稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31… 稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31日 - 2020年(令和2年)7月12日)は、日本の実業家。稲森パーキング創業者。元静岡県ハンドボール協会会長。元日本体育協会理事。旭日小綬章受章。 1943年(昭和18年)、静岡県立静岡中学校入学、1948年(昭和23年)、静岡県立静岡第一高等学校卒業。同年、慶應義塾大学経済学部入学、ハンドボール部に所属。3,4年生時、関東学生選抜、4年生時、主将。この間、地元静岡県立静岡城北高等学校の技術指導を行い、同校が数年に亘り全日本高校選手権、国民体育大会で優勝する黄金時代の基礎づくりに貢献した。 大学卒業後は食品原料卸商、富士農商事に入社、1959年(昭和34年)、総理府より皇太子御成婚記念行事として実施された、日本青年海外派遣団員として米国に3ヶ月滞在。
もっと読む
岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17… 岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17日 - 2023年12月29日)は、日本のSF翻訳家、詩人。日本文藝家協会会員。杉山 高之の名義も使用した。 静岡県静岡市出身。1953年静岡大学文理学部卒業。静岡のSFサークル「東海SFの会」で活動している際、浜松在住の浅倉久志の紹介でSF翻訳家になる。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、杉山高之名義で論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で「読み応えがある」と4頁もにわたり投稿全文が紹介されている。なお、この時の杉山の在住地は「静岡県志太郡岡部町」と書かれている。
もっと読む
木俣 和夫(きまた かずお、1930年11月23日 - )は… 木俣 和夫(きまた かずお、1930年11月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。青年期に手がけた連続テレビ映画『海底人8823』(1960年)、『快獣ブースカ』(1967年)、『炎の青春』(1969年)、『チビラくん』(1970年)等の監督として知られる。 1930年(昭和5年)11月23日、静岡県浜松市に生まれる。 学歴等は不明であるが、第二次世界大戦後に大映東京撮影所に入社、助監督を経て、1959年(昭和34年)3月7日、満28歳のときに同社が製作して放映を開始した連続テレビ映画『海の非常線』で監督に昇進する。同社のテレビ映画製作セクションは「テレビ製作室」といい、前1958年(昭和33年)10月に発足している。
もっと読む
深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、… 深瀬 サキ(ふかせ サキ、1930年10月18日 - )は、日本の劇作家。本名・大岡かね子。 静岡県沼津市生まれ。沼津学園高等女学校(現・飛龍高等学校)卒業。1970年代より『ユリイカ』や『文藝』に戯曲作品を発表している。そのほかにラジオドラマ『堀川の姫』、小説『花びら闇』がある。 夫は詩人の大岡信、息子は作家の大岡玲、娘は画家・詩人の大岡亜紀。
もっと読む
小倉 磐夫(おぐら いわお、1930年 <昭和5年> 10月… 小倉 磐夫(おぐら いわお、1930年 <昭和5年> 10月17日 - 2000年 <平成12年> 10月6日)は、日本の工学者。専門は応用光学。東京大学名誉教授。カメラ、レンズ(カメラ用から工業用までを含む)、ブラウン管、レーザーなどについて研究、開発した。また、カメラについてのエッセイも多い。東京生まれ。理学博士。旭日中綬章受章。位階は正四位。
もっと読む
山田 雄一(やまだ ゆういち、1930年9月15日 - 20… 山田 雄一(やまだ ゆういち、1930年9月15日 - 2012年4月7日)は、日本の心理学者、元明治大学学長(2000年〜2004年)・経営学部名誉教授。専門は経営心理学。 静岡県生まれ。旧制沼津中学校、旧制第一高等学校を経て東京大学入学。1953年、東京大学文学部心理学科卒業。人事院勤務を経て、1959年、富士製鐵(現在の日本製鐵)入社。入社後は1969年に退職するまで、教育部教育課長などを務める。その後、茨城大学助教授、明治大学助教授、教授、経営学部長を経て、2000年から2004年まで明治大学学長を務める。
もっと読む
竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 201… 竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 2016年4月30日)は、日本の経済学者(日本経済・中東アジア経済)、評論家、キャスター。静岡県立大学グローバル地域センターセンター長(初代)・特任教授、株式会社価値総合研究所特別顧問、株式会社静岡新聞社客員論説委員、竹内経済工房主宰、上海師範大学名誉教授。 財団法人静岡総合研究機構理事長(初代)、株式会社日本長期信用銀行専務取締役調査部部長、株式会社長銀総合研究所理事長(初代)、静岡文化芸術大学文化政策学部特任教授、静岡県公立大学法人理事長(第2代)などを歴任した。 1930年、静岡県清水市(のちの静岡県静岡市)にて生まれた。旧制静岡県立清水中学校(静岡県立清水東高等学校の前身)を経て、旧制静岡高等学校(静岡大学の前身)を卒業した。
