今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2… 今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2023年3月6日)は、日本の陶芸家。位階は従三位、勲等は文化勲章。公益社団法人日展名誉顧問、日本芸術院会員、文化功労者。国際陶芸アカデミー会員。 京都府美術工芸家協会理事、社団法人日展常務理事、財団法人京都文化財団理事などを歴任した。 苔泥彩とよばれる独特の技法を生みだし、現代陶芸界に独自の領域を開拓。 花や魚の模様を象嵌する技法の第一人者として知られ海外でも高い評価を受けている。 大阪府大阪市出身。1943年、父の郷里広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)に移り住む。広島県立竹原工業学校(現・広島県立竹原高等学校)卒業後、岡山県備前市に赴き備前焼の修行を始める。
大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉1… 大野 喜久之輔(おおの きくのすけ、1930年〈昭和5年〉12月16日 - 2023年〈令和5年〉10月)は、日本の経済学者、神戸大学名誉教授、広島市立大学名誉教授、第18期日本学術会議会員。元ロシア・東欧学会副代表理事。大阪市東成区生まれ。
上野 俊一(うえの しゅんいち、1930年〈昭和5年〉12月… 上野 俊一(うえの しゅんいち、1930年〈昭和5年〉12月8日 - 2020年〈令和2年〉10月3日)は、日本の昆虫学者、昆虫分類学者、動物学者、洞窟生物学者。大阪府茨木市出身。父は動物学者の上野益三。妻は上野美子。 元国立科学博物館動物研究部長、名誉研究員、ハーバード大学昆虫学研究室客員研究員(Darlington Lab.)。元日本鞘翅学会会長、元日本洞窟学会会長。 オサムシ科の分類を専門としており、特に地下浅層に生息するメクラチビゴミムシ類の研究では多数の新種の記載論文を発表し、世界的権威である。 また、1957年の地下水に棲むムカシゲンゴロウとメクラゲンゴロウの発見は、日本で初めての地下水環境からの昆虫の発見であり、ムカシゲンゴロウは世界で初めてのゲンゴロウ科以外の地下水性甲虫の発見として知られている。
磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月… 磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月8日 - 2007年(平成19年)11月26日)は、日本の政治家、経済学者。大阪市長(第16代)、大阪市助役、大阪市立大学名誉教授。経済学博士(大阪市立大学)。大阪市出身。 大阪市立大学では経済学部長等の要職を務めたが、1990年に西尾正也大阪市長(当時)に請われ、大阪市助役に就任。行政マンに転身した。 1995年に西尾市長の後継として、共産党以外のいわゆる「オール与党」の推薦で大阪市長選に立候補して初当選。観光やスポーツ振興による都市活性化をめざす「国際集客都市」を公約し、西尾市長時代に浮上した大阪オリンピック構想をその目玉とした。 公約に基づき、任期中には多くの集客施設を開業させ、負の遺産となった(2023年9月時点でなにわの海の時空館のみ売却出来ておらず、「大阪市最後の負の遺産」として残存)。
熊谷 達人(くまがい みちひと、1930年12月7日 - 1… 熊谷 達人(くまがい みちひと、1930年12月7日 - 1977年4月12日)は、将棋棋士。贈九段。野村慶虎門下。棋士番号54。大阪府大阪市出身。 1947年10月、府立天王寺中学5年在学中に野村慶虎門下に入門。 1949年に四段に昇段。 1950年のC級2組順位戦では同率決戦に敗れて昇級はならなかったが、成績優秀により昇段。 1962年、王座戦に挑戦したが加藤一二三に0-2で敗れる。 1974年にA級に復帰するも、翌年に降級。 その後現役のまま1977年に死去。
米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - … 米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - )は、日本出身の作家・画家。本名は富美子。ロサンゼルス近郊パシフィック・パリセイズに在住。 大阪市に生まれる。大阪府立夕陽丘高等女学校、大阪女子大学(現在の大阪府立大学)国文科卒業。1957年、油絵を二科展に出品して関西女流美術賞を受ける。1960年に奨学金を受けて渡米。抽象画家としてアメリカ合衆国ニューハンプシャー州の芸術家村マクダウェル・コロニー(MacDowell Colony)に移住したとき、ジョシュ・グリーンフェルドと出会う。 ニューヨークでジョシュと結婚し、夫との間に二人の息子を持つ(長男のカール・タロウは現在文筆家)。 自閉症の次男ノアの子育てと画家活動が両立困難になったことから文筆活動に転じた。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。
豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )… 豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )は、日本の医学者。東京大学名誉教授。大阪大学名誉教授。専攻はウイルス学・腫瘍学。1969年に世界で初めてトリ肉腫ウイルスからガン遺伝子を発見。この分野の先駆けとしてその後のガン研究に大きな貢献をした。84~94年には「対ガン10カ年総合戦略」の研究総括。また、DNAのガイドライン策定に参加。ヒトクローン倫理問題でも総合科学技術会議文部科学省専門委員会の委員や科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会 特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会の主査などを務めた。1998(平成10)年文化功労者。2001(平成13)年文化勲章受章。医学博士(大阪大学、1959年)。大阪府出身。
