桑田 二郎(くわた じろう、1935年〈昭和10年〉4月17… 桑田 二郎(くわた じろう、1935年〈昭和10年〉4月17日 - 2020年〈令和2年〉7月2日)は、日本の漫画家。大阪府吹田市出身で、晩年は茨城県鉾田市(旧鹿島郡大洋村)に居住していた。旧ペンネームは桑田 次郎。絵のシャープな美しさで知られる。代表作は『まぼろし探偵』『月光仮面』『8マン』など。 1935年、大阪府吹田市に生まれる。幼少時は『のらくろ』(田河水泡)や『タンクタンクロー』(阪本牙城)、『長靴の三銃士』(井元水明)等、「少年倶楽部」や「幼年倶楽部」の漫画を愛読していた。1948年、手塚治虫の諸作品に影響されSF冒険漫画『奇怪星團』を描き上げる。原稿を出版社に持ち込み「青雅社」から13歳で貸本漫画デビュー(最年少記録)。
中西 勝己(なかにし かつみ、本名:中西 勝彦(なかにし か… 中西 勝己(なかにし かつみ、本名:中西 勝彦(なかにし かつひこ)、1935年4月6日 - 2009年3月29日)は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023… 田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023年1月28日)は、日本の音楽評論家、舞台監督、歌手、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家。 1935年、大阪市生まれ。本名、永島律〈ながしま・ただす〉。1960年、大阪大学文学部国史学科卒業。 関西フォークの全盛期に、鑑賞団体「大阪労音」事務局に勤務。大阪労音事務局時代に、助言者的な立場で関わっていた音楽評論家の中村とうよう、飯塚晃東と知り合う。 1968年、東京に移る。 1969年4月に飯塚晃東、小倉エージらとともに、中村とうようを編集長とする雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。 1970年、フリーとなり、音楽評論、舞台監督、レコーディングディレクターなど様々な音楽関連の仕事を体験。
吉川 久一(よしかわ ひさかず、1935年3月14日 - )… 吉川 久一(よしかわ ひさかず、1935年3月14日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手。
北口 晃(きたぐち あきら、1935年3月8日 - )は大阪… 北口 晃(きたぐち あきら、1935年3月8日 - )は大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
法元 英明(ほうもと ひであき、1935年3月3日 - )は… 法元 英明(ほうもと ひであき、1935年3月3日 - )は、大阪府大阪市平野区出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・指導者・監督・スカウト、野球解説者。
吉田 剛(よしだ たけし、1935年3月2日 - 2018年… 吉田 剛(よしだ たけし、1935年3月2日 - 2018年11月17日)は、日本の脚本家・映画監督である。本名同じ。大阪府堺市生まれ。 1958年、関西大学文学部卒業後、松竹大船撮影所に入社。助監督として小林正樹、篠田正浩、斎藤耕一らの作品につく。それと並行して、野村芳太郎の『おはなはん・第二部』(1966年)、小林『化石』(1975年)、瀬川昌治『哀しい気分でジョーク』(1985年)、佐藤純彌『敦煌』(1988年)や、『必殺シリーズ』(ABC)などのテレビドラマのシナリオを執筆。 1992年、野村芳太郎が急病のため、映画『復活の朝』で監督も兼任する。 1990年代の「月刊ドラマ」誌上における近況報告や随筆では、幕末におけるアメリカ人の傲慢さなども例に挙げて反米主義者を自称していたこともあった。
新野 新(しんの しん、1935年〈昭和10年〉2月23日 … 新野 新(しんの しん、1935年〈昭和10年〉2月23日 - 2025年〈令和7年〉9月25日)は、日本の放送作家、ラジオパーソナリティー、司会者。 大阪府大阪市出身。放送作家集団「ペン企画」主宰を池田幾三とともに務めたほか、放送作家などの養成スクールである心斎橋大学総長も務めた。
