野村 幸一郎(のむら こういちろう、1964年 - )は、日… 野村 幸一郎(のむら こういちろう、1964年 - )は、日本の日本近代文学研究者。京都橘大学教授。 三重県伊勢市生まれ。1989年、立命館大学文学部日本文学科卒。1995年、同大学院文学研究科博士課程修了。「森鷗外論 - 明治四十年代を中心に」で博士(文学)。1998年、京都橘大学文学部助教授、のち教授。
三重県:1,297人
野村 幸一郎(のむら こういちろう、1964年 - )は、日… 野村 幸一郎(のむら こういちろう、1964年 - )は、日本の日本近代文学研究者。京都橘大学教授。 三重県伊勢市生まれ。1989年、立命館大学文学部日本文学科卒。1995年、同大学院文学研究科博士課程修了。「森鷗外論 - 明治四十年代を中心に」で博士(文学)。1998年、京都橘大学文学部助教授、のち教授。
宮崎 祥司(みやざき しょうじ、1963年12月16日 - … 宮崎 祥司(みやざき しょうじ、1963年12月16日 - )は、三重県津市出身の元オートバイ・ロードレース選手。1988年・1991年の全日本ロードレース選手権TT F1クラスチャンピオン。国際A級通算9勝。 鈴鹿サーキットから近い津市出身。少年時代から自転車でサーキットへ観戦に行っており、中学時代は自分が免許をとれるまでにレースを研究できる分野としてラジコンカーに熱中。津市内で開催された120人ほど参加者がいるラジコン大会で優勝歴がある。中学1年の時に鈴鹿BIG2&4レースで四輪のフォーミュラ2を観戦、高橋国光や星野一義のファンだった。高校に進学後はレーシングカートに1年ほど打ち込む。オートバイ免許を取る前にスズキのモトクロス車両・RM80を中古で見つけ練習に励み、高校3年で初めてモトクロスレースに出場した。
伊藤 智也(いとう ともや、1963年8月16日 -)は、日… 伊藤 智也(いとう ともや、1963年8月16日 -)は、日本の車椅子陸上アスリート。三重県鈴鹿市出身。ASSA-TC所属。メインスポンサーはJAグループ三重。マネージメントは株式会社オフィス TI-Rが担当している。 座右の銘は「勝って慢らず 負けて僻まず」。 会社経営者だった34歳の時に、難病の多発性硬化症を発症し、車いす生活になってしまう。翌年から陸上を始め、北京パラリンピックでは400mなどで金メダル、ロンドン大会では3種目で銀メダル。一時、現役を引退したが、2017年復帰。"車いすの鉄人"と言われる。 引退してから現役復帰した件については株式会社RDSの代表を務める杉原行里が深く関わっている。
北尾 光司(きたお こうじ、1963年〈昭和38年〉8月12… 北尾 光司(きたお こうじ、1963年〈昭和38年〉8月12日 - 2019年〈平成31年〉2月10日)は、三重県津市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。第60代横綱。引退後は総合格闘家・スポーツ冒険家・武道家・プロレスラーなど、様々な肩書を名乗っていた。 横綱時代の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。横綱まで昇進しながら幕内最高優勝を一度も経験せずに相撲界を去った力士でもあった。 幼少期に父親の影響で柔道を始めたが、津市立敬和小学校に土俵が完成してからは毎日のように相撲を取って相撲が徐々に好きになり、地元の商店街で出場を勧められた相撲大会で優勝してからはさらに好きになった。次第に対戦相手に困るようになると、立浪部屋後援会会員の中にアマチュア相撲三段の腕を持ち「津相撲クラブ」の責任者を務める人物から指導を受け、津市立東橋内中学校へ入学して以降は立合いの当たりで対戦相手を土俵下まで吹っ飛ばすほどの実力を付けた。
小川 真司(おがわ しんじ、 1963年5月2日 - )は、… 小川 真司(おがわ しんじ、 1963年5月2日 - )は、日本の映画プロデューサー、元ゲームプロデューサー。株式会社ブリッジヘッドのプロデューサー、代表取締役である。 三重県の鈴鹿市で生まれる。早稲田大学法学部を卒業。1987年にアスミックに入社し、オリジナルビデオ製作やコンピュータソフト制作などを担当。アスミック・エースエンターテインメント株式会社執行役員を歴任後、同社企画・製作事業本部エグゼクティブプロデューサーに就任。2012年7月に25年勤務したアスミック・エースを退社し、株式会社ブリッジヘッドを設立。 猫を2匹飼っている。
横山 智佐子(よこやま ちさこ、Chisako Yokoya… 横山 智佐子(よこやま ちさこ、Chisako Yokoyama、1963年5月 - )は三重県津市生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス在住の映像編集者。 『JFK』でアカデミー賞を受賞したピエトロ・スカリアとともにリドリー・スコット監督作品等を始め、ハリウッド作品20本以上を編集。主な代表作は『ブラックホークダウン』『ハンニバル』『グラディエーター』『アメリカン・ギャングスター』。2006年からロサンゼルス郊外のトーランス市で映画学校インターナショナル・スクール・オブ・モーション・ピクチャーズを経営している。アメリカ映画・テレビ編集者組合会員。