向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002… 向井 敏(むかい さとし、1930年9月24日 - 2002年1月4日)は、日本のエッセイスト。 大阪府和泉市生まれ。1953年、大阪大学文学部仏文学科卒業、1955年、大阪大学大学院修士課程修了。在学中から開高健、谷沢永一らの同人誌『えんぴつ』に参加。 1960年4月、電通入社、1982年3月退社。 21年間コマーシャルの世界にいて、そのうち11年間は製作現場におり、日航の広告“東京午前零時”など多くのテレビCMを手がけた。勤務のかたわら「電通報」、毎日新聞のコラムを執筆。1977年、テレビCMを論じた『紋章だけの王国』を上梓。 退社後の1983年に、CM批評『虹をつくる男たち』でサントリー学芸賞受賞。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日… 有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日 - 2020年〈令和2年〉12月6日)は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。位階は正三位。旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学、1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。 主に、原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。
須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日… 須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉10月2日)は、日本の映画監督、脚本家。代表作に『野獣死すべし』『君も出世ができる』『蛍川』など。 大阪府大阪市西区新町で石綿(アスベスト)製造販売業の家に生まれ、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)を経て、1953年(昭和28年)東京大学経済学部を卒業し、東宝に入社。映画界入りのきっかけは、終戦直後の日本に大量に輸入された外国映画の洗礼を受けたことだった。 助監督時代に執筆したシナリオ『危険な英雄たち』が、1957年に鈴木英夫監督、石原慎太郎主演によるピカレスク(悪漢小説)・ドラマ『危険な英雄』として製作・公開され、シナリオも書ける助監督の有望株として評価を受ける。
川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月2… 川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月23日 - )は、日本の医学者、医師。国立循環器病センター名誉総長。大阪大学名誉教授。医学博士(大阪大学、1961年)。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪府池田師範学校附属国民学校(現:大阪教育大学附属池田小学校)卒業。大阪府立豊中中学校(旧制)、旧制大阪府立浪速高等学校を経て京都大学工学部に入学するも中退。その後、大阪大学医学部に入学し、卒業。 体外循環の安全性の向上の研究を行い、先天性心臓奇形に対する川島手術など多くの新しい手術を世界に先駆けて発表するなど、日本の心臓外科医の第一人者として活躍。学校法人大阪薬科大学の理事長なども務めた。
久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989… 久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989年4月5日)は、日本の経営者。内田洋行社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法経学部経済学科を卒業し、同年に内田洋行に入社。1961年6月に取締役に就任し、1963年4月に専務を経て、1966年5月には社長に就任した。 1989年4月5日、心不全のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 20… 石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 2024年10月5日)は、日本のシステム工学者。東京大学名誉教授。アカデミーヒルズリサーチ・ネットワーク所長。工学博士(東京大学・1963年)。大阪市生まれ。 専門はシステム工学・マルチメディア。テクノポリス(高度技術集積都市)構想を推進し、未来社会論で独創性を見せる。著書に『日本人の技術はどこから来たか』(1997年)、『iバイオテクノロジーからの発想』(2000年)など。 東京大学に在学中、ノーバート・ウィーナーの『サイバネティックス』を読んで、医学から工学に転じた。その後、システム工学、管理工学、応用工学から人工臓器、都市交通システムまで幅広い分野で活躍したが、専門はシステム工学・マルチメディアである。