難波 昭二郎(なんば しょうじろう、1935年2月19日 -… 難波 昭二郎(なんば しょうじろう、1935年2月19日 - 2009年8月14日)は、プロ野球選手(内野手)、実業家、音楽プロデューサー。 大阪府生まれ。高槻高等学校を経て、1954年に関西大学に入学。1年生の春季・秋季リーグとも規定打席不足ながら.444の高打率を挙げると、2年生から四番打者を務め、関西六大学野球リーグでは1956年春季リーグ、1957年春季リーグで優勝。1年下のエース村山実とともに投打の両輪として活躍し、1956年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝でエース島津四郎を擁する日大を降し、西日本の大学としては初の優勝を飾る。リーグ通算86試合出場、283打数73安打、打率.258、7本塁打。
八木正(やぎ ただし、1935年2月19日 - 2009年7… 八木正(やぎ ただし、1935年2月19日 - 2009年7月7日[リンク切れ])は、社会学者。 大阪市生まれ。東北大学文学部卒、同大学院文学研究科博士課程修了。静岡大学教養部講師、助教授、金沢大学教養部助教授、1993年に法文学部教授、名誉教授、大阪市立大学教授、1997年に広島国際大学医療福祉学部教授[要ページ番号]。2005年に退職。
中田一男(なかた かずお、1935年2月18日 - )は日本… 中田一男(なかた かずお、1935年2月18日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。 大阪府吹田市出身(父は兵庫県、母は大阪府)。大阪府立茨木高等学校、京都大学経済学部卒業。1957年 大蔵省入省(主税局調査課)。1964年7月 荻窪税務署長。1980年6月 経済企画庁物価局物価政策課長。1982年6月 中国財務局長。1984年6月 理財局次長(国有財産担当)。1986年6月 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1987年1月 北海道開発庁総務監理官。1989年4月 北海道開発事務次官。1991年6月 退官。同年7月 北海道東北開発公庫副総裁。1995年6月 苫小牧東部開発(株)代表取締役社長。2000年5月 (株)OMCカード代表取締役会長。
熱田 良一(あつた りょういち、1935年2月8日 - )は… 熱田 良一(あつた りょういち、1935年2月8日 - )は、大阪府吹田市出身の元プロ野球選手(内野手)。 吹田高校から1956年に近鉄パールスへ入団。 2年目の1957年に引退した。
玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 202… 玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 2025年7月5日)は、日本の社会運動家、教育者。あしなが運動創始者。「あしなが育英会」前会長。 1935年2月6日、大阪府池田市に生まれる。大阪府立池田高等学校を卒業後、滋賀大学経済学部に入学し、1958年に卒業。証券会社勤務等を経て、経済評論家として文筆活動に入る。1963年、母親が交通事故に遭ったことを契機に「交通評論家」としての活動を開始(母親は昏睡状態のまま36日後に死去)。また、妻も20代で脊椎ガンにて下半身不随となり、2年半後に死別。これらふたつの「死」が、玉井の「あしなが運動」の原点となる。 「あしなが運動」開始後は、自賠責保険の支払限度額引き上げなどの問題提起を行い、1966年からは「桂小金治アフタヌーンショー」(NET)で週1回行われた「交通事故防止キャンペーン」コーナーにレギュラー出演し、各界関係者と議論を戦わせ刑法211条改正実現等に尽力した。
堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 20… 堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 2012年1月14日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者・評論家。 桃山学院高校では3年次の1952年、夏の大阪府大会で準決勝に進出するが、明星高に敗退。高校卒業後は1953年に立教大学へ入学するが、同期のエース東実や1年下の杉浦忠の陰に隠れ、あまり活躍の機会はなかった。専ら他校のエースを真似た練習台の投手であった。他の大学同期に矢頭高雄がおり、一年下に長嶋茂雄がいた。大学卒業後は1957年に日通浦和へ入社し、同年の都市対抗では3勝を挙げて決勝に進出。熊谷組の島津四郎と投げ合うも完封を喫するが、この大会の久慈賞を獲得。
