西澤 久雄(にしざわ ひさお、1948年〈昭和23年〉11月… 西澤 久雄(にしざわ ひさお、1948年〈昭和23年〉11月4日 - )は、日本の政治家、元滋賀県東近江市長(1期)。 滋賀県出身。平安高等学校を経て、大谷大学文学部卒。八日市市職員を経て、1999年滋賀県議会議員に当選。2期務める。2005年合併により東近江市が発足。合併後の市長選挙に立候補したが旧八日市市長中村功一に敗れて落選した。2009年の選挙で当選。東近江市長を1期務め、2013年の市長選挙で小椋正清に敗れた。
高田 恭子(たかだ きょうこ、1948年10月24日 - )… 高田 恭子(たかだ きょうこ、1948年10月24日 - )は、日本の歌手。京都市中京区出身。 同志社女子高等学校在学中は水泳部のキャプテンとして活動し卒業。京都のアマチュア・フォークシーンで活躍した後、1967年、「大塚孝彦と彼のグループ」を経て、マイク真木が結成したGSバンド、ザ・マイクスに二代目女性ヴォーカリストとして加入、シングルを一枚残す。 その後カンツォーネに興味を持ち、独学で練習。1968年、報知新聞社主催「第一回カンツォーネコンクール」で優勝。 1969年3月、「みんな夢の中」(作詞・作曲:浜口庫之助)でソロデビュー。同年「第11回日本レコード大賞」新人賞を受賞し、「第20回NHK紅白歌合戦」に初出場。
美樹 克彦(みき かつひこ、1948年(昭和23年)10月2… 美樹 克彦(みき かつひこ、1948年(昭和23年)10月22日 - )は、日本のシンガーソングライター・音楽プロデューサーである。本名および旧芸名は目方 誠(めかた まこと)。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。 京都市右京区の生まれ。1954年、幼稚園児の終わりごろに京都市内の劇団「ペチカ」に入団。市立衣笠小学校から市立衣笠中学校に進学し、この間子役として(芸名も本名のままで)70本近くの映画に出演。 それと並行して歌のレッスンも行い、中学2年のときに上京、新宿区立四谷第一中学校に転校。歌手としてビクターレコードから「トランジスター・シスター」でデビュー。その一方でフジテレビ『三匹の侍』など、テレビ映画にも出演した。
瀧井 傳一(たきい でんいち、1948年10月9日 - )は… 瀧井 傳一(たきい でんいち、1948年10月9日 - )は、日本の経営者。タキイ種苗社長を務めた。京都府京都市出身。 1971年に玉川大学農学部を卒業し、同年にタキイ種苗に入社した。1980年に取締役に就任し、1982年に副社長を経て、1991年7月に社長に就任。2023年に会長に就任。2008年5月には日本種苗協会会長に就任。 2019年11月に旭日小綬章を受章。
大信田 礼子(おおしだ れいこ、1948年9月15日 - )… 大信田 礼子(おおしだ れいこ、1948年9月15日 - )は、日本の女優、歌手。京都府京都市出身。身長165cm。B90cm、W58cm、H89cm(1969年12月)。 父・一雄、母・常子の一人っ子。幼い頃に父の仕事の関係で青森県三沢市へ転居する。三沢市立上久保小学校時代に弁論大会で優勝した。中学生までに京都へ戻り、1964年に京都府立鴨沂高等学校へ入学する。在学中の1966年に平安神宮前で建築家に写真を撮影されことを契機に、シカゴでミスコンテスト「第1回ティーン・プリンセス」(10代の女王コンテスト)に出場して日本代表に選ばれ、世界大会で優勝した。1966年にNHKのテレビドラマ『太郎』で芸能の仕事を始める。
店村 眞積(たなむら まづみ、1948年8月31日 - )は… 店村 眞積(たなむら まづみ、1948年8月31日 - )は、日本のヴィオラ奏者。東京音楽大学教授、桐朋学園大学特任教授。京都府出身。男性。 6歳よりヴァイオリンを始める。東儀祐二、鷲見三郎、江藤俊哉、齋藤秀雄、ピエロ・ファルッリらに師事。中学3年生のとき、学生音楽コンクール西日本第1位。京都市立堀川高校音楽コースへ進学。高校卒業後は4年間大学へ行かず、週1度東京へ通い、江藤俊哉の個人レッスンを受ける。22歳のとき桐朋学園大学音楽学部へ入学。オーケストラではヴァイオリンもヴィオラも弾いたが、大学3年生のとき、齋藤秀雄に「ヴィオラをやりなさい」と勧められる。1974年に桐五重奏団を結成し、ヴィオラを担当。
川勝 平太(かわかつ へいた、1948年(昭和23年)8月1… 川勝 平太(かわかつ へいた、1948年(昭和23年)8月16日 - )は、日本の経済学者(比較経済史)、政治家。学位はD.Phil.(オックスフォード大学・1985年)。静岡県知事(第53・54代)、公益財団法人世界緑茶協会理事長(第3代)、国際日本文化研究センター客員教授、麗澤大学比較文明文化研究センター客員教授、静岡文化芸術大学名誉教授。