もっと読む
中村 明(なかむら あきら、1930年8月13日 - 202… 中村 明(なかむら あきら、1930年8月13日 - 2020年2月15日)は、日本の生物学者(細胞遺伝学)。静岡県立大学名誉教授。 静岡県立浜松北高等学校、静岡女子短期大学での勤務を経て、静岡県立大学短期大学部教授などを歴任した。 細胞遺伝学を専攻する生物学者である。ニホンウズラの系統に関する研究で知られている。静岡県立浜松北高等学校、静岡女子短期大学、静岡県立大学短期大学部で教鞭を執っていた。 1930年8月13日に生まれ、静岡県立浜松第一中学校に進学した。 1963年4月より、母校である静岡県立浜松第一中学校の流れをくむ静岡県立浜松北高等学校にて教鞭を執った。教科は理科を担当しており、部活動では軽音楽部や生物部の顧問を務めた。
もっと読む
川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は… 川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(投手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。同年6月2日の西日本戦(佐世保市営球場)でデビューした。しかし11試合に登板したが、勝ち星を挙げることができず、1951年に引退した。 川瀬宏之とは、興誠商業,小口製作所,大洋全てでチームメイトであった(高校・ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
もっと読む
影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年… 影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年6月16日)は、日本の体育学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 管理教育に反対し、様々な市民運動を牽引したことで知られる。学究生活のかたわら、名古屋オリンピック招致反対運動や愛知万博反対運動などにも深く関わった。 静岡県静岡市生まれ。師範学校の教師だった父親の異動に伴い、3歳で静岡市を離れ、福島県、長野県などを転々とした。福島県少年スキー大会で滑降3位を記録した。 6度目の引っ越しとなる16歳のときに愛知県に移住。豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)に入学。1951年(昭和26年)、岡崎高等師範学校卒業。1953年(昭和28年)3月、東京教育大学体育学部卒業。
もっと読む
大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29… 大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29日 - 2022年(令和2年)1月29日)は、日本の生化学者。シトクロムP450発見者。九州大学名誉教授。理学博士。 静岡市に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年(昭和28年)、東京大学理学部化学科卒業。同年、静岡大学文理学部化学科助手。1960年(昭和35年)、 大阪大学蛋白質研究所助教授。 1961年(昭和36年)、理学博士。1970年(昭和45年)、九州大学理学部生物学科教授。1986年(昭和61年)、九州大学大学院医学系研究科教授(分子生命科学専攻)。1994年(平成6年) 、九州大学を定年退職、名誉教授。
もっと読む
伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )… 伊藤 万喜三(いとう まきぞう、1930年7月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 浜松北高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。 この年は21試合に登板して4勝を記録するが、5月31日の毎日オリオンズ戦ではプロ野球記録の1試合18失点を喫している。 1951年は1勝しかできず、1952年に阪急ブレーブスへ移籍。移籍した阪急では勝利を挙げることができず、1954年に引退した。
もっと読む
木俣 滋郎(きまた じろう、1930年7月14日 - )は、… 木俣 滋郎(きまた じろう、1930年7月14日 - )は、戦争・兵器・船舶史家。 静岡県浜松市生まれ。一橋大学経済学部卒業。工学院大学付属高等学校教諭のかたわら、歴史・兵器を研究。1998年退職。
もっと読む
川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は… 川瀬 宏之(かわせ ひろゆき、1930年7月10日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(捕手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。しかし正捕手の門前眞佐人の壁は厚く、2試合しか出場できず、同年末に引退した。 川口芳弘とは、興誠商業、小口製作所、大洋全てでチームメイトであった(高校、ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