石井 トミコ(いしい トミコ、1935年1月12日 - 20… 石井 トミコ(いしい トミコ、1935年1月12日 - 2022年10月6日[要出典])は、日本の女優。本名は、山根富子。旧姓名及び旧芸名、石井 富子(いしい とみこ)。大阪府大阪市出身。血液型はB型、身長154 cm。趣味は水泳、日本舞踊。ワンダー・プロダクション所属。 大阪市東区に生まれ、明浄中学校を卒業。 1950年に大阪松竹歌劇団付属学校に入学。 歌劇学校卒業後、大阪松竹歌劇団へ入団。1953年にOSKを退団し、大映に入社。長谷川一夫主演『知らずの弥太郎』で映画デビュー。 草創期のテレビにも出演しており、グラマーな水着姿も注目された。 1957年、大映を退社してからは松竹へ移籍。 1962年からはフリーで活動。
平野 拓也(ひらの たくや、1935年1月8日 - )は、日… 平野 拓也(ひらの たくや、1935年1月8日 - )は、日本の元大蔵官僚・科学技術官僚。大阪府大阪市出身。 国家公務員採用中級試験(行政)に合格し、大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)外国語学部中国語学科を卒業して1959年に大蔵省に入省するが、同年国家公務員採用上級試験(行政)に合格し、改めて科学技術庁に事務系官僚で入った。その後、航空宇宙技術研究所管理部長、原子力局長、官房長、科学審議官を経て、1992年に事務系として初の科学技術事務次官となる。 1994年に定年退官。その後に海洋科学技術センター理事長に就任。 1995年の大阪府知事選挙に自民党、社会党など日本共産党以外の政党から支援されて無所属で立候補するが、無党派の横山ノック(無所属)に敗れて落選。
五代目 片岡 我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1… 五代目 片岡 我當(ごだいめ かたおか がとう、1935年1月7日 - 2025年5月11日)は上方の歌舞伎役者。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は五枚銀杏。俳名に壽蘭。本名は片岡 秀公(かたおか ひできみ)。 十三代目片岡仁左衛門の長男として、東京に生まれる。同志社大学工学部卒業。 1940年10月、大阪歌舞伎座で片岡秀公の名で『堀川』のおつる役で初舞台。戦後は父、兄弟と共に関西に本拠地を移し、「七人の会」、「仁左衛門歌舞伎」に参加。 1971年、大阪新歌舞伎座で『桜時雨』の三郎兵衛、『二月堂』の良弁で、五代目片岡我當を襲名。その後、父、弟や三代目實川延若、三代目中村鴈治郎らとともに関西歌舞伎の復興に活躍、大阪府民劇場賞を受賞する。
竹村 達也(たけむら たつや、1935年〈昭和10年〉 - … 竹村 達也(たけむら たつや、1935年〈昭和10年〉 - )は、大阪府出身の特定失踪者。1972年(昭和47年)3月、茨城県にて失踪した。失踪当時は36歳。核燃料開発事業に関わったエリート研究者である。動力炉・核燃料開発事業団(動燃)のプルトニウム製造係長も務めた。 1935年(昭和10年)、大阪府大阪市生まれ。大阪府立天王寺高等学校から600ないし700メートルほど離れた、JR西日本阪和線高架沿いに実家があった(2023年現在は空き地となっている)。天王寺高等学校から大阪大学工学部冶金学科に進み、1958年(昭和33年)に卒業した。 1958年4月、動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の前身である茨城県東海村の原子燃料公社(原燃)に入社した。
平野 拓也(ひらの たくや、1935年 - )は、日本のフリ… 平野 拓也(ひらの たくや、1935年 - )は、日本のフリージャーナリスト、元税務官僚。 大阪府大阪市生まれ。1953年大阪府立豊中高等学校卒、大蔵省関税局大阪税関入関。税関相談官などを経て1995年退職。1988年大阪外国語大学フランス語科入学、1993年卒業。退職後は雑誌、単行本などで執筆活動。
鶴崎 裕雄(つるさき ひろお、1935年 - )は、国文学者… 鶴崎 裕雄(つるさき ひろお、1935年 - )は、国文学者。学位は、文学博士(関西大学・1988年)(学位論文「戦国期における寄合文芸の研究」)。帝塚山学院大学名誉教授。 大阪市生まれ。関西大学文学部卒。1988年「戦国期における寄合文芸の研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。帝塚山学院短期大学教授。帝塚山学院短期大学学長。帝塚山学院大学人間文化学部教授、2006年定年退任、名誉教授。