泉谷 直木(いずみや なおき、1948年8月9日 - )は日… 泉谷 直木(いずみや なおき、1948年8月9日 - )は日本の実業家。アサヒグループホールディングス代表取締役社長兼最高経営責任者や、同社代表取締役会長を経て、現在、取締役会長兼取締役会議長、ニューオータニ取締役、リクルートホールディングス取締役、大林組取締役、日本経団連審議員会副議長。 京都府出身。京都市立紫野高等学校を経て、1972年京都産業大学法学部法律学科卒業、アサヒビール入社、博多工場配属。労働組合役員などを経て、1986年新設の広報企画課長。1996年新設の経営企画部長。2000年執行役員グループ経営戦略本部長。2001年執行役員首都圏本部副本部長兼東京支社長。2003年取締役。2004年常務取締役。
山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山… 山之内 重美(やまのうち しげみ、本名:上杉重美、旧芸名:山之内滋美、1948年8月4日 - ) は、日本の歌手、女優、ロシア演劇・ロシア大衆歌謡ピェースニャ研究家である。 京都府京都市出身、大阪外国語大学ロシア語学科、早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専修卒。関西芸術座、劇団三十人会、表現劇場に参加。吉田名保美事務所、中村企画(社長中村敦夫)を経て現在フリー。 在学中より演劇に惹かれ、女優を目指す(代表作参照)。ロシア語のできる女優は日本では少なく、他に栗原小巻が知られている程度である。ロシア演劇研究家としてはスターリンに粛清された悲劇の演出家メイエルホリドを永年のテーマとし、メイエルホリドの孫娘であり生涯をかけて祖父の名誉回復に尽力したマリヤとの深い親交があった。
杉原 薫(すぎはら かおる、1948年8月3日 - )は、日… 杉原 薫(すぎはら かおる、1948年8月3日 - )は、日本の男性経済史家(アジア経済史)。大阪大学教授、京都大学教授、東京大学教授を歴任。定年後、政策研究大学院大学特別教授を経て、総合地球環境学研究所特任教授。 1980年代半ばに「アジア間貿易」論を提唱、その後のアジア経済史に大きな影響を及ぼす。近年ではグローバルヒストリーを中心とした研究を行う。1996年、東京大学より博士(経済学)(論題「アジア間貿易の形成と構造」)。 経済学者(経済学史研究)の杉原四郎は父、歴史学者の杉原達は弟である。妻は歴史学者の長崎暢子である。 1996年『アジア間貿易の形成と構造』、日本経済新聞経済図書文化賞、サントリー学芸賞受章。
稲見 哲男(いなみ てつお、1948年7月20日 - )は、… 稲見 哲男(いなみ てつお、1948年7月20日 - )は、日本の元政治家。 衆議院議員(2期)、総務大臣政務官(野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)を務めた。 京都府宇治市に生まれ、3歳の時に大阪府大阪市へ移り住む。大阪星光学院高等学校卒業。高校卒業後は大阪市役所に就職し、大阪市職員労働組合に加入。1986年から1996年まで10年間にわたり大阪市職労副委員長を務め、組合活動・市民運動に取り組む。市職員時代は日本社会党及びその後継政党である社会民主党の党員であった。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に際して社民党を離党し、旧民主党に入党して同党公認で大阪5区から出馬するが、新進党現職の谷口隆義、日本共産党現職の東中光雄、自由民主党新人の中山泰秀に得票数で後塵を拝し、得票数最下位で落選。
中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年… 中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年12月19日)は、日本の俳優。旧芸名は中 康治(読み同一)、中 孝舟()。本名は福中 康治。 京都府京都市出身。京都府立嵯峨野高等学校卒業。 高校時代に父が病死し、高校卒業直後に上京。ファッションモデル、CMモデルの仕事をしながら生計を立てていた。 1979年、映画『戦国自衛隊』では上杉と武田の争う真っ只中にタイムスリップする自衛隊員を演じ、191cmの長身と甘いマスクで正統派の二枚目として注目を集めた。以後、『柳生あばれ旅』(テレビ朝日)、『宮本武蔵』(NHK)、『スケバン刑事』(フジテレビ)などのテレビドラマで活躍。 1986年の東京宝塚劇場『三味線お千代』で初舞台を踏んでからは、多くの舞台にも出演した。
