大原 誠弍(おおはら せいじ、1980年10月9日 - )は… 大原 誠弍(おおはら せいじ、1980年10月9日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。俳優、ナレーター、静岡県静岡市清水区(旧清水市)出身。株式会社CREATE-Links代表取締役、演劇ユニットLAPITA☆SHIPメンバー、株式会社ビートワン所属。 静岡県の静岡市に次男として生まれ、4歳から清水市(現静岡市清水区)で過ごす。 兄の影響で、小2でミニバスケットボールを始める。いすゞバスケットボール部の指導、大学で上位チームに所属していたコーチの教えもあり、市民大会では常勝であった。 一方、アニメ「ふしぎの海のナディア」に登場するジャン、ジブリ作品「天空の城ラピュタ」に登場するパズーに惹かれ、発明家を志し、愛知県豊橋市の車子部品の一貫加工メーカーに就職する。
小金丸 大和(こがねまる やまと、1974年9月16日- )… 小金丸 大和(こがねまる やまと、1974年9月16日- )は、日本の劇作家、脚本家、漫画原作者。静岡県富士市出身。妻はタレントの小田飛鳥で、2026年4月2日の時点ですでに小田と結婚しており、子供もいることが報じられた。 富士市立吉原商業高等学校、桐朋学園大学卒業。後に東京大学大学院情報理工学系 研究科に入学。(1998年修了)劇団「演劇制作体V-NET」を主宰、小金丸名義で製作・脚本を、小林大祐名義で演出を行う。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
豊島 圭介(とよしま けいすけ、1971年11月13日 - … 豊島 圭介(とよしま けいすけ、1971年11月13日 - )は、日本の映画監督、脚本家、俳優。静岡県浜松市出身。有限会社シャイカーを退社。現在はフリーランスとして活動。
丸茂 周(まるも あまね、1969年11月4日 - エム・エ… 丸茂 周(まるも あまね、1969年11月4日 - エム・エーフィールド)は、日本の脚本家。エム・エーフィールド所属。 静岡県富士市出身。静岡県立富士高等学校を経て、東北大学教育学部を卒業後、日本映画学校(現・日本映画大学)に入学。卒業後、脚本家の池端俊策に師事。CX深夜スペシャルドラマ「テーマソングス」でデビュー。
鈴木 哲也(すずき てつや、1969年10月18日 - )は… 鈴木 哲也(すずき てつや、1969年10月18日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家。静岡県浜松市出身。オフィス・マキノ所属。同志社大学文学部国文学科中退。 1991年劇団M.O.P.入団。1998年同劇団退団。マキノノゾミに師事し、アシスタントとなる。2003年~2005年にかけて演劇ユニットMOBOにて主宰を務める。
ウンノヨウジ(1967年12月12日 - )は、日本の映画監… ウンノヨウジ(1967年12月12日 - )は、日本の映画監督、脚本家、俳優。 静岡県静岡市出身。18歳の時に雑誌コミックOZ(秋田書店)の投稿をきっかけにデビューして9年間漫画家(空根ちゃらか)として活動していた。後にTVCMやTV番組のプランニングや演出の仕事を手掛ける。短編映画『トイレの女』がグ・スーヨン監督の推薦によりテレビ東京「女子☆ブロ」で紹介され本編も放送される。
鈴木 卓爾(すずき たくじ、1967年2月14日 - )は、… 鈴木 卓爾(すずき たくじ、1967年2月14日 - )は、日本の脚本家、俳優、映画監督。『私は猫ストーカー』や『ゲゲゲの女房』を制作した監督で知られている。2016年4月から2024年3月まで京都芸術大学(元・京都造形芸術大学)映画学科で准教授・教授を勤めた。俳優としてASLAND CRUISEに所属。 1967年2月14日、静岡県磐田市に生まれる。高校在学中の1984年、8mmのアニメーション映画『街灯奇想の夜』を監督する。その後、東京造形大学造形学部に進学する。1988年、『にじ』が第11回ぴあフィルムフェスティバルにて審査員特別賞を受賞する。俳優としては、『夏の思い出 異・常・快・楽・殺・人・者』で主演を務めたほか、『トキワ荘の青春』で藤子不二雄Aを演じている。