美衣 暁(みい あきら、1963年4月26日 -)は、日本の… 美衣 暁(みい あきら、1963年4月26日 -)は、日本の男性漫画家。三重県津市出身。三重高田高校出身。主に成人向けのストーリー漫画など執筆していた。 高校入学後、美術部に入部した後に漫画同好会を設立し初代会長となったとのこと。高校卒業後、上京し東京デザイナー学院に入学したが中退した。その後アシスタントやデザイナーなどの仕事を経て、一般向けの雑誌では佐江明名義にて秋田書店のヤングチャンピオンなどで執筆していた。成人向けでは美衣暁名義にてメディアックスやフランス書院、久保書店などの各成人向け雑誌にて2000年頃まで作品を発表していた。その後しばらくは同人活動を行っていたが、現在は本人HPのプロフィールや日記などによると三重県の実家に戻り療養中で、漫画の執筆活動は行っていないとの事。
石原 壮一郎(いしはら そういちろう、1963年3月12日 … 石原 壮一郎(いしはら そういちろう、1963年3月12日 - )は、日本のコラムニスト。三重県出身。 三重県立松阪高等学校を経て1986年、埼玉大学教養学部卒業。 大学時代にミニコミ誌のサークルを結成した。このサークルで作成した『埼玉ラブホテルガイド』は2000部ほどの売り上げを記録し、2冊目も発行された。 雑誌の取材を受けるなどミニコミが評判になったことなどをきっかけに、月刊誌『QA』(平凡社)の編集者となる。 その後、月刊誌『ID-JAPAN』創刊に関わるが、永遠の若者文化を称揚するような雑誌の方針に違和感を覚え、1992年に「大人養成講座」というページを作成。それが「大人モノ」を始めるきっかけとなった。
水越 伸(みずこし しん、1963年3月6日 - )は、日本… 水越 伸(みずこし しん、1963年3月6日 - )は、日本のメディア研究者。東京大学大学院情報学環教授を経て、関西大学社会学部メディア専攻教授。放送大学客員教授。 三重県桑名市生まれ、石川県金沢市育ち。父は大阪大学名誉教授の水越敏行。1986年筑波大学第二学群比較文化学類卒業。1988年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。1989年東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。大学在学中から約10年、インダストリアルデザイン・オフィス、COATO メンバーとしてユーザー・エクスペリエンス・リサーチに従事。 1989年、東京大学新聞研究所助手を経て、1993年より同大学社会情報研究所助教授。1996〜1997年、コロンビア大学ジャーナリズム・スクール客員研究員。
櫻井 義之(さくらい よしゆき、1963年〈昭和38年〉2月… 櫻井 義之(さくらい よしゆき、1963年〈昭和38年〉2月25日 - )は、日本の政治家。三重県亀山市長(5期)。元三重県議会議員(4期)、元亀山市議会議員(1期)。 1981年(昭和56年)3月、三重県立神戸高等学校卒業。1986年(昭和61年)3月、関西大学社会学部卒業。 1991年(平成3年)4月、亀山市議会議員選挙に初当選。1期務めたのち、1995年(平成7年)に三重県議会議員選挙に出馬し初当選。2007年(平成19年)まで4選を重ねる。 2009年(平成21年)2月1日に行われた亀山市長選挙に出馬。旧関町長の清水孝哉を破り初当選(櫻井:12,727票、清水:11,193票)。投票率は62.65%。
一見 勝之(いちみ かつゆき、1963年〈昭和38年〉1月3… 一見 勝之(いちみ かつゆき、1963年〈昭和38年〉1月30日 - )は、日本の政治家、運輸・国土交通官僚。三重県知事(公選第21・22代)。無所属。 三重県亀山市出身。高田高等学校を経て1986年3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格して、1986年4月に運輸省へ入省。 2018年5月15日に海上保安庁次長、2019年7月9日に国土交通省自動車局長、2020年8月1日に内閣府総合海洋政策推進事務局長。2021年7月、退官。 同年8月、鈴木英敬知事の第49回衆議院議員総選挙立候補に伴う辞職により秋に行われる三重県知事選挙への立候補を表明。自民・公明・立憲・国民から推薦を得て、同年9月12日に行われた選挙で当選を果たした。
川北 眞紀子(かわきた まきこ、1963年 - )は、日本の… 川北 眞紀子(かわきた まきこ、1963年 - )は、日本の経営学者。南山大学経営学部教授。専門は、マーケティング・消費者行動分析。 三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校、筑波大学芸術専門学群卒業。リクルート勤務を経て、名古屋市立大学経営学研究科、慶應義塾大学大学院経営管理研究科博士課程単位取得満期退学。経営学博士(慶應義塾大学:2009年)。 豊橋創造大学情報ビジネス学部准教授、中部大学経営情報学部教授などを経て2014年より現職。
