青木アリエ(あおき ありえ、2004年6月4日 - )は、日… 青木アリエ(あおき ありえ、2004年6月4日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。
静岡県:51人
青木アリエ(あおき ありえ、2004年6月4日 - )は、日… 青木アリエ(あおき ありえ、2004年6月4日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。
米澤 奈々香 (よねざわ ななか、2004年2月24日 - … 米澤 奈々香 (よねざわ ななか、2004年2月24日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は中距離、長距離種目。静岡県浜松市出身。浜松市立北浜中学校、仙台育英高校、名城大学卒業。日本郵政グループ女子陸上部所属。 浜松市立北浜中学校3年時の2018年8月21日、全中陸上1500m優勝、タイムは4分27秒42。10月13日、ジュニアオリンピック1500m優勝、タイムは4分30秒86。 2019年、仙台育英高校に進学。12月22日、全国高等学校駅伝競走大会にて仙台育英高校が優勝し、タイムは1時間7分00秒。米澤は2区4kmを走り区間6位13分05秒であった。 2020年10月2日、日本選手権1500mにおいて田中希実に次いで2位となり、4分15秒62をマークした。
兼子 心晴(かねこ こはる、2004年1月27日 - )は、… 兼子 心晴(かねこ こはる、2004年1月27日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中距離走、長距離走。静岡県浜松市出身。浜松市立高等学校、城西大学卒業。浜松医科大学医学部看護学科在学中。 双子の妹の兼子心寧も陸上競技選手。心晴とは異なり浜松市立高卒業後に直接浜松医科大学へ進学した。
兵藤 ジュダ(ひょうどう ジュダ、2003年8月5日 - )… 兵藤 ジュダ(ひょうどう ジュダ、2003年8月5日 - )は、日本の陸上競技選手。静岡県静岡市出身。東海大学体育学部卒業。Honda陸上競技部所属。 静岡市立清水飯田中学校、東海大学付属静岡翔洋高等学校陸上競技部出身。父は米国人、母は日本人のハーフ。小学1年でサッカーを始め、その天性のスピードから精華清水陸上クラブの誘いを受け、小学4年生から陸上を始める。短距離からスタートし、中学では中距離に。強い先輩たちと一緒に走りたいと、練習環境が整った東海大学付属静岡翔洋高等学校へ進学。高校1年時は全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)への出場はなかったが、10月の東海高校新人陸上競技大会では800mで優勝した。
吉田 響(よしだ ひびき、2002年8月20日 - )は、日… 吉田 響(よしだ ひびき、2002年8月20日 - )は、日本の陸上競技選手。静岡県御殿場市出身。東海大学体育学部中退、創価大学経済学部卒業。サンベルクス陸上競技部所属(プロ契約)。 御殿場市立朝日小学校、御殿場市立原里中学校、東海大学付属静岡翔洋高等学校出身。 高校時代はインターハイおよび全国高校駅伝への出場はなかったが、高校1年時の東海高校駅伝では1区を走り、区間賞を獲得した中倉啓敦から12秒遅れるだけの区間3位(29分41秒)の好走があった。しかし高校2年以降は静岡県高校駅伝への出走すらなかった。 東海大学に入学して以降ほとんど試合に出場していなかったが、第98回箱根駅伝では山登りの5区を任される。
中津川 亜月(なかつがわ あづき、2001年6月28日 - … 中津川 亜月(なかつがわ あづき、2001年6月28日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は走幅跳と三段跳。 浜松市立曳馬中学校に入学し、3年次の第38回東海中学校総合体育大会にて5m48を跳び優勝。浜松市立高校に入学すると更に記録を伸ばし、2年次の東海高校総合体育大会にて、高校歴代10位、東海高校新記録となる6m23cmを跳んで優勝。 2020年推薦入試で横浜国立大学教育学部へ進学。 夏の全日本中学校陸上競技選手権大会に出場。 浜松市立高校に入学し、1年次の平成29年度全国高等学校総合体育大会4×100mRの3走メンバーとして出場。(準決勝敗退)第72回国民体育大会の女子少年B走幅跳で6m00をマーク。
