高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日… 高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日 - 没年不明)は、日本の農学博士。大阪市出身。国籍は韓国。京都大学農学部育種学研究、国際高麗学会科学技術部会委員長歴任。アジアに特には、中国、ロシア、北朝鮮における食料問題解決の研究を深めた人物である。 「国民にとって最も重要なもの。それは政治である。最高の科学技術も素晴らしい英知も国民のための政治の下で初めて真の意味をなす。」
坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 20… 坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 2020年11月9日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。位階は従四位。 大阪府大阪市出身。妻の坪井まき(坪井万起)は2003年の大阪市議選に自由民主党から立候補したが落選している。長女は元細野豪志衆議院議員政策担当秘書、参議院議員中村哲治の妻(2006年死去)。
三谷 英夫(みたに ひでお、1939年7月4日- )は、日本… 三谷 英夫(みたに ひでお、1939年7月4日- )は、日本の歯科医師・歯学者。前東北大学副総長、東北大学歯学部学部長。 1958年に大阪府立天王寺高等学校、1964年に大阪歯科大学卒業後、1969年にイリノイ大学大学院歯学研究科修士課程を修了。以後、東京医科歯科大学歯学部附属病院矯正科医員(1969年)、東京医科歯科大学歯学部矯正科助手(1971年)、イリノイ大学歯学部歯科矯正学講座助教授(1972年)、主任教授代行(1973年)、東北大学歯学部附属病院矯正科講師(1977年)、東北大学歯学部歯科矯正学講座助教授(1978年)を経て1984年東北大学歯学部歯科矯正学講座教授に就任。 1995年には東北大学歯学部学部長・大学院歯学研究科研究科長に、2000年11月には東北大学副総長に就任。
佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日… 佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日本の認知心理学者。信濃教育会教育研究所所長。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 岐阜県生まれ。大阪府立北野高等学校卒業。1964年慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同大学大学院工学研究科管理工学専攻修士課程修了。ワシントン大学大学院心理学専攻修士課程および博士課程修了、Ph.D.(1970年)。 東京理科大学理工学部助教授、東京大学大学院教育学研究科・教育学部長・教授。2000年定年退官、名誉教授、青山学院大学文学部教育学科教授を経て、2008年度から同大学社会情報学部教授、ヒューマン・イノベーション研究センター所長。2013年同大学退職、名誉教授。
塩田 利幸(しおた としゆき、1939年6月17日 - 20… 塩田 利幸(しおた としゆき、1939年6月17日 - 2016年9月29日)は、日本のアナウンサー。大阪府大阪市出身。昭和プロダクション所属。関西テレビ放送(KTV)の勤務を経て、フリーとなる。 小学生時代は大の阪神ファンだったが、1950年のセ・パ両リーグ分立の時に、阪神から毎日オリオンズに移籍した別当薫派に付いて行き、オリオンズファンになる。少年時代は球場に頻繁に行くよりも野球雑誌を読んだりラジオで中継を聴いたりするタイプのファンだったことから、小学生時代にアナウンサーを志す。大阪府立夕陽丘高等学校、関西学院大学法学部卒業後、1962年KTVにアナウンサーとして入社。関西運動記者クラブにも加入する。
松波 弘之(まつなみ ひろゆき、1939年6月5日 - )は… 松波 弘之(まつなみ ひろゆき、1939年6月5日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授、京都先端科学大学特任教授。工学博士(京都大学)。大阪市出身。 炭化ケイ素(SiC)という、従来は研磨材や耐熱材料としての利用しかなかった材料の半導体材料としての可能性に早くから注目し、20年以上の試行錯誤の末、SiC 薄膜作製法において、結晶面に適度な傾斜角を導入することによって、結晶成長を制御する方法を見出し、世界で初めて結晶多形混在のない高品質SiCのエピタキシャル成長に成功した。その後、高耐圧・低損失のSiC ショットキーバリアダイオード、高性能SiC電界効果トランジスタを実現し、既存のシリコン半導体では実現できない高性能なパワーデバイスがSiCにより実現できることを世界で初めて実証し、SiCの半導体材料としての地位を確立した。