野村 啓司(のむら けいじ、1948年〈昭和23年〉6月9日… 野村 啓司(のむら けいじ、1948年〈昭和23年〉6月9日 - 2024年〈令和6年)3月12日)は、関西を中心に活動していたフリーアナウンサー。元・毎日放送(MBS)アナウンサーで、同局からの定年退職(2008年6月)後も、ラジオパーソナリティとして2013年9月まで専属契約を結んでいた。ニックネームは「啓ちゃん」。 京都府京都市の出身で、京都府立山城高等学校から関西学院大学へ進学した。 大学時代には、放送部(関学総部放送局)で活動するかたわら、生田教室でアナウンス技術の研鑽に励んでいた。安藤豊(元RKB毎日放送アナウンサー)は、関学総部放送局での1年先輩である。野村の同級生で、学内の合唱団に所属していた佐藤誠(NHK大阪放送局専属パーソナリティ、NHKの元エグゼクティブアナウンサー)は、野村の誘いをきっかけに生田教室へ通い始めたという。
中村 順二(なかむら じゅんじ、1948年6月2日 - )は… 中村 順二(なかむら じゅんじ、1948年6月2日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
千歳 喜弘(せんざい よしひろ、1948年4月2日 - )は… 千歳 喜弘(せんざい よしひろ、1948年4月2日 - )は、日本の経営者。日立マクセル社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1971年に日本大学理工学部を卒業し、同年に日立マクセルに入社した。2011年4月に社長に就任。2016年6月には会長に就任。
河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月1… 河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月11日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、ナチュラリスト、料理研究家、ミュージシャン。 身長173cm、血液型O型。滋賀県生まれ、京都府京都市左京区出身。 滋賀県で生まれ、幼少期と青年期を京都で過ごす。 農協職員や料理講師だった母からは料理、竹細工職人のおじからはカンナの刃の研ぎ方をはじめ、木工の技術を学ぶ。また中学時代には石に興味を持ち地学部に入り石の研究でユネスコのコンクールで表彰される。その後京都府立鴨沂高等学校に入学し能狂言部や新聞部を経て、アコースティックギターを覚えアメリカ民謡同好会を設立しフォークソングに傾倒。 父や高校の教師から「国家から離れ在野で生きるべき」と言われ生き方に悩む中見聞を広めるべく北海道への移住を志し高校3年の夏休みから札幌市内の割烹での修行を行い、1969年にフォーク喫茶・ライブハウス「パフ」を開業し経営に携わり、札幌市東区の自宅の庭で家庭菜園を始め5年間住んだ後26歳で苗穂に引っ越し畑を広げ野菜の有機栽培を試みる。
都 はるみ(みやこ はるみ、1948年〈昭和23年〉2月22… 都 はるみ(みやこ はるみ、1948年〈昭和23年〉2月22日 - )は、日本の女性元演歌歌手、元音楽プロデューサー。かつて「はるみ節」と呼ばれる力強い歌唱法をもち、昭和後期を代表する女性演歌歌手として多くのヒット曲を世に送り出した。 在日韓国人の父と日本人の母のもとに誕生。5人兄弟姉妹の第一子で、妹3人と弟がいる。芸事好きの母の影響で、小学6年から音楽学院に通いはじめた。京都市立嘉楽中学校の卒業証書を手にした際に、自身の本名が李春美であると知る。洛陽女子高等学校在学中に「第14回コロムビア全国歌謡コンクール」にて優勝し上京する。 1964年に「困るのことヨ」でデビュー。同年「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーを記録し、第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。
堀場 厚(ほりば あつし、1948年2月5日 - )は、日本… 堀場 厚(ほりば あつし、1948年2月5日 - )は、日本の実業家。株式会社堀場製作所代表取締役会長兼グループCEO、京都商工会議所会頭、2025年日本国際博覧会協会副会長。元京都経済同友会代表幹事。京都府京都市出身、在住。既婚、1男1女。 京都教育大学附属京都小学校・中学校、京都府立山城高等学校を経て1971年(昭和46年)3月甲南大学理学部卒業。同年11月に米オルソン・ホリバ社(堀場製作所のアメリカ子会社)入社。 この他、ソフトバンク株式会社社外取締役(2018年6月~)、住友電気工業株式会社社外取締役(2021年6月~)、一般社団法人日本電気計測機器工業会会長(2017年5月~2019年5月)、一般社団法人日本分析機器工業会会長(2007年5月~2011年5月)、京都商工会議所副会頭、産業構造審議会委員などを務める。
