鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 201… 鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 2011年2月6日)は、日本の実業家。サントリー名誉会長。龍谷大学経済学部客員教授。 父はサントリー創業者である鳥井信治郎。妻は日本生命第5代社長弘世現の娘の準子。長男にサントリー副社長、3代目マスターブレンダーの鳥井信吾がいる。京都近鉄百貨店社長の若林誠郎、メルボ紳士服オーナーの清水貞夫大阪マルビル会長の吉本晴彦など関西の財界人や祇園・先斗町の元芸子など、同じ大正12年(1923年)生まれのメンバーで構成する「いのしし会」を開いており、酒食など行動を共にしていた。
尾西 信一(おにし しんいち、1923年 - )は、兵庫県出… 尾西 信一(おにし しんいち、1923年 - )は、兵庫県出身のプロ野球選手。
本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月… 本田 耕一(ほんだ こういち 1923年 - 1945年5月14日)は、日本の元アマチュア野球選手、大日本帝国海軍軍人。兵庫県出身。 旧制日本大学第三中学校(現・日本大学第三中学校・高等学校)在学中に、甲子園に3回出場(春2回〔1938年、1939年〕,夏1回〔1938年〕)。当時のチームメイトに、鬼頭政一(のち名古屋,西鉄などでプレー。元太平洋監督),坂本茂(のち巨人などでプレー)がいた。卒業後は法政大学に進学。大学時代は一塁手として活躍した。 大学に在学していたが、1944年春の学徒出陣によって召集される。本田は海軍飛行科を希望し、第14期飛行専修予備学生として筑波海軍航空隊に配属され、1945年に神風特別攻撃隊に志願して特攻隊員となる。
鈴木 圭一郎(すずき けいいちろう、1922年11月8日 -… 鈴木 圭一郎(すずき けいいちろう、1922年11月8日 - 2011年2月23日)は、兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは捕手。 娘はピアニストの佐伯真魚。 中外商業(現・兵庫県立尼崎北高等学校)から華北交通を経て、1946年にセネタース(1947年・1948〜1953年東急フライヤーズ、1948年急映フライヤーズ、1954年〜東映フライヤーズ)へ入団。1950年代の東急の正捕手として活躍した。チームメイトの青バットの大下弘とは、神戸小学校の同期生。1956年に現役引退。1952年から1954年前半にかけて、捕手として丸々2シーズン半全試合全イニング連続出場の記録は、のちの野村克也、城島健司両捕手の記録の先駆け的存在であり、球団よりA級10年選手の栄誉を受けた。
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1… 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
小林 信雄(こばやし のぶお、1922年(大正11年)10月… 小林 信雄(こばやし のぶお、1922年(大正11年)10月 - 2014年(平成26年)3月)は、日本の新約聖書学者。 牧師・竹林拙三の子に生まれる。 関西学院高等部卒、九州帝国大学卒、1947年関西学院文学専門部専任講師、1950年関西学院大学文学部専任講師、1952年神学部専任講師、トロント大学大学院神学修士課程修了、イマヌエル神学校卒。関西学院大学神学部助教授、教授。1991年定年退任、名誉教授。
賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990… 賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990年3月6日)は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。 神戸一中(現・県立神戸高校)、神戸経済大学(現・神戸大学)を経て、1948年に田辺製薬サッカー部に入団。全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝を遂げた田辺製薬の黄金期を支えた一人だった。同時期の天皇杯全日本サッカー選手権大会には大阪クラブの選手として出場し、1951年から3年連続で準優勝している。 日本代表としてもワールドカップ・スイス大会予選など、国際Aマッチ5試合に出場した。 2006年に第2回日本サッカー殿堂入りした。サッカーライターの賀川浩は実弟である。
平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993… 平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993年7月27日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 皇宮警察や綜合警備保障の柔道師範を務めたほか、欧州各国で柔道指導を行いアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカ等の世界チャンピオンを育てた事で知られる。 淡路島の洲本市に生まれ、旧制・洲本中学校に入学した直後の1935年4月より柔道を始めた。2年生で初段位を取得すると推薦により平安中学校へ転校し、大日本武徳会武道専門学校師範を務める福島清三郎8段(のち9段)の義方会塾に住みこんで4段・5段の猛者を相手に修行に励んだ。平安中学主将となった平野は1939年に全国中等学校大会で優勝すると、同年秋に講道館で開催された明治神宮国民体育大会(中学校の部)に団体戦の京都府代表として出場し、優勝に貢献。
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8月6日 - 2013年〈平成25年〉5月24日)は、日本の実業家。長女は東京都知事の小池百合子。 兵庫県神戸市生まれ。宮城県・小池喜兵衛、兵庫県・かつの二男。1944年(昭和19年)、中央大学専門部商学科卒業。1947年(昭和22年)、立川医薬品工業営業部長。第二次世界大戦中は海軍中尉となり満洲国有鉄道経理部に所属した。(詐称疑惑あり) 終戦後はペニシリンなどを扱う闇市で財を成し、石油を扱う貿易会社を複数経営したほか、関西経済同友会の幹事を歴任した。その際にエジプト、サウジアラビア、クウェートなどのアラブ諸国の指導者層との人脈を形成する。
