を経て、平成10年(1998年)上田市長選挙で当選し、1期務めた。同18年(2006年)旭日双光章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 19… 吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 1971年7月15日)は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)。
五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2… 五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2013年8月31日)は、日本の俳優。長野県諏訪市出身。愛称はゴミリュウ。別名義に五味 竜太郎(読みは同じ)。旧芸名に五味 勝雄(ごみ かつお)、五味 勝之介(ごみ かつのすけ)。本名は山本 勝雄(やまもと かつお)。旧姓は五味。 1952年(昭和27年)、長野県岡谷南高等学校を卒業して日本大学藝術学部映画学科に進学。1954年(昭和29年)に大学を中退し、松竹音楽学校付属研究所を経て1955年(昭和30年)に第2期東映ニューフェイスとして東映へ入社。同期には高倉健・丘さとみ・今井健二らがいる。入社して半年後、劇団俳優座養成所の委託生として更に半年を過ごし、翌1956年(昭和31年)に東映京都撮影所専属で片岡千恵蔵主演の『三つ首塔』でデビューを果たす。
黒岩 弘(くろいわ ひろし、1933年7月1日 - )は、長… 黒岩 弘(くろいわ ひろし、1933年7月1日 - )は、長野県上高井郡日野村出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 長野県上水内農学校(現長野県長野吉田高等学校)で野球を始める。最初は遊撃手であった。戦後長野県須坂商業高等学校に入り直し、投手に転向しエースとなった。卒業後国鉄長野工場を経て東京鉄道管理局に移り、熊谷組に補強され都市対抗野球で優勝する。 1954年に国鉄スワローズに入団した。 緩いカーブ、シュート、スライダー、シンカーと制球力を武器に金田正一以外は脆弱な国鉄の投手陣を支え、入団1年目と2年目はそれぞれ4勝をマークしている。1958年限りで引退し、東京都内の家具会社に就職した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。
宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 198… 宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 1981年11月16日)は、日本の小説家、SF作家、漫画原作者。ジュブナイルSFなどに作品を残した。日本文藝家協会、日本推理作家協会会員。 長野県小諸市出身。1957年、日本最初のSF同人誌『宇宙塵』に参加。後に編集委員も務める。60年代以降は商業誌にも進出し、SFや時代劇などのジャンルで作品を発表した他、「聖マッスル」(作画:ふくしま政美)などの漫画原作も手がけた。1981年に顎下腺ガンのため48歳で亡くなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 201… 立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 2017年7月11日)は、日本の地理学者。日本大学名誉教授。 1933年、長野県に生まれた。1952年に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、日本大学文学部人文地理学科に入学。1956年に同大学を卒業し、翌1957年に同大学大学院に進んだ。 1959年に日本大学文理学部副手に採用。1960年に助手、1970年に専任講師、1973年に助教授、1981年に教授へと昇任した。1982年、学位論文『庄内砂丘における海岸砂丘林に関する研究』を日本大学に提出して理学博士号を取得した。学界では、1999年から2002年まで歴史地理学会会長を務めた。2003年に日本大学を定年退職し、名誉教授となった。
傳田 章(でんだ あきら、1933年5月20日 - 没年不明… 傳田 章(でんだ あきら、1933年5月20日 - 没年不明[要出典])は、日本の中国文学者・中国語学者。東京大学名誉教授。放送大学名誉教授 長野県に生まれる。長野県長野北高等学校を経て、1956年、東京大学文学部中国文学科を卒業した。引き続き大学院に進み、1958年に修士課程を修了した。 1974年、東京大学教養学部助教授(中国語)となり、1985年に教授に昇格した。1994年に定年退官して、名誉教授となる。 放送大学教授も務めた。
野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日… 野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日 - 2024年〈令和6年〉12月12日)は、日本の技術士、工学博士、政治家。元参議院議員(3期)、元法務大臣(第72・73代)。「沢」の戸籍上の記載は「澤」。日韓トンネル研究会会長。 長野県上伊那郡辰野町出身。東京大学工学部土木工学科を卒業後、日本国有鉄道に入社し、大阪鉄道管理局施設部長、長野鉄道管理局長、本社施設局長を歴任。一貫して技術畑を歩む。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に比例区から自由民主党公認で出馬し、初当選。当選後、北海道開発政務次官を出発点に、参議院では外務委員長、決算委員長を歴任。2002年10月18日、参議院憲法調査会会長に就任。
中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006… 中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006年1月14日)は、日本の社会学者、法政大学名誉教授。
五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日… 五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日 - 没年不明)は、日本の元スピードスケート選手である。長野県茅野市出身。 1952年(昭和27年)冬季オリンピックのオスロオリンピックに早稲田大学在学中18歳で出場し5000mで10位、10000mで14位となった。 4年後の1956年(昭和31年)コルティナダンペッツォオリンピックでは10000m23位、5000m27位、1500m39位タイの成績を残した。 全日本スピードスケート選手権大会では1952年と1954年の2回優勝している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
中山 恒夫(なかやま つねお、1933年4月15日 - 没年… 中山 恒夫(なかやま つねお、1933年4月15日 - 没年不明)は、日本の古典古代文学者。古代ラテン文学を専攻。 長野県松本市生まれ。1956年東京大学教養学部教養学科卒。1958年同文学部言語学科卒業。1965年同大学院西洋古典学専攻博士課程満期退学、順天堂大学助教授、1970年教授。1975年「ホラティウスと民衆」で文学博士。1978年大阪大学言語文化部教授。1990年筑波大学教授。1997年定年退官、共立女子大学教授。2004年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
茅野 実(茅野 實、ちの みのる、1933年(昭和8年)4月… 茅野 実(茅野 實、ちの みのる、1933年(昭和8年)4月10日 - 2021年(令和3年)9月2日)は日本の実業家。元八十二銀行頭取。位階は正五位。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校、東京大学法学部卒業後、1956年入行、東京事務所長、資金証券部長を経て、1986年・取締役上田支店長、1987年・同本店営業部長、1989年・常務本店営業部長、1990年・同国際部長、1991年・副頭取、1994年・頭取就任。2001年6月・頭取任期を1年残し会長、2003年〜2005年顧問。1998年〜1999年・全国地方銀行協会副会長。このほか、2015年に成立した安全保障関連法に反対する市民集会の呼び掛け人も務めた。
宮澤 康人(みやざわ やすと、1933年3月30日- )は、… 宮澤 康人(みやざわ やすと、1933年3月30日- )は、日本の教育学者、東京大学・放送大学名誉教授。長野県長野市生まれ。 東京大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科、経済学研究科博士課程中退。コロンビア大学で修士号取得。関西大学文学部専任講師、東京大学教育学部助教授、教授。1994年、定年退官、名誉教授、放送大学教養学部教授。2004年、退任、名誉教授。大人と子供の関係史研究会世話人。専攻は教育史・教育哲学。