もっと読む
浦岡 敬一(うらおか けいいち、1930年5月4日 - 20… 浦岡 敬一(うらおか けいいち、1930年5月4日 - 2008年11月24日)は日本の編集技師。 1948年、松竹に入社。浜村義康に師事し、小津安二郎監督作品などの編集助手を務め、1958年『人間の條件』(小林正樹監督)で編集技師となる。1969年、松竹を退社。その後も、フリーの技師として精力的に幅広い作品を担当する。1989年には『帝都物語』(実相寺昭雄監督)、『優駿 ORACION』(杉田成道監督)で第12回日本アカデミー賞優秀編集賞を受賞。 日本映画編集協会(現・協同組合日本映画テレビ編集協会)の設立にも尽力し、初代編集協会理事長を務めた。また、日本映画学校に於いて多数の後進の育成に努めた。
もっと読む
寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は… 寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 志太高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1年目は未勝利だったが2年目は初勝利を含む5勝を挙げた。翌年は開幕投手を任され自己最多となる7勝を挙げるが、以降は成績も低下し1956年限りで引退した。
もっと読む
杉原 泰雄(すぎはら やすお、1930年(昭和5年)4月15… 杉原 泰雄(すぎはら やすお、1930年(昭和5年)4月15日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授、駿河台大学名誉教授。1973年から日本公法学会理事、1987年から1989年まで全国憲法研究会代表。田上穣治門下。 静岡県田方郡大仁町(現在の伊豆の国市)生まれ。樋口陽一などと国民主権論争を繰り広げた。田上穰治ゼミ出身で、一橋大学大学院法学研究科修了後、一橋大学憲法学講座第3代教授を務めた。一橋大学より法学博士の学位を取得。 大学院の指導学生に、浦田一郎(一橋大学名誉教授、元民科法律部会理事長)、辻村みよ子(東北大学名誉教授、学術会議会員)、成嶋隆(新潟大学名誉教授、教育法学会会長)、大津浩(明治大学教授)、糠塚康江(東北大学名誉教授)、只野雅人(一橋大学教授)、酒井明(法務官僚、千葉科学大学教授)、村田尚紀(関西大学教授)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授、元民科法律部会副理事長)、毛塚勝利(中央大学名誉教授、元労働法学会代表理事)、彦惣弘(元立命館大学教授、元京都弁護士会長)等。
もっと読む
柏龍 成彦(かしわりゅう しげひこ、1930年3月15日 -… 柏龍 成彦(かしわりゅう しげひこ、1930年3月15日 - 1992年7月4日)は、現在の静岡県浜松市旧中瀬村小島出身で錦島部屋、伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤森 終吉(ふじもり しゅうきち)。177cm、94kg。最高位は東十両17枚目(1957年11月場所)。得意手は左四つ、寄り。 1949年1月場所にて、18歳で初土俵。出世は早いほうではなかったが、無類の稽古熱心で地力を付けていき、1956年3月場所にて十両昇進。十両は計6場所務めたが、1958年に入ってから盲腸炎による不振が続き、1958年9月場所限りで廃業した。
もっと読む
杉山 憲夫(すぎやま のりお、1930年3月3日 - 201… 杉山 憲夫(すぎやま のりお、1930年3月3日 - 2012年2月27日)は、日本の政治家。 衆議院議員(5期)、静岡県議会議長、静岡県議会議員、清水町議会議員、学校法人沼津学園理事長(第4代)を務めた。静岡県議会議員の杉山盛雄は長男。 静岡県駿東郡清水村(現清水町)堂庭出身。三男五女の八人兄弟の長男であった。実家は農業を営んでいた。 中学卒業後、当初は静岡県立田方農業高等学校へ進学。片道1時間半の道のりを徒歩で通学した。 3年在学時、教員の奮う暴力に反発し、同級生を集めて授業をボイコット。その後の教員との衝突もあり、静岡県立裾野高等学校へ転校する。 大学進学を希望していたが、家庭の事情であきらめ家業を継ぐ。
もっと読む
志村 五郎(しむら ごろう、1930年〈昭和5年〉2月23日… 志村 五郎(しむら ごろう、1930年〈昭和5年〉2月23日 - 2019年〈令和元年〉5月3日)は、日本出身の数学者。プリンストン大学名誉教授。専門は整数論。静岡県浜松市出身。 谷山–志村予想によるフェルマー予想解決への貢献、アーベル多様体の虚数乗法論の高次元化、志村多様体論の展開などで知られる。国際数学者会議に招待講演者として4回招聘されているほか、スティール賞、コール賞を受賞した日本を代表する数学者の一人。 また、趣味で中国説話文学を収集しており、中国文学に関しての著作も複数存在する。 2019年5月3日死去、89歳没。
もっと読む