田代 親世(たしろ ちかよ、1966年10月30日 - )は… 田代 親世(たしろ ちかよ、1966年10月30日 - )は、フリーアナウンサー・コラムニスト・脚本家。 静岡県島田市出身。名古屋市立菊里高等学校、慶應義塾大学文学部国文学科卒業後、1989年にIBC岩手放送のアナウンサーとして入社(同期に加藤ゆずか、小長谷悠紀等)。『ニュースエコー』・『IBC TOP40』・『爆発ワイドラジオ新鮮組』・『ワイドステーション』などの番組を担当したのち、1994年にIBCを退職して、フリーアナウンサーに転身。TBS系『ザ・フレッシュ!』、テレビ朝日系『スーパーモーニング』・『ワイド!スクランブル』などの情報番組でレポーターを務めた。 1997年から2年間香港中文大学に語学留学したのを契機に、アナウンサー業の傍ら東アジア諸国のエンターテイメントに関する取材・執筆活動を開始する。
さくら ももこ(本名非公表、1965年〈昭和40年〉5月8日… さくら ももこ(本名非公表、1965年〈昭和40年〉5月8日 - 2018年〈平成30年〉8月15日)は、日本の漫画家、イラストレーター、著述家、エッセイスト、作詞家、作曲家、脚本家。静岡県清水市(現・静岡市清水区)の中心部にある旧入江町地域出身。 自身の少女時代をモデルとしたコミック『ちびまる子ちゃん』が代表作で、「さくらももこ」は同作の主人公(まる子)の本名でもある(作中の人物については「ちびまる子ちゃんの登場人物」を参照)。単行本の売上は累計3000万部を超えるほか、エッセイストとしても独特の視点と語り口で人気が高く、初期エッセイ集三部作『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』はいずれもミリオンセラーを記録した。
高橋 美幸(たかはし みゆき、1963年 - )は、日本の脚… 高橋 美幸(たかはし みゆき、1963年 - )は、日本の脚本家。静岡県出身。 静岡学園高等学校、立正大学文学部卒業。立正大学在学中は学生新聞会、橘花祭実行委員会に所属。中学・高等学校国語科・書道科教員免許取得。趣味は日本料理。「第24回国民文化祭・しずおか2009」静岡県国民文化祭企画委員、他。東京都在住。卒業後、静岡県内のコミュニティー誌制作や静岡県内流通業界紙ライターを経て、Vシネマ脚本・1992年少年少女文庫『野口英世』(吟遊社出版)原作執筆、フジテレビ『美少女H』第20話「死んでもいい」(1998年)脚本をはじめ、映画『きみのためにできること』(1999年、監督・篠原哲雄、日活)脚本など、脚本家・小説家として活動している。
池野 みのり(いけの みのり、1963年 - )は、日本の脚… 池野 みのり(いけの みのり、1963年 - )は、日本の脚本家。テレビアニメを中心に活動している。 静岡県磐田市出身。日本脚本家連盟会員(日本脚本家連盟スクール54期生)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
長谷川 圭一(、1962年2月1日 - )は、日本の脚本家。… 長谷川 圭一(、1962年2月1日 - )は、日本の脚本家。静岡県熱海市出身。 日本大学芸術学部映画学科卒業後、未公開映画『朽ちた手押し車』で助監督デビュー。その後は『太陽にほえろ!』末期シリーズに参加後、美術部に転じて10年以上、小道具・装飾係などの美術スタッフを務め、『ゴリラ・警視庁捜査第8班』『バトルヒーター』『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』『1999年の夏休み』『ガメラ 大怪獣空中決戦』『ガメラ2 レギオン襲来』など多数の作品に参加する。 1997年、前述の『大怪獣空中決戦』に参加した流れで、本編装飾スタッフとしても参加していた『ウルトラマンティガ』にて、脚本家として参加したい想いを抑えきれず、監督やプロデューサーに過去に書いた脚本を読んでもらい、同作品の第22話「霧が来る」で脚本家デビュー。
いとう 斗士八(いとう としや、1961年-)は、静岡県出身… いとう 斗士八(いとう としや、1961年-)は、静岡県出身の脚本家。 日本大学芸術学部在学中の1981年、同じく日芸生の片渕須直らと共に宮崎駿演出の新作アニメ脚本テストに参加し、提出したシナリオは1984年に『名探偵ホームズ』の一篇として採用される。卒業後、松竹シナリオ研究所、雑誌編集などを経て、1987年にテレビドラマ『あぶない刑事』で本格デビュー。主に刑事ドラマや2時間サスペンスなどを手掛ける他、最終話の視聴率が37.2 %(ビデオリサーチ関東地区)に達した1994年のドラマ『家なき子』の脚本も担当した。 1959年から1964年の間に生まれ、1960年代後半のテレビ高度成長期を幼少期に経験したテレビ作家であるSSジェネレーションの一人。
マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・… マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・劇作家・脚本家・演出家である。劇団M.O.Pを主宰するとともに、オフィス・マキノに所属している。本名は牧野 望。 静岡県浜松市出身[リンク切れ]。浜松日体高等学校、同志社大学文学部卒業。 1984年、劇団M.O.Pを結成。同年つかこうへい作『熱海殺人事件』公演で旗揚げ。以後、役者として舞台に立つ傍ら演出もこなしている。近年は脚本家としての活動が多く、外部の舞台へも作・演出と幅広く活動する。 2002年後期のNHK連続テレビ小説『まんてん』の脚本を担当したことで広くその名を知られるようになった。 妻は劇団M.O.P.に所属した女優のキムラ緑子。
光益 公映(みつます きみあき、1958年10月30日 - … 光益 公映(みつます きみあき、1958年10月30日 - )は、日本の脚本家、作家。日本シナリオ作家協会会員。 静岡県浜松市出身。和光大学人文学部人間関係学科卒業。在学中は和光大学映画研究会に所属していた。1979年『下落合焼き鳥ムービー』(山本晋也監督)のロケーションが和光大学で行われた際には、エキストラとして出演している。 2000年の映画「さくや妖怪伝」(製作トワーニ 配給ワーナー・ブラザース、主演は安藤希)にて脚本家としてデビュー。日本人脚本家として初めてアメリカメジャー映画会社、ワーナー・ブラザースのリーディング・スタッフによる脚本査定を五段階評価のトップの成績で通過する。作品は世界12カ国で上映された。
宮本昌孝(みやもと まさたか、1955年9月11日 -)は、… 宮本昌孝(みやもと まさたか、1955年9月11日 -)は、日本の脚本家、時代小説作家、SF作家。 骨太な作風でありながら、明るくにじみでるユーモアに特徴がある。静岡県浜松市出身。 2001年時点で日本SF作家クラブ会員だったが、2024年10月時点では会員名簿に名前がない。 小学生の頃は、当時の日本が映画の全盛期ということもあって、映画をよく観たり、ちばてつやや川崎のぼるの漫画に親しんだ。小学校高学年の時に担任の教師から授業参観日の演し物を行うように指示され、宮本が作、演出、出演を行ったところ、これを教師に気に入られる。この頃からストーリー漫画を描くのも好きになり、一時期は漫画家を目指していた。
原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025… 原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025年12月8日)は、日本の映画評論家、映画監督、脚本家。 静岡県沼津市出身。スカイホーク所属(業務提携:つばさプロジェクト)。BS朝日番組審議会委員。 静岡県立沼津東高等学校卒業、東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)、ペパーダイン大学中退。 幼少期より年間100本観るほど映画を愛好し、自身も大勢の観客を沸かせたり感動させたりしたいと考え映画監督を志すようになる。1962年に東京・有楽町で見たドン・シーゲル監督の『突撃隊』に感銘を受け、映画を見るたびに映画に関するメモや論評を書くようになった。 ロンドンに語学留学中の1972年、『ラスト・ショー』の評論を『キネマ旬報』に載せたことをきっかけに映画評論家となり、『キネマ旬報』や『宝島』にアメリカ発の映画情報を寄稿。
水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18… 水島 総(みずしま さとる、1949年(昭和24年)6月18日 - )は、日本の経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー、政治活動家、日本文化チャンネル桜代表取締役社長。頑張れ日本!全国行動委員会幹事長
杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(す… 杉井 ギサブロー(すぎい ギサブロー、本名:杉井 儀三郎(すぎい ぎさぶろう)、1940年8月20日 - )は、日本の男性アニメ監督、脚本家。日本映画監督協会会員。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。代表作に『タッチ』、『銀河鉄道の夜』、『ストリートファイターII MOVIE』、『あらしのよるに』など。タツノコプロ出身のアニメーターの杉井興治は実弟。 静岡県沼津市出身。沼津市に小学校5年生の途中まで在住。1945年7月の沼津大空襲にも遭遇している。小学校時代は漫画を愛する「マンガ少年」であった。沼津時代の末期に見たディズニーの『バンビ』に強い印象を受け、アニメーションを「一生の仕事にしよう」と決意する。
宮内 婦貴子(みやうち ふきこ、1933年2月27日 - 2… 宮内 婦貴子(みやうち ふきこ、1933年2月27日 - 2010年2月16日、本名:杉本婦貴子)は、日本の脚本家。 1933年(昭和8年)2月27日、静岡県三島市に生まれる。元々は小説家になりたかったという。神奈川県立横浜立野高等学校(入学時は神奈川県立横浜第二高等女学校)を卒業後は人形劇団に入る。たまたまCM会社に勤務する友人を訪ねると、ちょうどレジスターのCMの台本を書いている時で「あなたもやってみない?」と誘いがあったという。そこでCMライターになろうと思ったが、どうせなら脚本家を目指せばという話になり、紹介された東宝のプロデューサーから勧められてシナリオ研究所に入所、その後東宝シナリオ研究生を経て日活と契約。
木俣 和夫(きまた かずお、1930年11月23日 - )は… 木俣 和夫(きまた かずお、1930年11月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。青年期に手がけた連続テレビ映画『海底人8823』(1960年)、『快獣ブースカ』(1967年)、『炎の青春』(1969年)、『チビラくん』(1970年)等の監督として知られる。 1930年(昭和5年)11月23日、静岡県浜松市に生まれる。 学歴等は不明であるが、第二次世界大戦後に大映東京撮影所に入社、助監督を経て、1959年(昭和34年)3月7日、満28歳のときに同社が製作して放映を開始した連続テレビ映画『海の非常線』で監督に昇進する。同社のテレビ映画製作セクションは「テレビ製作室」といい、前1958年(昭和33年)10月に発足している。
長野 卓 (ながの たかし、1927年12月22日 - 19… 長野 卓 (ながの たかし、1927年12月22日 - 1998年4月4日)は日本の映画監督、脚本家。 静岡県浜松市生まれ。1947年に日本大学を卒業。1950年、東宝で助監督を務め、映画監督に就任した。1960年代と1970年代に多くのテレビシリーズを監督した。 1998年4月4日、東京都で肺梗塞のため死去。 ※のみ監督、他は助監督
石川 義寛(いしかわ ぎかん、1925年〈大正14年〉3月2… 石川 義寛(いしかわ ぎかん、1925年〈大正14年〉3月23日 - 2024年〈令和6年〉)は、日本の映画監督、脚本家。 静岡県富士宮市出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業後、映画界に入る。1957年『怪談かさねが渕』、1958年『毒婦高橋お伝』、『憲兵と幽霊』、『女吸血鬼』、(『亡霊怪猫屋敷』脚本)、1959年『東海道四谷怪談』助監督を経て1960年『怪猫お玉ヶ池』で監督を務める。 2024年死去、99歳。 『酒をたしなみ糖尿病とも闘う 人生は“心”楽しく』健友館 2001年 ISBN 978-4773705782
楠田 芳子(くすだ よしこ、1924年(大正13年)3月12… 楠田 芳子(くすだ よしこ、1924年(大正13年)3月12日 - 2013年(平成25年)12月3日)は、日本の脚本家。 1924年(大正13年)、静岡県浜松市出身。木下恵介(映画監督)と木下忠司(作曲家)は兄。 1942年(昭和17年)、実践女子専門学校家政研究科を卒業。1944年(昭和19年)、楠田浩之(映画カメラマン)と結婚した。楠田泰之(テレビプロデューサー・演出家)は息子である。 1965年から木下恵介プロダクション(ドリマックス・テレビジョンの前身)に参加し、1970年にフリーとなる。1993年(平成5年)には「シナリオ功労賞(第17回)」を受賞した。 2013年12月3日に死去。