田中 靖浩(たなか やすひろ、1963年 - )は、日本の公… 田中 靖浩(たなか やすひろ、1963年 - )は、日本の公認会計士。 三重県四日市市出身。早稲田大学商学部卒業後、外資系コンサルティング会社などを経て独立。現在、田中靖浩公認会計士事務所所長。日本公認会計士協会東京会・経営委員会委員長、経済産業省・財務管理人材育成システム開発事業審議委員、東京都立産業技術大学院大学「ものづくり経営人材育成講座」検討委員・講師などを歴任。
瀬木 直貴(せぎ なおき、1963年 - )は、日本の映画監… 瀬木 直貴(せぎ なおき、1963年 - )は、日本の映画監督、TV・CFディレクター。三重県四日市市出身。三重県立四日市高等学校、立命館大学文学部卒業。みえの国観光大使・四日市市観光大使・明和町観光大使・福島県しゃくなげ大使・宇佐市観光交流特別大使。2008年市制111周年記念 四日市市民文化奨励賞受賞。 立命館大学文学部日本史学専攻在学中、京都東映太秦映画村でアルバイトをしたことがきっかけで映画の世界に興味を持つようになった。1987年大学卒業後、映像制作プロダクションに就職。その後映画監督の道を志し退社した。 退社後は市川崑監督作品制作などに参加。演出家、ディレクターとしての修行を重ね、2000年映画制作会社ソウルボートプロダクションを設立し、現在に至る。
山口 達也(やまぐち たつや、1962年11月26日 - )… 山口 達也(やまぐち たつや、1962年11月26日 - )は、日本の経営者。有限会社I.L.D取締役。製図試験.com主宰。日本思考特性協会理事。日本BIM普及センター・ディレクター。代表理事。交通事故被害者支援センター理事(2003年4月から2015年8月まで)。NPO法人空き家・空き地相談センター理事。 福島区商店会連盟事務局長、福島お助けネットワーク(有償ボランティアネット)代表、大阪市空き屋対策公募委員会委員。のだふじ巡り実行委員会事務局を歴任。 曽根 徹(ぞね とおる)、龍川 文蔵のハンドルネームも使用する。 三重県四日市市生まれ。名古屋大学教育学部附属高等学校を経て、大阪工業大学建築学科卒業。
高川 裕也(たかがわ ゆうや、1962年11月8日 - )は… 高川 裕也(たかがわ ゆうや、1962年11月8日 - )は、日本の俳優、ナレーター、演出家。三重県四日市市出身。ベルベットオフィス所属。無名塾出身。 三重県立四日市高等学校卒業(1981年)。1984年に無名塾に入り、同年渋谷パルコ劇場他で上演された無名塾の公演『ハロルドとモード』にて初舞台。 身長176cm。体重65kg。血液型はA型。趣味はブルース鑑賞。特技は乗馬、殺陣、書道。ペットに猫を飼っている。好きな色は黒。妹がいる。 妻は同じく無名塾出身で女優の赤間麻里子。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
風雅 なおと(ふうが なおと、1962年9月17日 - )は… 風雅 なおと(ふうが なおと、1962年9月17日 - )は、日本の男性歌手。三重県四日市市出身。東京都在住。 武蔵大学在学中よりスタジオ・ミュージシャン・音楽講師として活動。五木ひろしや石川さゆり、光GENJI、少年隊、田原俊彦などのステージでバックコーラスを務める一方で、多くのCM・アニメ・特撮の楽曲に歌手・コーラスとして参加している。BL系作品のイメージアルバムから『はっけん たいけん だいすき! しまじろう』などの子供向け作品まで、その範囲は広い。また、ウォルト・ディズニー・カンパニーのアニメ『シンデレラ』の日本語版では声優も担当した。 2006年には、歌声合成ソフトVOCALOIDの日本語・男性版「KAITO」の声を担当した。
末広 雅洋(末廣 雅洋、すえひろ まさひろ、1962年6月9… 末広 雅洋(末廣 雅洋、すえひろ まさひろ、1962年6月9日 - )は、日本の実業家。ソフトウェア会社ビーイング元代表取締役社長。 1962年6月9日に三重県で生まれる。 1981年に三重県立白山高等学校を卒業し、1988年6月にビーイングに入社した。2000年に同社の執行役員サポート部長に就任したのを皮切りにさまざまな役職に就任し、2008年12月、同月にビーイングが買収したプラスバイプラスドットコム(現在のプラスバイプラス)の代表取締役に就任した。2011年4月1日、ビーイング創業者の津田能成に次ぐ2代目取締役社長に就任した。 2018年12月29日21時50分ごろ、津市本町を通る国道23号で、車道を横断しようとしていたタクシーの側面に衝突する交通事故を起こした。
前葉 泰幸(まえば やすゆき、1962年〈昭和37年〉4月7… 前葉 泰幸(まえば やすゆき、1962年〈昭和37年〉4月7日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。三重県津市長(4期)。新型インフルエンザ等対策推進会議委員。 三重県津市宿屋町(現・東丸之内)生まれ。父は教員。津市立敬和小学校、高田中学校、三重県立津高等学校を経て、1985年に東京大学法学部卒業。同年自治省(現総務省)に入省。本省勤務の他、熊本県庁、国土庁、京都市役所、宮城県庁への出向も経験した。 宮城県総務部長を務めていた2005年、宮城県知事選挙に浅野史郎の後継指名を受けて無所属で出馬したが、自由民主党の推薦を受けた元宮城県議会議員の村井嘉浩に約5万票差で敗れ、次点で落選した。その後、デクシア銀行東京支店副支店長、地方公共団体金融機構審査室長を歴任。
