服部 敏和(はっとり としかず、1948年2月13日 - )… 服部 敏和(はっとり としかず、1948年2月13日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ユーティリティプレイヤーとして知られ、捕手以外の内外野全般をこなした。
静岡県:220人
服部 敏和(はっとり としかず、1948年2月13日 - )… 服部 敏和(はっとり としかず、1948年2月13日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ユーティリティプレイヤーとして知られ、捕手以外の内外野全般をこなした。
皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 20… 皆川 康夫(みながわ やすお、1947年11月3日 - 2022年12月19日)は、静岡県浜松市出身のプロ野球選手(投手)。 父は元プロ野球選手の皆川定之。 浜松日体高卒業後は1966年に中央大学へ進学したが、1勝も出来ず、1年下のエース・杉田久雄の影に隠れていた。大学同期に萩原康弘、長井繁夫、末永正昭がいる。 大学卒業後の1970年に富士重工業へ入社し、素質が開花。同年は産別対抗で活躍すると、都市対抗には日立製作所の補強選手として出場し、東海理化との1回戦でリリーフ登板。中央球界では全くの無名であったが、ドラフト5位で東映フライヤーズへ入団し、富士重工出身初のプロ野球選手となる。 1971年には、4月11日、開幕3戦目の西鉄戦(平和台)で初登板初勝利を飾る。
内田 順三(うちだ じゅんぞう、1947年9月10日 - )… 内田 順三(うちだ じゅんぞう、1947年9月10日 - )は、元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。静岡県三島市生まれ、清水市(現静岡市清水区)出身。
佐藤 竹秀(さとう たけひで、1947年6月13日 - 20… 佐藤 竹秀(さとう たけひで、1947年6月13日 - 2001年3月13日)は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
小田 義人(おだ よしと、1947年5月22日 - )は、静… 小田 義人(おだ よしと、1947年5月22日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
後藤 和昭(ごとう かずあき、1944年5月28日 - )は… 後藤 和昭(ごとう かずあき、1944年5月28日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手(内野手)。
佐野 真樹夫(さの まきお、1943年12月20日 - )は… 佐野 真樹夫(さの まきお、1943年12月20日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。
望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は… 望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
船田 和英(ふなだ かずひで、1942年5月5日 - 199… 船田 和英(ふなだ かずひで、1942年5月5日 - 1992年5月28日)は、プロ野球選手。ポジションは内野手。ニックネームは「ライフルマン」(同名のアメリカのテレビドラマにちなむ。主人公ルーカス・マッケイン役のチャック・コナーズに顔が似ていた)。静岡県出身。
渡辺 秀武(わたなべ ひでたけ、1941年〈昭和16年〉9月… 渡辺 秀武(わたなべ ひでたけ、1941年〈昭和16年〉9月16日 - 2007年〈平成19年〉8月25日)は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(投手)、スカウト。 愛称は「メリーちゃん」。 富士高校卒業後の1960年に本州製紙へ入社するが、後に日本軽金属へ移籍。1963年の都市対抗では河合楽器に補強され出場し、電電四国との1回戦で好リリーフを見せ、勝利投手となるなど活躍。チームの準決勝進出に貢献するが、積水化学に敗退した。この時のチームメイトに一枝修平がいる。 大会終了後の8月23日に読売ジャイアンツへ入団し、二軍では3年目の1965年に防御率1.83でイースタン・リーグ最優秀防御率に輝いたが、最初の3年間は僅か3勝と低迷。
朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 201… 朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 2010年5月2日)は、静岡県裾野市出身の元プロ野球選手(内野手)。一時期、登録名を朝樹 一義世とした。
瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003… 瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003年11月19日)は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(二塁手)。実兄に阪神の捕手であった瀧英男がいる。
安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県… 安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 沼津東高等学校では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、静岡高に延長14回逆転サヨナラ負け。1959年に社会人野球の大昭和製紙に入社、10年間遊撃手として活躍した。1961年の都市対抗では準決勝に進むが、新三菱重工に敗退。1968年には全日本代表のメンバーにも選ばれた。 1969年から大昭和製紙北海道の監督を務め、1974年の都市対抗野球で北海道のチームで初の優勝を果たし、同年には社会人ベストナインの特別表彰を受けている。 1980年から古巣の大昭和製紙の監督を務め、1980年の都市対抗でチームを優勝に導いた。
鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007… 鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007年6月14日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)・コーチ、評論家。 清水東高校では1年次の1956年秋から捕手として活躍し、2年次の1957年には春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年には1年上のチームメイトに4番・遊撃手の漆畑勝久を擁して夏の甲子園に出場するが、2回戦(初戦)で法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封負けを喫す。 同年の秋季中部大会では同期の山田茂利(明大-日本鋼管)とバッテリーを組み決勝に進出し、中京商のエース伊藤竜彦に完封を喫するが、3年次の1958年の選抜へ出場を決めた。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
後藤 晃吾(ごとう こうご、1940年 - 2023年12月… 後藤 晃吾(ごとう こうご、1940年 - 2023年12月24日)は、静岡県島田市出身のアマチュア野球選手(投手)。 榛原郡金谷町(現島田市)出身で、金谷中学時は県下に知られた投手。掛川西高では2年生の時、エースとして1957年夏の甲子園予選山静大会決勝に進み清水東高と対戦。後に大学の1年先輩となる漆畑勝久や早大に進む鈴木悳夫らに打ち崩され大敗、甲子園出場を逸する。 明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは、同期の八木孝と投の二本柱を組み1961年春季リーグで優勝、ベストナイン(投手)にも選出される。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。リーグ通算43試合13勝10敗、防御率1.87、96奪三振。
漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 -… 漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 清水東高校では1957年春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年の夏の甲子園に四番打者、遊撃手として出場。2回戦(初戦)で、この大会に準優勝する法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封を喫する。1年後輩のチームメートに捕手の鈴木悳夫がいた。 1958年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは後藤晃吾、八木孝両投手を擁し、1961年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。
小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静… 小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。内野手。
斎藤 達雄(さいとう たつお、1938年6月20日- )は、… 斎藤 達雄(さいとう たつお、1938年6月20日- )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手・右投右打)である。 登録名は、1963年のみ「斎藤 達男」。 静清工業高校を卒業後、パーフェクト リバティー教団(PL教団)の硬式野球部を経て、1960年に広島カープへ入団。 カープでは主に二塁と三塁を守ったが、同郷・同世代の興津立雄らの影に隠れ、出場機会にはあまり恵まれなかった。 1962年オフに大毎オリオンズへ移籍。翌1963年に自己シーズン最多となる53試合に出場し、プロ初本塁打も記録するも、在籍わずか1年ほどで引退した。
赤池 彰敏(あかいけ あきとし、1938年5月1日 - )は… 赤池 彰敏(あかいけ あきとし、1938年5月1日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
種茂 雅之(たねも まさゆき、1938年2月13日 - )は… 種茂 雅之(たねも まさゆき、1938年2月13日 - )は、静岡県磐田市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。
大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、… 大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は… 松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 200… 青木 宥明(あおき ひろあき、1937年4月18日- 2001年11月8日)は、静岡県出身のプロ野球選手。
安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は… 安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は、静岡県伊豆の国市出身の元プロ野球選手(投手)。
瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡… 瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(捕手)。
興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、… 興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(三塁手)。旧名は「達雄」。
池田 啓一(いけだ けいいち、1936年3月3日 - )は、… 池田 啓一(いけだ けいいち、1936年3月3日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。 榛原高校から1954年に毎日オリオンズへ投手として入団。1956年から内野手に転向、同年は主に二塁手として19試合に先発出場。しかし1957年には出場機会が減少し、同年限りで引退。
阿井 利治(あい としはる、1935年6月6日 - )は、静… 阿井 利治(あい としはる、1935年6月6日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
長尾 旬(ながお ひとし、1935年2月5日 - 2013年… 長尾 旬(ながお ひとし、1935年2月5日 - 2013年1月17日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 池新田高から社会人野球の東洋レーヨンを経て、1953年に大阪タイガースにテスト生として入団。 1954年に一軍初登板初先発するもその後は登板がなく、1956年に近鉄パールスに移り、1957年には12試合に登板するものの同年オフに現役を引退した。武器はスライダー。 2013年1月17日、77歳で死去した。
岡本 教平(おかもと きょうへい、1934年11月21日 -… 岡本 教平(おかもと きょうへい、1934年11月21日 - 没年不明)は、静岡県掛川市出身のプロ野球選手。
大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静… 大木 護(おおき まもる、1934年9月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 富士高校から1954年に高橋ユニオンズへ入団。 1957年に球団吸収合併のため大映ユニオンズへ移籍し、同年引退。 長打力に期待されながら公式戦では1本も本塁打を打てなかったが、ユニオンズが解散する直前の東映フライヤーズとのオープン戦では本塁打を打っている。と同時にこれが非公式ではあるが「ユニオンズ最後の本塁打」であった。
田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静… 田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 静岡県立富士高等学校から明治大学に進学するが、人間関係が原因で大学を中退。1954年に先輩の勧めで、新球団・高橋ユニオンズの春季キャンプにテスト生として参加し、実力を認められて高橋に入団した。 プロ2試合目の登板となった6月12日の対西鉄ライオンズ戦で8回表にプロ野球記録のイニング7与四球を記録した。この試合を最後に登板機会がないままシーズンを終了。シーズンオフに、球団から来期の契約を結ばない旨の通告を受けるが、投手コーチ・若林忠志の配慮により、2月にテストをするので、春季キャンプには参加するようにとの連絡を受ける。
長坂 衛(ながさか まもる、1934年8月8日 - )は、静… 長坂 衛(ながさか まもる、1934年8月8日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 1954年に西鉄ライオンズに入団。2年目の1955年に公式戦の開幕投手を務め、8月3日の近鉄戦でプロ初勝利を挙げた。1957年限りで現役を引退した。