住吉 博(すみよし ひろし、1935年〈昭和10年〉- )は… 住吉 博(すみよし ひろし、1935年〈昭和10年〉- )は、日本の法学者。専門は、民事手続法(民事訴訟法・民事執行法・民事保全法)、司法書士の地位向上に関する研究。中央大学名誉教授。大宮法科大学院大学元学長。弁護士。 大阪府大阪市生まれ。1954年麻生塾工業高等学校卒業。中央大学法学部通信教育課程入学。その後、法学部政治学科通学課程に転籍。1962年中央大学法学部政治学科卒業。1964年司法修習修了。中央大学法学部助手。 1968年同法学部助教授。1975年同法学部教授。その後、1987年から1992年まで旧司法試験第二次試験考査委員も務めた。2004年中央大学定年退職。同名誉教授。同年、大宮法科大学院大学初代学長。
上野 修三(うえの しゅうぞう、1935年 - )は、日本の… 上野 修三(うえの しゅうぞう、1935年 - )は、日本の料理人、随筆家。 現在の大阪府河内長野市に生まれる。大阪市の老舗「川喜」で修業の上、料理長を経て独立。料理人としては引退し、食の随筆家、また、なにわの食文化の語り部として、随筆活動を行っている。大阪市民賞、卓越した技能者賞(厚生労働省)、2017年黄綬褒章受章。
海原 壱一(かいばら かずいち、1935年 - 2018年8… 海原 壱一(かいばら かずいち、1935年 - 2018年8月12日)は日本の実業家。海原建設社長。大阪府同和事業促進協議会理事、大阪府同和建設協会専務理事。部落解放同盟大阪府連合会向野支部副支部長。元暴力団小三組幹部。元有限会社ワールド牧場代表取締役。 大阪府羽曳野市の同和地区出身。酒梅組初代・鳶梅吉の若い衆、榎並三之助が率いる小三組に触れ、榎並組長が実質的に営む榎並工務店に入社した。1963年頃までは暴力団小三組の最高幹部の一人で、ピストル不法所持で警察に逮捕された前歴もある。 1963年、海原組創業。市営住宅に事務所を置き、建設現場に労働者を供給する零細土建業者にすぎなかった。工事を請け負うほどの能力もなかったといわれている。
高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2… 高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2017年10月6日)は、日本の実業家。日興證券代表取締役社長。大阪府大阪市出身。大阪府立住吉高等学校、和歌山大学経済学部卒業。
佐瀬 昌盛(させ まさもり、1934年〈昭和9年〉12月21… 佐瀬 昌盛(させ まさもり、1934年〈昭和9年〉12月21日 - 2026年〈令和8年〉2月24日)は、日本の国際政治学者。防衛大学校名誉教授、拓殖大学客員教授。専門はヨーロッパの国際政治、安全保障論で、米ソ東西冷戦研究の第一人者。 1934年(昭和9年)関東州大連市生まれ。東京大学大学院国際関係論専門修士課程修了。ベルリン自由大学に留学後、東京大学教養学部の助手となる。成蹊大学の助教授を経て、防衛大学校の教授に就任。2000年(平成12年)退官後に拓殖大学海外事情研究所の教授、所長となる。 2007年4月、日本の集団的自衛権に関する憲法解釈の見直しを検討する、安倍晋三内閣総理大臣の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の有識者委員を務めた。
前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひ… 前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひと〉、1934年12月6日 - 2018年11月25日)は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。 大阪府出身。小学校教師であった父より、幼少より読譜を学ぶ。大阪府立桜塚高等学校卒業と同時に、プロのジャズピアニストとして活動を開始。ピアノ・指揮法とも独学で習得する。1955年に上京、名門ジャズバンド「西條孝之介とウエスト・ライナーズ」などのメンバーとして活躍。以後、様々なバンドに参加する一方、数多くのテレビ番組のテーマ音楽を手がける。特に、テレビ番組で共演し、共に昭和9年生まれの芸能人の会「昭和九年会」のメンバーでもある大橋巨泉とは親交も深く、巨泉が出演した番組のテーマ音楽の大半を手がけている。