伊藤 徳也(いとう のりや、1962年3月- )は、中国文学… 伊藤 徳也(いとう のりや、1962年3月- )は、中国文学者、東京大学教授。 三重県亀山市出身。私立高田高校卒、1984年東京大学文学部中国文学科卒、1989年同大学院博士課程中退、1987-89年北京大学に学ぶ。1989年東大文学部助手、1991年國學院大學文学部講師、1993年助教授、1995年東大総合文化研究科准教授(比較文学比較文化)、2012年教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
水谷 規男(みずたに のりお、1962年2月25日 - )は… 水谷 規男(みずたに のりお、1962年2月25日 - )は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、博士(法学)(大阪大学・論文博士・2017年)。大阪大学大学院高等司法研究科教授、同・研究科長。 三重県桑名市出身。一橋大学大学院で福田雅章と村井敏邦から指導を受ける(『疑問解消 刑事訴訟法』の前書きによる)。国際人権基準をふまえた刑事手続の研究や、刑事施設問題、フランス刑事訴訟法における私訴制度の研究などを行っている。2017年5月に大阪大学より博士(法学)の学位を取得。その後、その主論文を書籍として刊行。2019年4月に6代目の大阪大学法科大学院研究科長に就任。現在は、国際人権基準をふまえた刑事手続法の研究を行っている。
加藤 隆雄(かとう たかお、1962年2月21日 - )は、… 加藤 隆雄(かとう たかお、1962年2月21日 - )は、日本の経営者。 三重県津市生まれ。1984年京都大学工学部卒業後、三菱自動車工業入社。名古屋製作所副所長、三菱自動車工業インドネシア社長などを経て、2019年取締役代表執行役CEO。2021年より取締役代表執行社長CEO。2026年4月より取締役代表執行CEO。2026年6月より取締役会長兼代表執行役CEO。
荒木 真一(あらき しんいち 1962年 - )は、日本の環… 荒木 真一(あらき しんいち 1962年 - )は、日本の環境技官。原子力規制庁長官官房審議官兼内閣府大臣官房審議官を経て、内閣府政策統括官。 三重県鈴鹿市出身。三重県立津高等学校を経て、1987年名古屋大学大学院理学研究科修了、環境庁入庁。環境省環境管理局水環境部土壌環境課課長補佐、環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課適正処理・不法投棄対策室長、大阪府環境農林水産部副理事、公害等調整委員会事務局審査官、原子力規制庁長官官房放射線防護グループ原子力災害対策・核物質防護課長、原子力規制庁原子力規制部規制企画課長等を経て、2017年から原子力規制庁長官官房審議官(併)内閣府大臣官房審議官(原子力防災担当)を務め、大飯発電所と高浜発電所で日本で初めてとなる複数の原子力発電所での同時重大事故の発生を想定した原子力防災訓練を行うなどした。
柵木 環(ませぎ たまき、1962年 - )は、日本の農林水… 柵木 環(ませぎ たまき、1962年 - )は、日本の農林水産官僚。農林水産省福島復旧復興対策調整官や、山梨県副知事を歴任し、中国四国農政局農村振興部長。 三重県桑名市生まれ。1985年に北海道大学農学部農業工学科卒業した後、1987年に北海道大学大学院農学研究科修士課程修了。同年、キャリア官僚(農業土木技官)として農林水産省に入省。近畿農政局淀川水系土地改良管理事務所計画課長等を経て、2009年から東北農政局水利整備課長を務め、東日本大震災の復興対応などにあたった。 2012年から農林水産省農村振興局整備部防災課福島復旧復興対策調整官として、福島第一原子力発電所事故の農地除染等を担当。 農林水産省農村振興局整備部農地資源課多面的機能支払推進室長等を経て、2017年、新井ゆたかの後任として山梨県副知事に就任。
吉川 亨(よしかわ とおる、1961年12月13日 - )は… 吉川 亨(よしかわ とおる、1961年12月13日 - )は、三重県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 日立製作所などに所属し、日本代表としても国際Aマッチ1試合に出場した。現在、少年少女にサッカーを指導。FCFLOSS コーチ吉川塾 ヘッドコーチ
水分 貴雅(みずわけ たかまさ、1961年11月22日 - … 水分 貴雅(みずわけ たかまさ、1961年11月22日 - )は、CBCテレビ(CBC)のアナウンサー。 三重県北牟婁郡紀北町(旧・紀伊長島町)出身。三重県立津西高等学校、早稲田大学第二文学部卒業。1985年、CBCにアナウンサーとして入社(同期アナウンサーは重盛啓之、松山香織、福島敦子)。 入社初期からスポーツアナウンサーとして、野球やサッカー、ゴルフなどのスポーツ実況を担当。 2010年は5月2日の中日クラウンズでの石川遼の1ラウンド58の男子国内ツアー新記録で世界記録のテレビ中継実況、および6月16日中日ドラゴンズ岩瀬仁紀が対北海道日本ハムファイターズ戦で通算250セーブ達成のラジオ中継実況を担当している。