岸本 忠三(きしもと ただみつ、1939年(昭和14年)5月… 岸本 忠三(きしもと ただみつ、1939年(昭和14年)5月7日 - )は、日本の免疫学者。元・大阪大学総長、大阪大学名誉教授。IL-6の発見者であり、免疫学の世界的権威としてその名を知られる。医学博士(大阪大学)(1969年)。大阪府富田林市生まれ。文化功労者、文化勲章。2009年、日本人初となるクラフォード賞の受賞者に選出された(平野俊夫、チャールズ・ディナレロとの共同受賞)。
長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 20… 長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 2017年3月4日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪府大阪市阿倍野区に生まれる。大阪府立天王寺高等学校卒業後、浜松市に本社を置く鉄工所に旋盤工としての勤務を経て上京し、倉庫番、機械の修理工など職を転々とする。 20歳の時、当時勤務していた会社の社長の息子がアメリカ帰りのグラフィックデザイナーだったことから、当時桑沢デザイン研究所を紹介され、ここで恩師・田中一光に出会うと共に、田中からエディトリアルデザインを学ぶ。日宣美の入選を経て、田中に早川良雄を紹介され、早川の下で色彩感覚を身につける。またここでのちにK2を設立することになる黒田征太郎と出会う(のちに黒田は武者修行として一年半の間、ニューヨークへ渡る)。
岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 -… 岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 - 2012年〈平成24年〉6月5日)は、宝塚歌劇団卒業生、宝塚歌劇団公演編成会議議員。本名は岸本理恵子(きしもと りえこ)。 公称身長156cm。愛称は「キッシャン」(姓に由来)。後輩の大方からはキシモトさんと呼ばれていた。 大阪府大阪市出身、大谷高等学校出身。 1957年、宝塚音楽学校入学。1959年、45期生として、宝塚歌劇団入団。宝塚入団時の成績は57人中26位。雪組公演『花田植え/ラブリーロマンス』で初舞台。のちに雪組に配属される。同期生には、高城珠里(元星組男役)、八汐路まり(元月組主演娘役)、藍葉子(野坂昭如と結婚、娘は花景美妃・愛耀子)など。
松岡 博(まつおか ひろし、1939年(昭和14年)3月31… 松岡 博(まつおか ひろし、1939年(昭和14年)3月31日 - 2013年(平成25年)7月25日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1987年)。大阪大学名誉教授。元大阪大学副学長。帝塚山大学学長・帝塚山大学国際ビジネス法務塾塾長を歴任。弁護士(大阪弁護士会、土居総合法律事務所)。大阪市人事委員会委員長。大阪市出身。 1957年、大阪府立清水谷高等学校卒業。1961年、大阪大学法学部卒業。専門は、国際私法・国際取引法。 1970年に大阪大学法学部助教授。1974年、米ハーバード・ロー・スクール客員研究員。1981年、大阪大学法学部教授。1987年、大阪大学より法学博士の学位を取得。
大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15… 大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15日 - )は、日本の実業家。住友商事代表取締役副社長を経て、レンゴー代表取締役会長。関西経済連合会副会長、日本製紙連合会副会長、凌霜会理事長なども務めている。 大阪府豊中市生まれ。大阪府立大手前高等学校を経て、1962年(昭和37年)神戸大学経済学部卒業。住友商事に入社後「一番弱い分野」を希望し紙・パルプ課に入る。 兵庫県尼崎市にある摂津製紙(のちのセッツ。レンゴーと合併した)への出向を経て、1966年に扶桑紙業(のちの住商紙パルプ、現国際紙パルプ商事)専務取締役。 1988年マレーシアの住友商事クアラルンプール支店長。1992年(平成4年)取締役。
中上 哲夫(なかがみ てつお、1939年3月6日 - )は、… 中上 哲夫(なかがみ てつお、1939年3月6日 - )は、日本の詩人、翻訳家。本名、佐野哲夫。 大阪府大阪市出身。東京経済大学商学部卒業。アレン・ギンズバーグをはじめビート・ジェネレーションの詩人たちの影響を受ける。同人誌「ぶるう」「ぎゃあ」「木偶」を経て、個人誌「黄金の機関車」を発行。2004年、詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』にて第34回高見順賞受賞、第13回丸山豊記念現代詩賞受賞。2013年、詩集『ジャズ・エイジ』にて第28回詩歌文学館賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