島野 喜三(しまの よしぞう、1934年(昭和9年)11月2… 島野 喜三(しまの よしぞう、1934年(昭和9年)11月27日 - 2020年(令和2年)7月3日)は、日本の実業家。島野工業(現・シマノ)第4代・代表取締役社長、会長、最高顧問。公益財団法人日本自転車競技連盟理事。社団法人自転車協会理事長を経て名誉会長。2005年日本国際博覧会評議員。米国市場を攻略し、シマノをイタリア・カンパニョーロやドイツ・ボッシュと並び称される世界的な自転車部品メーカーに育てた。また、マウンテンバイク用部品のパイオニアとして知られる。旭日中綬章受章。 島野鐵工所(現・シマノ)の創業者・島野庄三郎の三男として堺市に生まれる。小学校4年の時に父から兄弟喧嘩の仲裁の為に日本刀で切腹を命じられる等厳格な家庭で育つ。
奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28… 奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28日 - )は、日本の児童文学作家・評論家・翻訳家。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(旧制)進学、同級生には眉村卓がいた。卒業後、同志社大学文学部国文科に進学。在学中に乙骨淑子、柴田道子、山下明生、掛川恭子らと同人誌「こだま」に参加、卒業後に創作活動に専念する。 1968年、自らの太平洋戦争中の集団疎開の体験をもとに書いた処女作『ボクちゃんの戦場』(理論社)にてデビューした。この作品は1985年大澤豊の監督、前田吟や藤田弓子ら出演で映画化された。 1988年『この心さわぐ冒険、愛』(ほるぷ出版)が第35回産経児童出版文化賞の「推薦」に選ばれた。
眉村 卓(まゆむら たく、本名:村上 卓児〈むらかみ たくじ… 眉村 卓(まゆむら たく、本名:村上 卓児〈むらかみ たくじ〉、1934年〈昭和9年〉10月20日 - 2019年〈令和元年〉11月3日)は、日本のSF作家。 代表作『司政官シリーズ』で1979年に泉鏡花文学賞を、同年と1996年に星雲賞日本長編部門を受賞している。 1934年 (昭和9年) に大阪府大阪市西成区で生まれる。大阪府立住吉高校を経て、1957年 (昭和32年) に大阪大学経済学部卒業後、大阪窯業耐火煉瓦株式会社(のちの株式会社ヨータイ)に入社、日生工場(現岡山県備前市日生町)赴任。1958年 (昭和33年) に大阪本社に転勤。この頃の経験を題材として後年『傾いた地平線』に「ぼくがそうであったかも知れぬ可能性」の世界として描かれた。
伊川 義則(いかわ よしのり、1934年10月8日 - )は… 伊川 義則(いかわ よしのり、1934年10月8日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。 大阪東高校から近畿大学を経て、1957年に近鉄パールスへ入団。1958年に引退。
山本 義司(やまもと よしじ、1934年9月30日 - 20… 山本 義司(やまもと よしじ、1934年9月30日 - 2004年8月24日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
木村 保(きむら たもつ、1934年9月24日 - 2005… 木村 保(きむら たもつ、1934年9月24日 - 2005年3月1日)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手・外野手)・コーチ。
水野 正好(みずの まさよし、1934年〈昭和9年〉8月14… 水野 正好(みずの まさよし、1934年〈昭和9年〉8月14日 - 2015年〈平成27年〉1月27日)は、日本の考古学者。奈良大学名誉教授、元学長 。元元興寺文化財研究所長。専門は考古学、古代史・文化史(宗教考古学、まじない) 。大阪府大阪市出身 。 大阪府大阪市生まれ。奈良県田原本町立田原本小学校、大阪市立東中学校を経て、1953年(昭和28年)に大阪府立今宮高等学校卒業。 1957年、大阪学芸大学(現・大阪教育大学)学芸学部中学4年課程を卒業。1962年から滋賀県教育委員会に勤務し、日本初の技師に[要説明]。1969年から大阪府教育委員会、1974年から文化庁文化財保護部記念物課に勤めて主任調査官となる。