鈴木 芽吹(すずき めぶき、2001年6月3日 - )は、日… 鈴木 芽吹(すずき めぶき、2001年6月3日 - )は、日本の陸上競技選手。静岡県熱海市出身。トヨタ自動車陸上長距離部所属。専門種目は長距離走。 熱海市立泉中学校、佐久長聖高等学校、駒澤大学経営学部卒業。 中学校に陸上部が無かったため、ソフトテニス部に所属していたが、ジュニアオリンピックの3000mで静岡県1位、全国都道府県対抗駅伝では4人抜きと活躍をみせた。 3年連続で全国高等学校駅伝に出場。1年次第68回は6区・区間賞(14分20秒)を獲得し、佐久長聖高校の2度目の全国優勝に貢献した。2年次第69回は5区・区間4位(8分44秒)。 3年次第71回はキャプテンとして1区を首位と11秒差の区間7位(28分59秒)で走り、チームを全国3位へと導いた。
渡邊 菜々美(わたなべ ななみ、1998年12月24日 - … 渡邊 菜々美(わたなべ ななみ、1998年12月24日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は中距離走、長距離走。アジアクロスカントリー選手権シニア団体金メダリスト。
石津 佳晃(いしづ よしあき、1998年11月13日 - )… 石津 佳晃(いしづ よしあき、1998年11月13日 - )は、日本の元陸上競技選手。静岡県浜松市出身。創価大学文学部人間学科卒業。 浜松市立三方原中学校、浜松日体高等学校、創価大学出身。 1年時と2年時は箱根駅伝予選会で敗退し、本戦に出場することは出来なかった。 3年時は予選会を5位で突破し、3年ぶりに本戦出場を決めた。本戦の第96回箱根駅伝では9区を担当。10位とは7秒差の11位で襷を受け取り区間6位の走りを見せたが、10位を走る選手が区間2位で走ったため55秒差に広げられ、シード権が厳しくなってしまった。しかし、10区の嶋津雄大が区間新記録の快走で2校を抜き去り、総合9位で大学史上初のシード権を獲得した。
川野 将虎(かわの まさとら、1998年10月23日 - )… 川野 将虎(かわの まさとら、1998年10月23日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は競歩。東洋大学総合情報学部総合情報学科卒業。旭化成所属。35km競歩の元世界記録保持者、50km競歩の日本記録保持者である。 自衛官の父が熊本市勤務時に、宮崎県日向市で生まれる。日向市は父の実家のある場所だった。 小中学校は静岡県小山町にある学校を、高等学校は静岡県御殿場市にある学校をそれぞれ卒業した。 この生い立ちから、出身地について「宮崎県(日向市)」とする文献と、「静岡県(小山町)」とする文献とがある。 2019年10月27日、第58回全日本50km競歩高畠大会(山形県)において、3時間36分45秒の日本新記録で優勝し、2020年東京オリンピックの日本代表選手に選出された。
池田 耀平(いけだ ようへい、1998年6月22日 - )は… 池田 耀平(いけだ ようへい、1998年6月22日 - )は、静岡県島田市出身の陸上競技(長距離走)選手。静岡県立島田高等学校、日本体育大学卒業。花王陸上競技部所属。 小学生の時は島田ウエスタン野球少年団で投手として活躍、陸上も島田市の代表として選出され、リアル二刀流であった。中学時代は市立島田第一中学校で野球部、3年時には投手として県大会にも出場したほど。島田高校に入学後陸上を始める。高1、高2と目立った成績は無し。高校3年時のインターハイでは1500mで5位入賞。都道府県対抗駅伝では1区区間10位と結果を残し、日本体育大学に進学。しかし1年次は故障が相次ぎ、記録会への出場もほとんどなかった。
池田 向希(いけだ こうき、1998年5月3日 - )は、日… 池田 向希(いけだ こうき、1998年5月3日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は競歩。旭化成所属。 静岡県浜松市生まれ。浜松市立積志中学校、浜松日体高等学校、東洋大学経済学部経済学科卒業。大学入学後、陸上部にマネージャー兼務で入部した。 ファッションモデルの池田美優は、再従妹である。 2020年3月15日に行われた東京五輪代表最終選考会兼全日本競歩能美大会で優勝し、20キロの東京五輪代表に内定した。 2021年度より大学の同期で50km競歩で内定している川野将虎とともに旭化成へ入社した。2020年東京オリンピックの陸上競技・男子20km競歩で銀メダルを獲得した。 2022年7月15日、世界陸上男子20キロ競歩で銀メダルを獲得。