中山 峰孝(なかやま みねたか、1961年11月10日 - … 中山 峰孝(なかやま みねたか、1961年11月10日 - )は、日本の財務官僚。厚生労働省大臣官房審議官や、仙台国税局長、大阪税関長を務めた。 高田高等学校を経て、1985年東京大学法学部を卒業。大蔵省入省。証券局総務課配属。1986年大蔵省証券局業務課。1990年7月大月税務署長。1991年7月大蔵省大臣官房文書課広報室課長補佐。1997年5月外務省在オーストラリア大使館一等書記官。財務省大臣官房企画官、国土交通省北海道局予算課長、財務省関税局管理課長、内閣府政策統括官(経済財政運営担当)付参事官(予算編成基本方針担当)兼内閣府道州制特区担当室参事官等を経て、2012年7月名古屋税関長。2013年6月財務省大臣官房会計課長。
中村 弘道(なかむら ひろみち、1961年11月1日 - )… 中村 弘道(なかむら ひろみち、1961年11月1日 - )は三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
松本 宣子(まつもと のりこ、1961年9月2日 - )は、… 松本 宣子(まつもと のりこ、1961年9月2日 - )は、三重県四日市市出身の日本の柔道家。現役時代は72kg超級の選手。身長170cm。体重101kg。段位は五段。得意技は内股、大外刈。父は元大相撲力士の劍龍猛虎、兄も大相撲で活躍した巨砲丈士。 暁高校から中京大学に進学すると、陸上競技の砲丸投で活躍して東海地区のチャンピオンにもなった。他に円盤投、空手、ウエイトリフティングなどにも取り組んでいた。しかし、砲丸投げでは世界はおろか国内でも勝てそうにないと考えて、21歳の時に全日本選手権で2位になったこともある河原月夫が運営する河原道場に入門して柔道に転向することになった。始めて1年もせずに体重別66kg超級で3位となった。
竹内 秀樹 (たけうち ひでき、1961年8月29日 - )… 竹内 秀樹 (たけうち ひでき、1961年8月29日 - )は、日本の実業家。クラギ株式会社代表取締役社長。 三重県松阪市に生まれる。三重県立松阪高等学校を経て大阪経済大学経営学部卒業後、クラギに入社した。1997年、14代目社長に就任した。 社長就任後、店舗数を倍増。競合他社との差別化として「社内教育を徹底し、スタッフの育成、接客力、商品知識、高齢者への配達などの心配り、農業アドバイザーとしての資格授与など、単なる販売だけではなくお得意先への心配り」を実践していると述べている。
名取 里美(なとり さとみ、1961年7月31日 - )は俳… 名取 里美(なとり さとみ、1961年7月31日 - )は俳人。三重県伊勢市生まれ。 神奈川県立湘南高等学校を経て東京女子大学社会学科経済学国際関係論コースを卒業後、野村総合研究所勤務。 19歳より山口青邨、黒田杏子に師事。1989年第一回ラ・メール俳句賞受賞。1997年藍生賞受賞。2002年第二句集『あかり』により第四回駿河梅花文学賞受賞。 山口青邨主宰の俳誌「夏草」、黒田杏子主宰の「藍生」を経て、2023年「あかり」創刊主宰。日本文藝家協会会員、俳人協会評議員、鎌倉ペンクラブ幹事、国際俳句協会会員。『かまくら春秋』の「かまくら春秋 あかり俳壇」選者。 しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地 『あかり』 この句が『精選言語文化』『新編言語文化』(東京書籍)の高等学校国語教科書、「NHK高校講座 言語文化」のテキストに掲載される。
千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、… 千葉 一幹(ちば かずみき、1961年5月19日 - )は、日本の日仏比較文学者、日本近現代文学者、文芸評論家。大東文化大学教授。 三重県生まれ。三重県立桑名高等学校卒、1984年東京大学文学部仏文科卒、1986年同大学院比較文学比較文化修士課程修了、1990年東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。1992年東北芸術工科大学講師、1995年「文学の位置─森鷗外試論」で群像新人文学賞受賞。1996年東北芸術工科大学助教授、2005年拓殖大学商学部教授、2014年大東文化大学文学部教授。2015年『宮沢賢治』で島田謹二記念学藝賞受賞。
樋口 靖洋(ひぐち やすひろ、1961年5月5日 - )は、… 樋口 靖洋(ひぐち やすひろ、1961年5月5日 - )は、三重県四日市市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 三重県立四日市中央工業高等学校1年生時に兄である樋口士郎(元同校監督)を擁する同チームで全国高校選手権準優勝を果たす。卒業後、1980年に日産自動車サッカー部(現在の横浜F・マリノス)に入団した。選手としての活動は短く、1985年に日産サッカースクールのコーチに就任する。その後、Jリーグ元年の1993年からマリノスのユースコーチ・監督を務め、1999年からはトップチームのコーチに昇格した。2003年にS級ライセンスを取得する。 選手・指導者時代を通して日産/マリノス一筋だったが、モンテディオ山形の監督だった鈴木淳が2005年限りで退任したことに伴い、2006年から山形の監督を務めることになった。