仁科 栄三(にしな えいぞう、1922年8月3日 - )は兵… 仁科 栄三(にしな えいぞう、1922年8月3日 - )は兵庫県出身の元プロ野球選手。
中内 㓛(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日… 中内 㓛(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日 - 2005年〈平成17年〉9月19日)は、日本の実業家。ダイエー創業者。 戦後の日本におけるスーパーマーケット (GMS) の黎明期から立ち上げに関わり、近年の消費者主体型の流通システムの構築を確立させ、日本の流通革命の旗手として大きく貢献した。 ダイエー会長・社長・グループCEOを歴任したほか、日本チェーンストア協会会長(初代、10代、14代)・名誉会長(初代)、日本経済団体連合会副会長を務めたほか、自身が設立した学校法人中内学園(流通科学大学)学園長・理事長、財団法人中内育英会の理事長も務め、教育者としての一面もあった。 名前の正式な用字は「功」ではなく「㓛」(「工+刀」、㓛:U+34DB)。
伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 20… 伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 2021年12月19日)は、日本の実業家。武藤絲治に認められ、のちにカネボウ会長になる。日本航空元会長。建築学者の横尾義貫は従兄にあたる。江藤新平の曾孫。
鈴木 正(すずき ただし、1922年 <大正11年> 7月8… 鈴木 正(すずき ただし、1922年 <大正11年> 7月8日 - 2008年 <平成20年> 2月28日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。位階は正五位。 兵庫県神戸市出身。1947年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に山陽電気鉄道に入社した。1963年11月に取締役に就任し、1971年6月に常務、1978年6月に専務、1981年7月に副社長を経て、1986年6月に社長に就任。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。2008年死去。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 20… 紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 2010年10月1日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近代文学、特に白樺派の作家。早稲田大学名誉教授。息子は日本大学教授で日本文学研究者の紅野謙介。 兵庫県西宮市生まれ。中学卒業後は家業の醸造業に従事するが、1943年招集されてスマトラ島に出征する。敗戦後、1年あまりの捕虜生活を送る。1947年大東文化学院国語国漢科に入学、1949年早稲田大学第一文学部国文学科に編入学。1952年、同大学卒業。1953年から1960年まで京華学園教諭を務め、1960年早稲田大学教育学部専任講師。1962年同助教授、1967年同教授。1992年定年退職、名誉教授。
別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24… 別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24日 - 2012年〈平成24年〉1月12日)は、日本の作曲家。 1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女梅子の息子として東京に生まれた。翻訳家の別宮貞徳は弟。 兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年(昭和21年)に卒業。同年に「管弦楽のための二章」を発表して作曲家としてデビューした。翌1947年(昭和22年)、同大学文学部美学科に入学し1950年(昭和25年)卒業。この間、柴田南雄らの新声会に参加し作品を発表している。
天満美智子(てんま みちこ、1922年4月26日 - 202… 天満美智子(てんま みちこ、1922年4月26日 - 2021年10月10日)は、日本の言語学者・英語学者。津田塾大学名誉教授。専門は言語心理学。 ウラジオストク生まれ。1944年津田塾専門学校英文科卒、1950年南カリフォルニア大学大学院、1961年ミシガン大学大学院を経て、国際基督教大学講師、1968年津田塾大学教授、1988-1996年学長、名誉教授。1997年、勲三等宝冠章を受章。
後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 20… 後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 2018年12月23日)は、日本の海軍軍人、牧師(日本基督教団)。最終階級は海軍大尉。海軍兵学校70期。陸軍大将の後宮淳は叔父、榎本保郎は義兄に当たる。 1922年(大正11年)、陸軍軍人(陸軍中佐)であった後宮太朗の長男として和歌山県和歌山市に生まれる。神戸第一中学校4年の時、海軍兵学校に入学し、1941年、70期としてこれを卒業。卒業後には連合艦隊勤務となり士官として戦艦「霧島」に乗務、1942年にはソロモン海戦で負傷している。その後、戦艦「山城」、駆逐艦「霜月」に続けて乗務するも、1944年9月からは結核のため療養となりそのまま終戦を迎えた。
大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 201… 大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 2010年3月25日〈日本時間3月26日〉)は、日本のジャーナリスト。兵庫県神戸市出身。 作家の柴田錬三郎は従兄弟。