伊藤 達彦(いとう たつひこ、1998年3月23日 - )は… 伊藤 達彦(いとう たつひこ、1998年3月23日 - )は、静岡県浜松市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。静岡県立浜松商業高等学校、東京国際大学卒業。Honda陸上競技部所属。 中学時代はサッカー部に所属していた。浜松商業高校に入学後、本格的に陸上を始める。 高校時代の自己ベストは5000m14分33秒10と飛びぬけたものではなく、2年生の冬までは卒業後に就職するか、調理師専門学校に進学するかで迷っていたという。 大志田秀次監督からの熱心な誘いを受け、東京国際大学に進学。1年時から第48回全日本大学駅伝・第93回箱根駅伝の予選会メンバーに抜擢されるが、ともに成績は振るわず予選落ちとなった。 怪我もなく順調に練習をこなしたことで2年時にはチームの主力に成長。
太田 智樹(おおた ともき、1997年10月17日 - )は… 太田 智樹(おおた ともき、1997年10月17日 - )は、静岡県浜松市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。浜松日体高等学校、早稲田大学卒業。トヨタ自動車陸上長距離部所属。ハーフマラソン日本記録保持者。なお、ヤクルト陸上競技部の太田直希(浜松日体高校→早稲田大学出身)は2学年下の弟である。 浜名中学校入学時から陸上を始め、3年次に第39回全日本中学校陸上競技選手権大会で3000m優勝し、第43回ジュニアオリンピック陸上競技大会でも3000mで大会新記録を樹立して優勝し、男子の最優秀選手に選ばれた。全国都道府県対抗男子駅伝でも2区区間2位と好走した。 早稲田大学在学中は4年連続で箱根駅伝に4年連続で出走し、2年生から4年生まで3年連続で各校のエースが集まる花の2区を出走した。
松本 奈菜子(まつもと ななこ、1996年9月3日 - )は… 松本 奈菜子(まつもと ななこ、1996年9月3日 - )は、静岡県静岡市出身の日本の陸上選手。短距離走を専門とする。300メートル競走の日本記録保持者。 静岡市立清水第四中学校、浜松市立高等学校、筑波大学を経て東邦銀行所属。
油井 快晴(ゆい かいせい、1996年2月6日 - )は、日… 油井 快晴(ゆい かいせい、1996年2月6日 - )は、日本の短距離走選手。400mを専門とする。静岡県出身。 焼津市立大井川中学校、浜松市立高等学校を経て順天堂大学に入学した。
近藤 秀一(こんどう しゅういち、1995年7月27日 - … 近藤 秀一(こんどう しゅういち、1995年7月27日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。静岡県田方郡函南町出身。静岡県立韮山高等学校(理数科)、東京大学工学部各卒業。GMOアスリーツに所属していた。
杉浦 はる香(すぎうら はるか、1995年6月8日 - )は… 杉浦 はる香(すぎうら はるか、1995年6月8日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走(400m)。 静岡県磐田市出身。小学校まではミニバスケットボールに熱中していたが、小学校6年の時に出場した磐田市内の陸上競技大会で100mを走って優勝したことから中学校入学後に陸上競技部に入部して本格的に陸上競技を始める。中学校卒業後は浜松市立高等学校へ進学。 2013年6月に開催された第97回日本陸上競技選手権大会400mにおいて、予選で53秒37を記録し、それまで柿沼和恵が保持していた高校記録53秒45を約21年振りに更新した。決勝ではさらに、日本歴代2位となる52秒52で優勝した。この記録は丹野麻美が保持していた日本ジュニア記録52秒88を約9年振りに更新するものでもあった。
日吉 克実(ひよし かつみ、1995年5月8日 - )は、静… 日吉 克実(ひよし かつみ、1995年5月8日 - )は、静岡県伊豆市出身の元陸上競技選手、元競輪選手。 陸上選手としての専門は100mと200mの短距離走。200mの日本中学記録保持者、100mの元中学記録保持者である。 競輪選手としては、日本競輪選手養成所(以下、養成所)第123期生。現役時代は日本競輪選手会静岡支部所属。師匠は久松昇一(59期、引退)。 静岡県伊豆市出身。伊豆市立修善寺中学校、静岡県立韮山高等学校、中央大学(文学部)卒業。 5年生の時に地元の陸上クラブ・中伊豆ACに入って陸上を始める。6年生の時には全国小学生陸上4×100mRに出場し、2走を務めて7位入賞した。 2008年、10月のジュニアオリンピックC100mに出場すると、予選・準決勝・決勝の全てで11秒4台をマークして優勝した。