大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 201… 大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 - 2011年4月23日)は、日本の実業家、声楽家(バリトン歌手)。位階は従三位。勲等は勲一等。 実業家として、CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)・会長、社団法人経済団体連合会副会長などを歴任した。財団法人東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長、東京文化会館館長を務めた。 東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、西ドイツに留学してベルリン国立芸術大学音楽学部を卒業した声楽家でもあった。30代半ばだった1964年の時点では、バリトン歌手として活発に活動しており、実業家(ソニー商事株式会社取締役広報部長)と二足の草鞋を履いていた。
もっと読む
神谷 知弥(かみや ともや、1930年(昭和5年)- )は、… 神谷 知弥(かみや ともや、1930年(昭和5年)- )は、日本の医学者。専門は生化学。奈良県立医科大学名誉教授。医学博士。神谷知彌とも表記される。瑞宝中綬章受章。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1954年(昭和29年)、東京大学医学部医学科卒業。1959年(昭和34年)、同大学院(生化学)修了、医学博士(課程博士)。1986年(昭和61年)、奈良県立医科大学教授(生化学)。奈良県立医科大学名誉教授。奈良文化女子短期大学名誉教授。2010年(平成22年)春、瑞宝中綬章受章。
もっと読む
加茂 元照(かも もとてる、加茂五郎右衛門元照、1930年 … 加茂 元照(かも もとてる、加茂五郎右衛門元照、1930年 - )は日本の園芸家。加茂グループ会長。日本花菖蒲協会名誉会長。 1930年(昭和5年)生まれ。静岡県掛川市の桃山時代から続く豪農・庄屋の家系で、加茂家17代当主。1948年(昭和23年)、静岡県立静岡第一高等学校卒業。立教大学経済学部から同大大学院経済研究科に進み、1957年(昭和32年)、家業のため中退後、自宅に加茂花菖蒲園を開園。以来花菖蒲のほか、ベゴニア・フクシア・コリウスなどの花卉栽培や、フクロウなど鳥類の飼育に専念する。コンピュータ制御による巨大温室でのサガリバナの品種改良のほか、鳥ウイルス・病原菌の検出等に努める。人と鳥が間近で触れ合えることを特徴とした観光農園のテーマパーク・植物園を運営。
もっと読む
安田 栄作(やすだ えいさく、1930年 - )は日本の大蔵… 安田 栄作(やすだ えいさく、1930年 - )は日本の大蔵官僚。 静岡県興誠商業学校卒業。1947年10月 浜松税務署に入署。1949年12月より大蔵省主計局で勤務。1960年7月1日 医療金融公庫へ出向。 1971年7月 主計局総務課長補佐(予算総括係主査)。1976年7月 主計局主計官補佐(大蔵係主査)。1977年7月4日 主計局総務課予算分析管理室長。1978年7月1日 主計局主計監査官。1980年3月31日 退官。退官後は医療金融公庫経理部長となった。
もっと読む
朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22… 朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22日 - 2003年(平成15年)2月14日)は、日本のグラフィックデザイナー、美術教育者。 日本、中国、台湾で大学教授を務めた。 静岡県立静岡中学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科構成専攻を卒業後、グラフィックデザイナーとなる。1960年(昭和35年)、福島大学教育学部に採用されて以降、40年以上に亘り大学教員として歩む。京都学芸大学を経て筑波大学教授、1990年(平成2年)、文教大学教授、2001年(平成13年)、台湾・崑山科技大学視覚伝達設計系客座教授。デザイン学、構成学の発展に寄与した。広州美術学院名誉教授(中国)、山東工芸美術学院大学名誉教授(中国)、天津美術学院大学客座教授(中国)。
もっと読む
川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 20… 川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 2022年9月26日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長、会長を務めた。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、1949年、山口経済専門学校卒業。同年、日産火災海上保険に入社。1982年7月、取締役。1985年7月に常務、1988年4月に専務を経て、1989年6月、社長。1995年6月、会長。2000年6月に相談役に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章。 2022年9月26日肺炎のために死去。93歳没。
もっと読む