黒獅子 勇蔵(くろじし ゆうぞう、1939年2月2日 - 没… 黒獅子 勇蔵(くろじし ゆうぞう、1939年2月2日 - 没年不明)は、大阪府泉南郡岬町出身で、二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は尾崎 勇(おざき いさむ)。最高位は東前頭12枚目(1963年9月場所)。現役時代の体格は174cm、95kg。得意手は右四つ、寄り。 岸和田市立産業高校在学時は、相撲部で活躍した。高校を卒業後上京し、元大関・佐賀ノ花が率いる二所ノ関部屋に入門。1957年3月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「尾崎」。 体格には余り恵まれていなかったが、速攻と寄りを武器に着実に出世し、1962年9月場所で十両に昇進した。そして同場所より「黒獅子」に改名したが、この四股名の名付け親は同部屋の横綱・大鵬や弟弟子の麒麟児(後の大関・大麒麟)の時と同じく、二所ノ関親方(元・佐賀ノ花)であった。
柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月… 柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月10日 - 2007年〈平成19年〉7月6日)は、日本の政治家。大阪府八尾市長(第5代、2期)。大阪府議会議員(4期)、八尾市議会議員(3期)を務めた。 大阪府八尾市出身。明治大学農学部卒業。1961年(昭和36年)日本バルカー工業(現バルカー)に勤務。 1967年4月28日の第6回統一地方選挙で日本社会党から立候補。八尾市安中町を拠点に選挙運動を展開し、28歳で八尾市議会議員に初当選した。 以後、市議3期12年を務め、知名度をもとに1983年4月10日の第10回統一地方選挙で大阪府議会議員に鞍替えし初当選。以後、府議4期16年を務めた。
西田 佐知子(にしだ さちこ、1939年〈昭和14年〉1月9… 西田 佐知子(にしだ さちこ、1939年〈昭和14年〉1月9日 - )は、日本の元歌手。愛称は「さっちん」。夫は俳優・テレビ司会者・タレントの関口宏、息子は俳優・タレントの関口知宏。 大阪府大阪市城東区生まれ。帝国女子高等学校(現・大阪国際滝井高等学校)中退。西田佐智子の名で歌手デビュー。それ以前には、「浪花けい子」の名で活動したこともあった。代表作「アカシアの雨がやむとき」は、60年安保当時の世相を表現するテーマ曲のように扱われており、そのハスキーで退廃的な魅力に満ちた歌声は現在でもニュース映像のBGMなどで使用されることがある。 1982年以降表立った活動は無いが、 1990年(平成2年)、歌手・平井菜水のデビュー曲「めざめ」(夫の関口宏が司会を務める日本テレビ系テレビ番組『知ってるつもり?!』のエンディング曲)の作詞を行っている。
安達 治彦(あだち はるひこ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安達 治彦(あだち はるひこ、1939年〈昭和14年〉1月1日 - 2000年〈平成12年〉4月12日)は、昭和後期から平成期にかけて活躍したラジオパーソナリティ・タレント。 大阪府大阪市出身。立命館大学卒業。大学在学中にアルバイトで司会を始め、卒業と同時にデビューし、数々の番組に出演した。特に「安達治彦のメモリーズ・オブ・ユー」では、洋楽ファンの人気を受ける。しかし、1992年秋に脳卒中で倒れ、すべての番組を降板。命に別状がなかったものの、半身が不随となり、タレント活動を休止した。その後、リハビリを経て、1997年「父さんからのクリスマスメッセージ」に出演した。 2000年4月12日に肝臓がんのため死去した。
河 正雄(かわ まさお 1939年 - )は、在日韓国人の画… 河 正雄(かわ まさお 1939年 - )は、在日韓国人の画家の作品を初めて韓国側に広く認識させた在日2世の美術コレクター。本名、하정웅 / ハ・ジョンウン / Ha Jung Woong。埼玉県川口市で事業に成功。在日韓国・朝鮮人画家らの美術作品を収集し、韓国・光州市立美術館(朝鮮語版)等に寄贈。同美術館名誉館長。 正雄は五人兄妹の長男。秋田県生保内小学校時代は、豚の餌となる残飯集めや新聞配達をしつつ、妹弟の子守りもしながら小学校に通学。2年生から農村の行事や祭りの絵を描く。 秋田市まで、片道3時間がかりで3年間通った秋田県立秋田工業高等学校では絵画部を組織。秋田市内高校絵画連盟会長となり、県展において「山間の田園風景」で高校生初受賞。
