萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7… 萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7日 - 2001年(平成13年)9月4日)は、日本のテレビ制作者、音楽プロデューサー、実業家。テレビマンユニオン初代社長。 長野県飯田市出身。父・萩元隼人は、労働運動家で日本社会党→左派社会党公認で長野4区から総選挙に出馬したが、1953年の総選挙公示直前に急死した。このため身代わりとして母・萩元たけ子が立候補。トップ当選を果たし、衆議院議員を1期務めた。 1937年に一家で上京し、自由学園に学ぶ。幼少のころは虚弱児童で、小学校は病気がちで欠席が多かった。しかし勉学の方は大変早熟であり、小学校1年生のときに6年生までの漢字はほとんど読めた。
百瀬 和夫(ももせ かずお、1930年3月2日 - 1992… 百瀬 和夫(ももせ かずお、1930年3月2日 - 1992年12月20日)は、日本の医学者。東邦大学医学部教授。医学博士。 1930年(昭和5年)長野県生まれ。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。旧制松本高等学校を経て、1954年(昭和29年)東京大学医学部医学研究科を卒業。1960年(昭和35年)博士論文「卵管分泌現象に関する研究」で東京大学より医学博士授与。東京大学医学部助手、助教授を務めたのち、1982年(昭和57年)より東邦大学医学部教授(第1産科婦人科学教室)を務めた。 医学者の竹内一夫氏は「脳死出産、産婦人科の世界」の中で、脳死出産の実態について分析しているが、その中で百瀬和夫、前田光士両教授の「妊婦の脳死をめぐる諸問題、医学の歩み」(東邦大学医学部産婦人科教室)を取り上げ、「ここで我々は、死後(心停止後)の出産例の報告が散見されることにも注目しなければならない。
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014… 田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は、日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 長野県飯山市出身。旧制飯山中学校(現・長野県飯山北高等学校)、岡崎高等師範学校(現・名古屋大学)社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。「花実」を経て、1950年に「アララギ」中部青年の会「環」に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌「未来」の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌「河」を編集。1988年、柳川創造らとともに「綱手」創刊。
木下 照嶽(照岳、きのした てるたけ、1930年1月30日 … 木下 照嶽(照岳、きのした てるたけ、1930年1月30日 - )は、日本の会計学者、俳人。明星大学名誉教授。俳号・星城。 長野県下伊那郡泰阜村生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1973年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学。 1949年から1952年まで東京都庁勤務。1974年早稲田大学産業技術専修学校講師、1977年明星大学文学部教授。1994年「社会報告に関する会計の研究」で商学博士の学位を取得。明星大学教授、2000年定年、名誉教授。神奈川大学非常勤講師。文化会計学会代表。俳句療法学会会長。心の文化研究所(附属富嶽出版)代表。
市川 昭午(いちかわ しょうご、1930年 - )は、日本の… 市川 昭午(いちかわ しょうご、1930年 - )は、日本の教育学者。国立教育政策研究所名誉所員、国立大学財務・経営センター名誉教授。専門は教育行政学。教育政策・教育財政・教育行政研究で業績をあげた。 長野県上高井郡小布施村(現:小布施町)生まれ。旧制須坂中学(現:長野県須坂高等学校)、大阪陸軍幼年学校を経て、終戦後の1948年に旧制松本高等学校文科に入学した後、1949年に学制改革で新制大学となった東京大学教養学部教養学科に一期生として入学。同大学院人文科学研究科教育行政修士課程を修了した後、1957年に北海道大学講師を拝命、1962年に同助教授。その後、当時国立教育研究所所長だった平塚益徳からの誘いにより同研究所に移り、1970年より同研究主任、1979年に同第二研究部長、1992年に同次長を務め、1995年に退官。