和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 20… 和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 2018年10月10日)は、日本の推理作家・弁護士。本名は古屋峻三。別名として夏目 大介(なつめ だいすけ)。写真家としての顔も持ち、日本図書館協会選定図書の写真集『日本の原風景』(1993年)も発表している。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)に京都大学法学部を卒業し中部日本新聞の記者となるが、友人から月刊文芸誌『宝石』を見せられ推理小説の魅力にとりつかれる。1960年(昭和35年)に同誌の宝石賞に応募し候補作に選ばれる。応募作『紅い月』は本名の滝井峻三名義で『宝石』に掲載され作家としてデビューした。「生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました」と和久は語っている。
山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 202… 山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 2022年10月20日)は、日本の実業家。泉陽興業、エキスポランドの社長、会長などを歴任し、全日本遊園施設協会(JAPEA)会長も務めた。 大阪府阪南市出身。関西学院大学商学部卒業。1952年に、戦前から代議士であった伯父の松田竹千代が、公職追放解除後最初に出馬、当選した第25回衆議院議員総選挙の選挙運動を手伝ったことをきっかけに、上京して松田の私設秘書となった。 その後、1958年に泉陽興業を設立し、1960年ごろから本格的に関西各地の百貨店で屋上遊園地を運営する事業に取り組む。遊具の製作も自前で行ない、1967年には製造部門を泉陽機工として分社化した(2009年に泉陽興業へ吸収され、企画から製作、運営までの一貫体制となっている)。
戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30… 戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30日 - 1993年(平成5年)3月25日)は、日本の俳優・声優。大阪府大阪市出身。本名は東良 睦宏(とうら むつひろ)。 代表作に『藪の中の黒猫』・『竹山ひとり旅』・『沈黙 SILENCE』・『とべない沈黙』など。 ライター・編集者・AV監督の東良美季は息子(次男)。 旧制・上宮中学校(現在の上宮高校)を経て京都大学に進学する。 京都大学文学部英文学科在学中から演劇志望であり、大学内の劇団「風波」で活動していた。映画監督の野田幸男も、在学中に同劇団に参加している。また、同窓生の大島渚らと学生運動にも参加していた。 大学卒業後は大阪高等学校で英語教師とラグビーフットボール部顧問をしながらセミプロの劇団活動を行っていた。
坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は… 坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は、日本の経営者。読売ジャイアンツ広報部長、ハミングバード社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1953年に関西大学経済学部を卒業。大阪読売新聞社で記者を務め、1962年に読売ジャイアンツに出向し、1969年までに広報担当兼オーナー秘書兼広報部長を務めた。 1969年にパイオニアに転じ、販売部長と取締役を経て、1978年にはワーナーパイオニア常務に就任。 1983年にハミングバードを設立し、社長に就任。
北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月1… 北野 祐秀(きたの ゆうしゅう、1930年(昭和5年)4月14日 - 2016年(平成28年)2月27日)は、大阪府出身のレスリング選手・レスリング指導者。 旧制大阪市立中学校(現・大阪府立いちりつ高等学校)から慶應義塾大学へ進学し、1952年ヘルシンキオリンピックレスリング男子フリースタイルフライ級で出場して銀メダルを獲得した。その後、レスリング世界選手権(1954年・東京)、1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)に出場していずれも銀メダルを獲得。 1960年ローマオリンピックではレスリング日本代表監督を務めた。また実業家として相撲茶屋初富を経営していた。 2016年2月27日、心筋梗塞により死去。
浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月… 浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月29日 - 2010年2月14日)は、日本の翻訳家。 SF作品の翻訳で著名であり、特にカート・ヴォネガット、フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスンの作品を多く翻訳している。 また、同業者の伊藤典夫と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、伊藤と分担して翻訳・紹介した。 日本の代表的な海外SF翻訳家の一人である。なお、エッセイ集によると日本から外に出たことはないという。日本SF作家クラブ会員。 大阪府大阪市出身。