井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 201… 井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 2011年4月19日)は、日本の歴史学者。専門はアメリカ史。特にアメリカ南部史専攻。筑波大学名誉教授。静岡市出身。 1929年、静岡市に生まれる。1947年、静岡県立静岡中学校卒業。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院修士(西洋史)課程、フロリダ大学博士課程修了。Ph.D. 日本女子大学教授、立教大学教授、筑波大学教授を歴任。筑波大学名誉教授。筑波大学を離れた後、共立女子大学においてアメリカ研究を含む地域研究新学部を設立し、国際文化学部長に就いた。その後、女子教育に従い城西大学女子短期大学部副学長、定年後一年間、客員教授。アメリカ学会会長(1990年〜1992年)。
もっと読む
安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日… 安西 廸夫(あんざい みちお、1929年〈昭和4年〉8月9日 - 1999年〈平成11年〉5月14日)は、日本の国文学者・国語教育学者。位階は正五位。 静岡県沼津市出身。1953年東京文理科大学国文科卒。東京都立高校教諭、東京成徳短期大学教授、上越教育大学教授、上越教育大学附属小学校長、上越教育大学附属図書館長、1995年定年退官、名誉教授、十文字学園女子大学教授。1999年、脳内出血のため死去。死没日付をもって正五位に叙された。
もっと読む
岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 … 岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 - 2022年(令和4年)8月17日) は、日本の分子生物学者。従四位瑞宝中綬章。東京大学名誉教授。理学博士。静岡市出身。 1945年静岡県立静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)卒業。1952年大阪大学理学部化学科卒業。赤堀四郎に師事。同大学院理学研究科修了。九州大学医学部、大阪大学医学部で助手。1964年オレゴン大学客員準教授(1966年まで)。留学中、ストライジンガーと共同でT4リゾチームの系を用い、フレームシフト変異の存在を蛋白質化学により、世界で初めて実証した。帰国後、新設の農林省植物ウイルス研究所において、タバコモザイクウイルス(TMV)の研究に着手。
もっと読む
石川 哲男(いしかわ てつお、1929年(昭和4年) - )… 石川 哲男(いしかわ てつお、1929年(昭和4年) - )は、昭和(戦後)の裁判官。クリスチャン(日本基督教団)。 1929年(昭和4年)、静岡市生まれ。1946年(昭和21年)、静岡県立静岡中学校四年修了、海軍兵学校77期入学。1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)文科卒業。1953年(昭和28年)、東京大学法学部卒業。大学院特別研修課程在籍(3年)。1956年(昭和31年)、北海道大学法学部勤務(1年)。1960年(昭和35年)、裁判官任官。地方裁判所(前橋・熊本・福岡・大阪・松山・名古屋)、名古屋高等裁判所勤務。1986年(昭和61年)、名古屋高等裁判所退官。日本基督教団静岡教会会員。
もっと読む
山本 誠作(やまもと せいさく、1929年 - )は、日本の… 山本 誠作(やまもと せいさく、1929年 - )は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。 浜松市生まれ。1953年京都大学文学部卒業。59年京都大学大学院文学研究科宗教学専攻博士課程退学。61年米国エモリー大学大学院哲学科修了、学術博士。76年「ホワイトヘッドの宗教哲学」で京大文学博士。京大教養部助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授。 Nishitani Keiji, 1991, Nishida Kitarō, Yamamoto Seisaku and James W. Heisig (trans.), Berkeley: University of California Press. Nishitani Keiji, 2006, On Buddhism, Seisaku Yamamoto and Robert E. Carter (trans.), Albany: State University of New York Press. Nishitani Keiji, 2012, The Philosophy of Nishitani Keiji 1900-1990: Lectures on Religion and Modernity, Jonathan Morris Augustine and Seisaku Yamamoto (trans.), Lewiston: The Edwin Mellen Press. Watsuji Tetsurô, 1996, Watsuji Tetsurō's Rinrigaku: Ethics in Japan, Yamamoto Seisaku and Robert E. Carter (trs.), Albany: State University of New York Press.