山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史… 山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。主専攻はドイツ中世史。一橋大学名誉教授。 1930年、長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校を経て、1954年一橋大学経済学部卒業、1959年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。大学では一橋新聞部に所属。 1960年一橋大学経済学部専任講師、1972年より同教授。1995年に定年退官し、その後共立女子大学国際文化学部教授として教鞭をとった。
北野 進(きたの すすむ、1930年-)は、日本の産業考古学… 北野 進(きたの すすむ、1930年-)は、日本の産業考古学者、技術史研究家、赤十字史研究家。専攻は産業考古学。 1930年、長野県に生まれる。 旧制・長野県立屋代中学(現・屋代高校)を経て、1951年、東京工業専門学校(現・千葉大学工学部)機械科卒業。1958年以来、長野県の高校に勤務、池田工業高校長を経て岩村田高校長を最後に1991年3月末退職。長年の研究と著述を継続、技術史研究家、赤十字史研究家。2018年、瑞宝小綬章を受章。 拾ヶ堰、和時計、ガラ紡機、電気製鋼、水力発電など、安曇野地域の近代化遺産について取材・調査を行い、江戸時代から明治、大正、昭和時代(敗戦まで)の技術文化への研究を通して、日本全体の技術史を研究している。
宮原 麗子(みやはら れいこ、1930年(昭和5年) - 2… 宮原 麗子(みやはら れいこ、1930年(昭和5年) - 2021年12月(令和3年)、旧姓高橋)は、日本の洋画家、女流画家協会委員、一水会委員である。神奈川県川崎市に居住した。 長野県岡谷市生まれ。。父は岸田劉生に師事し一水会会員、日展委嘱作家であった洋画家の高橋貞一郎、弟は女子美術大学名誉教授の洋画家高橋靖夫である。因みに麗子の名は、父が岸田劉生の娘麗子から名づけたと言われている。 1949年(昭和24年) 長野県岡谷東高等学校卒業。高校在学中に長野県美術展(県展)に入選するなど若いころから、その才能を発揮していた。その後女子美術大学洋画科入学。在学中から一水会展と女流画家協会展へ作品を出品しはじめ、本格的に絵の道を志すようになった。
井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002… 井口 健一郎(いぐち けんいちろう、1930年 - 2002年3月21日)は、日本の企業家。太陽神戸銀行元常務。ジェーシービー元専務。 長野県松本市生まれ。1948年(昭和23年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1953年(昭和28年)東京大学法学部卒業。 1953年(昭和28年)、太陽神戸銀行の前身である神戸銀行入行。太陽神戸銀行(現三井住友銀行)元常務。1986年(昭和61年)、ジェーシービー入社。専務取締役を務めた。1997年(平成9年)6月退任。 退任後は、2005年第8回日経アニュアルリポート・アウォード審査員などを務めた。
松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年… 松林 尚志(まつばやし しょうし、1930年 – 2022年10月16日)は、日本の詩人、俳人。 長野県松本市出身。松本県ヶ丘高校、慶應義塾大学経済学部卒業。現代俳句協会、現代詩人会の各会員。俳句雑誌「木魂」代表、「海原」同人。 1985年、第4回現代俳句評論賞受賞。1998年–2018年[要出典]、現代俳句協会現代俳句評論賞選考委員。
山田 尚勇(やまだ ひさお、1930年 - 2008年5月2… 山田 尚勇(やまだ ひさお、1930年 - 2008年5月21日)は、日本の情報処理学者、東京大学名誉教授。東京府出身、日本統治下の台湾育ち。米国ペンシルベニア大学電気工学部準教授、東京大学理学部教授、学術情報センター副所長(現・国立情報学研究所)などを務めた。キーボードの無連想式漢字直接入力(T-Code)の発案者として知られる。 1945年(昭和20年)8月、日本統治下の台湾の台北で敗戦を迎えた。昭和21年春、長野県東筑摩郡中山村(現松本市大字中山)に引揚げ、旧制松本二中4年に転入。昭和22年3月旧制松本二中21回・4年修了。4月旧制松本高校に入学。昭和25年4月旧制東京大学工学部電気科に入学。
松本 克己(松本 克巳、まつもと かつみ、1929年10月2… 松本 克己(松本 克巳、まつもと かつみ、1929年10月25日 - 2025年4月19日)は、日本の言語学者、金沢大学および静岡県立大学名誉教授。 長野県生まれ。1953年に東京大学文学部言語学科を卒業、1956年3月に東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、同年4月以降、金沢大学法文学部講師、助教授を経て教授。筑波大学大学院文芸・言語研究科教授、静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授などを歴任した。 西洋古典語、印欧比較言語学、言語類型論を専門分野とし、1991年4月から1993年3月まで12代日本言語学会会長を務める。 1970年代、上代特殊仮名遣について、フェルディナン・ド・ソシュールの「内的再構」を用いた手法で「上代語5母音説」を提起し、注目を浴びた。