上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 20… 上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 2002年3月8日)は、日本の経営者、工学博士。山陽特殊製鋼社長を務めた。兵庫県姫路市仁豊野出身。父は上杉源蔵(元 福徳相互銀行)。 桃李小学校(現 姫路市立砥堀小学校)、旧制姫路中学(現:兵庫県立姫路西高校)卒業。1945年に東京帝国大学工学部冶金工学科を卒業し、1949年5月に山陽特殊製鋼に入社。1959年5月に取締役に就任し、1961年5月に常務、1974年12月に専務を経て、1981年2月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1989年6月に取締役相談役に就任し、1992年6月に相談役に就任。 常務時代に、山陽特殊製鋼倒産事件が起こる。
山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2… 山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也(やまだ せいや)。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学(入学時は東京医学専門学校)卒業、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や忍法帖シリーズに代表される大衆小説で知られている。2010年(平成22年)、その名を冠した「山田風太郎賞」が創設された。 筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する。
久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 198… 久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 1980年12月7日)は日本の警察・防衛官僚。元防衛事務次官。
三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1… 三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1991年7月8日)は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1946年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社。1967年に取締役に就任し、1975年に常務、1981年に専務を経て、1982年12月に社長に就任。 1987年2月から1990年2月までに会長を務め、デイリースポーツ社社長も務めた。 1991年7月8日、膵臓癌のために死去。69歳没。
山本 静雄(やまもと しずお、1921年12月1日 - 19… 山本 静雄(やまもと しずお、1921年12月1日 - 1959年4月27日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手。
加美 早苗(かみ さなえ、1921年10月20日 - 200… 加美 早苗(かみ さなえ、1921年10月20日 - 2000年8月30日)は、日本のバレリーナ・バレエ指導者である。宝塚歌劇団星組に娘役として所属した後、バレリーナ・バレエ指導者へと転身した。 本名は辻野美津枝(つじの・みつえ)といい、1921年に3人姉妹の末娘として兵庫県川辺郡長尾村(現・兵庫県宝塚市)で生まれた。幼少時は「ツーコ」と呼ばれて幸福な生活を送っていたが、小学校5年のときに実母と死別した。継母とはなかなか馴染むことができず、もともと内向的だった彼女はさらに無口になっていった。そんな美津枝の状態を心配した長姉・小ゆきは、引きこもりがちになった彼女を外の空気に触れさせようと、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)の受験を勧めた。
上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日… 上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日 - 1945年8月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。宮城事件森赳近衛師団長殺害事件の首謀者の一人。 兵庫県神戸市生まれ。父は船員であった。京都府立二中、広島陸軍地方幼年学校から陸軍士官学校卒(55期)。陸軍戸山学校生徒を経て、陸軍挺進練習部(現 新田原基地)で落下傘降下を学ぶ。1944年陸軍航空士官学校(現入間基地)へ移る。 1945年8月15日、近衛師団司令部で森師団長を刺殺。同月19日、陸軍航空士官学校(修武台)裏の航空神社前で自決。なお、入間基地内に「上原大尉自刃之碑」がある。
小前 博文(こまえ ひろふみ、1921年10月9日 - 20… 小前 博文(こまえ ひろふみ、1921年10月9日 - 2000年5月10日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 20… 沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 2013年4月27日)は、日本の女性の歌人である。中国残留孤児帰国運動にも携わった。 父は国文学者の沼波瓊音(本名 : 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。妹は女優で声優でもあった沼波輝枝。また、名付け親は、安井てつ(元東京女子大学学長)。
多田 文久三(ただ ふくぞう、1921年7月8日 - 200… 多田 文久三(ただ ふくぞう、1921年7月8日 - 2006年9月1日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手。
戸谷 松司(とたに まつじ、1921年 <大正10年> 6月… 戸谷 松司(とたに まつじ、1921年 <大正10年> 6月30日 - 1999年 <平成11年> 6月26日)は、日本の政治家。姫路市長を務めた。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 印南郡米田町(現・加古川市)に6人きょうだいの3男として生まれる。実家は宝殿駅前の料亭「荒熊」で、父は大阪相撲の元関脇だった。姫路中学校(旧制)、姫路高等学校(旧制)を経て1944年(昭和19年)京都帝国大学工学部土木工学科卒業。建設省に入り、九州電力嘱託、島根県土木砂防電気課長補佐、徳島県土木部河川課長、広島県土木建築部河川課長を歴任。島根時代には竹下登の知遇を得た。 1966年(昭和41年)、兵庫県庁に入り土木部河川部長、企画部長、土木部長を経て1976年(昭和51年)から1983年(昭和58年)まで兵庫県副知事を務めた。