田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 -… 田所 善治郎(たどころ ぜんじろう、1934年7月17日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - 2019年… 後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - 2019年9月10日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)・ゴルフコーチ。 現役時代は日本プロ野球史上最多の8球団を渡り歩いたジャーニーマンで、移動型民族になぞらえて「ジプシー後藤」「ジプシーの修」と呼ばれた。 磐田南高校時代は全く無名の存在であったが、アマチュア時代からトレーニング方法について手紙でやりとりをしていた新田恭一が松竹ロビンス監督に就任した関係で、1952年に松竹へ入団。 前述のとおり、松竹(1952年)を皮切りに、大洋松竹ロビンス(1953年 - 1954年)→東映フライヤーズ(1955年)→大映スターズ(1956年)→読売ジャイアンツ(1957年 - 1958年)→近鉄バファロー(1959年 - 1960年)→南海ホークス(1961年 - 1962年)→西鉄ライオンズ(1963年)と8球団に所属。
伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )… 伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )は、静岡県浜名郡北浜村貴布祢(現:浜松市浜名区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 中学時代に野球を始めるが、肩が強く左投げだったため投手となる。興誠商業高校では2年生からエースとなり、3年次の1951年の夏の甲子園の静岡県予選の前には新聞に「ダークホース」と書かれたが、1回戦で静岡市立高校に0-1で敗れた。 1952年に中央大学へ進学すると、1年の春季から東都大学リーグで登板。2年次の1953年春季のリーグでは5勝を挙げて中央大学の全勝優勝に貢献する。同年の大学選手権でも勝ち上がるが、決勝で立大に敗れ準優勝となった。しかし、同年の夏場に背中の筋肉を痛める。
岩井 活水(いわい かつみ、1932年8月17日 - 没年不… 岩井 活水(いわい かつみ、1932年8月17日 - 没年不明)は、静岡県出身のプロ野球選手。
東泉 東二(とうせん とうじ、1932年4月22日)は、静岡… 東泉 東二(とうせん とうじ、1932年4月22日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 静岡県立韮山高等学校在学中には、1950年の第22回選抜高等学校野球大会に出場。速球、ドロップを武器に、エースとして全4試合に投げ抜き、同校の初出場初優勝に大きく貢献した。この大会での活躍が目に留まり、翌1951年に東急フライヤーズに入団。しかしプロの壁は厚く、8試合登板・未勝利に終わり、1953年に退団。プロ退団後は日本石油でプレーした。 非常に練習熱心な選手で、シャドーピッチングで自宅の部屋をボロボロにしたというエピソードが残っている。
大畑 庄作(おおはた しょうさく、1932年4月9日 - )… 大畑 庄作(おおはた しょうさく、1932年4月9日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は… 川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(投手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。同年6月2日の西日本戦(佐世保市営球場)でデビューした。しかし11試合に登板したが、勝ち星を挙げることができず、1951年に引退した。 川瀬宏之とは、興誠商業,小口製作所,大洋全てでチームメイトであった(高校・ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )… 伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 浜松北高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。 この年は21試合に登板して4勝を記録するが、5月31日の毎日オリオンズ戦ではプロ野球記録の1試合18失点を喫している。 1951年は1勝しかできず、1952年に阪急ブレーブスへ移籍。移籍した阪急では勝利を挙げることができず、1954年に引退した。
川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は… 川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(捕手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。しかし正捕手の門前眞佐人の壁は厚く、2試合しか出場できず、同年末に引退した。 川口芳弘とは、興誠商業、小口製作所、大洋全てでチームメイトであった(高校、ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は… 寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 志太高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1年目は未勝利だったが2年目は初勝利を含む5勝を挙げた。翌年は開幕投手を任され自己最多となる7勝を挙げるが、以降は成績も低下し1956年限りで引退した。
杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は… 杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。「円月打法」という独特の打撃フォームで人気のあった職人的左打者。
鈴木 清一(すずき せいいち、1925年10月9日 - 没年… 鈴木 清一(すずき せいいち、1925年10月9日 - 没年不明)は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。 島田商業学校から専修大学へ進学し、1946年にセネタースに入団。同年は101試合に出場し、当時のプロ野球記録となるシーズン14三塁打を記録した。1947年も101試合に出場。一方で守備は1年目63失策、2年も59失策と2年連続でリーグ最多失策を記録してしまった。 1948年は金星スターズに移籍したがわずか5試合の出場にとどまり、同年限りで引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
荒川 宗一(あらかわ そういち、1925年9月1日 - 20… 荒川 宗一(あらかわ そういち、1925年9月1日 - 2010年8月24日)は、静岡県出身のプロ野球選手(外野手)。
北川 桂太郎(きたがわ けいたろう、1925年5月14日 -… 北川 桂太郎(きたがわ けいたろう、1925年5月14日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手・内野手・外野手)。
久保 吾一(くぼ ごいち、1923年5月17日 - )は、静… 久保 吾一(くぼ ごいち、1923年5月17日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手(主に中堅手)、一塁手。
安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2… 安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2002年8月22日)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。改姓前は、玉置 玉一(たまき-)。