小松 健男(こまつ たけお、1929年8月12日 - 202… 小松 健男(こまつ たけお、1929年8月12日 - 2022年1月28日)は、日本の経営者。ロイヤルホテル社長を務めた。長野県松本市出身。 1954年に東京大学教養学部教養学科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1978年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1984年4月に専務を経て、1988年6月から1993年11月までにロイヤルホテル社長を務めた。1998年5月から2002年4月までに関西棋院理事長を務めた。 2022年1月28日、死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三輪 公忠(みわ きみただ、1929年7月25日 - )は、… 三輪 公忠(みわ きみただ、1929年7月25日 - )は、日本の国際政治学者、上智大学名誉教授。専門は、国際関係史。
岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 201… 岩崎 卓也(いわさき たくや、1929年7月9日 - 2018年2月4日)は、日本の考古学者、筑波大学教授を歴任。 この間、早稲田大学客員教授(1991年~2000年)、国立歴史民俗博物館客員教授 (1992年~1995年)などを併任。文化財保護では、長野県文化財保護審議会委員、更埴市文化財審議会委員、森将軍塚古墳保存整備委員・発掘調査団長、流山市文化財保護審議会委員、史跡埼玉古墳群保存整備協議会委員などを歴任。
野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 20… 野口 元大(のぐち もとひろ、1929年5月26日 - 2016年12月2日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1992年)。上智大学名誉教授。 長野県小諸市生まれ。埼玉県児玉郡神泉村育ち。旧制松本第二中学校(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1953年東京大学文学部国文学科卒、1958年同大学院国文学専攻修了。 都立高校教諭を経て、1960年熊本大学法文学部助教授、1966年文部省教科書調査官、1974年茨城大学人文学部教授、1977年文部省主任教科書調査官、1982年上智大学文学部教授、1992年「夜の寝覚研究」で東大文学博士。この間、文部省にて主任教科書調査官を務める。
岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月2… 岩垂 寿喜男(いわたれ すきお、1929年(昭和4年)4月25日 - 2001年(平成13年)3月7日)は、日本の政治家。本名の読みは「いわだれすきお」。 衆議院議員(8期)、環境庁長官(第33代)。日本野鳥の会副会長。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)の農家に生まれる。1944年2月、自ら志願し海軍通信学校に入学。本来は2年制の学校であったが、戦況の悪化により促成カリキュラムが組まれ、同年12月に卒業した。海軍通信学校卒業後、鹿児島県の鹿屋基地で教員補を務める。1945年、第二次世界大戦敗戦により復員する。その後、長野県東筑摩農学校(現長野県塩尻志学館高等学校)に編入学し、中央大学専門部法学科に進学。
中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月1… 中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月18日 - 2020年〈令和2年〉5月19日)は、日本の政治学者、慶應義塾大学名誉教授・平成国際大学名誉学長。 長野県南安曇郡(現松本市梓川)生まれ。1949年長野県松本深志高等学校卒業、1953年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1955年同大学大学院修士課程修了。1960年慶大助教授、1966年「明治社会主義研究」で法学博士。1967年教授。1996年定年、名誉教授、平成国際大学教授・学長。2004年6月退職、名誉学長。 民主社会主義研究会議(現・政策研究フォーラム)の理事を務め民主社会主義の立場からの反共主義者である。