鬼追 明夫(きおい あきお、1934年8月5日 - 2020… 鬼追 明夫(きおい あきお、1934年8月5日 - 2020年6月1日)は、日本の弁護士。元日本弁護士連合会会長、弁護士法人なにわ共同法律事務所代表社員・弁護士。財団法人日本漢字能力検定協会の理事長を務めた。 趣味は読書、囲碁、ゴルフ。 奈良県立五條高等学校を経て、大阪市立大学法学部を卒業。 1958年4月、司法研修所入所(12期)。1960年4月、大阪弁護士会に弁護士登録。1962年4月、太田・鬼追共同法律事務所(のち「なにわ共同法律事務所」に名称変更)を開設。1973年、大阪弁護士会副会長、1990年同会長。1996年、日本弁護士連合会会長。中坊公平の後任として、1999年から2004年まで整理回収機構代表取締役。
塚本 勲(つかもと いさお、1934年7月30日 - )は、… 塚本 勲(つかもと いさお、1934年7月30日 - )は、日本の朝鮮語学者・翻訳家。元大阪外国語大学教授。 大阪府大阪市生野区に生まれ、在日韓国・朝鮮人の多い旧猪飼野地区の近くで育つ。大阪府立天王寺高等学校を卒業後、京都大学文学部言語学科へ入学、同大学院博士課程終了。京都朝鮮中高級学校非常勤講師を経て、1963年に大阪外国語大学外国語学部に新設された朝鮮語学科の専任講師に迎えられた。戦後国内の教育・研究組織としては、1950年設置の天理大学文学部朝鮮文学語学科に続き、国公立大学では初めてとなる朝鮮語専門の学科であった。 そのころより大学内外の協力を得ながら朝鮮語辞書の編纂を開始し、資金不足など様々な困難を乗り越え23年の歳月をかけて1986年に『朝鮮語大辞典』を完成させた。
森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日… 森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日本の服飾デザイナー、エッセイスト。日本に「リフォーム」という言葉を根付かせたとされ、また布の蒐集家としても知られる。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校卒。本名は松村南海子。戦後まもなく、南海子が小学6年生のとき父が死去し、母と二人で生活する。母・しまは甘粕の出身で甘粕正彦と甘粕重太郎とは従兄弟の関係であり、甘粕石介は母の弟で、南海子の叔父にあたる。 1958年に、大阪の阪神百貨店の洋服売り場で当時「お直し」や「修繕」と言われていた洋服のリフォームの店を出した。「手縫い塾」を主宰し、ホテル阪神の地下にも店を持った。 また、確実な収入源として、1959年にリフォームの店と同じ阪神百貨店の地下に食堂「天ぷら森」を開いた。
千原 薫(ちはら かおる、1934年7月9日- 2020年8… 千原 薫(ちはら かおる、1934年7月9日- 2020年8月23日)は、日本の経営者。アサヒ飲料社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1957年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社した。1988年3月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1993年3月に専務を経て、1996年2月に副社長に就任。1996年3月にアサヒ飲料副社長に就任し、1999年1月には社長に昇格した。2000年10月に取締役相談役に就任し、2001年3月には相談役に就任。 2020年8月23日に死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古川 好男(ふるかわ よしお、1934年7月5日 - )は、… 古川 好男(ふるかわ よしお、1934年7月5日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
鳥井 克之(とりい かつゆき、1934年6月26日 - )は… 鳥井 克之(とりい かつゆき、1934年6月26日 - )は、中国語学者、関西大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪府立今宮高等学校卒、1958年大阪市立大学経済学部(二部)卒業。1960年同文学部中国学科(二部)卒業。1963年同大学院文学研究科修士課程修了、大阪市立大学文学部助手、1967年関西大学文学部講師、助教授、教授、2000年外国語教育研究機構教授。2005年定年、名誉教授。 1996年「中国文法学説史」で関西大学より文学博士の学位を取得。 2014年11月瑞宝中綬章受章。