3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年… 3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年〉3月25日 - 2016年〈平成28年〉1月9日)は、上方落語の落語家。本名:河合 一。大阪府大阪市出身。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員で死去時点で相談役、1977年から1984年までは第3代会長を務めた。出囃子は『野崎』。2代目桂春団治は実父であり師匠。 2代目桂春団治は実父、河本寿栄は義母。実母とは死別している。兄が早世したため、長男の扱いであった。 浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)では野球部で夜まで練習する生活を送った。卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマンとなる。本人にも父にも落語家の道に進む考えはなかった。
高見 英一(たかみ えいいち、1930年3月18日 - )は… 高見 英一(たかみ えいいち、1930年3月18日 - )は、日本のスペイン文学者、翻訳家。法政大学名誉教授。 大阪市生まれ。1954年東京外国語大学スペイン語科卒。1957年同志社大学講師、1963年法政大学教養部講師、助教授、第一教養部教授。2001年定年退任、名誉教授。
伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - … 伊原 吉之助(いはら きちのすけ、1930年3月17日 - )は、昭和、平成の台湾問題学者、比較近代史学者。 大阪府堺市生まれ。大阪府立堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)、大阪市立都島工業専門学校電気科(現在の大阪市立大学工学部)を経て、1950年、神戸大学経済学部入学。1959年、神戸大学大学院経済学研究科修了。 大学院修了後、龍谷大学経済学部講師を経て、1964年帝塚山大学教養学部助教授。1971年、同教授。2000年、定年退職し名誉教授。日亜協会会長
金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)… 金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)3月7日 - 2012年(平成24年)11月13日)は、日本の物理学者、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は従三位。 第13代大阪大学総長、財団法人国際高等研究所所長、財団法人国際高等研究所上級研究員、財団法人山田科学振興財団理事長を務めた。 大阪市出身。近畿日本鉄道(近鉄)の実質的な創業者の一族に生まれたが、順次郎は嫡流でなかったこともあり、学界へと進んだ。
澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003… 澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003年7月10日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1971年)(学位論文「公害の私法的研究 」)。関西大学名誉教授。大阪府出身。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立豊中中学(現・豊中高校)、旧制浪速高校を経て、1949年大阪大学医学部に入学。その後、1953年に法学部に転部、1955年同学部を卒業。1957年大阪大学大学院修士課程修了、関西大学法学部助手。1960年同専任講師、1963年同助教授、1969年同教授に昇進。1973年から1974年まで関西大学学生部長を務め、1980年から1981年まで関西大学法学部長を務めた。
栄屋 悦男(さかえや えつお、1930年2月13日 - )は… 栄屋 悦男(さかえや えつお、1930年2月13日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手。 全鐘紡時代には第23回都市対抗野球大会で優勝。1954年に大阪タイガースに入団。即戦力として期待され、最初は期待に応える活躍をしたものの8月頃に打球が目に当たり怪我を負ってしまう。この怪我が原因で、視力が低下し当初のような活躍ができなくなってしまった。1955年オフ、僅か2年で自由契約になり、広島カープに移籍。しかし、4試合の登板にとどまり退団した。
福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 201… 福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 2015年7月14日)は、日本の小説家。元大阪工業大学教授。 大阪市生まれ。京都大学文学部(美学美術史専攻)卒業。高校教師をしながら文筆活動をする。同人誌『VIKING』に参加。1979年『おやじの国史とむすこの日本史』によりサントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞。1991年から97年、大阪工業大学教授。 在阪・同窓の小松左京らと親交が深い。小松の処女長編『日本アパッチ族』の主人公、木田福一は、福田の名前から取ったものである。作品は、自己の高校教諭(日本史・世界史)としての経験に依拠したものや、歴史に因んだものが多く、また、SF的な作品もある。