菊池 徹(きくち とおる、1921年6月27日 - 2006… 菊池 徹(きくち とおる、1921年6月27日 - 2006年4月10日)は、日本の南極探検家。 1921年、兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)に生まれる。大阪府立北野中学校卒業。中学時代より、登山部に入り登山活動を行う。浪人し、北海道大学予科に入学、1946年3月、北海道大学理学部地質学鉱物学科を卒業する。 大学卒業後、父親の経営する会社の役員につくも、地質学の知識が買われ、商工省の地質調査所に就職する。 1956年、第一次南極地域観測隊の隊員53名の一人に抜擢される。1957年1月29日、南極地域観測隊のメンバーが、南極の東オングル島に上陸する。昭和基地が設営され、菊池徹は、11名の南極越冬隊員の一人となり、1957年の『冬』の越冬活動に参加する。
新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 20… 新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 2014年3月24日)は、日本の教育学者・社会学者。学位は、文学博士(広島大学・1961年)。広島大学名誉教授、武庫川女子大学名誉教授。 神戸市出身。第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)・広島高等師範学校を経て、1942年10月広島文理科大学に入学。卒業直前の1945年8月6日に広島市への原子爆弾投下により被爆。同年9月広島文理科大学教育学科を卒業。稲富栄次郎に師事。卒業の翌日、広島女子高等師範学校教諭に就任、翌年広島高師助教授に転任。1951年、広島大学教育学部助教授に配置換えとなり、1971年同教授。1968年からは広島大学助教授併任のまま文部省社会教育官として3年間つとめ、広島大学では教育学部長・大学教育研究センター長などの役職を歴任。
渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 20… 渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 2008年11月19日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1942年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1945年に山陽電気鉄道に入社。1966年11月に取締役に就任し、1973年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1986年6月に会長を経て、1991年6月から相談役を務めた。 2008年11月19日に死去。87歳没。
小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994… 小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994年5月22日)は、日本の小説家。 1921年、兵庫県神戸市に生まれる。本名は廣岡 澄夫。姫路商業学校、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)スペイン語科卒業後、貿易商、教員等を経て昭和18年、毎日新聞社に入社。毎日新聞社では大阪本社編集局整理部デスク、高松支局、金沢支局などを経て、大阪本社編集委員となる。新聞社時代の後輩としては作家の長井彬がいる。太平洋戦争終結(終戦)のすぐあとから短編小説を執筆する。1948年、雑誌「百面相」にて「仮面の花嫁」を発表、またこの年「百万塔の秘密」を刊行した。その後も少年向け小説を執筆する。毎日新聞社在職中、1973年に『アルキメデスは手を汚さない』で第19回江戸川乱歩賞を受賞する。
小松 康(こまつ こう、1921年3月14日 - 1999年… 小松 康(こまつ こう、1921年3月14日 - 1999年3月19日)は、日本の実業家。住友銀行元頭取。兵庫県神戸市出身。 1946年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1973年4月には常務に就任。常務時代に経営破綻に陥っていた総合商社安宅産業の社長として、出向し、同社の清算と伊藤忠商事との合併を取り仕切った。 1977年10月に住友銀行に復帰し、専務に就任し、1981年6月に副頭取を経て、1983年11月から1987年10月までに頭取を務めた。1986年に平和相互銀行を吸収合併し、アメリカのゴールドマン・サックスへの出資などで積極的な経営姿勢に評価され、1986年に英国金融雑誌の「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。
古家 武夫(ふるや たけお、1921年3月9日 - 2014… 古家 武夫(ふるや たけお、1921年3月9日 - 2014年7月14日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)。
江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12… 江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12日 - 2011年12月22日)は日本の経済学者。財政学専攻。生存科学研究所理事長。一橋大学・帝京大学名誉教授。
伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 20… 伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 2014年10月20日)は、新聞学者。 神戸市出身。1944年東京帝国大学文学部卒。1947年サン写真新聞入社、1950年日本新聞協会に入り、放送課長、編集課長、調査委員、1970年東京大学新聞研究所教授、76年同所長、81年定年退官、名誉教授、文教大学教授、1988年帝京大学教授。91年退職。