西村 清和(にしむら きよかず、1948年1月30日 - )… 西村 清和(にしむら きよかず、1948年1月30日 - )は、日本の美学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・2010年)。東京大学名誉教授。元國學院大學文学部哲学科教授。 京都府京都市生まれ。 1966年3月、兵庫県立尼崎北高等学校卒業。 1971年6月、東京大学文学部(美学芸術学専修課程)卒業。 1974年3月、同学大学院人文科学研究科(美学芸術学専門課程)修士課程修了。 1976年5月、同研究科(美学芸術学専門課程)博士課程単位取得退学。同年6月、岡山大学法文学部助手(美学美術史)。 1977年6月から1979年3月まで、ミュンヘン大学にドイツ学術交流会奨学生として留学。 1979年7月、岡山大学法文学部講師。
塚本 能交(つかもと よしかた、1948年1月29日 - )… 塚本 能交(つかもと よしかた、1948年1月29日 - )は、日本の実業家。勲等は旭日重光章。ワコールホールディングス名誉会長。京都商工会議所特別顧問、公益財団法人京都服飾文化研究財団理事長、一般社団法人日本ボディファッション協会会長、一般社団法人京都知恵産業創造の森理事長などを務める。 京都府京都市出身。京都教育大学附属京都小学校・中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て1971年(昭和46年)芦屋大学教育学部卒業、株式会社ワコール入社。伊藤忠商事貿易本部繊維貿易部出向。 日本中央競馬会(JRA)に登録している馬主としても知られる。勝負服の柄は緑、桃菱山形、袖桃二本輪、冠名には「アンクル」または「ウインクル」を用いる。
壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、… 壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。京都府京都市出身。ヘリンボーン所属。 演劇倶楽部『座』主宰。略字:壌晴彦。かつては麦 草平の芸名でも活動していた。 京都府京都市出身。実家は料亭を経営していた。京都市立堀川高等学校、同志社大学経済学部卒業。 高校時代に惚れ込んだ狂言大藏流、茂山千五郎(現茂山千作・人間国宝)に弟子入りし師事。だがある時、「毎日お狂言の稽古の声が聞こえてくるような環境に育った者が相手では、もうどうにもならない」と考えたことがきっかけで狂言からは離れる。 狂言を離れてからも「芝居はやりたい」という思いがあり、別の側面から興味を持っていたフランス演劇をしようと劇団四季に入団。
塩見 三省(しおみ さんせい、1948年〈昭和23年〉1月1… 塩見 三省(しおみ さんせい、1948年〈昭和23年〉1月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。京都府綾部市出身。同志社大学卒業。身長177 cm、体重72 kg。 1978年に演劇集団 円に入団。演劇『幕末純情伝』『熱海殺人事件』や1980年代はテレビドラマ、1990年代から映画にも活動の場を拡げ、『12人の優しい日本人』『Love Letter』に出演した。 『アウトレイジ ビヨンド』及び『アウトレイジ 最終章』での凄味のあるヤクザの若頭補佐から、『モリのアサガオ』の看守長に代表される人情味あふれる人格者まで、現在は名脇役として活躍している。2013年にはNHK連続テレビ小説『あまちゃん』に出演し「琥珀の勉さん」役を演じて注目を集めた。
石井 明三(いしい あけぞう、1948年1月9日 - )は、… 石井 明三(いしい あけぞう、1948年1月9日 - )は、日本の政治家。元京都府京田辺市長(3期)。 1963年(昭和38年)3月、田辺町立田辺中学校(現・京田辺市立田辺中学校)卒業。1966年(昭和41年)3月、大谷高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、中京大学文学部卒業。同年11月、田辺町役場に採用される。 1997年(平成9年)4月1日、田辺町は市制施行し京田辺市となる。京田辺市役所の市長公室参事、経済環境部長などを歴任。 2007年(平成19年)4月、京田辺市長選挙に初当選。4月30日、市長就任。2019年(平成31年)の市長選は出馬せず3期で引退。 2020年、旭日小綬章受章。