もっと読む
小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の… 小島 昭安(こじま しょうあん、1929年 - )は、日本の僧侶、口演童話家。曹洞宗永源寺住職。 静岡県富士市生まれ。駒澤大学文学部仏教学科卒業。大本山總持寺、永平寺に安居。 童話研究を進める傍ら、真の人づくりは仏教的情操教育以外にはないとの考えから、1948年「子ども会」を開設。1954年「永源寺日曜学校」を開設。1968年から、全国に先駆けて2泊3日の「子ども禅の集い」を開設。坐禅を中心に多彩なプログラムによる教化活動を行う。また、自坊だけでなく全国各地で、口演童話や紙芝居、人形劇、手品、絵話し、ゲームなどの児童文化財を駆使し、バラエティに富む児童教化活動を長年にわたって展開。 1986年に正力松太郎賞奨励賞、2005年同賞本賞を受賞。
もっと読む
西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 202… 西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 2021年7月31日 )は、日本の文芸評論家、平和運動家。 1928年11月10日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。1945年3月、県立清水中学校(現・清水東高)卒業。1947年3月、浜松工業専門学校応用化学科(現・静岡大学工学部)中退。1950年3月、旧制静岡高等学校文科甲類を卒業。1953年3月、東京大学文学部国文学科卒業、1955年3月、同大大学院(旧制)を退学。法政大学文学部非常勤講師を経て1971年4月、同学部助教授、1973年4月、教授となる。1994年3月、退職。同年4月、「西田勝・平和研究室」を設立。 1953年4月、新たな日本近代文学像を求めて小田切秀雄らと日本近代文学研究所を創立、「幻の雑誌」といわれた『驢馬』や『種蒔く人』などの散逸していた号冊を収集しての復刻版を出し、その延長として「近代文学図書館」の構想を立て、日本近代文学館の創設に尽力した。
もっと読む
井形 昭弘(いがた あきひろ、1928年9月16日 -201… 井形 昭弘(いがた あきひろ、1928年9月16日 -2016年8月12日)は、日本の医学者、内科学者。鹿児島大学第7代学長・名誉教授、名古屋学芸大学初代学長、名古屋学芸大学短期大学部学長。医学博士。専門は神経内科学。 静岡県浜松市出身。1946年、第八高等学校に入学。1950年、東京大学医学部医学科入学。1955年、東京大学医学部第三内科に入局。1960年から2年間のドイツ留学を経て、1960年「神経体液学説に関する研究」により東京大学から医学博士の学位を授与される[要出典]。1971年、新設された鹿児島大学医学部第三内科の初代教授に着任。1984年、鹿児島大学病院長に就任し、全国に先駆けてコンピュータシステムの導入を行った。
もっと読む
諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日… 諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日本の経済史学者、神奈川大学名誉教授。ドイツを中心としたヨーロッパの経済史が専門。 静岡県静岡市生まれ。1945年旧制静岡県立静岡中学校卒業。1948年旧制静岡高等学校卒業。1952年東京大学経済学部卒業。同大学院修了、1970年「ドイツ初期資本主義研究」で経済学博士の学位を取得。 福島大学経済学部講師、助教授、1965年神奈川大学経済学部教授、1999年定年、名誉教授。
もっと読む
海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 20… 海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 2012年12月21日)は、日本の歴史学者・国際政治学者・外交官。専門は国際政治史、日本外交史。静岡県出身。 富士宮市生まれ。富士中学校(旧制)、静岡高等学校 (旧制)を経て、東京大学文学部西洋史学科に進む。1953年に卒業し、事務官として外務省に入省。1961年から在フランス日本国大使館に勤務し、1965年に帰国。その後、外務省百年史編纂委員・日本外交文書編纂委員となり、1971年からは外交史料館編纂室に勤務。1979年に専門官となり、翌年に外交文書編纂室長に就任した。1982年から新潟大学法学部教授を務め、1994年には新潟国際情報大学教授となった。
もっと読む
都筑 卓司(つづき たくじ、1928年6月26日 - 200… 都筑 卓司(つづき たくじ、1928年6月26日 - 2002年7月13日)は、日本の物理学者。横浜市立大学名誉教授(理学博士)。 静岡県浜松市生まれ。東京文理科大(東京教育大学の前身校の一つ)でノーベル賞物理学者の朝永振一郎に師事。 1957年8月に横浜市立大学文理学部講師となり、以後助教授(1961年4月)を経て、1972年4月に教授に就任する。 趣味は「都市探索」で、社交ダンスもたしなんだ。 1970年頃から物理学に関する約40冊以上の著書を残した。講談社ブルーバックスでは17冊の著書を刊行し、2017年現在でもシリーズ中著者として最多(刊行部数はその時点で累計340万部)である。ブルーバックスの編集者からは、都筑の著書は「本が好きであれば科学の知識がなくても読めること」が魅力で、「宇宙・素粒子などの私たちの日常とはかけ離れた世界を題材にして「科学」というものの「驚き」を教えてくれ」、「ブルーバックスの原点ともいえるスタイル」との評価を受けている。