島尾 永康(しまお ながやす、1920年11月12日 - 2… 島尾 永康(しまお ながやす、1920年11月12日 - 2015年1月6日)は、日本の科学者。専門は科学史。 2015(平成27)年1月6日逝去
馬淵 秀夫(まぶち ひでお、1920年11月12日 - 20… 馬淵 秀夫(まぶち ひでお、1920年11月12日 - 2013年2月19日)は、日本の経営者。日本酸素社長、会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱商事に入社。1976年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1984年6月に副社長を経て、1986年7月に日本酸素常勤顧問に就任し、同年9月には社長に昇格。1991年6月から1996年12月までに会長を務めた。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年2月19日急性冠症候群のために死去。92歳没。
奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 200… 奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 2001年1月21日)は日本の政治家、社会学者。福岡県知事を3期12年にわたって務めた。九州大学名誉教授。 1920年(大正9年)、兵庫県で生まれる。龍野中学校、姫路高等学校 (旧制)を経て、1944年(昭和19年)に九州帝国大学(現・九州大学)法文学部を卒業し、九州大学で社会思想史の研究に取り組み教授に就任した。また、社会主義協会の発足や、炭鉱失業者の救済を目指した「黒い羽根運動」に参加した。1967年(昭和42年)の社会主義協会分裂では太田派に属し、知事退任後は『進歩と改革』(太田派『社会主義』後継誌)にたびたび寄稿した。 1983年(昭和58年)、当時の社会党や共産党の推薦を得て、自民党推薦の亀井光の5選を阻止すべく福岡県知事選に出馬した。
川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2… 川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2004年2月23日 )は日本の薬学者、九州大学名誉教授。専門は天然物化学。薬学博士(1952年)。兵庫県出身。
和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 … 和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 - 1983年(昭和58年)2月18日)は、兵庫県姫路市出身の脚本家。映画監督・市川崑の妻。本名は市川 由美子(いちかわ ゆみこ)、旧姓は茂木(もぎ)。
末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 … 末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 - 1991年12月5日)は、日本の天文学者。専門は、天体物理学、とりわけ太陽物理学。1967年日本学士院賞受賞、1991年勲二等瑞宝章受章。 兵庫県神戸市出身(出生地は富山県)。旧制神戸一中、第一高等学校を経て東京帝国大学理学部天文学科に進学し、東大では萩原雄祐に天体物理学を学んだ。
別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 199… 別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 1999年4月16日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。
石井 武夫(いしい たけお、1920年5月13日 - 没年不… 石井 武夫(いしい たけお、1920年5月13日 - 没年不明)は、兵庫県出身のプロ野球選手。 中外商業高校から1938年に阪急軍へ入団。1942年に応召され、戦後阪急に復帰するが1946年限りで引退した。
河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 20… 河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 2007年6月25日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・スカウト。
芳村 嵓夫(よしむら いわお、1920年4月21日 - 没年… 芳村 嵓夫(よしむら いわお、1920年4月21日 - 没年不明)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(捕手)。
森下 重好(もりした しげよし、1920年4月12日 - 2… 森下 重好(もりした しげよし、1920年4月12日 - 2000年7月16日)は兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日 - 没年… 伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日 - 没年不明)は、プロ野球選手(二塁手)。
伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 20… 伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 2019年9月21日)は、日本の俳人、写真家。本名は岩田 秀雄(いわた ひでお)。別号・写俳亭。 兵庫県伊丹町(現伊丹市)に生まれ、同三木町(現三木市)で育つ。三木市立三樹小学校、兵庫工業高等学校卒業。13歳から長谷川かな女の俳誌「水明」にて俳句を始める。高校卒業後は神戸大学工学部を受験するも失敗、神戸市役所に採用される。1937年、日野草城の「旗艦」に投句、のち「旗艦」が統合された「琥珀」同人。戦後、同門の桂信子や楠本憲吉らと「まるめろ」を創刊。また「太陽系」に参加。1949年、日野草城主宰の「青玄」創刊に参加し、編集・発行を行う。1956年の草城没後は「青玄」を継承し主幹となる。