重盛 啓之(しげもり ひろゆき、1961年〈昭和36年〉4月… 重盛 啓之(しげもり ひろゆき、1961年〈昭和36年〉4月5日 - )は、CBCテレビ(CBC)アナウンス部デスク。 三重県三重郡菰野町出身、血液型はA型。三重県立四日市高等学校→東京都立大学経済学部経済学科を卒業。大学在学中はビートルズのファンクラブでアルバイトをしていたことがあった。大学卒業前に放送局を数社受験するも1回目は叶わず、その後オーストラリアに渡ってレストランで働きながら英会話を学び、約1年間を過ごした。帰国し再び入社試験を受け、1985年にCBCにアナウンサーとして入社した。同期アナウンサーは水分貴雅、松山香織、福島敦子。 以後、同局の長寿ラジオ番組「CBC歌謡ベストテン」や90年代の同局の看板テレビ番組であった「ミックスパイください」など多くの同局のテレビバラエティー、ラジオ番組で司会やレポーターを担当。
長岡 成貢(ながおか せいこう、1961年3月16日 - )… 長岡 成貢(ながおか せいこう、1961年3月16日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。三重県伊勢市生まれ、多気郡明和町出身。株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン)所属。 三重県立相可高等学校の吹奏楽部でトランペットを担当、同高校卒業後デザインの専門学校でグラフィックデザインを学ぶ傍ら独学でオーケストラと作曲を学び、いくつかのバンドを経て上京。これまでたくさんのアーティストへの楽曲提供、編曲、プロデュースの他、映画、ドラマ、アニメ作品など様々な音楽制作に携わってきた。 ジャザノヴァ(英語版)、ジャイルス・ピーターソンら、国外のTOP DJ達に絶賛され話題となった「speed of love」収録の初のリーダーアルバム「purple」(2000)に続き、インコグニートのボーカル、ケリー・サエなどの国内外のミュージシャンの起用や、DJ KAWASAKIによるRemix、またアルバムジャケットに人気モデルの鈴木えみを起用した事で話題になった2ndアルバム「Romantic Gold」(2008)をリリースするなど、seikou nagaoka名義でソロアーティストとしても幅広く活動している。
桂 勢朝(かつら せいちょう、1961年3月5日 - )は三… 桂 勢朝(かつら せいちょう、1961年3月5日 - )は三重県伊勢市出身の落語家。本名は中島 勝。米朝事務所→MC企画所属。上方落語協会会員。 皇學館高等学校卒業後、1979年3月3日に3代目桂米朝に入門した。高座名は出身地に由来する[要出典]。米朝に入門した当時、内弟子として修業していたのは桂米二と、米朝の子息である桂小米朝(現・5代目桂米團治)だった。米團治によると、米二が年季明けした後に、米二から受けた注意を勢朝にすると「そりゃ兄さんと僕とは、立場が違いますもん」と言われるなど、もめたという。その後は一番気の許せる相手になったとも述べている。米朝事務所に残らず個人で仕事をする道を選び、米團治は「我々の見えない苦労をしています」と紹介した。
谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は… 谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は日本の俳人、作家。三重県四日市市出身。茶道の表千家不審庵講師も務める(雅名・宗桂)。 三重県立四日市高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部イタリア語学科卒業。大学在学中に新聞社でアルバイトを始め、カタールの首都ドーハで初めて開かれた日本週間に茶道の講師として招かれる。 帰国後、フリーランスで雑誌等のインタビューを始め、元首相、ノーベル賞受賞者から山谷の日雇い労働者まで幅広くインタビューを手掛ける。週刊朝日連載「夫婦の階段」「夫婦の情景」では著名夫婦350組をインタビュー。著名人インタビューは1000人を超える。 20代で俳人・鈴木真砂女に出会ったのがきっかけで俳句を始め、加藤楸邨主宰の「寒雷」へ。
小島 智子(こじま ともこ、1961年〈昭和36年〉1月17… 小島 智子(こじま ともこ、1961年〈昭和36年〉1月17日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。立憲民主党三重県連代表。三重県議会議員(4期)を務めた。 三重県多気郡大台町生まれ。銀行員だった父の転勤に伴い、紀伊長島町(現・紀北町)や大内山村(現・大紀町)を転々とする。大台町立三瀬谷中学校、セントヨゼフ女子学園高等学校、南山大学英語学英文学科卒業後、桑名市の市立中などで英語の教員や教頭を25年間勤める。 2011年の三重県議会議員選挙で桑名市・桑名郡選挙区から立候補しで初当選。以後、県議を4期務め、民主党県委員長などを務める。 2025年2月15日、立憲民主党三重県連は同年夏の第27回参議院議員通常選挙の三重県選挙区(改選数1)に小島を擁立すると発表。