妹背 光雄(いもせ みつお、1930年1月18日 - 199… 妹背 光雄(いもせ みつお、1930年1月18日 - 1998年6月9日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。大阪府堺市出身。 1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1976年7月に東洋信託銀行に転じ、1977年12月に取締役に就任し、1980年12月に常務、1983年12月に専務を経て、1987年2月には社長に就任。1993年3月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 1998年6月9日に心不全のために死去。68歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
辻 薫(つじ かおる、1930年1月4日- 2012年9月2… 辻 薫(つじ かおる、1930年1月4日- 2012年9月29日 )は、日本の経営者。トクヤマ社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学経済学部を卒業し、同年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1980年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1989年6月には社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章。 2012年9月29日、膀胱癌のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文… 畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文化人類学者、中部大学名誉教授。専門は、オセアニア研究、民族問題研究。 大阪市生まれ。和歌山県立田辺高校(和歌山県立田辺中学校・高等学校)、早稲田大学を経て、1968年東京大学大学院社会学研究科博士課程修了、「プカルア 環礁に住むポリネシア人の社会・経済的研究」で社会学博士。ニューギニア奥地に単身居を構え、未開の民族を調査していた畑中を、友人の作家有吉佐和子が訪ねた記録は、有吉の『女二人のニューギニア』(朝日新聞社後朝日文庫)というエッセイとなっている。オーストラリア国立大学高等研究所太平洋地域研究部。金沢大学文学部助教授、教授、国立民族学博物館併任教授。
森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者… 森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者、樟蔭東女子短期大学名誉教授。 大阪市生まれ。立命館大学大学院日本史研究科修士課程修了。樟蔭東女子短期大学教授、2001年定年、名誉教授。2009年「大塩平八郎と陽明学」で立命館大学文学博士。
高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015… 高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015年7月6日)は、宇宙物理学者、教育評論家。 大阪府堺市出身。松山高等学校(旧制)卒、京都大学理学部卒、1959年同大学院宇宙物理学博士課程満期退学、小・中・高校教師ののち、宇宙学者・教育研究者として南米、ヨーロッパに招かれ、八年間を過ごす。ペルー中部大学教授(教育学)、ベネズエラ東部大学教授(理学部)を務め、その体験に基づいた『みにくい日本人』がベストセラーとなる。のち大阪府教育研究所。東海学園大学教授を務めた。
岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007… 岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007年5月11日)は、日本の元ラグビー選手。元ラグビー日本代表監督。日本ラグビーフットボール協会理事。同志社大学ラグビー部元監督、同大名誉教授。同大FWで活躍。同志社ラグビーの象徴ともされる存在である。
山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月… 山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月25日 - 没年不詳)は、日本の政治家。大阪府柏原市市長(第3代)。8期32年間を務め引退後、後継に指名の人物が出馬した市長選で、対立候補の岡本泰明(第4代市長)が不利になる記事をミニコミ紙に書かせ、買収容疑で逮捕。在任中に随意契約の便宜を業者に図り続けた収賄も発覚し、実刑判決を受けた。 1947年(昭和22年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業し、関西学院大学へ進み、1952年法学部法律学科を卒業。 1973年3月の柏原市長選で「全く門外漢と申しますのか、行政の素人」ながら立候補し初当選して以降、連続当選。2001年(平成13年)2月11日に投開票の市長選で得票率57.88%(1万5,714票)で8期目を務めたが、75歳になるのを機に健康上の理由と称して引退表明。
松浦 豊明(まつうら とよあき、1929年10月5日 - 2… 松浦 豊明(まつうら とよあき、1929年10月5日 - 2011年8月16日)は、日本のピアニスト。上野学園大学名誉教授。 大阪府豊中市出身。8歳でピアノを始め、上野児童音楽学園で永井進に師事。東京音楽学校(現東京芸大)ピアノ科に入学するが中退。 1948年、第17回日本音楽コンクールピアノ部門で第1位と特賞を受賞。1950年、デビュー・リサイタルを行い、NHK交響楽団定期演奏会にも参加(プロコフィエフ第3番)。1958年、第1回チャイコフスキー国際コンクールで入賞し、後にメロディアレコードへの録音、1960年・1962年の旧ソ連主要都市巡演につながる。 1958年に国立ベルリン高等学院に留学し、ヘルムート・ロロフに師事。