団 巌(だん いわお、1934年6月22日 - 2003年1… 団 巌(だん いわお、1934年6月22日 - 2003年1月)は、日本の俳優。本名、久野 義雄。別名義、団 巌(だん がん)。 大阪府大阪市出身。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。サンプロモーションに所属していた。 1959年、大学を卒業。同年、東映東京撮影所に入社し、製作助手を経て製作主任となる。 1968年、東映を退社して俳優に転向。テレビドラマ『キイハンター』では複数回登場するなど、映画やテレビドラマで悪役を中心に活動した。 2003年1月、心筋梗塞のため死去。68歳没。晩年は古巣の東映東京撮影所に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
石田 雄彦(いしだ ゆうひこ、1934年(昭和9年)6月13… 石田 雄彦(いしだ ゆうひこ、1934年(昭和9年)6月13日 - 2015年(平成27年)11月7日)は、元競輪選手。現在の大阪府羽曳野市出身。現役時は日本競輪選手会大阪支部所属(デビュー当時は和歌山支部所属)。日本競輪選手養成所創設以前の期前選手で選手登録番号2410。 実子の石田裕紀(42期)も元競輪選手。 和歌山競輪場で登録試験を受け合格、1950年(昭和25年)1月31日に選手登録された。 初出走は1950年3月の西宮競輪場。以降岸和田競輪場をホームバンクとしながら和歌山支部所属として選手生活を送ったが、全盛期を過ぎてから大阪支部に移籍している。 石田は父親の勧めにより中学を卒業して競輪界入りしたが、当初は競輪に対する意欲はあまりなかったらしい。
ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました… ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました きよもと)、1934年〈昭和9年〉6月10日 - 2025年〈令和7年〉6月14日)は、日本の脚本家、作家、演出家、元歌手。 1934年、満洲国奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)生まれ。小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。 中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府立市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中していた。 高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。
吉田 二郎(よしだ じろう、1934年4月20日 - )は、… 吉田 二郎(よしだ じろう、1934年4月20日 - )は、南海電気鉄道(南海電鉄)社長、会長、日本民営鉄道協会会長、東京地下鉄第2代会長などを務めた日本の鉄道事業経営者。 大阪府出身。大阪府立三国丘高等学校を経て、大阪大学経済学部卒業。 1957年大阪大学経済学部を卒業して南海電鉄に入社。 南海電鉄では、鉄道、バス、人事・労務を経験した。人事部長、取締役、常務、鉄道事業本部長、和歌山支社長、専務、副社長、を経て、1999年に社長に就任した。 2001年には、社長の座を山中諄に譲り、自らは代表権を持つ会長となって、もっぱらグループ企業の経営を担当するようになった。 その後は、日本民営鉄道協会会長を務めたり、帝都高速度交通営団の民営化による東京地下鉄の設立委員会委員長となり、同社の設立後には第2代会長となった。
菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 202… 菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 2020年8月15日)は、日本の経営者。タイガー魔法瓶社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1957年に甲南大学経済学部を卒業し、同年にタイガー魔法瓶に入社。専務、副社長を経て、1968年4月に社長に就任し、1987年2月には社長に昇格。1999年4月に相談役に就任。 1989年11月に藍綬褒章を受章。 2020年8月15日に多臓器不全のために死去。86歳没。