稲垣 久生(いながき ひさお、1961年1月10日 - )は… 稲垣 久生(いながき ひさお、1961年1月10日 - )は、日本の外交官、情報技術者。シアトル総領事を経て、駐トンガ特命全権大使。 三重県四日市市出身。父はモールス信号の技師を経て、日本の降伏後日本電信電話公社に入社。兄もコンピューター関連。 三重県立四日市高等学校卒業後、1983年名古屋工業大学工学部第一部電気情報工学科卒業。1985年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院理工学研究科修了、外務省入省。1991年マサチューセッツ工科大学大学院修了、修士。 作家の佐藤優は入省同期で、読書術などを学んだ。技術系であり、入省後はホストコンピューターに関する業務から始め、情報通信技術などを担当し、人事・会計業務のシステム化、LANの整備、情報セキュリティ対策などを進めた。
鍋島 弘治朗(なべしま こうじろう、1961年〈昭和36年〉… 鍋島 弘治朗(なべしま こうじろう、1961年〈昭和36年〉 - )は、日本の言語学者。関西大学教授。専門は、認知言語学・語用論・メタファー研究。 1961年、三重県四日市市生まれ。上智大学経済学部卒業後、ソニー勤務を経て、1993年に大阪大学言語文化研究所修士課程修了、フルブライト留学により1997年にカリフォルニア大学バークレー校言語学科修士課程修了。2007年、関西大学より博士(文学)の学位を取得。2018年現在、関西大学文学部総合人文学科 英米文学英語学専修教授。日本語用論学会評議員、事業委員長。
中西 親志(なかにし ちかし、1960年11月6日 - )は… 中西 親志(なかにし ちかし、1960年11月6日 - )は、三重県松阪市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。現在は東京ヤクルトスワローズ選手寮の寮長を務める。 相可高では、捕手として1977年秋季中部大会に進出するが、1回戦で刈谷高に延長10回敗退。1978年春季中部大会県予選でも準決勝に進むが、海星高に敗れる。 高校卒業後は、社会人野球の電電東海に入社し、同期の浜田知明とバッテリーを組む。1982年の都市対抗野球に出場し、1回戦で日産自動車と対戦、池田親興から自らの適時打で先制するが8回に逆転され敗退。1986年の都市対抗野球ではNTT北陸の補強選手として決勝戦では途中からマスクを被ったが接戦の末に敗れた。
下村 由美子(しもむら ゆみこ、1960年〈昭和35年〉11… 下村 由美子(しもむら ゆみこ、1960年〈昭和35年〉11月4日 - )は、日本の政治家。三重県多気郡明和町長(1期)。 三重県明和町生まれ。三重県立宇治山田高等学校を経て、金城学院大学卒業。1983年明和町役場に入り、町職員となる。町役場では福祉子育て、福祉保健、こどもの各課長を務める。2019年2月に明和町副町長に就任する。 2024年2月7日早朝、当時明和町長の世古口哲哉が町内の道路を歩行中に軽自動車にはねられ、搬送先の病院で死亡。町長不在となり、地方自治法の規定に伴い、副町長の下村が町長職務代理者となった。2月28日に明和町長選挙に立候補することを表明。3月15日付で副町長を辞職。3月19日告示の明和町長選挙は下村の他、3人の争いとなり、3月24日の投開票では下村が8000票余りと他の候補に大差を付け、初当選し、明和町初の女性町長となった。
風間 健介(かざま けんすけ、1960年9月18日 - 20… 風間 健介(かざま けんすけ、1960年9月18日 - 2017年6月17日頃)は日本の写真家。かつて炭坑町として栄えた北海道夕張市に長年暮らし、作品を撮り続けた。 1960年、三重県津市生まれ。三重県立亀山高等学校卒業後、1978年東京へ。2年後には都内で写真展を開催する。1987年、北海道の南幌町へ移住。1989年、夕張市へ。写真集に『夕張』『そらち炭鉱遺産散歩』がある。夕張市清水沢清湖町の清湖公園隣に自宅「梁山泊」と「風間健介写真館」があった。 2006年春、夕張の自宅を離れ東京都武蔵野市に移住、写真館も閉鎖。その後夕張の自宅と写真館の建物はいずれも公園もろとも廃墟となり、清水沢清湖町の住民もごく僅かとなっている。
大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )… 大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、日本の歌人、文芸評論家。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、一般社団法人未来短歌会理事長・歌誌「未来」編集発行人・選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表、元皇學館大学講師。元津西高等学校教員。宮中歌会始選者。現津東高等学校教員。 三重県松阪市稲木町に生まれ、松阪市に在住。三重県立松阪高等学校卒業後、1979年4月、龍谷大学文学部哲学科に入学。大学院時代に、NHKの短歌番組をきっかけに作歌を始める。1985年3月、龍谷大学大学院文学研究科(哲学)を修了。翌1986年、未来短歌会に入会し、岡井隆に師事した。