門田 研造(もんでん けんぞう、1929年9月27日 - 2… 門田 研造(もんでん けんぞう、1929年9月27日 - 2019年5月1日 )は、日本の経営者。 大阪府豊中市出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に川崎製鉄に入社。1978年6月に人事部長に就任し、理事、取締役、常務、専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1995年6月には副会長に就任した。1996年7月に会長に就任し、1998年10月から取締役相談役を務めた。 2019年5月1日左腎盂癌で死去。89歳没。
瀬尾 芙巳子(せお ふみこ、1929年8月5日-2022年)… 瀬尾 芙巳子(せお ふみこ、1929年8月5日-2022年)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は意志決定論(意思決定論ではない)、経営環境分析論。経済学博士(東京大学・1967年)。大阪市出身。
古川 麒一郎(ふるかわ きいちろう、1929年7月22日 -… 古川 麒一郎(ふるかわ きいちろう、1929年7月22日 -2016年6月29日)は、日本の天文学者。理学博士(1969年)。東京大学東京天文台助教授、国立天文台助教授を歴任。専門は、位置天文学・天体力学・測地学。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(現・大阪府立住吉高等学校)在学中からアマチュア天文家として活動。アマチュア天文家としては戦時中の1944年に福岡市を本拠地とする筑紫天文同交会に入会し、主に変光星の観測を行った。筑紫天文同交会が1947年3月に解散してからは変光星の観測結果をアメリカ変光星観測者協会や日本天文研究会に報告していた。 1953年浪速大学(現・大阪府立大学)工学部工業化学科を卒業したが、プロの天文学者を志し京都大学大学院理学研究科宇宙物理学専攻に進学、上田穣に師事した。
山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日… 山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日 - 2016年(平成28年)4月10日)は、日本の労働運動家。従三位。勲一等瑞宝章受章。 日本労働組合総連合会初代会長、国際郵便電信電話労働組合連盟(PTTI)会長、情報通信産業労働組合連合会委員長、全国電気通信労働組合(全電通)委員長を歴任した。 大阪市出身。行商人の子として生まれる。父親は仕事が長続きせず職を転々としており、さらに病気を患ったため、幼少期は貧しい生活を送った。啓発第二小学校を経て旧制大阪中学に進学するも、1944年(昭和19年)4月に母の実家へと疎開。同地の旧制豊岡中学に転校した。在学中の9月に海軍甲種予科練習生に志願(甲種14期生)し、防府海軍通信学校を経て1945年(昭和20年)4月15日に宇佐の第九三一海軍航空隊に配属された。
堀口 亘(ほりぐち わたる、(旧姓:松元、1964年4月改姓… 堀口 亘(ほりぐち わたる、(旧姓:松元、1964年4月改姓)、1929年7月14日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・金融商品取引法。学位は、学士(東京商科大学)。一橋大学名誉教授。元日本商品先物取引協会会長、元日本私法学会理事。授勲瑞宝中綬章。 田中誠二(一橋大学名誉教授)門下。長男は商法学者の堀口勝(東洋大学准教授)。指導学生に川村正幸(一橋大学名誉教授)、野田博(一橋大学教授)等がいる。 指導学生には川村正幸(一橋大学名誉教授)、芳賀良(横浜国立大学教授)、古山正明(長崎大学教授)、品谷篤哉(立命館大学教授)、野田博(一橋大学教授)、布井千博(一橋大学教授)、諏訪康雄(法政大学名誉教授)、土橋正(青山学院大学教授)、吉田正之(新潟大学教授)等がいる。
谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6… 谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6月27日 - 2011年3月8日)は、日本の国文学者、文芸評論家、書誌学者。専門は書誌学、日本近代文学。関西大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大江小学校、旧制大阪府立天王寺中学校(現在の大阪府立天王寺高等学校)を経て、1947年関西大学予科に入学。1952年関西大学文学部国文学科卒業。1955年関西大学文学部助手、1957年関西大学大学院文学研究科博士課程単位取得。1959年同大学文学部専任講師、1962年同助教授、1968年同教授。1972年「日本近代文学評論史研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。 1980年、書評コラムを集めた『完本 紙つぶて』でサントリー学芸賞を受賞。
岡村 泰孝(おかむら やすたか、1929年6月13日 - 2… 岡村 泰孝(おかむら やすたか、1929年6月13日 - 2011年12月22日)は、大阪市生まれの戦後第17代検事総長。弁護士。位階は正三位。