草間 彌生(くさま やよい、1929年〈昭和4年〉3月22日… 草間 彌生(くさま やよい、1929年〈昭和4年〉3月22日 - )は、日本の芸術家。長野県松本市出身。京都市立美術工芸学校(旧・京都市立銅駝美術工芸高等学校)絵画科卒業。 幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとった。 草間彌生のいくつかの作品は、水玉模様や網模様などの同一のモチーフの反復によって絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つである。「無限の鏡の間」(インフィニティ・ミラー・ルーム英語: Infinity Mirrored Room)(1965年制作)など合わせ鏡を用いて光やオブジェを無限に広がるように見せるインスタレーションや、男根状のソフト・スカルプチュアによるオブジェを日用品などに張り付ける立体作品も制作している。
柳沢 剛(やなぎさわ つよし、1929年2月21日 - 19… 柳沢 剛(やなぎさわ つよし、1929年2月21日 - 1989年7月4日)は、日本の作曲家。 長野県松本市出身。諏訪商業高等学校を経て、1951年日本大学芸術学部卒業、東京都の小学校教諭を務めた後、1958年日本大学講師、1982年上越教育大学助教授、のち教授。 貴島清彦に師事。1957年日本音楽コンクール作曲部門声楽曲一位。1971年からNHKの音楽を多く担当、「小犬のプルー」や「真田十勇士」で知られた。日本現代音楽協会会員。日本作曲家協議会会員。日本音楽著作権協会(JASRAC)会員。
西沢 利栄(にしざわ としえ、1929年2月16日 - 没年… 西沢 利栄(にしざわ としえ、1929年2月16日 - 没年不詳)は、日本の気候学・地理学者、筑波大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。東京教育大学卒、1961年同大学院理学研究科修士課程修了。1967年「日本における河川水の熱収支に関する研究」で理学博士。立教大学助教授、筑波大学教授、1992年定年退官、名誉教授、東京成徳大学教授、同附属図書館長。1993-99年PPG7国際諮問委員会委員。1993年、21世紀地球賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
武居 良明(たけい よしてる、1929年(昭和4年)1月29… 武居 良明(たけい よしてる、1929年(昭和4年)1月29日 - 2009年(平成21年)1月13日)は、日本の経済史学者。 中華民国関東州大連生まれ。長野県松本市育ち。父は武居郷一。1953年名古屋大学経済学部卒、1954年同助手、1960年信州大学人文学部講師、1965年「イギリス封建制の解体過程」で名大経済学博士。信州大学助教授、教授、経済学部教授、1975-1979年附属図書館長、静岡大学教授、1992年定年退官、名誉教授、常葉学園大学教授、1994年静岡産業大学教授。2008年春、瑞宝中綬章受勲。没後正四位。英国経済史。
井上 正(いのうえ ただし、1929年(昭和4年)1月12日… 井上 正(いのうえ ただし、1929年(昭和4年)1月12日-2014年(平成26年)6月14日)は、日本の美術史家。佛教大学教授、京都造形芸術大学教授を歴任。専門は日本彫刻史。 長野県飯田市出身。奈良時代の僧行基の巡錫伝承を持つ寺院の仏像を丹念に調査し、上代日本の彫刻史に根本的な見直しを迫る「霊木化現仏」の概念を提唱。それまで9世紀作とみなされてきた木彫仏の制作年代を、50 - 100年引き上げる学説を提示した。
関根 日出男(せきね ひでお、1929年 - 2017年1月… 関根 日出男(せきね ひでお、1929年 - 2017年1月18日)は、医師、チェコ語の翻訳家、チェコ音楽研究家。 長野県北安曇郡大町(現大町市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、大阪陸軍幼年学校を経て、旧制松本医学専門学校(信州大学医学部)卒。1959年北海道大学医学博士。東京都内に耳鼻科医院を開業、同院長。1959年からチェコ音楽を研究、1964年からチェコ語を研究し、翻訳する。
桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - … 桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - 2016年3月31日)は日本の教育者・教育評論家。学力偏差値を用いた進路指導を行ったことで知られる。 長野県下伊那郡鼎村(現:飯田市)生まれ。旧制中学校在学中に海軍予科練に志願し、敗戦で復員する。旧制上田蚕糸専門学校卒業後、14年間教員生活を送る。長野県や東京都の公立中学校の理科教員を務める(1950年4月~1963年3月)。 東京都港区立城南中学校に勤務していた1957年(昭和32年)、別の学校の先生から偏差値について聞き、進路指導のために学力偏差値を使用し始めた。 1963年にテスト業者の進学研究会に転職。1976年の自著には「私は偏差値の生みの親とされている」と記しており、1981年の自著のタイトルでは「ミスター偏差値(Mr.HENSACHI)」と名乗っている。
