中山 孝雄(なかやま たかお、1960年3月15日 - )は… 中山 孝雄(なかやま たかお、1960年3月15日 - )は、日本の裁判官、法務官僚、弁護士。法務省大臣官房審議官、長野地方裁判所所長、東京高等裁判所部総括判事、司法研修所長等を経て広島高等裁判所長官。定年退官後、アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問。 長野県上水内郡信濃町出身。1978年長野県長野高等学校卒業。1982年中央大学法学部法律学科卒業。1984年旧司法試験合格。司法修習39期を経て、1987年裁判官任官。大阪地方裁判所判事補、長野地方裁判所判事補、富山地方裁判所判事補、名古屋地方裁判所判事補、法務省名古屋法務局訟務部付(検事)、東京地方裁判所判事、新潟地方裁判所新発田支部長等を経て、2008年法務省大臣官房民事訟務課長(検事)。
半田 靖史(はんだ やすし、1956年10月29日 - )は… 半田 靖史(はんだ やすし、1956年10月29日 - )は、日本の裁判官・弁護士。学習院大学法務研究科法務専攻教授。高松高等裁判所部総括判事、高知地方裁判所所長、福岡高等裁判所部総括判事を経て、弁護士登録。早稲田リガールコモンズ法律事務所に所属。長野県出身。長野県長野高等学校を経て、東京大学卒業。
北村 晴男(きたむら はるお、1956年〈昭和31年〉3月1… 北村 晴男(きたむら はるお、1956年〈昭和31年〉3月10日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本保守党所属の参議院議員(1期)。同党国会対策委員長兼法律顧問。化粧品や健康食品を販売するネットワークビジネス会社クオリア顧問弁護士。所属は北村・加藤・佐野法律事務所。 長野県更埴市(現:千曲市)出身。 1971年(昭和46年)4月、長野県長野高等学校に入学。高校生時代、恵庭事件第1審判決の報道をきっかけに弁護士を目指す。高校では硬式野球部に所属し、セカンドを守っていた。 1974年(昭和49年)3月、長野高校を卒業。大学受験浪人生活を送り、1浪して1975年(昭和50年)4月、早稲田大学法学部へ入学する。
熊谷 信太郎(くまがい しんたろう、1956年 - )は、日… 熊谷 信太郎(くまがい しんたろう、1956年 - )は、日本の弁護士。熊谷綜合法律事務所所長である。 長野県出身。長野県松本深志高等学校を経て、早稲田大学法学部を卒業。早稲田大学大学院法学研究科に進み民法を専攻する(指導教授は鎌田薫教授(元総長)。鎌田研究室第一期生)。大学院在学中に司法試験に合格した。東京弁護士会所属。 資格試験予備校「早稲田セミナー」司法試験対策講座の公式テキストである、「デバイス」シリーズの編集に初版から関わった。 法務省「養育費検討会」議長、法務省「養育費立替払有識者会議」委員、消費者庁「外食等におけるアレルゲン情報の提供の在り方検討会」委員、総務省ゴルフ利用税検討委員会座長、元総務省人事恩給局嘱託。
木下 秀樹(きのした ひでき、1952年5月19日 - )は… 木下 秀樹(きのした ひでき、1952年5月19日 - )は、日本の裁判官、弁護士。仙台高等裁判所部総括判事や、名古屋高等裁判所部総括判事を経て、福井地方裁判所所長を務めた。 長野県飯田市出身。1971年長野県飯田高等学校卒業。1975年中央大学法学部法律学科卒業。1978年新潟地方裁判所判事補。1981年大阪地方裁判所判事補。1984年前橋地方裁判所高崎支部判事補。1987年東京地方裁判所判事補。1988年東京地方裁判所判事。1990年秋田地方裁判所判事。1992年仙台高等裁判所秋田支部長。1993年横浜地方裁判所判事。1996年浦和地方裁判所越谷支部判事。2000年東京高等裁判所判事。2003年水戸地方裁判所下妻支部長。
二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )… 二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )は、ブラジルの法学者、弁護士、翻訳家。サンパウロ大学法学部博士教授。専門は、比較法、国際法、日伯外交史、移民史。長野県上田市出身。 ブラジル連邦共和国の弁護士(ブラジル弁護士会サンパウロ支部登録26565号)として、日本企業の法務に携わるほか、ブラジルと日本の両国の大学で教鞭をとる。留学先の東京大学大学院法学政治学研究科においては、高野雄一、池原季雄および星野英一にそれぞれ指導を受ける。 日系人の移民の歴史にも造詣が深く、また、日本の公人がブラジルを訪問した際、逆にブラジルの公人が日本を訪問した際の通訳を務める。 CIATE 国外就労者情報援護センター理事長、一般財団法人あしなが育英会賢人達人会メンバー、日本学術振興会(JSPS)顧問(サンパウロ海外アドバイザー)、国際協力機構(JICA)顧問を務める。