小松 幸平(こまつ こうへい、1948年 - ) は、日本の… 小松 幸平(こまつ こうへい、1948年 - ) は、日本の林学者。京都大学名誉教授。 京都市生まれ。京都府立洛北高等学校を経て、1972年京都府立大学農学部林学科卒業。1977年京都大学大学院農学研究科林産工学専攻博士後期課程研究指導認定同退学。同年農学博士。 1977年北海道立林産試験場複合材試験科研究員。1981年森林研究所木構造研究室招聘研究員。1986年農林水産省森林総合研究所木構造研究室主任研究官。1989年農林水産省森林総合研究所接合研究室室長。1996年京都大学木質科学研究所構造機能分野助教授。 2000年京都大学木質科学研究所構造機能分野教授。2004年京都大学生存圏研究所生活圏構造機能分野教授。
小田 剛(おだ たけし、1948年 - )は、日本の国文学者… 小田 剛(おだ たけし、1948年 - )は、日本の国文学者。京都市生まれ。神戸大学大学院文学研究科修士課程(国文学専攻)修了。京都府立桂高等学校教諭、92年京都府立向陽高等学校教諭、2004年京都府立乙訓高等学校教諭、2010年大阪府立交野高等学校非常勤講師、2011年龍谷大学仏教文化研究所客員研究員。専攻は中世和歌文学。
山中章(やまなか あきら、1948年- )は、日本の考古学者… 山中章(やまなか あきら、1948年- )は、日本の考古学者・日本史学者、三重大学名誉教授。 京都市生まれ。京都府立洛東高等学校卒、1973年広島大学文学部史学科考古学専攻卒業。1997年「日本古代都城の研究」で博士(文学)。1976年京都府向日市教育委員会職員となり、長岡京跡の発掘調査・研究に従事。財団法人向日市埋蔵文化財センター長を経て、1998年三重大学人文学部教授。2014年定年退任、名誉教授。
山口 憲(やまぐち あきら、1948年 - )は能装束研究者… 山口 憲(やまぐち あきら、1948年 - )は能装束研究者。京都市出身。立命館大学経営学部卒業。山口能装束研究所所長。 1972年より能装束の調査研究をはじめ、能装束の復元およびそれらの展覧会を手がける。また国内外での展覧会の開催や研究書の出版を行う。 1995年日本文化芸術財団より第2回日本伝統文化振興賞受賞。 2004年にはヨーロッパ、アメリカでの能装束展覧による日本伝統文化の紹介が評価され外務大臣表彰を受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北村 稔(きたむら みのる、1948年 - )は、日本の歴史… 北村 稔(きたむら みのる、1948年 - )は、日本の歴史学者。立命館大学名誉教授、日本「南京」学会会員、国家基本問題研究所客員研究員。中国近現代史専攻。法学博士。
梅棹 エリオ(うめさお えりお、1948年 - )は京都府出… 梅棹 エリオ(うめさお えりお、1948年 - )は京都府出身の元冒険家。 梅棹忠夫の長男。平安高等学校の規則の厳しさに反撥して同校を3ヶ月で自主退学し、翌年、京都府立鴨沂高等学校に入学。同校では山岳部に所属。同校2年生のとき成績不良で落第し、2度目の2年生の夏休みに屋久島を旅したことがきっかけで熱気球飛行を思い立つ。1969年同校卒業。 1969年9月28日、京大工学部生の田中厚生、京大理学部生の嶋本伸雄、立命館大機械科生の仁張育夫(にんばり いくお)、浪人生(のち千葉大生)小又哲と共に日本初の熱気球飛行に成功(顧問は名古屋大学教授樋口敬二)。この体験を「若人の夢・風船旅行のスリル」と題して『旅』1970年1月号に発表。
小谷 純久(こたに よしひさ、1948年 - 2024年8月… 小谷 純久(こたに よしひさ、1948年 - 2024年8月24日)は、日本の気象予報士。 京都府出身。星座はおとめ座で、血液型はB型。読売テレビの天気予報を担当していた。 特記以外は ytv(読売テレビ)
花扇 太夫(はなおうぎ たゆう、本名:服部佳子(はっとり よ… 花扇 太夫(はなおうぎ たゆう、本名:服部佳子(はっとり よしこ)、旧姓:北村(きたむら)、1947年12月21日 -)は島原太夫、京都市出身。実家は木屋町の料理屋「もち料理きた村」である。 幼少のころから日本舞踊を習い始め、3歳で初舞台を踏む。母方の祖母は大阪・南地の『大和屋』の芸妓、七五三香(しめか、本名:高木朋子)で木屋町でお茶屋を経営した。(お茶屋は後に七五三香の養女である母がもち料理屋に転業させた(前述)) 華頂短期大学幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭、十二単の着付けモデル、さらに宮内庁神楽を習得し王朝舞の舞手。 地歌を師事していた故・山村たかの元に「島原で太夫になる人を探している」という話が舞い込んだ縁で島原の太夫となる。