池宮 彰一郎(いけみや しょういちろう、1923年5月16日… 池宮 彰一郎(いけみや しょういちろう、1923年5月16日 - 2007年5月6日)は、日本の脚本家、小説家。 本名の池上 金男(いけがみ かねお)で脚本家として活動、『十三人の刺客』など数多くの映画・テレビドラマの制作に関わった。1992年に小説『四十七人の刺客』を発表して以降、池宮彰一郎のペンネームを用いて歴史小説を著したが、2002年に司馬遼太郎作品との類似問題により活動をほぼ停止した。作家の池上司は息子。 東京府に生まれる。静岡県沼津市に育ち、静岡県立沼津商業学校(現・静岡県立沼津商業高等学校)を卒業する。 第二次世界大戦中は満州で陸軍に徴兵される。兵舎に放火して南方送りとなり、ペリリュー島逆上陸作戦に参加、3000名いた部隊で生き残ったのは20~30名だったという。
志村 敏夫(しむら としお、1914年10月13日 - 19… 志村 敏夫(しむら としお、1914年10月13日 - 1980年7月7日)は、日本の脚本家、映画監督である。 1914年(大正3年)10月13日、静岡県志太郡島田町(現在の同県島田市)に生まれる。 1936年(昭和11年)、22歳になるころ、高田稔の高田プロダクションと新興キネマが共同製作した牛原虚彦監督の『五々の春』に脚本参加する。1940年(昭和15年)には、東宝映画に所属し、斎藤寅次郎監督作の脚本を書いた。 第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)、新東宝設立に参加、萩原遼監督『大江戸の鬼』でチーフ助監督を務める。1948年(昭和23年)、同社と竹井プロダクションの共同製作作品『群狼』で監督としてデビューする。
木下 惠介(きのした けいすけ、新字体:恵介、1912年12… 木下 惠介(きのした けいすけ、新字体:恵介、1912年12月5日 - 1998年12月30日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は同じ(旧名:正吉)。日本映画の黄金期を築いた一人で、抒情的な作風で知られ、数多くの名作・話題作を生み出した。弟は作曲家の木下忠司、妹は脚本家の楠田芳子。監督としての映画の名前の表記は1960年代には「恵介」が混在している。
稲葉 蛟児(いなば こうじ、1904年2月11日 -1989… 稲葉 蛟児(いなば こうじ、1904年2月11日 -1989年9月2日)は、日本の映画監督、脚本家である。出生名稲葉 義信(いなば よしのぶ)、戸籍上は母姓の上田 義信(うえだ よしのぶ)であった。脚本家としては物部 晋太郎(もののべ しんたろう)等、監督としては一時稲葉 大三郎(いなば だいざぶろう)を名乗った。昭和初年のマキノ・プロダクションの新人監督であり、同社の解散後は永年インディペンデント畑を歩き、トーキー時代になってもサイレント映画の娯楽剣戟を手がけ続けた。 1904年(明治37年)2月11日、静岡県清水市に生まれる。旧制静岡県立静岡中学校(現在の静岡県立静岡高等学校)を卒業、ムービーカメラの研究を目指して東亜キネマ甲陽撮影所の現像部に入社した。
木村 恵吾(きむら けいご、1903年6月19日 - 198… 木村 恵吾(きむら けいご、1903年6月19日 - 1986年1月20日)は、日本の映画監督、脚本家である。サイレント映画の時代に脚本家、ついで監督としてデビューした。1940年(昭和15年)にオペレッタ映画『狸御殿』を創出、『オペレッタ狸御殿』(2005年)につながる源流をつくった。 1903年(明治36年)6月19日、静岡県三島市に生まれる。 早稲田大学附属早稲田高等学院(現在の早稲田大学高等学院)の2年次終了で日活大将軍撮影所に入社、1926年(大正15年)、オリジナル脚本が採用され、伊奈精一監督、根岸東一郎主演のサイレント映画『神田の下宿』で脚本家としてデビューした。同年、オリジナル脚本第2作『都の西北』が映画化され、伊奈監督、中野英治主演で製作されたが、これには俳優時代ののちの映画監督渡辺邦男が出演している。
岩田 ユキ(いわた ゆき)は、日本の女性映画監督・脚本家・イ… 岩田 ユキ(いわた ゆき)は、日本の女性映画監督・脚本家・イラストレーター・作詞家(白田恵名義)。