中村 雄太(なかむら ゆうた、2002年7月12日 - )は… 中村 雄太(なかむら ゆうた、2002年7月12日 - )は、奈良県出身の、日本の柔道家。階級は100kg超級。身長184cm。体重125kg。組み手は右組み。得意技は体落。 柔道はあすなろクラブで始めた。八木中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg超級の3回戦で敗れた。東海大仰星高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権無差別で5位になった。2021年に東海大学へ進学すると、1年の時に全日本ジュニアで優勝した。グランプリ・オディヴェーラスでは2回戦で元世界2位のアゼルバイジャンのウシャンギ・コカウリを大内刈で破るなどして決勝まで進むも、韓国のキム・ミンジョンに肩車で敗れて2位だった。2年の時には世界ジュニアに出場すると、準々決勝でジュニアの世界ランキング1位であるウズベキスタンのイスロムベク・ラブシャンクロフを技あり、その後の決勝でキューバのクルス・レオン・オマルを内股でそれぞれ破って優勝した。
檀野 芽紅(だんの めぐ、2001年3月7日 - )は、日本… 檀野 芽紅(だんの めぐ、2001年3月7日 - )は、日本の柔道選手。大阪府出身。階級は63kg級。身長159cm。血液型はO型。組み手は左組み。得意技は袖釣込腰。 柔道は5歳の時に弥刀少年柔道クラブで始めた。広陵中学から星翔高校へ進むと、3年の時にインターハイ63㎏級で優勝を果たした。2019年に龍谷大学へ進学すると、1年の時にはアジアジュニアで優勝した。4年の時に優勝大会と体重別団体で2位になった。2023年にコマツの所属となると、実業個人選手権で2年連続3位になった。2024年のシニア体重別で優勝した。講道館杯ては決勝でブイ・テクノロジーの嘉重春樺に敗れて2位だった。グランドスラム・東京でも決勝で嘉重に反則負けして2位にとどまった。
内村 秀資(うちむら しゅうすけ、2000年4月6日 - )… 内村 秀資(うちむら しゅうすけ、2000年4月6日 - )は、鹿児島県出身の、日本の柔道選手。階級は73kg級。身長173cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は巴投。兄は66㎏級の内村光暉。 柔道は4歳の時に光武館で始めた。鹿屋東中学3年の時に全国中学校柔道大会66㎏級で2位になった。東海大学仰星高校へ進むと、2年の時に高校選手権73㎏級で3位となった。3年の時にはインターハイで優勝した。2019年に東海大学へ進学すると、1年の時に全日本ジュニアで3位になった。3年の時には学生体重別と体重別団体で優勝した。2023年に自衛隊体育学校の所属になると、実業個人選手権で優勝、講道館杯では3位になった。
梅北 眞衣(うめきた まい、1998年12月2日 - )は、… 梅北 眞衣(うめきた まい、1998年12月2日 - )は、大阪府守口市出身の、日本の女子柔道選手である。階級は48kg級。身長152cm。血液型はO型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は大外刈。兄は2014年の世界ジュニア55kg級で優勝した梅北亘。 柔道は3歳の時に守口東部少年柔道教室で始めた。夙川学院中学から夙川学院高校へ進むと、1年の時に全日本ジュニアで3位に入った。2年の時には全日本カデで優勝を飾った。同じ階級にはインターハイで2連覇することになる高校の1年先輩の坂上綾がいたことから、インターハイの県予選では52kg級に出場して優勝した。しかし、17歳以下の世界一を決める大会である世界カデと時期が重なったためにインターハイには出場しなかった。
梅北 亘(うめきた わたる、1996年6月27日 - )は、… 梅北 亘(うめきた わたる、1996年6月27日 - )は、大阪府守口市出身の柔道家、元京都府警警察官。 階級は55kg級と60kg級。身長165cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は背負い投げ。 柔道選手を経て京都府警の警察官となる。 柔道は5歳の時に守口東部少年柔道教室で始めた。守口市立第一中学校から京都共栄学園高校に進むと、2年の時には全日本カデ50kg級で優勝を果たした。しかし、世界カデでは5位に終わった。3年の時にはインターハイの60kg級に出場して5位だった。全日本ジュニアでは55kg級で優勝すると、世界ジュニアでも決勝でフランスのカマル・フィクリを袖釣込腰で破り優勝を果たした。