横山 俊夫(よこやま としお、1947年11月10日 - )… 横山 俊夫(よこやま としお、1947年11月10日 - )は、日本の文化史・比較文明学者、京都大学名誉教授、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長 兼 静岡文化芸術大学学長。専門は文明学。 京都市生まれ。京都府立洛北高等学校を経て、1970年京都大学法学部卒業。1972年、同大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了、京都大学人文科学研究所助手。1981年、京都大学人文科学研究所助教授。1983年、オックスフォード大学哲学博士(D. Phil.)。1998年、京都大学人文科学研究所教授。2005年から2008年9月まで、京都大学副学長。2012年、同大学を定年退職、名誉教授。2012年から2016年まで、滋賀大学理事・副学長。
野崎 六助(のざき ろくすけ、1947年11月9日 -)は、… 野崎 六助(のざき ろくすけ、1947年11月9日 -)は、日本の小説家、文芸評論家。 日本推理作家協会会員。 東京都品川区生まれ。京都府立桃山高等学校卒業。1960年から1978年まで京都に在住。コック、大工など多数の職を経る。 1984年、『幻視するバリケード 復員文学論』(田畑書店)でデビュー。 1992年、『北米探偵小説論』で第45回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)受賞。推理小説、推理小説評論を主に書く。 1994年、『夕焼け探偵帖』(講談社)で小説家デビュー。
楠本 祐一(くすもと ゆういち、1947年〈昭和22年〉10… 楠本 祐一(くすもと ゆういち、1947年〈昭和22年〉10月2日 - )は、日本の外交官。ポーランド駐箚特命全権大使、特命全権大使(関西担当)を経て、掌典長。 京都府京都市出身。1971年(昭和46年)3月に同志社大学法学部を卒業し、同年4月外務省に入省する。
井上 浩一(いのうえ こういち、1947年9月24日 - )… 井上 浩一(いのうえ こういち、1947年9月24日 - )は、日本の歴史学者、大阪市立大学名誉教授。佛教大学歴史学部特別任用教授。専門は、ビザンツ(東ローマ)帝国史。 京都市生まれ。1971年京都大学文学部卒業、76年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学文学部講師、助教授、教授、文学研究科(西洋史学専修)教授。2011年定年退職、名誉教授。日本ビザンツ学会代表も務めた(現在は退任)。「関西ビザンツ史研究会」も行っている。 2012年4月にはインターネット上で西洋史を講義する「バーチャル大学」の「学長」として、西洋史の研究方法・レポートの書き方などを公開している。2013年より佛教大学歴史学部特別任用教授。
岡本 毅(おかもと つよし、1947年9月23日 - )は日… 岡本 毅(おかもと つよし、1947年9月23日 - )は日本の実業家。東京ガス代表取締役社長、同会長、日本経団連副会長、日本ガス協会会長等を歴任した。旭化成取締役、日本郵政取締役、三菱地所取締役。 京都府京都市生まれ。父は産経新聞記者。父が津支局長や大津支局長に就任すると家族で支局の2階に住むようになる。その後東京に移り、東京都立青山高等学校を経て、1970年に一橋大学経済学部を卒業。大学では板垣与一ゼミに所属。大学卒業後は新聞記者になることを考えていたが、母親に反対され株式会社東京ガスに入社。 東京瓦斯では企画部に配属されたのち、1972年から2年間練馬営業所で勤務。1977年6月から3年間中東経済研究所(現日本エネルギー経済研究所)研究所研究員を務めたのち、1980年に原料部に配属される。
天野 哲也(あまの てつや、1947年9月13日 - )は、… 天野 哲也(あまの てつや、1947年9月13日 - )は、日本の歴史学者、北海道大学名誉教授。極東民族史を研究する 。 京都府京都市出身。1971年同志社大学文学部文化史学科卒業。1978年北海道大学大学院文学研究科博士課程退学。北海道大学総合博物館助教授、教授、理学研究院教授。2010年「古代の海洋民オホーツク人の世界 アイヌ文化をさかのぼる」で北大博士(文学)。2012年定年退職、名誉教授。
田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都… 田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都府京都市出身の卓球選手、体育学者。2018年3月、退職。同志社大学スポーツ健康科学部教授。 東山高校で今井良春(東山高校卓球部を45年間指導して7回インターハイを制した。)の指導を受けて、1965年にインターハイのシングルスで優勝、その後早稲田大学社会科学部に進学、卒業後は青卓会に所属した。 1968年、長谷川信彦とのペアでアジア選手権大会の男子ダブルスで優勝、翌年から世界卓球選手権の日本代表となり、1969年第30回世界卓球選手権ミュンヘン大会のシングルスで銅メダル、ダブルスで長谷川信彦とのペアで銀メダルを獲得(この大会で優勝した団体は長谷川信彦、河野満、伊藤繁雄、井上哲夫、笠井賢二がメンバーであった。