山浦 善樹(やまうら よしき、1946年7月4日 - )は、… 山浦 善樹(やまうら よしき、1946年7月4日 - )は、日本の弁護士、元最高裁判所判事。筑波大学大学院教授、中央大学大学院客員教授、日本民事訴訟法学会理事等を歴任。旭日大綬章受章。 長野県の寒村で生まれる。実家は、父が出稼ぎ労働者、母が女工で、困窮しており、自身も鉄くず拾いや、人形づくりの内職に従事し、中学卒業後信用金庫への就職を考えていたが、教諭の勧めで奨学金を得て長野県上田高等学校に進学。内気で非社交的な性格を直すため高校では、新聞班班長や生徒会長を務めた。妻は無医村解消を志し神戸市から戦後まもなく長野に赴任してきた医師の子で、高校の同期生。 1969年に一橋大学法学部を卒業。大学時代はアルバイトのため勉学ができず、可や不可が並ぶ成績表の優の数はわずか7個だった。
岩崎 忠夫(いわさき ただお、1942年12月8日 - )は… 岩崎 忠夫(いわさき ただお、1942年12月8日 - )は、日本の政治家、弁護士(司法修習未修了ながら司法試験合格者として国会議員在職5年以上で100時間の研修経て弁護士資格取得[要出典])。衆議院議員(2期)を務めた。長野県佐久市出身[要出典]。 長野県佐久市に生まれ。岩村田小学校、岩村田中学校、上田高等学校を経る[要出典]。 2003年の衆議院選挙において、運動員が選挙運動に絡んで現金を渡して票の取りまとめを依頼したとして、公職選挙法違反の疑いで岩崎後援会丸子支部会長および運動員ら6人が逮捕された。
那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、… 那須 弘平(なす こうへい、1942年2月11日 - )は、日本の弁護士、元最高裁判所判事(2006年5月25日 - 2012年2月10日)。あさひ法律事務所顧問。 また、伊那市ふるさと大使も務める。
才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 -… 才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 - 2024年4月17日)は、弁護士、元最高裁判所判事(2004年1月6日 - 2008年9月2日)。長野県上水内郡豊野町(現長野市)出身。 破産法の専門家で、ダイエー再建時の2003年頃、企業再生ファンド アドバイザーを務めた。2001年から2003年にかけて、ラジオ番組「テレフォン人生相談」(ニッポン放送)に回答者として出演していた。現在はTMI総合法律事務所に所属。
永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 201… 永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 2016年3月28日)は、日本の弁護士。松本サリン事件において、事件の第一通報者で、一時は事実上の容疑をかけられる状態にあった河野義行を、弁護士として支援したことで知られる。 長野県東筑摩郡山形村出身。 東京大学法学部卒業。当初は官僚を目指していたが、60年安保闘争の中で、向坂逸郎の指導下で政治運動に関わり、公安条例違反での逮捕も経験した。30歳を過ぎてから弁護士を志し、1972年に弁護士登録して、松本市で弁護士事務所を開業し、1991年から1992年にかけては長野県弁護士会の会長も務めた。 松本サリン事件の際には、警察が、被疑者不詳のまま河野宅を家宅捜索し、さらに河野に長時間の事情聴取を行なったこと、また、マスコミが河野を犯人同然に扱う報道を展開したことを厳しく批判し、河野の人権擁護と、後の名誉回復に尽力した。
石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、… 石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、日本の弁護士。日弁連刑事法制委員会委員長、法務省法制審議会刑事法部会委員、自由法曹団団長などを歴任した。 長野県松本市に生まれる。松本第二中学(現:長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1954年に東京大学法学部を卒業。学生時代にはメーデー事件で逮捕されたことがある。 1957年大阪弁護士会に弁護士登録。以降は証拠開示をはじめとする多くの新判例を引き出し、戦後の刑事訴訟法を憲法に基づいて実質化していく実践的な活動に尽力していく。 刑事弁護人の在り方について教えを受けた人物として毛利与一を挙げている。
奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1… 奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1990年3月28日)は、日本の法学者、憲法学者、弁護士。 東京府で出生。長野県北安曇郡松川村出身。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。中央大学法学部卒、1958年早稲田大学大学院政治学研究科修了。神奈川大学講師・助教授、近畿大学教授。近畿大学比較法政治研究所長・法学部教授。法と秩序研究会理事長、日本学術会議会員。世界平和教授アカデミー会員。
樋口 和博(ひぐち かずひろ、1909年12月1日 - 20… 樋口 和博(ひぐち かずひろ、1909年12月1日 - 2009年2月7日)は、日本の裁判官、弁護士。 長野県上伊那郡川島村(現辰野町)生まれ。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校文科甲類、京都帝国大学法学部卒業。昭和11年司法官試補、以後、大阪、青森、高松、長野、東京の各地裁で約38年間裁判官生活を送る。昭和49年定年退官。昭和50年1月、弁護士登録(東京弁護士会)。
青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1… 青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1993年1月22日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党中央委員会顧問、日本民主法律家協会理事、日本国際法律家協会顧問などを歴任した。 長野県東筑摩郡坂北村(現・筑北村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類、東京帝国大学法学部を経て、1931年弁護士登録すると共に布施辰治法律事務所入所。自由法曹団員として三・一五事件や四・一六事件など、治安維持法違反事件を弁護するも、1933年には布施と共に検挙され執行猶予判決を受ける。また、この件により同年弁護士資格が剥奪されたのみならず、終戦まで活動停止を余儀なくされる。
小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9… 小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9日 ‐ 1959年〈昭和34年〉2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士、政治家。愛知大学第3代学長。 長野県東筑摩郡島立村(現在の松本市)に小岩井宗十の長男として生まれる。父・宗十は松本での分県移庁運動で検挙(のちに無罪)された経験のある社会運動家で、1902年に妻子を残して単身渡米し、カリフォルニアで農園経営者として成功したとも、消息を絶ったとも伝えられる。 1911年、旧制長野県立松本中学校(現在の長野県松本深志高等学校)に入学。1915年、同校を本荘太一郎校長との衝突を理由に中退。その後旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)に入学する[要出典]。
近藤 壌太郎(こんどう じょうたろう、1894年11月13日… 近藤 壌太郎(こんどう じょうたろう、1894年11月13日 - 1977年8月15日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 長野県埴科郡屋代町(現:千曲市屋代)において、農業・旅館業、近藤万五郎・たか夫妻の長男として生まれる。4歳で母と死別。県立長野中学校、第二高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1919年(大正8年)10月、高等試験行政科試験に合格。1920年(大正9年)8月、内務省に入り鳥取県属となり内務部に配属。以後、鳥取県警視・警察部勤務、奈良県警察部保安課長、青森県警察部保安課長、北海道庁土木部土地改良課長を歴任。北海道庁在任中の1927年(昭和2年)6月、文官分限令第11条第1項第4号により休職を命ぜられ帰郷した(逸話を参照)。