もっと読む
二代目 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく、1928年4月2… 二代目 古今亭 圓菊(ここんてい えんぎく、1928年4月29日 - 2012年10月13日)は、静岡県出身の落語家。出囃子は『武蔵名物』。紋は『裏梅』。本名∶藤原 淑。長男は同じく落語家の三代目古今亭圓菊。 昭和を代表する落語家・五代目古今亭志ん生の弟子として、志ん生から多くのネタを継承。体をよじる、ボクシングのファイティングポーズのようなコミカルな仕草と、独特な「圓菊節」とも言われる口調で人気を集め、「寄席の爆笑王」の名を恣にした落語家である。また、手話落語を創案。刑務所篤志面接などのボランティア活動も続けていた。 静岡県志太郡伊久身村(現:島田市)に生まれる。生家はしいたけ農家。静岡県立島田商業高等学校を卒業し、一時三菱重工に就職。
もっと読む
渡辺 茂男(わたなべ しげお、1928年3月20日 - 20… 渡辺 茂男(わたなべ しげお、1928年3月20日 - 2006年11月18日)は、日本の児童文学者、翻訳家。元慶應義塾大学文学部図書館学科(現在の図書館・情報学専攻)教授。 昭和時代戦後から平成時代にかけて、児童文学を多数創作した他、『エルマーのぼうけん』をはじめとした英米の絵本や童話を中心とした児童文学や、海外の児童文学理論の翻訳を数多く手がけた。 静岡県静岡市葵区生まれ。静岡県立静岡商業学校、久我山工業専門学校を経て、慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業後、米国のウェスタン・リザーブ大学大学院を修了。ニューヨーク公共図書館児童部勤務を経て、1975年まで慶應義塾大学文学部図書館学科(現在の図書館・情報学専攻)教授。
もっと読む
樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 200… 樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 2009年12月26日)は、日本の労働運動家、社会運動家、ジャーナリスト。 静岡県沼津市出身。旧制静岡県沼津商業学校、 海軍甲種飛行予科練習生を経て、横浜高等商業学校を卒業。1947年から労働運動に参加し、産別会議東芝堀川町労組書記や日本共産党専従などを務めた。権力・資本からは五回首を切られ、共産党からは二回除名(1951年3月、1965年2月)されたとされる。 ベトナム反戦運動期には共産主義労働者党の中心メンバーであり、1971年の分裂時には春日庄次郎などと労働者革命派(後の労働者党全国委員会)を結成して議長に就任した。 1975年から1986年、雑誌『季刊労働運動』代表を務めた。
もっと読む
山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月… 山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉1月6日)は、日本の地理学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 筑波大学名誉教授。筑波大学自然学類長、筑波大学附属高等学校長、第27代日本地理学会会長等を歴任した。学位は理学博士(東京教育大学・1961年)。 静岡市生まれ。1945年(昭和20年)静岡県立静岡中学校卒業。1948年(昭和23年)東京高等師範学校文科4部3年修了。1951年(昭和26年)東京文理科大学地学科地理学専攻卒業。1951年(昭和26年)4月、静岡県立静岡城内高校教諭。1952年(昭和27年)3月、同校教諭退職。1955年(昭和30年)東京文理科大学(研究奨学生)前期修了。
もっと読む
三戸岡 道夫(みとおか みちお、本名:大貫満雄、1928年(… 三戸岡 道夫(みとおか みちお、本名:大貫満雄、1928年(昭和3年) - )は、日本の作家、実業家。 静岡県浜松市出身。静岡県立掛川西高等学校を経て東京大学法学部を卒業後協和銀行に入行し、副頭取を最後に退職する。その後は文筆活動に専念する。 社団法人大日本報徳社にて副社長に就任し、二宮尊徳や報徳思想にまつわる書籍も著している。会社法に関する専門書を上梓した同姓同名(本名)が存在していたが、別の人物。 日本ペンクラブ会員。
もっと読む
磯西 昭(いそにし あきら、1928年 - 2020年10月… 磯西 昭(いそにし あきら、1928年 - 2020年10月9日)は、日本の写真家。会社経営者。富士山の空撮で知られる。 静岡県に生まれる。富士宮市に住んだ。静岡県立静岡中学校に学んだ。戦後、海外渡航が自由になるとイタリアをはじめ、ヨーロッパ各国、アフリカ、南極など、カメラ機材を背負って旅をし、現地が気に入れば数十日に及ぶこともあった。 空撮を始めたのは1994年で、ハワイオアフ島のヨットレースの撮影で挑戦してからその魅力に取り憑かれ、のめり込んだ。翌、1995年から3年間にわたり、ヴェネツィア・ピサ・アッシジ・シエーナ・フィレンツェ・ローマなどのイタリア各地の中世都市の空撮を実現させた。イタリアの空撮と並行して具体的な目標として富士山があり、当初、数年で終わるつもりだったが、懐の広さ深さが分かり、本格的な撮影に取り組み、ライフワークになった。