二世茂山 七五三(しげやま しめ、1947年(昭和22年)8… 二世茂山 七五三(しげやま しめ、1947年(昭和22年)8月30日 - )は、狂言方大蔵流の能楽師、人間国宝(重要無形文化財「狂言」各個認定保持者)。本名は茂山眞吾。 1947年、父・七五三(後の四世茂山千作)と母・幸子の次男として京都府に生まれる。 2歳頃から祖父の三世茂山千作より狂言の稽古を付けられ、4歳で狂言「業平餅」の子方にて初舞台を踏む。 中学生だった1962年に、母が死去した。翌年(1963年)に父は再婚し、1964年には年の離れた異母弟・千三郎(2020年末まで千五郎家で活動、その後独立)が誕生する。 東山高等学校卒業。高校時代から剣道を本格的に始め、京都産業大学経済学部に進学後も続けて、3回生の時には全国大会で個人ベスト16となった。
足立 兼敏(あだち かねとし、1947年8月26日 - 20… 足立 兼敏(あだち かねとし、1947年8月26日 - 2022年4月24日)は、元アマチュア野球選手、監督である。 大谷高等学校では、1965年の第37回選抜高等学校野球大会に出場した経験がある。高校卒業後に龍谷大学に進学。 コーチを経て1979年秋から2001年までに龍谷大学の監督を務め、1998年には大学選手権で河端龍を擁して30年ぶりのベスト4に進出したほか、山本樹、木元邦之らをプロへ送り出した。2013年10月から大谷高等学校の監督を務めている。
仲畑 貴志(なかはた たかし、1947年8月20日 - )は… 仲畑 貴志(なかはた たかし、1947年8月20日 - )は、日本のコピーライター。事業構想大学院大学教授。京都府京都市生まれ、京都市立洛陽工業高等学校機械科卒業。東京コピーライターズクラブ会長。仲畑広告制作所・仲畑広告映像所主宰。宣伝会議コピーライター養成講座校長。株式会社ナカハタ社長。 糸井重里や川崎徹などと共に広告業界から頭角をあらわし、コピーライターブームの立役者となった一人として知られる。「コピーライターの神様」と称される。 京都で生まれ育ち、高校卒業後は設計事務所に就職するも、1年余りで設計事務所を辞める(一説には「実は設計の仕事が好きではなかった/向かなかった」らしい)。グラフィックデザインをしていた友人からコピーライターという仕事があることを知り東行。
山崎 洋子(やまざき ようこ、1947年8月6日 - )は、… 山崎 洋子(やまざき ようこ、1947年8月6日 - )は、日本の小説家。 ( 蜜の肌、月の吐息、甘い血、熱い闇) (らしゃめん、薔薇の悲鳴、狂女、神の邪心) ( 吸血鬼たちの聖夜〈イブ〉、妖女狂演、愛する人に、きらめく死を、メランコリーは危険) (青い髪の人魚、スペシャル・ルーム、ホテル・ルージュ、孤独な妖精、あたしを見つめて、匂い袋) (うつ鮨事件、朱雀事件、パダム・パダム、四月の夢、いつか王子様が、幽霊レストラン、余毛・三文オペラ、芝居の時刻、踊る女) (赤姫、ダイエットの女王、監禁された男、まぶたの母、ネット潜入、詐欺女、春の嵐)
北奥 耕一郎(きたおく こういちろう、1947年8月5日 -… 北奥 耕一郎(きたおく こういちろう、1947年8月5日 - )は、日本の写真家。(社)日本写真家協会会員。京都市観光大使。NHK京都文化センター講師。株式会社フリージュ代表取締役。京都府京都市出身。 1971年、立命館大学法学部卒業後、美術印刷会社勤務を経て独立。 2004年、文化庁が派遣する「芸術家特別研修員」に任命され、アメリカ合衆国へ研究派遣される。研究対象は、世界最新のデジタルプリント技術。 2007年、第11回京都現代写真作家展実行委員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
上田 忠彦(うえだ ただひこ、1947年8月3日 - 201… 上田 忠彦(うえだ ただひこ、1947年8月3日 - 2015年4月15日)は、日本の元サッカー選手。ポジションはFW。京都府出身。 元日本代表サッカー選手釜本 邦茂氏と同じ、京都市立太秦小学校でサッカーを始める。市立蜂ヶ岡中学校、京都商業高等学校(現、京都学園高等学校)から法政大学へと進み、新日本製鐵に加入。日本代表としても12試合に出場し7得点を記録した。現役時代はヘディングの強さが特徴のFWで、1970年のアジア大会では釜本邦茂と2トップを組んだ経験もある。 現役引退後は京都市の京都J-マルカフットボールクラブの代表者で、サッカーの指導者。また、京都クラブユースサッカー連盟(U-15)の監事も務めていた。