藤阪 泰恒(ふじさか たいこう、1996年6月22日 - )… 藤阪 泰恒(ふじさか たいこう、1996年6月22日 - )は、日本の柔道家。大阪府出身。階級は66kg級。身長173cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は大内刈。兄は66kg級の藤阪太郎。 柔道は5歳の時に明武館田邊道場で始めた。その後、臥牛館道場へ移った。小平第六中学から足立学園高校へ進むと、3年の時にはインターハイ60kg級で優勝した。講道館杯でも高校生ながら3位に入った。2015年には國學院大學へ進学すると、全日本ジュニアで2位となって、優勝した東海大学1年の永山竜樹とともに世界ジュニア代表に選ばれた。しかし、世界ジュニアでは2回戦で敗れた。2年の時には学生体重別の決勝で国士舘大学4年の林浩平に有効で敗れて2位だった。
佐藤 史織(さとう しおり、1996年4月19日 - )は、… 佐藤 史織(さとう しおり、1996年4月19日 - )は、大阪府出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は63kg級。身長161cm。血液型はA型。組み手は右組。得意技は背負投。 柔道は8歳の時にあすなろクラブで始めた。池島中学3年の時に全国中学校柔道大会の52kg級に出場すると、準決勝で香長中学3年の米澤夏帆に判定で敗れるも3位になった。新田高校へ進むと、1年の時には金鷲旗で3位になった。2年の時にはインターハイの団体戦で決勝まで進んで埼玉栄高校と対戦するが、78kg超級の冨田若春に大内刈で敗れるなどしてチームは2位にとどまった。全国高校選手権の63kg級では準々決勝で優勝候補である桐蔭学園高校1年の嶺井美穂を判定で破るなどして決勝まで進むが、大成高校1年の鍋倉那美に判定で敗れて2位にとどまった。
藤阪 太郎(ふじさか たろう、1994年6月6日 - )は、… 藤阪 太郎(ふじさか たろう、1994年6月6日 - )は、日本の柔道家。大阪府出身。階級は66kg級。身長174cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は四段。得意技は足技。弟は66kg級で活躍している藤阪泰恒。 柔道は5歳の時に明武館田邊道場で始めた。その後に臥牛館道場へ移った。小平第六中学から八王子学園八王子高校へ進むと、3年の時にはインターハイ66kg級に出場するも3回戦で敗れた。 2013年に国士舘大学へ進学すると、2年の時には体重別団体の準決勝で東海大学と対戦するが、髙市賢悟に上四方固で敗れてチームも3位に終わった。全国体育系学生柔道体重別選手権大会では決勝で東海大学1年の浅利昌哉に敗れた。
太田 晴奈(おおた はるな、1992年6月12日 - )は、… 太田 晴奈(おおた はるな、1992年6月12日 - )は、大阪府吹田市出身の日本の柔道選手である。階級は63kg級。身長162cm。得意技は内股。組み手は右組み。段位は弐段。血液型はB型。現在は自衛隊体育学校所属の2等陸曹。 6歳の時に柔道を始めた。藍中学2年の時には同級生の井上愛美とともに全国中学校柔道大会団体戦の優勝に貢献した。3年の時は団体戦こそ2位だったものの個人戦では優勝を果たした。 淑徳高校2年の全国高等学校柔道選手権大会では団体戦では2位に終わるも個人戦で優勝を飾った。さらに3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイでも個人戦と団体戦の2冠を達成した。淑徳大学に進学すると、1年の時には全日本ジュニアと学生体重別では決勝で敗れて2位だった。
王子谷 剛志(おうじたに たけし、1992年6月9日 - )… 王子谷 剛志(おうじたに たけし、1992年6月9日 - )は、日本の柔道家。大阪府泉佐野市出身。得意技は大外刈。血液型はO型。 幼少の頃は柔道好きの父親によく柔道の試合を見せられていた。そのなかでも井上康生の試合に魅了されたこともあって、7歳の時にやまびこ少年柔道クラブで柔道を始めた。小学生の時は父親に払腰と大外刈を仕込まれた。東海大相模中学時代は全国大会の個人戦、団体戦で何度か上位に入るが優勝までには至らなかった。なおこの時期は、監督の林田和孝の指示で払腰ではなく大外刈の方を重点的に強化することになった。東海大相模高校2年の時には1年先輩の羽賀龍之介や橋本壮市、藤井岳などとともに活躍して、団体戦の高校3冠(全国高校選手権、金鷲旗、インターハイ)に貢献した。