上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1… 上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1977年2月6日)は日本の政治家、弁護士。浅草区議(1期)、東京市議(2期)、東京都議(5期)、第13代都議会議長、第6−8代台東区長を歴任した。 長野県生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本大学法律学科卒業。東京市で弁護士を開業。 1934年から浅草区会議員を1期4年務めた。1937年3月16日から1943年6月30日まで東京市会議員を2期務めた。1943年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の浅草区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、消防委員会委員長(1948年から1949年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1953年から1954年)を歴任した。
花村 四郎(はなむら しろう、1891年(明治24年)8月3… 花村 四郎(はなむら しろう、1891年(明治24年)8月30日 - 1963年(昭和38年)7月1日)は日本の弁護士、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(8期)。法務大臣(第6代・第7代)を歴任。 長野県東筑摩郡上川手村(現在の安曇野市豊科光)に生まれる。村長を務めた父が早世し、苦学する。旧制松本商業学校(現在の松商学園高等学校)を経て、1917年(大正6年)日本大学法律科を卒業する。卒業後2年間大学に残り、法律を学び、1919年(大正8年)弁護士試験に合格し、弁護士を開業した。 1927年(昭和2年)東京弁護士会副会長に就任する。1932年(昭和7年)鳩山の勧めもあり東京市会議員選挙に立候補し当選する。
塚原 嘉藤(つかはら よしふじ、1881年(明治14年)10… 塚原 嘉藤(つかはら よしふじ、1881年(明治14年)10月22日 – 1930年(昭和5年)11月13日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 長野県東筑摩郡日向村(現在の麻績村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第二高等学校を経て、東京帝国大学法科大学でドイツ法を学び、1909年(明治42年)に卒業した。卒業後は弁護士・弁理士事務所を開業し、株式会社小穴製作所・日本無線電信電話株式会社などの法律顧問を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。1923年(大正12年)、関東大震災の際に保険金問題について活躍し有名になった。 その他、社団法人日本アルプス理事・社団法人清涼飲料研究所理事などを務めた。
小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日〈1… 小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日〈1869年11月6日〉 - 1945年〈昭和20年〉9月22日)は、明治後期から大正初期にかけての日本の内務官僚・官選県知事、昭和戦前期にかけての弁護士・政治家・実業家である。 現在の長野県須坂市の出身で、政界では衆議院議員(当選2回)、実業界では信濃電気の副社長や長野商工会議所会頭を務めた。 小田切磐太郎は、明治2年10月3日(新暦:1869年11月6日)、小田切豊太郎の長男として生まれた。父・豊太郎は長野県上高井郡須坂町、現在の須坂市の豪商小田切家(屋号は「東糀屋」)の一族で、3代目小田切新蔵の弟にあたる。1875年(明治8年)より須坂の地場産業である製糸業(山ヨ製糸所)を経営していた。
森山 儀文治(もりやま ぎぶんじ、1862年4月15日(文久… 森山 儀文治(もりやま ぎぶんじ、1862年4月15日(文久2年3月17日) - 1945年(昭和20年)2月9日)は、日本の政治家、弁護士、衆議院議員(1期)。 文久2年(1862年)、信濃国筑摩郡郷原宿(現在の長野県塩尻市広丘郷原)にて赤羽弥一(あかはねやいち)の三男として出生。生家の赤羽家は郷原宿の問屋場で、郵便制度発足後問屋業を継承して郵便物取扱所その後五等郵便局、三等郵便局となり現在は郷原簡易郵便局となっている。現在も問屋の屋号で呼ばれている。明治期のジャーナリスト、社会主義思想家の赤羽一(巌穴)は、問屋(上問屋)の赤羽家とともに郷原宿で交代で問屋をつとめた下問屋の出身で、儀文治の14歳年下の甥にあたる。