渡邉 興亞(わたなべ おきつぐ、1939年 - ) は、日本… 渡邉 興亞(わたなべ おきつぐ、1939年 - ) は、日本の雪氷学者。元国立極地研究所所長。元南極地域観測隊隊長。 1958年大阪府立大手前高等学校卒業、北海道大学入学。北海道大学理学部卒業後、北海道大学大学院を経て、1967年名古屋大学理学部助手。1973年名古屋大学水圏科学研究所助手。1975年国立防災科学技術センター雪害実験研究所第1研究室長。1977年名古屋大学水圏科学研究所助教授。1978年名古屋大学理学博士。1985年国立極地研究所研究系教授。1993年第35次南極地域観測隊隊長。1994年国立極地研究所北極圏環境研究センター教授。1998年総合研究大学院大学教授。2000年国立極地研究所所長。
青山 健熙(あおやま けんき、1939年 - )は、北朝鮮の… 青山 健熙(あおやま けんき、1939年 - )は、北朝鮮の元工作員。1998年に脱北した。「青山健熙」は仮名であり、本名は非公開。 大阪府生野区生まれの在日朝鮮人。1960年(昭和35年)の秋、帰国事業のため単身で北朝鮮に渡った。すでに帰国船(ソ連船クリリオン号)のなか、また、清津港の様子から「地上の楽園」という朝鮮総連・日本共産党の宣伝が嘘であり、「この世の地獄」であることに気づいたという。行き先は北朝鮮当局によって一方的に決められ、1960年9月から1年間、咸興機械工場で働いた。朝鮮総連に騙されてきてしまったことに対する悔しさと居住・移動・職業選択の自由のない不条理感から、抗議や暴力沙汰があちこちで起きたが、それに加わった人びとは当局に引っ張られていった。
司 茜(つかさ あかね、1939年 - )は、日本の詩人。 … 司 茜(つかさ あかね、1939年 - )は、日本の詩人。 大阪府布施市(現東大阪市)生まれ。戦時下の1944年に母の郷里である福井県高浜町に疎開し育った。福井県立若狭高等学校卒業。奈良県大和郡山市在住。 1992年に大阪文学学校に参加し、詩誌「楽市」、地球の元同人、現在は「山脈」、「若狭文学」同人、「詩のひろば」元発行人、現在は「風鐸」の発行人である。 1994年に第一詩集『若狭に想う』を出版、収録の詩「若狭に想う」で第4回日本海文学大賞を受賞した。2002年出版の第二詩集『番傘をくるくる』に収録した詩「若狭内浦の里」は『女性たちの現代詩 日本100人選詩集』(麻生直子編、2004年、梧桐書院)に選ばれ、埼玉県羽生市の第一回ふるさとの詩の入選作品ともなった。
橘田 喜和(きつだ よしかず、1939年 - )は、日本の経… 橘田 喜和(きつだ よしかず、1939年 - )は、日本の経営者、元野村證券 代表取締役副社長 元 野村ファイナンス代表取締役社長 元 日本相互証券代表取締役社長 大阪市中央区船場出身。大阪府立清水谷高校卒業 和歌山大学経済学部卒業
唐渡 吉則(からわたり よしのり、1939年 - )は、日本… 唐渡 吉則(からわたり よしのり、1939年 - )は、日本のプロ野球中継専属リポーター・ラジオパーソナリティ・歌手・実業家(広告会社社長〔株式会社クリエイティブタグ代表取締役〕 - 本業)。大阪府生まれ。MBSラジオ制作の阪神タイガース(以下、阪神、同球団)関連番組で、長らくリポーター・スポーツコメンテーターとして活躍していた。 通称は『ミスター・トラ』(元々は、阪神関連番組出演時の名義だった。後述参照)。愛称は『唐(から)さん』、『からやん』。血液型はA型。 1962年に関西大学文学部新聞学科を卒業してから、広告代理店に8年間在籍。トップセールスマンとして活躍した後に、独立して広告会社を設立した。
森本 清一(もりもと せいいち、1939年(昭和14年) -… 森本 清一(もりもと せいいち、1939年(昭和14年) - 2012年(平成24年) 3月11日)は、日本の弁護士。大阪府出身。 弁護士活動として東京都内にて人権擁護活動を行っている。東京都の墨田区民に対し、生きがいと健康の増進を得ること、そして豊かな地域づくりのため生涯学習の機会を提供する活動をしている。たとえば、区民に対して生涯学習に関する情報を提供をしたり、区民からの相談や生涯学習団体等の活動を支援する事業を行っている。 2000年(平成12年)9月25日に認証された特定非営利活動法人・すみだ学習ガーデンでは代表を務め、すみだ生涯学習センターの「すみだプラネタリウム」を運営している。墓所は築地本願寺和田堀廟所。
浅田 満(あさだ みつる、1938年12月6日 - )は、日… 浅田 満(あさだ みつる、1938年12月6日 - )は、日本の実業家。食肉卸売業のハンナン(現:ハニューフーズ)会長、部落解放同盟元地方役員。食肉業界の顔役(ドン)と呼ばれる。別名、浅田満利。 大阪府羽曳野市向野に生まれる。1947年、実父が食肉卸「浅田商店」を設立。そのため小学校5年生の時から店を手伝う。1951年頃、入学式の直後に中学校を中退して大阪市淀川区三国の食肉小売店「神戸屋」で奉公。その後、大阪市阿倍野区北畠の肉屋にも奉公。日本ハム会長の大社義規に取り入り、1964年に日本ハムの子会社「日本ミート」の専務に就任。1967年12月、浅田商店を株式会社阪南畜産浅田商店に商号変更、取締役に就任。