土井 健史(どい たけし、1992年5月26日 - )は、大… 土井 健史(どい たけし、1992年5月26日 - )は、大阪府出身の、日本の柔道選手である。階級は73kg級。身長169cm。組み手は左組み。得意技は背負投。
川端 龍(かわばた りょう、1989年11月29日 - )は… 川端 龍(かわばた りょう、1989年11月29日 - )は、日本の柔道家。大阪府豊中市出身。身長166cm。階級は60kg級。段位は三段。血液型はB型。得意技は足技と低い韓国背負い投げ。自身のYouTube上ではドンマイ川端名義で活動しており、篠原信一、野村忠宏、鈴木桂治、秋本啓之、大野将平、ウルフ・アロンなど五輪・世界大会優勝者と柔道関連の動画を中心に撮影して、柔道広報活動の一翼を担っている。 柔道は5歳の時に始めた。大阪の豊中十七中学から高校は広島県にある近大福山高校に進むと、2年の時にインターハイ60kg級で3位となった。2008年に国士舘大学に進学すると、2年の時には学生体重別で日体大2年の山本浩史を破って優勝した。
牧 志津香(まき しずか、1989年6月9日 - )は、大阪… 牧 志津香(まき しずか、1989年6月9日 - )は、大阪府出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は57kg級。身長165cm。組み手は左組み。血液型はB型。得意技は大内刈。 柔道は6歳の時に池本道場で始めた。加賀屋中学3年の時に全国中学校柔道大会の52kg級で優勝した。大阪工大高1年の時には全日本ジュニアの57kg級で決勝まで進むも、金沢学院高校3年の松本薫に敗れた。2年の時には3位だったが、3年の時には決勝で帝京大学1年の石川慈を破って優勝を飾った。インターハイでは3位だったが、アジアジュニアでは優勝を飾った。講道館杯でも決勝まで進むが、帝京大学2年の松本に敗れて2位だった。ベルギー国際では優勝を飾った。
伊部 尚子(いべ しょうこ、1987年5月25日 - )は、… 伊部 尚子(いべ しょうこ、1987年5月25日 - )は、大阪府出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は48kg級。身長151cm。血液型はA型。組み手は左組み。段位は参段。得意技は背負投。ぎふ柔道クラブ24を経て2013年からは常翔学園教員。さらには森ノ宮医療学園専門学校で非常勤講師を務めている。寿退社。 5歳の時に柔道を始めた。大阪市立旭東中学校3年の時に、全国中学校柔道大会の48kg級で2位となった。大阪工大高時代は全国高校選手権で1年の時は3位、2年の時は浅見八瑠奈を破って優勝した。また、全日本ジュニアでは高校1年の時に山岸絵美、2年の時に福見友子に敗れてそれぞれ2位となり、3年の時は3位だった。
石井 慧(いしい さとし、1986年12月19日 - )は、… 石井 慧(いしい さとし、1986年12月19日 - )は、男性総合格闘家、キックボクサー、プロボクサー、柔道家(六段)。北京オリンピック柔道男子100kg超級金メダリスト。大阪府茨木市出身。チーム・クロコップ所属。ブラジリアン柔術黒帯。紫綬褒章受章。血液型はO型。出身道場は修道館(大阪府)。元妻は歌手の林明日香。2019年にクロアチア国籍を取得するまでは、日本国籍保有者であった 茨木市立大池小学校5年生の頃、父親の指導で柔道を始め、本格的に取り組むべく清風中学に入学。高校1年生の時に、より柔道の強い環境を求め国士舘高校へ志願編入。その後、国士舘大学体育学部武道学科に入学。 100kg以下級であったが、2007年秋に100kg超級へ転向した。