もっと読む
河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10… 河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10月31日)は、自動車エンジニア、実業家。元本田技研工業代表取締役社長。日本楽器製造(現ヤマハ)社長、ダイエー副社長を歴任した河島博は実弟。
もっと読む
長野 卓 (ながの たかし、1927年12月22日 - 19… 長野 卓 (ながの たかし、1927年12月22日 - 1998年4月4日)は日本の映画監督、脚本家。 静岡県浜松市生まれ。1947年に日本大学を卒業。1950年、東宝で助監督を務め、映画監督に就任した。1960年代と1970年代に多くのテレビシリーズを監督した。 1998年4月4日、東京都で肺梗塞のため死去。 ※のみ監督、他は助監督
もっと読む
小川 国夫(おがわ くにお、1927年(昭和2年)12月21… 小川 国夫(おがわ くにお、1927年(昭和2年)12月21日 - 2008年(平成20年)4月8日)は、日本の小説家。静岡県藤枝市出身。大阪芸大教授。 20歳でカトリックに入信。仏留学中に地中海沿岸を巡った経験から書いた『アポロンの島』が島尾敏雄の推挽により注目を集め、「内向の世代」の代表作家と目された。堅固で簡潔な文体でもって、自然や人間存在の原形を描き出し、聖書の世界を描く物語やエッセイを数多く手がけた。日本芸術院会員。 三男の小川光生は、サッカーライター・翻訳家。 静岡県志太郡藤枝町長楽寺(現在の藤枝市本町)に小川富士太郎・まきの長男として生まれる。母まきの弟は竹内壽平。1933年、青島幼稚園に入園。
もっと読む
岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 20… 岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 2014年2月4日)は、日本の写真家。 東京府下吉祥寺に生まれる。5歳の頃、両親の故郷静岡県に転居。幼少期は相良、その後静岡市内に移り、1945年、静岡県立静岡中学校卒業。 1948年に芝浦工業専門学校(現、芝浦工業大学)を卒業し、日本大学旧工学部(現、理工学部)建築学科に入学(のち中退)。 中学在学中より登山を始め、山岳風景の写真にも取り組むようになる。1958年、登山の国際大会に参加するため初めて渡欧。この頃より専攻した建築から関心を広げ、ロマネスクの彫刻などヨーロッパの文化、美術に興味を持ち、渡航を重ねる。1965年にはローマに移住、ヨーロッパ各地の美術作品や教会建築などの撮影を中心に美術写真の専門家として活動するようになった。
もっと読む
川村 晃(かわむら あきら、1927年12月3日 - 199… 川村 晃(かわむら あきら、1927年12月3日 - 1996年1月4日)は日本の小説家。 日本統治時代の台湾・嘉義市出身で静岡県沼津市育ち。静岡県立沼津中学校(現・静岡県立沼津東高等学校)在学中、1941年小説を書いて停学処分となり、以後奇矯な振る舞いのため放校となりかけ、陸軍航空通信学校に入学、大阪の飛行場に配属されていた際に敗戦を迎える。文学書を耽読するが定職なく、自殺を企て後遺症を残す。1949年日本共産党に入る。筆耕職人として働く。58年離党、59年より『文学四季』に作品を発表、子持ちの女性と同居する。60年より『文学街』に小説を発表。 「美談の出発」(「文學街」1962年3月号)が同人雑誌優秀作として『文學界』に転載され、1962年上半期第47回芥川賞を受賞。
もっと読む
西岡 昭夫(にしおか あきお、1927年(昭和2年)9月15… 西岡 昭夫(にしおか あきお、1927年(昭和2年)9月15日 - 2015年(平成27年)10月10日)は、日本の公害反対運動家である。 静岡県三島市出身。静岡県立沼津中学校(現在の静岡県立沼津東高等学校)卒業後、当時第二次世界大戦下にあった事により陸軍士官学校予科に入学する。しかし戦後に同学校を中退し、中央気象台付属気象技術官養成所(現在の気象大学校)に転校した。後東京理科大学を卒業 卒業後は高校教師として活動し、沼津学園高等学校(現在の飛龍高等学校)にて教鞭を執りその後は静岡県立下田北高等学校(現在は閉校)に勤務する。 後に静岡県立沼津工業高等学校に転勤し、同学校在学中の1964年(昭和39年)に三島地区の石油化学コンビナートの建設計画における公害調査団に加入した。
もっと読む
杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は… 杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。「円月打法」という独特の打撃フォームで人気のあった職人的左打者。
もっと読む