垣添 直也(かきぞえ なおや、1938年11月3日 - )は… 垣添 直也(かきぞえ なおや、1938年11月3日 - )は、日本の実業家。日本水産代表取締役社長や、日本冷凍食品協会会長、日本冷蔵倉庫協会会長、大日本水産会副会長、国立大学法人東京海洋大学理事などを歴任。 大阪市出身。1957年東京都立新宿高等学校卒業。1961年東京水産大学(現東京海洋大学)水産学部製造学科卒業、日本水産入社。1990年取締役。1993年常務取締役。1994年代表取締役専務。1995年代表取締役副社長。1999年から13年間代表取締役社長を務め、豪腕経営を行った。在任期間が長期に渡ったため会長職には就かず2012年に相談役に退いた。2016年マリン・エコラベル・ジャパン協議会会長。
米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日… 米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日- )は、日本の理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。理学博士(京都大学)(1966年)。大阪府吹田市生まれ。旧姓名、奥 富美子。
森山 大道(もりやま だいどう、本名:ひろみち、1938年1… 森山 大道(もりやま だいどう、本名:ひろみち、1938年10月10日 - )は、日本の写真家。大阪府池田市生まれ。 ハッセルブラッド国際写真賞、ドイツ写真家協会賞、朝日賞、毎日芸術賞、日本写真協会作家賞などを受賞。 世界各国で高く評価されており、アメリカ、イタリア、イギリス、フランス、オーストリア、ベルギー、ドイツ、中国、スペインなどでも個展を開いている。 東京工芸大学客員教授、京都造形芸術大学客員教授、専門学校東京ビジュアルアーツ顧問、専門学校名古屋ビジュアルアーツ特別顧問。 過去に、ワークショップ写真学校や東京写真専門学校(現 東京ビジュアルアーツ)の講師など、さまざまな写真教育活動に当たるなど、教育活動も行っている。
尾原蓉子(おはら ようこ、1938年10月7日 - )は、日… 尾原蓉子(おはら ようこ、1938年10月7日 - )は、日本の実業家。IFIビジネス・スクール元学長。西友元・取締役、エイボン・プロダクツ取締役、良品計画取締役、旭リサーチセンター取締役。柳井正・ファーストリテイリング代表取締役が最も尊敬する女性とされている。
真鍋 昌弘(まなべ まさひろ、1938年(昭和13年)9月1… 真鍋 昌弘(まなべ まさひろ、1938年(昭和13年)9月15日 - )は、日本の国文学者。文学博士(國學院大学・論文博士・1984年)。奈良教育大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。1961年奈良学芸大学(現奈良教育大学)教育学部中学校教員養成課程卒、1964年立命館大学大学院文学研究科日本文学修士課程修了。 奈良教育大学助教授、教授、1984年「中世近世歌謡の研究」で國學院大学より文学博士の学位を取得、第1回志田延義賞受賞。2004年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授。2009年退職。日本歌謡学会会長。専攻は日本歌謡史。
堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8… 堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8日 - )は、日本の海洋冒険家(ソロセーラー、ヨットマン)。大阪府大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。 1962年、日本人として初めて、小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断に成功。1974年、日本初の小型ヨット単独無寄港世界一周に成功。 アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。 大阪市港区で生まれた。 太平洋戦争の末期には大阪府下の箕面村(今の箕面市)で一家で暮らした。1945年(昭和20年)の3月から8月にかけて、大阪市への空襲の際は、遠く離れた堀江のいた箕面市にも爆発音や衝撃波が届くような状況であった。このため太平洋横断中、ミッドウェー島の近くに来た時に、島に向かって死去した兵士に黙祷した。