加藤 修也(かとう のぶや、1995年(平成7年)4月16日… 加藤 修也(かとう のぶや、1995年(平成7年)4月16日 - )は、日本の陸上競技選手(短距離走専門)。HULFT陸上クラブ所属。 中学校まではサッカーをやっていて、陸上競技を始めたのは静岡県立浜名高等学校に入学してからである。高校2年時のIH 400mでは3位。3年時には400mでインターハイ・国体・ジュニア陸上の高校3冠を達成。11月2日のエコパトラックゲームズでは45秒69、金丸祐三に次ぐ400m高校歴代2位を記録した。 2014年に早稲田大学スポーツ科学部に進学。同年5月17日、関東インカレ400mで優勝、7月24日に米オレゴン州ユージンで行なわれた世界ジュニア陸上競技選手権大会400mでは、46秒17で銀メダルを獲得した。
木村 慎 (きむら しん、1994年2月8日 - ) は、静… 木村 慎 (きむら しん、1994年2月8日 - ) は、静岡県出身の陸上競技選手。専門は長距離種目。浜松日体高等学校、明治大学商学部卒業。Honda陸上競技部所属。 浜松日体高校時代は全国高校駅伝に3年連続出場を果たす。 明治大学競走部では同期の横手健(現:富士通陸上競技部)とともに主力選手として活躍。4年時には横手が主将を務め、木村は横手がケガで戦線を離れている際にチームを引っ張るなどWエースとしてチームを支えた。大学三大駅伝には4年間で通算9回出走し、すべて区間一桁順位を記録した。2年時の第45回全日本大学駅伝では7区で区間賞を獲得。3年時の熊日30キロロードレースでは優勝を果たすなどロードレースを得意とした。
飯塚 翔太(いいづか しょうた、1991年6月25日 - )… 飯塚 翔太(いいづか しょうた、1991年6月25日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は短距離走。静岡県御前崎市出身。藤枝明誠高等学校・中央大学法学部卒業、ミズノ所属。2016年リオデジャネイロオリンピック4×100mリレー銀メダリスト。ショットガンタッチ世界記録保持者。 2004年、中学1年時のジュニアオリンピックDクラス100mで優勝。2006年、中学3年時のジュニアオリンピックAクラス200mで優勝するなど早くから活躍を見せた。 2007年、藤枝明誠高校に入学、10月の国民体育大会少年男子B200mにおいて21秒71の記録で優勝した。肉離れを起こすなど怪我があったものの、2009年8月の全国高等学校総合体育大会では100mが10秒46で2位、200mでは21秒01で優勝した。
佐藤 友祈(さとう ともき、1989年9月8日 - )は、日… 佐藤 友祈(さとう ともき、1989年9月8日 - )は、日本の車いす陸上競技選手。株式会社モリサワ所属。マネジメントは株式会社クロスブレイス。 2021年開催の東京パラリンピック 陸上 車いす 金メダリスト。 静岡県藤枝市出身。静清工業高校(現静清高校)卒。卒業後は県内の水産加工会社に勤めたが、半年後に退職。演劇の仕事を夢見て上京したが、21歳の時に脊髄炎になり、左腕が麻痺し、下半身の感覚を失った。 車いす生活になってからは藤枝市に戻り、しばらくは引きこもるようになったが、ロンドンパラリンピックで競技用車いすで走る選手をテレビで見て衝撃を受け、自分もやってみたいと思うようになった。 2013年と2014年に東京マラソンの10キロ車いす男子に出場。
笹瀬 弘樹(ささせ ひろき、1989年8月17日 - )は、… 笹瀬 弘樹(ささせ ひろき、1989年8月17日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は棒高跳。棒高跳日本中学・元高校記録保持者(歴代2位)。マラケシュ世界ユース選手権日本代表。静岡県浜松市出身。新居町立新居中学校・浜松市立高等学校・早稲田大学スポーツ科学部卒業、スズキアスリートクラブ所属。静岡県のクラブチームTOMORUNに所属し、2022年より監督を務める。
堂本 尚寛(どうもと なおひろ、1989年7月23日 - )… 堂本 尚寛(どうもと なおひろ、1989年7月23日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。身長:165cm、体重:50kg。佐久長聖高校、日本大学卒業。JR東日本ランニングチームに所属した。 静岡県沼津市出身。高校は長野県の佐久長聖高校に通う。3年時には、1学年下の村澤明伸(現SGホールディングス所属)や2学年下の大迫傑(現リーニン所属)など強力なチームメイトにも恵まれ、全国高校駅伝では仙台育英高校と優勝を争った。堂本はアンカー7区を担当し、先頭の仙台育英高校とほぼ同時の2位でタスキを受け、ゴール直前まで仙台育英高校の橋本隆光と優勝争いを演じたが、最後に競り負けてしまい同タイムでゴールしながらチーム史上初の優勝を逃してしまった。