伊香 輝男(いこう てるお、1934年4月9日 - 2009… 伊香 輝男(いこう てるお、1934年4月9日 - 2009年6月1日)は、大阪府寝屋川市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ。 同志社香里高校ではエースとして活躍。同志社大学に進学し、2年生から一塁手、外野手も兼ねる。関西六大学野球リーグでは、中心打者として1955年春季リーグで優勝を経験。同年の全日本大学野球選手権大会では準決勝で日大に延長10回惜敗。リーグ通算72試合に出場し、243打数73安打、打率.300、1本塁打の成績を残した。大学同期に青木稔、国松彰(いずれも中退)がいる。 1957年に近鉄パールスへ入団。強肩好打の外野手と期待され、1年目から一軍に定着。2年目の1958年には主に中堅手として65試合に先発出場、翌1959年は主に左翼手として71試合に先発する。
高田 宏治(たかだ こうじ、1934年〈昭和9年〉4月7日 … 高田 宏治(たかだ こうじ、1934年〈昭和9年〉4月7日 - )は、日本の脚本家。本名は名前の読みが(ひろはる)。東映で時代劇・現代劇・ヤクザ映画など、オールマイティに執筆をしている。大阪府大阪市出身。東京大学文学部英文学科卒業。 1934年に大阪府大阪市で生まれ、太平洋戦争には宇治市に疎開していた。1950年に清水谷高校へ転校し、読書と映画に耽溺していた。1953年に京都大学を落第し、1年浪人。片思いの女性に振られたことで発奮、猛勉強に励んだ。1954年に東京大学へ入学。大学同期の大江健三郎に触発され、文筆生活を志す。1955年には砂川闘争へ参加。1956年に日本経済新聞社や岩波書店などからも誘いを受けるが、脚本家を一生の仕事と決め、東映に入社。
清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月3… 清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月31日 - 1961年)は、日本の元女優である。実妹は宝塚歌劇団の万里弥生。 大阪府大阪市生まれ。1952年(昭和27年)大阪府立清水谷高等学校を卒業。1954年3月に東京映画(東宝の関連)入社。出身高校から名付けた「清水谷洋子」の芸名で、「風立ちぬ」(堀辰雄原作、島耕二監督)でデビュー。「あんみつ姫」「赤いカンナの花咲けば」「忘れじの人」などに出演した。 1955年10月、大映の誘いで移籍し「清水谷薫」と改名。京都撮影所に所属し、同年の「怪盗と判官」で、市川雷蔵(遠山金四郎役)や勝新太郎(鼠小僧次郎吉役)と共演。翌年「花の渡り鳥」では、長谷川一夫演じる主人公(榛名の清太郎)の元恋人で、市川雷蔵(佐吉)の妻(おしの)役を演じた。
久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30… 久城 育夫(くしろ いくお、1934年<昭和9年> 3月30日 - )は、日本の地球科学者。専門は岩石学。学位は、理学博士(東京大学・1962年)(学位論文「Petrology of Atumi dolerite(温海粗粒玄武岩の岩石学的研究)」)。日本人で唯一のウォラストン・メダルの受賞者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。勲等は瑞宝重光章。 東京大学理学部助教授、カーネギー研究所地球物理研究所所員、東京大学理学部教授、東京大学理学部学部長、東京大学副学長、岡山大学教授、岡山大学地球内部研究センターセンター長、海洋科学技術センター固体地球統合フロンティア研究システムシステム長などを歴任した。 大阪府出身。
加藤 栄一(かとう えいいち、1934年3月13日 - )は… 加藤 栄一(かとう えいいち、1934年3月13日 - )は、元官僚の学者、筑波大学名誉教授。俳誌『樹』主催、俳名・国彦。教徒名はPeter Eiichi Kato。 大阪市生まれ。1958年国家公務員上級職合格。1959年東京大学法学部卒業、自治省に入り行政局等に勤務後、1973年より自治大学校教授。1976年総合研究開発機構(NIRA)主任研究員。東大、東京工業大学講師などを経て筑波大学社会工学系教授(都市行政・政策分析)、同国際関係学類第二代学類長。1997年の定年退官後は常磐大学教授。2007年退職。現在[いつ?]は統一教会系メディアの『世界日報』常連寄稿者、同じく世界平和教授アカデミーのオピニオン寄稿者でもある。