米富 和郎(よねとみ かずお、1982年10月8日 - )は… 米富 和郎(よねとみ かずお、1982年10月8日 - )は、大阪府出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長161cm。組み手は左組み。得意技は背負投。 柔道は8歳の時に始めた。下福島中学から比叡山高校へ進むと、2年の時にはインターハイ60kg級で3位になった。全日本ジュニアでは2位となった。3年の時にはインターハイで2位にとどまるも、全日本ジュニアでは優勝を飾った。世界ジュニアでは2回戦で敗れた。2001年に天理大学へ進むと、全日本ジュニアで2連覇を達成した。正力杯では3位、体重別団体では2位だった。2年の時には学生体重別と世界学生でそれぞれ優勝を飾った。嘉納杯では3位だった。3年の時には体重別団体で3位だった。
中市 陽子(なかいち ようこ、1974年(昭和49年)12月… 中市 陽子(なかいち ようこ、1974年(昭和49年)12月3日 - )は大阪府出身の日本の柔道家。66kg級及び70kg級の選手。身長163cm 箕面第一中学から箕面学園高校へ進むと、1年と2年の時に高校選手権66kg級の決勝で、柳川高校の佐野奈津子に有効と判定でそれぞれ敗れた。 1993年に拓殖短期大学へ進学すると、1年の時に正力杯と強化選手選考会で3位になった。2年の時にはイギリス国際に出場するが、決勝で地元イギリスのカレン・ロバーツに敗れた。体重別で3位になるが、強化選手選考会では決勝で住友海上の木本奈美に敗れて2位だった。 1995年には拓殖大学に編入することになった。3年の時には体重別の決勝であさひ銀行の石橋千里に敗れた。
赤野 仁美(あかの ひとみ、1974年7月27日 - )は、… 赤野 仁美(あかの ひとみ、1974年7月27日 - )は、日本の女性元柔道家、総合格闘家。大阪府大阪市出身。元Smack Girlミドル級王者。 中学1年から柔道を始め、夙川学院高校、日本体育大学でも柔道を続けた。 セコム柔道部時代は2000年のイタリア国際柔道大会で優勝、全日本の強化選手に選ばれるなど活躍。その後、柔道をやめ音楽活動などをしていたが、高校の同級生だった藤井惠が在籍していたAACCにダイエット目的で入門した。 2004年11月26日、G-SHOOTOでの藪下めぐみ戦で総合格闘技デビューするも判定負け。 2005年年8月17日、国立代々木競技場第二体育館大会で開催されたSMACKGIRL 2005 〜Dynamic!!〜でのThe Next Cinderella Tournament 2005の59kg級トーナメント決勝で端貴代に一本勝ちし優勝。
植田 睦(うえだ むつみ、1972年1月25日 - )は、大… 植田 睦(うえだ むつみ、1972年1月25日 - )は、大阪府東大阪市出身の日本の柔道家。現役時代は52kg級及び56kg級の選手。身長163cm。得意技は大外刈。3人姉妹の次女。長女の早苗は実業個人選手権52kg級で2位、3女の庸子は体重別や全国女子体重別の57kg級で3位になるなど、それぞれ活躍していた。 小阪中学1年の時にニュージャパン柔道協会で柔道を始めた。高校は道場の先輩である深川照子が通っていた大阪市立桜宮高等学校へ進んだ。1学年上には後のバルセロナオリンピック56kg級で銅メダルを獲得することになる立野千代里がいた。2年の時には高校選手権52kg級で決勝まで進むが、浜松西高校2年の溝口紀子に横四方固で敗れた。
浅田 ゆかり(あさだ ゆかり、1972年1月7日 -)は大阪… 浅田 ゆかり(あさだ ゆかり、1972年1月7日 -)は大阪府出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代の身長は174cm、体重106kg。 高槻第八中学から成安女子高校へ進むと、3年の時に強化選手選考会72kg超級で5位となり、ジュニア強化選手に選ばれた。 1990年に湊川女子短大へ進学すると、1年の時には世界ジュニアに出場するも5位に終わった。無差別で争われる全日本学生選手権では準決勝で筑波大学4年の坂上洋子に敗れるも3位となった。強化選手選考会でも3位に入った。2年の時には正力杯の66kg超級で優勝すると、全日本学生選手権でも決勝で中国の黒龍江省からの留学生である同じ湊川女子短大1年の隋文霞を横四方固で破って、学生2冠を達成した。