林 功三(はやし こうぞう、1928年12月6日 - 200… 林 功三(はやし こうぞう、1928年12月6日 - 2007年12月16日)は、日本のドイツ文学者。京都大学名誉教授。専門は、ドイツ文化、社会史、ナチス研究。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1954年京都大学文学部独文科卒業。同大学教養部助教授を経て、同大学教授。1992年定年退官、同大学名誉教授、京都産業大学教授。市民団体「『心の教育』はいらない!市民会議」代表。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。
赤羽 学(あかばね まなぶ、あかはね まなぶ、1928年11… 赤羽 学(あかばね まなぶ、あかはね まなぶ、1928年11月30日 - 2021年4月6日[要出典])は、日本の国文学者。岡山大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。1953年東北大学文学部国文科卒業、1957年同大学院修士課程修了。1972年「芭蕉俳諧の精神」で、文学博士(東北大学)の学位を取得。岡山大学法文学部助教授、文学部教授、1995年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授。1971年文部大臣賞受賞。。 日本文学における伝誦過程、芭蕉を通して見られる日本文芸の理念および現代に及ぼした影響を研究する。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 谷川健一が主宰した同人誌 青にエッセイを記載している。
林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、… 林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、日本のジャーナリスト、東海大学名誉教授。韓国現代史専攻。 長野県飯田市出身。名古屋大学経済学部卒。1953年サンケイ新聞入社。ソウル特派員、 政治部次長、編集委員。1977年東海大学文学部教授。94年定年退任、名誉教授。
小椋 克己(おぐら かつみ、1928年10月21日 - 20… 小椋 克己(おぐら かつみ、1928年10月21日 - 2005年5月29日)は日本の元アナウンサー。
加々美 豊(かがみ ゆたか、1928年(昭和3年)10月3日… 加々美 豊(かがみ ゆたか、1928年(昭和3年)10月3日 - )は、日本の画家で信州現代抽象画会代表。 長野県東筑摩郡中川手村(現安曇野市)出身。旧制松本中学校(現長野県松本深志高等学校)卒業、長野師範学校中退。教員を勤めた後、画家となる。水彩による風景画と、ビー玉をモチーフにした抽象画で知られる。教員時代より抽象画と風景画を発表し始め、国内だけではなく、海外においても数多くの賞を受賞した。キューバに絵画を寄贈した際に、大使より勲章を受けている。実弟の加々美益次は、東京大学山岳部所属中に、第2次南極地域観測隊に最年少の24歳で参加し、その後山下汽船(現商船三井)役員を経て、内航大型船輸送海運組合会長。
森泉 章(もりいずみ あきら、1928年9月24日 - 20… 森泉 章(もりいずみ あきら、1928年9月24日 - 2007年1月26日)は、日本の法学者。専門は民法・金融法・団体法・不動産法。学位は法学博士(東北大学・1966年)(学位論文『権利能力なき社団に関する研究』)。青山学院大学名誉教授。弁護士。中川善之助門下。 長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。長野県立上田中学校などを経て、1951年に東北大学法学部を卒業する。 1954年静岡大学法経短期大学部助教授、1957年福島大学経済学部教授を務め、1968年青山学院大学法学部教授として民法の講義を長年していた。1979年学部長。その後、駿河台大学法学部教授、関東学院大学法科大学院教授を歴任し、生涯現役で教育・研究に従事した。
唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20… 唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20日 - 1995年(平成7年)12月6日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 現在の伊那市出身。上伊那農林学校卒業。東春近村役場職員、伊那市助役から、平成6年(1994年)市長選挙に当選したが、翌年7月、肺がんにより信州大病院で手術を受ける。退院後、自宅で療養しながら公務をこなしていたが、風邪をこじらせて体調を崩し、市議会を欠席。小坂樫男助役を職務代理者に任命し療養に専念していた。12月6日肺がんにより死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
吉沢 典男(よしざわ のりお、1928年8月25日 - 19… 吉沢 典男(よしざわ のりお、1928年8月25日 - 1988年3月8日)は、日本の国語学者・音声学者。 長野県長野市出身。長野師範学校付属小学校、旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、國學院大學文学部国文科卒業、1953年同大学院修士課程中退、同年国立国語研究所に入所、東京医科歯科大学助教授を経て、1963年千葉大学文理学部助教授、1966年東京外国語大学助教授、同音声学研究所教授。 1962年「呼気消費量計による、発声・発音についての音声生理学的研究」で神戸医科大学医学博士。NHK放送用語委員会委員を務めた。
嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2… 嶋崎 昭典(しまざき あきのり、1928年8月20日 - 2025年8月5日)は、日本の農学者。長野県塩尻市出身。信州大学繊維学部 名誉教授、農学博士(1960年 東京大学)。 高度経済成長期、製糸業も自動繰糸機全盛期へと向かう中(1950~1960年代)、製糸工程の統計的管理法、定粒繰糸・定繊自動繰糸の基礎理論を確立。戦後日本の製糸業界発展に寄与すると共に、現在は世界的に普及した自動繰糸機の工程管理手法の礎を築いた。 信州大学教授就任後(製糸・管理工学)は、数多くの学生を指導、国際的にも門戸を拡げ世界各国の学生を受け入れた。 教授時代の中国蘇州丝绸工学院(現:蘇州大学)との交流は、後に岡谷蚕糸博物館名誉館長就任後に、岡谷市と蘇州絲博物館(英語版)との学術交流協定締結へと繋がった。
奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1… 奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1990年3月28日)は、日本の法学者、憲法学者、弁護士。 東京府で出生。長野県北安曇郡松川村出身。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。中央大学法学部卒、1958年早稲田大学大学院政治学研究科修了。神奈川大学講師・助教授、近畿大学教授。近畿大学比較法政治研究所長・法学部教授。法と秩序研究会理事長、日本学術会議会員。世界平和教授アカデミー会員。
川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 20… 川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 2015年5月22日)は日本の医師(外科医)。 長野県長野市出身。1952年に名古屋大学医学部卒業。1953年、暁子(さとこ)と結婚。夫婦として医師として一緒に歩み始める。 1962年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)入会。理事を務めた。 アメリカ合衆国のオールバニ医科大学(en)留学を経て一般外科、胸部外科にたずさわる。 1976年ネパール王国での短期医療協力の経験を生かし、1980年アジア保健研修所を設立。1981年愛知国際病院を開設し院長に就任。 1992年老人保健施設 愛泉館発足。1999年よりホスピス病棟を開設。 1959年 医学博士(名古屋大学)。
高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - … 高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - 没年不詳)は、日本の元スピードスケート選手である。 長野県下諏訪町出身。明治大学在学中の1952年にオスロオリンピックへ出場し、500mで6位入賞、これは1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック500mで4位となった石原省三以来2人目の入賞である。また、1500mで34位となった。4年後のコルティナダンペッツォオリンピックでは500mで30位に終わった。インスブルックオリンピックではスケートチームのコーチを務めた。 1953年(昭和28年)増沢工業に入社し、1956年(昭和31年)高林スケート工業専務に就任、1960年(昭和35年)明治精機製作所を創業し代表者となった。
