白鳥 央堂(しらとり ひさたか、1987年 - )は、日本の… 白鳥 央堂(しらとり ひさたか、1987年 - )は、日本の詩人。静岡県静岡市生まれ。 中学2年の時にロックバンドを結成して曲作りをしたことをきっかけに言葉の世界を意識するようになり、高校時代に寺山修司の詩や俳句に影響を受けて詩作を始め、「現代詩フォーラム」に投稿。武蔵野大学文学部日本語・日本文学科卒業。同人誌活動として、大学の同期である小説家・矢部嵩と2人誌『clearstory』を頒布している。 2009年、第47回現代詩手帖賞受賞。2013年、第1詩集『晴れる空よりもうつくしいもの』(思潮社)で第18回中原中也賞候補、第63回H氏賞候補。2020年2月、第2詩集『想像星座群』(書肆子午線)で第25回中原中也賞候補。
巻上 公一(まきがみ こういち、1956年〈昭和31年〉1月… 巻上 公一(まきがみ こういち、1956年〈昭和31年〉1月25日 - )は、日本の音楽家、詩人、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、シンガーソングライター、ヴォイスパフォーマー。「ヒカシュー」リーダー。第一回大岡信賞受賞者。アメリカNYCのFoundation for Contemporary Artsの2024アーティスト賞受賞者。口琴、テルミンなどの特殊なものから、コルネット、ベース、電子楽器など複数の楽器演奏を行う。静岡県熱海市出身。TOTOのCM出演 初代ウォシュレット。妻はGOMES THE HITMANのドラマー・パーカッショニスト高橋結子の姉。 巻上自身が、ヒカシューの名前は武満徹の「悲歌」にちなんでつけたと証言している。
小長谷 清実(こながや きよみ、男性、1936年2月16日 … 小長谷 清実(こながや きよみ、男性、1936年2月16日 - 2017年11月26日 )は、日本の詩人。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校を経て、上智大学文学部英文科在学中から詩誌「氾」同人となる。大学卒業後、電通に勤務。現代詩人会会員。1977年『小航海26』で第27回H氏賞受賞。1991年『抜けがら狩り』で第21回高見順賞受賞。2007年『わが友、泥ん人』で第25回現代詩人賞受賞。 跡見学園女子大学の教授で、元IBC岩手放送アナウンサーの小長谷悠紀は娘。その夫で同郷でもあるフジテレビアナウンサーの青嶋達也は義息子にあたる。
伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999… 伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999年1月6日)は、日本の詩人。東京都出身。 1935年、東京阿佐ヶ谷に生まれる。少年時代を静岡県で過ごした。1945年5月、磐田空襲の直撃を受け、多くの友人を失っている。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。早稲田大学文学部独文科を卒業後、松竹に入社。長く助監督・松竹シナリオ研究所校長を務めた。1951年頃から詩作を発表し始める。後、「氾」「鷭」「壱拾壱」「淼」「アサザ属」「飾粽」「NEW感情」などに所属した。美術への関心も強く、コラージュ・イラスト・オブジェ・写真など、言葉によらない作品も多く残している。
大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 201… 大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)は、日本の詩人・評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。日本人初のストルガ詩の夕べ金冠賞受賞者。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 1931年生まれ。中学3年生の夏に終戦を迎え、「二十歳で死ななくてもいいのか」と思い、創作活動へ。旧制第一高等学校を経て、東京大学では同人誌「現代文学」を創刊。詩のほかに詩人論、翻訳も発表。 1953年に「現代詩試論」を発表。読売新聞で記者として働く傍ら、批評家として評価される。谷川俊太郎をはじめとした詩人や批評家との交流があり、それに触発された。 1960年頃からラジオ放送の場で、詩人、作家との共同制作=「うたげ」を盛んに行い、言葉と映像、美術、音楽など様々なものを生み出した。
朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 202… 朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 2023年6月17日 )は、日本のコピーライター、詩人、童話作家。東京都出身。 小学生の頃は夏休みごとに静岡市で過ごし、中学1年の3学期に静岡県立静岡中学校へ疎開転校した。中学3年の1947年(昭和22年)7月7日、結核で神奈川県秦野の療養所に入り、1955年(昭和30年)8月末まで8年2ヶ月の間、ベッドの上で暮らし24歳で退院した。静岡中学は3年1学期で中退したが、同級生たちのカンパによって抗生物質の入手が可能となり再起に繋がった。 1960年(昭和35年)1月、米国海軍戸塚無線送信所技術者から、ライトパブリシテイに転職、15年勤務の後、フリーランスを経て、1974年(昭和49年)12月、株式会社パブロを設立。
岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17… 岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17日 - 2023年12月29日)は、日本のSF翻訳家、詩人。日本文藝家協会会員。杉山 高之の名義も使用した。 静岡県静岡市出身。1953年静岡大学文理学部卒業。静岡のSFサークル「東海SFの会」で活動している際、浜松在住の浅倉久志の紹介でSF翻訳家になる。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、杉山高之名義で論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で「読み応えがある」と4頁もにわたり投稿全文が紹介されている。なお、この時の杉山の在住地は「静岡県志太郡岡部町」と書かれている。