萩原 伸次郎(はぎわら しんじろう、1947年8月- )は、… 萩原 伸次郎(はぎわら しんじろう、1947年8月- )は、日本の経済学者、横浜国立大学名誉教授。 京都市太秦生まれ。福島県立福島高等学校卒、1970年福島大学経済学部卒、1976年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位修得退学。1976年北海学園大学経済学部講師、77年助教授、1978年横浜国立大学経済学部助教授、1989年教授、2000-02年同学部長、2013年定年退任、名誉教授。米国マサチューセッツ大学経済学部客員研究員を務めた。専門は現代アメリカ経済政策論。2025年に『トランプ大統領の政治経済政策』で第十二回岡倉天心国際賞受賞。
江村 治樹(えむら はるき、1947年6月14日 - )は、… 江村 治樹(えむら はるき、1947年6月14日 - )は、日本の中国史学者、名古屋大学名誉教授。 1947年、京都府舞鶴市で生まれた。京都府立西舞鶴高等学校を卒業し、神戸大学文学部史学科に進学。東洋史学専攻で学び、1971年に卒業。名古屋大学大学院文学研究科史学地理学科(東洋史学専攻)に進み、1975年に博士課程を中退。 中退後、京都大学人文科学研究所助手に採用され、東洋考古学の研究に従事。1981年、名古屋大学文学部助教授に就き、東洋史学講座を担当した。1995年に同教授昇格。後に同文学研究科教授に配置換え。1998年、学位論文『春秋戦国秦漢時代出土文字資料の研究』を名古屋大学に提出して文学博士号を取得。
塩見 大治郎(しおみ だいじろう、1947年6月2日 - )… 塩見 大治郎(しおみ だいじろう、1947年6月2日 - )は、日本の歌手。 1967年、同志社大学に在学中、杉田二郎(12弦ギター)、細原徹次郎(ベース)とフォーク・バンド「ジローズ」を結成してギターを担当。彼等はシングル一作を発表して1968年に解散。 CBS・ソニーレコードから歌手としてソロ活動を開始。1970年1月から放送が開始されたNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に、レギュラー出演グループ「ヤング101」の第一期生として出演。1974年の番組終了までヤング101に在籍した数少ないメンバーの一人で、同年3月31日の最終回ではヤング101代表として挨拶した。一方、ソロ活動を継続してシングル3作を発表した。
中村 剛治郎(なかむら こうじろう、1947年6月 - )は… 中村 剛治郎(なかむら こうじろう、1947年6月 - )は、日本の経済学者。専門は地域経済学。横浜国立大学名誉教授、前龍谷大学教授。大阪市立大学商学博士。 京都市生まれ。1979年大阪市立大学大学院経営学研究科博士課程商学専攻単位修得満期退学(2004年、大阪市立大学にて商学博士取得)。 1981年金沢大学経済学部講師。同助教授を経て、1984年から横浜国立大学経済学部助教授。同学部教授、横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授を経て、2012年から2018年まで龍谷大学政策学部政策学科教授。 1997年4月から2006年10月まで日本地域経済学会の理事長を歴任し、2006年11月から2009年10月までは同学会の会長に就任。
河内 一友(かわうち かずとも、1947年5月18日 - )… 河内 一友(かわうち かずとも、1947年5月18日 - )は、日本の実業家。MBSメディアホールディングス相談役最高顧問(前代表取締役会長)、毎日放送前取締役会長。 京都府京都市出身。同志社大学文学部社会学科卒業後、1971年4月に毎日放送へ入社。同期にはアナウンサーの野村啓司(元・フリー)、近藤光史(現・フリー)、大学の同期生でもある平松邦夫(元・大阪市長)、元ディレクターの山田厚史(後に朝日新聞社を経て、現・ジャーナリスト)、元テレビプロデューサーの御藤良基(現・光明寺住職)がいた。 営業・事業畑で進み、1993年に東京支社テレビ営業第一部長となり、1997年にラジオ営業局長兼業務部長、1999年に事業局長、2002年に取締役テレビ本部副本部長兼事業局長、2003年に常務取締役テレビ本部長を経て、2005年より常務取締役(営業局・事業局担当)をそれぞれ歴任。
井ノ口 淳三(いのくち じゅんぞう、1947年(昭和22年)… 井ノ口 淳三(いのくち じゅんぞう、1947年(昭和22年)5月11日 - )は、日本の教育学者、追手門学院大学教授。 京都府京都市生まれ。1971年京都大学教育学部卒、1976年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、島根県立島根女子短期大学専任講師、1980年助教授、1990年追手門学院大学文学部教授、1995年同人間学部教授、2006年同国際教養学部教授。2000年「コメニウス教育学の研究」で京大博士(教育学)。