鳥居 宏次(とりい こうじ、1938年8月30日 - )は、… 鳥居 宏次(とりい こうじ、1938年8月30日 - )は、日本の計算機科学者。国立大学法人・奈良先端科学技術大学院大学特任教授。大阪府東大阪市出身。 ソフトウェア作成の観察実験など、数値化を重視した実証的といわれるソフトウェア工学の研究をしたという評価がある。 2006年、情報化月間推進会議(議長:児玉幸治・日本情報処理開発協会会長)が表彰する『平成18年度情報化促進貢献個人表彰』において『経済産業大臣表彰(情報化促進部門)』を受ける。表彰理由は「エンピリカルソフトウェア工学を提唱し、ソフトウェア工学に関する国際的な研究組織の創設に主導的な役を果たす。文部科学省「データに基づくソフトウェア開発支援システム(EASEシステム)」プロジェクトにおいて研究代表者を務め、産業界と学会との連携の枠組みの構築に大きく寄与」となっている。
村井 眞二(むらい しんじ、1938年8月24日 - 202… 村井 眞二(むらい しんじ、1938年8月24日 - 2025年6月30日)は、日本の化学者。工学博士。大阪大学・奈良先端科学技術大学院大学名誉教授。 日本化学会会長、科学技術振興機構上席フェロー、奈良先端科学技術大学院大学理事・副学長などを歴任。大阪市出身。
則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、… 則定 衛(のりさだ まもる、1938年7月21日 - )は、日本の元検察官、弁護士。大阪府出身。 1999年、月刊誌「噂の眞相」5月号が「高検検事長が愛人ホステスを公費出張に同伴し偽名で宿泊、愛人と別れる際には慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせた」という女性スキャンダルをスクープとして報道し、朝日新聞が同年4月9日付でこれを引用する形で一面トップ記事としたことから主要新聞、スポーツ紙、週刊誌も大々的にこの問題を報じ、混乱の責任をとらされる形で辞任に追い込まれた。女性スキャンダルがここまで大きくなった背景には、時の法相・中村正三郎が指揮権を発動しようとするなど権力の私的行使により辞職するなど法務省・捜査当局に対する世間の厳しい風当たりや、ゴシップ誌の「噂の真相」を新聞が引用する形で一面記事にするという極めて異例な報道展開であったことも一因にある。
山本 順之(やまもと のぶゆき、YAMAMOTO Nobuy… 山本 順之(やまもと のぶゆき、YAMAMOTO Nobuyuki 1938年(昭和13年)7月19日 - 2024年(令和6年)7月8日)は、観世流能楽師(シテ方)。重要無形文化財保持者(総合認定)。公益社団法人「銕仙会」理事。能楽協会会員。「山本順之の会」「順扇会」主宰。 大阪府大阪市生まれ、東京都在住。大阪府立清水谷高等学校卒業。早稲田大学文学部卒業。父である山本博之(観世流能楽師、山本能楽堂創立者)および八世観世銕之亟(人間国宝)に師事。1942年(昭和17年)4歳の時、仕舞「老松」で初舞台。1945年「花月」で初シテ。 2024年7月8日、肝細胞癌のため死去。85歳没。 曲趣を正確に捉え観客の想像力に訴えかける、幅の広い地謡作りの「地頭(リーダー)」として定評があり、銕仙会の地謡を支える重鎮だが、若手や斬新な作品にも数多く出演している。
金田 晉(かなた すすむ、1938年7月15日 - )は、日… 金田 晉(かなた すすむ、1938年7月15日 - )は、日本の美学者。広島大学名誉教授。蘭島閣美術館名誉館長。専門は現象学的美学、造形美学の現象学。元広島県博物館協議会会長。 大阪府出身。大阪府立三国丘高等学校を経て、1962年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1969年同大学院美学専攻博士課程単位修得退学。2004年「形態と価値の現象学-フッセルの美学思想を弾機として-」で東京大学文学博士。1969年広島大学教養部講師、1974年同総合科学部助教授、1983年教授。2000年定年退官、名誉教授、東亜大学総合人間・文化学部教授・同学部長、特任教授、広島大学監事。ひろしま美術館理事。財団法人蘭島文化振興財団顧問。
上田卓三(うえだ たくみ、1938年6月24日 - 2005… 上田卓三(うえだ たくみ、1938年6月24日 - 2005年5月26日)は日本の政治家。元衆議院議員・部落解放同盟委員長。
萬田 務(万田 務、まんだ つとむ、1938年5月14日 -… 萬田 務(万田 務、まんだ つとむ、1938年5月14日 - )は、日本の日本近代文学研究者。 立命館大学大学院修士課程修了。大阪城南女子短期大学助教授、橘女子大学助教授、京都橘女子大学助教授を経て教授。大阪府富田林市生まれ。