大沼 淳(おおぬま すなお、1928年〈昭和3年〉4月11日… 大沼 淳(おおぬま すなお、1928年〈昭和3年〉4月11日 - 2020年〈令和2年〉11月21日)は、学校法人文化学園の元理事長。日本私立大学協会会長。海軍兵学校76期修了生、元人事院官僚。 宗徳恵と正恵の着用していた韓服や化粧台・裁縫箱などの愛用品が文化学園服飾博物館に李親王からの寄贈を初代学長が受けて収蔵・展示していたが、2015年6月に日韓の文化的友好協力の増進を希望する大沼により徳恵の韓服のうち7点が長年の親交を持つ韓国人と協力して韓国文化財庁に寄贈された。
三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27… 三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27日 - )は、日本の政治家、厚生官僚。元長野県佐久市長。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)生まれ。旧制長野県野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)を経て、東京慈恵会医科大学卒業。昭和27年(1952年)医学博士。同28年(1953年)同大学公衆衛生学教室に入り、同29年(1954年)旧厚生省入省。同38年(1963年)富山県厚生部環境課長、同44年(1969年)山形県衛生部長、同47年(1972年)厚生省環境衛生局食品衛生課長、同50年(1975年)保険局医療課長、同53年(1978年)統計情報部長、同54年(1979年)旧環境庁大気保全局長、同56年(1981年)厚生省公衆衛生局長、同58年(1983年)公害等調整委員会委員を歴任した。
山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25… 山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25日 - 2013年(平成25年)9月19日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・1969年)(学位論文「宇宙通信の国際法-国際企業の法形態として-」)。東北大学名誉教授。国際海洋法裁判所裁判官。長野県上田市出身。長男は外交官の山本条太。
小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2… 小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2019年2月5日)は、日本の医師、内科医、昆虫研究者。勲等は旭日双光章、従六位。紺綬褒章受章者。長野県小県郡青木村名誉村民。青木村の青木診療所で長年所長を務め地域医療に貢献し、ハチ刺し症によるアナフィラキシーの治療や事例報告で多くの功績を残した。昆虫研究でも、青木村に信州昆虫資料館を開館させ館長を務め、長野県産昆虫の収集、情報発信などに貢献した。 長野県東筑摩郡坂井村(現筑北村)に生まれる。長野県松本中学校(現長野県松本深志高等学校)に進学。1年生の時にジャン・アンリ・ファーブルの「昆虫記」を読み、昆虫への憧れを深める。太平洋戦争下の軍事教練でキャンプを張った聖高原でもこっそりチョウの採集をするほどであった。
大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 202… 大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 2021年6月20日)は、日本の編集者、出版事業家、古代史研究家。大和書房(だいわしょぼう)および青春出版社の創業者。 長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)にて、江戸時代から続く呉服商の家庭に生まれる。生家が没落したため、高等小学校卒業後、名古屋市の三菱重工業に旋盤工として就職する予定であったが、1942年、官費で学べる長野師範学校(信州大学教育学部)に入学し、1948年に卒業すると長野県下伊那郡大鹿村立鹿塩中学校に赴任、国語と音楽を教えていた。1948年12月に退職し、長野市に移住。ここで山本茂実主宰の人生誌「葦」に参加。第4号以降、同誌の編集長となる。
鮎沢 啓夫(あいざわ けいお、1928年2月13日 - 20… 鮎沢 啓夫(あいざわ けいお、1928年2月13日 - 2011年1月10日)は、日本の農学者。農林官僚。専門は、昆虫病理学。 長野県諏訪郡川岸村(現・岡谷市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、旧制松本高校を経て、東京大学農学部を卒業。1950年に農林省に入省し、蚕糸試験場(杉並区)に勤務、1964年から九州大学農学部教授を務めた。定年退官後、同大学名誉教授。