森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の… 森 麗子(もり れいこ、1921年3月6日 - )は、日本の教育者、生物学者、手芸家、詩人。 旧姓は萩原(はぎわら)。書籍などで森 れい子(もり れいこ)との名義を用いることもある。 静岡県森町高等女学校、静岡高等学校、文化服装学院での勤務を経て、ガブロム工房主宰などを歴任した。 静岡県出身の手芸家である。旧制高等女学校や旧制高等学校の教員を経て、結婚を機に手芸家として活動する。エドナ・マーチンに師事したのち、さまざまな技法を駆使して糸で絵を描く「ファブリックピクチャー」を確立し、日本における第一人者として知られている。ガブロム工房の主宰としても活動し、個展だけでなく工房展なども開催した。旧制の静岡県森町高等女学校や静岡高等学校で教鞭を執り、戦後は文化服装学院において後進を育てた。
小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 20… 小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 2015年7月24日)は、静岡県庵原郡富士川町(現:富士市)生まれの詩人。女性。本名は芦川 照江(あしかわ てるえ)。日本現代詩人会会員。
石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月… 石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月11日 - 1977年(昭和52年)11月14日)は、日本の詩人。シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人である。
菅沼 五十一(すがぬま いそいち、1911年 - 1995年… 菅沼 五十一(すがぬま いそいち、1911年 - 1995年8月30日)は、日本の詩人、小説家。 『東海文学』同人、『遠州文学』同人、『麒麟』主宰、『独立文学』編集同人、浜松読書文化協力会会長、浜松ユネスコ協会会長などを歴任した。 静岡県小笠郡佐束村にて生まれた。佐束尋常小学校などを経て、静岡県立掛川中学校に進学した。旧制中学校在学中、詩人の三木露風の作品に影響を受け、詩作に熱中し、友人らと文芸誌を発刊した。その後、上京し、二松學舍専門学校に進学した。しかし、病により、やむなく二松學舍専門学校を中途退学した。 旧制専門学校を中途退学してからは、佐束村に戻って文学活動を続けることにした。同じ旧制中学校の先輩でもある文芸評論家の窪川鶴次郎から、大いに励ましを受けた。
長田 恒雄(おさだ つねお、1902年(明治35年)12月1… 長田 恒雄(おさだ つねお、1902年(明治35年)12月17日 - 1977年(昭和52年)3月30日)は、日本の詩人、作詞家。9歳で得度したが、詩人として仏教と向き合う道を選び多くの仏教詩を遺した。静岡県出身。 1902年(明治35年)、静岡県清水市、真宗大谷派の寺院に生まれる。静岡県立静岡中学校に学ぶ。東洋大学中退。1925年(大正14年)、「詩洋」の同人となる。1926年(大正15年)、三省堂勤務。1929年(昭和4年)、第1詩集「青魚集」を刊行。のちに北園克衛らを知り、モダニズムに近づく。1936年(昭和11年)、雑誌「科学ペン」(三省堂)の編集・発行を担当。戦後「現代詩研究」を創刊、主宰した。
橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964… 橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964年8月20日)は、日本の詩人・評論家・小説家。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)出身。静岡県旧制沼津中学(静岡県立沼津東高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科中退。1922年第1詩集「合掌の春」を刊行、ダダイスムの影響を受け1924年『ダムダム』創刊に参加。1927年『文藝公論』を創刊、主宰した。戦後は児童読物などを書いた。兄に橋爪恵、弟に橋爪克巳(1903-83)がいる。
木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)… 木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、静岡県出身の詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家。 東京帝国大学医科大学で学ぶ傍ら「パンの会」を興し、これと前後して『明星』『中央公論』『スバル』『白樺』で、詩のほか短歌・戯曲・小説などを発表。作風は南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的などと評された。のち、自費によるヨーロッパ留学を経て愛知医科大学、東北帝国大学、東京帝国大学の医学部教授を歴任し、傍らで文明批評や随筆紀行を著述した。筆名はほかに、堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、北村清六などがある。
角田 浩々歌客(かくだ こうこうかきゃく、明治2年9月16日… 角田 浩々歌客(かくだ こうこうかきゃく、明治2年9月16日〈1869年10月20日〉 - 1916年〈大正5年〉3月16日)は、明治時代の詩人、北欧文学者、文芸評論家、新聞記者。本名:角田勤一郎。大阪の論壇・文壇で重きを成して世論形成に大きな力を持ち、東の坪内逍遥と並び称された。 新聞社ごとに号や筆名を使い分け、『國民新聞』では岳麓布衣、『大阪朝日新聞』では不二行者、出門一笑、『大阪毎日新聞』では迂鈍居士、鈍右衛門、『読売新聞』では剣南、伊吹郊人、豹子頭、『東京日日新聞』では浩々而歌閣主、他、剣南道士など。 駿河国富士郡大宮町(現・静岡県富士宮市)生まれで旧静岡藩士の家系。佐野天声の実兄である。
山本 瓔子(やまもと ようこ)は、日本の詩人、作詞家、随筆家… 山本 瓔子(やまもと ようこ)は、日本の詩人、作詞家、随筆家。代表作は『あすという日が』。[要出典] 1937年 (昭和12年) 8月11日生まれ。静岡県磐田市出身。静岡県立磐田南高等学校卒業。本名・秋葉瓔子。 NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)小学校の部課題曲「ともだちと」「ポンポン船のうた」の作詞を手がける。その他自由曲も多数作詞。NHK紅白歌合戦では「バラ色の雲に乗せて」が歌われる。合唱曲や小・中・高等学校の校歌の作詞も多数手がけ、音楽や国語の教科書にも作品が掲載されている。詩集は7冊出版。CDも「山本瓔子の世界vol.1 小さな公園」、「同vol.2 宇宙基地より愛を込めて」をはじめ、多数発売。