石黒 武彦(いしぐろ たけひこ、1938年5月7日 - )は… 石黒 武彦(いしぐろ たけひこ、1938年5月7日 - )は、大阪府出身の科学者。専門は超伝導体物理学(特に有機超伝導体)、低次元物質物性学、半導体物理学、超音波による物性研究などの物性物理学、ならびに科学技術社会学。 1966年京都大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程単位取得退学後、工業技術院電気試験所および電子技術総合研究所の研究員、研究部長を経て、京都大学理学部教授となり、2002年同学の名誉教授となった(63歳)。続いて、2003年同志社大学ヒューマン・セキュリティ研究センターのフェロー(教授)に就任し、2008年退職。 大学院では田中哲郎教授の下で、元素半導体セレンとテルルの単結晶を作成し、機械共振法と超音波増幅実験によって、それぞれに圧電効果があることを示し、イオン性がなくても(共有結合系であっても)圧電性を示すことを明らかにした。
増倉 一郎(ますくら いちろう、1938年3月27日 - 2… 増倉 一郎(ますくら いちろう、1938年3月27日 - 2023年9月13日)は、日本の経営者。髙島屋社長、会長を務めた。大阪府八尾市出身。 1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に髙島屋に入社した。1991年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2001年3月に社長に就任。2003年3月に会長に就任し、2005年5月から相談役を務めた。 一方で、2004年から2019年までに南海電気鉄道で取締役と監査役を務めた。 2023年9月13日、敗血症のため死去。85歳没。
稲垣 正浩(いながき まさひろ、1938年3月26日 - 2… 稲垣 正浩(いながき まさひろ、1938年3月26日 - 2016年2月6日)は、日本のスポーツ史学者。 大阪府富田林市生まれ。愛知県豊橋市で育ち、愛知県立時習館高等学校を卒業しており、愛知県出身と紹介されることもある。 東京教育大学体育学部を1960年に卒業して、専攻科に進み、さらに1962年に同大学院教育学研究科へ進学、1969年に博士課程を単位取得退学し、東京教育愛学教務補佐員となった。1974年から愛知教育大学助教授、1976年から大阪大学助教授を経て、1978年から奈良教育大学助教授、1984年から同教授となり、1997年まで在職した。その後、1997年に日本体育大学体育研究所教授、翌1998年に同大学院教授となった。
下平尾勲(しもひらお いさお、1938年3月10日 - 20… 下平尾勲(しもひらお いさお、1938年3月10日 - 2007年8月9日)は、日本の経営学・経済学者。 大阪府池田市生まれ。1963年大阪市立大学経済学部卒、1968年同大学院経済学研究博士課程単位取得。2000年「信用制度の経済学」で商学博士(大阪市立大学)。佐賀大学助教授、福島大学経済学部助教授、教授、2003年定年退官し、名誉教授となり、福島学院大学学長を務めた。地域経済が専門。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
応地 利明(應地利明、おうじ としあき、1938年3月6日-… 応地 利明(應地利明、おうじ としあき、1938年3月6日- )は、日本の地理学者。京都大学名誉教授。専攻は人文地理学で、アジア・アフリカ地域研究を主要な研究領域とするが、最近は地理学史・地理思想史に関する著作も多い。大阪府出身。 大阪府出身。1956年大阪府立高津高等学校卒業、1960年京都大学文学部史学科地理学専攻卒業、1964年同大学院文学研究科博士課程退学、名古屋大学文学部助手、1966年名古屋工業大学講師、1969年愛知県立大学助教授、1973年京都大学文学部助教授、1986年教授、同年「南西アジアにおける農業的土地利用の地理学的比較研究」で京大文学博士。94年同東南アジア研究センター教授、98年同アジア・アフリカ地域研究・研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、滋賀県立大学・人間文化学部教授、2005年立命館大学文学部教授、2008年退職。
近藤 光郎(こんどう みつろう、1938年3月1日 - )は… 近藤 光郎(こんどう みつろう、1938年3月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1967年と1968年の登録名は近藤 瑞郎(こんどう みずお)。