髙瀬 慧(たかせ けい、1988年11月25日 - )は、静… 髙瀬 慧(たかせ けい、1988年11月25日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の陸上選手。 静岡市立長田東小学校、静岡市立長田南中学校卒。小学校4年生の時から静岡市陸上教室で陸上を始める。静岡市立長田南中学校時代の記録は100mが11秒8、200mが24秒2で、県大会予選落ちのレベルだった。 静岡県立静岡西高等学校卒。高校時代の実績は200mと400mでいずれもインターハイ準決勝敗退というものだった。 順天堂大学に進み、2007年の日本ジュニア選手権400mで全国大会初入賞の5位。2009年の日本選手権リレー400mリレーで3位、1600mリレーで優勝。2010年の日本選手権リレー400mリレーで優勝、1600mリレーで2位。
高瀬 慧(たかせ けい、1988年11月25日 - )は、静… 高瀬 慧(たかせ けい、1988年11月25日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の陸上選手。
中村 宝子(なかむら たからこ、1988年10月3日 - )… 中村 宝子(なかむら たからこ、1988年10月3日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離。
大石 港与(おおいし みなと、1988年5月19日 - )は… 大石 港与(おおいし みなと、1988年5月19日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。静岡県出身。静岡県立富士東高等学校、中央大学卒業。元トヨタ自動車所属。現在は中央大学陸上競技部プレイングコーチ。
佐野 広明(さの ひろあき、1988年2月28日 - )は、… 佐野 広明(さの ひろあき、1988年2月28日 - )は、静岡県浜松市出身の元陸上競技選手。専門は長距離走。静岡県立浜北西高等学校、麗澤大学卒業。Honda陸上競技部に所属した。 浜北西高校時代は5000mで東海大会までは出場したが全国区の選手ではなかった。3年次の2005年第6回静岡県市町対抗駅伝競走大会では、町村の部の第4区(5.81km、ジュニアA男子区間)に出場している。 大学は箱根駅伝に出場経験のない麗澤大学に進学した。箱根駅伝予選会には4年連続で出場。本戦出場に導くことはできなかったが、佐野自身は3年次の第85回大会予選会で個人46位と結果を残し、関東学連選抜の一員に選ばれた。本戦では最終10区を担当、区間2位の好走で12位から9位まで順位を押し上げゴール。
鈴木 崇文(すずき たかふみ、1987年5月25日 -)は、… 鈴木 崇文(すずき たかふみ、1987年5月25日 -)は、日本の棒高跳選手。静岡県富士市出身。2009年世界陸上競技選手権大会に出場した。2010年の日本陸上競技選手権大会で優勝した。個人ベストは5.55mであり、2008年4月と2009年5月に記録している。日本の大学記録を所持していた。 富士市立富士中学校、静岡県立富士宮北高等学校、東海大学出身。東海大学卒業後はチームミズノアスレティックに所属した。
佐藤 悠基(さとう ゆうき、1986年11月26日 - )は… 佐藤 悠基(さとう ゆうき、1986年11月26日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中・長距離種目。静岡県駿東郡清水町出身。佐久長聖高等学校、東海大学卒業。SGホールディングス所属。2012年ロンドンオリンピック日本代表。身長178cm、体重59kg。 中学時代より出場した各種目の記録を塗り替え、箱根駅伝では3年連続区間新記録を樹立するなど活躍した。全国都道府県対抗男子駅伝では長野県代表選手として5度優勝を飾っている。2009年4月には10000m日本歴代3位となる27分38秒25、2010年7月には3000m日本歴代2位となる7分44秒63、2013年7月には5000m日本歴代3位となる13分13秒60を記録した。