茅野 春雄(ちの はるお、1928年 - 2010年)は、日… 茅野 春雄(ちの はるお、1928年 - 2010年)は、日本の昆虫学者だった人物。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1951年東京大学理学部動物学科卒業。農林省(現・農林水産省)農業技術研究所技官。1953年東京都立大学理学部助手。1960年東京大学理学部講師。1964年同大学教養学部助教授。1973年北海道大学低温科学研究所教授。1991年退官後、同大学名誉教授。1993年北海学園大学教養部教授。1997年同退職。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実… 大池 文雄(おおいけ ふみお、1928年 - )は、日本の実業家、マルクス主義者。 長野県小諸市生まれ。1947年旧制水戸高等学校文科甲類入学、梅本克己に師事。同校中退後、日本共産党水戸市委員長、同国際派全国委員会委員、同国際派・所感派統一後茨城県常任委員。1956年のハンガリー事件をめぐり中央と対立、58年同党除名。一方で、新茨城タイムス社、出版社論争社、日本ソノサービスセンター、太陽グリーンランド、裾野カンツリー倶楽部等を設立する。2005年事業から引退。同人誌『丁卯』主宰。
小松 源助(こまつ げんすけ、1927年12月3日 - 20… 小松 源助(こまつ げんすけ、1927年12月3日 - 2006年9月24日)は、日本の社会福祉学者。 長野県北佐久郡(現・佐久市)生まれ。1950年日本社会事業専門学校研究科修了、1952年国立精神衛生研究所勤務、1953年熊本短期大学講師、助教授、1959年大阪府精神衛生相談所勤務、1963年日本社会事業大学助教授、教授、福祉学部長、1994年定年退任、名誉教授、東北福祉大学教授、大正大学人間学部教授、2004年聖隷クリストファー大学教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - … 上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - )は、日本の教育学者。筆名・伊那竜平。 長野県下伊那郡市田村(現高森町)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、名古屋大学教育学部卒、1956年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、1965年「信州教育史の研究 地方教育史研究序説」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。名大助手、沖縄国際大学助教授、信州大学助教授、東京女子体育大学講師、実践女子大学助教授、奈良教育大学教授、1990年高千穂商科大学教授。1998年定年退任。上沼真平の叔父にあたる。
宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月… 宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月10日 - 2013年〈平成25年〉10月7日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。 厚生大臣(第81代)、環境庁長官(第31代)、防衛庁長官(第51代)、衆議院議員(8期)を歴任した。 長男は第68代農林水産大臣の宮下一郎。 長野県上伊那郡伊那里村(現伊那市長谷市野瀬)の農家に生まれる。旧制伊那中学(現伊那北高等学校)から陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に進むが、第二次世界大戦敗戦により旧制松本高等学校に入学。1953年に東京大学法学部(東洋政治思想史:丸山ゼミ)を卒業し、大蔵省に入省する。入省同期に、吉野良彦(元大蔵次官、主計局長)、津島雄二、水野繁(元国税庁長官)、大場智満(元財務官)、宮本保孝(元理財局長、銀行局長)らがいる。
宮下 武四郎(みやした たけしろう、1927年(昭和2年)1… 宮下 武四郎(みやした たけしろう、1927年(昭和2年)10月29日 - 2017年(平成29年)9月4日)は日本の実業家、初代日本製紙社長・会長。長野県出身。
樋口 隆昌(ひぐち たかよし、1927年10月29日 - 2… 樋口 隆昌(ひぐち たかよし、1927年10月29日 - 2017年2月23日)は、日本の生化学者。京都大学名誉教授。農学博士。専門は木材化学。米国科学アカデミー海外会員。 木質成分であるリグニンの生合成、生分解の機構解明に貢献し、カナダ国立平原研究所 (NRC) 客員研究員、フランスグルノーブル大学理学部客員教授、国際木材科学アカデミー会長等を歴任するなど国際的にも活躍した。