鳥井 信一郎(とりい しんいちろう、1938年1月22日 -… 鳥井 信一郎(とりい しんいちろう、1938年1月22日 - 2004年7月5日)は、日本の実業家でサントリー(現サントリーホールディングス)元社長・元会長。元関西経済連合会副会長。大阪府出身。位階は正五位。 1956年大阪府立池田高等学校卒業。1960年ノースウェスタン大学卒。1963年神戸大学法学部卒業。住友銀行(現・三井住友銀行)を経て、1967年にサントリーに入社。国際本部長を経て1972年取締役となり、1990年3代目の創業家社長に就任する。「サントリーホップス」「マグナムドライ」といった発泡酒のジャンルを切り開くキーパーソンとなった。 1995年サントリー文化財団理事長。その後2001年にサントリー会長に退き、2004年3月からは相談役になっていたが、同年7月5日、肺炎のため死去。
初代 桜川唯丸(しょだい さくらがわ ただまる、1938年1… 初代 桜川唯丸(しょだい さくらがわ ただまる、1938年1月16日 - )は、日本の江州音頭取り、歌手、詩人。大阪府寝屋川市出身。 1938年1月16日、寝屋川市下神田町に生まれる。 1947年 - 1973年(入門からの修行時代) 9歳だった1947年(昭和22年)11月上旬、芸事好きだった母方の祖母に薦められて、寝屋川萱島在住の音頭取りの二代目桜川房丸に弟子入り。 翌年8月、寝屋川市太秦の櫓で初櫓(デビュー)。 音頭修行に励み、師匠以外では、1950年(昭和25年)夏、神田天満宮での櫓で共演した中学1年生の時に、当時健在だった大倉壽賀義に初代房丸が学んだ耳に心地良い節(音頭)に深く影響を受けて取り組み、古老たちから河内音頭を学ぶ。
坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 20… 坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 2014年1月28日)は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(外野手)。 1953年浪華商業高校(現・大阪体育大学浪商高等学校)に入学。投手から野手に転向し、2年生の1954年に右翼手として春の選抜に出場する。2回戦でこの大会に優勝した飯田長姫高のエース光沢毅に抑えられ敗退。翌1955年の春の選抜では「4番打者・中堅手」として出場。チームは順調に勝ち上がり、決勝戦で桐生高校と対戦。桐生高校監督の稲川東一郎は坂崎に対して勝負を避ける選択を取る。坂崎は2打席敬遠されたが、第3打席に桐生高エースの今泉喜一郎は勝負し、その打席で2点本塁打を放つ。結局、浪華商は延長11回にサヨナラ勝ちして、18年ぶり2回目の優勝を飾った。
魚田 勝臣(うおた かつおみ、1938年 - )は、日本の計… 魚田 勝臣(うおた かつおみ、1938年 - )は、日本の計算機科学の研究者、専攻は情報システム、情報システム教育およびソフトウェア工学、専修大学名誉教授。一般社団法人情報システム学会事務局長。
今本 博健(いまもと ひろたけ、1937年12月9日 - )… 今本 博健(いまもと ひろたけ、1937年12月9日 - )は、日本の河川工学者。水工技術研究所代表、京都大学名誉教授。専門は実験水理学・河川工学・防災工学。大阪市出身。
安藤 孝子(あんどう たかこ、1937年11月26日 - )… 安藤 孝子(あんどう たかこ、1937年11月26日 - )は元祇園甲部芸妓で、日本テレビ系列(一部地域除く)の深夜番組『11PM』の藤本義一の初代アシスタントを務めた。芸妓名は『孝千代』(たかちよ)であった。 大阪市南区(現・中央区)宗右衛門町の生まれで、4歳の頃京都市に引っ越した。彼女は6歳から日本の舞踊を習い始めた。10代で祇園甲部芸妓、貝田孝江(かいだ たかえ)の妹分として店出し(芸妓、舞妓の披露)、舞妓、芸妓時代を経て、タレントに転身。1958年日本女子大・国文科卒業。『11PM』の初代アシスタントとして火曜日、木曜日(よみうりテレビ制作)の担当を務めた。現在、株式会社安藤監査役。 この項目は、芸能人一般(俳優/女優・歌手・お笑い芸人・アナウンサー以外のタレントなど)に関連した書きかけの項目です。
西原 恭治(にしはら きょうじ、1937年11月17日 - … 西原 恭治(にしはら きょうじ、1937年11月17日 - )、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学生の頃から速球派投手として、地元では名が知られていた[要出典]。 大阪府立岸和田高では、1953年夏の甲子園府予選準々決勝で市岡高の中西勝己と投げ合い、日没引き分け再試合の末に辛勝。決勝まで進むが片岡宏雄のいた浪華商に敗れ、憧れの「甲子園」にはあと一歩届かずに終わった。 高校卒業後の1956年、西鉄ライオンズへ入団。稲尾和久と同期。同年7月には初先発を果たす。1957年には5試合に先発、初勝利も記録した。同年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでも、最終第5戦に若生忠男をリリーフして登板、チームの日本一に力を添えた。