島田 陽子(しまだ ようこ、1929年〈昭和4年〉6月7日 … 島田 陽子(しまだ ようこ、1929年〈昭和4年〉6月7日 - 2011年〈平成23年〉4月18日)は、日本の詩人、作詞家。 東京府出身であるが、11歳から大阪府に在住した。豊中高等女学校(現大阪府立桜塚高等学校)卒業。「文章倶楽部」などで小説を書いた後、1960年頃から童謡や児童詩の創作を始める。大阪弁を使った親しみやすい作風の詩で知られる。1981年、日本童謡賞受賞。 また、合唱曲や歌謡曲などの作詞も多数あり、ザ・ワイルドワンズのヒット曲『花のヤングタウン』、1970年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」の作詞も行っている。 日本文藝家協会、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本童謡協会、詩と音楽の会、関西詩人協会会員。
樽井 清一(たるい せいいち、1929年4月24日 - 19… 樽井 清一(たるい せいいち、1929年4月24日 - 1995年4月21日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1956年と1957年の登録名は樽井 克友。
永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20… 永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20日 - 2026年〈令和8年〉2月23日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。 日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 196… 正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 1969年12月9日)は、日本の元死刑囚、小説家である。バー・メッカ殺人事件の主犯。 正田は裕福な中流家庭で兄3人と姉2人の末っ子として大阪府に生まれる。弁護士だった父親は石川県から横浜英語学校に学び、21歳で渡米、ハウスボーイから身を立てカリフォルニア州立大学を経て、サクラメントで法律事務所を経営する人物だったが、昭が生後5ヶ月のときに54歳で他界し、昭は高校の体育教師だった母親によって育てられる。母親は4人の息子たちを早稲田大、フィレンツェ大、東大、慶応大に進学させ、娘2人も女子大に進ませた。賢母だったが印鑑と銀行の貸金庫の鍵を肌身離さず持つなど金に対する執着が強く、そのような母に耐えられなかった長兄が家庭内暴力をするようになる。
伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2… 伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2004年9月1日)は、日本のロシア語翻訳家、出版編集者、ロシア語教育者。 現在の大阪府大阪市旭区森小路生まれ。大阪市立中大江東小学校、山水中学校、仙台幼年学校、茨城県立下妻中学校を経て、東京外国語大学ロシア語科卒業。新読書社社長、本郷ロシア語クールス主宰。レーニン、クルプスカヤ夫妻に関心が深く教育学関係図書の翻訳を多く行った。 2004年9月1日、脳幹梗塞のため死去。
橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 199… 橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 1999年)は、日本の電気技術者、文筆家。技術コンサルタント。 大阪府堺市出身。1948年大阪工業専門学校電気科(現大阪府立大学)卒、1961年近畿大学理工学部電気工学科卒。 長男の橋本岳(たけし、1961年生)は電気工学者、静岡大学教授[要出典]。次男の橋本均(ひとし)は薬学研究者、大阪大学教授 [要出典]。
金子 俊彦(かねこ としひこ、1929年(昭和4年) - )… 金子 俊彦(かねこ としひこ、1929年(昭和4年) - )は、日本のテレビプロデューサー・放送作家。 1929年東京都生まれ。9歳のときに大阪府に転居。 1942年(昭和17年)に、大阪府立住吉中学卒業後、神戸経済大学(現・神戸大学)経営専門学部入学。 1949年(昭和24年)同大学を中退後、1955年に新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)へ入社。 1965年に社名変更後の毎日放送テレビ制作部へ異動し、ディレクター・プロデューサーとして数々のクイズ番組を手掛けた。 その後毎日放送制作局テレビ制作部長を歴任し、1984年に同社を定年退職して以後、フリーの放送作家などに携わる。 1985年より泉放送制作の取締役大阪支社長も務めた後、株式会社イングスの社長も2001年まで務めた。
廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評… 廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評論家。元産経新聞社大阪文化部記者・編集委員。 大阪市生まれ。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科卒業後、産経新聞社入社。大阪文化部で古典芸能や宝塚歌劇など舞台を中心とした記事に携わる。司馬遼太郎とは文化部の同僚であった。 演劇・演芸評論家として雑誌・新聞などに多数の評を執筆。書籍や各種パンフレットなどの執筆、大阪市文化財保護審議会委員、大阪文化祭賞選考委員、人形浄瑠璃因協会理事、文化庁芸術選奨(演劇部門・古典芸能部門・大衆芸能部門・舞踊部門)選考委員なども務める。