4代目 桂 文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - … 4代目 桂 文我(かつら ぶんが、1960年8月15日 - )は三重県松阪市出身の落語家。本名は大東 幸浩。出囃子は「せり」。 松阪市立中部中学校から落語が好きで学校に落語の部活がなかったので教師に頼んで部活を創設するほどであった。その後三重県立松阪工業高等学校でも部活を立ち上げる、卒業後、1979年(昭和54年)3月2代目桂枝雀に入門。同年7月、茨木市での「雀の会」にて桂雀司として初舞台。1995年(平成7年)、4代目桂文我を襲名。現在では東名阪を中心に、全国各地で年間約300回の落語会を開催。また自らの幼少時に落語や浪曲に触れた経験から、とくに1992年(平成4年)ころより、子供を対象にした落語会も多数開いている。
斎藤 育造(さいとう いくぞう、1960年8月11日 - )… 斎藤 育造(さいとう いくぞう、1960年8月11日 - )は、三重県松阪市出身の元レスリング選手で現在は指導者。1984年ロサンゼルスオリンピックレスリング男子グレコローマン48キロ級銅メダリスト。三重県立松阪工業高等学校、専修大学卒業。
水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は… 水谷 茂雄(みずたに しげお、1960年7月21日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学時代から投手としてプレーし、憧れの甲子園に出場できる近道として1976年に三重・海星高へ進学したが、規則の厳しさに嫌気がさして1年の1学期で退学した。1年遅れで入学した四日市工業高ではエース兼4番に抜擢され、速球を主体にカーブ、シュートを決め球とする本格派として活躍し、1年次の1977年夏にノーヒットノーランを記録。打つ方でも打率.420をマークしたほか、2年間で20本塁打以上を打つなど野手顔負けの長打力を見せた。1年遅れで入学したため、3年次の1979年は試合に出場できなかった。練習の手伝いやベンチからのサイン伝達などコーチ見習いの役割をしていたが、同年途中からは監督として部員をまとめた。
東長 靖(とうなが やすし、1960年6月4日 - )は、日… 東長 靖(とうなが やすし、1960年6月4日 - )は、日本のイスラーム学者。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。 1960年、三重県生まれ。1979年三重県立松阪高等学校を卒業。東京大学文学部で学び、1984年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科(宗教学宗教史学)に進み、1989年に博士課程を満期退学し、東京大学文学部助手となった。 1992年、東洋大学文学部専任講師に就いた。1997年に助教授昇進。1998年からは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教授、2010年に教授昇格。2010年、学位論文『イスラームにおける神秘主義哲学と聖者信仰 スーフィズムの包括的理解の試み』を京都大学に提出して博士(地域研究)号を取得。
倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –… 倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –)は、日本の小説家・評論家・俳人・翻訳家。 環境経済学者の倉阪秀史は実弟。名字を「倉坂」と誤記されることが多い。 三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。早稲田大学大学院日本文学専攻中退。 早稲田大学時代は「幻想文学会」に所属し、東雅夫、浅羽通明らと知り合う。東がのちに創刊した雑誌『幻想文学』には、レビュー等を大量に寄稿する。また、「幻想文学会」の分科会として「幻想短歌会」を主宰した。 大学事務員として就職したもののフリーライターを志望して退職する。しかし生計が成り立たず印刷会社に入社、文字校正係として11年間勤務の後、退職。
中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら や… 中森 明夫(なかもり あきお、本名:柴原 安伴〈しばはら やすとも〉、1960年〈昭和35年〉1月1日 - )は、日本のコラムニストで編集者、アイドル評論家。 三重県志摩市出身。おたくという語の生みの親。ペンネームは、中森明菜からとったものである。 中学卒業後、三重県立明野高等学校に入学するも一年の夏休み明けに自主退学。その後、東京の大学に進学していた5歳年上の兄を頼って上京し、東京の高校へと進学する。最終学歴は明治大学付属中野高等学校中退と自称している。 1982年7月、ミニコミ誌ブームの中で、エンドウユイチ(=遠藤諭)達と共に、サブカルチャー総合ミニコミ誌の『東京おとなクラブ』(東京こどもクラブのもじり)を創刊。