中川 智春(なかがわ ちはる(旧姓:中村)1986年4月8日… 中川 智春(なかがわ ちはる(旧姓:中村)1986年4月8日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は1500m・5000m。滋賀県出身。静岡県立藤枝東高等学校、明治大学文学部卒業後、現在はトーエネックに所属。兄はスズキ浜松ACに所属し、3000mSCなどで活躍した中川智博。 その他:2011、2013-2018年ニューイヤー駅伝出場
山下 拓郎(やました たくろう、1984年10月21日 - … 山下 拓郎(やました たくろう、1984年10月21日 - )は、静岡県出身の元陸上競技選手、陸上競技指導者。常葉学園菊川高等学校、亜細亜大学卒業。かつては社会人の富士通に所属した。現役時代の専門は長距離走。 2024年現在は小森コーポレーション陸上競技部コーチ。 静岡県の常葉学園菊川高校卒業後に岡田正裕率いる亜細亜大学陸上競技部に入部。1年次より箱根駅伝に出場。3年次の第82回東京箱根間往復大学駅伝競走では、同校初の総合優勝に大きく貢献するとともに自身も9区で区間賞を受賞した。このほか、大学時代は出雲駅伝に1回、全日本大学駅伝に3回出場している。 大学卒業後は社会人の富士通に入社。2009年11月の大田原マラソンで優勝するなど実績を積んだ。
北島 吉章(きたじま よしあき、1979年4月28日 - )… 北島 吉章(きたじま よしあき、1979年4月28日 - )は、日本の元陸上競技選手。静岡県静岡市出身。帝京大学文学部史学科卒業。 高校は常葉学園橘高等学校(現:常葉大学附属橘高等学校)出身。 1年時の1月に開催された第75回箱根駅伝では7区を走ったが区間最下位に終わり、帝京大も2年連続で最下位でのフィニッシュとなった。 2年時の10月に行われた第76回箱根駅伝予選会では法政大・坪田智夫を抑えて日本人2位の個人4位でフィニッシュ(帝京大・中崎幸伸が日本人1位)。このレースで1時間を切った日本人選手は5人だったが、その内3人が帝京大の選手という圧倒的な強さを見せて初の首位通過を果たした。 1月の第76回箱根駅伝では3区を任される。
古田 哲弘(ふるた てつひろ、1977年9月16日 - )は… 古田 哲弘(ふるた てつひろ、1977年9月16日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中・長距離走。陸上日本代表。1996年世界ジュニア陸上競技選手権大会10000m銅メダリスト。 磐田郡竜洋中学(現磐田市立竜洋中学)出身。静岡県立浜松商業高等学校、山梨学院大学出身。 1994年の第45回全国高校駅伝では2年生ながら最長区間である花の1区を務め、ダニエル・ジェンガに次ぐ区間2位(日本人トップ)の好走。翌1995年の第46回全国高校駅伝でも2年連続の1区を務め、ジュリアス・ギタヒに次ぐ区間2位(日本人トップ)で、29分15秒のタイムをマーク。これは2003年に上野裕一郎(佐久長聖高等学校)が28分54秒を記録するまで、日本人選手区間最高記録であった。
村上 佳宏(むらかみ よしひろ、1976年11月26日 - … 村上 佳宏(むらかみ よしひろ、1976年11月26日 - )は、静岡市出身の近代五種競技選手である。海上自衛隊呉教育隊所属。1等海尉。静岡県沼津学園高校(現飛龍高等学校)、日本体育大学卒業。 5歳で水泳を始め、沼津学園高3年でインターハイ400メートルリレー4位に輝く。 日体大進学後も自由形でインカレに出場し活躍。しかし日本選手権には出場できず。 卒業後は自衛隊体育学校に入り近代五種を始める。 2002年アジア大会団体で銅メダル獲得。しかし2004年アジア選手権では6位でアテネ五輪は逃す。 2006年12月の全日本選手権で初優勝。 2007年5月のアジア選手権で5位に入り、上位5人(1か国・地域2人まで)に与えられる北京オリンピック出場権を獲得。
杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - … 杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - )は、日本の陸上競技選手、サッカー指導者(フィジカルコーチ)。静岡県沼津市出身。血液型はO型。静岡県立浜松北高等学校、法政大学(卒業後、ドイツ留学)、中京大学大学院博士課程修了。 現在は法政大学経済学部教授を務める。 182cm、80kgと恵まれた体型から、日本人離れしたパワータイプのスプリンターであった。 インターハイ、インカレの実績ですでに日本のトップスプリンターの1人であったが、日本選手権のタイトルや日本記録はならず、また、25歳を越してから活躍が乏しく、オリンピック代表も22歳でのバルセロナに終わった。バルセロナでは4×100mリレーのアンカーとして、日本の戦後初のオリンピックでのリレー種目決勝進出に貢献。
竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )… 竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )は、日本の元棒高跳選手。1991年と1995年のアジア陸上競技選手権大会で2度優勝している。1991年世界陸上競技選手権大会に日本代表で出場し、1992年IAAFワールドカップにアジア代表で出場した。 国内においては1995年に国民体育大会で優勝し、日本陸上競技選手権大会で2度優勝している。 田原本町立田原本中学校、興誠高等学校(現在の浜松学院興誠高等学校)、中京大学卒。ミキハウスに所属していた。
岡村 正広(おかむら まさひろ、1970年4月13日 - )… 岡村 正広(おかむら まさひろ、1970年4月13日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。静岡県御前崎市出身、 RUNWEB 所属、 IPC 陸上競技クラス T12 、身長 175cm 、体重 54kg 。 2016年、リオパラリンピックのマラソンで銅メダルを獲得。 2012年、ロンドンパラリンピックマラソン4位、2011年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン銅メダル等で活躍。クラス T13 および T12 の 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。2008年、北京パラリンピックのマラソンには選手の伴走をするガイドランナーとして出場した。 1970年4月13日、静岡県小笠郡浜岡町(現在の御前崎市)に生まれる。
佐野 浩之(さの ひろゆき、1968年10月6日 - )は、… 佐野 浩之(さの ひろゆき、1968年10月6日 - )は、静岡県富士宮市出身の陸上競技選手。静岡県富士宮市立第四中学校、静岡県立富士宮北高等学校、法政大学卒。 1992年バルセロナオリンピックで男子棒高跳に出場した。
鈴木 文(すずき あや、1967年11月18日 - )は、日… 鈴木 文(すずき あや、1967年11月18日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は砲丸投、ハンマー投。元砲丸投日本記録保持者、ハンマー投アジア記録保持者。女子ハンマー投のパイオニアとして知られる。静岡県浜松市出身。静岡県浜松市立天竜中学校卒業。静岡県立浜松工業高等学校卒業。広島県のチチヤス乳業に所属した。
高野 進(たかの すすむ、1961年5月21日 - )は、日… 高野 進(たかの すすむ、1961年5月21日 - )は、日本の陸上競技選手、指導者。男子400mの元日本記録保持者である。静岡県富士宮市出身。富士市立吉原商業高等学校、東海大学体育学部卒業。東海大学大学院修了。東海大学体育学部競技スポーツ学科専任教授、東海大学陸上競技部監督。日本スプリント学会会長。日本陸上競技連盟理事。北京オリンピックおよびロンドンオリンピック陸上競技日本選手団監督。 富士宮市麓生まれ。高校から陸上競技に本格的に取り組む。当初は棒高跳を専門にしていたが高校1年時の練習中にひざを故障、足が速かったこともあって短距離に転向し、400mを中心としたスプリンターとなる。東海大学進学時は文学部に入学したが後に体育学部へ進み、学部卒業の後は大学院修了を経て母校の講師に就任した。
本田 陽(ほんだ よう、1959年4月29日 - 2018年… 本田 陽(ほんだ よう、1959年4月29日 - 2018年10月2日)は、日本の陸上競技解説者・陸上競技選手・体育学者。中京大学 スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授。 西和中3年時に、第1回全日本中学校陸上競技選手権大会において三種競技B優勝。なお三種競技はこの年度より発足。 静岡・浜松北高を経て慶大に進学。1980年に西ドイツ(当時)・マインツ大に留学してコーチングを学ぶ。1997年に中京大に赴任。1998年から陸上部コーチを務め、2006年監督に就任する。 中田有紀、桐山智衣、中村明彦らのコーチとして指導。
吉田 正美(よしだ まさみ、1946年1月17日 - )は、… 吉田 正美(よしだ まさみ、1946年1月17日 - )は、日本の短距離走選手。1964年東京オリンピックの4×400mリレーに出場した。 日本大学三島高等学校、日本大学出身。
宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は… 宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は、日本の陸上競技(短距離走)選手。1964年東京オリンピックで女子400メートルリレー走に出場した。 出身高校は西遠女子学園高等学校(静岡県浜松市)。同校は「陸上の西遠」の名で呼ばれた陸上競技の強豪校であった。1961年のインターハイでは、100m走と200m走で優勝した。 中京大学に進学。1964年5月10日の神奈川県選手権大会の100m走で11秒8(手動計時)を記録、これは当時の日本学生記録であり、また生涯ベストタイムとなっている。1964年7月の日本陸上競技選手権大会では100m走で優勝。同年10月に開催された1964年東京オリンピックでは、400mリレー(井口任子・江副令子・宮本悦子・依田郁子)の第三走者を務めたが、予選突破はかなわなかった。
荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - … 荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - ) は、日本の陸上競技選手。1964年東京オリンピック陸上日本男子円盤投代表候補選手 (膝の故障により出場断念)。円盤投男子元日本記録保持者。静岡県浜松市出身。中央大学法学部法学科卒業。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
鈴木 章介(すずき しょうすけ、1936年11月11日 - … 鈴木 章介(すずき しょうすけ、1936年11月11日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は十種競技、棒高跳び。 1936年11月11日、静岡県浜松市鴨江にて生まれる。 中学校の時に陸上を始める。当初は走幅跳と三段跳を中心にやっていたが、中学校3年の時に陸上部顧問教師から「棒高跳をやれよ」と言われて、棒高跳に取り組む。中学3年次のベストは2m67cmであった。 1952年に静岡県立浜松商業高等学校へ進学。ここで本格的に棒高跳に取り組みつつも、中学時代にやっていた走幅跳、三段跳でも競技会に出場する。高校3年次の1954年に熊本県熊本市水前寺競技場で開催された第7回全国高等学校総合体育大会陸上競技大会男子棒高跳で当時の大会記録である3m71cmを跳び優勝、高校日本一となった。
中島 亥太郎(なかじま いたろう、1911年3月13日 - … 中島 亥太郎(なかじま いたろう、1911年3月13日 - 1993年5月20日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。400mの元日本記録保持者。早稲田大学在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに200m走およびリレー2種目(4×100m、4×400m)で出場。 静岡県御殿場市出身。沼津商業学校(現在の静岡県立沼津商業高等学校)卒業後、早稲田大学に進む。 早稲田大学在学中の1930年から1933年にかけて、400mの日本記録(ならびに日本男子学生記録)を6回更新している。 1932年ロサンゼルスオリンピックの代表となり、男子200メートル、男子400メートルリレー走(吉岡隆徳、南部忠平、阿武巌夫、中島亥太郎)、男子1600メートルリレー走(中島亥太郎、増田礒、大木正幹、西貞一)に出場。
大橋 敏宏(おおはし としひろ)は日本の男子陸上競技選手。専… 大橋 敏宏(おおはし としひろ)は日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。 磐田第一高等学校(現在の磐田南高等学校)在学中の1948年、第1回全国高等学校陸上競技大会に出場、100m走・200m走で優勝。高校卒業後、慶應義塾大学に進学。 慶應義塾大学在学中、日本学生陸上競技対校選手権大会100m走で3連覇(1950年 - 1952年)。1951年にはニューデリーで開催されたアジア競技大会に出場しており、100mでインドのレヴィ・ピントに次ぐ2位になっている。400mリレーでは田島政次、細田富男、生駒一太とともに優勝している。 1951年の日本陸上競技選手権大会では100mで優勝。翌1952年の日本陸上競技選手権大会の100m走では、ジャマイカのH・マッケンレー(同年に開催されたヘルシンキオリンピックの100m走銀メダリスト)に次ぐ2位(10秒9)となった。