立野 千代里(たての ちより、現姓:増地、1970年6月25… 立野 千代里(たての ちより、現姓:増地、1970年6月25日 - )は、大阪府守口市出身の柔道選手。現役時代は56kg級の選手だった。身長155cm。得意技は大内刈、寝技。 中学まではソフトボールをやっていて、本格的に柔道を始めたのは桜宮高校に入ってからだった全国高等学校柔道選手権大会では3位となる。筑波大学に進学後、1991年には体重別で優勝して世界選手権代表に選ばれるも3回戦で敗れる。翌年再び体重別で優勝してオリンピック代表に選ばれて、銅メダルを獲得する。1993年の世界選手権では決勝で敗れて2位に終わる。その後は52kg級から階級を上げてきた溝口紀子に勝てず代表の座から離れていたが、1997年には体重別で久しぶりに優勝して代表に選ばれて、世界選手権でも3位となる。
正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - … 正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - )は、大阪府忠岡町出身の日本の柔道家、スポーツ科学研究者。天理大学体育学部体育学科教授。
元谷 金次郎(もとたに きんじろう、1956年6月29日 -… 元谷 金次郎(もとたに きんじろう、1956年6月29日 -)は大阪府出身の日本の柔道家。段位は八段。現役時代は95kg級の選手。身長173cm。寝技の名手として知られる。 尽誠学園高校3年の時にインターハイの重量級で3位となった。新人体重別では中量級に出場して決勝まで進むが、天理大学の七条和己に敗れて2位だった。 日本大学へ進学すると、1年の時には新人体重別の軽重量級決勝で東海大学の富田康之に敗れた。2年の時には新人体重別で3位だった。3年の時には優勝大会でチームの3位に貢献すると、全日本学生選手権の軽重量級では2位になった。4年の時には世界学生の95kg級で2位だった。 大学を卒業して大阪府警の所属となると、1982年の全日本選手権で5位、体重別95kg級では同じ大阪府警察の後輩である三原正人を破って優勝を飾った。
松阪 猛(まつさか たけし、1939年12月20日 - 20… 松阪 猛(まつさか たけし、1939年12月20日 - 2014年10月22日)は、日本の柔道家(講道館9段)。現役時代の階級は中量級および重量級。 大阪府岸和田市出身で、生粋の大阪生まれ・大阪育ち。記録上の講道館入門は1956年3月29日。近畿大学在学中の1962年11月、4日に開催された全日本学生選手権(大阪府立体育会館)で3位入賞し、2週間後の講道館80周年記念全日本体重別選手権(東京体育館)では中量級の部で優勝を果たして、東京五輪代表候補の1人に数えられた。 1963年1月に大阪府警察入り、警察学校卒業後は機動隊特科中隊第2小隊(柔道部)へ赴任。府警のほか警視庁や旭化成、新日本製鉄、博報堂など実業団への出稽古で己の柔道を磨いた。
山本 博(やまもと ひろし、1916年9月9日 - 1993… 山本 博(やまもと ひろし、1916年9月9日 - 1993年)は、日本の柔道家(講道館9段)。 大阪府布施市域(現・東大阪市)出身で、生家7人姉弟のうち唯一の男児であった。逆七福神と言われ過保護の中で育ち、幼少時代からの病弱・泣き虫を見かねた父の取り計らいにより中学は大阪市内ではなく、勉学よりもスポーツを志して府下の旧制四條畷中学校(現・府立四條畷高校)に入学。50番目中32番目という小柄な体格であった山本が、いじめに遭わないようにと自らの意志で柔道部に入部したのが柔道との出会いであった。中学校の柔道教員は山本が生涯の師と仰ぐ事となる浜野正平(のち大阪府警師範)で、山本は浜野の元で“道場の虫”とあだ名されるほど稽古に打ち込んだ。
前島 延行(まえじま のぶゆき)は日本の柔道家。階級は重量級… 前島 延行(まえじま のぶゆき)は日本の柔道家。階級は重量級(93kg超級)。身長176cm。体重93kg。得意技は内股、大外刈。 都島工業高校から天理大学に進むと、全日本学生柔道優勝大会では2連覇を飾った。卒業後は三菱重工所属となり、1963年にプレオリンピック大会として開催された東京国際スポーツ大会重量級では3位になった。1966年の全日本柔道選手権大会では準決勝で旭化成の坂口征二に小外掛で敗れるも3位入賞を果たした。続くアジア選手権には重量級と無差別に出場して、決勝でともに倉敷レイヨンの佐藤治を破って2階級制覇を達成した。1967年の世界選手権重量級では、準決勝で大阪府警の松阪猛を内股で破るも、決勝ではオランダのウィレム・ルスカに釣込腰で敗れて2位にとどまった。